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ついに70歳になってしまった (No.1521 12/10/31)

 今日、10月31日は小生の第70回目の誕生日である。ついに70歳という大台を超えたことになる。日本男児の平均年齢は79.44歳だというからうまくいってもあと10年しか余命が残されていない。すでに残された未来より過ごしてきた過去の方が7倍も長いのだ。そんな今の小生に必要なことは、これを機に自らの過去について検証することではないかと思う。
 自分はこれまで何をしてきたのか。何を支えに生きてきたのか。過去に思いを馳せたとき、自分はかなりいい加減な気持ちで人生を歩んできたことに気づいた。たまたまこの世に生まれてきたから惰性でここまで生きてきたのではないか。真面目に自分の人生に立ち向かったことがあったろうか。いつも根源的な問題から逃げてばかりいた気がする。
 思い出すと失敗や後悔するようなことしか浮かんでこない。それどころか以前は自分がこの世に生まれてきたことへの疑問ばかり考えていた。自分はなぜ生まれたのだ、むしろ生まれてこなかった方がどんなに良かったかと思っていたのである。あのギリシャ・ミダス王がディオニソスに「この世で一番良いことは何か? 」と問うたときの答え、「一番良いことは生まれてこないこと、次ぎに良いことは早く死ぬこと」という神託こそ自分の心境を表していると考えていた。人生など虚しく、無意味なことばかりではないかと思い、自分の存在を呪っていたのである。
 しかし、人生の意味について問うてもその答えは簡単には見つけられないだろう。なぜならこの問いこそ人類にとって永遠に続く謎であるからだ。だが、小生、歳を重ねるに連れて何となくその答えが見つかってきた気がするのだ。永遠の謎を解くキーワードが朧気ながら見えてきたと思っているのである。
 自分は永遠なるもの(それは神と言ってもいいだろう)からこの世に生まれるよう命じられ、ここまで生きながらえてきた気がするのである。すべては神の思し召しでこの世に送り込まれ、神の意志の一環として自分の人生を真っ当しつつあると思い始めてきているのだ。
 したがって、もし明日死んだとしても後悔などしないだろう。それは神が命じられたことと受け入れようと思っているのである。もちろん死は恐ろしいけれど、この世に生を与えてくれた方が命じているのだから受け入れるしかないのだ。
 人生の価値は長く生きたか短いかといった時間の長短ではない。むしろ短い人生の瞬間瞬間を全力で生き抜くこと、それこそが人生の意味ではないかと思う。手を抜いてはいけない。与えられた時間は限られているのだ。もし人生において苦しい目にあったとしても、それに絶望せずに立ち向かい、障壁を乗り越えていく。それだけが自らを高める道である。ここから生まれるのは、自分をこの世に送り出してくれた方、すなわち神への心からの感謝である。
 仮に絶望することがあっても決して無意味ではない。それに負けてはいけないし、怨んでもいけない。茨の道であってもそれが最終的には自己を高める試練であると思い、感謝して乗り越えることだ。そうすれば世界は必ず違ったように見えてくるはずである。
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by Weltgeist | 2012-10-31 22:39

富士山周辺をほっつき歩いていました (No.1520 12/10/30)

 二日間ほどブログを休むつもりでいたら、結局昨日までブログ掲載をストップさせてしまった。今まで富士山周辺をあちらこちら車と親からもらった二本の足で歩き回っていた。その間、ブログを書かないでいたが、書くことの重圧から解放されたことがこんなに楽だったのかと分かってビックリである。
 毎晩パソコンの前でシコシコやることなしに4日間も過ごせた気楽さは自分にとってすごく貴重だった。しかし、1400回も続けているともう体が自然に物を書く体勢になっていて、昨晩あたりから何も書かずに一日を終えると何か物足りないものを感じるようになってきた。やはりときどき休養しながらも、こうして文章を書いてブログは続けていく方が自分にはいいのかもしれないという気になっている。
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 さて、留守にしている間に政治の世界は大きく動き出したようだ。石原東京都知事が辞職して国政に参加するという。この人の生き方を見ていると、まったく小生が理想とするものと逆な気がしてならない。自分の考えが全て正しく他の人間は馬鹿ばかりだと相手をこき下ろす。東日本大震災の被害者に「天罰が下ったのだ」と言い放った人である。他の人を思いやる優しい心が欠如しているのだ。自分より偉い人はいないと思う傲慢ぶりにはついて行けない。
 09年10月5日のNo.514 で書いたように、もともとこの人の政治のやり方は思慮を欠いた無責任なものだった。前回、オリンピックを東京に招致する運動を大々的に立ち上げながら、もし招致に失敗したらどうするのかと記者に質問されたとき、石原知事は「その時点で責任取らなきゃいかんでしょうな」と言っていた。ところが結局その約束も反故にして知らぬ存ぜぬ半兵衛さんを決め込んでいた。
 No.514 の最後に「新東京銀行が経営難に陥ったときの知事の態度から、招致が失敗しても責任をとらずに逃げるのではないかと思っていたが、やっぱりだった。こんな無責任な知事は人間としても失格。すぐに辞めてもらいたいものだ」と書いたが、責任をとるどころか今度は一度投げ出した国政に戻って、日本を立て直すという。
 しかし、尖閣諸島買い上げ発言で中国と不必要な摩擦を作っておきながら、その尻ぬぐいもしない。彼の一言で日本経済はたいへんな打撃を被ったのにである。こんな人が日本の政治を動かしたとして、さらに中国との本格的な戦争にでもなったらどうするのだろうか。徴兵制を敷いて国民を戦争に駆り立て、反対する人を非国民呼ばわりするかもしれない。自分は弾の飛んでこない安全な場所にいて国民に犠牲を強いることだろう。
 最近の停滞した状況を打破するには強い主張をする政治家がいいと、大阪の橋下市長などの人気が高い。石原氏も同様に何かしでかしてくれると期待する人たちがいるが、政治的主張には深い読みと思慮、そして何事にも責任をとれる覚悟が必要である。それらを欠いた石原氏に期待するのはたいへん危うい発想である。
 石原氏は他の野党と小さな差異はあっても、この日本をどうするかという大同だけで結集できると考えているようだ。いってみればゴチャゴチャ考える前に行動せよということである。しかし、こうした差異があるから民主主義も成り立つ。先の見通しもなく、思いつきでやったことで他国との紛争に火を付けて火事になったらあとは知らないというような人に日本を任せていいのだろうか。
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by Weltgeist | 2012-10-30 22:02

明日、明後日休みます (No.1519 12/10/25)

 これからの季節、個人的には忙しくなり、家を空けることが多くなります。そんなわけで明日、明後日外出のため、またブログの更新ができません。次の書き込みは28日、もしかしたら滞在が長引いて29日になってしまうかもしれません。
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わが家にやって来た頃のイライです。あれからもう6ヶ月、動物の成長は早く、あっと言う間におとなの猫になってしまいました。子猫のままずっと成長が止まってくれたら良かったのにと思いますが、こればかりは仕方がないです。
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by Weltgeist | 2012-10-25 15:11

怒りについて (No.1518 12/10/24)

 若い頃の小生は気が短く、のべつ幕無しに怒っていた。他の人がやることなすことすべてが気に入らない。だから不満がたまり、時々怒りとなって爆発した。ちょっとしたことですぐに文句を言って怒り出すから「瞬間湯沸かし器」とあだ名されるほどの人間だったのである。
 また人と議論することが好きで、今で言うディベートを朝まで繰り返すなんてことをやっていた。弁舌はたつ方ではないが、議論は得意だった。そして自分の意見が間違っていると気づいても絶対それを認めようとせず、屁理屈を駆使して強引に相手をやり込め、「どうだ、俺様が正しいのだ。分かったか」と鼻息を荒くして勝ち誇っていたのである。
 威勢の良い小生はおとなしい従順な人を見ると「何で君は文句を言わないのだ。もっと怒れ」と相手をけしかけるほどだった。理不尽で欠点だらけの世の中は怒りを持って抗議しなければ良くならない。批判的な目で周囲を見渡し、不合理なことには徹底的に戦って正していくことが人間の進むべき道と思い込んでいたのである。だから、体制に丸め込まれ迎合する人たちを軽蔑し、プロテストすること、反旗を掲げることこそ必要と信じていたのである。
 ところが歳を重ねるに連れてこの考え方が変わり、怒ることが少なくなってきた。最初のきっかけは「お前は人を批判し、怒るほど正しい人間なのか」という自らへの疑問であった。そして怒りの内容を深く考え始めるようになって、自分が見当違いなことをやっていたことに気がついたのだ。怒るべきは外にある他人や物事ではない。内なる自分ではないかと考え始めたのである。
 怒りとは何だろうか。世の中を見渡せば目を覆いたくなるほどひどいことが沢山ある。これを見て怒らないのは人間としてあるまじきことではないかと思う。しかし、それを生み出してきたのは小生も含めた全ての人間の結果である。こうした不合理、不条理は人間の本質としていつまでも付いて回るものなのだ。世の中の怒りの原因を造り出してきたのはまさに自分でもある。だから人を怒る前に自分を正すことが先と思うようになってきたのである。
 納得できない不合理は正さなければならない。しかし、それでも不満の元は限りなく続いて生まれてくるだろう。外に怒りをぶちまけても根本的な問題は解決しない。なぜなら、人間はどこまで行っても不完全で、自ら不合理なことを造り出す身勝手な存在だからだ。自分の責任を差し置いて外に怒りを発することはお門違いなのである。
 むしろ大切なことは怒る前に自らを正し、他の人たちが不完全で不満足なことをやっていても感謝の念を持ってそれを受け入れることではないかと思うのだ。この世の中のどんなに悲惨で苦しいことも、それが自分を高める契機となると思えば受け入れられる。全てのことが自己を高みに導くための神からの贈り物と受けとれるのだ。逆説的だが、苦難があるから幸せもあるのである。怒り、不満ではなく、この世に存在させてもらっていることに限りなき感謝の気持ちを持つことである。ここに解決の糸口があるのだ。
 世の中にはやたらに文句ばかり言って怒りまくる人がいる。しかし、これこそが間違いの始まりではないかと最近の小生は思っているのである。
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by Weltgeist | 2012-10-24 23:51

年貢の納めどき (No.1517 12/10/23)

 兵庫県尼崎市の民家から3人の遺体が見つかり、ほかにも多数の行方不明者が出ている事件が大騒ぎになっている。なかには18年も前に失踪した人まで殺されているのではないかと言われ、事件はどこまで拡大していくのか分からない状況のようだ。被害者がいずれも犯人とされる女と親戚関係にあるのも異常である。殺された人たちと犯人と目される女の関係が複雑に入り組んでいて、思考能力が減退している小生にはいまだに全体像がよく理解できていない。
 女は自分は犯人ではないと否認しているそうだからまだ彼女が殺人を犯したかどうかは分からない。拙速な判断でオウムの河野さんのようなえん罪事件を生むことはつつしまなければならないが、現在のところ少なくとも4人の死体が見つかっているのだから誰かが殺したことは間違いないだろう。
 見つけられた死体は死後数年以上経過したものだというし、18年も行方不明の人も殺されていたとすれば、殺人事件がずっと長い間発覚することなく闇でうごめいていたことになる。まかり間違えれば闇から闇へ葬り去られていたかもしれないのだ。しかし、8人も殺せばどこかでぼろが出てくるものである。悪いことはできない。殺された人の無念さを思えば逃げ得はあってはならないのだ。
 殺人という罪を犯した以上犯人はお縄を頂戴して刑務所に送り込まれるのは致し方が無い。まさに裁きの神が年貢の納めどきを指し示してくれたのである。
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 武装した兵士が丸腰の市民を虐殺した残酷なシーンを見事に描いているこのステンドグラスを最初に見たとき、小生は「素晴らしい」と思って夢中でシャッターを押した。内容を見る前にステンドグラスのきれいさに目を奪われて、深く考えることをしなかったのである。
 しかし、そのあとじっくり見なおして、場面の残酷さに複雑な思いを抱くようになった。殺される市民の顔は血で赤く染まって命乞いをしている。殺さないでくださいとお願いしているのに、兵士の方は何の躊躇もなしに剣を振り下ろしている。そんな絵を自分は「素晴らしい」と思ってしまったのだ。
 この絵を見て自分がもし殺される市民の側だったらと想像したら、ゾッとするほどの恐ろしさを感じた。兵士が鎧を着ているからどこかの戦争のシーンを描いたものであろう。敵地を占領した兵隊が民衆を容赦なく殺戮しているのだ。これが戦争の本質である。
 一人二人を殺すなら罪を問われるが何千、何万、何百万人もの人が殺される戦争では価値観の転換が生じる。殺人罪どころか人を殺す行為が正当化され賞賛の対象となっていくのである。
 戦争を支配する精神は狂気である。尼崎の大量殺人はまさにこれと同じことをやっていくうちに次第に正常な精神状態ではなくなっていったのだろう。闇のなかで人知れず吹き荒れた「狂気の嵐」はいつか明らかにされ清算されなければならない。上の絵で殺される市民の悲惨さに人々の目が行くように、今回の警察の捜査で犯人に殺された人たちの無念の思いがみんなに知られることになった。裁きの神が最後の明かりを与えてくれたことで彼らの死が無駄死にはならなかったのである。
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by Weltgeist | 2012-10-23 23:56

正しいものの基準とは何か (No.1516 12/10/22)

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 一昨日と昨日の二日連続して万座温泉の写真をアップしたら妻から写真の色が変だと指摘された。自分のパソコンで見たときには「まあ、こんなものだろう」と軽く思ってアップしたものが、彼女のパソコンだと小生のと違ったくすんだ色になっている。
 パソコンのディスプレイに表示される色って十人十色で、全員がそれぞれ違った色に表示される。そのことを彼女の注意で思い出したのである。デジタルカメラの写真やパソコンのディスプレイは光の三原色、R(赤)G(緑)B(青)の三色の組み合わせで表現される。無限にある現実の色を三つの色で表現するのでどこかに無理が出て違った色に見えてくるのである。
 しかしそうはいっても表示が滅茶苦茶に違うわけではない。差は許容できる範囲のごくわずかな違いである。小生は昨晩アップするとき「こんなものだろう」と妥協しつつ掲載した。他の人も多少の違いは暗黙の了解をして見ていると思い込んでいたのである。
 それで今夜は、PhotoshopCS6で実際の色に近いよう自分なりに気を入れてレタッチした紅葉の写真をもう一度掲載することにした。小生のディスプレイはキャリブレーションされたものではないので不満はあるが、解像度は高いので昨日のものよりマシだろうとは思っている。これが皆さんのディスプレイでどのように見えているだろうか。恐らく見る人のほぼ全員が少しずつ違った色味で見えていて、中には変な色と感じる人もいると思う。
 実はPCで見る限りどんなにキャリブレーションしたディスプレイでも現実の色を再現することはできない。仮に小生が最高のディスプレイでレタッチし「これでいい」と判断した色味でも実際の色には及ばないから、今日の写真もどこかに破綻が出てくるのである。
 我々はそんなあやふやなディスプレイで色を判断しているのだ。そして、困ったことにはそうした曖昧なことを基準に自分の判断が正しいと思い込む人がいることだ。判断する側があやふやなことを忘れて「こっちが正しい」と判断する。そうした思い込みって実生活では他にもいっぱい例があるのである。
 正しいことの基準はあるようでいて実は無い、すごく曖昧なものなのである。そのくせ誰もが自分の判断は絶対正しいと思い込む。中国の反日デモ参加者を見ればよく分かるだろう。我々から見れば明らかにおかしいけれど彼ら中国人にとっては「絶対的な正義」の主張と思い込んで少しも疑わない。彼らにとって正義の基準が違うから、我々がいくら違うと言っても納得しないのだ。
 パソコンの能力が曖昧なのと同じで、正しいことを判断する側があやふやならその結果もあやふやになる。判断する側が正しいことの基準を明確に持っていない限り「正しい」とか「間違っている」とは言えないのだ。
 世の中にはこれと同じようなことが沢山転がっている。我々は正しいことの基準は曖昧だということを常に頭の隅においておき、何が正しいのかを考えつつ慎重に行動しなければ道を間違える恐れがあるのである。
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by Weltgeist | 2012-10-22 23:21

万座温泉から志賀草津道路へ (No.1515 12/10/21)

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 昨日の続きで、万座温泉から上に登って行くとご覧のような群馬長野県境の尾根道に出た。この道路は草津温泉から志賀高原まで続いている志賀草津道路である。標高が2000mを超えるところにある山岳道路だが、全線舗装で走行に問題はない。左右の景色はちょっと日本離れした感じでドライブしていてとても気持ちが良い。
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 北に向かって左側、つまり西側斜面は長野県。すでに森林限界を超えていて、高い山の頂上から見下ろすような素晴らしい景色が拡がっている。写真では暖かそうに見えるが、この日の気温はマイナス1℃。風がたいへん強く、車から降りて写真を撮ろうとすると、たちまち手が冷たさでちぎれそうなくらい痛くなる。
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 日本にある国道では最高標高の2172mという標識の近くから右側、すなわち東の群馬県側斜面を撮ったもの。長野県側と同じように紅葉したナナカマドが点々とあり、たいへん素晴らしいが、人間が実際に見ている美しさを小さな写真で表現するのは難しい。当EXブログでは左右850ピクセル程度以上の大きな写真は掲載できないため、大きく伸ばして風景の細部まで見せることができないのだ。自分の撮影技術の無さも情けないが、生の景色の迫力を伝えられないのがもどかしい。
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 さらに北に走って志賀高原に入ると右手に高い山が見えてきた。横手山(2304.9m)である。この山の頂上付近を見ると白くなっている。まだ10月だというのに雪でも降ったのだろうか。
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 300㎜の望遠レンズで頂上付近を見たら、何と木に霧氷が付いて白くなっているのだ。どうりで寒いわけである。驚くのはこんな寒いのにロープウエーで頂上まで登る人たちがいたことだ。小生はもちろん日和ってパスした。
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 熊ノ湯まで行ったところで草津側に引き返して来ると、西風がまともに当たる北西斜面が白く光っている不思議な所を見つけた。良く見ると木の枝に氷が付いていて、それが逆光で輝いているのである。これは撮らなければとカメラを持って車から降りると体が吹き飛ばされそうなくらい強く冷たい風が吹いている。このカットを撮るまでわずか5分程度だったが、あまりの寒さに指の先が凍傷になりそうなほど冷たくなってしまった。ところが外は猛烈に寒いのに冷たいのは指だけで体は不思議と暖かい。万座温泉で暖まっていたから体は冷えないのだ。こんな寒さにも負けない温泉ってすごい効果があるのだと感心してしまった。
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 白根山(2160m)から続くこの尾根の向こう側に、湯釜という噴火口の池があるのだが、あまりの寒さにもう車から外に出て歩く気にはなれない。車の窓を開けて大着して撮ったため、当然ながらそれなりに手抜きでしか撮れていなかった。
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 帰路は万座ハイウエーを戻るのではなく、草津温泉経由にした。草津温泉の中心地、湯畑まで下りてくるとすごい人である。旅館が建ち並ぶ狭い道を通り抜けていくが、万座温泉とは大違いの賑やかさだ。温泉地はこうした賑やかさがあった方がいいという人もいるが、小生には少し頭が痛くなりそうな人混みで、やはり万座の方が落ち着いていていいと思った。温泉は万座だけで十分と、草津温泉はパスしてそのまま帰途についた。
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by Weltgeist | 2012-10-21 23:36

万座温泉は紅葉真っ盛り (No.1514 12/10/20)

 今朝の朝日新聞土曜版「be」に読者アンケートで「行って良かった温泉地ベスト20」という記事が載っていた。それによれば一番良かった温泉は箱根、2番が草津、以下、別府、道後、有馬、登別、湯布院、城崎、熱海・・となるそうだ。小生が一番と思う秋田県玉川温泉はベスト20にも入っていないことから、この順位は個人的にはちょっと首を傾げたい。箱根も熱海も温泉としての規模は認めるが、温泉の質という意味ではもっといい温泉が沢山あると思う。
 昨日行った群馬県万座温泉は、2位の草津の隣りにあって目立たないが、1日540万リットルという豊富な湧出量を誇る硫黄泉はなかなかで、小生の順位でいけば十分10位以内に入れてもいいような素晴らしい温泉だった。しかも草津のような喧噪からも離れていて、周囲の山はまさに紅葉の一番良い季節、温泉と秋の景色を堪能できた一日を過ごせた。
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 万座温泉は東京から車で約4時間。関越道渋川伊香保インターを下りて中之条方面に走り、長野原で草津経由で行くか、その先の万座ハイウエーで行くか、二つのコースがある。どちらにしても渋川インターから草津入り口までは一緒の道だが、インターを下りても草津方面の道路標識がずっと出てこない。万座はともかく草津は上のアンケートで示すように日本第二位の超有名温泉で観光客も沢山来るだろうから、インターからしっかり標識を出してもらわないと、この道でいいのか走っていて不安になってしまう。
 おかげで草津入り口付近で道を間違えてしまった。そして万座鹿沢口駅の所でようやく万座の標識が出て来て万座ハイウエー(有料)に入ることができた。入り口周辺はまだ木々は青々としていてまったく紅葉していないが、20分も走るとご覧の通り次第に色づいてきて、景色が良くなってくる。
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 万座は温泉というよりスキー場で有名である。紅葉に染まった林の中に10軒ほどの温泉旅館、ホテルがゆったりと建っている。草津のように狭い路地に旅館が立ち並ぶというようなことはない、落ち着いた雰囲気である。付近には温泉の湯気が噴き出した場所が何カ所かあり、硫黄の臭いが立ち込めていた。
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 万座はいずれの宿も日帰り入浴ができ、好みの所を選べばいいだろう。ネットには万座日帰り温泉ランキングというものがあり、一位は入浴料の安い報国館(500円)、二位はハイウエー途中の嬬恋牧場レストハウスで800円の割引券が買える日進館。小生は眺めのいい「空吹き展望風呂」というのが売りの万座温泉ホテル聚楽(入浴料1000円)にした。
 この選択は大正解。お風呂は貸し切り状態で、ゆったりしている。泉質は白く濁った硫黄泉で、やや温めで長くつかっていても熱くてのぼせるようなことはない。ここにつかっていると、この夏痛めた左足と左腕の神経の痛みが不思議なくらい消えて行く。どうやらこの温泉は小生の傷の治療にはとても有効のようだ。こうしてガラス越しに紅葉の山を見ながら体を癒していると、「来て良かった」という気分になってくる。
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 これが聚楽売りの「空吹き展望風呂」。ここは標高が1800mあるのだそうで、白根山方面の紅葉した山を愛でながらゆっくりと湯船につかった。なお、写真の男性用露天風呂は湯船が一つしかないが、妻の話では女性用は二つあったそうで、やはり貸し切り状態の入浴が楽しめたと言っていた。
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 これが露天風呂から見た前の山の景色。赤色はやや少ないがそれでも素晴らしい紅葉が露天風呂に入っていて見えるなんて最高である。
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 温泉で十分体を温めたあと、今度は白根山がある志賀草津道路を目指す。標高が高いため紅葉している木は白樺が多くなり、すでに落葉が始まっているところもある。まもなく森林限界を超えて群馬と長野県境の高山性尾根になるが、それでもまだまだ紅葉は続く。
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 赤く点々と見えているのはナナカマドである。こうした景色がこのあとも次々と続いてくる。しかし、これ以上続けるとブログの掲載許容量を超えそうなのでこの続きは明日掲載します。

この項、明日に続きます。
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by Weltgeist | 2012-10-20 22:52

明日は掲載を休みます (No.1513 12/10/18)

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 ということで、明日は外出して帰宅が多分深夜になるため、ブログの更新ができないと思います。明後日土曜日に明日の詳しいことを書きます。行き先については今のところ秘密ということにしておいてください。というか実はまだはっきりと決めてはいません。多分上の写真のような温泉に行って夏に傷めた足の神経を暖かいお風呂で癒してくるのではないかと思っています。
 温泉に詳しい方なら、この写真を見てピーンとくるかもしれませんが、この温泉に行くかどうかも未定です。行くかもしれませんし、行かないかもしれません。とりあえず高速(関越道)に乗った時の気分で行き先を決めようと思います。
 詮索好きな方はこの写真を見てあれこれ推測してください。そして土曜日にはこの場所の名前も書きます。しかし、後ろの文字をよく見ると地名が書いてある。ま、読める人は読んで推測してください。誰でも知っている場所です。

何度も書きますが明日は休みます。
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by Weltgeist | 2012-10-18 21:07

カード社会の落とし穴 (No.1512 12/10/17)

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 昨夜は所用があって都内に出かけた。もよりの私鉄駅からJRに乗り換える電車利用である。最近はスイカの普及で一回ずつ切符を買う面倒くささがなくていいと思っていたら、財布に入れておいたスイカが改札口を通過する毎にエラーが出て清算できない。財布の中に何か電波を妨げる物が入っているのではないかと、カードが一番電波を受けやすい外側に入れておいても財布ごとタッチするとエラーとなる。この日、全部で6回改札口を通過したがすべての場所でエラーが出た。
 時間がなかったのでそのときは駅員にやり直してもらっただけで帰ったが、何かカードに不具合があるのではないかと疑っている。カードは便利であるが、こうしたトラブルが発生したときやっかいだ。エラーと表示されながら実際には清算完了していて、二重に支払っていても使用者には分からない。あるいは倍額の料金が清算されているかもしれない。一瞬出る料金の表示板など見ていない。現金なら財布の残金を見て確認できるが、カードは誤りが分からないのだ。
 この頃はちょっとした買い物もクレジットカードで支払う。カード社会になって現金の必要性が減り便利にはなったが、支払うときにお金を払っている意識が希薄になる。財布からお金が出ていくところが見えないので気が大きくなってついつい使いすぎてしまうのだ。でも実際には自分の口座から引き落とされるのだからお金は使った分だけ確実に減っていく。決済時に預金が不足していて払えなければブラックリストに載せられて、その後の生活で困ったことになる。無い袖は振るべきではない。打ち出の小槌はこの世に存在しないことを肝に銘じておかないとあとでたいへんなことになるだろう。
 アメリカではカードを持たないとレンタカーも借りられない、ホテルに宿泊することもできない。カードはアイデンティティを証明する身分証明書と同じで、これが無いと生活に支障をきたすのである。しかし、カードには様々な危険が潜んでいる。誰かにデータを読み取られて不正に使用される例は枚挙に暇が無い。怪しいお店でスキミングされないか、間違った金額を支払われていないかなど、常に気をつけていないと危ないのだ。便利なものには危険な落とし穴もいっぱいあるということである。
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 カード会社は会員を増やそうと様々な特典を付けて囲い込みを計ってくる。ブラックリストに載った人には冷酷な仕打ちをしながら、少々危なそうな人まで自社のカード会員にしようとする。そんなことから知らず知らずのあいだに何枚も複数のクレジットカードが増えてしまう。しかし、カードの数が多くなると管理が難しくなる。パスワードやピンナンバーをいくつも作って後でどれが正しいのか分からなくなるのだ。ピンナンバーを打ち込んでくださいと言われてうろ覚えのものを打ったら、「申し訳ありません、エラーが出たのでもう一度お願いします」といわれて困惑した人は沢山いることだろう。
 また、財布を落としたり盗まれたりしたら、全部のカード会社に連絡を入れなければならない。沢山あると見過ごしているカードもある。連絡を怠っている間に不正使用されたらたいへんなことになるのである。そんなことで今は一種類のカードしか使わないようにしている。カードも1枚、ピンナンバーも一つである。ポイント制をやっているところでは損をすることもあるが、安全性の保険と思ってポイントは諦めることにしている。
 しかし、最近は一枚しか持っていないカードの管理でもボケから混乱するようになってきている。複数枚なんてとんでもない。もう少し歳を取るとカードと口座の管理もできなくなるのではないかという不安な年齢に入りつつあるのだ。そうなると他人が不正使用していても気がつかない。もっとも、そのときは頭は完全なアルツになっているから、使われようと何も感じられないお馬鹿さんになっているかもしれないが・・・。
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by Weltgeist | 2012-10-17 22:50