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イライはものすごいいたずら好きの猫になった (No.1380 12/04/30)

 わが家にやって来た子猫、イライは日ごとに大きくなっている。数日前までほとんど居間でヨチヨチ歩きをしていたのが、今は行動範囲が一気に拡がって、二階にある寝室まで散策する。おぼつかなかった足取りはしっかりし、もうバタバタと飛び跳ねるほど元気である。赤ちゃん猫からいよいよ大人になる入り口に立っている感じだ。生き物の成長って想像以上に早く、その成長を見ているのが面白い。
 昨日あたりから餌のミルク以外に離乳食も食べ始め、食欲は旺盛。すぐに腹が減るらしく、小生の顔を見ると餌を要求してミャアミャアと鳴くようになった。それはいいのだが、困ったのは部屋の中のあらゆる物にちょっかいを出し、飽きると椅子に座っている小生の足にジャレついてくることだ。まだ彼の歯は生え始めの小さなものだし、爪も少ししかないが、小さな口で甘噛みされ、爪を立てられると結構痛い。
 少しくらいなら一緒にジャレて遊ぶのは楽しい。しかし、これを一日中やられると痛くてたまらない。「止めてくれよな」と言いつつ写真のように抱き上げてやる。すると、今度は腕や指を噛みついてくる。彼は一瞬たりとも休まず遊びたいのだ。以前飼っていたキジトラのケイは子猫のときからおとなしい猫だった。今回のイライもキジトラだが、同じキジトラでも猫によって性格は全然違うようだ。今のイライの暴れ方からすると大きくなってもケイのようなおとなしい「良い子の猫」にはならないかもしれない。
 イライは我々が結婚して最初に飼ったベーちゃん(正式名はこのブログでの小生のハンドルネームと同じヴェルトガイスト)の小さいときとそっくりな暴れ方をしている。子猫のときのベーはペルシャ長毛種特有の非常に気の強い猫だった。もちろん大きくなったらおとなしくはなったが、気の強さは変わらなかった。そうして、我々は大人になったベーからある日突然本気で噛みつかれたのである。
 その頃我々はマンションの10階に住んでいた。子猫で来たベーは3年ほどマンションの部屋から外に出ない生活していたので、彼の世界は狭いマンションの部屋だけだった。自分以外の猫と出会う機会もなかった彼は、自分も人間と同じ姿をしていると信じていたのだろう。ところが、その後今の一戸建てに移って状況が一変した。窓の外にはしばしば野良猫がやって来て、自分が人間とは違う猫だと自覚し、ショックを受けたのである。
 外にいる猫を見ると異様に興奮し、口から涎を垂らしてうなり声をあげるようになった。そんなノイローゼ状態のときにベーを触った小生や妻は噛みつかれて、傷口を医者に縫ってもらった経験があるのだ。このときの経験がトラウマになっていて、あまり気の強い猫には少し心配しているのである。
 といって、何をやっても反応しない無関心な、おとなしすぎる猫もつまらない。ちょっと体を動かしただけで、「オッ、何だ」といって興味を示し、ジャレまわってくれる猫の方がずっと楽しい。手足を終日噛まれるのはたまらないが、それでも可愛く遊びまわる今のイライが小生は大好きである。できることならここで成長が止まって、ずっと子猫のままでいて欲しいくらいだ。
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この顔つきを見て欲しい。抱き上げた直後は一瞬だけおとなしくしているが、次ぎにどんないたずらをしてやろうか考えている顔つきなのだ。この写真の数秒後にはもう左手の指を甘噛みし、猫パンチを繰り出していた。とにかくものすごいいたずら小僧の猫になってきている。小生にはその動作が可愛いからうれしい反面、手に負えない暴れ者になったらどうしようかという不安も芽生えている。
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by Weltgeist | 2012-04-30 23:56

居眠り運転について (No.1379 12/04/29)

 このところ居眠り運転による大きな事故が続いている。京都亀山の登校小学生の列に無免許で居眠り暴走した車が突っ込み妊娠中の保護者と小学生が死亡、2人が重体、6人が重軽傷を負った事故の騒ぎが収まらないうちに、今朝も関越道でも居眠り運転のバスが事故を起こした。7人の方が亡くなり、それ以外の乗客もほぼ全員が大けがをしたという悲惨な事故だ。
 両方の事故とも運転手の居眠りが直接の原因だが、加害者の扱いには対応が分かれている。関越のバス事故は実名で運転手の名前が発表されたのに、京都の方は加害者が少年だということで実名は公表されていない。それなのに被害者の名前や電話番号などを書いた資料を加害者の父親に警察が渡したという不手際まで起こって騒ぎはいっそう大きくなっている。
 被害者の側の姓名などが報道されているのに、加害者の氏名は明かされないことに被害者の父親から「不公平ではないか」という怒りの言葉が出ていた。もっともな話である。こうした悪質な事件まで少年法で守らなければいけないのか、疑問が残る。今回は自動車運転過失傷害になりそうだという。最高刑は5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金である。これでは軽すぎるし、家族もたまらない気持ちになるだろう。
 ネットでは加害者を探しだし、実名を暴露して社会的に制裁をくわえようとする動きもあるようだ。だが、これは怒りの矛先を加害者少年にぶっつけるだけの単なる報復で、何も産み出さない。家族の無念さを思えば実名は公表しなくても、量刑をもっと重い危険運転致死傷罪で、最高15年以下の懲役刑を適用すればいい。加害者側はもし「真に反省しているなら」裁判で自分を弁護するのではなく、「どうぞ危険運転致死傷罪を適用して最高刑を科してください」というべきである。そうして初めて罪が許されると思う。

 しかし、居眠り運転の事故という点で考えると、小生「人ごとではないな」と思う。幸いこれまで自分は事故を起こしたことはないが、運転していて眠くなることはよくあるし、実際に友人が運転する車に乗っていて居眠りによる正面衝突の事故にあったことがある。
 このときは事故を起こすまで友人はまったく普通だった。まさか居眠りしているとは思いもしなかったのが、突然センターラインをはみ出して対向車とぶっつかったのである。小生はこの瞬間金縛りにあったようでどうすることもできなかった。ぶっつかったときは車が一回転した大事故だったが、幸い小生は全身打撲とむち打ちや顔面の擦り傷だけ、友人と対向車の運転手はそれぞれ一ヶ月くらいの入院ですんだ。死者が出なかったのは不幸中の幸いだったと言える。
 後で友人が語ったところによれば、そろそろ運転を代わってもらおうかなという程度の眠気はあったという。しかし、まだ事故を起こすほどではないからそのまま運転していたら、反対車線にはみ出してしまった。居眠り運転ってそういうものなのだ。「眠い」と感じたらすぐに休憩して仮眠するか、運転を交代するべきだということをこのときの経験から学んだのである。
 今回事故を起こしたバスの運転手も人生において取り返しのつかないミスを犯してしまった。一瞬のミスであっても、もうそれを消し去ることはできない。運転手はきっと悔やんでいるだろうが、悔やんでも悔やみきれない。彼には悪いが「自分がそんなことをやらなくて良かった」という思いで小生は胸をなで降ろしている。
 車は便利な機械である。しかし、一歩間違えれば危険な凶器と化す。そして、睡魔は誰にでもやってくる。当たり前のことだが、十分な睡眠をとること、そして眠くなったらすぐに車を留めて仮眠することだ。小生たちの事故のように「まだ大丈夫」と思うことが大間違いである。ほんの数秒眠るだけで重大な事故が起こることを肝に銘じて運転するべきだろう。
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by Weltgeist | 2012-04-29 23:38

不機嫌な人 (No.1378 12/04/28)

 今日は午後から急に気温が上がって初夏のような感じになった。この暖かさで沢山の蝶が飛び出すだろうと前の山にカメラを持って出かけた。狙いはばっちりで、いつもの場所でツマキチョウが飛び交っていた。ところがその少し先の方で似たようなカメラを構えてベニシジミを撮っていた人に「向こうにツマキチョウがたくさんいましたよ」と声をかけたのが不愉快な事件の発端となった。
 同じように蝶の写真を撮っていたこの御仁、何か気に入らないことでもあったのか「うるせえなぁ」と言ったのである。先日、人に挨拶しても応えないと怒り出すのは「人は挨拶すべきと決めつけた負の感情を持っているからだ、そう思う人は幸福にはなれない」と書いたばかりである。しかし、それにも関わらずあまりの無礼な反応に血が頭に逆流し、「何だ、コイツは」と思ってしまったのである。
 この場所にツマキチョウが飛んでいることなど彼も知っていることかもしれない。それを小生がわざわざ「教えた」ことで彼の自尊心を傷つけたのだろうか。小生は親切の押し売りをやりすぎたのか。あるいは「ツマキチョウ」と特定な蝶の名前を言ったことで「同じ蝶を撮影しているライバル」と小生を見て敵愾心を燃やしたのかもしれない。
 しかし、相手の言い方に小生は痛く傷ついた。親切心で言ったのに「うるせえ」はないだろう。もっと相手を思いやる言い方がなかったのかと思い、非常に気分を害したのである。不機嫌な気持ちは容易に相手に伝染するのだ。 
 そんなことがあって午後は少し沈んだ気分になってしまった。人間は理性でコントロールしきれないドロドロしたものが心の中にあって、これが鋭敏に反応する。こうなると理性的なだけでは気分は良くならないのである。
 人間存在には気分=Stimming というものが根本的に備わっていると言ったのはハイデガーである。気分は世界の中に投げ出された現存在=世界内存在にとって本質的なものである。それは死に向かってしか生きられない現存在に「実存」を開示してくれるものだからだ。現存在、すなわち人間には気分が備わっているから世界の中に意味も無く投げ出されていることを知らせられ、了解することができるのだ。気分がなければ人間は実存することもできないのである。
 ハイデガーの実存哲学では人間にとって気分は非常に根源的なことになる。少しも理性的ではないのだ。それどころかドロドロとした何ともつかみどころのない気分的存在が人間だということになる。小生の言葉に「うるせえ」と反応した人も気分なら、頭に来た小生も気分なのである。
 だが、そうであっても気持ちの良い気分もある。そうした気分を引き出すことはある程度努力することで可能である。ムカッとしても、ぐっと抑えて笑顔で返す。そうすれば普通の人間はこちらの笑顔を「了解」し、笑顔で応えてくれる。ただし、これも確たるものではない。世の中にはいつも不機嫌をまき散らすことで周囲の人の気分を害する迷惑な奴がいる。こういう人に出会ったら、触らぬ神にたたり無しで、できるだけ彼と接しないようするしかない。何しろ悪い気分は理性で説得することは難しいからだ。
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人間は「気分的な存在」だが、猫にはそうした気分はない、いやもしかしたらあるかもしれないが、小生は無いと信じてイライに「お節介な親切の押し売り」をやり続けている。彼が嫌がろうが、抵抗しようがお構いなし。のべつ幕無しに「可愛い、可愛い」と言いながらなでたり抱き上げたりしている。親切の押し売りで気分を害するのは人間だけ、猫は大丈夫と信じているのである。
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by Weltgeist | 2012-04-28 22:55

リベンジで四万温泉・積善館に行ったぞ (No.1377 12/04/27)

 忘れもしない、先月の29日、群馬県の四万温泉に湯治に行く途中で狭心症の発作に襲われて、その日のうちに緊急手術をよぎなくされた。あの時は関越道を走っていて急に胸が猛烈に痛くなってきた。たまらずかかりつけの病院に電話したら「心臓が危険な状態だから全ての予定をキャンセルしてただちに病院まで戻って来い」と言われ、本庄児玉インターから引き返して即入院、温泉どころではなくなってしまったのである。それで悔しいから心臓が治ったらいつかリベンジするぞと誓っていたその四万温泉に本日、北アイルランド(イギリス)から来たジョン君を連れてようやく行くことができた。
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 行ったのは四万温泉でも一番の老舗で「現存する日本最古の湯宿」と言って宣伝している四万温泉・積善館の日帰り入浴。積善館が創業したのは元禄4年(1691年)というから、300年以上たった由緒ある温泉宿ということになる。江戸時代の湯宿としては 国内唯一のもので、今現在も建築当初の目的のまま活用されていて黒光りする柱や梁が往時を偲ばせ、日本最古の湯宿建築として国の重要文化財に指定されているという。
 北アイルランドには温泉に入る習慣はないらしいが、ジョン君はマケドニアで温泉には入ったことがあるという。日本の温泉にはかなりの興味を示していた。はたして彼は温泉を気に入ってくれるだろうか。彼の右側に見えるのが昭和5年建築、大正ロマネスク様式をそのままの姿で残した元禄の湯。
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 これが昭和5年に建てられた「元禄の湯」の内側。当時としては贅沢な洋風・モダンなホール風の造りである。天上が高く、アーチ型の窓から柔らかい陽の光が差し込む感じが古風でよろしい。褐色な独特のタイル張りの床に5つの石造りの浴槽がご覧のように並んでいて、カランはない。毎分900Lという豊富な湧出量が湯船からわき出す源泉掛け流しである。
 分析表によれば泉質は「ナトリウム、カルシウム塩化物、硫酸塩温泉、泉温73.2℃」とあったが、効能については未チェック。熱すぎず、といってぬるくもない「適温」の源泉掛け流し式湯船に漬かっていると体が芯からポカポカしてくる。これは確かに体に良さそうな気持ちになる。ちなみに四万温泉は「4万の病に効くと言われる名湯で、別名を美肌の湯」とも言われるのだそうである。
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 本日はゴールデンウイーク直前、最後の平日の午前10時とあって、まだお客さんは我々だけの貸し切り状態。少し前にテレビで紹介されたと宿の人が言っていたから明日以降は沢山の人でにぎわうことだろう。宿の外はちょうど桜が咲き始めで、ゴールデンウイークが満開の見頃となるから、出かけるにはうってつけだと思う。
 ところで、裸で風呂に入っているところを写真に撮られるのは西洋人のジョン君(手前)も初めての経験のようだ。「OK、撮ってもいいよ」と言われたが悪いからワンカットだけ撮影した。それが、何と手ブレしていた。急いで撮ろうと焦ったために肝心の撮影に失敗してしたのだ。
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 積善館には4種類のお風呂があるらしいが日帰り入浴(AM10~PM5時 無料休憩付き1000円)では「元禄の湯」と「岩風呂」しか使えない。しかし、日帰りで温泉を楽しむならこれで十分。「元禄の湯」の向かい側には宿に伝わる17世紀からの古文書や調度品などが展示した資料室があった。日本古来の部屋や展示品をジョン君は興味深そうに見ていた。彼は来週の月曜日には帰国する。忙しい間際のショート旅行だったが、四万温泉が良き日本の思い出の一つとなってくれたろうか。
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by Weltgeist | 2012-04-27 23:35

ジョン君は Orderly な好青年だった (No.1376 12/04/26)

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 北アイルランドからやって来たジョン君がわが家に来て今日で三日目。朝起きてきた小生に「おはようございます」と日本語で朝の挨拶をしてきた。もう簡単な日本語は覚えていて、挨拶くらいはできるようだ。しかし、少し複雑な話になるとやはり英語である。
 小生の英語はかなりひどいブロークンなうえに、ヒアリング能力が最低だから早口のジョン君の英語を聞き取るのは容易ではない。ときどきまったく理解不能に陥ることがあり、そうなると自分の意思をどう伝えたらいいのかお互いに天を仰ぐようなこともあった。しかし、それでも何とかなるもので、ジェスチャーのような「世界共通」の仕草も交えて意思の疎通くらいはできた。曲がりなりにも英語を勉強しておいた成果はあって、ジョン君との交わりはできたはずである。
 初対面のときは分からなかった彼に関することをいくつも知ることができた。それによればイギリスでは飛行機の組み立てをやっている工場で働いていて、日本に来たのは休暇。帰国した翌日から仕事が待っているらしい。そして前にも書いたように夏から三年間神学校へ行って勉強をやり直すのだという。
 持ってきたラップトップコンピュータでグーグルアースを呼び出し、彼の住んでいる家からベルファスト周辺の街並みまで見せてくれた。北アイルランドの人口はわずか180万人だそうで、1300万人もの人がひしめく東京とはゆったり観が全然違う。広々した街並みはすごくきれいだ。このあと彼の家族の写真も見せてくれた。お父さんは54歳、お母さんが56歳と姉さん女房だが、お母さんは彼の姉くらいにしか見えない。小生の年齢から見れば彼の両親でさえ小生の子供くらいの歳である。25歳というジョン君は小生には孫と同じ年頃なのだ。
 それと最初に泊まっていた一泊1000円の神楽坂のドミトリーは、早稲田大学のものだそうで、一部屋に17人もいると朝の5時からアラームを鳴らす青年までいてあまり落ち着いて寝ることはできなかったようだ。しかし、海外から日本に長期滞在する若者たちはこうした安い宿泊施設を探すのが上手で、ジョン君も日本在住の外国人のネット情報で見つけたのだという。
 日本訪問二度目の彼に日本への印象を聞いたら「日本は Orderly な国」だからだ好きだという。この言葉の意味は多様で「整然としたとか、規則正しい、規律のとれた、おとなしい、きれいな、混乱のない」という形容詞である。もちろん悪い意味ではないが、いつも住んでいる自分には「ヘーッ、日本ってそんな国に見られているのか」と思って意外だった。むしろ彼の方がものすごく「 Orderly 」な好青年で、日本人でもここまで礼儀正しい人はめったにいないのではないだろうか。とにかく魅力的な青年である。
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 そんなら、今日は目一杯 Orderly なところを見せようと写真の場所に連れて行った。小生が「日本で一番狭い公道」と思っている道幅が左右で50㎝もない超狭な道である。道の先の方は体を横にしないと肩が家の敷地にぶっつかって通ることができない。さすがに彼もたまげたようで、「ここは本当に道なのか。人の家の庭ではないのか」と聞いていた。広大な土地に180万人しかいない北アイルランドではこんな道は絶対ないだろう。
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by Weltgeist | 2012-04-26 21:46

頭の中に潜む”幸せ泥棒”撃退法 (No.1375 12/04/25)

 言っては悪いが雑誌「プレジデント」は、いつも世の中で成功したと言われる人たちの立場に立った編集方針があるようで、小生これに常々反発を感じていた。とくに先月発売された「2012年4.16号」で特集した「一流の思考法 落第思考法」という記事は正直、読んでいて気分が悪くなった。日本を代表する企業のトップがそれぞれ「辣腕トップ直伝、頭の運転技術」というテーマで自分の考えを書いていたが、「一流の考え方」というのはしょせんは労働者を体よくこき使って人の上前をはねるやり方に長けている人ということである。自分が如何に人をマネージメントしてトップにのし上がったかを偉そうに書いているだけではないか。こんなろくでもない考えを奨励する雑誌に不快感を感じていたのである。 
 ところが、今発売中の「2012年5.14号」で「年収300万円の父さんはなぜ幸せなのか」という特集を読んでその評価を変えつつある。「また経営者側に立った都合のいいことを言っているんじゃないか」と疑いつつ、本屋で素早く立ち読み(速読)したら、奈良雅弘さんという人の「頭の中に潜む”幸せ泥棒”撃退法」という記事があり、これでプレジデントを見直したのである。奈良さんの意見が小生が普段考えていたこととほとんど同じなのだ。
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 奈良さんによれば人が幸福であるとは「満ち足りていること」である。それでは何をもって満ち足りるのか。それは心の持ち方で大きく違ってくる。幸福とは心の問題である。今ある自分に「満足です」と言えればその人は幸福だと言う。 
 だが、現代はものすごいまでの豊かさにあるのに、一向に満足しないから幸福と感じられない。「豊かさ」そのものが幸福を阻害しているからだ。豊かさが新たな欲求を生み、不満を創り出すことになるのである。だから人より幸福になりたいと思う人ほど幸福にはなれないと奈良さんは言う。
 幸福になりたいという思いは人間の根源的な欲求なのに、そう思うと逆に幸福になれない。「幸せが欲しい」と猛烈に頑張る人ほどそれが先に遠のいて、ストレスだけが溜まってしまうのだ。幸福を求めることが不幸のもとになると指摘しているのである。
 こんな幸福が感じにくい社会になっている理由は「あまりに多い負の感情」のためである。人に挨拶したが無視されたと言って怒る。「人は挨拶すべき」という決めつけを思い込んでいるからだ。10年前にはスマートフォンは存在していなかった。それが日々心の中に埋め込まれた欲求で、スマホがなければ不幸だと思い始める。昔は正社員であることは当たり前だった。それが今は目標となり、幸福の頂点ととらえる。
 奈良さんによれば現代の競争社会が不幸を増幅させていることになる。例えば社会のスタンダードに達していないと感じる不幸。ここにあるのは他人との比較と羨望である。正社員は幸福だと信じ切っているのである。だが、資本主義は富の偏在を前提とする格差を本質的に生み出す。人に嫉妬や怒りの気持ちを生み出すことが不可避なのである。
 こんな追い込まれた中にあって人はどうすれば幸せになれるか。奈良さんは以下の三つの要点で思考を転換し、幸福を感じる自分を作れという。一つ目は今自分の目の前にある幸福に気がつくことである。それには無欲になって人を羨まず、今の自分の足もとにある良さを実感することである。
 第二は上と少し重なるが日常の価値に気がつくこと。東日本大震災で生き残った人たちの貴重な教訓、自分は津波に飲み込まれずに生きていた、そのことに限りなき喜びをかみしめたように、当たり前のことを感謝を持って受け入れることである。
 第三が一番難しいが、負の感情に陥らないことである。人は後悔したり不安に駆られるが、過去への後悔も未来への不安も考えてもどうしようもないことである。自分でコントロールできないことは考えずに、今すべきことに集中する。そして、こうあれば幸せになれるという達成型幸福感にとらわれないことだ。出世してお金持ちになる、あるいはスマホを手に入れて、良い家に住み、良い車を買えば幸せになれると考える前に、今ある自分がそのまま幸福なんだと現状を評価すべきなのである。
 以上、奈良さんの「幸福論」を読んでいると、肝心なことは無欲であることと、与えられた現在の自分の状況を感謝の気持ちを持って心から受け入れることであろう。単純で当たり前のことだが、言うは易しく行うは難しである。小生、奈良さんの考え方に全面的に賛成したいが、それを自分自身に当てはめて実行していくとなると果たしてどこまでできるかまったく自信がない。
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by Weltgeist | 2012-04-25 23:17

蝶を育てるのに大忙し (No.1374 12/04/24)

 昨日の書き出しで「最近お客様が増えて忙しい日々が続いている」と書いたが、実はこれはイギリスから来たホームステイのジョン君だけのことではない。人間ではなく蝶の卵、ゼフィルスというミドリシジミの仲間の卵が孵化し、生まれてきた幼虫を育てるのに忙殺されているのだ。お客様とはこれらの幼虫様のことである。
 キリシマミドリシジミ、ヒサマツミドリシジミ、フジミドリシジミ、メスアカミドリシジミ、チョウセンアカシジミといった10種類以上の蝶の卵を昨年の11月から冷蔵庫で越冬させ、今年の春に餌であるカシやブナなどの新芽が伸びてきたことに合わせて冷蔵庫からとりだした。
 卵の数は全部で200卵くらい。直径が1㎜以下の大きさの卵から非常に小さい幼虫が孵化すると、1頭ずつ濡らした筆の先にくっつけて、彼らが餌をしているカシやコナラ、桜、ブナの新芽に付けていく。この作業がとても面倒で手間がかかる。まず最初に幼虫が食べやすい程度に伸びたカシやブナの新芽を切り取ってきて準備しておかなければならない。カシは家の近くにあるから簡単だが、ブナは車で1時間以上かかる高い山に行かなければならない。いつも新鮮な新芽を準備しておくのがたいへんなのである。
 そして卵から幼虫が孵化したら、ただちに餌となるカシの新芽などの食草にくっつけてやらないとすぐに餓死してしまう。ところが、幼虫はとても小さいからルーペで拡大して見ても見逃す。面倒な作業だがサボると餌をとれない新幼虫が餓死するから手を抜いて休むことができないのだ。
 しかも、卵は沢山あっても、それが全部孵化するわけではない。管理が悪いとすぐにダメージを与えて孵化しない。卵から幼虫を経て無事に親になるまでよほど根性を入れて育てないと、親蝶になれないのである。今回小生が挑戦したウラクロミドリシジミは、卵が一個も孵化しないで終わってしまったし、ヒサマツミドリシジミは孵化したあとの育て方がうまくいかず、大半を幼虫の途中で死なせてしまった。卵から親の蝶にまで育てるには、とても微妙で神経を使わなければならないことが沢山要求される。そのため毎日多忙を極めているのである。
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 それで今日は何とか幼虫の歩留まりを良くしようと、蝶の飼育の大ベテランである*さんのお宅へうかがって失敗しない幼虫の育て方を教示してもらった。*さんの家に行ってまず驚いたのは庭木にご覧のような大きな袋がかけられていたことだ。土地が少ない都内では庭のある家は貴重である。ところがこの庭に植えられている木や草はすべて蝶の餌となる食草で、それのあちらこちらに袋がけしてある。こんな変な物を人が見たら「あの家の人間は変だ」と思われることだろう。それを*さんは気にもせず思いっきり自由にやっているのだ。
 蝶の採集を始めて3年目の初心者である小生は、最近わが家の猫額庭に蝶の餌となるブナとかカシを植えているが、庭木を愛する妻との間で軋轢が起こっている。小生が食草を植えると庭が駄目になると、妻が怒るのだ。仕方が無いから庭の端っこに居候のように小さくなって植えている。ところが、*さんの庭は大胆にも蝶の餌となる植物以外何も植わっていないのだ。もしわが家でこんなことをやろうものなら、たいへんな領土戦争が勃発しかねない。これだけでも*さんの半端ではない蝶の飼育にかける情熱が感じられた。
 それで、今回小生がどうしてうまく育てられなかったかの理由を*さんが一つ一つ自分の経験からアドバイスしてくれた。それらは小生には目からウロコが落ちる思いがすることばかりだった。だが、それをクドクドと書くのは蝶に興味のない人には退屈だろうから、ここでは割愛する。蝶の飼育に興味のある人は下の写真を見れば、なるほどね、というようなことがあると思う。小生が変人と思われないためにも今日の話はこの程度でオシマイとしたい。
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*さんのアドバイスを聞くのに夢中で写真をあまり撮っていないが、中段の蛹はフジミドリシジミなど。その下に沢山並んでいるのはオオルリシジミの蛹。何でもないような置き方だが、一番下の白いペーパータオルは軽く湿らせていて、その濡れが直接蛹を留めてある段ボール紙までつたわらないよう黒いプラスチックの緩衝材を置いてある。こんな何気ないことにも気配りをしているのである。もっと驚いたのが右下の物だ。シジミの幼虫と共存関係にあるアリ、アブラムシを一緒にプラスチックの容器に入れて育てているところで、中央の小さいな白い物はアリの餌だそうである。
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by Weltgeist | 2012-04-24 23:56

イギリスから来た青年が短期ホームステイ (No.1373 12/04/23)

 このところわが家に来るお客さんが増えていて、忙しい日々が続いている。今日はイギリス、北アイルランドからジョン・テモテ君という25歳の青年がやって来た。彼はこれから一週間、わが家にホームステイすることになっている。
 妻はジョン君と面識はあるらしいが、小生は今夜が初対面。「ナイス・トゥ・ミーチユー」と挨拶を交わしてから、色々と彼のことを聞くが、キングスイングリッシュとも少し違う早口の英語がさっぱり聞き取れない。日本に長く住んでいるBさんだと英語に詰まったら日本語を言ってなんとか誤魔化せたが、日本に来たばかりのジョン君ではそうもいかない。
 それでもようやく聞き出したところによれば、2008年に旅行で立ち寄った日本が気に入って今回二度目の来日なのだという。わが家に来る前まで神楽坂にある一泊が1000円という格安の長期滞在者用のドミトリーにいたらしい。しかし、安いだけに一部屋に17人も入る大部屋で、カイコの棚のような二段ベッドではプライバシーもあまり保てない。「ちょっと刑務所のような雰囲気だった」と彼は笑いながら言っていた。日本、それも東京のど真ん中にそんな格安な宿泊場所があることを彼はどうやって知ったのだろうか。小生には海外から日本を目指す若者たちの情報収集のやり方を聞き出すことに大いなる興味がある。
 今夜から帰国するまでの短い期間だが、わが家でくつろいで日本についての良い印象を持って帰国してもらいたいと思っている。彼は国に帰ったら三年間神学校に通い、卒業して再び日本に来て働きたいという。日本のどこが気に入ったのか、今夜のところは聞き漏らしたが、明日以降、じっくりと彼から日本の印象なども聞いてここに紹介するつもりだ。
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by Weltgeist | 2012-04-23 23:55

飽きるということ (No.1372 12/04/22)

 どんなにおいしい料理でも毎日同じ物を食べさせられたら辟易としてくる。エスカルゴやフォアグラを毎日出されると、きっと吉野家の牛丼が懐かしく思えることだろう。豪華なフランス料理などはたまに食べるからおいしいのだ。「なんと贅沢なことを言ってるんだ」と思うかもしれないが、人間とはそういうものである。贅沢を追求しても欲望には限りがなく、すぐに飽きてしまう。まれにしか得られない物だからこそその価値もあると言える。
 ギリシャ神話の中に触る物がすべて金に変わってしまう不幸な王様の話がある。ミダス王は欲が深く「金をいっぱい欲しい」と神に頼む。すると「そんなに金が欲しいのならお前が触る物は全て金になる超能力を与えてやる」と言って神は望みをかなえてはくれた。ところが、超能力のおかげで食べ物から自分の娘まで金に変わってしまったという話だ。金は少ないから価値があるのである。
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 小生の上司で酒が三度の飯より好きな人がいた。彼は午後になると酒がまずくなるからと言って、絶対に甘い物を食べない。そして酒を飲む前には塩をなめていた。小生に対する彼の口癖は「お前は人生の楽しさを半分しか知らない」である。酒を飲まない、いや飲めない下戸の小生を「もったいない人生を送っている哀れな男」と見ていたのである。彼によれば酒こそ人を幸福な世界に誘う最良の飲み物なのだ。
 ところが、不思議なことに上司はほぼ毎日酒を欠かせたことがない。フランス料理と違って毎日飲んでも飽きることがないのだ。酒は毎日でも飽きることがないというこの感覚が小生にはよく分からない。上司は酒を飲む前に塩をなめることで、酒を欲する肉体的条件を創り出しているともとれる。また、酒は酩酊状態で精神の働きを麻痺させるから「毎日だと飽きる」という原則が当てはまらないのかもしれない。いずれにしても下戸の小生は酒に関してはトンチンカンな解釈しかできないのである。
 塩をなめて酒を飲む。満足と不足、欠乏はそれぞれ対極をなす概念だが、実は根っこは同じところにあるのかもしれない。欠乏は満足に至る不可欠な前提条件である。そう思って自分の貧しい人生を省みるとあまり悲観することはないともとれる。貧しいからこそ幸せもある。負け惜しみかもしれないが、そう考えて自らを慰めているのである。
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by Weltgeist | 2012-04-22 22:18

日本人はフェルメールが大好き (No.1371 12/04/21)

d0151247_20592436.jpg 日本人は印象派が好きだが、最近はフェルメールもずいぶん人気のようだ。この春日本ではフェルメールの作品を集めた展覧会が3カ所で開かれ、まさに日本にフェルメールの作品の大半が集まっている観がある。
 数日前の新聞には左の写真を掲載した展覧会開催の全面広告が載っていて驚かされた。フェルメールが1665年頃描いた代表的な作品「真珠の耳飾りの少女」である。しかし、よく見ると何か本物とは違う。日本人ともオランダ人ともつかない女性が「真珠の耳飾りの少女」に扮した写真なのだ。
 まさかこのような広告が載っているとは思っていなかったので新聞がしわくちゃでみにくい写真になってしまったことは申し訳ない。しかし、何の予備知識もなくいきなりこの広告を見て、小生最初はこの写真が本物を修整したものかとまで思ってしまった。だが、少女の肌が非絵画的なことから誰かモデルを使った写真であることはすぐに気がついた。
 芸能界に疎い小生、誰がモデルかの詮索は諦めたが、あまりに雰囲気が似ている少女、とりわけ少し口を開き気味な顔の表情と服装、光の当たり具合などがそっくりなことに驚いたのである。そして、このインパクトの強い広告を造ったスタッフたちのクリエイティブ精神には素直にすごいと思った。
 後日、新聞によればこれは6月30日から東京・上野の東京都美術館で開かれる「マウリッツハイス美術館展」の広告として、女優の竹井咲さんが17世紀オランダの時代考証にもとづいて少女の服や首飾り、ターバンを着用して撮ったものであるらしいことを知った。竹井さんの表情はフェルメールの「少女」そのものであり、写真も素晴らしい。

 「北方のモナリザ」とも言われるフェルメールの「真珠の首飾りの少女」は1988年と2000年に日本で展示されているので、今回で三回目の「来日」ということになる。小生は2000年に大阪に来たときも新幹線で大阪まで見に行った事があるほか、オランダ、デン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館展には97年と2003年に二度訪れて「少女」を見ているから、6月に見に行くとすれば今度で5度目の対面となる。
 東京都美術館は2008年にもフェルメール展をやっていた。フェルメールはお気に入りの画家なのだろう。いや日本のフェルメール人気が過熱しているので二匹目のドジョウを目論んで今回の「マウリッツハイス美術館展」の切り札として「少女」を宣伝にかけたのだろう。
 全世界で36点しか残っていないフェルメールの作品がこのように次々と日本で展示されるのは有り難い限りである。しかし、彼の全作品のうちすでに29点まで現物を見て全作品鑑賞にリーチがかかっている小生としては、「少女」は素晴らしい作品だとは思うが、それだからといってフェルメールの全作品がいいものばかりとは思っていない。 No.253 で書いたように彼の最高傑作とされる「デルフトの眺望」はイマイチ理解できていないのである。
 別にケチをつける気はない。しかし、良い作品もあれば普通、あるいは愚作もあるということは芸術家の宿命ではないだろうか。ルーベンスだって良い作品と並んで「本当にこれをルーベンスが描いたの」と疑りたくなる愚作もある。だから、何から何まで素晴らしいと思い込むのは止めて、一応自分なりの評価をしてから判断することをお勧めしたい。
 アムステルダムから電車で30分、デン・ハーグ駅から歩いて10分ほどのところにあるマウリッツハイス美術館はこじんまりした小さな美術館だが、展示物はものすごい。ルーカス・クラナッハの「聖母子」や、ウエイデンの「キリスト降架」、レンブラントの「チュルプ博士の解剖学講義」など、傑作がゴロゴロある。今回の「マウリッツハイス美術館展」でこれらの絵が展示されるのかどうか知らないが、マウリッツハイス美術館ならきっと素晴らしい作品が沢山くるだろうから、フェルメールだけでなく、こうした作品も楽しんできたらいいと思う。
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by Weltgeist | 2012-04-21 22:38