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古き私よさようなら。新しい私よこんにちは (No.1577 12/12/31)

 2012年も今日で最後になってしまった。明日は2013年元旦。長い年月に区切りをつけるという意味で、今日はエポックメーキングの特別な日であろう。
 大晦日の今日、誰もが思うのは自分自身にとっての2012年はどうだったのか、今年一年の総括だ。来年は何をやりたいかは明日の元旦に言うとして、とりあえず今年の自分はどうだったのかを今考えている。すると良いことも悪いこともそれぞれいっぱいあって、どこから始めたらよいのか迷っている。色々なことがそれだけあったということである。
 今年はインドへ一ヶ月弱行って波瀾万丈な旅も体験したし、その後山で落っこちて大けがもした。しかし、そんなことより一番大きなことは、2012年に小生はついに70歳という信じられないほどの爺さんになったことだ。若い頃自分は38歳で死ぬと固く信じていたので、まさかこの歳まで生きるとは思ってもいなかった。
 だから70歳まで生きた自分自身のしぶとさに驚いている。それだけ長く生きたのだからさぞかし成長した「立派な大人」になっているはずである。ところが自らを省みると自分が子供の時から少しも成長してないことに気づく。もちろん、子供じみた無邪気さ、無責任さからは脱却しているが、それでは多少たりとも賢くなったかと自らに問うと、まだまだ全然という気がする。 
 もう子供のように甘いことを言って許される年齢ではない。賢いという意味が「ずる賢い」と同義ならイエスかもしれない。子供のときに持ち合わせていた純真さを失うとともに、厳しい世間を生き抜く世渡りの知恵は沢山学んだ。それだから、この歳まで曲がりなりにもご飯が食べられて、暖かい布団で寝ることもできている。しかし、そんなことで成長したとは思いたくない。
 仮に自分がすごいお金持ちの成功者、勝ち組と呼ばれる人になっていたとしても、それで「良きものへ成長した」と言えるだろうか。人間は精神を持った動物である。人は精神的にもっともっと深みに達するよう運命づけられている存在なのだ。「お前は人間としてどこまで深く成長できたのか」この問いに答えることが、今年一年を反省する核心的なことだろう。
 そうだとすると今日の小生は、2012年のあまりの成果のなさに半ば失望せざるを得ない。しかし、人は日々古い自分を乗り越えてより深みを増した新たな自分に変わって行ける。過去の自分を脱ぎ捨てて、未来の理想像を目指して進むことができるのが人間である。歩みは遅くとも「古い私よさようなら」と言って、もっと深みのある人間を目指せるところに救いがあるのだ。
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*写真は本日 December 31 2012 付けのロンドン The Times 紙の記事 How to ease the pain of child benefit cuts. よりDLしました。
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by Weltgeist | 2012-12-31 23:39

2012年、最後の忘年会 (No.1576 12/12/30)

 一昨日から頭の上に重くのしかかっていた年賀状制作も激安プリンタ導入で無事終わり、本日は義務感からすっかり解放された明るい気分になることができた。正月まであと残すところ一日、ほぼ2012年最終直前日のこの日、いつもお世話になっているBさんの娘さん、Jちゃんが家に帰ってきているので、歓迎会を兼ねて友人たちと最後の忘年パーティをやった。
 大勢の人が集まって料理を食べるには、ターキーがうってつけだ。先週もRさんのところでやっているので、料理法も妻がほぼがマスターしている。巨大なターキーも上手に焼き上がった。
 これを10人で食べたあとは、みんなで楽しい歓談。腹一杯食べた満腹状態の小生は今、動くのも苦しい。昨日までの緊張感からの解放と相まってブログの文章を書くのも億劫になっているので、本日の長い文章は無し。今日は写真と簡単なキャプションの掲載でお許しいただきたい。
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 今回焼いたのは、先週焼いた6.5㎏よりもっと大きく、わが家の大型オーブンでもぎりぎりのサイズ。冷凍になったものを米国系スーパーコストコで購入し、解凍するのに3日、さらに流水に浸けて、最後はスタッフィングなどを詰めて、180℃に熱したオーブンで3時間焼けば完成。詳しいレシピを知りたい方は、以前書いた(No.256 08/11/20)を参照してください。
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 焼き上がったターキーをきれいにカットするにはBさんが持っているアメリカ製の電動ナイフが一番。ヘルプしてもらったついでに焼き汁から作るグレイビーソースも全部Bさんに作ってもらった。例によって、こういうときの小生は少しも手助けにならず、ただ食べるだけの人となる。
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 ターキーの他、皆さんが持って来てくれた食べ物を皿に乗せて、ディナーが始まる前に記念撮影。ところが、後で撮った写真を見たら奥の方までストロボの光が届いていない。小生のカメラの腕が悪くて、顔が暗くなってしまった**さん、Jちゃんの陰で顔が完全に隠れた**子さん、ごめんなさい。写真はこれしか無いのです(汗、汗・・・)
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by Weltgeist | 2012-12-30 22:59

激安プリンタを買いました (No.1575 12/12/29)

 昨日予告した通り、朝一番Y電気に新しいプリンタを買いに行ったらプリンタってとても安くなっているのにビックリした。前に使っていたものは8色もインクがついた高級機で、4万円以上したと思うのだが、いまの主力製品は6色で2万円台、激安品だと6千円くらいで買える。
 6千円というのは、以前小生が使っていたプリンタ替えインクと同じ値段である。なぜそんなに安いのか、このブログでどなたかに教えてもらったように、プリンタメーカーは、本体を安く売って、インク代で稼ぐという戦略らしい。だから本体が安いと思っても、そのあとすぐにインクが切れて高いランニングコストがかかるという落とし穴がある。用心、用心、その手は食わないぞ、ヤバイ道は歩かないと自らに言い含める。
 しかし、それでも6千円台というのは魅力である。ランニングコストが高いといっても、今回は年賀状さえ刷れればいい。ピンチヒッターと考えれば実に魅力的な物に映る。もともと印刷はほとんどしない小生にはこの程度で十分なのだ。これならまた壊れても惜しくないなどと、値段の安さに目をくらまされて自制心を失いつつある自分がそこにいた。
 こうなると安物買いの銭失いである小生を止めるのはむずかしい。最初は「その手は食わないぞ」と言っていたのに、15分後には、お値段6580円の超格安のプリンタを購入していた。
 そして、このプリンタを家に持ち帰って早速パソコンで使えるように設定する。簡単スタートガイドという説明書にしたがってセットアップしていく。「簡単」といえるほどではなかったが、安物だから我慢しようと、自らに言い含めてようやく準備は完了。いよいよはがきを入れて昨日デザインしたものを印刷に取りかかる。
 印刷開始をクリックするとガーガーガーガーとプリンタから音がしたが、その後2分くらい何の音もしなくなる。「エッ、これは最初から不良品か」と思ったころ、おもむろに動きだし、ようやく印刷が始まった。動作は猛烈に遅い。しかし、安いのだからこれもしかたがないか、とまだ自分の銭失いのミスを認めないでいた。そうして刷られたはがきを見てびっくり。まるっきり色が違って刷られているではないか。
 ここでようやく目が覚めたがもう遅い。またも安物を買って失敗したと後悔する自分にむち打って、もう一度写真を photoshop でプリンタの癖に合うようにレタッチしなおした。写真はセピア色に近いマゼンタが異様に強い色て印刷されていたので、色調調整の段階でマゼンタを弱く、グリーンを意図的なほど強く補正して試し刷りしたら、少しは見られるくらいに収まった。
 よく家具屋さんなどで「ワケあり商品」といって格安で売っている物がある。それと同じで、安いだけにワケがあるのは仕方がない。ただ、誤算だったのは、ワケは替えインク代が高いだけと思ったことだ。動作が非常に遅くて、仕上がりに難アリというワケまで待ち構えているとは思いもしなかった。とはいえ年賀状だけは刷り上がったのだから良しとするしかないだろう。
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by Weltgeist | 2012-12-29 23:54

来年の年賀状は無しかもしれない (No.1574 12/12/28)

 今年もあっという間に過ぎて、気がついたら今日は12月28日だぁ。あと4日寝ると正月、2013年の幕が開ける。年末になるとやることがいっぱいあるのに、まだ年賀状も書いていない。今日中に投函しないと元日には間に合わないという。どうしようと焦って昨晩、年賀状を作ろうと思ったら、賀状を作るソフトがないのに気がついた。
 小生、これまでアドビのイラストレーターで年賀状を作っていたのだが、春にパソコンを買い換えたとき Windows 7 にした。これに対応するようPhotoshopはCS6に切り替えたが、64ビット対応のイラストレーターまで新調する余裕はなく、こちらはインストールしていない。
 しかし、今日中には年賀状を作らなければならない。どうしたらいいのか、しばし悩んだ末に、コンビニに安い年賀状制作ソフトが売られていたことを思いだし、昨晩のうちに600円弱の格安な専用ソフトを買って、なんとか賀状のデザインだけは完成した。
 そして、今日それを印刷しようとプリンターを立ち上げたら、今度はプリンターが動かない。どうやらヘッドの目詰まりで修理しないと駄目なようだ。一昨日のガスヒーターに続いてまたの故障で踏んだり蹴ったりである。
 年賀状の制作はもう待った無し。プリンターを修理に出していたのではとても間に合わない。新しい物を買い換えるしかないだろう。しかし、今日は小生を「ヒゲジイ」と慕うK君がお母さんと遊びに来るのだ。可愛いK君を放っておくわけにはいかない。
 今日のところは万事は窮した。明日中に新しいプリンターを購入し、その日のうちに全部仕上げて出すしかないだろう。
 だが、予定通りいくのかどうか。プリンターの設定から印刷までもしうまくできなかったらどうしよう・・・。 
 そのときは仕方がない。2013年の年賀状は失礼して、無しだ・・・(^^;
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by Weltgeist | 2012-12-28 20:54

危機一髪 (No.1573 12/12/27)

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 もう時効だから白状するが、今年の夏、山で滑落して大けがをした。インドから帰ったばかりで、まだ長旅の疲れもとれていないとき妻の制止をも振り切って、北アルプスのある沢を遡行した。そうしてもうすぐ頂上稜線という所まで登ったとき、掴んだ岩が剥がれてそのまま15mほど落下。全身打撲で、ほぼ一ヶ月半、寝たきりでいたのである。
 だが、事故を知られたくない小生はこの間ブログも痛い体にむち打って、毎日書くようにしていた。当ブログを訪れる方には何事もなかったかのようにブログ連載を続けることで、事故を隠したかったのである。
 しかし、それでも体が動かなくて辛いときは掲載を休んだ。事故を起こしたのは7月31日である。ちょうどインドの旅行記を連続して書いているときで、この日から3日ほどは「急な用事で家を空けることになった」なんて書いているが、実は体中が痛くてブログどころではなかったのである。それでも8月2日には再開したけれど、どうにも我慢ができず、8月5日はまた休筆している。
 小生、これまでも何度か死に損なうような事故を起こしたことがある。大学2年生のときに奥多摩の越沢バットレスというロッククライミングのゲレンデを単独登攀中にハーケンが抜けて50m墜落した。このときも全身打撲で一ヶ月動けなかった。北穂高岳滝谷C沢右俣奥壁では落石が小生の体から数㎝の所を落ちていったり、谷川岳一の倉沢烏帽子奥壁凹状岩壁ではトップを登る友が墜落したが、ほとんど偶然としかいえない僥倖でパーティがザイルで数珠つなぎに落ちる事故を防いだ。
 別にこんなことは自慢にもならないのだが、これまでよく命がつながってきたと我ながら感心するほど無謀なことをやってきた。ところが、若い頃一緒に山に登ったり、蝶を採っていた仲間十数名で今も生き残っているのは小生と田原泰文氏の二人だけになった。先に逝ってしまった友は慎重なうえにも慎重な人間ばかりだったのに、彼らの方が召されてしまったのは、どう考えたらいいのだろうか。
 多分、神はまだ小生に「生きろ」と命じているのだろう。今回の滑落でも頭を打たず、打撲で済んだのは不幸中の幸いだった。滝谷の落石事件は壁の途中のテラス(小さな岩棚)に座って、登攀中の弟をザイルで確保していたとき、何気なく上を見たらごま粒くらいに見えた石がみるみる大きくなってすごい速さで落ちてくるのが見えた。これを見て一瞬身をよけた。もしあのとき上を見なかったら、うなりをたてて猛スピードで落ちてくる石が小生の頭を粉砕し、いまここにはいられなかったろう。ほんのわずかなことで運命が変わってしまうのだ。
 2012年がもうすぐ終わるにあたって自らの無謀さを改めて反省している。自分が助かったのはほんとうに奇蹟的な偶然である。危機一髪で助かった数々の運命の不思議さを考えずにはいられない。小生を守ってくれた神の力に感謝し、来年、2013年こそもっとおとなしく安全で静かな人生を送ろうと思っている。とくに心配ばかりかけた妻には申し訳なかったと言いたい。
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by Weltgeist | 2012-12-27 23:41

怒濤のように襲う買い換え需要 (No.1572 12/12/26)

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 23日に会ったRさんの息子が欧州を旅行中で、彼が撮った写真をフェイスブックに載せているというので見せてもらったら驚いた。小生が持つニコンの一眼レフデジカメ、D300とは別物の映りをした写真を掲載しているではないか。これが最新の高画素一眼デジカメで撮ったものなら分かる。彼が持つのは2万円弱のコンデジだという。カメラやPCは進化速度が非常に早く、数年で旧製品は陳腐化すると言われているが、4年前にニコンのフラッグシップD300がコンデジにも負けるほどになっていたのである。ここまで旧製品が置いてけぼりをくっているとはショックだった。
 だが、驚くのはまだ早い。Rさんは息子のフェイスブックを薄い iPad のような端末で見せてくれた。iPad に似ているが、見た感じはもう少し小さく薄い。これは iPad mini なのだという。ITに詳しい皆さんならとっくにご存じだろうが、小生 iPad mini を見るのは今日が初めて。その小ささと画像の鮮明さ、ネットサーフィンからメール、スカイプまでできるパソコン並の機能を小さなパネルに収めている進化ぶりにまたまた驚いてしまった。時代は驚くべき速さで進行していて、自分はその流れを読めず、置いてけぼりをくっていたのである。
 しかし、今の小生には新しいカメラやiPad を買う余裕はない。そこで自分を納得させるために、急遽次のような負け惜しみを考えることにした。よりシャープに映る写真を撮りたければ最新のカメラに買い換えなければならない。でも、古いカメラでもクオリティは多少落ちても写真は撮れる。適当なところで妥協すれば、新しい物に買い換える必要性もない。20年前、フイルムカメラを使っていた人たちは、デジタルなど無くても楽しく写真を撮れていたではないか。気は持ちようだと自らに命じたのである。
 それなのに人は新しい物を買い換えなければならないと思わされている。我々は進化とか発展という言葉に踊らされていて、不必要に物を買いそろえているのではないか。最低の衣食住が確保されていれば、物など無くても人は生きて生ける。負け惜しみでもそう思いたい。しかし、そう自分に言い聞かせようとしてもなかなかうまくいかない。最新のカメラや、iPad を見ると、それがどうしても欲しくなってしまうところに人間の弱さがあるのだ。
 折しも、数日前、20年以上使っていた食卓の椅子が壊れて買い換える羽目になった。ところがその翌日には今度はガスヒーターが調子悪くなってきた。東京ガスの人に見てもらうと、もう11年も使っているから買い換え時だという。今年の春にエアコンを買い換えたばかりなのに、こうして次から次へと買い換えが起こってくる。
 買い換える必要はないと頑張っても、津波のように古い物が壊れ新しい物を買い換えろと精神的な脅迫をしてくるのである。そんなことを考えると、やはり進歩は人を幸福にはしない。むしろ蟻地獄のような欲望の巨大な渦の中に、ジワジワと引き込まれて次第に不幸になっていく気がするのである。
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by Weltgeist | 2012-12-26 22:58

「勝手に販売促進部」って何だ (No.1571 12/12/25)

 現役時代、何度も商品広告を作ってもらったことのあるGという広告制作会社が、今度新しい商売を始めたからよろしく、という連絡が来た。挨拶状によれば「これまで人様の”広告”という稼業を続けているうちに、自分たちで”直接物を売る”ということへ興味が芽生え・・・”絶対にいい品””もっと売れていいはずのブランド”を勝手に販売促進する」サイトを立ち上げたという。
 挨拶状にはサイトの名前が勝手に販売促進部とある。「部」とあるから専業の広告制作とは別な部を設けて、多角経営に入ったのだろうか。しかし、販売促進するだけでどうして商売になるのか、小生にはまだよく分からないところがある。
 早速上記、「勝手に販売促進部」のサイトをクリックしてみると、扉のところに「これは! と思える商品を、僕たち、勝手に販売促進しちゃうことに決めました。ジャンルにとらわれず。もっともっと売れていいはずの商品をプロモーション! 」すると書いてある。
 要するに世の中にはものすごく良い物を作っていながら、まったく商売っ気のない人が売る商品が沢山ある。うちの商品は良さを分かってくれる人だけが買ってくれれば十分、売れなくたっていい、という偏屈な名人が作る隠れた名品や、宣伝下手で商品の良さをアピールできないところの商品を見つけて、勝手に宣伝して売ってやろういうことらしい。
d0151247_23175480.jpg 最初は広告屋が物を販売するサイトを立ち上げると聞いて「サムライの商法」を想像した。「素人が大丈夫か」と思ってしまったが、よ~く考えて見ると、なかなか面白い視点からの立ち上げではないかと思えるようになってきた。
 今の世の中、物は簡単には売れない。なぜなら消費者はそれなりの物をすでに持っているからだ。新しい物を買うにはよほどの理由がないと買わない。しかし、物がまったく売れないというわけではない。消費者は物が良ければ買う理由があると納得して飛びつくのだ。そうやって売れている物は逆に大ヒットしているのである。
 現在は価格重視で安物ばかりが売れている。しかし、本当に良い商品なら多少高くても絶対売れる。人に知られていない良品を見つけて販売促進すれば、爆発的なヒットになるかもしれないのだ。商売としての発想は実に面白いと思う。
 扱う商品はまだそれほど多くないようだ。サイトを見たらフライパンとかイタリアのオリーブオイルなど、どちらかというと主婦層のニーズにこたえる商品からスタートしているようだ。ノングルメの小生にはいずれも縁の遠いものだが、広告マンとしていつも優秀な作品を作ってきてくれた彼らが選んだものだから、きっと間違いない物ばかりのはず。「そんじょそこらには売っていない絶対に良い物が欲しい」という本物志向の人にはぴったりのサイトだ。
 暗い話ばかり聞こえてくる中で、久しぶりに明るい話題に触れた感じだ。軌道に乗ってくれば営業、在庫管理、発送など難しい問題も出てくるだろうが、彼らの仕事が順調にいくように願っている。
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by Weltgeist | 2012-12-25 23:23

本日のクリスマスイブはBさんのお宅で過ごしました (No.1570 12/12/24)

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昨日に続いて今日もクリスマスのお祝い。今日、24日が本当のクリスマスイブである。その一番大切なお祝いの日に我々夫婦をBさん夫妻がご招待してくれた。とてもおいしいディナーと手作りのケーキを食べ、静かに救世主の誕生をみんなでお祝いした後、いつものオセロゲーム、メキシカントレインをしてイブの夜を楽しんだ。
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最初にロウソクに火を灯し、ルカ福音書第2章に書かれたベツレヘムでのイエス誕生の場面を朗読する。すると2000年前に起こった神秘の奇蹟に自然に思いが馳せていく。ここでは厳粛なる静謐な時間が流れ、しみいるような気持ちになる。
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きょうダビデの町で、あなたがたの救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。
するとたちまちその御使いといっしょに多くの天の軍勢が現れ、神を賛美して言った。
「いと高き所に栄光が、神があるように。
地の上には平和が、
御心にかなう人々にあるように。」
    ルカ福音書 2:11-14

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by Weltgeist | 2012-12-24 23:58

今日は楽しいクリスマス・ターキーパーティ (No.1569 12/12/23)

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 今夜は救世主・イエス・キリストが誕生したクリスマス。聖なる夜をシンガポールから来たRさんの家で祝った。まずはロウソクの光で賛美歌を歌う。音痴な小生、歌うのは苦手で声がうまく出ない。でも皆さんの歌声に合わせて口をパクパク動かして一緒に賛美した。
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 Rさんのイエス誕生を祝福するお祈りの後は、楽しいゲームやビンゴで遊び、その後、この日最大のお楽しみ、恒例の焼いたターキーを食べる。18人も集まったのでターキーは大きめの物を例年通りコストコで2個購入し、本日の朝から焼いて用意した。写真では分かりにくいが、巨大な肉の塊が二個並ぶと相当の迫力がある。
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 手前にある大きい方は6.5㎏もある。ここまで大きいと普通サイズのレンジだと入らない。これはわが家の大型レンジで妻が4時間かけて焼いた物。焼き上がったターキーはクリスさんがナイフで肉をカットして分けていく。
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でーんと盛り上がったおいしそうな料理。ターキー以外にサラダやエビのフライ、マッシュ、そのほかちょっと名前の知らないシンガポール料理(これがとてもうまい)がいくつか、さらにはデザートのケーキや、果物などがいっぱい。
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 料理を作るということにおいてはまったく能がない小生は、ただ食べるだけ。カットされたターキーを各人が皿に取るバイキング方式である。何しろ全部で10㎏近いターキーがあるからいくら食べても足りなくはならない。好きなだけ食べ放題である。しかし、食いしん坊の小生、バイキングとなるといつも皿いっぱいにとって後で食い過ぎに悩む。この4つの皿のうちのどれが小生がとってきたものか、皆さんわかるかなぁ・・。
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 これが今日集まったメンバー。この日初めて顔を合わせる初対面の人もいたが、みんなで和気あいあいの楽しいクリスマスパーティだった。
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by Weltgeist | 2012-12-23 23:31

絨毯を敷き詰めた荒れ野 (No.1568 12/12/22)

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 昔、禅寺に通っていたとき、小生に座禅の指導をしてくれた安谷白雲老師が「石ころばかりの原野全面に絨毯を貼り、裸足で歩けるようにするのは実は簡単。足の裏に少し厚めの絨毯を貼ればどこでも快適に歩ける」という比喩を話してくれた。
 老師が言う石ころだらけの荒れ野とは、人間が現実に生きている世界そのもののことである。現実の世界は様々な苦難に満ちていて、素足で快適に歩き通すような真似はとてもできそうもない。もちろん絨毯を敷きつめることもできるわけがない。しかし、もし自分の足裏に絨毯を貼ればショックは和らげられる。これなら絨毯を敷きつめるのと同じように素足でも優しく歩けるというのだ。
 しかし、絨毯を足の裏にまんべんなく貼ることはむずかしい。簡単に剥がれてしまうだろう。それより高性能の靴を履いた方がよほど合理的だ。だが、靴では安谷老師が言った真の快適さは得られない。靴は脱いでしまえば終わりである。足に貼る絨毯とは、物で対処せよという意味ではない。自分自身を座禅で徹底的に追求し、素足が絨毯のように柔軟になれということの比喩である。
 禅の世界では煩悩を捨てろ、無心になれという。煩悩、すなわち欲望を捨て去ることである。あれも欲しい、これも欲しいととどまることのない人間の欲望を絶ちきれば、無心な鏡のような悟りの境地に達すると言われている。安谷老師が言う「足裏の絨毯」とは、そうした域に達して強い精神性を持った人のことだろう。
 どんな苦難も平常心で対処し、乗り越える強さを備えた人が、荒れ野も快適なリビングの中にいるように歩ける。無心になって、何事にも動じず、いつも自分自身が何者であるかをしっかり把握している人になること、禅が目指すのはそうした「個人的な解脱」である。
 だが、禅がいう悟りの世界は魅力的ではあるが、解脱してもそれは個人レベルのことである。世界はいつまでも困難なままで何も変わっていない。問題解決を個人段階で乗り越えようとするところに禅の限界もあるといえる。
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by Weltgeist | 2012-12-22 23:57