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明日と明後日、掲載を休みます (No.1438 12/07/30)

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 現在続けている「インド・パルナシウスの旅」の7回目ラマユルについて、本日書く予定をしていましたが、急な用事のため二日間家を空けることになりました。申し訳ありませんが、明日、明後日のブログの掲載が不可能となったため、次回は8月2日以降にさせてくださるようお願いいたします。
 
次回、インド旅行記7は8月2日となります。
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by Weltgeist | 2012-07-30 19:48

インド・パルナシウスの旅、6、再びタガラン峠へ (No.1437 12/07/29)

 今年のインドは蝶にとってどうなのか。タガラン峠とラチュン峠で見た限りどうやらハズレ年ではないかと思えてきた。周囲の山の雪が昨年より多く、蝶の発生は遅れている気がしてならない。どこへ行っても蝶の姿を見るのがまれで、苦戦しているのは最盛期を外しているからではないかという思いが次第に強くなってきたのである。 
 昨日のラチュン峠は、たまたま小生が後から行った場所だけが当たりであった。だが、A君、巨匠とも芳しくはなかったようだ。全般的には蝶の数は非常に少なく、状況はあまり良いものとは言いがたいのである。
 そして、今日は三泊四日の旅の最終日、夕方にはレーに戻っていなければならない。計画では戻る途中でもう一度タガラン峠を調べる予定であるが、昨日までの結果などモロモロの状況を考えると、ここでもあまり期待できそうもないようだ。
 タガラン峠はラダックでも一番有望な蝶のポイントである。以前ここに行かれた方の話を聞いたとき「パルナシウスはいっぱいいた」と軽く話していた。そんな場所で今年はほとんど蝶の姿を見ることができていないのである。
 しかし、それでも朗報はある。捻挫していた小生の足が少しずつ良くなってきたことだ。毎日冷水で患部を冷やし、湿布を繰り返していたことの効果が出てきたのである。心配していた高所の低気圧による内出血も治まり、腫れも引いた。足はまだ痛いが仲間に遅れない程度に歩けそうになってきて、それまで小生の頭の上にかかっていた重い暗雲が遠のいてきたのである。長かった不遇の時期はこれでおさらばできそうなのである。
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7月4日
 別にレーのホテルが懐かしいわけではないが、状況が思わしくない今、一旦レーまで戻って体勢を立て直すのは気分的にはよろしい。今日はラチュン峠まで来る途中で攻めたタガラン峠をもう一度攻めるが、何度も見慣れたタガラン峠も東の方から見るとこんな具合である。ただし、写真では緩やかな丘のように見えても、実際に歩くと急傾斜の崖が多く、しかも空気が薄いから行動はかなり制約される。5000mオーバーの山は甘くはないのである。
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 さて、四日ぶりに戻ったタガラン峠を歩き始めると、すぐに白い蝶が飛び出した。それを見た巨匠が「マハラジャだ」と言ったが、三人とも手も足も出ない。このときは10mくらいの強い風が吹いていて、マハラジャはそれに乗ってアッという間に遠くへ飛び去ってしまったからだ。しかし、普段寡黙な巨匠が「マハラジャ」と言うのだから、あれは間違いなくマハラジャウスバシロチョウだろう。それまで本当にいるのかどうか多少疑っていた小生も俄然やる気になる。
 しかし、写真をご覧になれば分かるが、先ほどまで晴れていた空に雲がかかってきている。パルナシウスは太陽の光がさんさんと照りつけるときだけ飛び、日が陰るとすぐに消えてしまう蝶である。最初にみんなで見たマハラジャの後、ずっと曇り空でまったく蝶の姿を見ることができないのだ。
 昨年、マハラジャを何度か目撃した岩尾根の方まで歩いて行ってみたが、太陽が出てくれなければマハラジャに出会うことはほぼ不可能である。ああ、今日も空は我に見方してくれないのか。晴れてくれと心に念じても、この日午後まで晴れ間が出なかった。結局、最初に巨匠が見つけたマハラジャを遠くから見ただけで、手に取ってしっかり観察するという機会は得られないまま夕方レーに戻らざるを得なかったのである。
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 今回インドに来たのは、マハラジャウスバシロチョウとともにカルトニウスウスバシロチョウという、ラダックを代表するパルナシウスを「観察」することが大きな目標だった。上の写真は昨年、レーの西130kmのラマユルというところで撮影したカルトニウスである。このときは沢山のカルトニウスが飛んでいて、「やらせ」をしなくても容易に生態写真を撮ることができた。
 今年の春A君に、「インドへ行けばカルトニウスがいっぱいいるから一緒に行こうよ」と小生が勧めたのはこのときの体験があったからだ。A君は小生の言葉からカルトニウスが乱舞するところを夢見てインドまで来ているのである。ところがタガラン峠で二日は坊主、ラチュンではストリツカヌスの「観察」はできたが、乱舞状態にほど遠いままに終わってしまった。当然、このままでは気持ちがすまないだろう。
 ところが明後日には彼は日本に戻らなければならないのである。現役の勤め人である彼は小生や巨匠のように「毎日が日曜日の暇人」ではないのだ。少ない休暇を目一杯使って来ている。それなのにまだあのカルトニウスに出会っていない。彼に残された日は明日、7月6日、一日しかないのである。
 小生、本当は三泊四日の旅から戻って来たばかりで一日くらい休養したかったが、A君に対する責任もある。何とかA君にカルトニウスを見てもらいたいと思い、明日休養なしでラマユルのカルトニウスに行くことにしたのである。巨匠は明後日から一人でトレッキングに行くというから準備と休養でホテルに残る。明日のラマユル行きはA君と二人だけである。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2012-07-29 23:49

インド・パルナシウスの旅、5、ラチュン峠のストリツカヌスウスバシロチョウ (No.1436 12/07/28)

 7月1日、タガラン峠攻略のあと、パンのテント村には二泊して、7月2日、3日の二日間、パンの東25kmにある標高5065mのラチュン峠を攻めた。ここにはタガラン峠と違ってストリツカヌスウスバシロチョウという、インドにしかいない高山性のパルナシウスがいる。小生は知り合いからこれの標本を見せてもらったことはあるが、実際に生きたストリツカヌスウスバシロチョウは見たことがない。それが実際にどのような蝶なのか今日うまくいけば本物に出会えるのだ。
 しかし、タガラン峠でマハラジャウスバシロチョウにふられて失意のドン底にある小生、インドまで来てただ岩や花に止まっているストリツカヌスウスバシロチョウを遠くから見るだけでは物足りないと思うようになっていた。蝶を見るならしっかりとこの手に持って間近から子細に観察するべきではないか。そのためにもと、捕虫網を持ってきている。こいつでガッチリすくいとって、インドの神秘な蝶をこの目で、この手で確かめたいと決心してラチュン峠に向かったのである。
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7月2日、3日
 パンから小さな沢沿いに峠に向かって登って行く道の所々でこのような羊を放牧している風景に出会う。しかし、周囲は極度に乾燥した岩場で、羊の餌となるような草もほとんど生えていない。彼らは何を食べているのだろうか。黒く見えている小さな草のかたまりだろうか。しかし、下の写真で分かるように、これから目指すストリツカヌスウスバシロチョウの場所では草一本ないほど荒涼としていた。彼らが食べる食草などもどこにあるのか分からないほど貧弱な場所である。こんな過酷な場所をわざわざ好んで住む蝶がいるということが驚きである。パルナシウスとは本当に不思議な蝶なのだ。
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 ここがラチュン峠のトップ。昨日登った5360mのタガラン峠に比べると標識もあっさりしたものだが、それでも5000mは超えているから立派な峠である。我々はタガランを経てここまで来ているからあっさりでも当然と思えるが、逆にマナリ側から登って来た人には最初に出会う5000m超えだから、小粒ながらぴりりとした峠と映ることだろう。だが、タガラン峠から来た我々にはやはり少し格下の感じは否めない。
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 ラチュン峠で記念撮影。左がA君、右が「パルナシウスの巨匠」。風邪気味のA君はまだ体調不良が収まらないで元気がないが、73歳の巨匠は驚くべきパワーでこのあと、山を駆け回っていた。
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 マナリとレーを結ぶ国道から、氷河が削ったU字谷に沿って登ってくると、しばらくして巨匠がストリツカヌスウスバシロチョウが飛んでくるのを目撃した。インドを知り尽くした巨匠もここは初めての場所でポイントの確証はなかったのだが、どうやら場所の選択は間違っていないようだ。しかし、先ほどの羊がいたところと同様に、周囲には草らしいものはほとんど生えていない。細かい岩のかけらの堆積したガレ場でどうして蝶が生きていけるのか不思議なほど荒涼とした景色である。
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 上の写真を注意深く見て欲しい。写真の中央にごま粒のように二人の人間がへばりついているのが分かると思う。あそこまで登らなければストリツカヌスに出会うことはできないのだ。しかし、まだ右足が痛いうえに、昨日タガランでかかった高山病の症状がまた出てきて、小生には自由に山を歩くことが難しい状況になっていたのである。ここでも標高は5000mはある。5歩も歩けば息切れで心臓がバクバクと悲鳴を上げてくる厳しい環境に今日も苦しめられてしまったのだ。上にいる二人のように自由に動けない小生は、結局、初日、7月2日はストリツカヌスに出会うことはできずに終わったのである。
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 しかしである。翌、7月3日は小生にとって最良の日となった。昨日の夜、パンのテント村に戻っても、小生の気持ちは晴れない。タガラン峠でも成果がなかったし、このまま行くと明日もきっと駄目だろうという弱気な気持ちになっていたのである。そして、本日も昨日に続いて元気な二人はどんどん先へ進んで行く。ところが、その後をのろのろと歩いていく小生の前に、何とストリツカヌスが飛び出してきたのだ。それも一頭だけではない。しばらく待っていると何頭も飛んできたのである。元気な巨匠たちは早く歩きすぎて好ポイントを通り過ぎてしまったのだ。
 残り物に福で、後からのろのろ歩いた小生がストリツカヌスの一番いい場所を得ることができたのである。小生、素早くこれをネットですくい、しっかりとこの手で持ってストリツカヌスの細部まで観察した。それから、捕まえたストリツカヌスを地面に置くと、写真撮影に取りかかった。蝶の写真を撮っている方から見れば「やらせ」ではないかという批判を受けるかもしれないが、「やらせ」なしでストリツカヌスを撮るとすれば、恐らく一週間ここにいても撮れないだろう。文句を言う奴には言わせておけと思いつつ、地面に置いたストリツカヌスを小さなコンデジで撮影した。いつも持ち歩くD300は重くて今日は車に置いてきている。身軽なコンデジしか持って来ていないのだ。
 元々小生は観察が目的であって蝶の写真を撮ることにはそれほどこだわっていない。コンデジのピンが甘い写真でも十分である。石の上に放たれたストリツカヌスは、しばらく小生の撮影モデルとなったあと、元気に翅を動かして生まれ故郷のラチュン峠の方に飛んでいった。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2012-07-28 23:42

インド・パルナシウスの旅、4、パンのテント村 (No.1435 12/07/27)

 5360mのタガラン峠では、大丈夫と油断していた高山病にかかって、意識はもうろう、幻覚を見るというやばい状態になってしまった。高山病に対する治療法は、かかったらできるだけ早くその場所より低い所に下降し、酸素摂取量を増やすしかない。今回、高山病の特徴である頭痛は、ほんのわずかで、まだ症状は軽微であった。しかし、それでもこのまま放置したり、もっと高所に登ったりすると、症状が急激に悪化し、死に至ることもある恐ろしい病気である。
 いまの小生にはできるだけ早く低い所に降りることが必要である。しかし、車を途中で降りた巨匠が戻ってくる時間は午後3時。それまでの間、小生はできるだけ水を飲み、あまり動き回らずにじっとしているよう心掛けた。高山病の予防では水をできるだけ沢山飲むことが有効なのだ。そして、巨匠が戻って来た3時に、ただちに峠を出発して今夜の泊まり場であるパンに向かう。パンの標高は4630m。一応、タガランより700m低く、高山病が悪化することはないと思われたが、実はこの症状は翌日、5065mのラチュン峠で再発してくるのである・・・。
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 パンのテント村は、タガラン峠から東に65kmのところにある。この場所はマナリからレーに至る国道の中継点であるが、荒涼とした高原には人が宿泊できる部落がない。このためパンにテントを設営し、レー、またはマナリから車で旅してくる人たちの宿泊を受け持っているのである。タガラン峠から2時間半、山の上から見下ろすパンのテント村はこんな様子である。
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 近づいて行くとどのテントもだいたい似たようなサイズになっていて、旅行者はこの中の好きなものを選んでいけばいい。不思議なことに宿泊場所はいずれもテントなのに、トイレだけは立派な建物になっている。ただし、インド式トイレで、床に細長い穴が掘ってあるだけのボッタントイレで、もちろん水洗ではない。
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 我々が選んだのはこのテント。入り口にはご覧のようにツォカール・レストランとあり、その下には食事のメニューが書かれている。インドでこうした場所に泊まるときは必ず、前もって料金を確認しておく。むろんたいした金額ではないから鷹揚に構えていてもいいが、そうしないと「外国人価格」を後で請求される。今回泊まったこのツォカールはインド価格で一泊一人150ルピー(約170円)。ここに二泊した。
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 テントの中はこんな具合。遠くから見ると小さそうだが、直径が10m弱はありそうな大きな丸いテントで、中央の柱の入り口側が調理場(写真の向かって右側)。壁近くには細長いベッドが置かれ、10人以上が宿泊できそうである。このテントは後方にもう一個のテントとつながれた二軒屋構造になっていて、我々三人は奥のテントを使うことができた。しかし、後から来た人たちは、皆円形テントの狭いベッドで寝たようだ。
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 連日カレーに飽き飽きしていた小生は、この日の夕食をチョウメンにした。見た感じは焼きそばだが、日本の焼きそばとは全然味が違う。どこがどう違うのかと問われると、ノングルメの小生には答えようがないが、少なくともカレーよりずっとおいしい。左はオムレツ。オムレツの味は万国共通で安心して食べられた。
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 さて、相変わらず汚い足を出して恐縮だが、この頃の小生の足の状態は最悪。テントに入ったらすぐに捻挫した患部を冷たい水で冷やし、湿布薬を貼って、上から包帯で固定する。この作業、一人ではできないのでA君に手伝ってもらう。しかし、A君も実は日本出発時から風邪を引いていて、この日はかなり重傷状態だった。タガラン峠の登りでもふらふらして苦しそうだったし、パンのテントの中でも死んだようにぐったりしていた。彼にとっては最初のインドなのに、こんな状態でいることはきっと不本意なことだろう。
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 タガラン峠ですっかり高山病にやられた小生は、テントに入るとすぐに爆睡状態になったが、夜中にテントが急に騒がしくなった。朝起きると、沢山の旅行者が寝ている。その中で写真のような日本人に出会った。こんな場所で会うのも珍しいと話を聞けば、昨晩マナリからのバスで到着した若い夫婦旅豆・世界一周さんで、夕べパンにたどり着いたのだという。日本に帰って彼らのブログを見たら、ほぼ世界を一周し終えて、このあとネパールを経て日本に帰るらしい。若い人は素晴らしい行動力があると頼もしく思えた。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2012-07-27 23:18

インド・パルナシウスの旅、3、タガラン峠からパンへ (No.1434 12/07/26)

7月1日
 レーはラダックの州都であるが、蝶の生息地としてはちょっと標高が低すぎる。というか、極度に乾燥した砂漠地帯であるレー周辺は小生が観察した限りで、モンシロチョウ以外の蝶をまったく見ることができない場所であった。ふだんアゲハチョウなど、沢山の蝶を見慣れている日本人にとっては、周囲に蝶が全然いないような場所があることが理解しにくいかもしれない。しかし、日本は恵まれすぎている。世界の中にはこのように生物がとても生きにくい不毛の地があるのである。
 では、蝶はラダックにまったくいないのかというと、それが違う。小生がインドまで求めにきたパルナシウスという蝶は、一部の種類をのぞけばいずれも標高が4500m以上の場所には生息しているのである。だが、標高3500mのレーにはいないのに、もっと不毛の地である標高4500m以上の高い場所になぜこれらの蝶がいるのか。低地よりはるかに過酷で、生き物が住みにくい山の上の方に、パルナシウスと呼ばれる蝶は好き好んでいるのである。
 それは日本の高い山に雷鳥とか高山植物が生息するのと同じ理由である。地球が氷河期から間氷期へと温暖化していくにつれて高い山の上に避難していった氷河時代の遺存生物としてラダックでは4500m以上の場所に蝶が生息しているのだ。暖かい平地には住めない究極の高山蝶として高い山に登っていったのがパルナシウスなのである。だから、ラダック周辺では低地にいなくても高い山の上には蝶がいるのだ。
 こうした場所に行くにはレーから徒歩は無理で、車を雇って山の登り口まで行き、そこからさらに山の上に向かって歩かなければならない。また、そのための準備として二日間、レーで高度順応で体を慣らしていたのである。そうして、準備したあと本日からいよいよ3泊4日のミニ旅行に出かけることにしたのだ。行き先は車が走る道路としては世界第二の高さを誇るタガラン峠(5360m)と、さらにその先にあるラチュン峠(5065m)である。
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 7月1日、午前7時半、レーで雇った四輪駆動の車で南東方向約110kmの所にあるタガラン峠を目指す。レーからしばらくの間は道路事情も良く、朝のすいている時間を飛ばしていくと、途中、有名なティクセゴンパが見えてきた。これは前日見たヘミスゴンパより立派で、見るからに格好いい。チベット仏教の僧たちがこの見事なお城風の建物の中で宗教活動をしているのだろう。
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 1時間40分で、ウプシという町に着いた。ここで道は二手に分かれるが、タガラン峠に行くなら右方向である。ウプシを過ぎると大きな町は無くなるので、ここで最終的に必要な物を買ったり、食事、弁当なども頼む。
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 また、ウプシの町で、我々外国人はインド警察にパスポートチェックを受ける。一人一人のパスポートナンバー、ビザ、何日くらいどこへ行くのかなど、こまかく帳面に書き込んでいく。すべてがいい加減なインドで、ここまで面倒なことをやるというのは、テロやパキスタンからの武力攻撃に神経を尖らせているからだろう。左が今回の運転手、アリ、右が小生が尊敬する「パルナシウスの巨匠」、Kさんである。
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 これがウプシで食べた本日の朝食。アルパランサという名前でジャガイモをくるんだチャパティ(インドパン)とカレー、ヨーグルトがついて30ルピー(45円)と信じられないほどの安さである。カレーの味はやはり小生の好みではないが、ヨーグルトはなかなかおいしかった。この店でアルパランサの間にオムレツを挟んだサンドイッチもお弁当に作ってもらって、いよいよ峠の登りにかかる。
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 標高3700mほどのウプシから、5360mのタガラン峠まで1600mの標高差を登らなければならない。道はときどき舗装してあるところもあるが、大半が荒れたダートで、車はスピードを出すことができない。その上、この道はインドの主要国道で、物資を運ぶトラックが沢山走っている。車高の高い四輪駆動車でないととても怖くて走れないようなヤバイ道を延々と進んで行くのだ。画面一番右側に見える三角型の山の下がタガラン峠である。
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 ここが今日最初の目的地、タガラン峠。標高5360mであるが、高さの割には穏やかな景色ですごみはない。周りもゆるい丘のような山が続いている。この場所のどこかにパルナシウスがいるのだ。しかし、どこにいるのか。
 小生、タガラン峠には昨年も来ている。そうして幻の蝶と言われるマハラジャウスバシロチョウを目の前で見ている。しかし、それは一瞬のことで、彼は小生にほんのわずかだけ姿を見せただけで飛び去ってしまった。今年こそその姿をきっちりととらえることができるのだろうか。
 緩やかそうに見える丘を巨匠、A君と三人で登って行く。だが、緩やかというのは実は写真の錯覚で、実際はかなりしんどい急斜面である。その上歩き出すと捻挫した右足がひどく痛い。昨年マハラジャを見たのはずっと先の方であるが、こんなではとてもポイントまで歩けそうもない。それでも少しずつだが上に登っていこうとすると、息が切れてくる。酸素がとても薄くて10歩ほど歩くと胸が痛くなるのだ。
 さらに悪いことには、胸が苦しいだけでなく、なぜか眠くなって意識がもうろうとしてくるではないか。目を開けていないと蝶が飛んできたことが分からない。それなのに目を開けていられないほど眠いのだ。そして目をつむると、目の前にマハラジャが飛んできたのが見えた。しかし、それは目をつむっていて見えているのである。つまり幻覚を見ているのだが、自分ではそれが本物のように思えているのである。
 もうろうとした意識のなかで、どこまでが本当で、どこからが幻覚なのか区別もはっきりしない。しかし、これは高山病の症状ではないかということだけはまだ分かった。小生は急いで高山病の薬・ダイアモックスを一錠飲んだ。しかし、そんなことで症状が治まるワケではない。
 結局、午後3時まで夢遊病者のような状態で山を歩いただけで、何の成果もなしに、今夜のねぐらであるパン(標高4630m)のテントホテルに向かう。幸い、車が峠を越えて4000m以下の高さに降りていくにつれて高山病の幻覚のようなものは消えていった。

以下、明日に続く。
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by Weltgeist | 2012-07-26 23:38

インド・パルナシウスの旅、2、レーでの高度順応 (No.1433 12/07/25)

6月29日、レー滞在
 低地から標高3500mもあるレーにいきなりやってきたら高山病にかかる恐れがある。高山病は命に関わる怖い病気である。このため、レーに到着直後は急激な運動を避け、できるだけ体を希薄な酸素に慣れさせる必要があるのだ。今回は10日間しか滞在期間がないA君のためにはレーでの高度順応は一日で済ませたいところだが、巨匠の計画はレーで二日間体を慣らしてから、5000m峰に向かうという。
 29日の朝、デリーよりレーに到着した我々は、空港からタクシーで昨年滞在したPホテルに向かう。ここは西洋人が良く泊まるため、各部屋にシャワーや水洗トイレなどが完備されたきれいなホテルである。だが、「突然の来訪で本日の空き部屋はない」と言われる。日本から巨匠がメールで予約していたはずなのに、どうも徹底されていなかったようだ。インドではこんなことは日常茶飯事なのである。
 しかし、Pホテルの隣にはオーナーの親戚が経営するOホテルがあり、しばらくはこちらにしてくれとマネージャーに言われる。7月5日以降からPホテルに泊まれるようにすると言うのだ。
  泊まれるならどこでもいい。我々はOホテルに入る。そして、荷物の整理が終わったところで巨匠とA君は町のレストランにお昼を食べに行った。だが、小生の捻挫した足はズキズキと痛み、歩くのも辛いのでお昼はパスしてホテルのベッドで静養していることにした。レーの町は急な上り坂になっていて、ハンディを持つ小生には歩くのがきついのだ。今日は昼飯抜きで我慢である。
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 ここが今回最初に泊まったOホテルの部屋。これで一泊400ルピー(1ルピーはこのときのレートで1.5円なので600円)というから馬鹿安である。となりのPホテルは西洋人観光客が沢山泊まっていて、それなりの施設はあるが、一泊2400ルピー(約3600円)もする。いわば、あちらは観光客のための外国人特別価格、こちらはリーズナブルなインド価格である。ただ、安いけどひとつだけ難点がある。OホテルにはWIFIがないから、PCによるインターネットやメールが使えないことだ。PCを持ってこない巨匠はOホテルを気に入って、最後までこちらに宿泊し続けたが、小生は7月5日以降はPホテルに移った。
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 この写真はレー滞在二日目、6月30日のものである。
 前日に続いて高度順応のためレーから出撃しないで、20kmほど離れたところにあるヘミスゴンパというところでチベット仏教の大きなお祭りがあるというので、バスで見に行くことにした。ラダックでバスに乗るのは初めてなので、どうやるのか乗り方がよく分からなかったが、バスターミナルに行ったら、車掌が「へミス、へミス、へミス・・・」と叫んで客寄せをしている。どうやら定期バスというものはなさそうで、お客が満員になったところで発車するらしい。料金は一人50ルピー(75円)である。
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 バスは30分くらいでヘミスゴンパに着いた。ゴンパというのはチベット仏教寺院のことで、バスの止まった先にいくつもの建物が見える。どうやらあれのどこかで本日のお祭りが開かれるようだ。しかし、写真ではゴンパはすぐ近くにありそうに見えるが、実は結構な上り坂を上がって行かなければならない。元気な巨匠は「先に行ってます」と言って軽快な足取りで坂を上がっていくが、足の痛い小生はゆっくり右足に衝撃が走らないよう歩いていくしかない。若いA君が小生のことを気遣ってサポートしてくれるが、この道のりは今の小生にはかなりつらい。
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 歩き始めて40分くらいしたが一向にお祭りをやっているゴンパには行き着かない。「お祭り会場はまだかよーっ」と言いたくなってくるほどの急な山道をひたすら登る。しかし、多分標高が4000mはあるので、空気が薄く息切れが激しくなって登るにしても往生である。途中、いくつかの小さなゴンパを過ぎたが、お祭りをやっている雰囲気はない。そして、見上げるとはるか高いところにゴンパが見えている。どうやらあそこが終点らしい。いやはやお祭り見学というから軽い気持ちで来たのだが、チベット仏教はとんでもないところで祭りをやるらしい。すでに右足の痛みは麻痺して痛みを感じないまでになっている。ここまできたらどうしても頑張るぞといってさらに1時間ほど歩いて、ついに最後のゴンパにたどり着いた。しかし、どうもおかしい。お祭りなどやっている様子が全然ないのだ。ウーン、困ったと思っていたら、後ろから「日本人ですか」という声が掛かった。日本人の若い女性が、小生たちを見て声をかけてくれたのだ。そして、彼女から愕然たる事実を教えられた。何と、お祭りをやっているゴンパは車から降りてすぐのところにあるもので、小生とA君はそのことに気づかず、お祭り会場でもない余計な場所まで登山をやってしまったのだ。
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 親切にも小生たちが再び間違えないよう下のお祭り会場まで一緒についてきてくれた日本人女性(ラダックを一人で旅しているという藤原孝代さん、ありがとございました)の案内で山を降りていくと、祭り囃子の音が聞こえてきた。午前中小生たちがここを通過したときは休憩時間中で音が聞こえず、通り過ぎてしまったのである。我々がゴンパの本殿に到着したとき、ちょうど午後の部が始まるところで、ゴンパの奥の方から牛と豚を合わせたようなお面を被った人物が出てきた。これがどうやらお祭りの主役らしい。日本で言う鬼と同じような意味をもっているのではないかと思われた。
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 続いて様々な顔をした鬼どもがゾロゾロと出て、中央の広場に向かっていく。鬼のお面も日本とはだいぶ違うし、首からはドクロを描いたものをぶら下げている。
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 鬼は全部で9人。一人ずつお面が違っていて意味があるのかもしれない。広場の中央の旗の周りを踊り歩いていくところは、秋田のなまはげのようでもあった。しかし、小生このお祭りに関して何の予備知識もなしに見に来たので、真の意味は一切不明である。ただ、日本の鬼と同じく、このお面の人たちは、きっと悪の象徴で、これをやることで厄払いをしているのではないかと思われた。向かい側の席がどうやら貴賓席のようで、暗く影になっている席に偉そうな人が座っている。前側に座る赤い服の人たちはお坊さんのようだった。
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 さて、思わぬ山登りで腹が減った我々は食堂を見つけて昼飯を食べることにした。しかし、これだけの人が出ているというのに食堂が見つからない。そうしてようやく見つけたのがここだ。一見すると何の建物か分からないが、看板には「レストラン・へミス」と書いてある。
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 頼んだのはインドの定番料理、カレーである。というか、この食堂にはカレー以外のメニューなさそうである。カレーはダルといい、普通は野菜だけのベジカレーであるが、肉を食べたい人はノンベジカレーを注文する。ただし、肉はチキンかマトン(羊)だけで、しかもほんのわずかしか入っていない。また、なぜか味が薄い。値段は60ルピー(90円)と格安だから文句は言えないが、日本のカレーに親しんでいる人間にとっては、せめて福神漬けかラッキョウでも添えてくれると味がずっと深まると思うのだが、それは無理な注文なのだろう。インドに着いた日から小生たちはこの「インド本格カレー」を毎日嫌になるほど食べ続けることになるのである。

以下明日に続きます。
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by Weltgeist | 2012-07-25 23:53

インド・パルナシウス蝶の旅、1、いざインドへ (No.1432 12/07/24)

d0151247_21472198.jpg 昨年、インド北部、ラダックを訪ね、パルナシウスと呼ばれる高山性のウスバシロチョウを求めてさ迷ってきた。なかでも究極のパルナシウスといわれるマハラジャウスバシロチョウを追ったのだが、ついにこれは幻のまま終わってしまった。しかし、一度狙いを定めたらめったなことでは諦めない小生、今年もしつこくマハラジャウスバシロチョウを狙ってラダックの中心地・レーを拠点に一ヶ月弱、しぶとく周囲の山々を歩き回ってきたのである。そうして、目標のマハラジャウスバシロチョウとうまくご対面できたのか。その結果は後日明らかになると思う。とにかく2012年インド・パルナシウスの旅は昨年以上に波瀾万丈なことがいっぱいあったが、何とかスタートさせることができた。
 今年のインド探訪は、昨年と同じく、ラダックの州都・レーを基点に動き回った。日本からここまでどう行くかというと、まずデリーまで行ってインド入国をすませ、翌日の早朝の国内線の飛行機でレーまで飛ぶコースが一番簡単(デリーから長距離バスを乗り継いで行くという手段もある)である。だが、このルート、普通の海外旅行に比べると結構リスキーなところがある。インドの航空会社はしばしば飛行予定を急に変更することがあるのだ。昨年は、早めにデリーまでの予約を入れておいたら、直前になって予定日の飛行機が飛ばないことになり、急遽出発日を変更せざるを得なかった。外国の航空会社は乗客の意向などお構いなしにしばしばこうした変更を行うのだ。
 今年の出発日は、6月28日、予約もばっちりで変更なしと思ったら、やはり少し前に28日のエアインディア便は飛ばないと連絡がきた。しかし、今回は問題をうまくクリアーできた。チケットを用意してくれたE社のSさんが、同日デリーまで飛ぶ、JAL便にうまく変更してくれたのである。しかも変更料はなし、エアインディアのEチケットでJAL便にチェックインできるよううまくやってくれたのである。
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 いきなり汚い足をお見せして恐縮だが、出発に先立って、実は小生には深刻な問題が生じていたのである。一週間ほど前に、インドの山を登るための体力造りと称して北アルプスの山にトレーニングに行ったのだが、下り道で不覚にも右足を捻挫してしまったのだ。これが意外に重傷で、出発日までには治るだろうと軽く考えていたらとんでもない。右足がひどく腫れてきて、まともに歩けないほどに悪化していたのである。
 だが、今回は昨年のメンバーである「パルナシウスの巨匠」と共に、若い友人のA君をメンバーに誘っている。巨匠とA君はほとんど面識がない。小生がもし行かなければ巨匠とA君の二人でいくことになる。そんな無責任なことはできないと、痛い足を引きずりながらも成田に行くしかないのである。
 ところが、チェックインのとき、たちまちJALの恩恵を受けることになった。小生の包帯を巻いた右足を見て、なんとJALが「傷病者用」にシート三席分を用意してくれたのである。さすがは日の丸航空・JAL。飛行中もCAさんが腫れた患部を冷やすための氷を何度も用意してくれた。しかし、足の痛さは半端ではない。少々冷やした程度ではどうしようもないほど痛いのだ。こんな半病人状態で実際に山を歩くことができるのだろうか。不安はあったが、乗りかかった船はとっくに出帆している。いまさら考えてどうにかなるものでもない。なるようにしかならないと、楽天的に構えることにした。
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 小生、そんなに国際線に乗っているわけではないが、JALの機内食は悪くない。エアーインディアならここまでの食事は出なかったろう。それに病人に対するケアーも素晴らしい。小生、すっかりJALファンになってしまった。頑張れニッポン、頑張れJALである。
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 デリーまでの飛行時間は7時間40分である。日本時間12時半に離陸したJAL 749便は、現地時間午後5時に、デリー、インディラガンジー国際空港に着陸した。日本との時差は3時間半だから日本だと午後8時半ということになる。これまでデリーは連日40℃以上の高温が続いていたという。外に出ると日本国内では感じられないムッとした熱気が襲ってくる。
 空港を出たところで今夜のホテルまでタクシーで向かう。昨年はここで運転手がとんでもない回り道をしようとしたので、今回は巨匠が前もって厳しく運転手に言い含めている。とにかくこういう複雑な交渉はインドを旅慣れている巨匠に任せるに限る。
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 デリー初日の宿泊は昨年同様、空港に近いユーロスターホテル。空港からわずか3kmの近さにあるため、明日の朝の早い便に乗るには都合のいい場所である。ホテルに荷物を置いて外に出ると、そこはまさに「インド」であった。人と車があふれかえっていて、むんむんとしている。しかし、それにしても暑い。暑さにからっきし弱い小生はこうした場所は大の苦手である。早く涼しいレーに行きたい。
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 翌6月29日、午前3時にモーニングコールで起こされ、3時45分に空港に向かう。レー行きの飛行機は朝が早い。理由は大ヒマラヤ山脈の霧が出る前にレーの空港に着陸してしまうからだ。遅い便は霧で欠航の可能性が高くなるのである。デリーからレーまでのフライトは、1時間ちょっと。雪を被った大ヒマラヤ山脈の間を縫うようにして、狭い谷底の飛行場に着陸していくとき窓のすぐ脇には崖が迫ってきて、少しでも間違えば岩山に激突しそうなほどスリリングな着陸である。ぶっつかりそうでぶっつからない、見事なパイロットの操縦でレー空港に着陸したときには、乗客たちから拍手が鳴り響いた。みんなやはり怖かったのだろう。そして、いよいよ、沢山の客引きやタクシーの運転手が待ち構えるレー空港のに出る。
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 昨年も滞在したレーの町。狭くてほこりっぽい町の両脇にはおみやげ屋が並び、遠くの丘の上には王宮の建物が見える。相変わらず町を歩き回る牛たちも沢山いる。レーの標高は3500m。数日後には5000mオーバーの山を目指すため、これから二日間、レー市内観光を兼ねて、体の高度順応をさせておく必要がある。小生もこの間に捻挫をできるだけなおしておかなければならないのである。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2012-07-24 23:34

帰国しました (No.1431 12/07/23)

 先月末より約一ヶ月弱、インド北部のジャム・カシミール地方の山々をほっつ歩き、なんとか無事に日本に戻ってくることができました。標高3500mの町、レーを拠点にかなり広い範囲で高山性の蝶、パルナシウスを追いかけていたのです。この間、ブログの連続掲載ができなかったことをお詫びいたします。
 今回の旅では本当に色々なことがありました。5000mオーバーの高地で、初めて高山病らしい症状に襲われ、幻覚と現実が区別できなくなったり、山の中から突然現れたインド軍兵士に取り囲まれ、「ここはお前たちのような人間が来るところではない。直ちに戻れ」と言われました。自動小銃で武装した兵士を隠しカメラで撮影したら、ずっと上の方で監視していた上官らしい男に見つかって「その怪しい男の荷物を調べろ」と言われ、ザックの中身をチェックされたときはさすがにビビリました。幸い、捕虫網などについて何も言われなかったので難をのがれましたが、このほか、両替屋から偽札を掴まされた事件や、雇った車のドライバーから山奥に来たところで予想外のお金を要求されたことなど、波瀾万丈の旅行となりました。
 これらの詳しい旅行記は明日から書いていきますので、興味のある方はご覧になってください。インドの旅って、やり方次第でどうにでもなる。それに生々しい人間はこんな風になれるのだというような話を書いて行きたいと思っています。
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ザンスカール地方のペンジラという場所に近い、Rongdom という部落で地元民の民族衣装を借りて記念撮影。この衣装の名前は聞きそびれたが肉厚のウール(多分カシミア)ですごく暖かい。日焼けして、ヒゲぼうぼうの小生はまさにこの地に溶け込んでいるようで、現地人そのもののような雰囲気になった。この場所の標高は3950m、後ろの山々は標高が6000mほどです。
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by Weltgeist | 2012-07-23 21:58