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基礎体力が全然ない (No.1798 13/09/30)

 来月から体力をつけるために近くの整形外科病院がやっている体操教室に通うことにした。しかし、病院主催だけあって教室に通うにもある程度の身体的条件が整っていないと許可されないということで、今日は医師による身体検査を受けた。
 身体検査というと小学生の頃、学校で体重や身長を測ったことが懐かしい。しかし、今日の検査はそんな簡単なものではなかった。尿や血液の検査、心電図、レントゲンなどを撮り最後に医師が診察して、この人なら大丈夫と認定されないと体操教室に参加できなのだ。
 まず体力測定から始め、両手の握力を検査したら左右とも21㎏だという。この結果を見て看護師が首を傾げている。「何か変ですか」と聞くと「一般的な平均より弱い。普通は30㎏以上、強い人は50㎏なんてこともある」というのである。小生の握力は女性並みの弱さだと言うではないか。
 確かに年をとって体力は無くなったとはいえ、一応は世間並みより上と思っていた。ところが実際には世間並みどころか平均値の半分くらいしかないというのだ。家の前の山を週に1~2回は歩き、たまには本物の山登りにも行っていたので多少は自信があった。それが意外な結果である。体はまったく鈍っているという思いもよらない判定にショックを受けたのである。
 検査の結果を見ながら医師が、「肺活量も標準以下。体を動かしていないな。検査結果に出ているぞ」と怖い声できつい第一声を浴びせてきた。人間の体は機械と違って使えば使うほど丈夫になっていく。だからとにかく歩け、一日30分でもいいから必ず毎日歩け。そうしないと将来寝たきりになるぞと脅かされたのである。
 医師の話だと、90歳になった人でも運動をしていれば元気な体は保たれる。だからお前もがんばれというわけである。しかし、毎日外に出て歩くのは結構たいへんである。ちょっと弱気になって「雨の日なんかは家の中で階段の上り下りをすればいいですか? 」と聞いたら、鋭い目をぎょろりと光らせて、「傘があるだろう。雨だからやめたなんて楽なことをやると、結局は失敗する」と釘を刺されてしまった。
 そんなわけで、小生明日から毎日最低でも30分のウオーキングをすることになった。しかし、言われても今日からでなく明日から始めるというところに、ちょっと怪しげな雰囲気が漂っている。たばこを禁煙するのに、明日からやるから今日だけは思いっきり最後のたばこを吸わせてくれというのと同じである。しかも、明日の東京地方は曇り時々雨の予報である。はたして傘を差してでもウオーキングに出るのか少し自信がないのである。
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by Weltgeist | 2013-09-30 23:56

結婚記念日 (No.1797 13/09/29)

 本日、9月29日は小生たちが結婚して39年目の記念日である。小生あと一ヶ月で71歳になるから、我が人生の半分以上を妻と過ごしたことになる。思えば飽きもせず長い時間を過ごしてぎたものだ。結婚した時の誓いの言葉で「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」と聞かれ、39年前の今日、ハイと答えたことをひたすら守っているのである。
 誰もがこう聞かれて「いいえ」と答える人はいないだろう。定型の決まり文句に決まり言葉で答えて結婚は無事成立する。しかし、残念ながらこの誓いが守られずに離婚する人もたくさんいる。小生たちは現在までのところ誓いは守られていると思っているので離婚の危機はないが、これから先のことはわからない。人生は一寸先は闇である。先のことなどだれもわからないのだ。
 しかし、以前にもどこかで書いた覚えがあるが、若い頃の小生は自分が結婚できるとは思っていなかった。何しろ女性にもてたということがまるで無い野人だったから、きっとこのまま独身を貫いて寂しく一生を終えるのだろうと思っていた。それが思惑とは全然違って、小生を拾ってくれた女性が一人だけいたのである。
 物好きなのか、それとも憐憫の情のある人だったのか、とにかく小生は独身から妻帯者の仲間入りすることができた。いわばぎりぎり状態でセーフになった人間だから贅沢など言える身分ではない。小生を拾っていただいた妻には一生頭が上がらない存在として今日まで来ている。
 このまま何事もなけばあと11年で金婚式を迎えられる。しかし、7年後のオリンピックでさえ生きていられるかわからない小生があと11年も生きられるとも思えない。仮に生きて金婚式を迎えたとしてもそのときの年齢は82歳。もうほとんどしなびた梅干しのように枯れきったポンコツじいさんになっているだろうから祝う気持ちも失せているのではないかと思う。
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by Weltgeist | 2013-09-29 22:59

ジョン・チャヌ、バイオリン演奏会 (No.1796 13/09/28)

d0151247_23533630.jpg 韓国国立交響楽団、東京交響楽団、韓国KBS交響楽団などの首席コンサートマスターを歴任したバイオリニスト、ジョン・チャヌさんのコンサートを聴きに行ってきた。彼の演奏を聴くのは今度で二回目である。前回は2010年10月11日で、このときの感想はNo.854に書いた。
 2001年にJR新大久保駅でホームに落ちた人を助けようとして2人の人が電車にひかれた。そのうちの一人は韓国からの留学生であった。あの事故のあと、救いを求めている人を助けようとして死んだ勇敢な人たちを追悼して新大久保でバイオリンのコンサートをやったのが在日韓国人音楽家のジョン・チャヌさんである。
 ショックの大きかったあの事件のあとジョンさんはキリスト教に回心し、洗礼をうけることで自分が大きく変わってきたという。善意で人を助けようとした人が死ぬという理不尽な出来事に悩まされていたのが、イエス・キリストを受け入れることで、心が愛に満たされていくように変わってきたというのだ。
 ところで我々が音楽家の演奏会にわざわざ行くのは、演奏家が曲をどのように解釈し、どのような音を出して演奏してくれるかに興味があるからだ。優れた演奏家なら、深い内容を秘めた演奏をしてくれると期待できる。ジョン・チャヌさんがキリスト教に回心したことで、心に愛が満たされたとなれば、彼がバイオリンから醸し出す音も愛に満ちたものとなるだろう。音符に書かれたドレミファソラシドという音は、弾く人によって様々な味付けがなされた音として出てくるのである。
 会場でもらったパンフレットによればジョンさんのバイオリンはグァルネリだという。ストラディヴァリと並ぶ18世紀イタリアの名器である。彼が最初の曲、チャイコフスキーの白鳥の湖を演奏したときから名器が奏でる音がとても柔らかくて引き込まれるような気持ちがした。弓が絃の上を走り、何とも心地よい音を奏でる。音の一つ一つにジョンさんの心が込められたすばらしい演奏だった。
 ジョンさんの演奏形式は普通のコンサートと違って、彼がそれぞれの曲について自分の思いを一曲ずつ語ってから弾いていくやり方である。クラッシックになじみの無い人でもわかりやすいように解説してくれる。この日一番印象深かった曲はスペイン・カタルーニャ地方の民謡で天才チェリスト、パブロ・カザルスが編曲・演奏した「鳥の歌」だった。
 1971年、94歳のカザルスがニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(Peace =平和)と鳴くのです」と語って弾いた伝説の名曲をバイオリンで弾いてくれたのである。それはまさにカザルスが言ったように「ピース、ピース」という言葉に聞こえ、心に染みいるようなすばらしい感動を与えてくれた。最後になるが、ピアノの武田香奈子さんもあるときは軽やかに、またあるときは力強くと、素晴らしい演奏をしてくれていた。こんなすてきな音楽が聴けた今日は心が洗われた気持ちになっている。
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by Weltgeist | 2013-09-28 23:58

リタイア人間の今日一日 (No.1795 13/09/27)

 今朝は午前9時近くまで目が覚めずにぐっすりと眠ることができた。仕事をしている人ならとっくに出勤し、すでに仕事を始めている時間である。こんなぐうたらなことをしていて申し訳ない気持ちもあるが、10年前の小生は皆さんと同じように毎日目覚まし時計の音で強制的に起こされていた。眠い目をこすりながら起床から5分後には洗面を終え、次の5分でスーツに着替え、急いで朝食を食べ終えると脱兎のごとく家を飛び出していた。そんな生活を30年以上続けてきたのだから、もうそろそろ勘弁してもらってもいいのではないかと思う。みんなこうやって世代交代をしていくのである。
 朝ご飯もゆっくり、まるで牛が反芻しているように十分時間をかけて食べる。急ぐ必要はない。誰も待っているわけでもなければ、やるべき仕事も無い。毎日がゆったりと過ぎていく。これがリタイアした人間の特権である。
 食事が終わったら新聞を読み、そのあと旧約聖書を数章ずつ毎日読んでいる。そうして神とは何かを考える。自分なりの解釈だから間違っているかもしれないが、そのつど感じるのは世界を支配している不思議な法則性だ。この世は一見でたらめに動いているようでいて、その裏にとてつもなく緻密な法則性があることを感じる。
 それからコンピュータを立ち上げるのだが、ここから魑魅魍魎の世界が始まる。数日前から襲ってきたコンピュータの不調に悩まされ、自分の意思とは無関係な問題に頭がずたずたに引き裂かれてしまうのだ。それでも何とかこの泥沼から這い出ようとするが、いまのところ解決策は見いだせず、だましだましコンピュータを使っている。
 問題なのはパワーポイントが正常に動かないことだ。来月あるグループからインドの蝶の話を頼まれている。これをパワーポイントでまとめているのだが、せっかく作り上げてもファイルを保存しようとすると、コンピュータが拒否して保存させてくれない。ほかのソフト、たとえば一太郎やPhotoshop で作ったファイルは普通に保存できるのに、パワーポイントだけがなぜか「ファイルが保存できません」とエラーメッセージが出てらちがあかない。むりやり保存しようとするとソフトがフリーズしてしまうのだ。
 うーん、困った。このままだと来月の発表はパワーポイントを使わないでやるしかないかもしれない。だめになったメールも何とかしなければと思いつつ、今日もなんの解決策も見いだせないまま夜になってしまった。
 本日のブログも書かなければならないから、今日のところはここまでで停戦にした。今のままだと自分の力だけで解決するのは難しい。明日サポートセンターに電話して何とか解決策を教えてもらうのが一番イージーで確実だろう。まだ時間はたっぷりある。この苦難も神が与えた試練と思えば、きっとうまく乗り越えられるだろう。焦らずにのんびりやっていこうと、楽天的に考えている。
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インドの蝶の写真をパワーポイントに入れていたら、ザンスカールのきれいな山並みが写った写真が出てきた。今日はこの写真をアップすることにした。
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by Weltgeist | 2013-09-27 23:28

パソコンに支配された囚人 (No.1794 13/09/26)

 昨日からは急にパソコンがおかしくなってきた。メールのデータがすっかり消えてしまい、メールの送受信もできないのだ。データはどこかのフォルダにあるかもしれないが探せないので、とりあえずアカウント作成からやり直した。これでメールは何とか使えるようになったけれど、これまでやりとりしてきた過去のメールデータは結局見つからない。アドレス帳も失ってしまったから、今後いろいろ困ったことが起こってくるだろう。
 どうしてこのような事態が発生したのか原因がわからない。疑わしいのはウイルスチェックソフトだ。とういのもアンチウイルスソフトを入れ替えたとたんにこのような現象が多発してきたからだ。導入以来パソコンの動作が異様に重くなり、十分空き容量があるはずのCドライブが突然容量不足ですというエラーメッセージまででてくるようになった。
 もしかしたらウイルスに感染しているのかもしれないと、アンチウイルスソフトでスキャンしてもウイルスは見つからない。とすればアンチウイルスソフトそのものが誤作動していることは十分考えられる。泥棒を捕まえるおまわりさんが泥棒をやっていたら捕まらないのと同じ理屈である。
 問題は、この一件で今作っている資料が行方不明になってしまったことだ。ウインドウズの検索でファイル名を入れても見つからない。どうやらデータそのものが削除されてしまったのではないかと疑っている。この資料を作るのに3週間くらいかかってぼ完成間近だったのに、また一からやりなおさなければならないのは苦痛である。
 もうこんなことで機械に翻弄されるのはたくさんである。ときどき、「ワーッ」と大声をあげてパソコンを窓の外に放り投げたらどんなに気持ちいいだろうかという衝動に駆られる。だが、今や小生のパソコンの中にはこれまで築きあげてきた膨大なデータが入っている。それを全部消し去ることは悔しいけどできない。もはや小生はパソコンに縛り付けられた囚人なのだ。
 結局、外部にバックアップをとっておかなかった自分が悪いということに落ち着く。機械は悪くない。全部自分が悪いのだ。だから機械に当たるのはお門違いと言われることだろう。忌々しいけれど、もうどうにもならないのだ。
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by Weltgeist | 2013-09-26 23:58

人物写真の撮影とプライバシーについて (No.1793 13/09/25)

 日本ではプライバシーの問題があって人物をスナップで撮ることが難しくなってきた。下手に町中でカメラを構えていると「盗撮だ」あるいは「変質者がおかしなことをやっている」と騒がれて、警察沙汰になりかねない。写される方にとってはプライバシーが保たれるから結構なことだろうが、スナップ撮りが好きなカメラマンにとっては何ともやりにくい世の中になってしまった。
 日本は世界一のカメラ大国だが、スナップ写真の撮りにくさでも世界有数の大国である。今の日本人カメラ愛好家は不特定多数の人を撮りにくいから、プライバシーの問題が無い家族、友人などを撮るところで終わっている。それでも気兼ねなく人物を撮りたければプロのモデルを使った撮影会なんて方法もある。
 しかし、モデル撮影は、作り笑いに作りポーズの作為的なカットしか撮れないのが普通である。結局は差し障りのない花や鳥、小生も大好きなチョウチョなどを被写体にするようになる。花も鳥も蝶も作り笑いもなければ肖像権を主張されることもないからだ。
 しかし、鳥にしても蝶にしても一年くらい続けて撮っていると、すぐにマンネリ化してくる。たとえばカワセミなどきれいだが、数カットも撮ればあとはどれも同じような写真にしかならない。それでいろいろと種類の違った鳥を追いかけて変化をつけるけれど、内容的にはどれも同じような写真で、鳥や蝶を撮る仲間内でしか通用しないつまらないものになってしまう。
 結局は被写体としての人間を撮りたくなるのである。人間はどこまで撮ってもマンネリ化することがない無限な変化を秘めた被写体だからだ。同一人物でも表情が少し変わっただけで全然別な写真が撮れる。そうやって写真は人の内面を引き出すことができるのである。だから、花や鳥を撮っていても最終的には写真家は人物を撮ることに回帰してくるのである。
 それなのに肝心の道がどんどん狭められつつある。木村伊兵衛など昭和の時代に活躍した写真家は、気兼ねなく人物を写していた。「肖像権・・・」なんて言われないで自由に写真が撮れたうらやましい時代は過去のものとなりつつあるのだ。アメリカやヨーロッパなどの先進国も日本と同じようにうるさい。しかし、外国のなかには自由に写真を撮らせてくれる国がまだある。こうした国もいずれは権利意識が強くなって、スナップはだめと言われるようになるかもしれないが、そうなる前に、小生は外国に出ると、景色や風景より、できる限り出会った人物を撮るよう心がけている。もちろん、失礼のないように、また相手の同意を得ることを心がけてであることは言うまでもない。
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by Weltgeist | 2013-09-25 23:57

金太郎飴 (No.1792 13/09/24) 

 部屋の掃除をしていたら若い頃の写真が出てきた。今の自分と比べてなんと若々しく元気そうであることか。というより、今の自分があまりに年をとっていることに愕然とした。しかし、こんなことは当たり前で年をとらない人間などいない。時間は誰にも平等に「老い」として迫ってくる。
 でもそれでいいのだ。もしみんなが年をとらずに不老不死だったら、後から生まれてくる者の居場所がなくなる。地球上に人間があふれることは異常である。順当に生まれ、順当に育ち、順当に死んでいく。人が生きるとは成長することであるとともに、死することでもある。どんなに優秀で努力した人でも、最後は無に帰する。
 我々は無から有の世界に産み出され、無に帰っていく。だから生きている有の世界においてもその陰に常に無が控えている。人生という舞台の陰に黒子としての無が待ち受けているのである。人生とは有と無のせめぎ合いではないかという気がする。
 サルトルは人間存在を無を分泌する「対自存在」とした。「それがあるところのものであらず、あらぬところのものである存在」であるとおもしろい言い方をしている。つまり、いつも自分は無いものに向かっている存在だというのである。常に無を分泌しながら今の自分を否定し、未来に向かって行くのが人間だと言っている。
 となると、やはり人間は絶えず古い自分を脱ぎ捨てて変化していく存在だと言えよう。人はどんどん変わっていくのだ。一カ所にとどまって変化しない人は逆に言えば、人間本来の道から外れていると言えよう。
 人はしばしば言うことや考えがめまぐるしく変わる。一貫性の無い奴だと批判されるかもしれない。しかし、それでいいのだ。朝令暮改、今言った言葉がすぐに変わるどうしようもない上司がいたとしても、これも人間のサガである。そんな上司の下で働かされる方にはお気の毒だが、そう思うあなただって、きっと同じようなことをやっているはずだ。人間そんなに違うものではないのである。
 いつも小生が言っているように「人は変わることができる」のだ。貧乏人だからと悲観することもなければ、金持ちだからと安心していいわけではない。良くも悪くも今いる自分の明日は確実に変わっているだろう。
 ところが、十年一日のごとくいつまでも同じことを繰り返す人がいる。毎日金太郎飴のような生活をする人だ。別にそれでもいいけれど、とてもつまらない人生を送ることにならないか。お節介かもしれないが、そういう人を見ると一言、「いい加減変わったらどうですか」と言いたくなる。走馬燈のように激しく変わる人生の方がずっとおもしろいと思うのだ。
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by Weltgeist | 2013-09-24 22:57

Lさん、お疲れ様でした (No.1791 13/09/23)

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  シンガポールから来ていたLさん夫妻が帰国することになって、お別れの食事会を以前行ってとてもおいしいと思ったCPレストランというところで開いた。すっかり日本になじんでいて、永住するのかもしれないと思っていたのに、やはり生まれ故郷には帰らなければならないようだ。残念ながら明後日シンガポールに戻るという。この日送別会に集まったのはRさん夫妻も含めて9名。小生を除けばみんな若い人ばかりである。
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 こちらがLさん夫妻。すでに結婚してたぶん20年以上たっている(息子の年齢から推測して・・・)と思われるのに、いまだ新婚家庭のようである。数日後には離日するが、なんと、ヨーロッパを経由してシンガポールに帰るらしい。パリではセーヌ川のクルーズに乗るんだと言っていたから、明後日あたりバトー・ムッシュに乗っていることだろう。
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食べログでもとても好評でおしゃれなCPレストランの中はこんな感じ。入り口は塀で囲まれ、看板もCPとあるだけだから知らない人には何の建物かもわからない。高級そうな雰囲気があって小生のような野人にはちょっと敷居が高そうに見える。しかし、雰囲気、食事の内容、サービスともにすばらしい。後でRさん夫妻のために花火のサービスまでしてくれた。
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 今回は全員がランチコースを頼ん。最初にゼリー、続いてカボチャのスープの後にこの前菜が出てきた。スープやメインは決まっているが、前菜だけはイナダのカルパッチョなど5種類の中から選べる。小生はサンマをイタリアン風に料理したものを選んだが、これは隣に座ったJさんの前菜。素材が何だったか忘れたが見るからにおいしそうだった。
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 前菜のあとサラダが続き、そのあとにさらにパスタが出てくる。小生、自分が食べるのに忙しくて、どんな料理法で作ったのか忘れてしまったが、味は抜群においしい。
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 これが本日のメインディッシュ。米豚というから米で育てた豚だろうか、とても柔らかくてもちろんべーリーナイス。このあとデザートもおしゃれでおいしかった。ノングルメで味音痴の小生が言うのもおこがましいが、とにかく世の中にこんなにおいしいものがあったのかと感心するほどの料理であった。Lさん夫妻も満足していただいたようで、日本に良い印象を持って帰国されたと思っている。
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by Weltgeist | 2013-09-23 23:18

カメラが直ってきました (No.1790 13/09/21)

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 発売直後に購入して半年、まだ「新品同様」状態だったのに、突然オートフォーカスが効かなくなって、ニコンに修理に出していたD7100が修理完了で戻ってきた。カメラ小僧で、手元にカメラがないと精神的に不安定になる小生にはすごくうれしいプレゼントである。
 しかし、発売したばかりの新製品がなぜ故障したのか、原因はやはり気になる。初期不良にしては半年後というのは長すぎるが、何らかの原因はあったのだろう。修理伝票にその原因が書いてあるかもしれないと思っていたが、何も書かれていない。従って小生にとっては原因不明の故障のままである。
 さっさくわが家の猫額庭でオートフォーカスがどのくらい正確に戻っているのか試して見た。何種類か手持ちのレンズを付けて、それぞれの写り具合をデータをとりながらチェックしていく。しかし、ニコンの方でカメラの撮影設定を工場出荷状態にリセットしてあって、いつもの自分流の設定に戻して撮ることが今日のところはできなかった。だからパソコンで画像を調べても、これでピントが正確に出ているのかまでの確信は得られなかった。自分なりのカメラ設定をしてからのテストでないと正しい結論は出せないのかも知れない。
 とりあえずはニコンが修理完了前に専門の機械で調べてOKを出したろうからこれを信頼して使っていけばいいのだろう。あとは自分流に使いこなしていくだけである。
 ところでネットには各種の新製品情報を書き込むサイトがある。新しいカメラが出ると様々な画像サンプルなどをユーザーがアップロードし、これについての話題が飛び交う。ほとんどの人が知らない新製品の値引き情報から使い勝手まで伝えてくれるのは購入希望者にはありがたい。
 しかし、ピントとか写り具合、画質といった細かい評価は微妙である。普通のユーザーがスナップで撮った程度のものだとどこまで信頼していいのか分からない。手ブレしたものや、天候、光量不足でぼやけたもの、画像ソフトで過剰なまでにシャープネスをかけたガチガチの写真など、正確さが分からないサンプルが大半で、それを素直に信じるのは危険である。
 今回の故障の件だってネットに報告すればたいへんな騒ぎになったかもしれない。同じD7100を買った人たちは気になることだろう。この故障が「不良品だ」というクレームの嵐の火付けになることもありうる。小生からみれば機械なんだから故障もすれば寿命もある。たまたま運が悪い物に当たったのだろうと思っているのだが、世間はそうした大らかさを許してくれない。
 口コミサイトには異常なまでにスペックにこだわり、どうでもいいような小さなことをネチネチと書きまくる人がいるのだ。多くの人は趣味として写真撮っているのに、使いもしない大写しサイズまでパソコンで拡大して解像度がどうだとか、画質がどうだとか言い張る。そういう人を見ると首を傾げたくなる。
 そんな細かいことにこだわるより、手にしたカメラでどうしたら良い写真が撮れるか考える方が重要である。カメラは所詮機械、使い方でどうにでもなる。バカチョンだって良いチャンスに恵まれれば傑作は撮れるのだ。必ずしも高級なカメラを買ってピントぴったりの写真だけを狙う必要はないのである。
 今日掲載した写真はリコーのバカチョン・GX200で撮ったものである。ピントは甘いけれど、ブログ程度のサイズならこれでも十分である。解像度がどうだとか、画質がどうとか言う前に、自分が使う程度を考えてカメラは選べばいいのだ。もし本気で解像度や画質にこだわるなら、カメラ本体よりレンズの良い物を選びなさいと言いたい。
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by Weltgeist | 2013-09-21 22:48

アンリ・ベルクソン 「創造的進化」 (No.1789 13/09/20)

 昨日、アキレスは足の遅いカメが先行した場合追い越せないというゼノンのパラドクスを、フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンがエラン・ヴィタール、生命の飛躍という思想で乗り越えたと書いた。科学は「点」については研究できても無限に連続する「運動の線」のようなものはつかめない。だが、生命にはそれ自身のうちに無限な深淵をも乗り越える何か「突き動かす力」が潜んでいる。これが進化の原動力となって世界が構築されていると言うのである。
 それでは彼の言う「生命=いのち」とは何だろうか。ベルクソンは「生命は、宇宙の始まりから、全体として一つの中心から発して伝播していく巨大な波である。・・・最も下等なものから最も高等なものにいたるまで、生命の最初の起原から現在に至るまで連続する波の躍動の連続である」と「創造的進化」の中で言っている。
 神は天地創造によって世界を造り、自分が創造した物は非常に良かった(創世記1:31)と言った。しかし、その天地創造の時から生命には「進化する」という大波が起こったのである。神はアダムとイブという人間をも造り、すべて良しとされたはずなのに、作られた「いのち」には神の期待をも振り切るエラン・ヴィタールの力があった。アダムたちは神の思いに背いたことをしでかして楽園から追放されるのである。
 生命の飛躍とはこのように思いもかけないことが起こる進化の運動である。生命がこの世に生まれてきたことは一回限りのことである。二度と同じことは繰り返さない。自分の出生を見れば分かるように、たった一度だけ生まれ、けっして逆戻りすることができない。それが生命の本質である。そんな反復しないものは科学ではとらえられない、創造的進化論の領域なのである。
 天地創造(今風の言い方ならビッグバン)以来、生命は進化をとげてきた。そして生命はなぜか昆虫と人間が進化の頂点に達したものとベルクソンは考えている。人間は知性があるから生命進化の頂点というのは分かるが、本能に支配された節足動物の頂点が昆虫であるという結論は唐突でよく分からない。とにかくベルクソンはそう考えているようだ。
 しかし、エラン・ヴィタールの爆発的な飛躍で起こった創造的進化は、一つずつ順番に段階を追って新しい段階に進化していくという目的論的思想(その代表例がヘーゲル)を否定する。何の原因もなしにいきなり新しい一歩を踏み出してくる飛躍なのである。それは何かの原因によって引き起こされたものではない。原因も目的もなく現れてくるものなのである。そもそも生命とは目的もなく進化の道を歩んでいるのだ。無目的に動かされていて、どこへ向かうのかも分からない。それでいて不断に進化していくという不思議、これが生命=いのちなのである。
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 ベルクソンが人間とともに進化の頂点に達した生き物が昆虫だったという結論は、よく分からなかったけれど、虫好きな小生にはうれしい結論だと思った。それで、今日の添付写真は頂点まで進化した昆虫・セセリチョウの写真を選んでみた。
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by Weltgeist | 2013-09-20 23:55