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ニーチェ、その3(最終回)、等しきものの永劫回帰 (No.1324 12/02/29)

 昨日ニーチェの重要な用語として、ルサンチマン ( ressentiment ) という言葉を紹介した。それは能力のない弱い者が、優れた力のある強い者をねたみ、恨みつつを持ちつつも、その腹黒い怨恨の思いを隠して愛とか同情といった道徳的なことを語るという意味である。
 その典型がキリスト教であった。キリスト教とは、弱者が強者をねたみ、恨む気持ちから生まれた偽善の宗教である。彼らが言う愛だの救済だの無垢であるといったことは全部まやかしでしかないとニーチェは厳しく批判する。
 同様にニーチェはプラトンのイデアやカントの物自体(叡智界)など、人間の力が及ばない永遠な彼岸にあるもので、人間を道徳的に縛ろうとする哲学者をも攻撃する。イデアには永遠なる真・善・美があるというプラトンや、カントが実践理性批判で述べた「あなたの意志の格率が普遍的立法の原理に妥当するよう行為せよ」と言った道徳律が、優秀な強い人間を弱者の基準に引きずり下ろすルサンチマンの偽善に他ならないといって、猛烈に攻撃するのである。 
 ではニーチェが守ろうとした強い人間の生とはどのようなものだろうか。彼は「善悪の彼岸」の中で次のように書いている。
生そのものとは、本質的に他者や弱者をわがものにすること、侵害すること、打倒することである。すなわち他者を抑圧すること、自分の形式を押しつけること、同化することであって、ごく控えめに言っても、それは他者を搾取することである。
 ニーチェにとって強く生きるとはこういうことである。自分が自分らしく生きるためには、他者など関係ない。むしろ他者を押し倒し、彼らに自分の力を見せつけることである。キリストは「汝の隣人を愛せよ」と言った。しかし、隣人は愛の対象ではない。自分が生きていく上での搾取の対象である。本質的に他人などどうでもいいのだ。ここで愛だの道徳だのと言ったご託を並べる奴らなどひねり潰してしまえばいいのである。それがルサンチマンから脱却した強い人、すなわち「超人」の特権である。
 主著「ツアラトストラはかく語った」で盛んに言われた「超人」とは己の生を最高度に肯定し、ひたすら自らの力だけで高みに登りつめていく人のことである。超人は善悪を越えたところを目指すのだから、彼を縛るいかなる道徳もない。社会的な束縛に縛られることなく、何でも自分の思う通りに行動するのが超人である。だが、社会のルールを無視(つまり他人を抑圧し、踏み台として利用)したらどのような結果をもたらすか。欲望のままに勝手気ままに行動すれば、普通ならそのことで社会的な罰を受ける。しかし、善悪を超越している超人はそんなことは意に介さなくていいのだ。なぜなら、この世はどうあがいても全て虚しいからだ。
 神が死んで、ヨーロッパはニヒリズムに覆われるとニーチェは言った。そんな状況にあって彼は自分に忠実に力いっぱい生きる超人の思想を提唱する。しかし、超人になったからといってそこに何か新たな価値を見いだせるわけではない。世界は苦難に満ちた虚しい場、ニヒリズムが渦巻く場所であることは永遠に変わらないからである。
 だが、それでもニーチェは生きる意欲を失わない。超人として、どんなに虚しい結果を得ようとも、「よし、もう一度」と力強く決意するのである。これがニーチェが行き着いた「等しきものが永遠に回帰する永劫回帰  Ewige Wiederkunft des Gleichens  」の思想である。

 
 ニーチェはアフォリズムという短い散文形式で自分の思想を吐露していて、これがまとまりを欠いているようで分かりにくい。しかし、彼の根底にあるのは、ルサンチマン、すなわち、自分より優れた者に対する妬み、怨念である。だから、キリスト教やカント道徳律の批判が自分の妬み、被害妄想からきた批判になっている。論理的ではなく、気分的に「気に入らない」という批判で、その根拠が曖昧なのだ。ここがニーチェの魅力であるという人もいるし、ニーチェが嫌われる要因でもある。
 社会は確かにニーチェが言うように欺瞞と悪事に満ちたルサンチマンの世界かもしれない。しかし、その中にあって、少しでも良い点を見つけ出そうとする努力がどうして「奴隷の道徳」なのだろうか。苦しいことの中に希望の光を見つけたり、他人をおもんぱかり、ささやかな愛情を示すことがどうして偽善なのか。ニーチェはそんなことをする人間は弱虫で、心のどこかにルサンチマンが潜んでいるからだと言う。だが、それこそニーチェの誤解であり、彼の思想そのものがどこか歪んでいるからではないかと思えてしまう。ルサンチマンと断罪されるのは、むしろそうした歪んだ思想を持つニーチェそのものなのではないかと、小生は考えているのである。

ニーチェについてのスレッドは今回で終わりです。最初から読みたい方はこちらをクリックしてください。
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今朝起きたら一面が雪景色で家の前の山がたいへんきれいになっていた。家の中からこんな景色が見られることは幸せだなと、喜んだのだが、その後がたいへん。ハードな雪かきでまた持病の腰痛が出て泣かされることになってしまったのである。
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by Weltgeist | 2012-02-29 23:17

ニーチェ、その2、ルサンチマンで神は死んだのか (No.1323 12/02/28)

神は人間を幸福な、有閑な、無垢な、不死のものとして創造した。ところが私たちの現実の生は虚偽の、堕落した罪深い生存であり、罰を受けた生存である。・・・人類はアダム以来現今にいたるまで異常な状態のうちでながらえてきた。神がおのれの一人子を、この異常な状態を終わらせるために、アダムの罪責のつぐないのためにさしだした。生の自然的な性格は呪いである。・・・最も信心ある者もここ地上では最も信心ない者と同じく不幸なのである。
フリードリッヒ ・ニーチェ、権力への意志、224


d0151247_22584312.jpg 神は天地創造したとき、自ら創造した非造物を「すべて良し」(創世記1:31)としていた。だが、ニーチェから見れば現実の生は虚偽、堕落した罪深い罰を受けた生であり、とても「すべて良し」などと言えるものではない。人間の現実は「呪われて」いるとしか思えないのである。その惨状を救うために、神は一人子(イエス・キリスト)を世に送り出した。しかし、それで何が変わったというのか。「最も信心ある者もここ地上では最も信心ない者と同じく不幸」であり続け、何も変わってはいない。人間は堕落した罪深い存在のまま、地獄の苦しみを味わい続けているのである。
 ニーチェはキリスト教の牧師の息子として生まれながら、キリスト教を痛烈に批判する。彼の最晩年の遺稿、「権力への意志」ではこれでもかというくらいキリスト教への批判を書き綴っている。「私たちの罪のために死んだ神、信仰による救い、死後の復活、これらはすべて本来のキリスト教を偽造したものであり、その責任はあの有害きわまるつむじ曲がり、パウロに帰せなければならない」(同、169)と言って使徒パウロをもボロクソにこき下ろしているのである。ニーチェにとってキリスト教とは弱き人間がでっち上げたインチキ以外の何ものでもないと映るのである。
 人はか弱く、心細い存在である。それを神という概念を偽造して、「自分は救われた」と思わせようとしているという。しかも大多数の人はその欺瞞に気づいてもいない。ニーチェはこの状態をしばしば「ルサンチマン 」という言葉で表現する。これは ressentiment というフランス語で、被支配者である弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいる複雑な心理状態を意味するニーチェ独特の言葉である。力のない弱い者が、能力のある強いものをねたみ恨みつつ、腹黒い怨恨の思いを隠して愛とか同情といった道徳を語ることがルサンチマンである。
 キリスト教の中にはそうしたルサンチマンによる偽善があるとニーチェは断罪する。キリスト教とは自分たちを越えた能力のある者を排除することで「群れ」を守ろうとする「弱者」の主張である。だが、そのことによって本来なら人が力強く生きていこうとする主体性が否定され、誰もが同じ没個性的に生きる群れとなってしまうのである。
 そうした弱者に同情し哀れみを感じることは、人間の弱さのあらわれであり、人間にとって本来的な「生」の力強さを削ぐことになる。弱者に同情するキリスト教は、まさにそうした汚らわしい畜生の生き方、「畜群本能」から生じる「奴隷道徳」の押しつけでしかない。弱者にすぎない人間が超越者である神を信仰するのは、まさに自らの奴隷状態を慰めることに他ならないのだ。だからニーチェは「神は死んだ」と宣言するのである。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2012-02-28 23:28

ニーチェ、その1、ヨーロッパのニヒリズム (No.1322 12/02/27)

わが友よ、私たちが若かったとき、私たちはつらかった。私たちは、重い病気で苦しむがごとく、青春そのもので苦しんだのである。私たちの投げ込まれていた時代、・・・崩落、したがって不確実さはこの時代に固有である。何ひとつ確たる足場の上に立ってはおらず、厳しく自己を信ずることもないからである。ひとは明日のために生きるが、それは明後日が疑わしいからである。私たちの歩むところはいたるところ平滑で危険で、しかもそのさい私たちをどうにかささえてくれる氷は、ひどく薄くなっている。
フリードリッヒ・ニーチェ、権力への意志、57、理想社、ニーチェ全集11巻、原佑訳 P.69


 若い頃、ニーチェが語る強烈なアフォリズムが自信喪失して希望がなくなった小生を大いに惑わせ、いっそう自分を社会の闇の方に押しやった。上のような彼の言葉がさらに自分を苦しめる力となったのである。この頃の自分は苦しく、辛いことばかりだった。時には生きている意味をも見失い、絶望の淵に沈み込んでいくような日々を送っていたので、ニーチェの暗い言葉がその状況にさらに拍車を掛けたのである。
 一方で自分の周囲は絶望とは無縁な力がみなぎった世界であった。高度成長期の波が怒濤のように渦巻き、皆が自信に満ちて未来に向かって力強く前進していた。誰もが光り輝く未来になんらの疑問を呈することがない明るく、良き時代だったのである。この対比はみごとなばかりで、ウジウジと暗い日々を送っていた自分は、列島改造論に息巻くブルトーザーに押しつぶされんばかりであった。
 希望に満ちた社会の中で一人だけが暗い顔をして「私はつらい」などと言うことは、時代の流れから完全に浮き上がっている。しかし、あのめざましい高度成長が止まり、バブルがはじけた頃から明らかに時代は変わってきている。経済の成長はストップし、人は懸命に働いても一向に報われることなく、閉塞感が漂う暗い状況に落ち込んだ。今日より明日の方が良くなるという希望が失われた時代がいまなお続いている。ニーチェが言うとおり社会は重い病気で苦しんでいるようになった。まるで薄い氷が張った湖面を歩いているように、あらゆるものが不安定で、いたるところで危険が待ち構えている状況に変わったのである。
 なぜ状況がここまで不安定になったのか。それは人々を支えてくれるものがなくなったからだとニーチェは言う。いま人は何を信じて生きていけばいいのか、人はその核とするものを見失っているのである。ニーチェはそのことを、明るく光輝く昼間にカンテラをかざして「私は神をさがしている」と叫びまわったのである。以前は神こそ人々を支える核たるものだったからだ。
 だが、ニーチェから見ると、すでに神はどこにもいなくなっていて見つからない。なぜ神がいなくなったのか。「私がそれを君たちに言ってやろう。われわれが神を殺したのだ。君たちや私が殺したのだ。われわれはみな神の殺害者なのだ」とニーチェは「悦ばしき知恵」の中で叫んでいる。
 神は人々によって殺され、死んでしまったから、もはや何も人間を支えてくれるものはいない。最高と言われた価値が喪失し、根無し草になった人の前に現れるのは虚しい空虚である。あらゆる存在が意味を失い、虚無の闇夜が覆う。人はニヒリズムの中で生きるしか道がなくなるのである。
 だが、神は本当に死んだのだろうか。ヨーロッパはニーチェが言うようにニヒリズムに陥るしか道が残されていないのだろうか。

以下、明日に続く。
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まだ小生が若い頃(といっても50代の爺さんだが・・)旧東ドイツ・ワイマールにあるニーチェ・アルヒーフを訪ねたことがある。ニーチェは彼が死ぬ直前まで後の家にいたのである。
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by Weltgeist | 2012-02-27 22:29

ついに新コンピュータのカスタマイズが完成した (No.1321 12/02/26)

 新しいコンピュータを購入し、古い WindowsXPで使っていたソフトを新しい Windows 7 に移植することでずいぶん手間取ってしまった。とくに最後まで引っかかったのが画像処理ソフト、PhotoshopCS3 のインストールだった。本来 PhotoshopCS3 は64ビット対応のはずだから、新しいコンピュータになっても問題なくインストールできると思っていたがとんでもない。相性の悪さにほとほと困ってしまったのである。今日は小生がそれをどう克服したか紹介したい。
 最初、 Photoshop のインストールディスクを入れると簡単にインストールできた。ところが、インストールの後、インターネットエクスプローラがネットにつながらなくなってしまったのだ。それまでネット接続は正常にできていたから、この不具合の原因が Photoshop のインストールであることはほぼ間違いない。だが、どうしてそうなったか、原因追及から解決までかなり苦労したのである。
 最初にトライしたのは、MS-DOS の時代に使っていた config.sys という方法、つまり、OSが起動時に最初に読み込まれる設定ファイルを変えるコマンドを使って接続の不具合を解決したのである。Windows 7 でもまだ config.sys は健在で、画面左下にあるスタートボタンを押すと、一番下に「プログラムとファイル変換」という枠が出てくる。ここに msconfig と打ち込むと、システム構成の画面が出る。その中の「サービス」を選択して、「 Microsoft のすべてのサービスを隠す」にチェックを入れてから、さらに「すべてを無効に」をOKして再起動すればネットはつながるようになる。Windows 7 を使っていて、ネットがつながらなくなった人がいたら小生がやったこの方法をぜひ覚えておいてほしい。
 ところが、それでネット接続が復活したら、今度は Photoshop が使えなくなってしまったのだ。先ほどまで使えていたのが、 Photoshopの画面が出てくる途中で「このソフトは使えません」というエラーメッセージが出て画像編集できなくなってしまった。このためもう一度 Photoshopをインストールし直し、再起動すると、また使えるようにはなる。ところが、そうなると今度は最初に起こったインターネットがつながらない不具合が再現する。どうやら両者は何か相性の悪い相関関係にあるようで、一方を立ち上げると他方が使えなくなるという困った状況に追い込まれてしまったのである。
 小生にとってはネットも Photoshopも重要なものだから、何度もインストール、アンインストールを繰り返してトライしたが、状況は変わらない。あまりの不都合に次第に頭にきて、最後は癇癪からコンピュータを床にたたきつけたい衝動にも駆られた。しかし、その怒りを抑えてなおも必死に解決策を模索したのである。 
 そうして、不具合の原因がどうやらアンチウイルスソフトにあるのではないかと、推測。とくにXPの古いソフトで32ビット版を64ビットにアップグレードしたもの(カシミール3Dなど)は Windows 7 にインストールすると誤作動することがある。そこで、まずはインターネットエクスプローラ画面右上にある歯車マークをクリック。「セーフティ」から、「 smart filterスキャン機能を無効」を選択して、ネットを終了。そのあとすぐに Photoshop をインストールし再起動したら両方の不具合が消えた。 
 かくして、ようやく今度の新しいコンピュータの設定は終えた。長かったけれど、これで新しいコンピュータを自分好みにカスタマイズして使えるようになり、小生の泥沼作業は終わったのである。
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日曜日の今日は日本に来ている二人のジム君という外国人が、帰国するというので最後のお別れパーティをわが家でやった。左から三人目がイギリスから来たジム君、その隣がオーストラリアから来たジム君で、二人とも大震災のボランティア活動などに積極的に取り組んでくれた素晴らしい青年たちだった。おっと、ごめんなさい。ここにいるメンバー全員が熱心にボランティアに参加していました。
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by Weltgeist | 2012-02-26 22:47

うまい儲け話には危ない落とし穴がある (No.1320 12/02/25)

 年金資金を運用している投資運用会社、「AIJ 投資顧問」が国内の120の企業などから預かっていた企業年金資金の大半、およそ2000億円をなくしていたことが明らかになった。運用に失敗して、預かった資産の90%を損失で失ってしまったのだ。それなのに顧客には配当を続けて運用がうまくいっていたようにみせかけていたという。とんでもない連中である。
 08年のリーマン・ショックや昨年の東日本大震災で大半の投資顧問会社の業績が軒並み下落する中、AIJ は7.3%もの高配当を出し、「必ず儲かる」と顧客を募っていた。しかし、国内トップクラスと言われた好調の実体は、集めた資金を配当に回す自転車操業であった。集めた資金の残高は1割にも満たないほどに減少していたという。
 これで損害を被ったのは、将来企業年金を受け取るために積み立てていたサラリーマンたちだ。彼らにその責任はないし、お気の毒だとは思う。しかし、マネーゲームが跋扈する現代社会ではこうした「損害」は当然起こりうることである。
 そもそも、今の金融機関では100円のお金を普通預金で預けても、利息は年 1 円にも及ばない。それが7 円もの高配当があれば、その投資運用会社は何か特別なことをやっていると怪しむのが普通である。彼らが何をやって儲けようとしていたのか。報道されたニュースによれば AIJ 投資顧問が一昨年1年間で約57兆円にも及ぶデリバティブ取引を行っていたという。
 要するに何か非常に儲かる事業に投資して利潤を産みだしたのではなく、金を行ったり来たりさせただけの差額で稼いでいたのである。普通は有望な企業にお金を貸し付けてその企業が産み出した儲けを利息として受け取るのが金融機関の役割である。ところが投資運用会社は、集めたお金で花札賭博まがいなことをしていたのだ。
 原油や大豆、砂糖などがしばしば投機資金によって乱高下する。ホルムズ海峡が閉鎖されそうだとなると、膨大な資金で原油を買い占め、高値で売り抜けて差益を稼ぐ。預かっていた資金はそうしたことにつぎ込まれ、我々はガソリン高に悩まされるのだ。
 しかし、投機は当たれば大きな利益を得るが、失敗すればこれまた大きな損失を生む。まさにリスクの非常に高いバクチと同じである。AIJ はそういうことをやって今日の危機を招いたのである。いわば自業自得で同情の余地などない。原油や食料の高騰で痛めつけられている我々庶民から見れば、天罰が下ったのである。
 お金がお金を産み出す今の資本主義は、どこかおかしい。お金は働いて得るものであって、投機で得ようなどと思うと、大やけどを負う。株の売買を見れば分かるように、高値で売り抜けて得た株の儲けは、必ず損をした人がいるからだ。儲けは他人の損失の上に成り立っているのである。世の中、地道に働いて稼ぐのが一番である。
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by Weltgeist | 2012-02-25 23:13

オセロ・中島知子さんと霊能師 (No.1319 12/02/24)

d0151247_22211494.jpg オセロの中島知子さんが霊能師と同居しているマンションの家賃を滞納していることで世間が騒いでいる。芸能界の動向に疎い小生もこれだけ報道されると「何の騒ぎだ」と聞き耳が立ってきて、おかげさまで「中島VS霊能師」問題についてはある程度明るくなってきている。
 それで自分なりに理解できたことをまとめて見ると、中島さんには悪い霊能師の女がついていて、彼女のお金をたかって生活しているということ。中島さんはすでに1億円くらい霊能師に巻き上げられているが、洗脳されているので自分が欺されている現状が理解できていない、早く霊能師の手から彼女を救いだし、マインドコントロールの目を覚まさなければならない。マンションの家賃滞納で、オーナーの本木雅弘、内田也哉子夫妻より訴訟の準備が進行していて、いずれマンションは明け渡さなければならなくなる。このときが奪回のチャンスだ、といったところである。
 こうした事件はワイドショーのネタとしては格好で、霊能師が生き血を吸うヒルみたいに寄生してだますテクニックから、普通なら知り得なかった中島さんの個人生活までほとんどが報道によって白日の下にさらけ出されている。霊能師と称する女は以前にも他の人のお金を搾り取った前歴があるらしい。寄生虫みたいに吸い付いて、お金を全部吸い尽くしたら離れて新しい宿主を探す。どうやら中島さんのお金も底をついてきたようで、金づるでなくなった中島さんから、いよいよ社会のダニが切り離れる時期にきているようだ。
 お金のありそうな人に「あなたには悪い霊が取り憑いている」などと、もっともらしい嘘で恐怖心を植え付けておいて、骨の髄までしゃぶりとる。「霊が見える」なんてことを言う連中にろくな奴はいない。しかし、そんな嘘に「賢いと思われる人」がだまされるのは、彼らが人をだます能力に長けているからだろう。人の心理を巧みに読んで、意のままに自分の操り人形にしてしまう。そんなだからすごいから霊能師のようにも見えてしまうのだ。
 人は理性的存在と言われている。この説が正しければ、理不尽なマインドコントロールに引っかかることもない。ところが、少し前ではオウム真理教の例が示すように、案外簡単に人はこれに引っかかる。北朝鮮ではあれだけ人々が飢餓に苦しんでいるというのに、金正日を「民族の偉大な将軍」と思わされていて疑問も感じなかった。
 自分は理性的だから簡単にはだまされないぞ、と思う人ほど危ないのだ。気がつかないうちに洗脳されていて、自分の理性が狂わされていることが分からなくなっているのである。自分は十分理性的だし間違ったことをやっているとも思っていない。まともな理性の持ち主が、彼を注意したら「理性的な判断をしているのに、何で文句が出るのか」とマジで反論してくる。洗脳の怖さが、ここにある。そして、もっと怖いのは洗脳される可能性は誰にでもあることだ。
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by Weltgeist | 2012-02-24 23:56

濡れ手に粟の法解釈 (No.1318 12/02/23)

d0151247_22172724.jpg 世界的に評判になっている米アップル社の iPad が中国での販売を中止するよう訴えられている。ipad の商標権を持つ唯冠科技という会社に商標権を侵害していると訴えられて、輸出入差し止め、販売停止になりそうなのである。
 ニュースによれば「唯冠科技は2000年から、iPad と呼ばれるタブレットを開発していたという。昨年秋頃から、アップルが中国国内での iPad の商標権を侵害していると訴え始めた。昨年末には、中国南部で起こした訴訟で、アップルに対し勝訴した。またこの判決に基づき、先日には中国当局が中国国内にあるアップル再販業者を強制調査し、45台の iPad2 が押収された」と報じているられている。
 商標どころか本物そっくりのコピー商品、偽物の製造販売が当たり前の中国で、よくそんなことが言えると呆れてしまう。中国へ行ったことのある人ならこの国が商標とか特許といったものを一切無視した違法がまかり通る偽物天国であることを見せつけられる。小生は上海でコピー商品が公然と売られている大きな偽物市場を見ている。ところが、今回の訴訟騒ぎはそれを逆手にとってきたのである。
 中国だけでなく、今は日本も含めて世界中の国々であらゆる分野の商標登録が行われている。登録しても新しい商品を発売するわけではない。世界的有名メーカーの製品名を素早く登録しておいて、いざそれが発売になったら、イチャモンをつけて商標を買い取らせるビジネスが横行しているのである。
 今回の iPad の買い取り価格は約15億ドルというから、笑いが止まらない。商品開発に真摯に取り組むことなく濡れ手に粟でもうけようという魂胆にはまったく気が抜けないのである。
 しかし、これは違法ではない。むしろ合法で、上に記したようにアップル社は裁判で負けているのだ。法の穴を巧みにくぐった新しいビジネス対策に今後メーカー各社を悩まされることだろう。もはや人間の良心とか商売道徳に期待する方が間違っている。少しでもスキを見せればたちまちそこにつけこまれる。アップルのような厳しい会社でも油断していたのだ。
 小生の関係ではカメラ愛好家たちが近い将来ニコンが新しい一眼デジタルカメラを発売するであろうと、機種名を勝手に D4 と言う名前をつけて予測していた。そして予想した通り、D4 という商品名で先月発表されたのである。発売予定日は3月15日。カメラマニアはこの日を首を長くして待っている。
 しかし、D4 の名前はすでに数年前から噂されていたから、めざとい中国人がとっくに商標登録していて、「発売は延期します」なんて事態になる可能性があるのだ。当然ニコンの方ではD4からD5、D10くらいまで先行して商標登録をしてあるとは思うが、アップルがやられたくらいだから油断はできない。
 多くの商品名は登録されただけで、使われもせず無駄に消えていっている。そんなことまでやらなければならない今の世の中はどこか狂っている。後味の悪い嫌な時代になったものである。
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by Weltgeist | 2012-02-23 23:10

人生で最も楽しく、幸せな日々 (No.1317 12/02/22)

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 昨年末、ロンドン・タワーブリッジのライトアップの写真を撮ろうと橋のたもとで暗くなるのを待っていたら、結婚式場から出てきたばかりのようなカップルが現れた。ビュービューと強い風が吹いたたいへん寒い日なのに、新婦さんはご覧のように胸から上は肌を露出したウエディングドレスを着ている。
 「何でこんな場所に」と思っていたら、カメラマンが一緒についていて、二人に色々とポーズをとらせていた。どうやら結婚記念の写真を撮っているようだ。せっかくの楽しい時を邪魔して悪いとは思ったが、こんな良いシャッターチャンスを見逃すことはない。小生、しらばっくれて彼らに近づき、新婦が新郎の方を向いてニッコリ笑うシーンになったところで素早くカメラを取りだし数カット写真を撮った。カメラマンさんにちゃっかり相乗りさせてもらったのである。
 この二人、東洋系のようだが、多分日本人ではないだろう。なかなかの美男・美女で、肖像権のため男性の顔にぼかしを入れたのが惜しいくらい「いい男」である。撮ったあとお礼のゼスチャーをしたらニッコリ笑ってうなずいてくれたから、撮影は了承してくれたはずである。
 さてこの写真を撮ったあとでこの二人はどうしてこんな寒い(当日の気温は 4℃ だった)ときに、とりわけ寒風が吹きすさぶテームズ川を撮影ポイントに選んだのか考えてしまった。新婦がウエディングドレスを着ているところを見ると、この近くで結婚式を挙げたようにも見える。しかし、結婚式にはつきものの親族・友人など参加者たちのカメラの砲列がない。
 お付きはカメラマン一人であった。だから、もしかしたら、結婚式は別なところでやり、「人生で一番楽しい時、一番幸せな瞬間」をタワーブリッジという目立つ場所に立つことで記録したかったのかもしれない。好き合った男女が結婚で結ばれるというのは、人生における最大のハイライトである。最高の瞬間はしっかりと記録しておかないと、すぐさま過ぎ去ってしまうのだ。
 最近の若者は結婚しない人が増えているという。「俺は一生独身を通す。その方が気楽だ」という向きもあるだろうし、一方で結婚したくても相手がいないとか、経済的理由から結婚できないという人もいる。人様々、どう生きようと自由である。
 でも、写真のカップルを見ると、やはり結婚は良いもの、少々の困難は乗り越えて「最高の瞬間」を少しでも味わうべきだと感じた。ただし、人間は悪い癖で、その思いが長続きしない。たいていのカップルは、新婚時代を過ぎると、新鮮味がなくなり、結婚で得られた甘い思いは日常生活の中に埋没していく。悪くすると結びつきにはヒビが入り、修復不可能となって離婚に至る例もある。写真を快く撮らせてくれたカップルにはそんなことがないよう、いつまでも末永くお幸せにと祈りたい。
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by Weltgeist | 2012-02-22 23:43

心臓外科手術の進歩 (No.1316 12/02/21)

 天皇の心臓冠動脈バイパス手術が話題になっている。昭和40年(1965年)に最初の大動脈弁狭窄症の手術をやり、さらに2003年には人工弁の弁置換手術と人生で二度も心臓を切られた経験を持つ小生はこのニュースに格別な関心を持っている。自分の経験から見れば、今回鮮やかともいえる技術で手術が成功裏に行われたことに注目しているのである。 
 小生が昭和40年に最初にやった手術では、成功率が80%、つまり10人手術して2人は失敗で死んでしまうという危険度が高いものだった。もちろん、手術前にそうした状況は患者に知らされ、それでも手術するかの承諾をとらされた。当時としては今の心臓移植手術に匹敵するくらいのリスクがあり、小生は前線に出征する兵士のような心境で手術を受けたのである。
 手術の時間は覚えていないが、後で聞いたところによると、体温を20℃まで下げた一種の冬眠状態で、心臓に人工心肺を取り付け、18分間にわたって心臓を停止して弁を直したという。今の基準でいえば心臓停止で、一応「死んだ」状態のあと「生き返って」きたゾンビみたいな人間ということになる。
 当時、輸血した血液の量だけでも5400CC。ICU(集中治療室)には3日くらいいて、4日目に病室に戻ったと記憶している。その時点でもまだ意識はもうろうとしていた。そして、大量の出血を吸引するドレーンと呼ばれるパイプを何本(今もそのとき開けられた傷跡が三カ所残っている)も装着されたままで、ベッドから起き上がるまで6日、痛み止めはモルヒネのようなものしか無かったのだろう。猛烈な痛みは10日以上続いた。退院できたのは二ヶ月くらい後で、その後も一年近く「安静を保つ療養」をしなければならない状態だった。
 ところが、今回天皇の手術では翌日にはICUを出て病室に戻り、水を飲んだりしているという。手術時の出血もほとんどなかったというから、小生がやった時代とはまったく違った医療の進歩があったのだろう
 小生、その後2003年に再度今度は人工弁による弁置換手術を行った。それまでずっと手術を躊躇していたのだが、いよいよやらなければ駄目な状況に追い込まれたとき、以前の手術の怖かった思いがトラウマになていることを主治医に言った。すると彼は「昭和40年当時の心臓外科の水準と現在では、蒸気機関車と新幹線くらいの技術的開きがある。あのころは本当に沢山の人が亡くなったが、今は絶対無いとはいえなくても、ほぼ大丈夫でしょう」と言ってくれたのである。今の心臓手術の技術水準は比較にならないほど進歩しているというのだ。
 そして、再び胸を切開して心臓に人工の弁が取り付けられた。このとき驚いたのはほとんど出血がなく手術ができたことだ。二回目の手術でも人工心肺が使われたかどうか聞き漏らしたが、小生も今回の天皇と同じで、翌日にはICUから病室に戻り、10日後には退院できたことである。前回猛烈に苦しんだ二ヶ月間は何だったのかというほど簡単だった。
 医師がどのようなことをやったのか分からないが、今や心臓の手術など盲腸摘出手術と変わらないほどになったのではないかと思う。今回の報道でこれまで心臓に障害を抱えながら怖いからと手術を避けていた人が、手術すると考えを変えた例が増えているという。
 医術が進歩すればするほどリスクも少なくなる。昭和40年以前に蒸気機関車並の医療技術で手術し、亡くなった方にはお気の毒としか言いようがない。技術は年々進歩する。それでも今の技術では心臓移植以外に道はないという方もいるだろう。しかし、医療技術の発展の速さを考えれば、いずれは移植なしに手術で治せる道が開けるのではないだろうか。
 小生は心臓移植手術は反対の立場を持っている。他人の死を前提にした移植手術ではなく、通常の心臓手術でそれが克服できる日がまもなくやって来ると確信している。
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by Weltgeist | 2012-02-21 23:57

今日ももがいています (No.1315 12/02/20)

 もう三日も経つというのに新しいコンピュータの設定を今日もまだ続けている。WindowsXP からWindows 7 への引っ越しは結論を言えば一応はできた。しかし、内容的には大不満。引っ越し専用ソフトを使っても、移植できていたのはインターネット設定とメールだけ、Windows7 、64ビット版に対応しているはずの一太郎2011創、や Microsoft Office 2003 、PhotoshopCS3 などは引き継がれず、結局新たにインストールし直すことになってしまった。こんなことなら引っ越しソフトなど使わないで全部手動でインストールした方がずっと楽だったと後悔しているが、あとの祭りである。ま、これから新たにパソコンを買い直す人のために小生が人柱となったと諦めて、いまもソフトをインストールし続けている。
 昨日、筑庵さんからコメントで「新しいパソコンには2012年の設定を! 」とアドバイスいただいたが、本当にその通りになってしまった。
 しかし、小生が旧バイオからそっくりデータ移植にこだわったのは、カシミールという地図ソフトにこれまで行った釣りの穴場や蝶採集ポイントが登録してあるからだ。国土地理院の25000分の一地形図上にGPSのドットとして印が付けてある場所データを手動で入力することはたいへんむずかしい。このためカシミールは64ビット版にアップグレードして移植の準備をしておいた。しかし、それもできていないのである。引っ越しソフトなんてこの程度なら使わない方がいいというのが今日までの感想である。
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 それで今日も小生のこ汚い「書斎」での引っ越し状況写真を掲載するしかない。なにしろ、今日一日家から一歩も出ないでずっとこの作業をやっていたのだから、小生にとってこれが本日最大のニュースなのだ。
 写真は新コンピュータのテレビチューナーを設定しているところ。しかし、小生地デジを自宅で見るのは初めてなので設定でもずいぶんまごついた。知らなかったけれど同じTBSでも地デジでは色々なチャンネルがあり、意外に分かりにくかった。というか、そもそもWindows7 ってなんでこんなに使いにくいのだろうか。XPならソフトはデスクトップの上にショートカットを置いておけばすぐに起動できたのに、まだ起動の速いやり方が分からずマゴマゴしている。そのうちに慣れるのかもしれないが、とにかく今は使いにくくてイライラの連続である。
 引っ越しソフトを使って唯一良かったのは、小生のお気に入り画家・ロヒール・ファン・デル・ウエイデンが描いた「若い夫人の肖像」が今度も壁紙として継承できたことだ。(本当はこんなことWindowsのシステムファイルに、ビットマップ画像を差し込むだけでできるのだけど・・・)
 しかし、この写真で気がついたのは、二枚の壁紙で色調が全然違っていることだ。カラーキャリブレーションができるディスプレイなら本物に近い色を出せるのだが、リタイア人間の身ではそんな贅沢もできない。写真を印刷原稿に使うわけではないからこの程度で我慢しなければならないだろう。それとディスプレイ、デカイ方が見やすいだろうと24インチにしたが、こたつトップで使うにはデカすぎた。以前使っていた右の17インチに比べるとまるでウドの大木のようだ。
 とまあ、こんなつまらないことを三日も続けていると、書いている方でも嫌になってくる。こんな話題は早く終わりたい。今夜中にはほぼ終えて、明日からは別なテーマを探して書けることを願っている。
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by weltgeist | 2012-02-20 22:15