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明日、明後日休みます (No.1548 12/11/30)

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 明日から12月。師走のあわただしい日がいよいよ始まるが、忙しく仕事をしている皆さんを尻目に、小生は明日からちょっと出かける。そのため、明日、明後日のブログ更新はお休みさせていただきたい。
 12月のメインイベントはクリスマス。日本のキリスト教徒の割合は、1%と、先進国では異常なくらい低いが、なぜかこの時期になると日本中にクリスマスを待ちわびるにわかキリスト教徒が出現し、あちらこちらの街々にクリスマスイルミネーションが灯り出す。
 クリスマスに生まれる救世主を待ちわびるアドベントのシーズンである。イルミネーションを見て、ジングルベルの音楽を聴き、小さな子供のいる家ではクリスマスプレゼントの準備をする。毎年のことながらこの季節になると、いよいよ今年も終わりだなという気持ちになります。

新たな書き込みは12月3日に始めます。
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by Weltgeist | 2012-11-30 20:40

済んでしまった過去は取り戻せない (No.1547 12/11/29)

「後悔するとは、過去を二度繰り返すことである。」
バルーフ・デ・スピノザ


d0151247_2283810.jpg 時間はいつも前に進み、後戻りすることはできない。過去に置いてきたものは何も取り返すことはできないのだ。したがって、過去の失敗にいつまでもこだわってくよくよしている人は、自らを修正不可能な無意味なことに頭を突っ込んでいるだけである、とオランダの哲学者、スピノザ (Baruch de Spinoza / 1632―1677)は言う。
 スピノザにとって世界は神の意志そのものである。ならば完全なる神が、その意志で動いた時間を後から反省して後悔することにどれだけの意味があろうか。それはもう一度過ちを繰り返すことであり、意味のない無益なことである。すべては神の意志で動いているのだから、それを受け入れろというのである。
 確かに過ぎ去ったことを後から悔やんでも、その事実が消えるわけではない。後悔するなということは過去の失敗に頭を抱えている人には救いの言葉となるだろう。済んでしまったことは仕方がない。全部忘れてさっぱりした方がいいのだ。過去への無反省と忘却のオプティミズムはこうしてスタートするのである。
 しかし、もし人が過去の失敗に学ばなかったら、人はどこで学び自らを高めていけるのか。後悔することが無意味とすれば、いつまでも過ちを繰り返し、進歩することもできない。過去を反省することなく傲慢に振る舞う人たちが跋扈(ばっこ)することになるのではないか。
 自分を反省の目で見ない不遜な人間はいつの時代にもいて、不愉快の源泉となる。人間は自らを反省することで賢くも、人間的な深みをも増すことのできる存在である。ミスした過去を俺は知らないといって、反省もしない無責任な人物とはあまりお付き合いしたいと思わない。こうした人間に共通するのは、「俺より偉い者はいない」とふんぞり返る鼻持ちならない傲慢である。
 必要なことは絶えず自らに立ち返える謙虚さである。スピノザは裕福なユダヤ商人の子として生まれたが、汎神論的な言動からユダヤ教会から「異端」として破門され、レンズ磨きで生計をたてていたと言われる。ドイツ、ハイデルベルク大学教授に招聘されてもこれを断ってレンズ磨きを続けていたらしい。世界は神の調和に満ちていることを信じ、謙虚にひっそりと暮らしていたのである。
 スピノザのレンズ磨きの話は有名で、小生も若い頃「スピノザを見ろ。金にも権威にもへつらうことなく一生をレンズ磨きの工員として赤貧の中で暮らしたぞ」と言われたことがある。しかし、実際はそれほど生活に困ったわけではないようで、研究に没頭する時間はあったらしい。だから密かに「エチカ」という人類史に不滅の名著をも書くことができたのである。
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by Weltgeist | 2012-11-29 23:31

オール電化の危うさ (No.1546 12/11/28)

 昨晩から北海道は強い風を伴った猛吹雪で、送電線の鉄塔が倒れて大規模な停電が起こった。今やあらゆるものが電気でコントロールされていて、北海道では停電で暖房が使えなくなったらしい。
 ストーブはガスや灯油を燃すが、それは電気で点火、維持するから電気がないと使えない。氷点下の寒さのなか、暖房なしに過ごさなければならなくなったのである。照明からテレビ、パソコン、光電話も使えない。人はいつの間にか電気に縛り付けられていたのだ。電気の奴隷である。
 もしわが家が同じようになったらと考えた。家の暖房器具はエアコンとガスストーブだ。いずれも電気で作動させるから冬の停電なら寒さに震えるしかない。コンロ、オーブンは乾電池で点火するから煮炊きはできるが、電気釜は使えない。困るのは、トイレと風呂。トイレは最新式のウオッシュレットにしたが、流すときのフラッシュまで電動にしてしまった。第一、トイレの水をくみ上げるポンプが作動するかもよく分からない。
 何から何まで全部電気にお任せのオール電化に頼っていると、いざ長時間の停電が起こればお手上げになってしまう。便利さがあだとなる。不自由でもアナログな物も持っていないとこういうとき途方に暮れるのだ。
 昨年の東日本大震災の計画停電で、多少学んだつもりではあるが、我々の生活の基盤は極めて虚弱な物の上に乗っていることを改めて思い知らされた。全てを電化した最先端の生活は実はとても脆いのだ。
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 もう現代人はランプとたき火の生活に戻ることはできない。一度知った蜜の味は忘れられない。しかし、電気を産み出すシステムについて思いを馳せると、また違った局面が見えてくる。今年の総選挙はどうやら「原発」が争点のようだ。原発は即時廃止するという共産党から、曖昧な自民党まで様々な主張が繰り広げられている。
 昨日発足した滋賀県の嘉田由紀子知事が率いる「日本未来の党」は、卒原発というスローガンのもとに、第三極を結集するという。一方、「日本維新の会」は最初反原発を掲げていたのに、石原「太陽の党」と合流することで、原発反対の声がトーンダウンしつつある。
 小生も原発はない方がいい、だから反原発に一票入れたい。しかし、電気の重要性を考えたとき、そんなに簡単に止められるのかという疑問がある。第一に原発がなくなればコストアップで電気代は大幅に値上げされる。原発は嫌だが値上げも嫌だ、は通らない。第二に廃炉や使用済み核燃料の処理をどうするのか。こちらも膨大なお金がかかるし、放射性廃棄物処理場建設で大もめになりかねない。3年前に民主党がバラ色のマニフェストを掲げながら、現実の壁にぶち当たって失敗した例を思い出す。
 原発は反対だ、と口で言うのは簡単である。しかし、そうならそこに至るロードマップをしっかり示してくれなければ空約束にしか見えない。いまのところどの政党も具体的に原発依存からどう脱出できるのかの具体案を出しているところはないように見える。
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by Weltgeist | 2012-11-28 21:43

変な名前 (No.1545 12/11/27)

 昨日車のラジオを聞いていたら年末の紅白歌合戦出場者の名前を発表していた。でも、これまで紅白歌合戦を30年以上見たことがない小生には名前を知らない人ばかりだった。歌謡番組は興味のないジャンルなので、名前を聞いても ??? である。しかもそれらがヘンチクリンな、とても日本人とは思えない名前ばかりで、自分は今浦島太郎なのだなと、否応なく感じさせられてしまった。
 今朝改めてNHKのHPで名前を確認したら、「いきものがたり、きゃりーぱみゅぱみゅ、ももいろクローバーZ、HY、NYC、コブクロ、AAA、ポルノグラフィティ・・・etc.」とあって、小生にはどんな歌手なのか見当がつかない人が名を連ねている。
 「HY」とか「NYC」というのは、きっと何かの頭文字なのだろうが、「いきものがたり」となると分からなくなる。「粋物語り」だろうか、「生き物・語り」だろうか、それとももっと別な意味があるのか、ちょっと想像がつかない。さらに「きゃりーぱみゅぱみゅ」、なんて言われると目が回ってしまう。
 「そんなことも分からないおじさんは、紅白なんて見なくていいの! 」と若者に言われそうである。しかし、翻って自分みずからを考えると、そもそも「ミネルバのフクロウ」などと、ワケの分からないことを言って、しかもハンドルネームは「 Weltgeist 」と勝手に公言している。そう、この国では本名以外にどんな名前を付けようと自由なのだ。だから奇抜で目立つ名前の方がウケがいいのだろう。
d0151247_20542146.jpg きゃりーぱみゅぱみゅ、さんの本名は知らない。まさか日本で一番多い名字、鈴木か佐藤で、名前は秀子、つまり鈴木秀子、または佐藤秀子では、全然埋没しちゃうだろう。そう考えるときゃりーぱみゅぱみゅ、やはりインパクトはある。
 今日はヒマなので、NHKに続いてネットできゃりーぱみゅぱみゅ、さんを検索したら、本名は鈴木秀子ではなく、竹村桐子=たけむらきりこ、さんとあり、魅力的な娘であることを知った。この写真でも髪の毛がヴァンパイアのような形をしていて、とても個性的で変な名前をつけるのもさもありなんと思えた。
 きゃりーぱみゅぱみゅ、と竹村桐子のどちらをえらぶかとなれば、芸能プロダクションは当然きゃりー・・だろう。となると、「いきものがたり」さんや、「HY」さん等々もヒマつぶしに調べていくとまた新たな発見があって面白いかもしれない。でも、小生やはり今年も紅白歌合戦は見ないだろうなぁ・・・。
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by Weltgeist | 2012-11-27 20:57

魚のさばき方と魚食文化 (No.1544 12/11/26)

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 最近の日本人は家庭で魚を食べる頻度が減ってきているらしい。敬遠される理由は魚には骨や鱗があり料理しにくいからだ。だからスーパーで売られる魚は骨や鱗をあらかじめ取り去った切り身や干物が多い。
 しかし、小生、料理は作れないけれど魚を下ろして下準備することは得意である。釣り師たるもの釣ってきた魚を下ろせないなんてことは最低と思っている。せっかく釣られてきてくれた魚に敬意を払う意味でも魚の処理くらいできないと釣り師失格である。
 わが家では写真のような尾頭付きの魚を下ろして、サシミや煮付け用の切り身を作るまでが小生の役と決まっている。もう30年以上使い込んで柄が壊れかかった出刃包丁を毎回砥石で研いで、魚屋さんといい勝負ができるくらいきれいに魚を下ろす自信はある。
 しかし、昔はどの家でも出刃包丁くらいはあったけれど、今は出刃のない家庭が増えている。食文化が変わって魚を自分で下ろして食べることが少なくなっているからだ。きれいに切り身にされたスーパーの魚で十分、何も自分で下ろす必要などないのである。

 日本の魚食文化は次第に変わりつつある。一方で世界の魚食文化も変わりつつあるようだ。数日前にアラスカの巨大カレイ、ハリバット釣りをNHKーBSが放送していた。この番組のなかでアメリカ人釣り師が、釣ってきたハリバットのほほ肉を醤油とわさびを付けてサシミで食べていた。またアラスカの漁師が、サケの卵を醤油漬けにした「イクラ」を食べていたのには驚いた。 
 1980年代の終わり頃、アラスカのフィッシングロッジに泊まってキングサーモン釣りを楽しんだとき、アメリカ人釣り師が2~3㎏はありそうなキングサーモンの卵塊を内臓とともに捨てていた。小生たち日本人グループはキングの卵を醤油漬けにしてロッジの冷蔵庫に入れておくよう頼んでおいた。するとアメリカ人が寄ってきて「お前たちはあんな気持ちの悪い物を本気で食べるのか」と聞いてくる。気持ちは悪いが興味はあるのだ。だから「日本ではサケの卵はイクラと言って高級な食べ物でとてもおいしい」と言ったら、翌日から「イクラをいつ食べるのか」と興味深そうに聞いて来る。疑いつつも食べたいのである。
 数日して味がついたイクラを彼らに食べさせたら、最初は恐る恐るだったのが、最後はうまい、うまいと言ってイクラのレシピを聞いて帰っていった。
 アメリカでも欧州でも寿司がブームになっている。こうしたことでこれまで食わず嫌いで捨てていたイクラまで食べ始めたのだろう。しかし、魚の下ろし方は日本人の方がずっと上手だろうと思っていた。ところがこれが違うのだ。番組のなかでハリバットを下ろす人を写していた。それをものすごくきれいにやるのを見てまたまた驚いてしまったのである。
 包丁も出刃ではない。西洋ナイフのフィレットを巧みに使って魚を素早く下ろしていく。それが芸術的ともいえる見事な切り方なのだ。これを見て最早魚食文化は日本の専売特許ではないと思わざるを得なかった。
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by Weltgeist | 2012-11-26 23:58

飾り窓の子猫たち (No.1543 12/11/25)

 渋谷の街でちょっと明るい感じのペットショップを見つけた。お店の前では沢山のお客さんがショーウインドウの中を食い入るように見ている。中にいる猫と犬があまりに可愛いのでみんなが携帯のカメラで写真を撮っているのだ。すでに友人との待ち合わせ時間が迫っていたが猫好きの小生、ウインドウの中の子猫を見たらもういけません。足が止まってしまった。
 早速コンデジをとりだして写真を撮ろうとする。だが、一番いいアングルのところは外人の男女がカメラを構えていて撮れない。早く開けてくれないかなとジリジリしながら待つと、ようやく小生の番がきた。でもその時はすでに遅し。子猫は眠そうに半分目を閉じてまどろみ始めている。先ほどまで外人に見せていた可愛いカメラ目線にならないのだ。
 こうした場合、ちょっと音を立てて注意力を換気すればカメラの方を向いてくれる。しかしショーウインドウをたたくわけにもいかない。カメラを構えて猫が顔を上げてくれるのを待ったが、全然その気配がない。そのうちにA君との待ち合わせ時間が迫ってきたし、後ろには小生の撮影が終わるのを待つ次の人がいる。仕方なく眠そうな姿を妥協して撮ったのが下の写真である。
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 小生はこれまでペットショップから猫を買ったことはない。値札を付けた「商品」としてケージに入れられている猫たちに可愛いそうな気持ちを感じていたからだ。どんな高級な猫でも野良猫でも自分が飼ってみれば価値は一緒。それを金額の多寡で区別するのに抵抗感を感じる。わが家のイライは野良の雑種だが、小生にとっては高額なチンチラやアメショーよりずっと価値のある良い猫と思っている。
 生き物に値札をつけて店頭にさらすのは、たとえは悪いがアムステルダムの「飾り窓の女」や奴隷市場の人身売買を連想してしまう。しかし、これも現代の流通システムなら仕方がないのかもしれない。良い子猫をもらえるツテのない我々は、こうしたペットショップを通すしかない。お気に入りの可愛い子猫を見つけるチャンスは、ショーウインドウに飾られる「商品としての子猫」をそれ相応のお金で買い求めるしかないのだろう。
 しかし、いつも疑問に思うことがある。子猫の可愛い時期はせいぜい二ヶ月。もしこの間に買い手が現れなかった場合、彼らはどうなるのだろうか。大きくなれば可愛さも半減するのにえさ代はかさんでくる。このあと引き取り手のない大猫を寿命がつきるまで飼ってくれるのだろうか。ときどき、倒産したペットショップが子猫、子犬を捨てて新聞沙汰になる例もあるから疑問は消えない。
 まさか買い手のつかなかった大猫たちは、人知れず薬殺処分されることなどないことを願いたい。写真の子猫たちはいまのうちは可愛いから買われていく可能性はある。どうかその間に良き飼い主に巡り会うよう祈りたい。
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by Weltgeist | 2012-11-25 23:32

クリスマスセール (No.1542 12/11/24)

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 早いものであと一ヶ月でクリスマス、救世主の誕生を待ちわびるアドベントの期間が始まる。昨日A君と渋谷で待ち合わせるとき、少し早く着いたので久しぶりに渋谷の街を見たら、すでにクリスマスセールのディスプレイにしたお店が沢山あった。小生に馴染みの新宿と違って、渋谷は若者の街の感じである。歩いている人の年齢層が新宿とは全然違う。それに合わせてショーウインドウのディスプレイも若者向けになっていて、楽しそうな商品が売られていた。
 でも、それで物が売れているかどうかは分からない。人の数は多かったからそれなりのにぎわいは感じられたが、渋谷を歩く若者の懐具合はどうなのだろうか。多分景気が悪く、給料も上がらないから決して良いとは言えないだろう。そんなときは売る側でも必死に宣伝して買わせようとする。
 渋谷のような街では上手な売り方をしていて、油断すると食い気のない魚がついつい餌に食いついて釣り上げられるように買ってしまう。しかし、今の小生は自由に買い物をするだけの余裕がない。だから欲しい物があっても、さして必要性のないものは買わない、買いすぎないことを鉄則にしている。どうしても欲しい物があった場合は一呼吸おいて考えるのである。
 売る方は様々な宣伝手段を駆使してお客を誘惑する。その魅惑的な宣伝文句を一歩下がって冷静に考え直してみるのだ。「買いたいと思っているその理由は何で、買えばお前はどうなるのか」と自らに問いかけるのである。買いたい物も買えないのは寂しい話であるが、お金を本当に使いたいところに集中すれば、それは生きてくる。ドブに捨てるようなことにはならないのである。
 金の有効な使い道は人様々だろう。小生の場合は、今は海外旅行に使いたい。海外は歳をとっては難しい。行けるときに行っておこうと思っているのだ。さしあたって来年はインドかタジキスタンに行きたい。それには街の買い物とは一桁も二桁も違う金額が必要である。その軍資金を捻出するためにふだんの消費をセーブしているのだ。
 小生のような消費者ばかりだと、日本経済の消費は伸びず、経済はいつまでも停滞するばかりかもしれない。しかし、小生は買いたくても旅行以外で使える軍資金がない。「無い袖は振れない」のである。だからわずかなお金を爪に火を灯すような気持ちで生活している。微々たる原資を上手に使っていくしかないのである。お金は賢く使う、いつの時代でもこれが原則である。
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by Weltgeist | 2012-11-24 23:34

パルナシウスの王者・アウトクラトールウスバシロチョウ (No.1541 12/11/23)

 昨日、蝶の展翅について書いたが、今日も蝶の話題である。蝶に興味のない人にはごめんなさい。スルーしてください。

 今年の夏に一緒にインドへ行った「巨匠」の家に本日A君とうかがった。A君と渋谷で待ち合わせて、閑静な住宅街にある巨匠の家に向かう。ちょっと高台にある彼の家は、門を開けて入ると、庭に草がボウボウと茂っていて長らく手入れされていないように見える。しかし、草ボウボウに見えるのは蝶の知識が無い人の目、これらの草がいずれも外国のウスバシロチョウの食草であるベンケイソウの仲間で、着々とパルナシウスを育てる準備をしていることが小生たちには分かるのだ。
 お宅に上がると早速今年のインド反省会。まずは昨年に続いて今年も駄目だったタガラン峠のマハラジャウスバシロチョウのことになる。ところが小生が帰国したあとまで残った巨匠は、タガラン峠でマハラジャを採ったドイツ人に会ったり、マハラジャに関する新たな情報を得ていたらしい。
 昨年と今年で8日間も攻めながら結局ゼロだったことで、もうマハラジャは無理と小生は諦めていた。しかし、巨匠は今回新しいマハラジャのポイントも見つけたと言う。ここなら採れる可能性が高いから諦めるのはまだ早いと言うのである。
 マハラジャが駄目なら来年はパルナシウスの王者と言われるアウトクラトールウスバシロチョウ Parnassius autocrator に行きたいと漠然と小生は思っていた。「専制君主=autocrator」と名付けられたこの蝶はアフガニスタンからタジキスタンの厳しい岩山にわずかに生息する究極のパルナシウスである。世界中の蝶コレクターの永遠のあこがれで、日本人でこの蝶を採った人はほとんどいない。それだけにマハラジャよりはるかに難しいターゲットである。
 だが、巨匠はそれも2001年に採っているのだ。本日はそのときのビデオを見せてくれた。ビデオでは急峻なガレ場にひんぱんにアウトクラトールが飛んできて産卵するところが写っているではないか。初めて見るあこがれの蝶の飛翔に小生の目は釘付けとなり、心の中を引き裂くような驚きの声がわき起こってきた。
d0151247_23234146.jpg 左がそのとき巨匠が採集したアウトクラトールウスバシロチョウの標本である。興奮してピントの甘い手ブレした写真しか撮れていないが、後翅にオレンジ色の大きな紋がある独特の姿は小生の目にはたいへん刺激的に写った。この標本を見ているうちに「自分もこれを絶対採りたい」という思いが拡がって、ワナワナと震えがくるほど興奮してしまったのだ。
 昨年のインドの旅で書いたが巨匠は蝶のポイントを懇切丁寧に教えてくれるようなことはしない。全ては自分で判断せよという人である。それが今回はなんと2001年に彼がアウトクラトールを採ったポイントを地図上でマーキングまでして教えてくれたのである。ここまでくると、来年はタジキスタンのアウトクラトール狙いに照準を定めるしかないだろう。
 しかし、巨匠の意見はちょっと別で、「あなたは来年もう一度インドへ行ってマハラジャをアタックし、タジキスタンは再来年でもいいんじゃないの」と言うのである。確かに狙っていたマハラジャを諦めるのは自分としても悔しいところがある。今回教えてくれた新ポイントはマハラジャの可能性が高い別な場所のようだ。まずはここでインドのマハラジャを終えてからタジキスタンに行ったらどうかと言うのだ。
 アウトクラトールはまぼろし中のまぼろしで、簡単には採れないだろう。そんな難しい蝶に小生のような素人が挑むのは十年早いのかもしれない。アウトクラトールも採りたいが、ステップバイステップでインドのマハラジャを完成させる方が先かもしれない。
 来年どちらに行くか。できれば体が二つ欲しい。一つはタジキスタン、もう一つはインドでマハラジャに再チャレンジする。しかし、現実は厳しい。もしかしたら来年はどちらにも行けない可能性もあるのだ。全ての答えは来年の7月に出ているだろう。そのとき小生がどこにいるか、まだ自分でも全然分からないで決めかねている。

アウトクラトールの採集記はこちらをクリックしてください。
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by Weltgeist | 2012-11-23 23:28

機械化と熟練工 (No.1540 12/11/22)

 現代は何かやろうとしてもあらゆることが非常に楽になっていて全然困らない。身近な例ではわが家で毎日食べているご飯。最近の炊飯器は優秀で、昔とは考えられないほど進歩している。今から60数年前、小生が小学生だった頃、ご飯は炭火のコンロにお釜で炊いた。しかし、いつもうまく炊けず黒焦げになったり、芯のあるご飯を食べさせられたものである。
 ご飯を炊くやり方に「はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いてもふたとるな」という言葉があったが、いまは完全に死語になっている。最近の電子炊飯器はそんな手間をかけないでも完璧においしいご飯を炊いてくれる。最早現代人にかまどの火でご飯をおいしく炊く技術など覚える必要もなくなっているのである。
 世の中、万事がこれで、人間が技術的に関与する部分が年々少なくなっている。小生の周りではたとえばカメラ。誰にでもプロ並みの写真が撮れてしまうのでプロカメラマンの仕事量が減ってきている。とくにエディトリアル関係の仕事をやっているカメラマンは深刻だ。性能の良いカメラの出現で、素人である編集者自らが撮影したものでも間に合ってしまう。技術革新は能力の無い者を「熟達者」に引き上げると共に、これまでコツコツと自分の技術を高めてきた者が生きる場を失っていくのである。
 写真は撮る人の技術や感性であることを理解しない人たちは、新しいカメラが発売される度に「解像度がどうだの、高感度特性がどうだの」といった機能の話ばかりする。どうやったら良い写真が撮れるかは二の次にされているのである。さし当たって、機能が上のカメラを手にすればもう良い写真が撮れると錯覚するのも時代の趨勢なのだろうか。
 一方で卓越した技術が要求される分野はまだ沢山残っている。機械化が極端にまで進んだ医療の分野でも、難しい手術をこなすには「神の手」をもつ熟練した医師が必要とされていたり、町工場で人工衛星の部品のようなものすごく精巧な物を作る熟練工がいる。
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 技術という面では最近、蝶の収集を始めた小生にも直面した問題がある。捕まえた蝶を「展翅」といって、板に貼り付けて標本を作る。これが簡単のようでいてなかなか難しい技術を要求される。蝶の翅はとても柔らかく繊細のためすぐに傷を付けたり、触覚を折ったりする。ただ翅を拡げて、上からテープで押さえればいいというわけではない。きれいな標本に仕上げるには、熟練した手作業が必要なのだ。この技術だけはいくら機械化で便利になっても、ずっと変わらないだろう。
 小生のように展翅の技術がない人間には、名人並に自動展翅をしてくれる機械ができればありがたいが、技術を持っている人間にはありがたくない物となるだろう。機械化は誰もを容易に熟練者に引き上げ、コツコツと磨き上げた名人の「技術」を淘汰していく。これが進歩である。進歩とは人間性の退歩に他ならないのである。
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by Weltgeist | 2012-11-22 23:28

副作用に気をつけろ (No.1539 12/11/21)

 今週の月曜日(11月19日)、NHKクローズアップ現代の、「身近な薬の落とし穴」という番組を見て考えさせられてしまった。国はこのほど市販薬による副作用の実体を公表した。それによるとこの5年間で市販薬から重篤な副作用になったものは1220件、死んだ例が24人もあったという。市販されている薬でも、我々が考える以上に怖い副作用があることを警告していたのだ。
 番組では20歳の女性が風邪薬を飲んで、最初は左目の腫れから、原因不明の発疹が全身に出て死ぬ直前までいったケースを紹介していた。ごく普通の風邪薬を飲んだだけで死にそうになるほどひどい副作用に襲われたのである。原因は薬によるアレルギーで、SJS、スティーブンス・ジョンソン症候群というのだそうだ。
 そして怖いのはこうした薬による副作用が健康な人でも突然発症してくることだ。「オレは健康だから平気だ」なんて自信満々な人でも起こる。誰がなってもおかしくないと言っていた。
 発表された1226件の発症例の内訳は風邪薬404件、解熱鎮痛消炎剤243件、漢方製剤132件、禁煙補助剤70件、耳鼻科用剤47件、その他の薬となっている。風邪薬や鎮痛剤はお馴染みで、小生もしばしばお世話になっている。驚くのは副作用の心配はないと思い込んでいた漢方製剤でも132例もあることだ。番組では健康補助食品、サプリメントも危ないと言っていた。健康になろうと飲んだ薬が逆に人を死に追いやる可能性があるというのだからこまってしまう。
 こうなるとめったやたらに薬は飲めない。医師の処方にしたがった飲み方をすべきだろう。しかし、それとて完全ではない。小生は医師から処方されたワーファリンやバイアスピリンなど、血液が固まりにくい薬を毎日飲んでいるが、これの薬で出血と血栓という副作用にいつも悩まされ続けていた。
 ワーファリンが効き過ぎるとちょっとしたことでも出血し、それがなかなか止まらない。この副作用で何度もひどい目にあっている小生は、一時「こんな薬を飲むのは嫌だ」と言ってワーファリンを飲むことを止めたことがある。そうしたら恐れていた血栓ができて脳梗塞になってしまった。飲んで地獄、飲まなくて地獄というのが薬の正体なのである。
 病気なら仕方がないが、できることなら薬など飲まない方がいい。ところが健康で薬の必要性などない人が、異常な健康志向から大量のサプリメントを飲んだり、ちょっと体が不調だとすぐに市販薬を飲む人がいる。これは健康を維持するのではなく、死を呼び込む準備段階になるかも知れないということを肝に命じて薬は飲むべきだろう。
 薬を買うと必ず効能と並んで副作用も書いた注意書きがある。これを良く読み、素人考えで使用することはとても危険だということをいつもしっかり認識しておく必要があるのだ。
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by Weltgeist | 2012-11-21 23:58