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ヒマな一日を無為に過ごす (No.1466 12/08/31)

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 今日は8月31日、早いもので明日から9月である。それで今月を省みると、足を怪我して歩けないこともあって、ずっと外出しないで家に閉じこもっていた。外界との接触がないから、自分の身辺に関しては何も変わったことはない。毎日、食っちゃ寝るの繰り返しでほとんど怠け者状態の生活をしてきたのである。
 家にいてやることがないとなると時間が沢山余ってくる。ヒマができるのだ。この時間をどう使うか。朝起きて朝食を食べたら、新聞をじっくり読む。そしてテレビのワイドショーをボーッと見ているが、しばらくするとあまりにくだらない番組が多すぎると腹を立てて、今度は読書に取りかかるというのが毎日の行動パターンの始まりである。
 ところが、小生の足の痛みは半端でないから、本を読んでいても集中できない。痛くて神経がそちらに向いてしまい、読書は上の空となる。小説を読むと感情移入できないので、読んでいても一向に面白くないのだ。選んだ本が内容のないつまらない作品だから感動もないのだろうと思い、それでは内容の濃い哲学書でも読んでみようかとなる。このところ集中的に読んでいるフッサールの現象学を紐解くのだ。すると今度は難しすぎてさっぱり分からない。フッサール先生の言うことは回りくどくて、オツムの悪い小生にはチンプンカンプンなのだ。
 困ったことに分からないと足だけでなく頭も痛くなる。そうなると痛みという奴は相乗効果があるらしく、足の痛みが余計ひどくなるのである。たいてい午後3時過ぎ頃には耐えられなくなって、「こんなに痛いのならいっそ眠っていた方が楽になれる」と思うようになり、小生のゴミ溜め書斎の床にそのままごろりと横になって昼寝をする。
 眠るということは全ての痛み、悩みを忘れさせてくれる特効薬である。昼寝をしている間は、足の痛みから解放されるのである。そして、5時頃にもぞもぞと起き出すと、妻のいるところに何かを要求するでもなくモソッと行く。そろそろ夕飯の時間である。何の働きもなくても人間は腹が減ってくるのだ。だが、ここで「飯! 」と言いたくても我慢する。そんなことを要求すれば、妻から「何もしないで食べるだけの人」という小生には一番ふれられたくない言葉が出てくるからだ。
 ここは要求してはならない。黙って夕刊でも読んでいると、彼女もお腹が空くのか食事の準備をしてくれる。それまで我慢比べである。小生は「穀潰し」と言われたくはない。妻の食事にあくまで付き合っていっしょに食べるという家庭平和を保ちたいのである。ま、それでも空腹に我慢できなくなると時々「夕飯は? 」と催促の言葉を発し、「何もしないで食べるだけの人」という評価を受けてしまうのだが・・・。
 そうして夕食が終わったら、また「書斎」に戻り、9時頃から毎日のブログを書いて、11時前後にアップロードしている。これが今月の小生の平均的日常行動パターンである。
 こんなだらしない様子ってどこかで見かけた記憶がある。しばらく考えて、今年のインドで見た牛と似ていることに気がついた。口をモグモグと動かしていつも反芻して何かを食べているインドの牛って、どこか小生に似ていると思えて不思議な親近感を感じるのである。
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by Weltgeist | 2012-08-31 23:01

中国語について (No.1465 12/08/30)

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d0151247_21412418.jpg このところ小生の足が痛くて外出もままならないでいたら、日本に住むシンガポール人のRさん夫妻が家までお見舞いにきてくれた。Rさんは中華系シンガポール人で、英語、中国語以外に日本語も上手である。わが家での会話は日本語だったが、奥さんとはときどき中国語でも話していた。
 それを見て小生はRさんに中国語のことを聞いてみた。中国には小生が大好きなパルナシウスという蝶が沢山いる。とりわけ政情不安なチベット族が住んでいる地域がいいのだが、中国語ができない小生に行くことはむずかしい。しかし、なんとか筆談でことを済ませられないかRさんに聞いたら、これが案外可能性があることが分かったのである。
 彼が言うには中国語が分からなくても漢字を書けば相手は理解してくれるという。発音は違っても漢字の意味は共通なことが多い。その点で漢字を知らない民族、例えばアメリカ人などとは本質的に違うアドバンテージがあるから、筆談で十分意思の疎通はできると言って、いくつかの事例を示してくれた。
 中国語はまったく勉強したことのない小生、Rさんの言うことは新鮮で驚きがいっぱいだった。まず、中国語には時制というものがないらしい。普通は主語+動詞+目的語と並べるだけでいい。現在形が基本で、未来なら文の先頭に明天(明日)を、過去のことを言いたければ動詞に了という言葉を付ければそれで未来形でも過去にもできるという。英語のように時制の活用はないからやさしいというのである。
 例えば私という単語は「我」、見るは「看」なので「私は天安門を見る」なら「我 看 天安門」、過去形の「私は天安門を見たことがある」なら「我 了 看 天安門」、明日見るつもりなら「明天 我 看 天安門」と漢字で書けばいいらしい。旅行する程度ならこうした基本形のいくつかを覚えておき、それに漢字の単語をはめこめばたいていは通じるというのである。
 英語で最初に覚える This is a pen に相当する言葉は「~ 是 ~」である。これに単語を当てはめて「私は日本人です」なら「我 是 日本人」で十分通じる。同様に「私は~が欲しいです」は「我 要 ~」だからお茶が欲しければ「我 要 茶」と茶という単語を書いて相手に示せば絶対理解してくれるのだそうだ。
 むろん、漢字は同じでも中国語の発音は全然違うから言葉を発して会話することはできない。中国語の発音はたいへんむずかしいようで、これを即席で覚えるはことは無理だろう。しかし、旅行者が簡単な意志を表して旅をするくらいならこうした筆談で十分通用するという。
 問題は現代中国語の漢字は画数を大幅に減らした簡体字となっていて、これがわかるかどうかである。しかし、Rさんが帰って早速図書館で「筆談でらくらく中国語」という本を借りてきたら、小学校で習う1006の常用漢字で日本と中国で字形が異なるものはわずか189字しかないのだと書いてあった。この程度ならいくらアルツ予備軍といえども少し頑張れば覚えられるだろう。今のぎくしゃくした日中関係から中国は最初から諦めていたのだが、Rさんの話を聞いて来年の中国行きが少し現実味を帯びて来た気がする。
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by Weltgeist | 2012-08-30 22:20

ゴルゴとサムスンの油断と失敗 (No.1464 12/08/29)

d0151247_20224574.jpg ビッグ・コミックに掲載されたさいとう・たかおの人気漫画、「ゴルゴ13」(ゴルゴサーティーン)は小生が姉妹紙ビッグ・オリジナルにコラムを書いていたころからの愛読漫画で、一時は単行本を全巻集めているほど好きな作品だった。しかし、途中で知り合いにそれを貸したら、返してもらえず収集は中断している。漫画は現在も継続中で、相変わらずゴルゴは歳をとることもなくクールに人を殺し続けているようだ。
 ゴルゴは異常なまでに警戒心が強く、自分の背後に人が立つと有無を言わさず殴り倒した。背後から狙われることを恐れているのだ。だが、そうなら彼は常に360度、周囲に注意を配らなければならない。人間の眼は後ろにはない。背後を気にするなら、ひっきりなしに後ろを振り返る必要がある。劇画では異常に神経が研ぎ澄まされたゴルゴは、自分を襲う人間が背後に接近すれば気配で察知できた。
 しかし、いくら注意力があるといっても気配を感じる距離は知れている。50m以上離れた所から狙撃するスナイパーの気配を感じることはできないだろう。そして、ゴルゴのような人間は不特定多数の人間がいる繁華街を歩くこともできない。自分の背後にはすごい数の人間が歩いてる。その全てに注意を払うことは無理なのだ。
 人間である以上24時間、あらゆる方向に注意を向けていることなどできない。強い緊張はその前後に神経が緩んだ時間があるからできる。その時は逆に注意力を失った油断した状態であろう。これはどんな注意力のある人でも同じである。人は常に油断する危険性がある。ゴルゴがいつまでも死なないのは漫画の上だからだ。

 現在アップルとサムスンがスマホの特許問題で争っているが、サムスンは油断していたようで米国での裁判には負けてしまった。サムソンという名前は旧約聖書士師記に出てくる怪力の持ち主・サムソンから来ている。彼はものすごい怪力でユダヤ人を支配するペリシテ人をやっつけていく。その怪力の源は彼の髪の毛にあり、これを切られると怪力も失われるのだが、油断したサムソンはデリラという女に自分の急所は髪の毛だともらし、寝ているとき彼女に髪の毛を切られてしまう。怪力を失って捕らえられたサムソンは、目をえぐり取られるという残酷な目にあう。だが、ペリシテ人たちはやがてサムソンの髪の毛が新たに生えてくることを忘れていた。再び髪の毛が伸びてきて力を取り戻したサムソンは、ペリシテ人の前に引き出されたとき、宮殿の柱につかまりたいと頼む。油断したペリシテ人がそれを許すと、サムソンが柱を揺すって宮殿を破壊し、ペリシテ人をやっつけるという話である。
 漫画の上でゴルゴは失敗することがないが、現実にはサムスンはペリシテ人のように油断していた。どのような不備があったのか知らないが、きっとサムスンは床屋に行きすぎて髪の毛を短く切りすぎたのだろう。一瞬の油断で10億ドル(800億円)の賠償を命じられてしまった。だが、サムソンの伝説に従えば髪の毛はまた生えてきて、怪力は復活する。ビジネスの世界は食うか食われるかである。次は気をつけて油断しなければいいのだ。
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by Weltgeist | 2012-08-29 21:08

アポロ11号、人類の夢の実現と消滅 (No.1463 12/08/28)

 小生と同世代の人なら、必ず覚えているだろう忘れ得ない出来事が二つある。一つはダラスにおけるケネディ米国大統領暗殺事件、そしてもう一つがアポロ11号宇宙船による人類初の月面着陸だ。
 1969年7月20日、小生は白黒テレビで月面から送られてくる実況映像を食い入るように見つめていた。人類で初めてアポロ11号が月面に軟着陸し、月着陸船からアームストロング船長が月面に降り立つ映像を非常な興奮状態で見ていたのである。白黒の映像はゴーストの入った分かりにくいものだったし、同時通訳された言葉の意味もよく聞き取れなかったけれど、ついに地球以外の天体に人間が行ったことにものすごく感激したのである。
 そのときアームストロング船長は、
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。
That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.

という有名なメッセージを言っていた。そのアームストロング船長が8月26日、82歳で亡くなったという。この悲しむべきニュースを聞いて、小生はあの時の感動をもう一度思い出した。
 一人の人間にとっては小さなステップだが、人類にとっては偉大な飛躍。なんと素晴らしい言い回しであろうか。まさにアポロ11号の月着陸で人類はかってないほどの高みまで登り詰めることができたのである。このとき人々は科学の勝利を祝い、その進歩が人を幸福にするということに少しの疑念も持ってはいなかった。不可能と思われることも挑戦すれば、最後は勝利を得ると心から信じていたのである。努力は必ず報われるというアメリカンドリームの究極の姿をここに見たのだ。
 高度成長期にあった日本では成長神話が不動の地位を築き、みんなが次第に豊かになっていった時代でもあった。アポロ11号の成功が「努力すれば人は何でもできる」という進歩思想を後押しさせたのである。人は無限に進歩し、素晴らしい世界を実現して行くはずだ。その頂点にアポロ11号はいたのである。アポロの快挙は人類が一番幸福なときに起こった祝砲であった。しかし、それは同時に次の時代が進歩に対する疑い、失望をもたらすものとなることの合図でもあった。
 なぜなら、一方で米軍はベトナム戦争を激化させ、世界は北爆停止の反戦運動が広がりを見せていたからだ。ベトナム戦争では様々な新兵器が試され、それに科学の進歩が寄与していた。科学はアポロ11号の華々しい成果をもたらす反面、暗い影も生むことを非常に多くの人が理解し始めたのである。その後起こった各地の公害騒動や、経済的苦境は人類の進歩が幸福に直結するという甘い考えに疑問符を与えた。まさに科学や産業界の進歩をポジティブに見た頂点がアポロ11号の成功だったのである。
 今、世界は非常な苦難の中にある。進歩の歩みは止まり、貧富の格差の広まりから99%の人々が時を追う度に貧しく、苦しみを増している。アポロ11号の成功の時感じた感激なかに、こうした暗い予測をした人が何人いたろうか。アームストロング船長は人類の偉大な飛躍を成し遂げたと同時に、新たな苦難な世界が始まる展開点に立ってもいたのである。
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by Weltgeist | 2012-08-28 23:04

ワーファリンと打撲による内出血 (No.1462 12/08/27)

 先月インドへ行ったときは右足首を捻挫し、ひどい内出血から辛い思いをしていたが、実は帰国したあと、今度は左足が痛くて8月中はどこにも行けないほどの状態になっていた。原因は不注意による転倒で左大腿部を打撲したからである。幸い骨には異常がなく、痛みは1~2週間もすれば収まると言われていたが、打撲の3~4日後、膝から足首にかけて異様に腫れ上がってきて、打撲箇所と入れ替わるように足の下部が痛くなってきたのである。
 整形外科の先生が言うには、打撲をすると患部から内出血が起こるけれど、小生の場合は血液が固まりにくいワーファリンという薬を飲んでいるため、強い内出血がいつまでも止まらず足の下の方に血液がたまって神経を圧迫している、痛みはこれが原因だというのだ。今回、内出血は、打撲した翌日から始まり、3日目にはこれ以上足が膨らみようがないほどまでになって、足が我慢できないほど痛くなってきたのである。
 これ以上内出血が続けば、足の神経が壊死する可能性もある。解決策はワーファリンの服用を一時的に中止することである。しかし、ワーファリンの効果は中止後3日くらいは残るので、それ以上止めないと効果は望めない。といって長く止めると脳梗塞や心筋梗塞の危険性が高まる。
 実は以前小生はワーファリンを止めて脳梗塞を起こした前科があるのだ。手足が麻痺したあの時の恐怖をもう一度味わいたくはない。しかし、あまりのに足の痛さには耐えられない。脳梗塞など起こらないでください、と祈るような気持ちでワーファリンを6日間止めたのである。
 6日間の服用停止で内出血が本当に収まったかどうか、実はよく分からないのだが、足の腫れが心持ち引いてきた気がしてきた。しかし、それからもう3週間近くなろうというのに、腫れの引き具合は遅遅としている。まだ猛烈な痛みがあって、まともに歩くこともできないでいたのである。
 幸いにして、今週に入って少し好転してきたが、先週の前半頃は本当に辛かった。とにかく足が痛くて何もやる気になれない。このブログを書くのも苦痛で休筆したかったほどである。何とか頑張り通したが、多分8月分の内容については皆さん「手抜きだぁ」と感じたことだろう。
 今日は外に出て歩けるまでになったので、心臓の定期検診とワーファリンの効き具合をチェックしてもらうため、S病院に行って**先生に診てもらった。結果、現在の血液の粘度(PT-INR)は適正だが、5月ころから8月の初めころまで異常に出血しやすくなっていたらしい。そういえば右足を捻挫して内出血が右足首に起こった6月の定期検診のとき、**先生が首を傾げて何でこんななんだと言っていたことを思い出した。あの頃からワーファリンが効き過ぎてちょっとしたきっかけでも内出血が起こりやすくなっていたのだ。
 ワーファリンはただ定量の薬を飲めばいいというものではない。例えば納豆とかクロレラのようにビタミンKを大量に含んだ食品を食べると、血液の粘度が変化する。納豆、クロレラを食べなくてもビタミンKを大量に含む食品は沢山ある。知らずに食べて出血しやすい状態になる不安定な薬だから服用量もそのつど注意しなければならない。そのためにもいつも怪我をしないように慎重に行動しなさいと**先生には怒られてしまった。
 年を取れば誰もがいくつかの持病を抱えている。小生の場合は心臓病である。これをコントロールするためにワーファリンを飲む必要があるが、そのことで今度は内出血だ脳梗塞だといったやっかいな病気をも呼び込む。以前はこれで胃潰瘍までやっている。こんなに厄介な薬を飲むなんてゴメン被りたい。しかし、それでももう少しは生きたいなら飲むしかない。面倒な年代まで生き延びるということはこういうことのだろうと、半ば諦めているのである。
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by Weltgeist | 2012-08-27 23:08

欲望のまま自由奔放に (No.1461 12/08/26)

d0151247_1521854.jpg わが家にやって来て4ヶ月、子猫のイライを見ていると色々考えさせられるものがある。野良猫の子供として生まれた直後にもらわれてきたので、自分が野良の生まれなんて卑屈な考えは一切持っていない。それどころかこの家で一番偉いのは自分で、小生たちは彼の家臣だという振る舞いをする。
 小生がインドへ出かける前の6月末には、いたずら盛りがこうじて噛みつき癖がひどくなっていた。その癖は今も相変わらず直らず、連日小生の手足をかじっている。小生たちは少なくともこの噛みつき癖だけは何とかしたいと思っているが、イライにとって噛みつくことは我々と遊びたいことの表現なのだろう。怒られても何がいけないのか理解できない。せっかく楽しくじゃれ合いたいのになぜ自分が怒られるのか分からのである。
 今のところイライは自分がやりたいことをやりたい風に自由に行っている。家の中に閉じこめられた「井の中の蛙」状態であるが、まだ大海を知っていないから、彼は最高の人生、いや猫生を送っていると小生は考えている。何が良くて、何が悪いことなのか、人間を縛る道徳律のようなものなど存在しない。イライは欲望のおもむくままに、自由気ままを楽しんでいるのである。 
 小生が猫が好きなのはこの点である。人間は欲望が欲するがままに生きることはできない。欲望があっても簡単には実現できない無数の制約が人間社会にはあるからだ。ところが猫は人間にはできないそうしたことを少しの気兼ねもなくやり通すのである。
 欲望こそ人を苦しめる元凶なのだと禅宗の坊さんたちは言う。越後の良寛和尚は欲望を追い求めることが人間を不幸にする、無欲こそ煩悩から抜け出す道だと説いている。
無欲一切足      欲なければ一切足り
有求万事窮      求むる有りて万事窮す。

 欲があるかぎりいつまでたっても人は満足できない。欲しいと思う気持ちには限りがなく、足るを知ることができないから、最後は行き詰まる。欲に走れば万事窮するのだ。だから何も欲しがらない、何も望まない。ただ与えられた自分をそのまま満足して受け入れることが心の平安をうることであると良寛は言っている。
 とすれば、欲望の思うがままに振る舞うイライはどうなんだろうかと思ってしまう。人は欲望があるから悩む。しかし、それだから人間なのである。動物と違って人は欲望のままに生きることはできない。欲望をコントロールすることで人は大人になっていくのだが、それはまた煩悩とストレスが渦巻く世界の住人になることをも意味している。
 イライの欲望充足まっしぐらは本当にうらやましいと思う。そして、自分が実現できなかった世界をイライの中に見いだすことで、小生は煩悩に悩む自分の心を癒すのである。
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子猫のときと比べるとすっかり大人になっているが、いまだに遊び盛りで、いくら駄目と言ってもテーブルの上に乗って暴れ回り、右手で猫パンチを繰り出そうとしている。もらわれてすぐのころ撮った上の写真も、よく見るとやはり同じように右手で猫パンチをやろうとしているし、すでに妻の左手はイライにやられた傷跡が何カ所もある。今後イライには去勢という大きな関門が待っている。それをクリアしたらおとなしい猫になるだろうか。
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by Weltgeist | 2012-08-26 22:50

真の美は永遠の中で姿を表す (No.1460 12/08/25)

 世界的なオークションハウスであるサザビーズの日本支社から年に数回、「ホワイト・グローブ」という日本語によるニュースレター ( DM )を小生宅にも送ってくる。今月受け取ったばかりのニュースレターの扉には「アートにまつわる名言」という文があり、ピカソやダリ、ディエゴ・リベラなどが語った有名な言葉が書かれていた。その中にジャン・コクトーのアートの永遠性についての次のような言葉があり、印象に残った。

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。
一方、流行は美しいものを生み出すが、必ずそれは時とともに醜くなる。


 コクトーが上の言葉をどこで言ったか知らない。しかし、これはたいへんな自信である。今我々が流行の最先端で美しい、美だ、といっているものは実はまやかしで、時間という洗剤で洗い流せば、その裏には美でも何でもない物が現れてくる。本当の美はむしろ現在の流行からみれば醜悪でとても美であるとは言えない物の中に潜んでいて、永遠という時が経過するととともに次第に美の姿を表してくるものである。だから俺の芸術も時が経てば美として評価されるだろうと言いいたいのだろう。
 ゴッホにしてもモジリアニにしても、彼が生きた時代には理解されなかった。ゴッホは精神病院で、モジリアニは極貧のアル中で若き生を不遇のうちに終えていった。確かにその時代の人たちは美を見抜く能力がなかったと言われても仕方がないだろう。同時にゴッホの時代に一世を風靡していた「人気芸術家」の大半は、その後消えていって今では名前さえ思い出されない。流行を追った人たちは目くらましにあって騙されていたのである。
 以前、日本の有名画家の多くは死後、生前の評価が下落し、50年もたてば限りなく普通の絵描きレベルになると書いたことがある。それは日本の画壇が画廊との持ちつ持たれつの関係で、画家の評価を「作り上げていた」からである。画廊は有望と思う画家の面倒を見、彼の絵が高額で売れるよう支えるが、死んでしまえばもうそれをする必要はない。絵は人為的な買い支えから経済の原理に従って次第に適正な価格に落ち着いていくということであった。ただし、真に才能のある画家だけが、死してなおその威光を保ち続ける。コクトーがいう「時とともに美しくなる」とはそういう意味だ。
d0151247_22434947.jpg 左の絵はロイ・リキテンシュタイン(Roy Lichtenstein、1923-1997年9月29日)が1964年に描いた「 Sleeping girl 」である。この絵が今年の5月9ー10日、ニューヨーク・サザビーズのコンテポラリーアートに出品され、4488万ドルというアーティスト記録最高の金額で落札されたことが同じ「ホワイト・グローブ」で紹介されていた。
 リキテンシュタインは15年前に亡くなっているから流行作家とは言いがたい。コクトーの分類から言っても、すでに永遠を指向する作家の部類に入っているかもしれないが、美的センスのない小生には今なお、漫画家の絵という感覚を飛び出せないでいる。仮に自分がものすごいお金持ちであっても、4500万ドルも払ってこの絵を買う気にはならないだろう。
 皆さんはこの絵を見てどう感じたろうか。また、数百年後にラファエロやダヴィンチと同じく美しいものとして高い評価を持ち続けているだろうか。残念ながら美的判断力に自信を失っている小生にはその問いに答えることができないでいる。
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by Weltgeist | 2012-08-25 22:46

竹島問題についてはどう対応するか (No.1459 12/08/24)

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 昨日尖閣諸島のことを書いたが、もう一つの懸案事項は竹島問題だ。こちらは尖閣とは逆で、日本の領土が韓国に強引に奪取され、60年も実効支配を続けられていることにある。竹島が1905年に島根県の所属として登録されて以来、国際法上は一度も韓国領と認められてはいないのだから、ここに韓国が居座るということは、他人の家に上がり込み、「俺の家だ」と言って不法占拠するのと何ら変わらない。
 しかし、いくら俺の家だから出て行ってくれと言い続けても、軍隊が常駐し、民間人までもが観光客として次から次へとやって来るとなると、多勢に無勢となってしまう。そういう強引な方法でよそ様の土地を奪い取る状況が成功を収めつつあるところで今回の問題が起こった。
 解せないのはなぜイ・ミョンバク大統領がこの時期に竹島に行く必要があったかだ。彼が行くことで実効支配をより強固にできると思ったとすれば、彼は大きな間違いを犯したことになる。平穏に隠しておきたかった不法占拠を、彼の来島で逆に世界に知らしめてしまったからだ。韓国の不法ぶりを声高に訴える絶好のチャンスを与えてくれたわけである。これは国を治める政治家としては決定的なミスである。天皇の謝罪要求などもあわせると彼は政治家としての能力、資質に欠けた人間と言われても仕方ないだろう。
 今回の韓国大統領の竹島上陸という強硬行動の行く着く先はどうなるだろうか。昨日、尖閣での中国とのトラブルは武力行使による中国軍の島上陸を誘うと述べたが、竹島では自衛艦が島を攻撃して奪還するというような戦争状態は考えられない。しかし、日本側からの批難の声がいっそう高まることだろう。そうなると、問題が複雑化するほど韓国の立場が不利になる。国際司法裁判所でどちらが正しいのか判断してもらうことを逃げていた韓国は、自国の法的正当性を証明しなければならない。自国が正しいならそこで堂々と主張すればいいのに、それはできないのだ。
 要するに、イ・ミョンバク大統領のやったことは、自ら墓穴を掘ったということである。竹島に行って一時的には気持ち良かったかもしれないが、そのあと高いつけを払わされることを考えていなかったという点で、国を率いるリーダーとしての素質を疑われてしまった。
 逆に、日本は今回の件で感情的になることはない。相手の出方によって、それに見合う対向処置をとればいいのだ。通貨危機に対処するためのスワップを断られたりしたら、韓国は大打撃を受けるだろう。丁度、中国にレアアースを禁輸された日本と同じようなダメージを被る。韓国が世界に知られまいと隠してきた竹島の違法占拠が明らかにされ、韓国のイメージは下がり、日本からの観光客も激減する。良いことは一つもないのだ。
 レームダックだったイ・ミョンバク大統領が起死回生に行ったことは、天に唾して自らにかかる事態を招いた愚行と言えよう。
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by Weltgeist | 2012-08-24 22:27

尖閣問題、想定外の反応 (No.1458 12/08/23)

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 香港の活動家が尖閣諸島魚釣島に土足で踏み込んで「ここは中国の領土だ。小日本は出て行け」と叫んだことにはひどく腹がたった。日本はもっと強硬に対応しなければなめられるばかりである。だが、強硬に出たときの中国の反応についてどこまで予想していただろうか。単なる小競り合いの段階で終わると考えていると判断を間違えると 軍事評論家の田岡俊次氏が今日のテレビで語っていた。
 挑発にしっかり反撃せよと言っても、それで中国と本格的な戦争にまで発展はしないと考える人が大半だろう。しかし、それは甘い。中国の歴史を見れば国境を接する国々と絶えず戦争を繰り返してきている国だからだ。
 先月、小生はインド北部に行ったが、ジャム・カシミール州ラダックの北側には「アクサイチン」という3万平方キロにも及ぶ広大な地域がある。ここを中国が武力で占領し、今は中国領として実効支配しているのだ。1962年、米ソがキューバ危機で緊張している隙に国境問題で対立していたアクサイチンに軍隊を派遣し、インド軍をけちらして自分の領土としたのである。中国は領土問題では本格的な戦争になることも辞さず、武力を使って強引に占領する国なのだ。
 例えば1969年にアムール川(黒竜江)支流ウスリー川の中州にあるダマンスキー島(中国語名珍宝島)の領有権を巡ってソ連との間で大規模な軍事衝突が発生している。このときは4,380kmの長さに及ぶ中ソ国境線の両側に、65万人のソ連軍と81万人の中国人民解放軍部隊が対峙し、ソ連軍側はダマンスキー島での武力衝突で31人の死者と14人の負傷者を出している。
 さらに中国は1984年にはベトナムとの国境紛争を起こしている。このときの戦闘でベトナム軍は推定3,700名分の遺体を残して敗退した。これ以降の中国は、ベトナム沖合の海洋利権確保を計画して南沙・西沙諸島への進出を図り、1989年3月にジョンソン南礁の衝突(赤瓜礁海戦)で再度ベトナムと交戦し、ベトナム水兵70名以上が死亡。海上の戦いでも勝利を収めた中国はこの海戦で赤瓜礁のほか、永暑礁、華陽礁、東門礁、南薫礁、渚碧礁と後に名付けられた岩礁または珊瑚礁を手に入れているのである。
 このような過去の実績を見れば、尖閣問題が先鋭化してくれば中国の思う壺で、本格的な戦争状態になる可能性が強いと考えざるをえないと田岡氏は言っている。尖閣問題で中国に憤りを感じている人は、こうした可能性をどこまで想定しているのか、しっかり考えておく必要があるだろう。
 2010年に起こった中国漁船員逮捕で、中国はレアアースの輸出停止、中国本土にいる日本人の拘束という対抗手段を講じた。その程度の危害でオタオタしているようでは相手に足もとを見られてしまう。戦争になれば国交断絶、中国に進出している日本企業の財産没収、さらに核ミサイルの照準を日本に合わせることくらいはやりかねない。7月13日の人民日報は日本の尖閣諸島国有化方針に対して「釣魚島問題を制御できなくなる危険性がある」「日本の政治家たちはその覚悟があるのか」と武力衝突に発展する可能性を示唆している。つまり日本は我々と戦争をやる気かと脅しをかけているのだ。
 日本は日米安保条約でアメリカと同盟関係にあるから、いざとなればアメリカが守ってくれるだろうと我々は考えているが、田岡氏によればこれも甘い幻想だという。もちろん中国の核ミサイルに対してアメリカは守ってくれるだろうが、領土問題のような微妙な地域紛争には中立を守り、日本に加勢してくることは期待できないだろうと言っていた。つまり、我々は尖閣問題で中国は戦争までしない、もし戦争になったらアメリカが助けてくれるといった希望的観測は全てを捨てて、現実的になる必要があるというのである。
 現実的とは、尖閣を日本領土として世界は認めているのだから、ここで中国を煽りすぎて戦争にまで発展させないということである。ナショナリズム的に考えれば腹の立つことばかりだが、ムキに感情的になることは、相手の手に乗ることになる。一番効果的な方法はやはり田岡氏が指摘するように、クールな戦略で挑むことではないだろうか。
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by Weltgeist | 2012-08-23 22:53

異常気象の夏 (No.1457 12/08/22)

 昨日書いたアメリカの大干ばつだけでなく、いま地球全体が大きな気候変動の渦の中に巻き込まれつつあるようだ。例えば北極海での氷塊は毎年小さくなっていると言われている。今年は昨年に比べて本州二個分ほどの広さが少なくなっているのだという。そうなると氷の上で生活しているシロクマは、自分の住める場所がなくなることになる。彼らはアザラシみたいに常に海を泳ぐ水上生活状態に転換する術を持っていないからどうしたらいいのだろうか。
 やはり地球は温暖化に向かって急速に暖かくなっているのだろうか。日本の夏もこの数年異常なほど暑く、亜熱帯化したのではないかと言われるほどひどい。今日もわが家の猫額庭には南の暖かい地方にしかいなかったツマグロヒョウモンが飛んできていた。50年前は九州にしかいなくて、子供ながらあこがれたナガサキアゲハさえも温暖化でしばしばわが家にやって来るまでになった。蝶という虫の勢力分布の変化を見ているだけでも、明らかに日本の平均気温は上昇していていることが分かるのだ。
 しかし、北極の氷の解け方が異常だ、東京で熱帯の蝶を見たという報告を聞いても、我々個人ではどう対処していいのか分からない。少なくとも地球温暖化の原因が二酸化炭素の過度な排出にあるとするなら、できる範囲でそれが少なくなるように協力するくらいしか手はないだろう。だが、それで地球規模での気候変動を止めることができるのだろうか。
 百年後の東京が今のマニラくらい、稚内が東京くらいの暖かさになっているかもしれない。しかし、これはあくまでも予測であって、実のところ将来なんて分からないのだ。もしかしたら、東京が稚内並に寒くなっているかも知れないのである。
 地球の誕生は46億年前と言われている。それから人類が発生するまで目まぐるしい気候変動があったことは様々なデータから分かっている。地球温暖化で平均気温が1~2℃変動するといって騒いでいるが、激動期には数十℃くらいは平気で変動したのである。そんな不安定な状態は1万年前くらいまで続いていた。今は「間氷期」といって気温は比較的安定しているが、1万年前に地球は氷河期に入っていて、猛烈に寒かったのだ。地球の気候は変動していて、いつ次の激変期に移ってもおかしくはないのである。
 今日の地球温暖化の引き金を引いたのは人間の仕業であることは事実であろう。二酸化炭素の排出量を減らすという国際公約は果たさなければならないが、それで地球の気候変動をうまくコントロールできるのだろうか。温暖化防止に真剣に取り組んでいる科学者には申し訳ないが、結局、問題が巨大すぎて人間は翻弄されっぱなしに終わる気がするのだ。
 そうした変動の中に人は上手に適合していくしかない。暑さ寒さをエアコンでしのいだように、人間は何らかの知恵で少々の気候変動はしのげるだろう。だが、そうした力を持たない他の自然生物は、なすがままに変動に翻弄されていくしかない。シロクマは溺れ死ぬしかないのである。
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インド・ザンスカールヒマラヤのヌン山(7135m)から流れ出るヌンクン氷河の末端。ここでも氷河の衰退が激しく、先端部が年々後退しているらしい。もし50年後に再びここに来ることができたらこの氷河はどうなっているだろうか。
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by Weltgeist | 2012-08-22 23:57