「ほっ」と。キャンペーン

<   2014年 02月 ( 23 )   > この月の画像一覧

蝶オタク人間の講演話・アウトクラトールウスバシロチョウ (No.1921 14/02/28)

 明日の夕方、ある所でチョウチョのことについて講演してくれないかと頼まれて戸惑いつつ準備に追われている。文章を書くことは好きだが人の前で話をすることは大の苦手である。人前に立つと猛烈な緊張感から言葉が詰まって出てこなくなるのだ。
 「エーっ」とか「あのー」といった言葉ばかり連発して聞いている人たちは話術の下手な小生にあきれることだろう。そもそもチョウチョだってまだ駆け出しの初心者である小生は、人前で話す度量もないのだ。はっきり断っておけば良かったのに、優柔不断の性格が災いしてつい引き受けてしまって困っているのである。
 しかし、ある程度のことなら何とか誤魔化して切り抜けられると思うのだが、問題は「講演する所」というのが、じつはジャズを演奏するライブハウスなのだ。同じ蝶を収集している仲間同士の席なら、少しくらい話が詰まっても何とか理解してくれるだろう。しかし、ジャズの生演奏を聞きに来ている人の前座で話すというのだから誤魔化しなどきかない。どうやったらジャズと蝶の関係をつなげたらいいのかも分からず、今もまだ悩んでいる。
 蝶の趣味というのは採ってきたチョウチョを見てはうっとりしたり、わずかな翅の斑紋が違っただけで新種だ、亜種だと騒ぎ回るオタクたちの世界である。ここは同好の士だけにしか通じない専門用語が飛び交い、なめ回すようにチョウチョの標本を見ている変人たちがたむろする所なのだ。蝶のオタク同士なら**と言えば、すぐそれが何を指しているか分かるが、門外漢にはさっぱり分からない。それを抜け出してどのように話したらいいのだろうか。とにかくオタク的な話にならないよう、自分なりに内容に工夫をこらすしかない。
 それでテーマは、昨年の夏に中央アジア、パミール高原にいるアウトクラトールウスバシロチョウを探しに行った話にした。日本では想像もできないほど厳しかったタジキスタンに年甲斐もなく挑戦してあやうく死にそうになった話をやってみようと思っている。はたして集まった皆さんがどこまで理解してくれるのか、今日はパワーポイントを準備して明日の練習をやっている。
 ソチオリンピックでは浅田真央選手でさえ緊張感からフリーの演技を失敗した。気の小さい小生(本当です・・・)が聴衆を前にしてどこまでスムースに話すことができるのか、今からビクビクしているのである。
d0151247_22202187.jpg

[PR]
by Weltgeist | 2014-02-28 23:23

今日は写真だけです (No.1920 14/02/27)

 先ほどまで英語のメールを書いていて、気がついたらもうこの時間になっていた。慣れない英文のメールに手こずってしまって、今から長い文章を書く時間はない。そのため今日も写真だけの掲載にしました。
d0151247_23092445.jpg

[PR]
by Weltgeist | 2014-02-27 23:17

ブログ掲載2000回を目指して (No.1919 14/02/26)

 まもなくブログを書き始めて2000回になろうとしている。毎日掲載することを目標に今日まで頑張ってきたが、あまりに長く続けていると、ときどき何のためにブログを書いているのか自問することがある。自分の気持ちを思いっきり書いてみたかったというのが最初のきっかけだが、それとは別な何か隠された動機がある気がして、ときどきブログを書くことが嫌になるのだ。
 たとえば「銀座の**レストランでフランス料理を食べました」と書いたとする。すると、そんな話題って、実は「俺ってすごいだろう」と自慢したいだけではないかと思えてくるのだ。ブログに近況を書くことで自分の「偉そうなところ」を自慢そうに披露するだけではないか。ブログって自己顕示欲丸出しの自慢話の場所という疑問が湧いてきてしまうのである。
 だから、このブログでは自慢話にならないよう心がけてきたつもりである。しかし、それでも筆が滑り、無意味でくだらないことをだらだらと書いている気がしてあとで自分が嫌になってしまうのだ。

d0151247_22372501.jpg

 小生の場合は自分が撮った写真の発表の場が欲しかったということもある。どこかの会場を借りて写真展を開くより簡単で安上がりにできる。ブログに写真を並べるだけならただである。同じ場所で腹の中にたまり込んだ言いたいことをぶちまけて、写真も展示できるのだから一石二鳥だ。だからここまでブログを続けることができたのだろう。
 しかし、展示する写真も、腹の中にたまった思いもないときがある。そんなネタ切れのときはどうするか。何も書かず思いつくことがわき起こるまでブログも書かない。最近そういうことが多くなって、毎日更新が隔日更新になることがよくある。
 ブログを書かないでいると何か心のなかにあった重しを取り外された気楽ささえ感じる。ところが、書くのをやめると、最初は気楽になるが、すぐに「そんな怠惰なことはやめろ」と心の中に住まうもう一人の自分が諫め、また何かを書いてみたい気が起こるのである。
 結局、ブログを書くこととは、生きることと同じなのではないかと思う。書きたくもあり、書きたくもない、そんなシーソーゲームを続けて今日もブログを書いている。最近は自分の限界を感じ、もうそろそろ潮時かなという気持ちがある。しかし、2000回が目前まで迫っている以上、とりあえず2000回までは歯を食いしばってでも頑張るつもりでいる。

*今日の写真はトルコ、イスタンブールにあるトプカプ宮殿の塔を下から撮ったものです。カメラ:ニコンD300、レンズ:ニッコール17-55㎜/f2.8。 ズームレンズの長さを35mmにして撮影。


[PR]
by Weltgeist | 2014-02-26 22:42

働き過ぎに注意 (No.1918 14/02/25)

d0151247_22375722.jpg
 仕事をしている人たちを見ているとみんな毎日がメチャ忙しそうである。きっと一生懸命働かないと仕事が間に合わないとか、生活費が稼げないと、必死で頑張っているのだろう。でもそんな彼らを見ていると、過労で体を悪くしないか心配になる。毎日が日曜日の小生には「お仕事たいへんだなぁ」という他人事でしか言えないのだが・・・。
 しかし、思い出すと自分も現役時代は同じような超多忙状態を経験してきていた。小生の場合は会社での通常の業務の他に、アルバイトで週刊誌のコラム書きをやっていたから一人で二人分の仕事をしていたのである。同僚たちは仕事を終えたら飲み屋で一杯飲んでいたが、小生はそんなつきあいもせず、まっすぐ家に帰るとすぐに机に向かって原稿書きをやった。毎日深夜まで原稿書きで働きずめだったのである。
 一番多いときは3つの週刊誌に原稿を書いていたから、週に3回、二日おきに締め切りがある。これをこなしているときは忙しすぎて頭がおかしくなったこともある。忙しさという点では他の人に負けないほどたっぷり経験してきているのだ。
 だが、忙しいときほど、わずかな時間を見つけてできた休憩タイムが貴重になる。働いている皆さんは休む時間も作れないほど過酷な状況に置かれているのが現実であろうが、どうか少しでも時間を見つけて休んでほしい。ときどきすべてのことを忘れた空っぽな頭で、コーヒーブレイクをとることをお勧めしたい。それが過労死しないで長く生きるこつである。

[PR]
by Weltgeist | 2014-02-25 23:56

防犯に一番いいのは鍵のついていない車 (No.1917 14/02/24)

 ファミリーカー・フィットに乗り換えて9年目の本日、車検に出したら走行距離が10万㎞を越えていることに気がついた。昔は3年くらいで新車に買い換えていたので、10万㎞以上長く乗ったのは初めての経験である。実に地球を2周半走ったことになる。
 これだけ走ればあちらこちらにガタがくるのはやむを得ない。しかし、もはや車にお金をかける余裕がなくなった我が家は今のフィットが壊れるまで乗り続けるつもりでいる。最近の日本車は30万㎞くらいは十分走れると聞いているので、そのくらいは大丈夫と思っているのだ。
 それで、今朝ホンダの担当セールスが代車を持って車をとりにきた。代車も最新型のフィットだが、こちらはピカピカの新車である。すでに経年変化でみすぼらしい姿になっている小生のフィットとはえらい違いだ。セールスはあわよくばこうした機会に新車に試乗させて買い換えることを期待しているのかもしれない。
 もちろん買う気などないのだが、セールスの説明を聞いたら、最新のものは車に鍵がないといわれて驚いてしまった。ドアの開け閉めは鍵に内蔵された無線でやるから鍵の必要性は薄れてきているが、エンジンスターターは鍵穴にキーを差し込んで回さなければできない。それが最新フィットには鍵を差し込む穴がない。どうやってエンジンを始動させるのか、戸惑う小生に担当者が見本を見せてくれた。
 小型無線を仕込んだ「鍵もどき」をピッとやってドアを開け、次にそれを車の中に置いて、エンジン始動用のスターターボタンを押すだけでいいのだそうだ。鍵もどきが車内にある場合だけエンジンが認識してかかる。車外にあればエンジンはかからないから盗難防止になるのだという。かって車の盗難防止に高度に暗号化された電子キーが採用されていたが、いまや鍵そのものを無くすところまで車は進化していたのである。
d0151247_00032972.jpg
 そもそも鍵は泥棒から財産を守るために造られた物である。昔の日本では鍵をかけるといっても障子戸に心張り棒をはさむくらいで、泥棒に入ろうと思えば障子を破いて簡単に侵入できた。鍵で厳重にガードするような習慣は殺伐とした現代に入ってからである。
 明治の初めアメリカに留学した内村鑑三は「余は如何にして基督信徒となりし乎」のなかで、アメリカの家には多数の鍵が付いていることに驚いたと書いている。キリスト教徒であった内村は、キリスト教の国・アメリカは心のきれいな人ばかりで、泥棒などいないと信じていた。それがアメリカに着いた直後に同僚がお金をスリにすられて、アメリカには泥棒がいるのだと知って落胆したのである。
 鍵で思い出すのは谷崎潤一郎の傑作「鍵」だ。老年に入りつつある夫婦、娘たちがお互いに日記を書いているが、相手に読まれないよう鍵をかけた引き出しに隠しておく。しかし、ある日夫の部屋の机の上に鍵が置かれているのを妻が見つける。夫が日記をそれとなく妻に読ませるよう仕向けているのだ。妻の方でも自分の日記が夫に密かに読まれていることを知りながら、お互いに知らぬふりをしている仮面夫婦の話である。この小説で谷崎は鍵が持つイメージを見事に描いている。谷崎にとって鍵は他人の心の内面に密かに潜り込むパスポートなのだ。人の奥底にある卑猥さを鍵を通してのぞき見るのである。
 現代の日本ではサムターン回しとかピッキングといった泥棒の侵入が相次いでいて、鍵の必要性が限りなく高まっている。しかし、どんなに優秀な鍵を作っても、プロの鍵屋さんにかかると解錠できるらしい。そうなると、最後の手段は鍵でない鍵でロックすること、すなわち今日のフィットのように鍵を無くしてしまうことだろう。最高度に発展させた鍵の究極型は鍵がないというのも皮肉な話である。 

今日の写真は先日バンコックからアメリカに帰る途中で日本に立ち寄ったPさん夫妻からいただいたランの花。これを花瓶に挿して撮ってみたが、花が全体に大きすぎてうまくまとまらない。室内に飾られた花の写真はなかなかむずかしい。

[PR]
by Weltgeist | 2014-02-24 23:55

アメリカからのお客様 (No.1916 14/02/21)

 アメリカ・デンバーにいるPさん夫妻が日本に立ち寄るから会いたいとのメールをもらって、今日久しぶりの再会を楽しんできた。タイのバンコックからアメリカに戻る途中、日本にいる息子夫婦と孫の顔を見たくて立ち寄ったらしい。
 Pさんとは1999年に彼らが我が家のすぐ隣に引っ越してきたとき以来のつきあいである。最初は小生が強引に「英語を教えて欲しい」と頼み込んだら「私は英語の教師ではない」と断られた。それでも「そこをなんとか」と小生がしつこく言って無理に英会話を教えてもらった仲である。それ以来ずっと家族ぐるみのおつきあいをしている。
 長年日本に住んでいたPさんは日本語も堪能で、大の日本びいきである。そんなだからこのままずっと日本に住み着いてくれるのかなと思っていたのだが、残念ながら仕事の関係で2005年にアメリカに帰ってしまった。
 ただ、その後も日本に来る機会が何度もあり、そのつどメールで連絡をいただき日本で会っている。そして、小生たちがアラスカに鮭釣りや2008年のアメリカ旅行に行ったとき、シアトルで降りて彼らのお宅を訪れている。ミネルバ家とP家はもう親戚同然のおつきあいなのだ。
 現在はシアトルからコロラド州デンバーに転居されているが、今日聞いたところによると、デンバーはたいへんきれいな場所のようだ。以前からデンバー周辺には良いマスの釣り場がたくさんあることを知っていたので、フィッシングのことを聞いたら「もちろん最高だよ」と言われた。そして、ぜひ一度遊びに来なさい。一緒に釣りをしながらキャンプに行こうと勧められて、小生の心は大いに動いているのである。
 さらにフィッシングも面白いけれど、小生がこのごろはまっているチョウチョもコロラドは良さそうなのだ。とくに Parnassius clodius クローディアスウスバシロチョウという高山性の蝶がいる。釣りとチョウチョ採集を兼ねてならデンバー旅行は最高である。
 昨年はパミール高原に行き、年齢による体力の限界を感じていた。もう体のきつい海外は無理、今年のチョウチョ採りは国内でおとなしくしていようかなと思っていた矢先である。Pさんのお誘いで、俄然気持ちが動いてきた。もうそろそろ年貢の納め時で国内で我慢しろと引導を渡されていたのが、またまた暴れん坊の虫がわき起こってきて、釣りとチョウチョ採集を兼ねてアメリカの旅を画策しようかなという気になっているのである。
d0151247_23164676.jpg

[PR]
by Weltgeist | 2014-02-21 23:27

人生のたかが一個 (No.1915 14/02/20)

d0151247_22240275.jpg 昨晩の女子フィギュアスケートの結果は本当に残念だった。日本選手はみんな緊張感でガチガチになっていて全然実力を発揮していなかった。絶対行けると期待していたから、結果との落差にがっくりきている。しかし、鈴木明子選手(左)が今日のコメントで、表題のように「人生のたかが一個」に過ぎないと言っていたことがすごく印象に残った。良いときもあれば悪いときもある。昨日のミスは「たかが一個」とさばさばした気持ちになって次のフリーに臨んで欲しい。
 昨日のことは仕方がない。もうすんでしまったことで、過去はどうやっても変えることはできない。運命の神は日本選手に昨日の時点ではほほえまなかったのだ。しかし今夜はまだ分からない。希望を捨てるには早すぎる。もうこうなったら全部運命の神のせいにして、なるようになると気楽に思ってのびのびと滑ればいいのだ。
 昨日の失敗は長い人生からみればほんのひとときのことに過ぎない。鈴木選手が言うとおり「人生のたかが一個」なのである。若い彼らにはこのあと気が遠くなるほど長い人生の道のりが待っている。そのことを考えれば、気楽に、気楽に、と言いたい。
 昨日のショートで一位になったキム・ヨナだって本番前は相当緊張していたと告白している。一位と予想されていたリプニツカヤ選手でさえ失敗した。日本選手の実力は十分あるのだから、硬くならないで気楽に滑れば結果はついてくると信じている。そう思って、今夜のフリーをもう一度頑張ってもらいたい。
d0151247_22222058.jpg


残念だが現実は受け入れるしかない。画像は、今夜のNHKテレビからキャプチャしました。


[PR]
by Weltgeist | 2014-02-20 23:03

いよいよリベンジの決戦だ (No.1914 14/02/19)


d0151247_22473064.jpg ソチオリンピック、女子フィギュアスケートで浅田真央選手とキム・ヨナ選手がいよいよ今夜宿命の対決をする。同じ1990年9月生まれの同年代で、ともにスケートで戦い続けてきたライバル同士である。バンクーバーでは惜しくも浅田はキムに敗れた。リベンジを誓った浅田が今夜のソチで再びライバルと火花を散らして戦い、試合が終えたら二人とも現役から引退するという。文字通り最後の決戦である。
 この死闘の勝敗はもちろんいまのところ分からない。今回はキム以外にロシアからリプニツカヤ選手というとてつもない怪物が表れたから、もしかしたら彼女が金で浅田とキムが二位三位を分け合うか、鈴木明子か村上佳菜子が出てくるかもしれない。試合前は色々自分たち陣営に好都合な予想をしているが、いざ蓋を開けて見ないとどのような結果になるかは分からないのだ。
 ただ、試合前は様々な希望的観測ができる。自分の都合のいいようなことを自由に想像できるから楽しいのだ。それが勝負が決まった後ではできないから興味が半減する。まだ現実に試合は行われていない今こそあれこれ予想できて面白いのだ。
 我々が望むベストは浅田が金、鈴木と村上が二位、三位で日本勢がメダルを独占することである。キムに「どうだ参ったか」と言える結果を出して欲しいが、こればかりは相手がある話だから分からない。日本選手もキムも全員メダルを取れず、意外なダークホースが現れることだって十分ありうる。すべては最終結果が出る明後日のフリーが終わった時点で決まる。我々は明日の浅田選手が演じるショートプログラム、2分50秒の間、息を殺すようにして見つめていることだろう。
 試合の結果はほんのわずかなミスの差で決まってくる。そうして我々は運命の神が、選手たちにどのような結果をもたらしたか知るのだ。運命の恵みを最大限に受けるのは誰か、そして運命のいたずらに泣くのは誰か。もうまもなくその結果が現れる。我々は日本選手の上にこそ幸運がもたらされることを心から願い、彼女たちの活躍を応援しているのである。

[PR]
by Weltgeist | 2014-02-19 23:09

食う、寝る、遊ぶ (No.1913 14/02/17)

 たしか昔クー・ネル・アソブという意味不明な広告のコピーがあった。あの当時はその意味がよく分からないままだったが、今のイライを見ていると、ひどく実感が湧いてくる。まさに彼の興味のすべてがこの三つの単語で集約されるのだ。中でも一番大事なことは「食う」である。餌を食べないと生きていくことができないから、何をおいても優先されなければならない。空腹は恐怖。何が何でも「食うこと」を最優先に、毎日すごい食欲を発揮している。
 それと並んでイライは寝ることも長けている。猫は一日23時間寝るといわれるほどよく寝る。イライを見ていると、餌を食べているとき以外はいつも寝ている。それも横になったと思ったら、数秒で眠りについていく。寝付きが悪く、布団に入って30分以内に眠ることなど絶対ない小生とは大違いである。
 小生の寝付きが悪いのは、布団に入っても色々考え事をするからだ。今日あったことをグジャグジャ考えたり、時には「自分の人生とは何か」といったむずかしいテーマを考えることもある。しかし、イライはそんな哲学的思索など絶対しない。頭の中は空っぽで、「俺は寝るぞ」と横になったら、5秒後にはすでに夢の世界に入っている。アッという間に眠れる変わり身の早さは素晴らしい。
 そうして最後の「遊ぶ」である。彼が眠りから覚めて起きているときは、餌を食べているか、それ以外はすべて遊んでいるときである。狭い我が家の部屋を駆け回り、ありとあらゆるものに爪を立てて遊んでいる。おかげで家具や障子は彼の爪研ぎでボロボロ。先日買い直した新しい椅子が一週間後には、爪跡でささくれ立つのを見て泣きたい心境になってしまった。
 彼は動くものにとくに興味があるらしく、小生たちが少しでも体を動かすと、ライオンが獲物を獲る前に匍匐(ほふく)前進するような格好をしてから飛びかかってくる。このときの彼はもう楽しくて仕方がないという様子で、全身全霊を持って遊びに没入している。
 食うときも寝るときも遊ぶときもいつもそれだけに集中して他のことはしない。人間のようにテレビを見ながら食事をし、布団に入って哲学し、遊びながら仕事のことを気にしている「ながら族」とは大違いである。「明日のことを思い煩うな、明日は明日自らが思い煩うであろう」をまさに実践し、それで不安もなしに生きていける幸せ者なのだ。
 それだからこそ小生は猫が好きなのだ。人間には、いや小生には絶対できないことをいともたやすくこなしてしまう。人に媚びるでもなく、いつも自分の思うがままに生きていくイライをうらやましくも、またいとおしくも見つめているのである。
d0151247_22593671.jpg
昨晩洗濯かごでまどろむイライを写真に撮ったら、その後、彼はなにやら自分のことを言っている気配を感じたのか、むっくりと起き上がった。そうして、「どこかで俺様の悪口を言っているな」という顔をして小生を見ていた。猫馬鹿と言われようとこういうことをするから小生は猫が好きなのだ。

[PR]
by Weltgeist | 2014-02-17 23:25

ミスは悔やんでもなくならない (No.1912 14/02/16)

 金曜日からの雪で、今朝出かけるとき車を車庫から出すことができなかった。仮に外に出てもまわりの道路はすごい雪だから、ノーマルタイヤのフィットではとても走れそうもない。仕方がない、これはバスで行くかとバス停で待っていたら、いつまでたってもバスが来ない。雪で運休になっていたのを分からなくて30分近く待ちぼうけのミスを犯してしまったのだ。
 もう少し早く気がつけば良かったのだが、判断が少し遅れてしまったゆえのミスである。バスをあきらめて駅まで歩くことにしたが、駅までの雪道も注意しなければならない。人はいつもミスを犯す可能性につきまとわれているからだ。通常12分ほどで歩ける道がアイスバーンでツルツル状態になっていた。ここでのミス、すなわち転倒は手足の骨折などを起こす可能性がある。そうなると約束の時間に遅れる程度ではすまない。凍った滑りやすい道を絶対転んでなるものかとものすごく慎重に歩いて、無事に駅まで20分かけて行けたのは上等である。年を取ると歩行バランスをとるのがむずかしい。ほんのわずかなミスが重大な結果をもたらすから油断はできないのだ。
 しかし、仮に転倒して骨折したとしても、その程度なら自己責任の範囲であるから自分だけで処理できる。もっとひどいこと、たとえば雪道を無理に車で走り、スリップして人を轢いたりしたら、自分だけの問題でなくなる。飲酒運転やスピードの出し過ぎで何人もの子供をひき殺したことと同じ犯罪行為になってしまう。ミスの可能性はどこにでも潜んでいるから、いつも緊張感を持ってミスを避ける努力をしなければいけないと思っている。

 事故ではないが、ソチのオリンピックでも必ずわずかなミスでメダルを逃す選手がいる。彼らはいずれもソチにくるまでは金メダルを夢見ていたのだろうが、栄冠は自らのミスで手元から他の人のところに飛んで行ってしまった。
 しかし、これって自分の注意力だけではカバーしきれない。オリンピックに出場できる能力の選手ならミスを犯す確率は非常に低いはずだ。ところが不可抗力というか、運命のいたずらともいえるミスがしばしば起こって意外な番狂わせをもたらす。女子スキージャンプの高梨沙羅選手など、これまで連戦連勝だったのが、肝心のオリンピックではまさかのメダル圏外になってしまった。なぜ彼女のときに神風は吹かなかったのか。彼女の涙目は見ている我々にもつらかった。
 しかし、こうやって人は痛めつけられ、それを教訓にして自らをより高いところに行けるよう努力していくしかない。どこまで上り詰めてもミスの可能性はなくならない。失敗はそれぞれの人に深い傷を残すだろうが、そこで受けた傷の深さがより人間の深みを増してくれると信じ、それを受け入れるしかないのだ。

d0151247_10010124.jpg

猫の記憶力がどのくらい持続するのか知らない。しかし、先日の脱走事件以来、イライは下界の怖さを分かったようで借りてきた猫のようにおとなしくなっている。きっと自らのミスを今のところは痛感しているのだろう。今日は洗濯物を入れるかごのふちにあごを乗せてスヤスヤとまどろんでいた。彼にとっては外より家の中の方がずっと安らげる場所と分かってきたようである。


[PR]
by Weltgeist | 2014-02-16 23:57