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A嬢がインドネシアから戻ってきた (No.2031 14/09/26)

 昨年、米国留学を終えて日本にやって来たインドネシア人のA嬢と知り合いになった。小生から見れば孫どころかひ孫くらいにしか見えないA嬢はとても若くて可愛らしい娘さんである。日本にやって来たばかりの彼女はまだ日本語がまったく話せないから我々との会話は英語だが、これから数年間は日本で過ごして日本語も覚えていくつもりのようだ。
 そんな彼女がしばらく里帰りしていて、数日前に日本に戻ってきた。米国や日本に滞在する娘のために仕送りしていた両親に、もうしばらく日本にとどまっていいという了承を取り付けてきたのだろう。インドネシアから見れば物価高の日本や米国に仕送りするのはたいへんだと思うが、娘の希望を叶えてくれるのだから両親はきっと素晴らしい人たちだと思う。
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 本日彼女からインドネシアの蝶をお土産にプレゼントされた。小生がチョウチョが大好きなことを覚えていてくれて、わざわざお土産用にディスプレイしたインドネシアの蝶を、多分両親が買って持たせてくれたのであろう。
 小生、熱帯の蝶はトリバネアゲハ以外は種類が多すぎてあまり詳しく知らないのだが、上の茶色い蝶は、Vindula arsinoe / Ceran Island Indonesia 、下のシロオビアゲハに似た黒い蝶は Papilio demelion / Java Island Indonesia と書いてある。
 Aさんありがとう。彼女は「インドネシアにはこんなチョウチョが一杯いるからぜひ採りに来て欲しい」と誘われた。ジャカルタまで来れば彼女の友達がヘルプしてくれるそうである。だが、もしインドネシアに行くのなら、パプアニューギニアまで行ってトリバネアゲハを採りたいと言ったら、パプアまでの航空運賃はとても高くて行くのがむずかしい、それとひどく暑いところと言われた。
 我々から見るとパプアもジャカルタもそんなに違いはないようだが、ジャカルタ育ちの彼女が言うのだから相当暑いのだろう。彼女がパプアに行ったときは猛烈に暑かったのと、帰りは船で戻ったら5日間かかったという。パプアに入るには特別なビザが必要のようだし、治安の問題もある。最初にインドネシアに行くならジャカルタかバリが初心者向けコースとして適切なのかもしれない。
 日本はこれから秋を経て寒い冬を迎える。南国育ちの彼女が寒さに負けずしっかり日本語を学んで欲しいと思いつつ、今夜はプレゼントされたこのチョウチョを眺めている。
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by Weltgeist | 2014-09-26 23:56

老人ホーム訪問 (No.2030 14/09/21)

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 知り合いのMさんが最近顔を見せないのでどうしたのかと思ったら老人ホームに入所したという。それで今日は親しい仲間みんなで顔を見に行って励ましてきた。
 誰もが歳をとって動けなくなれば最終的には老人ホームのお世話になる。いわば人生の終わりにさしかかった人の入るところが老人ホームと小生は頭から思い込んでいた。だが、88歳のMさんはそんなことを感じさせないほど元気で、ボケもまったくない。一人一人に「しばらくぶりだね」と言って挨拶するところなど我々と全然変わらないように見えた。外国人のCさんが英語で”Do you remember me ? " と聞いたら "Yes , I know " としっかりした英語で答えていたから、まだまだホームに入るほどではないと思うのだが、Mさんには心臓病という持病がある。ときどき発作を起こして倒れる恐れがあるから、見た目元気でもこうした施設に入るのはやむを得ないのかもしれない。
 小生が子供の頃は養老院という言葉が一般的だったが、今は老人ホームという名前に統一させられたらしい。養老、すなわち年寄りを養う場所ではない。年をとって動けなくなった人、介護が必要な人などが人生の最後に行くところが老人ホームのようだ。老人ホームといっても様々な場所があるらしい。Mさんが入っているのは某特別養護老人ホーム(略して特養という)である。
 小生老人ホームはアメリカで一度見たことがあるが、日本で見るのは始めてである。アメリカの老人ホームはたいへん立派な施設だったが、月額5000ドルというからお金持ちでないと簡単には入れない。日本でも噂に聞くと民間の老人ホームに入所するときは一千万円以上の一時金と、月々数十万円のお金が掛かるというから、人生の最後にお世話になるためには相当の老後資金が必要だろう。それでも日本の施設は高いだけで、介護の仕方や施設の貧弱さで不満のあるところが多いと言われる。
 だが、Mさんがいる特養は公的なホームだから建物は立派で廊下などもアメリカで見たケアホームと同じくらい広々していた。多分、民間の老人ホームはもっと厳しいのではないかと思われる。希望者の多い特養に入れたMさんはきっと幸運だったのだろう。
 しかしそんな立派な場所でも、もし自分がこんな所に入れられたらと考えると、Mさんには申し訳ないが嫌だという思いがしてきた。だが、嫌だと思うが思うまいが、時間の進行は容赦がない。有無を言わさず人を老人化し、ホームにたたき込んで、そのあとフェード・アウトさせてしまう。いずれは誰もが行かなければならない場所なのだろう。人生とはかように過酷で厳しいものである。今日は自分の近未来を垣間見る気持ちでMさんの「ホーム」を後にしたのだった。救いはMさんの表情がとても明るかったことである。
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Mさんとみんなで撮った集合写真があるのだが、今日はプライバシーの問題があるので、肖像権を主張しないエンジェルとイライの写真をまたまた掲載させていただいた。猫の寿命は20年弱と言われる。小生はその前にとっくに老人ホーム→フェード・アウトというコースを歩んでいるだろう。そうなると彼らは飼い主を失った「みなし子ハッチ」になってしまう。そのときはどうなるのだろうか。かわいそうだが、猫の老人ホームはないのだよ。せいぜい若くて元気なうちにめいっぱい遊んでおいて欲しい。あとは知らないよ。
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by Weltgeist | 2014-09-21 23:58

今日もエンジェルです (No.2029 14/09/19)

 相変わらず、パソコンが不調で全然文章が書けていません。それでしつこいようですがまたエンジェルの写真です。猫が苦手な人はごめんなさい。でも、手間の掛かる文章なしに、写真だけですむというのはブログ書きに苦労している小生にはとても楽です。
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 我が家に捨てられた直後は420g しかなかったのに、先日計ったら640g。いまはもっと大きくなって700gを越えているかもしれない。とにかくみるみる大きくなっていく感じである。
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 元気になって、動く物なら何にでもじゃれつくようになってきた。今日は汚い生足を出していたら、これに飛びついてジャブを繰り出してきたが、、動きが激しくなると噛みつきを始める。まだ歯が小さいから痛くはないが、噛みつき猫だった先輩のイライから噛むことを教えられたのかもしれない。
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by Weltgeist | 2014-09-19 23:33

今日はエンジェルの写真だけ (No.2028 14/09/17)

 先日来のパソコンの不調が続いていて、まだ困っています。それで、今日の複雑な文字原稿はなし。すっかり我が家の一員となったエンジェルの写真だけ掲載します。
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エンジェルの今のお気に入りはこの買い物袋。この中に入ったり出たりして一日中遊んでいます。
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そこへたまにイライが通り過ぎると、袋から飛び出してきて、イライにちょっかいを出す。2年半前はエンジェルと同じくらいの子猫だったのに、今やすっかり大デブ猫になったイライは、”うるせえ奴だな” と知らんぷり。エンジェルの食欲はすごいから、こちらもすぐにデブ猫になるかもしれない。
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そして、ついにゴミ箱をあさることを始めた。どうもこうした品のない仕草から、この子はあまり上品な家庭の子女ではなさそうなことが読める。
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今日の午後になって一時行方不明になった。家から外に出ていないことははっきりしていたのだが、どこにでも入り込むから狭い我が家でも姿が見えなくなると探すのがたいへん。ようやく見つけたら、壊れた椅子の上でくつろいでいた。
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by Weltgeist | 2014-09-17 20:51

天地創造と「ことば」の意味を考えてみた (No.2027 14/09/15)

 創世記によれば「初めに神が天と地を創造した」とあり、神が世界を造ったとされている。だが、ヨハネ福音書では「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方が、初めに神とともにおられた」とあり、創世記とはちょっと異なった言い方をしている。ヨハネが考える天地創造には「ことば」が大きく関わっているように思えると昨日書いた。今夜はそのことについて小生の感じていることを述べたい。
 ヨハネ福音書で書いてある「ことば」は原語のギリシャ語ではロゴスという文字である。ロゴスとは論理(論理学、Logic はここからきている)とか言語、真理という意味を含んだ文字である。ということはヨハネは「初めにことばがあった」ということで、世界が論理的真理で創造されたことを示しているのではないかと小生は解釈しているのである。
 普通、キリスト教ではヨハネ福音書の「ことば」のことをイエス・キリストを指していると解釈している。「ことばは神であった」のあとに「この方が初めに神とともにおられた」とヨハネが書いているのはそういう意味である。この方とはイエス・キリストである。言葉=神=キリストで、キリストは天地創造のときからいたという風に考えているのである。
 キリスト教では父(主)と子(キリスト)と聖霊は三位一体、同じものだから、父が造ったということはキリストが造ったことでもある。しかし、時系列的に考えると、キリストの出現は天地創造のずっと後のことである。天地創造したときキリストがいたというのはちょっと言いすぎではないかと思う。むしろ、小生はここでいうロゴス(ことば)とは天地創造したときの神の頭にあった理論、もっと卑近な例でいうと世界の設計図のようなものではないかと考えているのだ。
 何でこんな考え方をしたかというと、サルトルが「実存は本質に先立つ」と言った実存主義哲学のことを思い出したからだ。サルトルに言わせると、人間以外の物、たとえばペンはなぜそこに存在しているか答えがはっきりしている。「私が置いたから」であり、その由来は「だれかが設計図を描いて作った」からである。そしてペンは何か外部から力が加わらない限り、ずっとペンのまま変わらない。それはいつまでもあるところのまま存在している。
 だが、人間はなぜ存在しているのかその意味が分からない。なぜなら人間には設計図がないからだ。理由も無く世界に投げ出されていて、しかも常に自ら無を出して否定していく存在である。人間はペンのように永遠に変わらないままあり続ける即自存在ではなく、つねに自らを無化して、あらぬところのものになる存在である。いつも現在にとどまるのではなく、未来に向かって自らを超越(実存)していく対自存在なのだ。だから人間には設計図はない。こうあらねばならぬというような、設計思想に縛られることのない自由な存在であるとサルトルは言っている。
 サルトルのこうした人間存在の設計図(彼は本質という言葉を使っている)のこのことを思いつつヨハネの福音書を読むと、まさに彼のアンチテーゼがヨハネの「ことば」であると思い至るのである。つまり神は世界を創造したとき、明確な理論、論理に基づいて我々人間も含めた全世界を創造したのである。世界は人知が及ばないほど深い調和に満ちている。だから、創造し終えたとき、被造物を見て「すべて良くできている」と満足できたのである。「ことば」とは天地創造をした神の設計図と小生は見ているのだ。
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 「存在と時間」を書いたハイデガーは歳をとってきたころになって「言葉は存在の真理の家である」ということを言い出した。存在とは真理と同意味である。真理が住む場所、それが言葉である。彼がそんなことを言い出したのもヨハネ福音書のことが頭のすみにあったのではないかと思っている。我々人間は存在(真理)が語りかける言葉を聞いている「牧人」であると、ハイデガーは言っている。「ことば」はギリシャ以来、ずっと西洋哲学の主題として追求され続けてきたのである。
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by Weltgeist | 2014-09-15 23:31

初めにことばがあった (No.2026 14/09/14)

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネ福音書 1:1-4


 上は新約聖書・ヨハネ福音書の冒頭の有名な書き出しである。だが、ここで語られる「ことば」とはどのような意味だろうか。さらっと読むと見落としがちになるが、真剣にそれについて考え出すと意味が分からなくなる。ここのところを参考のため英語ではどう書いているか紹介すると In the biginning was the WORD,and the WORD was with God ,and the WORD was God. とある。
 英文では言葉を指すワードは WORD と大文字で書いてある。これは普通に我々が言う「言葉」とは違った意味を持たせたものであろう。ギリシャ語の原語ではロゴス、λόγος である。そして最初の「初めにことばがあった」のあとに、「ことばは神であった。初めに神とともにおられた」とある。この言い方がまた謎でよく分からない。
 ヨハネは旧約聖書・創世記の冒頭の文章、「初めに、神が天と地を創造した。In the biginning God created the heavens and the earth」(1:1) を、新約聖書で神より先に「ことば」があったと違う内容に書きなおしているのである。なぜそうしたのか。世界は神が創造したのと違うのだろうか。
 現代の物理学では宇宙は137億年前にビッグバンで生じたとされる。何もなかった無からいきなり宇宙が出現してきたという。ではビッグバン以前に何があったのか。我々は時間を遡って宇宙誕生の瞬間の謎を解き明かそうとしても、それは不可能である。なぜなら、そこに近づくほど「すべての科学法則、従って未来を予測するあらゆる方法は破綻する。・・それ以前の時間は定義不能」(スティーブン・ホーキング、宇宙を語る P26) となるからだ。ビッグバン以前の宇宙が造られた瞬間を知ることはできないのである。
 しかし、もし創世記が言うように神が天と地を「初めに」創造したとすれば、ビッグバンの始まる前に神は存在していたことになる。そして、宇宙、すなわち天と地を創造する以前、神はどのような「もの」であり、どこで何をしていたのだろうか。ヨハネは最初にあったのは「ことば」だと言う。
 なぜ神と言わず、「ことば」を最初に持ってきたのだろうか。こうした疑問を感じてヨハネ福音書の第一章を読みだすと、ここで言う「ことば、ギリシャ語のロゴス、λόγος 」の意味が分からなくなる。神は世界の創造主ではあるが、ロゴスはどのような意味をもたされるのか。考えれば考えるほど謎は深まる。同じ悩みを持ったゲーテはファウスト第一部の冒頭で次のように書いている。これについて森鴎外の名訳を紹介しておこう。

新約全書の中に燃えている啓示は・・こう書いてある。「初にロゴスありき。語ことばありき。」
もうここで己はつかえる。誰のたすけを借りて先へ進もう。己には語をそれ程高く値踏することが出来ぬ。なんとか別に訳せんではなるまい。霊の正しい示しめしを受けているなら、それが出来よう。こう書いてある。「初に意こころありき。」
軽卒に筆を下さぬように、初句に心を用いんではなるまい。あらゆる物を造り成すものが意こころであろうか。
一体こう書いてあるはずではないか。「初に力ちからありき。」しかしこう紙に書いているうちに、どうもこれでは安心出来ないと云う感じが起る。
はあ。霊の助たすけだ。不意に思い附いて、 安んじてこう書く。「初に業わざありき。」と。
ゲーテ・ファウスト第一部。森鴎外訳


 ファウスト博士、すなわちゲーテはこのロゴスという言葉を、ドイツ語にどう訳したらいいのか戸惑っている。最初は「意、こころ」と訳すが自信がないから「力、ちから」と訳そうとも考えているが、それでも安心できないので「業、わざ」ではどうだろうかと二転三転しているとき、メフィストフェレスが出て来て、結局彼の解釈は曖昧なままに終わる。
 だが、本当の意味はどうなのだろうか。難しいテーマだが、小生は自分なりの解釈を試みることにした。その続きは明日書きます。
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エンジェルちゃんのこうした仕草を見ると、神が地球上のすべての生き物を創造し、それが調和に満ちた「良きもの」であると言ったということも信じたい気持ちになる。
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by Weltgeist | 2014-09-14 23:41

近況報告、子猫の名前は Angel ちゃんに決めました (No.2025 14/09/12)

 デスクトップパソコンの調子が悪くて、このところずっとこれの修理にかかりっきりで、ブログの新たな書き込みもできないでいました。最初のトラブルは、外付け液晶モニターが急に暗くなり、アイコンがかすかに見えているだけの状態になったことです。これはモニターの故障だろうと軽く考えていたのですが甘かった。信号ケーブルを外して電源を入れチャートが正常に出るかどうかを調べたらモニターの故障ではなさそうなことが分かったからです。
 そうなるとPC本体から送られてくる信号が怪しいとにらみ、最初はシステムの復元を何度もくり返しました。しかし、これでも改善しない。仕方がないのでPCを組み立てたパソコン屋さんに電話でサポートをたのむと、原因は内蔵グラフィックボードの不具合だろうという。ハードの知識のない小生にはきついトラブルでした。
 悪いことにはハードの不具合を調べる途中で、レジストリをいじったことでソフト上での不具合も出て、一時はシッチャカメッチャカな状態にまでなってしまいました。最悪な状態まで落ち込んで、とても厳しい苦闘を毎日続けさせられていたのです。そうしてほぼ一週間頑張って何とか使える状態まで戻ってきてはいるようです。
 まだ動作不良がいつ起こるか分からない不安定な状況でありますが、少しでもPCが使えるときに長らくブログを休んでいたことへのお詫びと近況報告だけでもやっておきたいと思い、本日2025回目の更新をいたしました。
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 先月の末、8月30日に見つけた捨て猫。名前は最初中世ドイツの聖人・聖ウルスラから、これの英語名であるアーシュラを考えていた。しかし、おとといBさんがまた子猫を見にきたので、「ウルスラという名前にするつもりだ」と言ったら、ウルスラはスタジオジブリの「魔女の宅急便」に出てくる人物だからまずいんじゃないの、と言われてしまった。
 小生「魔女の宅急便」なんて見たこともないのだが、アメリカ人のBさんはこうしたことまでちゃんと知っている日本通なのだ。ネーデルランドの巨匠ハンス・メムリンクが「聖ウルスラの殉教」という名作で描いた中世の聖人を、宮崎駿が魔女にしていてこちらの方が有名になっていたのである。当然、「ウルスラちゃん」という名前は却下した。
 そうなるといい名前が思い浮かばない。Bさんが持ってきたMacBookで、アメリカ人がつける子猫の名前を検索してもらったら、いっぱいあるなかから「 Angel エンジェル」という候補があがってきた。エンジェル、すなわち天使となると、超可愛いイメージがあり、ちょっと名前負けしそうな気もするが、Bさんもお勧めである。それで最終的に「エンジェルちゃん」に決めた。今後は愛称を「エーちゃん」、あるいは「 A アーちゃん」と呼ぶことにしたのである。
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 こんな可愛い猫をどうして捨てたのだろうか。もとの飼い主の無責任さには腹が立つ。といって我が家には先住者のイライがいるので二匹飼うのはきつい。どなたか飼ってもらえる人を探していたのだが、みんな尻込みして「猫はいりません。飼いません」と拒否されてしまった。しかし、毎日エンジェルちゃんを見ているうちに次第に可愛くなって「我が家で飼ってもいいかな」という気持ちになっている。
 最初心配していたイライとの相性だが、今では毎日二匹でじゃれ合って遊んでいる。イライのストレスがたまるのではないかと心配していたことは杞憂で終わりそうである。チビのエンジェルは餌をもりもり食べて、狭い我が家の部屋を駆け回るほど元気になった。すっかり我が家の一員となっているのをみて、もうエンジェルの飼い主を探すのは諦めた。我が家の娘として認知するしかないないだろうと思い始めているのだ。

 こんなところが現在の近況です。本当はもう少し長い報告を書きたいのだが、PCの不具合が怖いので今日のところはこれで止めておきます。
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by Weltgeist | 2014-09-12 22:40

子猫は元気になりました (No.2024 14/09/06)

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 先週の土曜日に我が家の庭に捨てられていた子猫は目やにを流して元気がなかった。もしかしたらたいへんな病気を抱えているかもしれないと思い、いつもお世話になっている動物病院に連れて行くと、猫ウイルス性鼻気管炎という病気だと診断された。動物病院のT先生の話だと、この病気は猫の風邪のような感染症で野良猫ではかなり高い確率でこれに感染しているという。そして放っておくと他の猫にまで感染してたいへんなことになるらしい。
 子猫の状態がどの程度か分からないが、一応餌も普通に食べていると報告すると、抗生剤とインターフェロン入りの目薬を処方してくれた。この薬でほとんど心配ない状況まで健康にもどれそうだから安心していいですよ、という。インターフェロンは人間の肝炎ウイルスなどを押さえる新薬だが、いまでは猫にまでこれが使われているのは驚きである。
 T先生の診察代は抗生剤と目薬代も含めて全部で1000円。こんなに安くていいのかこちらが心配になるほど良心的な先生である。そして、その抗生剤と目薬をやり始めたら、子猫はみるみるうちに元気になってきた。翌日には目やにも出なくなり、部屋の中を活発に走り回り出すほど元気になってきたのである。
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 だが、問題なのは先住していたもう一匹のイライだ。猫風邪にかかった子猫と接触すると、ウイルスが感染して成描の場合は深刻な状態になるらしい。だからイライと子猫は別々に隔離し、イライに感染しないよう注意しなさいと言われた。しかし、すでにイライと子猫はお互いにじゃれ合って遊んでいる。もはや隔離などしても手遅れなのだ。
 子猫が最初来たときイライはひどくナーバスになっていたが、数日後にはもうお互いが兄弟みたいな感じになって仲良くしている。心配なのはイライへのウイルス感染だが、T先生が言うには子猫の時ワクチンを接種してあれば感染しにくいという。イライを野良猫の母親から引き取って、小生たちに渡してくれたKさんがワクチンまでやっていてくれたか、聞くことができない。実はKさんは4日前にアメリカに行ってしまい、半年以上帰って来ないのだ。しかし、あのとき野良母猫から3匹の子猫を保護して、他の2匹もそれぞれ飼い主を見つけたKさんは、猫の健康管理には人一倍気を使う人だったから、多分ワクチンは接種しているだろうと推測し、とりあえずイライは様子を見ることにした。

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 猫アレルギーなのに猫好きなBさんが、子猫を拾ったと聞いて奥さんと見に来た。大きな体のBさんがチビの子猫を抱き上げると、そのコントラストが面白い。広くて大きな膝の上に乗った子猫はたちまちぐっすりと寝込んでしまった。
 T先生の見立てによれば雌だというから、女の子らしい名前を考えてやらねばならない。イライの名前を付けたときも小生は旧約聖書に出てくる予言者・エリアがいいと思っていたのだが、このときはBさん婦人がエリアの英語名・イライがいいんじゃないとアドバイスしてくれた。今回も旧約聖書から格好良い名前を付けようと思っているのだが、どうも女性のいい名前がない。ルツ、エステル、レベッカなんて浮かぶがイマイチピンとこない。名無しの権兵衛のままではまずい。早く名前をつけてあげようと思っている。


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by Weltgeist | 2014-09-06 23:11

我が輩は猫だが・まだ名前はない (NO.2023 14/09/01)

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 土曜日の朝、この捨て猫を見つけて以来、すっかり我が家の予定が狂ってしまった。昨日も今日も何人かの知り合いに子猫の写真を見せて、「どう? 猫を飼わない」と聞いて回るが、思わしい反応がない。みんな尻込みしてもらい手となってくれる人がみつからない。そうなると、我が家が「天からの授かり物」として飼うしかなくなる。このままだとイライに続く第二の住人になる可能性が高くなってきた。
 この猫どうやら雌のペルシャらしい。しかし、ブログを見た**さんから涙と目やにが出ている、これは寄生虫の可能性があるから一度虫下しを飲ませてみたらとアドバイスをいただいた。また、イライをくれたkさんからもまず病院で健康状態を調べた方がいいと言われたので、明日の午後あたりに犬猫病院につれていくつもりだ。
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 子猫の時代のイライは小さい頃から活発で、結構暴れた。しかしこの子猫はとてもおとなしく、終日椅子の上で寝ている。見つけた日はかなり衰弱していて死にそうな感じで寝ていたが、スポイトで離乳食の粉ミルクを上げたのでだいぶ元気を取り戻したようで少しずつ動けるようになってきた。こうして眠りから覚めるとむっくりと起き出して、部屋のあちらこちらを探索し始める。

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 発見当日は、ぐったりしていて何も食べそうもなかったのであわてて子猫用離乳粉ミルク(写真の手前側の小皿)をやったが、これはどうやら杞憂だったようだ。元気が出て来たら、イライの乾燥餌(カリン)の皿の中に入ってかじり始めた。すでに歯も生えていて固い餌でも大丈夫。離乳食の時代はもう卒業しているようだ。それにトイレの仕付けもできていて、イライの専用トイレで用をたしている。ここまでしつけた子猫を何で我が家の前で捨てたのか、こうなると疑問である。

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 どうやらこの猫はイライをお母さん、またはお父さん猫と思っているらしく、イライのあとを追いかけていく。しかし、とまどうイライはこの子をどう扱っていいのか分からず、困惑気味である。人間だって知らない子供からいきなり「お父さん」なんて言われたら困ってしまうだろう。覚えがないのだから責任のとりようもないのである。
 しかし、Kさんに聞いたら、しばらくすれば二匹は仲良くなるから心配する必要はないという。今のイライは若干ストレスがたまっているようだが、もう少しの辛抱だ。そのうちにきっと自分がどこかで産んできた隠し子であることを「錯覚」し、面倒をみてくれることを期待したい。
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 性格的にはとてもおとなしく、甘えん坊のようだ。我々の膝の上に乗って気持ちよく寝るのが好みで、椅子に座っていると床から足の爪を引っかけて膝までよじ登ってくる。このとき爪がけっこう痛いので、本日の午後、爪切りをした。でも、やはり目やにが出て目がしょぼしょぼしているのが気になる。明日は絶対病院に連れていくつもりだ。


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by Weltgeist | 2014-09-01 22:38