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2011年を終えるに当たって (No.1268 11/12/31)

主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。
たとい、死の陰の谷をあるくことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
詩編・23:1-4


 東日本大震災で家を壊されたり、家族を津波に流されたり、放射能汚染で家を追われた人を見ると言葉もない。辛い思いをしている人達に何も手を差し伸べてやることができない自分は、何とふがいないのかと罪悪感さえ感じていた。しかし、災害にあわれた人達は素晴らしい力で立ち上がろうとしている。
 人はいつもこうした困難に直面し、そのつどそれを克服して生きてきた。ダビデが詩編で語る言葉のように、わざわいは次の立ち上がりをもたらす杖ともなる。一時は日本はお終いだとか、日本沈没だなどと言われたが、困難に直面すれば人はすごい力を発揮する。何もかもが満ち足りて、物憂い怠惰な生活をしていた若者が立ち上がるのを見て、日本はまだ捨てたものではないと思った。そしてこの国は必ず復興すると確信したのである。
 そんな2011年もあと数時間で終わりになる。厳しい年だったが、来年は今年の震災をバネにきっと力強い日本が復活すると信じている。
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 小生個人にとってはむしろ昨年の方が挫折の年だった。腰痛に苦しみ、計画していたインドに行くことができなくなっていたからだ。しかし、挫折とは神が与えた次の飛躍のための一ステップにすぎない。小生は執念でこの腰痛を克服し、今年はついにインド・ラダック地方に行くことができたのである。昨年まで少し歩くと腰が痛くなり、このまま自分は寝たきりになるかもしれないという恐怖心と戦いながら、一心に腰を鍛え、腰痛体操を毎日欠かさずやった成果が現れて腰の痛みが消えたのだ。
 まだ、腰痛が再発するかもしれないという不安を抱えながらもインド・ヒマラヤの標高5000mを超える高山を、低酸素で息切れしながら登る自分が信じられないほどだった。マーラーの復活交響曲ではないが、「♪~私はよみがえる~♪♪」と復活の喜びを高らかに歌いながら、羊たちとともに山を歩く幸せを心の底から感じたのである。
 苦しくても頑張れば必ず報われる。このささやかな復活を与えてくれた神に感謝ししつつ、小生は天空にそびえる高所の峰々を歩いたのだ。
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by Weltgeist | 2011-12-31 22:08

2011年の総括 (No.1267 11/12/30)

 今日はどこのマスコミも2011年の総括をしていた。同じことをやるのは天の邪鬼の小生としては抵抗があるが、今年はどうしても総括しなければならないことがある。それはどのマスコミも取り上げていた東日本大震災だ。この不幸な出来事については自分なりの評価をしないで年をこすことは出来ないのである。
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 地震と津波の猛威になすすべのない人間の無力さに最初は衝撃を受けたが、このことで我々は多くのことを学んだ。地震発生から5日目の (No.1003 11/03/16) で小生は次のように書いた。

 大地震の惨状にはただただ言葉を失うのみである。いたるところで悲劇が起こり、人は苦難にあえいでいる。しかし、我々は今回の不幸な災害からいくつかの教訓を得た。「人が生きるとはどのような意味があるか」という、人生における根源的な問いに対する答えのヒントを得たことだ。
 ともすれば人の価値は家とか財産といった物質的なことで評価されがちだが、人の本質はそんなものではないはずだ。そうした外面的な物をはぎ取って裸になったときにこそ、その人の価値が現れてくるのである。たいへん辛く悲しい逆説だが、この災害でいままであまりにも物質主義的だった我々は「生きるとはどいう意味があるのか」の答えを見た思いがするのである。
 生きているという事実は、あらゆる物事の上に君臨する絶対的なことなのだ。生身の人間が、裸のままでまさに生きているということ、これこそ最高の価値のあるものなのだと思う。家族や家を流され自分だけが生き残った人たちは、この事を切実な思いで実感してくることだろう。
 我々は裸でこの世に生まれ、裸で死んでいく。大地震、大津波はどんなに偉い人も、偉くない人もみな同じ地平に立っていることを明らかにした。今ここに確実に生きていること、そのことにこそ意味があると思う。家や財産、地位、名誉・・・といったことは人の生きる価値においてなんの関係もないのである。

 震災から9ヶ月が過ぎて、我々は立ち直りつつある。それ以前は飽食と怠惰に溺れがちだった人々が、希望を持って生きることの意味をつかんだのである。被災した方々には申し訳ないが、我々は今ここに生きているという事実、これこそが一番大切なことであるということを改めて思い知らされたのである。
 それは病気になって初めて健康だった自分がいかに恵まれていたかに気がつくのに似ている。人間の幸せは家や財産とかいったものではない。まさに今生きているということを実感し、それに感謝しつつ生きることだと大震災は教えてくれたのである。我々は、そのことをいつまでも心にとどめて、力強く立ち上がっていくしか道はないのである。

写真は The Washington Post "Tsunami-hit Japan" よりDLしました。
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by Weltgeist | 2011-12-30 22:03

WindowsCEの復活はないのか (No.1266 11/12/29)

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 皆さんはWindowsCEという物をご存じだろうか。今のようにiPhoneなんて物が無い時代、バッテリーだけで10時間使えるモバイル用のミニPC(PDA)のOSだ。重さは500g以下の軽量機で、ワード、エクセル、アクセスが多少機能が劣るが使え、ネットの閲覧もできる。WindowsCE機の良さは、一旦電源を入れて起動すると、次に電源を入れたとき電源オフの直前の状態に瞬時に戻れることだ。PCのように「ウインドウズを起動してます」なんて言われて数分間も待つ必要はない。
 例えば出先でワードの文章を書いていて、ちょっと中断したいときはファイルを保存することなく電源をオフにする。そして続きを書くときまた電源オンすると、オフしたときのままの画面が1秒で起動してくる。これで作ったデータは家にあるPCで読み取り修正、編集することが可能なのである。
 そんな便利なマシーンだから小生は旅行するときいつもこれを持っていって、旅行記や日記、頼まれていた原稿作成などに使っていた。それが今回ロンドンでバッテリー充電中、電源コードを足に引っかけて床に落としてしまい、写真のようにキーボードとディスプレーがバラバラになってしまったのだ。
 壊したのはNTTドコモが発売したシグマリオンⅡというPDA。操作はキーボードだけでなく、専用のタッチポイントペンで画面をタッチして行う。まさに今のiPhoneの先駆けを行くような先進的なものだったが、なぜかシグマリオンはⅠ、Ⅱ、Ⅲまで3代発売したところでドコモの発売が中止されてしまった。WindowsCEを開発したマイクロソフトがその後WindowsCE開発を止めてしまったからドコモも次世代機を発売できなくなってしまったのである。
 WindowsCE搭載の超小型モバイルPDAは、小生のように文章を大量に書く人間にはどこでも手軽に使える絶大な優れ物である。小生がこうした小型文章入力機を使い始めたのは80年代の後半、富士通のオアシスポケットが最初だった。単三乾電池で8時間以上使え、しかも重さが確か200gくらいだったと思う。そのあと、NECがモバイルギアというWindowsCE搭載機を発売(1996年)。これも1とⅡがあり、それぞれ新機種が発売される度に買い換えてきたが、モバイルギアは800gと持ち運びには少し重すぎた。それとIMEがお馬鹿さんのマイクロソフトIMEで、日本語変換能力が頼りない。その頃、超小型のモバイルPC、東芝のリブレットも試したが起動が遅く、バッテリーもすぐに切れてしまうのでこちらはすぐに諦めた。そこにNTTがシグマリオンⅠを発売(2000年9月)、Ⅱには一太郎で培ったIME、ATOKを搭載していて、ようやく使えるマシーンに行き着いたのである。ところがそれを今回壊してしまった。もうその後継機は無いのだ。
 iPhoneやiPadがあるではないかという意見がある。だが、これらを試した限りで、シグマリオンを超える文章入力機能は持ち合わせていないとみた。だからいまのところiPhoneやiPadを購入するつもりはない。ドコモではシグマリオンの機能に近い「N-08B」という機種を昨年販売したが、これはディスプレーの画面もキーボードも小さすぎる。あくまでもシグマリオンにこだわっているので、これから中古を探すつもりでいる。しかし、うまい具合にそれが見つかるか。長年愛用してきたシグマリオンが壊れた今の小生、手足をもがれたバッタ状態で困っているのである。
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by Weltgeist | 2011-12-29 21:40

ロンドン格安ツアーの総括 (No.1265 11/12/28)

 ロンドン6日間の格安ツアーを終えて感じたのは、目的地までの航空券と宿泊場所だけ決めておき、あとは自分達で行きたいところを自由に選択できることの良さだ。見知らぬ土地に初めて行くときは空港から市内までどうやって行くのか、ホテルの予約はどうしたらいいのか、また観光地を廻る方法も分からないなど、不安が一杯になる。そんな人には何から何まですべて含まれたオールパッケージのツアーがいい。これは気楽でしかも自分で手配するより安い費用で行ける。
 しかし、オールパッケージのツアーに何度か参加していつも不満に感じるのは、沢山の良い場所に連れて行ってくれる割にはすべてで印象が薄くなることだ。あれもこれも見せてはくれる。目一杯見ながら不思議と印象に残ることが少ないのだ。
 そんなことから、最近の小生は航空券もホテルも全部自分でとって自由に行動する旅行を主にしている。無責任のようだが、簡単な英語が話せれば、あとは行き当たりばったりの旅でも十分だし、その方が後々では印象深いものになるのではないかと思っているのである。
 今回のロンドン旅行は、まずナショナルギャラリーと大英博物館をもう一度しっかりと見直すことと、もう一つは大英自然史博物館で幻の蝶、ポンテンモンキチョウの標本を見ることだった。だが、ナショナルギャラリーと大英博物館はほぼ目的を達成できたが、自然史博物館は行くことができなかった。日本出発前に自然史博物館に「ポンテンモンキチョウを研究しているので標本を見せてもらいたい」というメールを送っておいた。重要なメールなので、最終的にはアメリカ人のBさんに見てもらい「パーフェクト。この文章ならまず断られることはないだろう」と言われるメールを送ったのだが、その返事がこないまま出発日となってしまったのである。
 これはメールを無視されたのだと思った。ところが帰国後自分のPCを開けたら 「たいへん申し訳ない。秘書が貴殿のメールを私のところに持ってくるのを忘れてしまった。まだ間に合うならMr.**を訪ねてもらいたい」 と、自然史博物館の担当者からのメールが入っていた。何と連絡ミスで計画していた自然史博物館探訪だけができなかったのである。
 ところで、もう一つの宿題は外貨の交換をいつやったら有利かだ。小生は日本の都市銀行で1ポンドがTTSで125円のとき、133円と8円高で交換した。これが現地でどうか、まずヒースロー空港到着時に確認したら東京と同じ133円になっている。別に日本の銀行がぼったくっているのではないな、と思った。だが、その日の午後、ロンドン市内の両替屋で見たら128円であった。3円しかマージンをとっていないのである。一般にホテルとか市内の両替屋はレートが悪いといわれている。ところが、ここでは市内の方がずっとレートがいいのだ。ちなみに、この日の午後、為替レートが急変したかもしれないと、帰国後日本で確認したが、ずっとポンドのTTSは125円前後で安定していた。ポンドに関するかぎりはロンドン市内で交換するのが一番有利のようだ。
 ロンドン市内の移動手段は、前にも書いたように、ワンデーチケットを購入するのが絶対お得。地下鉄はゾーン1-3で一回乗るごとに4ポンド取られる。日本のスイカのようなオイスターカードというプリペイドカードもあるが、ワンデーチケットのゾーン1-2は6.60ポンド、ゾーン3-4は7.30ポンドで一日中乗り放題だから一回往復するだけで元が取れる。これを買っておけばゾーン内のバスも何度乗り降りしてもOKである。ただし、チケットは午前9時半以降でないと購入できない。それ以前の時間で使いたいならプラス1.5~3ポンドくらいの追加料金を要求される。購入は地下鉄駅の窓口でOK、カード支払いもできる。
 もう一つは英国の食事。以前は英国の食事はどうしようもなくまずかった。うまいものを食べたかったらイタリアンか、インド、中華料理の店に行けと言われていた。しかし、今回行ってその言葉は引っ込めたいと思った。たいへんおいしいお店が増えていたのには驚いた。下にあげたのはコッツウォルズ一日観光で付いていた昼食だが、ご覧のように素敵なホテルで、とてもおいしい食事をとることができた。いつまでも昔のままであるわけはない。英国は確実に変化しているのである。
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 昨日のコッツウォルズ観光で紹介しきれなかったテットベリーで昼食を食べたホテル・クローズ。15世紀の貴族の館をホテルに改装したという建物を外の庭から撮ったもの。日帰りツアーでまさかこんな由緒ある建物の中で食事ができるとは思っていなかった。
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 これがホテル・クローズで小生が食べた昼食。最初がスープ。ノングルメの小生にはもったいないくらいおいしい。そしてメインのビーフステーキがまた良かった。ステーキというから普通に焼いたものかと思ったら、シチューのように煮付けた牛肉で、これまた抜群。英国の食事はまずい、というのは過去の話。今は絶対おいしくなっているのだ。
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 旅とは自分の見知らぬ世界と出会うことである。素晴らしい景色やその土地に残る文化、芸術に触れて、心に新鮮な刺激を受けることは最高にエキサイティングである。しかし、小生にとって一番の楽しみはその土地の人と出会い、交流することだ。例え言葉が通じなくても、気持ちがあればそれを相手に伝えることもできるし、相手のことも理解しあえる。今回のロンドン旅行では沢山の人と出会うことができた。「イエーィ! 」 というポーズをとる、このほっぺの赤い英国リンゴ娘を見ると帰って来たばかりだというのにまた英国に行きたくなってしまった。

今回をもってロンドン旅行シリーズは終わりです。
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by Weltgeist | 2011-12-28 22:37

ロンドン旅行8、コッツウォルズ一日観光 (No.1264 11/12/27)

 ロンドン滞在四日目、予定していた美術館、博物館は自然史博物館を除いてすべて見学したので、今日はロンドンから西へ200㎞弱ほどのコッツウォルズ一日観光に行くことにした。コッツウォルズ(Cotswolds) は、ウイッキペディアによれば、羊の丘という意味だそうで、イングランド中央部に広がる標高300mほどの丘陵地帯で、羊の牧場と独特の石造りの家があるらしい。一帯は古いイングランドの田舎町の景観が残る特別自然美観地域 (Area of Outstanding Natural Beauty) として指定されているのだという。
 前情報によれば小さな町というか集落が点在していて、それらを回るには列車、バスは便が少なく難しい。たっぷり見学するならレンタカーで回るのがお勧めだという。だが、外国で車など運転したくない。ロンドンのHISに聞いたら、コッツウォルズの小さな町を廻る一日日帰りツアーがあると聞き、これを申し込んだ。
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 朝8時、ピカデリーサーカスにあるロンドン三越前を出発したマイクロバスは一路コッツウォルズを目指して高速道路を西に向かう。英国は日本と同じ左側通行。アメリカや欧州大陸のような右側通行ではないから、違和感を感じない。コッツウォルズまでは約2時間の距離である。
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 最初に着いたのがバイブリー。この場所がコッツウォルズでも目玉の場所のようで、ガイドブックに掲載されていた写真と同じ石造りの建物がある。
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 コッツウォルズで使われている石は黄色みを帯びていることから「ハニーストーン(蜂蜜色の石)」とか「ライムストーン」と呼ばれる石灰岩で、建物に使われていることから「コッツウォルズストーン」とも言っているのだそうだ。石造りの家はちょっと寒そうだが、壁が厚いから家の中は結構暖かいという。
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 この家の前の川にはレインボートラウトとブラウントラウトが10尾以上泳いでいた。川は浅く、流れはフラット。ここでフライフィッシングをやったらいかにも楽しそうな場所だった。川にいるトラウトは多分放流だろう。この川の少し上流にマスの養魚場があって、ここではエラと内臓を処理したレインボーとブラウンを1パウンド、4ポンドで販売していた。結構魚は高価な食べ物のようである。
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 バイブリーで1時間弱散策したあと、また40分ほど走って今度はテットベリーという比較的大きな町に着いた。町の中央には古い時代に建てられた市場が残っている。この市場の中で野菜を売っていた叔母さんと仲良くなろうと思ったが、彼女がしゃべっている英語のなまりが強すぎて全然理解できなかった。
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 テットベリーには古い伝統のありそうな立派な教会があった。中に入ると素晴らしいステンドグラスがある。きっと由緒ある教会なのだろうが、残念ながら名前を聞き忘れてしまった。教会を見学し終えたら昼食。今回のツアーは昼食付きで、15世紀の貴族の館を改装したホテル・クローズというなかなか格調のあるホテルのレストランでだった。食事もツアーのものとは思えないほどおいしかった。これはノングルメの小生だけでなく、妻も、またツアーに同行した他の人もみな言っていたから間違いない。
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 パッケージツアーの良さは自分が何もやらなくてもガイドさんが次々と見所に連れて行ってくれることだ。昼食後、また1時間ほど走ってカッスルクームに到着。本来この街は道が狭く、大型バスが入れない。中心部までは急坂を30分くらい歩かなくてはならないらしいが、今回は少人数のマイクロバスなので一気に中心まで行けた。
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 カッスルクームはコッツウォルズでも南のはずれ、バースに近いところにあるとても小さな集落である。村全体が古いままの外観を保っているのだそうで、まるで子供のころ読んだアンデルセンの童話に出てくるおとぎの村のようなところだった。
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 これはカッスルクームにあった小さな宿屋。ホテルではなく「お宿、Inn 」という看板が出ていた。こんな宿にしばらく泊まって滞在したらどんなにいいだろうな、と思ったら、日帰りツアーはこれでお終い。このあとまた2時間かけてロンドンに戻った。
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by Weltgeist | 2011-12-27 23:18

ロンドン旅行7、コートールド美術館 (No.1263 11/12/26)

 ロンドンの芸術と文化を訪ねる旅で、最後の美術館となったのが、コートールド美術館である。ここは古典絵画中心のナショナルギャラリーに対して、近代の印象派を多く集めている美術館である。有料(6ポンド)だけに無料のテートギャラリーよりずっと質の高い絵が置いてある。また、写真撮影も問題ない。
 場所はウエストミンスターに近く、地下鉄テンプル駅下車してテームズ川沿いの道を行くと、サンセット何とかというビルがあり、ここから入って中庭のアイススケート場を通り過ぎると入り口に到着。入り口を入るとすぐ右手にはイタリアルネッサンスの作品があったが、フラ・アンジェリコ以外はアフター。それでも質は高い。ウエイデンのキリスト降架に似たものが良かった。これを見て上の階に行くといきなりゴッホの自画像が出て来て、「およよ。これは期待できるぞ」という気持ちが高まる。
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 フィンセント・ファン・ゴッホ 「耳を切った自画像 Self-portrait with a bandaged ear / 1889年 」の前では強烈なオーラを感じて足が止まってしまった。アルルでゴーギャンと同居したのに、お互いが激しい個性のぶっつかりあいを始めてたちまち神経をすり減らし、それがゴッホの精神を蝕んでいく。そして、ついには自らの耳を切り落としてしまうのだが、この自画像を見る限り、そんな狂気に満ちた行動に走った人とは思えないほどゴッホの顔は落ち着いている。だが、それでも随所に彼特有の強い意志が感じられる。コートを描く緑色の絵の具は、力強く、また迷うことなく一本一本描かれていてすごい。この作品の右手背景にはゴッホが影響を受けた日本の浮世絵が描かれている。この自画像以外にゴッホの作品はあと二枚展示されていた。
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 こちらがゴッホと大喧嘩をしたポール・ゴーギャンの 「 Nevermore (横たわるタヒチの女)/ 1897年」である。ネバーモアとは「もう二度としないから・・」という意味であるが、これも絵の横にあった解説によればエドガー・アラン・ポーの詩、「オオカラス、The Raven 」からとったもので、詩の中でオオカラスが「ネバーモア、ネバーモア・・」とひっきりなしに鳴いていることからきているのだという。横たわるタヒチの女の後ろに黒い鳥・オオカラスが描かれていて、不思議な対比を見せている。
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 コートールド美術館で一番人気のある絵はエドワルド・マネの 「フォリー・ベルジェールのバー 、A Bar at the Folies-Bergeres / 1881-82年」であろう。大きな絵で良く目立つ。しかし、小生は印象派に対してはちょっと厳しい見方をしている。日本人は印象派が大好きだが、小生にとって印象派はなぜか軽いというイメージがある。マネは確かに素晴らしい画家ではある。しかし、同じように軽い感じがして、さほど感動は受けなかった。鏡に映った女性の背中が右の方にずれていて、鏡の角度が平行ではないことをマネはさりげなく描いているところが面白い。
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 ポール・セザンヌ 「カード遊びをする人たち、Les Joueurs de cartes / 1892-95年頃 」。セザンヌはこの「カード遊びをする人たち」を実は5枚も描いている。この絵はパリ・オルセー美術館にあるものとほとんど同じだが、パリの絵はカード遊びをする二人の向こう側に酒瓶が置かれている。真剣になって手持ちのカードを見つめ合う二人の人物の表情、服装や口にくわえたパイプ、皮のようなテーブルクロスなどが、セザンヌ独特の色使いで描かれていて、深みのある絵となっている。
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 アメディオ・モジリアニの 「裸婦 、Female nude / 1916年」。モデルは後に彼の妻となったジャンヌ・エビュテルヌだろうか? 数々の裸婦像を見るとモジリアニの破滅的な生活を描いた映画「モンパルナスの灯」を思いだす。極度の貧困とアル中、飲んだくれの薬物使用、肺結核で不遇のうちに死んだモジリアニと、彼の死を知って二日後にアパートの窓から身を投げて自らの命を絶ったジャンヌ。この裸婦像からは世間に見捨てられた人の無限の悲しさが伝わってくる。モジリアニは素晴らしい。
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 ルーカス・クラナッハ・父 「アダムとイブ、エデンの誘惑、Adam and Eve, Temptation in Eden / 1526年」。クラナッハはアダムとイブのテーマで沢山描いている。コートールド美術館にある「アダムとイブ」では蛇にそそのかされたイブが知恵の木の実をアダムに渡す所を描いている。このときのアダムの態度がいかにも漫画チックで、「悪いなぁ、そんじゃおれも神様から禁止された知恵の木の実を食べちゃおうか」という風に描かれている。彼らはイチジクの葉で下半身を隠したとされるが、ここではブドウの葉が描かれている。
 この絵を撮影するのは非常に難しかった。額縁に納められた絵は、必ず正面から撮らないと額が歪んで四角にならない。菱形にならないようにカメラポジションを決め、かつカメラ面が絵と平行になっているようにする。ところが、この絵は暗いうえに絵の上に青いガラスの反射光が映ってしまい、これを避けようと色々なやり方を挑戦したが、結局反射光を避けることは出来なかった。複合的に厳しい条件が重なって一部が白く光るピントの甘い絵になってしまったことが悔しい。
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 ピーテル・パウロ・ルーベンス作 「ヤン・ブリューゲル(父)一家、The family of Jan Brruegehel the elder / 1613-15年」。巨匠・ルーベンスがヤン・ブリューゲル家族を描いたという珍しい作品。ヤン・ブリューゲル (Jan Brueghel the Elder / 1568年-1625年)は、バベルの塔などを描いたあの大画家、ピーター・ブリューゲルの息子。兄のピーター(息子)は父ピーター(The Elder)のコピーで画家工房を運営していたが、ヤンは父親のタッチとは違った繊細な花の絵を沢山描いていて「花のブリューゲル」とも呼ばれている。ブリューゲル一族は父も子供も同じ名前を使って活動していたため、現代では父とか子といった言葉を名前の後に付けて区別している。そのヤン父一家を仲が良かったルーベンスが描いているのだ。しかも細部まで工房の職人に任せずルーベンス本人が描いたのだろう。いかにもルーベンスらしい絵である。また、ヤン一家の身なりからして、彼らがかなり優雅な暮らしができる上流階級(1610年にはヤンは宮廷画家にまでなっている)の人間であったことが分かる。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2011-12-26 23:58

ロンドン旅行6、滞在三日目テートギャラリー (No.1262 11/12/25)

 今回のロンドン滞在では、主に美術館、博物館の見学を予定していた。そして、初日は午前中にロンドンに到着できて、ナショナルギャラリー、二日目は大英博物館、三日目はマルクスのお墓訪問と一応の予定はこなした。このあとロンドンの魅力的な美術館としてテートギャラリーとコートールド美術館が残っている。この二つの美術館も十分に堪能してきたが、二カ所を本日一気に紹介するには写真の量が多すぎる。HPの受信軽量化のためにも本日は前半のテートギャラリーだけにすることにした。
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 テートギャラリーはロンドン南部にある王立美術館で、主に英国の画家達の作品を収蔵している。地下鉄ピムリコ駅から歩いて10分、入場料は王立のためかナショナルギャラリーと同様、無料。写真撮影はノーフラッシュなら許される。ゲインズバラ、ターナー、ミレイなど、そうそうたる作家の作品が沢山展示され、改めて見ると英国にもすごい画家がいっぱいいたことを再認識させられた。
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 英国の画家でまず思い浮かぶのはターナー(Joseph Mallord William Turner / 1775-1851年)だ。テートギャラリーには彼の作品がかなりの数展示されていた。ターナーは独特の淡い霧のなかに霞むような描写が得意の画家である。柔らかいタッチで日の出、あるいは日没なのか太陽が水平線の雲間に見えるこの絵はいかにもターナーらしい。しかし、折角写真を撮ったのに、あまりにターナーが沢山ありすぎて肝心の絵の題名をメモしてくるのを忘れてしまった。それゆえ、制作者はターナーだが、この絵の題名、制作年などのデータは分からない。
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 これはメモなしでも分かる。ラファエル前派のジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais / 1829-1896年)の代表作、「オフィーリア」(1852年)。絵画好きなら誰でも知っているこの絵はシェイクスピアの「ハムレット」のヒロイン、オフィーリアを画家がイメージして描いたものである。父親を恋人ハムレットに殺されたオフィーリアは気が狂って川で溺れ死ぬ。花を手に川の流れに仰向けに浮かんで死んで行こうとする少女の絶望的な姿には凍り付くような衝撃を受けた。この絵のモデルは、次ぎに紹介するロセッティの妻となったエリザベス・ジダルで、ミレイはジダルを実際に水を張った浴槽に漬けて描いたので、ジダルは風邪を引いてしまったと言われている。
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 ミレイと同じくラファエル前派に属するダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti / 1828-1882年)の傑作、「モンナ・ヴァンナ、Monna Vanna / 1866年」。ロセッティの描く女性は面長でアゴが細い何か癖のある顔で、決して美人ではない。どこかに陰が漂った雰囲気の女性を好んで描いているようにも見える。しかし、それでいてどれもが魅力的な女性である。この絵でも女性の視線はどこかあらぬ方向を向いていて、ロセッティ好みのアゴの細い憂いを帯びたような顔に描かれている。しかし、長い髪の毛、華やかな衣装、手に持った扇子などがこの女性の内面の複雑な心理と相まって深い印象を我々に与えてくれる。
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 さて、テートギャラリーを終えて、「次はコートールド美術館だ」と地下鉄の駅に向かって歩いて行く途中で、ご覧のような女性と出会った。この女性、何か変だと思って良く見たら、履いている靴が地下足袋ではないか。以前、わが家にホームステイしていた米国、インディアナ州の大学生たちが、アメリカに帰る時のおみやげとして地下足袋を買って行ったのに驚いたことがある。しかし、この時は物珍しいから買ったとしか思っていなかった。ところが彼女はこれをロンドンで買ったと言う。まさに地下足袋は世界の最先端ファッションになっていたのだ。彼女に地下足袋の感想を聞いたら、「たいへん歩きやすく、格好良い。ナイスよ」と言っていた。ウーム、小生には若い連中の考え方はもはや理解し難いところを行っているようである。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2011-12-25 23:57

ロンドン旅行5、メリー・クリスマス (No.1261 11/12/24)

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 今日はクリスマスイブ。それでロンドン旅行記の途中だが、ちょっと中断してロンドンのクリスマスについて書いておきたい。
 クリスマスとは救世主、イエス・キリストがベツレヘムの町に一人の人間の子供として生まれて来たことを祝う日である。上の絵はその時のエピソードを描いたもので、明日書く予定をしているコートールド美術館で撮ったものだ。時代的にはイタリアン・ルネッサンス、題名は「東方三博士の礼拝」である。なぜ東にいる博士が三人も来て赤ん坊のキリストを拝んだのか、それについて聖書は次のように書いている。
見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。
私たちは、東の方でその方の星を見たので、拝みにまいりました。・・・
すると見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
そしてその家にはいって母マリアとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。
そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

(マタイ福音書2;1-11)
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 旧約聖書の時代から長らく待ち望んだ救世主がようやく誕生したことを心から祝う気持ちは、その後ずっとキリスト教徒の間で定着し、今日のクリスマスになったのである。クリスマスイブには子供達が靴下をぶら下げてサンタクロースのプレゼントを待ちわびているが、これも東方三博士の贈り物に由来しているのだ。
 12月20日のNo.1257でも書いたが、ロンドン到着二日目のリージェントストリートは、平日にもかかわらずものすごい人の波で、地下鉄の入り口はまるでラッシュの中央線のような混雑をしていて歩けないほどだった。また、子供達のプレゼントを扱う大きなおもちゃ屋さんは、ビルのてっぺんから人口雪を降らせる大騒ぎの演出で、店内は身動きできないほどにぎわっていた。すでに着飾った子供が店内のおもちゃに目を輝かせていて、お父さん、お母さんたちもたいへんそうだった。
 ロンドンのお店はこの時期が一年で一番売り上げのあがる時期である。売り切ろうとする店側は特別なバーゲンセールも用意していて、買いもの好きには絶好の季節であろう。しかし、もはや枯れ果てて買い物までする元気のない小生は、ただウインドウショッピング、ジャスト・ルッキングだけで、結局何も買わないで終わってしまった。
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d0151247_2118522.jpg 町にはジングルベルが鳴り響き、「主は来ませリーっ・・・」(もちろん英語)の歌声があちらこちらから聞こえてきた。これは地下鉄の駅前で一般の人が歌うキャロリング。クリスマス聖歌をみんなで歌いながら、一番右側にいる人が持つ白い筒のなかに献金を入れていく。集められたお金は恵まれない人のために使われるのは日本と同じである。
 また、家々の入り口にはご覧のようなクリスマスの花輪が飾られていた。これはちょうど日本の門松に相当するものだろう。ただし、日本で流行っている個人宅の電飾は見なかった。キリスト教徒でもない日本人の方がイルミネーションなど、派手なお祭り騒ぎににこだわるのはどうしてなのだろうか。
 小生、クリスマスはパリでもローマでも経験したことがあるが、今回ほど元気さを感じたのはロンドンが初めてである。ちょっと行っただけの旅行者に実情は分からないが、ロンドンのクリスマスはたいへん活気があるように感じた。英国はユーロに参加しなかったことで危機の荒波を避けることができた。これが余裕になっているのかもしれない。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2011-12-24 23:45

ロンドン旅行4、マルクスのお墓訪問 (No.1260 11/12/23)

 昔からロンドンは政情不安定なヨーロッパ各地から逃げて来た亡命者たちの終着点でもあった。古くは宗教改革で逃れて来たプロテスタントの大量亡命者がロンドンで一大勢力を形成するまでになったほどである。大陸から離れた島国という地勢上の安心感もあったのだろう。そうした亡命者がずっと流入し続け、国際都市としてのロンドンができあがったといってもいい。そんな亡命者の中でも小生がとくに興味を持つのは、19世紀、資本主義の崩壊と共産革命を唱えたカール・マルクスとナチの迫害からロンドンに移り住んだ精神科医、ジークムント・フロイトである。
 今回のロンドン訪問でこの二人の足跡の一部だけでも知りたいと、マルクスのお墓とフロイト博物館にはぜひ行きたいと思っていた。しかし、フロイトは残念ながら時間的な理由(開館が毎週水曜ー日曜日の12ー17時だけ)から行けなかったが、マルクスのお墓は見ることができた。
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 マルクスの墓はロンドンの北部のハイゲート墓地にある。墓地は地下鉄ノーザンライン線のアーチウエイ駅から歩いて15分ほどのところにある。だが、アーチウエイ駅は地下鉄のゾーン3にあるため、昨日までのゾーン1-2のワンデーチケットでは行けない。このため、今日はゾーン1-4まで使えるワンデーチケットを購入。30分ほど地下鉄に乗ってってアーチウエイ駅で降りると、外は都心部と違って低い丘がある郊外の町の感じで、ハイゲートという白い看板が目に付いた。この道を矢印のように右に曲がりながら登って行くようだ。
 念のため駅にいた人に墓地の場所を聞いたら、ここから500mほど上り坂を上がりきった頂上のところで左折、ウオタールー公園というのがあるから、それを突っきって行けと言われた。しかし、ちょっときつそうな上り坂に見えたので、即日和って、折から来たバスに乗り二停留所先で降りた。ここが丁度うまい具合に丘のてっぺんで、ウオータールー公園の入り口に近い所だった。
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 坂を登り切った交差点を左折すると、ウオータールー公園の入り口になる。公園に入ると、中はきれいに管理されていて、いかにもイギリスの庭園という雰囲気である。ハイゲート墓地はこの公園と続きの森の中にあるようで、ご覧の一本道を横切って行くと、もう一方の出口に着く。この間300mくらいだったろうか、公園内をジョギングしている人に出会った以外、人の姿を見ない静かな公園だった。
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 公園のもう一方の出口を出るとすぐに墓地の入り口の管理事務所があった。中に入るには一人3ポンドの入場料をとる。ナショナルギャラリーも大英博物館も無料だったのに、たかが墓地に入るだけで3ポンド徴収するという。どうもこの国の人達の管理体制が小生にはよく理解できない。入り口の女性にマルクスの墓の場所を聞いたら、墓地の地図が1ポンドだからこれを買っていけという。
 「誰がそんな物買うか」、と思いつつ、ノーサンキュウといったら、墓は入り口から100mほどの所にあると教えてくれた。地図など全然必要はないのだ。そうして教わった通りに歩いていくと、お馴染みのマルクスの頭を型どったお墓が右手に見えてきた。
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d0151247_1214368.jpg カール・マルクス(Karl Heinrich Marx / 1818-1883年3月14日)は、言うまでもなく共産主義革命を唱えたドイツ生まれの革命家であり、経済学者、哲学者、政治家である。彼はヘーゲル哲学や資本主義経済を学んで弁証法的唯物論、史的唯物論という思想に行き着く。資本主義は労働者が悲惨に搾取されることで成り立っているが、その内部に抱えた矛盾によってやがては崩壊する。資本家だけが太っていく劣悪な社会は、立ち上がった労働者によってやがて打倒されると確信するようになり、生涯を労働者の解放のためにささげたのである。
 この世界史を揺り動かした巨人のお墓には、絶えず訪問者があるらしく、誰かがバラの花を献花してあり、墓石には次のような有名な言葉が刻まれていた。

Workers of all Lands Unite !
万国の労働者団結せよ!

The philosophers have only interpreted the world in various ways, The point however is to change it.
哲学者たちは世界をたんにいろいろ解釈しただけにすぎない。しかしながら、大事なことは、それを変革することである。


上の「万国の労働者団結せよ」は共産党宣言に書かれたもので、この言葉をスローガンにレーニンがボリシェビキ革命を行った。また、下の「哲学者・・・」は「フォイエルバッハに関するテーゼ」( Thesen über Feuerbach / 1845年 ) の最後、第11番目のテーゼに書かれた言葉である。
 ロンドンに亡命したマルクスは約30年間、朝10時から閉館の午後6時まで毎日大英図書館で同じ机に座って経済、哲学などの研究を続け、主著「資本論」はここで書いたと言われている。
 実は12年前、まだ大英図書館が大英博物館とくっついていたとき、小生はマルクスの使った机が残されているという話を先輩から聞いて探したのだが、このときは英語力不足で分からなかった。あのときの悔しさが今回のお墓詣ででようやく払拭された気持ちがしたのである。
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 マルクス墓参の後、お昼はイギリスの名物料理、フィッシュ&チップスを食べた。油で揚げたポテトと魚は、イギリス庶民のお気に入りの料理だが、我々外国人にはあまり評判はよろしくない。油臭いとか、まずいという評価が定着していて、イギリスは食事がおいしくないと言われている。しかし、今回食べたこのフィッシュ&チップス(8ポンド)はおいしかった。味音痴、自国の料理がまずいとけなされていることに危機感を感じてイギリス人の味覚も変わってきたのではないだろうか。レモンとケチャップをたっぷりかけて食べたら、十分おいしいと思えた。もっとも、これはたまたま入ったレストランの料理が良かっただけで、イギリス全部がおいしくなったかどうかは分からないのだが・・・。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2011-12-23 23:59

ロンドン旅行3、ロンドンでウナギを食する (No.1259 11/12/22)

 折角海外に旅行するなら何か特別な思い出に残ることをしたい。それも日本では絶対経験できないようなことをやってみたい。天の邪鬼な小生は、このようにしていつも人と違う道を歩きたがる。協調性がない自分勝手な性格で、有名観光スポットへ行くより、他の人がまず来ない、あるいは関心を示さない所に行く方がずっといいと思っている変な人間なのである。
 そんなわけで今回のロンドン旅行でのハイライトとして考えていたのは、欧州で古くから食べられているウナギを食することであった。ノーベル文学賞をとったドイツの作家、ギュンター・グラースの代表作「ブリキの太鼓」の中で、バルト海の堤防で獲ったウナギをパイにして食べる話が出てくる。だが、ウナギをパイにするとはどのようなものなのだろうか。日本にあるウナギパイとは全然違うものだろうが、日本の蒲焼きに負けないほどおいしい物なのか。前々から欧州のウナギ料理に関心を持っていた小生、ロンドンには100年以上続く名物のウナギ屋があると聞いていた。今回は絶対これを食べることを最大の楽しみにしていたのである。
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d0151247_2183818.jpg ロンドンのウナギ屋で有名どころは二軒あるそうだ。今回我々が行ったのは、タワーブリッジに近い、「マンゼ、M.Manze 」。創業は1892年というから百年以上の伝統のある店である。場所はタワーブリッジを渡ったら、そのままタワーブリッジロードを2㎞ほど南に行った右側にあるが、橋から歩くときついので、バスの利用がお勧め。
 マンゼの営業時間は午前11時から午後2時までで、それを過ぎると店を閉めてしまう。午前中大英博物館で時間を取られ、閉店時間に間に合わないかもしれないと、途中からタクシーに乗ったら、タワーブリッジまでの渋滞がひどく、閉店間際ぎりぎりで間に合った。
 マンゼはタクシーの運転手も知っていて、有名人も結構来るそうで、店の中には来店した有名人の写真やサインがいっぱい張ってあった。また、1995年には最高のパイとマッシュのお店として、五つ星の賞を取ったという賞状もさりげなく張ってある。
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 だが、そんな有名店だからさぞや立派なレストランだろうと思って中へ入ったらびっくり。まさに町の食堂の雰囲気である。というか、テームズ川でウナギ漁をしている漁師が魚屋をやっていて、そのままお店を開いた感じである。店内に入って右側が調理場兼カウンターで、ここで注文と支払いをすませ、手前のテーブルで食べる。お店の雰囲気は日本のウナギ屋とは大違い。むしろラーメン屋と思えばいいだろう。
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 これが今回注文した料理。一番上がウナギのシチュー&マッシュ( Stewed Eeels and mash 4.50ポンド)、右中がウナギのゼリー仕上げ( Jellied Eeels 、3.55 ポンド)、下がパイ&マッシュ( Pie and Mash 、4.25 ポンド)。これに飲み物としてコーラを頼んだが全部で1500円ちょっとと驚くほど安い。ご覧のとおり田舎風にどさっと盛りつけたマッシュの量も多く、二人でこれだけでお腹いっぱいになった。ウナギはロンドンではずっと昔から庶民の安い食べ物だったのだ。
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 それではとまずはシチュー&マッシュにトライ。グリーン色をした野菜のスープにぶつ切りにしたウナギが入っている。やはりあのクネクネ、ヌルヌルしたウナギをさばくのは、ヨーロッパ人には難しいのかもしれない。骨ごとブツンブツンと切ったウナギがスープと一緒に煮てある。お店の宣伝文句だとスープの中には他の店では絶対に真似できない秘伝のリカー(だし汁・The liquor here is uniquely different to any other Pie & Mash shop as it contains a special, secret ingredient. )が入っていると書いてあったから期待したのだが、最初の一口、スープを飲んだら味が薄い。エッと思ったら、お店の人がなにやら瓶を持ってきて「この特性ビネガー(酢)をかけ、さらに塩とコショウで適当に味付けせよ」という。ビネガーもマンゼ秘伝のものだそうで、長い時間をかけて熟成したちょっと不思議な味がした。少しぴりっとしたモルト・ビネガーをかけたら断然味が引き立ってくる。こんなものは日本では食べられない。正直、これはおいしいと思った。ただし、日本のウナギとはまったく別物の味である。
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 こちらがウナギのゼリー仕上げ。ぶつ切りのウナギを多分薄味で煮付けたものを冷蔵庫にいれて、できてきた煮こごりとともに食べさせるもので、味も料理法も日本の蒲焼きとはまったく違う。これも秘伝のビネガーに塩を少しかけるだけでいい。白いドロッとした物はウナギの脂から出た煮こごりで、これはあまり味がしない。ウナギ本体もちょっと淡泊すぎると思った。きっとビネガーをもっとかければ味が違ったのかも知れないが、詳細は不明。食味としては不思議なもので、ノングルメの小生にはうまいともまずいとも判断することができなかった。丁度日本の塩辛を外国人が戸惑うように、恐らく欧州の人はこの味が好みなのだろう。
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 最後がパイ&マッシュ。こちらはウナギ料理ではないが、スープとマッシュは上の物と同じで微妙な味は捨てがたい。しかし、マンゼの売りは下のパイ。パイ生地の中に牛のひき肉をグレイビー・ソースとスパイス、リカーを加えて焼いた物で、これは文句なく「うまい」と言っていい。さすがにパイ専門店として五つ星を獲っただけのことはあると感心できる味だ。以上三点を食べただけでお腹いっぱい。この後、再びタワーブリッジに戻って、ライトアップしたブリッジの写真を撮ってホテルに戻った。

以下明日に続く。
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by Weltgeist | 2011-12-22 23:22