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明日は休載日にしました (No.1714 13/05/30)

 勝手ながら今後、週に一日休載日をもうけることにしました。正直言ってもう毎日掲載は限界に近づいています。一日くらい休んで余裕を持たないと2000回まで続けられないのではないかと思いはじめています。ですから明日一日だけ休ませてください。

明日は休み、次回掲載予定日は6月1日です。
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フラ・アンジェリコ / 聖ドメニコ祭壇画 (部分) / 1423-1424 / San Domenico, Fiesole, central Italy.
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by Weltgeist | 2013-05-30 10:55

養老孟司・死の壁 (No.1713 13/05/29)

d0151247_22351393.jpg 昨日唐突にハイデガーの時間性と死の問題について書いたが、実はこのとき養老孟司さんの「死の壁」という新書版を読んでいて、人間の死についての考えがハイデガーが言うことととても似ていたと思えたからだ。ハイデガーは「人(現存在)は死に向かって進む存在」であり、人が生きることは墓場にそれだけ一歩進むことであると言っていた。まさに養老さんも同じことを書いていたのである。
 我々のまわりは不確かなことばかりあるが、「人生でただ一つ確実なことがある。人生の最終回答は死ぬこと」(PP.12-13)であることだ。だが、近代社会は人が死ぬものであることを隠蔽していると養老さんは言う。近代化された社会では、自分は不変な死なない存在と勘違いするようになっている。(PP.32-33)自分は死なないと誤って信じ込んでいて、いざ死に直面するとオタオタするというのである。それはハイデガーが「人間は死へ向かう存在である」ことを意図的に隠蔽して忘れようとしていると言うのと同じである。

 沢山の死体を見てきた解剖学者の養老さんの「死の解釈」はとても多岐にわたっていてユニークである。そもそも医学的に見て死とはどのようなものなのかという問いに対して、医者の立場からしても実はよく分からないと正直に書かれている。
 人の死は心臓が止まったとか瞳孔反応がなくなっただけでは厳密には分からない。たまに死んだと判断された人が生き返った例があるからだ。そんなあやふやだと「死体」とて解剖することができなくなる。解剖しているうちに生き返ったらとんでもないことになるからだ。厳密に死んだと判断するなら「骨になるまで見届けなければ」(P.67)確実ではない。しかし、そうなると解剖はもとより、火葬も臓器移植も不可能になる。どこかで線引きをしなければならない。その科学的定義として出てきたのが脳死である。
 しかし、脳死で死の定義が明確になったかというと、実際にはそうではなかった。「脳死とはこれから先、死に向かって不可逆的に進行する過程になることである、と言われているが、・・・・これはおかしな言い分だ。人間とは生まれた時から死に向かって不可逆的に進行する存在だから」(P.68)だ。まさにハイデガーが言う「人間は死に向かう存在」と同じで、これでは誰もが死人と同じにされてしまうだろう。
 脳死で死と判定されても「身体というシステムで繰り返されているサイクル活動は、脳死のあとも続く。小さなサイクルはグルグル回り続け、死後もヒゲが伸びる」(同)らしい。つまり、脳死というのは厳密には死ではなく、社会が曖昧に線引きして決めたものなのである。

 しかし、養老さんの死の解釈のユニークなのは本書の後半で展開される生死観だ。彼は次のように突き放した言い方をする。「自分の死について延々と悩んでも仕方がない。そんなの考えても答えがあるわけではない。死の恐怖をどう克服するかと言ったところでどうしようもない。寝ている間に死んだらどうするんだ。寝ている間なら克服もないではないか」(P.165)「死というものは勝手に訪れてくるもので、自分がどうこうするものではない。それを考えるのは猿知恵」(P.168) でしかないと言う。
 だから「人間の力の及ばぬところでできた結果は仕方がないと思うしかない」(P.184)のである。「身近な死というのは忌むべきことではなく、人生のなかで経験せざるをえないことなのです。それがある方が人間、さまざまなことについて、もちろん自分についての理解も深まる」(P.181)のだ。「死は不幸だけれども、その死を不幸にしないことが大事なのです。死んだら仕方がないと言う風に考えることが大切なのです。それを知恵と呼んでもいい」(P.182)と言い、自らの死を素直に受け入れろと結んでいる。
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by Weltgeist | 2013-05-29 23:55

ハイデガーが言う時間性と将来予測 (No.1712 13/05/28)

 人生の平均的長さは日本人の場合男性で79歳、女性が85歳くらいと言われている。そうなると70歳の小生はあと9年しか生きられないことになる。ハイデガーによれば人間は自分の死をもって初めて人間として完結するという。彼が言う人間、すなわち「現存在=Dasein 」にはいつもまだ死んでいないという意味での「まだない=Noch-nicht ノッホ・ニヒト」未完な未来がついて回っている。そのまだやってこない未来の残量がゼロとなって、つまり死んで初めて小生の人間としての全てが完結する。死はいつくるかは分からないが確実にやって来て絶対に逃れることはできない人生の終点である。
 ハイデガーはこのように人間を、まもなくお迎えがくるという、死に神的な発想からとらえようとする嫌な哲学者である。しかし、この発想って、実はとても人間的なものである。なぜなら、人間以外の生き物たちは、今彼らがいる「現在」の中でしか生きていないからだ。猫のイライは毎日、「現在」の瞬間瞬間を刹那的に生きているだけである。
 ところが人間は現在を飛び出して未来を見通すことができる。なぜ未来が見通せるかと言えば、人(現存在)はこれまでたどってきた過去を引きずって「今」があることを知っているからだ。10年先は見通せないとしても、少なくとも明日の自分はある程度予測できる。小生が明日総理大臣になるなんてことはあり得ない。しかし、明日も今日とあまり変わらず夜になればブログを書き始めるだろうことは、これまでやってきた過去の自分から予測できるのである。
 現在の中でしか生きていない動物と違って人間は未来がある程度見通せる。そのことで喜びも見いだせれば不安も感じるのである。娘が妊娠してまもなく孫が生まれそうと分かれば喜びの未来が期待できるだろうし、資金繰りが行き詰まって不当たりを出せば倒産というつらい未来が予測できる。時間は人間にある種の「意味」を与える質的なものとして現存在に備わっているのである。
 だが、未来は必ずしも予測通りになるものではない。孫が生まれる前に突然の事故で死んでしまうかもしれないし、不当たり手形は回避されて倒産を免れるかもしれない。同様に過去に苦しい出来事があっても、それが今になって自分を高めてくれたものだったとすれば過去の苦しみは試練となって受け入れることができる。
 人間が置かれている時間は、過去、現在、未来がそれぞれバラバラに独立してある量的なものではない。人間存在に質的な意味を与える「時間性」として総合的にあるのである。過去も現在も未来もつなげて自分なりに評価し、意味づけできるのだ。しかし、現存在はこのように過去を背負いつつ未来に向かって実存していくが、その終点は自らの死でストップさせられる。普段「ひと=ダス・マン」はそうした死の恐怖を忘れることで隠蔽しているが、時折起こる不安によって人間は有限で死んでいく存在であることを否応なく知らされる。
 ここにあってもなお死の恐怖を忘れ去ることで逃げるか、自らの死を覚悟して受け入れるか二つの道が開けてくる。死を先駆けて覚悟するとどうなるか。明日は死ぬかも知れないと自覚した人は、真剣に自らの生に立ち返り、真摯に生きようと決意せざるを得ない。なぜなら残された人生の時間は限られていて、極めて貴重だからだ。自分の「まだない未来」の時間を真に生きようと決意することで充実した生を過ごすのである。そのとき時間は単なる量的な長さではなくなる。質的に充実したものとして現存在に迫り、残された人生の意味づけをしてくれるのだ。
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by Weltgeist | 2013-05-28 23:16

わが家の泥棒猫 (No.1711 13/05/27)

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 昨日U氏が釣った大鯛を食べる前にテーブルに置いていたら、わずかなスキを狙ってイライがこれを盗み食おうとしていた。魚を調理する準備に追われて油断して全然注意を払っていなかったのだ。それで何気なく鯛の皿を見るとまさにイライが手を伸ばして引っ張り出そうとするところだった。
 こういうときの猫の行動はとても静かで、人に察知されるような音など立てない。そーっと近づいてサッとくわえると一気に安全な場所まで持って逃げる。気がついたのはちょうどその直前だった。イライは右手でジャブを繰り出して、獲物の感触を確認している。うまく爪が引っかかればそのままヒョイッと引き寄せてスタコラサッサと逃げることだろう。だが、そうは問屋が卸さない。大きすぎる獲物に手間取って泥棒する前に運悪く見つかってしまったのである。
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 窃盗現場を目撃してすぐにカメラを持って来る間に、イライはさらに身を乗り出して鯛の尻尾に噛みついていた。「イライ、やめろ」と叫ぶが、彼はごちそうを前にして怯むことなく尻尾をくわえて運び去ろうとしている。
 尻尾にかみついているイライの体を鯛から引きはがそうとしても、せっかく見つけたごちそうをとられてなるものかと彼はがっぷりくわえ続けて鯛を放さない。いつも缶詰のキャットフードしか食べていないのに、今日は釣り立ての生魚が目の前にあるのだ。これは絶対離してなるものかと頑張っているのである。
 だが、しょせん人間の力にはかなわない。イライの口から鯛が取り上げられて、小生たちが「プリズン=刑務所」と呼ぶ猫用のケージの中に閉じこめられてしまった。ケージに入れられたイライは恨めしげに小生を見ている。しかしかわいそうだが彼に鯛を丸々食べさせるわけにはいかない。しばらくはケージの中でおとなしくしてもらうしかないのである。
 もし食べられてしまえば釣友U氏の友情の証が台無しにされるところだった。それでもプリズンに一時的に閉じこめられたイライにもこのあとでU氏の友情のおこぼれをもらうことはできた。小生が料理した時出た中骨などのアラをあげたら、彼は夢中になって食べたのである。生魚にはキャットフードにない新鮮なおいしさがあるのだろう。この世にこんなにおいしいものがあるのかというほど興奮してアラにしゃぶりついていた。人間ならほとんど捨てているような部位でも喜んで食べる猫たち。くわえた鯛を取り上げたのはちょっとかわいそうだったかなとも思ったが、あとからこのときの写真を見たらとても愛おしくも思えた。小生はやはり猫が大好きなのだ。
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by Weltgeist | 2013-05-27 21:44

持つべきものは友達 (No.1710 13/05/26)

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 半年以上会っていない釣り友達のS氏から今日の午後電話があった。久しぶりに釣りのお誘いかなと思っていたら、「魚があるんだけど、食べない。大きなマダイと、大アジだ」という。釣りも好きだが食べることはもっと好きな小生、「食べる。食べます、いただきます」と三回もオウム返しに言ってしまった。このところどこにも釣りに行っていないので新鮮な魚は食べていなかったが、待てば海路の日和ありで、何とも幸運な日曜日である。持つべきは友達、待っていたら30分ほどでわが家まで魚を持って来てくれた。
 上がマダイ、下がアジとイサキである。この魚、実はS氏が釣った物ではなく、マダイはU氏、アジとイサキはT氏とそれぞれ別な釣り友達が釣ったのものをS氏がもらい受けて、小生宅まで持ってきてくれたらしい。つまり3人の釣り友達の心遣い、友情の証なのだ。
 マダイを釣ったU氏に早速お礼の電話をしたら、午前中携帯に電話したが「電源が入っていなかった」と言われ、小生がまたどこか外国に行っていたと思ったらしい。電話が好きでない小生はしばしば携帯電話の電源を切っていて友人に怒られるのだが、たまたま午後用事があって電源を入れたときS氏からかかってきたのである。
 それにしてもこのマダイ、長さを測ったら50㎝をちょっと切るくらいで、2㎏以上ありそうな見事な大鯛である。大皿を軽くはみ出すほど大きな鯛など簡単に釣れるものではない。だが、腕利きのU氏は昨日、なんとこのサイズを12尾も釣ったのだという。あまりに釣れすぎて、自宅で食べきれないものはあちらこちらに配ったのだそうだ。もし午前中小生が電話の電源を入れておけばもっと沢山のマダイをもらえたとU氏が言っていた。
 こうしていつも大鯛を届けてくれるUさんにはありがとう、感謝していますとこの場を借りて言いたい。
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 こちらの大アジとイサキは、T氏が同じ土曜日に三浦半島鴨居沖で釣ってきたもので、早速彼のブログ平成釣りバカ情報を見たら、午前中はイカ釣り、午後はアジ釣りという東京湾独特のリレー船に乗ったと書いてある。
 しかし、午前中のイカ釣りは不調で彼は2杯しか釣れなかったようだ。でも、午後のアジ船は順調で30~38㎝くらいが18尾も釣れたという。その成果のお相伴品をS氏を通していただいたのである。鴨居から東京湾口にかけて釣れるアジは、別名金アジとも言われ、ブランド品の関アジに匹敵するうまさがある。こんな豪華のものをいただけるのは幸せである。
 U氏、T氏、それにS氏、ありがとうございます。友達の有り難みを感じつつ新鮮な海の幸をこれからたっぷり賞味させていただきます。
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by Weltgeist | 2013-05-26 22:09

新潟でギフチョウと遊んできました (No.1709 13/05/25)

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 一昨日、昨日は新潟県にギフチョウの採集に行っていた。関東地方のギフチョウは3月終わりから4月の初め、ちょうど桜の咲く時期に表れる早春の蝶であるが、新潟県ではご覧の通り、5月の末だというのにまだ山には残雪が残っていて、春が始まったばかりであった。これがギフチョウにはちょうど良い季節なのだ。
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 正面に見えているのが越後駒ヶ岳(2003m)。今の時期、ギフチョウは雪解けの遅い、この山の中腹で見ることができる。
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 舗装された国道から一般道、さらに林道に分け入って、標高が500mくらいまで登ったところでネットを出した。周囲は山菜が一番良い季節で、山菜採りのオバさんたちが、我々を見て「何を採っているの? 」と聞いて行く。この時期に山菜も採らずにチョウチョウを追いかけているのは馬鹿者だという顔で見られてしまった。
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 ギフチョウは青い色が好きだと言われている。嘘か本当か、相棒の田原氏はブルーのネットにブルーのシャツ、それにブルーのバンダナと青づくめの服装をしていたら、早速ギフチョウが反応してきた。田原氏の話では明らかに彼の青いシャツを目指して飛んできたという。推測するに、ギフチョウが青色を好むのは、エサの蜜があるスミレやカタクリの花と勘違いしてくるからではないかと思う。この日、確かに青色によく反応した。
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 これがギフチョウ。秋田県南部から山口県までの本州に生息する日本固有の蝶で、学名はLuehdorfia japonica 。日本を意味するヤポニカの名前がつけられている。ギフチョウは小生と田原氏にとってはとても思い出深い蝶である。小生はこの蝶が縁で50年以上前に田原氏と知り合うようになった。1950年代後半、まだ中学生だった小生は彼と高尾山によくギフチョウの採集に行ったものである。しかし、いまの高尾山ではまったく姿が見えなくなってしまった。
 田原氏が持っているこの固体は翅がすでにすり切れていた。産卵も済ませたようで、お疲れ様と言って放してやったら素早く林の中に消えて行った。
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by Weltgeist | 2013-05-25 23:21

明日は休みます (No.1708 13/05/23)

 これから明日にかけて出かけますので、更新ができません。今日は文章はなし。フランス、シャルトル大聖堂で撮ったちょっとピンぼけのステンドグラスの写真だけ載せます。明日の掲載も休みます。
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by Weltgeist | 2013-05-23 20:26

Rさん誕生日おめでとう (No.1707 13/05/22)

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 シンガポールから来ているRさん(前列左)が**歳の誕生日を迎えたのでわが家でささやかな誕生お祝いパーティをした。この日はたまたま、デンバーからJさんも来ていて、Rさん夫妻とは旧知の仲なので、彼女もお呼びして一緒に楽しいひとときを過ごした。
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 日本在住21年のRさんは、日本のことなら何でも知っているほどの知日派だが、今年の秋にシンガポールに帰国することになっている。それで思い出になるよう日本のいなり寿司を中心にうちの奥さんが料理を作った。もちろん、いつもの通り小生は何もしないで、ただ食べるだけの人である。手前のサラダはK夫人の作である。
 Rさんは何をするにも判断が速く、さっさと行動に移す人だ。その行動力の早さにはいつも感心させられている。少し前に「一眼レフカメラを買いたい」と言っていたが、早速ニコンのD5200を買ったらしく、この日持って来て、小生にD5200の使い方について沢山の質問をしてきた。
 小生がいつもニコンで写真を撮っているから何でも知っていると思っているのだろう。ところが小生、写真は撮ってもカメラの細かな機能に関してまるっきり疎い。質問されてもよく分からないのだ。役にたたなくてごめんなさいね、Rさん。
 Jさんも5人の子供を日本で育てた超知日派で、もちろん日本語も上手に話す。最初に会ったとき一番下の子供は中学生くらいだったが、彼も大学を優秀な成績で卒業して誰もが知っている世界的なIT企業に務めるまでになった。そこでかなり重要な仕事をしているらしい。そういえば以前きたオーストラリアのJ君も同じ会社だった。J君も日本の企業では考えられないほど優雅な待遇を受けていると話していたが、今日Jさんが息子B君の話をしてくれてどうやらそれは本当らしいことが分かった。世界的な企業と言われる会社は、自社の社員を大事に扱ってくれるらしい。
 少し前に書いたユニクロは「世界企業を目指す」と言いながら、実体は社長が1兆円以上の資産を稼ぐのに、社員は年収百万円にまで引き下げようとするブラック企業であった。世界的企業のスタンダードはそうした物とは根本的に違うとあらためて感した。
 Rさんたちの話を聞くとシンガポールの企業もみなまともだと言っていた。やはりこれからの日本人はもっともっと海外に出て視野を拡げていかないと世界から置いてきぼりを食うことになるだろう。
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by Weltgeist | 2013-05-22 23:33

育ちの悪さは隠せない (No.1706 13/05/21)

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 上の写真は二日前の日曜日、ペンテコステのあと開かれたポットラックパーティで小生が皿にたっぷり詰め込んだ各国料理である。好きな物を好きなだけとっていいバイキングだと、「これが食べたい。あれも食べたい」で、ついつい色々な物をとりすぎてしまう。見る物がどれもおいしそうで、パスすることができないのだ。
 てんこ盛りの皿を持ってテーブルに戻ると、隣の席にチャトラママさんが座ってきた。だが、彼女が持つ皿を見て「ヤバッ」と思ったがもう遅い。重さだけでも優に1㎏は越えている小生の欲張り皿に比べてママさんの皿はスカスカの少量。自分が食べられる分だけ上品にとってきているのだ。彼女の皿と小生のデカ皿が並べられると、背中に冷や汗が流れるほど恥ずかしくなった。
 先日カリブ海から大西洋横断の優雅なクルーズをして帰ってきたセレブなママさんのブログには、「帝国ホテルのディナーを毎日食べている」ような豪華なディナーの連続だったと書いてあった。そんなお方は小生のような卑しい真似はしないのだ。
 バイキング方式の食べ放題はとってきた皿にその人の育ちの程度が表れてしまう。食べなければ損だ、とばかり皿一杯に盛ってくる。小生のように育ちの悪い人間は、ここでいっぺんに素性がバレてしまうのだ。そうやってパンクしそうなくらい腹に詰め込んで、後で苦しい思いをする。もう金輪際やるまいと誓っても、食べ物を見るととたんに本性が出てしまうのである。
 「人はパンのみで生きるのではない」と言われるが、それは高貴な精神世界に住むお方のこと。おいしそうな料理を見ると「これも食べたい、あれも食べたい」となって、ついつい自制心を失ってしまう。美食願望は人間の持つ避けられない欲望なのである。小生、この日清い精神的な高みにはいきつかなかったが、おいしい物を心ゆくまで腹一杯食べて、ひとときの人間的幸せを味うことはできた。確かに人はパンのみで生きるべきではない。でも、感情の赴くままに生きる野人の小生にはパンも必要なのである。
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by Weltgeist | 2013-05-21 11:34

健康でいるための活動目標 (No.1705 13/05/20)

 昨日の朝日新聞朝刊にあったコラム「一日40分動けばお達者に」の中で厚生労働省が「健康でいるための活動目標」というものを発表したと書いてあった。厚労省研究班によれば、一日に40分ほど体を動かす65歳以上の高齢者は10~15分程度の人より、ガンや生活習慣病の関節痛、認知症になるリスクが平均21%も低いことが分かったという。だから毎日合計40分程度は積極的に動きなさいと勧めている。
 人間の活動量が増えると、ガンのものとになる細胞ができにくくなるほか、血の流れが良くなることが理由でリスクが低くなるのだそうだ。無理をして体をこわさない注意が必要だが、散歩やストレッチ、皿洗いなどどんな動きでも効果があるという。
 これを読んで「エッ、皿洗いも」と驚いてしまった。皿洗いが運動のジャンルに入っているなんて全然知らなかった。少なくとも皿洗い作業の半分、拭き取りワイプの段階は小生が毎日やらされていることである。今までは嫌々ながらやっていたが、こうなると健康のために積極的にやった方がいいことになりそうだ。
 さらに記事では年齢に関係なく、一日につき10分増えるとガンや認知症のリスクが平均3.2%減ることも分かってきたと書いてあった。とにかく運動することがガンやアルツにならないための予防策のようだ。
 また65歳以前の18歳から64歳までの人についても、歩く、自転車に乗る、掃除をするなどで毎日計1時間の運動を奨励している。皿洗いと同様に掃除が運動の効果があるというのも面白い。これらを1時間やるということは、歩行に換算すると8千歩程度に相当するのだそうである。
 いずれにしても若いうちから活動量を増やせば生活習慣病などのリスクを減らせると、研究班の宮地元彦氏は言っていた。駅の階段はエスカレーターなど使わず歩く。それもやらない人はせめて「掃除」くらいは自分でやっておかないとあとで危ない目に会いそうだ。
 健康でいられるためにはとにかく運動することらしい。とくにアルツ予備軍に入りつつある小生にとっては待った無しにやらなければヤバイのだ。No.1690で「ウオーキングで基礎体力作り」ということを書いたが、一度決めたら休まず毎日最低でも40分は体を動かす。これが至上命令のようである。
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適度に運動することが健康を保つ秘けつだとすると、さしずめこの「森の人・オランウータン」は毎日ジャングルで運動に余念がないから健康は問題ないだろう。オランウータンのアルツ患者なんて聞いたことないもの・・・(^0^)
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by Weltgeist | 2013-05-20 22:40