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優ばかりで良、可、不可のない成績表 (No.1079 11/05/31)

 テレビが大衆化したためか、小生のような一般人でもたまにテレビに取材されることがある。以前、北海道でサケを釣っていたら、地元の人がそれを料理してくれた。熱した鉄板の上にバターをひき、野菜と一緒に釣ったサケの半身を豪快に乗せて焼くだけの料理でチャンチャン焼きというのだそうだ。この時は横にテレビカメラがいて、小生が食べるところを撮影していた。料理が主役だから小生のような一般人でも食事風景として撮れば番組になってしまうのである。
 しかし、別に料理番組に出演しているつもりはないから、普通の顔をして黙々と食べていたらディレクターが「笑顔でおいしいと言って欲しい」と頼んできた。声に出して感想を言わないと食べた料理がどのくらいおいしいのか、テレビを見ている人には伝わらない。映像は見えても視聴者に味は分からないので、声を出してはっきり「おいしい」と言って欲しいというのだ。
 ここで演技力のある人なら上手においしさをアピールするのだろう。しかし、演技などやったことない素人の小生は作り笑いをするしかない。そうして「うん、これはうまい」と無理矢理言って何とかディレクターの要求に応えたが後味は悪かった。後で放映された番組を見たらいかにも嘘っぽく、演技であることがバレバレであった。しかし、グルメ番組ならこの程度でも許されるらしい。普通の番組に比べてクオリティのハードルが低いのだ。

 最近のテレビはこうした食べ物がテーマの番組が多くなった。CMが減って制作費がないテレビ局は、近場のロケだけですむ食べ物・グルメ番組が少ない予算で視聴率がとれるお手軽ネタとなっている。しかし、各局がほぼ毎日のようにこれをやると見ている方は飽きてしまう。どれも変わりばえしない、いかにもやっつけ仕事というものばかりで、「いい加減にしろ」と言いたくなる。
d0151247_23341086.jpg 気に入らないのは料理を食べた人の反応がすべて「おいしい」のワンパターンであることだ。料理の味はそれぞれ微妙な差があるのが普通なのに、テレビのグルメ番組では「まずい。おいしくない」は絶対出てこない。「おいしい」のオンパレードである。
 あまりおいしくなさそうなものでも「うまい。おいしい」と絶叫しなければならない出演者を見ていると情けなくなる。「青汁」のCMのように「ウーッ、まずいッ。 もう一杯!! 」くらいのことを言って欲しいものである。工夫もなくイージーに「おいしい」しか言えないタレントは、使い捨てになって、すぐに切り捨てられていくことだろう。そのことは出演者自身が一番良く分かっているはずだ。だから能ある人はこんな番組には出ない。仮に出るとしたら青汁並のインパクトのある反応でその料理の味を上手に表現してくれることだろう。
 とにかく何を紹介しても「うまい」だけではその差も分からなくなってしまう。学校の成績でオール優は天才だが、グルメ番組の「オールうまい」は、結局は何も伝えていないことに等しい。安易なグルメ番組が最終的にはテレビ局の首をも絞めていくのである。

アラスカのレストランの入り口にこんな木彫りの熊が立っていた。大好物のサーモンを片手に、もう一方の手にはビールジョッキを握っている。「サーモンおいしそう。。。ビールでイタダキまーす」という熊の表情につられて、思わずこのお店に入ってしまった。サーモンステーキを頼んだら、熊の顔の通り満足いくおいしさだった。
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by weltgeist | 2011-05-31 23:46

今年の鮎釣り解禁はピンチか (No.1078 11/05/30)

 明後日、6月1日は2011年度の鮎釣り解禁日。久しぶりに鮎釣り行こうと、竿や仕掛けの準備をしていたら、いやなニュースが流れて気勢をそがれている。福島県いわき市の鮫川と夏井川で獲れた鮎から基準値を超えるセシウムが検出され、県では鮎の解禁を延期する検討を始めたというのだ。いわき市は福島第一原発に近いからこんなこともあるかもしれないと思っていた。しかし、ずっと離れた檜原湖のワカサギや、伊達市阿武隈川のヤマメ、福島市摺上川のウグイからも620~990ベクレルのセシウムが検出されたというから問題は深刻である。
 鮎は川底に付いたコケを食べて育つ。放射能を含んだチリなどがコケの上に沈殿し、これを食べた鮎の体内に蓄積される可能性があるのだ。「水産庁によると淡水魚は海水魚に比べて体内にナトリウムをため込みやすく、ナトリウムに似た性質を持つセシウムも海水魚より検出しやすい」とニュースは伝えていた。
 鮫川も夏井川も何度か釣りに行ったことがあるが、最近の小生は神奈川県の相模川、中津川をホームグランドにしているので、放射能はここまでの影響は少ないだろうと思っていた。しかし、原発から90㎞も離れた檜原湖でもセシウムが検出されたということは、相模川だって危ないかもしれない。少し前には相模川より更に西の南足柄市でとれた「足柄茶」からセシウムが検出されているから安心はできないのだ。
 しかし、原発から200㎞以上離れた相模川の鮎まで心配し始めたら何もできなくなるだろう。自分的に「相模川は安全。大丈夫」と勝手に判断し、6月1日の鮎解禁に行く準備をしていたのである。ところが、昨日からの台風で川が増水してこの計画はオジャンになってしまった。予定していた相模川、中津川が大増水していると釣友が知らせてきたのだ。濁った水が大量に流れていてとても竿を出せる状態ではないらしい。ということは、神が今回の鮎釣りは諦めろ、行くなと忠告しているのかもしれない。相模川の水が安定してくるまで、鮎釣りは止めて蝶採りに専念するしかないようだ。
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 相模川の水はいつ頃になったら澄んでくるのだろうか。普通の川だと雨が降った分が一気に流れてしまえば、後の水は澄んでくる。ところが、相模、中津川とも上流には大きなダムがある。濁り水は長い間そのダムに貯水され、濁った水をチョロチョロと少しずつ流し続ける。短くて一週間、長ければ一ヶ月以上濁りが続いて釣り不能状態になるのである。大増水で沈殿した放射能をも一気に流してくれれば有り難いのに、中途半端にチョロチョロ流すから始末が悪いのだ。
 鮎のように6月に解禁になっても8月の土用の日を過ぎるとシーズンが終盤になる漁期の短い魚では一ヶ月間も濁ることは致命的である。恐らく相模川も中津川も、当分の間鮎釣りができないから小生の鮎釣りもしばらくおあずけである。
 原発事故による電力不足は水力発電所の存在感を際だたせた。川に流れる水の力で電気を起こすのだから原発のような危険性もない素晴らしい天然資源と世間は思うかもしれないが、どっこいそんなに良い資源などあるわけはない。自然に流れていた水を分断して操作するのだから、当然自然界には悪い影響を与える。本来きれいな水が流れていたはずの川がいつまでも不自然に濁り、河原は干上がってしまう。こんな川を見て悲しい思いをするのは鮎だけではない。釣り人も同じである。願わくば原発と同様にダムも無くなってほしいと思う。といって電気がなくなるのも困るのだが・・・。
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by weltgeist | 2011-05-30 23:26

クモマツマキチョウよ卵を産んでくれ (No.1077 11/05/29)

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 25日に山梨県某所でクモマツマキチョウの雌をつかまえたので、彼女に卵を産ませて、成虫まで育てようと頑張っている。元気そうな雌を傷つけないよう取り込んで家に持ち帰り、上の写真のような発泡スチロールの箱を改造した自作採卵ボックスの中に放して様子を見ているのであるが、今のところうまくいってない。
 ゴミ溜め化した小生の部屋の一部が写っているこの写真は、ちょっとひどい状況であるが、採卵ボックスを置く場所はここしかない。これでも一部の本を無理矢理どかせてスペースを作った貴重な場所である。それゆえ汚らしい部屋の写真をトップに載せるお見苦しさについてはご勘弁いただきたい。
 さて自作採卵ボックスは、近くのスーパーからもらってきた発泡スチロールのトロ箱をくり抜き、その穴に合わせて百円ショップで買った洗濯ネットのメッシュ網を貼りつけ、最後にガムテープで止めてある。クモマツマキに産卵させるには採卵ボックスは小さい方がいいというアドバイスを、飼育のベテランのAさんからもらっていた。しかし、今回小さい箱は手に入らなかったためAさんが言うサイズよりやや大きめ(外寸で37X30X15㎝)である。
 この中に現場で採ってきたクモマツマキチョウの食草であるはミヤマハタザオと、蝶の餌として蜜を吸えるハルジオンの花を入れた。ハタザオもハルジオンも水を張ったフイルムケースに刺してあるからしばらくはしおれることはない。そして、Aさんから狭い環境でクモマツマキに産卵行動を誘発させるには温度を少し上げることが重要だと教えられたので、写真のようにボックスの裏側から白色電球を照射している。 
d0151247_2310381.jpg しかし、親の雌蝶を採った翌26日から、一日6時間くらいずつ電灯照射を当てているが、今のところ蝶が産卵する気配はまったくない。それどころかハタザオやハルジオンの花から蜜を吸っている様子もなく、蝶は次第に弱っていくように見える。
 ボックスに入れて二日目くらいから動きが緩慢になって、左の写真のように、ハタザオの茎や箱の壁に止まって動かないことが多いのだ。短気な性格である小生は「早く餌の蜜を吸って、卵を産め」と命令したくなるのだが、これだけはどうにもならない。山から採ってきて4日目。今日こそ彼女が子孫を残すための産卵活動をやってくれるのではないかと期待を込めて毎日採卵ボックスをのぞいているが、いまのところ成果無しである。
 だが、ここまで変化がないとすると、もしかしたら彼女はまだ処女だったのではないかという疑問が出てくる。そうならお手上げだ。Aさんはクモマツマキの雌は羽化してすぐに交尾する個体が多い、10日も入れておけば大丈夫と言っていた。それまであと6日、どのような結果になるのか、今はまったく先が見えていない。
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by weltgeist | 2011-05-29 23:23

谷垣自民党総裁は日本のリーダーになれるか (No.1076 11/05/28)

 フランスで開かれたG8サミットで、管首相が久しぶりに目立っている。意味不明な彼の笑顔を見ていると、品性の無さが顔に表れた軽薄なおじさんという印象しか受けない。管首相に指導力がないのは明らかである。しかし、この非常時が彼には追い風となっている。能力がなくとも彼の首をすげ替えることはできそうもないのだ。今の日本はそんな政争をやっている時間的余裕はないのである。
 ところが自民党の谷垣総裁は来週にも菅内閣不信任案を提出すると息巻いている。公明党も同調しそうで、先行きは不透明になってきた。谷垣自民党総裁が「管首相は指導力なし」と言うのは小生も同意できる。しかし、それでは菅さんを首にして誰をリーダーにするのか。明確なビジョンがあって菅降ろしをするなら分かるが、とにかく「菅では駄目だ、だから辞めさせよう」では混乱を巻き起こすだけだろう。大騒ぎをしても菅さんと五十歩百歩の無能なリーダーが出るとしか思えないからだ。
 谷垣総裁にリーダーの器があるかと言えば、ノーである。大局を見抜いてそれに向かって日本丸の舵を切る能力が彼にあるとは思えない。人の欠点を見つけては「ほら見たことか」と声を上げることしかできない三流の政治家に見える。もし谷垣さんが有能なリーダーなら今の時期は仕方がないから無能な菅さんを盛り立てて、国民が一丸となる演出をすべきだろう。そうして震災が一段落したところで「これまでは非常時だから目をつむってきたが、これからは私がリーダーとなる」と宣言すればいいいのだ。
 一方の小沢元幹事長はいまや論外。彼が菅降ろしを主導し、そのあと自ら総理になるのか、それとも誰かを立てて裏から院政を敷くのか分からないが、どうなっても国民の不信感は消えないだろう。彼の頭にあるのは日本を良くしていくことではなく、自らの権力をどう維持していくかしか考えていないことが、簡単に見透かされてしまうのである。
 もし谷垣さんが有能なリーダーならこの非常時を乗り切る画期的な方策を立案し、内閣にどんどん提案していけばいいのだ。ふらついている首相の足を引っ張るのではなく、彼を支える力強い主張を挙国一致で展開していけば、次のリーダーには谷垣さんが相応しいと国民も理解してくれる。それが、リーダーを引きずり降ろすことしか考えないようでは信用もされない。もしこれで解散・総選挙にでもなれば、日本は世界の笑いものになる。その引導を渡した罪は、愚弄政治の張本人として歴史に刻まれることだろう。
 
 英雄は乱世の時代にこそ生まれる。彗星のごとく現れて国民をグイグイ引っ張っていくほどの指導者が今の時代こそ望まれる。人の弱点、欠点を突っついてあわよくば自分が取って代われないかと考える今のミミッチイ政治家たちにはうんざりする。荒削りでもいい。日本復興のための力強い政策を立案、実行する有能な救世主を国民は待ち望んでいるのである。
 日本がゴタゴタ分裂していることを世界に発信すべきではない。みなが一糸乱れぬ気持ちで復興に向かう姿勢を示すことだ。リーダーが無能なら張り子のトラでもいいだろう。馬鹿でもおだて上げてみんなで支える、そういう気持ちこそ必要なのだと思う。もし、谷垣、石原自民党、山口公明党が内閣不信任安を提出するとなれば日本は最悪の道を歩むことになる気がする。
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       画像はNHKのネット配信サイトよりDLしました。
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by weltgeist | 2011-05-28 22:40

小生がドイツ語を学んだ理由、その2 (No.1075 11/05/27)

d0151247_2047941.jpg 小生の英語は、どちらかというと受験のためにいやいやながら覚えたものである。だから妙にひねくれた文章を訳したりすることはできたが、英語で外国人と話す会話は全然できなかった。一方フランス語は仏会話学校に通ったから簡単な日常会話くらいはフランス語で話せるところまで行っていた。
 これに対してドイツ語は、英語ともフランス語とも全然違った方向から入って行った。最初からいきなり難しいドイツ語の哲学書を読み始めたのである。読み始める前に一通り文法は勉強したが、仮免許の人が路上に出るようにすぐさま実地に入ってしまったのだ。最初の頃、読んでいて往生したのは出てくる単語が辞書にも載っていない特殊な専門用語ばかりだったことだ。例えば、超越論的統覚( transzendetale Apperzeption / トランスツェンデンターレ・アペルツェプチオン)とか構想力( Einbildungskraft / アインビルドゥングスクラフト ) なんて日本語でも分かりにくい言葉の洪水に苦労したのである。
 しかし、カントを読んでいるとこんな言葉が連続して出てくる。言い換えればそれしか出てこないから、専門用語を覚えてしまえば他に覚える必要がなくなるのである。日常会話で使う一般的な言葉など覚える必要がないのだ。
 こうしてしばらくすると、おおよその哲学用語は覚え、ドイツ語の原書を読むのも早くできるようになった。しかし、小生が読めるのは哲学書だけで、一般の小説などは単語力がないからまったく歯が立たない。ましてや会話などとんでもない。いわゆる専門馬鹿になっていたのである。しかも完全な独学だから発音は全然なっていない。
 こんな偏ったドイツ語を4~5年ほど続けていたが、次第に独学の弊害が出てきてそれを修正する必要を感じてきていた。そんなときあるドイツ人と知り合ったことが転機となった。その人はドイツ語の会話学校である「ゲーテ・インスティトゥート / Goethe-Institut 」の先生だった。ゲーテ・インスティトゥートはドイツ連邦共和国の「ドイツ文化センター」が運営している学校で、いわばドイツ国営学校である。従って教育カリキュラムは質が高いが、授業料も高い。そんな高級な学校に行ける身分ではなかった小生がなぜ行けたかというと、実は奨学生として授業料を免除されたのである。
 もう詳しいことは忘れたが、いくつかの条件をクリアし、最後の筆記試験に合格すればドイツの国費留学生待遇としてゲーテ・インスティトゥートの授業料が免除される。当時は飯田橋(現在は赤坂)にあったゲーテ・インスティトゥートでその試験を受けた小生は、うまい具合に合格して授業料を免除してもらえたのである。
 しかし、それまで独学の勉強しかしてこなかった小生が、そんな難しい試験に受かるはずがない。もうとっくに時効だから白状するが、実は知り合ったドイツ人教授が小生の答案をちょっと細工してくれて、合格点に引き上げたくれたのである。要するにインチキをやったのだ。
 しかし、悪いことはするものではない。その後毎年繰り返された試験で、三年ほどはなんとか合格したが、それ以降ついに落第点をとり、授業料免除の特権を剥奪されてしまったのである。当時、親から勘当された貧乏大学院生の身分だったので、当然ながら高い授業料など払えない。金の切れ目が縁の切れ目で、ゲーテ・インスティトゥートにも行かなくなった。
 しかし、就職して社会人になってからもドイツ語の本を読むことだけは細々と続けていた。30代から40代にかけての小生は、昼間の仕事を終えて家に帰ると、アルバイトに週刊誌のコラム書きををやっていた。これの締め切りとネタ探しでたいへん忙しかったが、それでも毎晩ドイツ語の本を一ページずつ必ず読むと決め、それをかなり長い間続けてきたのである。
 塵も積もれば山となるで、「毎日一ページ読み」は10年以上続けて、気が付けばずいぶん沢山のドイツ語の本を読むことができた。熱しやすく冷めやすい小生だが、ドイツ語の学習だけは不思議と長続きして今日に至っているのである。

*左上の写真は、昨日お見せしたマルティン・ルターが1534年に出版したドイツ語の新訳聖書 ( Die Luther-Bibel von 1534:Vollständiger Nachdruck ) 復刻版表紙。宗教改革の狼煙をあげたためローマ教皇庁から追われる身となったルターはアイゼナッハのワルトブルグ城に身を隠し、1522年にわずか11週間という異例の早さで新約聖書のドイツ語訳を完成させる。それは途中何度か改訂版で修正しながら、1534年の版で旧約聖書と一緒に出版された。復刻版はこの歴史的聖書を再現したものである。
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by weltgeist | 2011-05-27 23:48

小生がドイツ語を学んだ理由、その1 (No.1074 11/05/26)

 一昨日のフランス語に続いて今度はドイツ語を学び始めたわけを今日は書いてみたい。小生のフランス語は大学の第二外国語として履修したのが始まりで、その後フランス語の会話学校まで行って、簡単な会話程度はできるようになった。しかし、それでどうなんだというと、別にどうでもない。ただフランス語が多少理解できるようにはなったが、そんな程度ではさしたる意義を感じられなかったのだ。言葉を習うだけならあまり意味がない。フランス人なら5歳の子供でさえ流ちょうなフランス語を話せる。覚えた言葉をどう使うかが重要なのだ。それなのに、小生にとってフランス語は実生活で全然活用する場がなかったのである。そのうちに少しずつドイツ語を勉強するようになり、フランス語から自然に離れてしまったのである。
 大学二年生の頃から盛んに哲学書を読み始めたが、どうもすっきりしない。日本語に翻訳されたものだと分かりにくいのだ。当時、まだ生意気盛りであった小生は「これはきっと翻訳が悪い、ドイツ語の原文を読めば分かりやすいのではないか」と考えてしまったのだ。今思えば、ドイツ語の原文を読んでも哲学が難解であることに変わりはないのだが、当時は翻訳、訳者のせいにし、何とかドイツ語で著者の言っている生の言葉を理解したいと思い、少しずつドイツ語を勉強し始めたのである。
 そして、ドイツ語を学び始めると、これがフランス語よりはるかに学びやすい言語であることが分かってきたのである。ドイツ語は英語やフランス語と比べて曖昧さがほとんどない。英語などは不規則変化が多くて、それらを丸暗記しないと意味が通じないことがある。これに対してドイツ語は最初は覚えなければならないことが沢山あっても、基本的な文法を覚えればあとはその応用だけでいい。不規則変化がほとんどないから楽なのだ。ドイツ人の性格と同じで全てが規則通りにカッチリと決まっている言葉なのである。
 例えば名詞の前に付ける定冠詞は格変化が厳密に決められている。主格・属格・与格・対格の格変化があり、格変化を見ればその単語の後に「が、の、に、を」と付ければ日本語としての意味が分かる。男性定冠詞の格変化は der、des、dem、den である。だから、男性名詞「人間 / Mensch メンシュ」を例に取ると、主格(第一格)は der Mensch で人間、または人間、となり、これは主語となる。属格(二格)は des Mensch で人間で、いわゆる所有格である。与格(三格)は dem Mensch で人間、対格(四格)は den Mensch で人間で目的語と言う具合に、格変化を見ただけでその単語が主語なのか、目的語なのか、それとも所有格なのか簡単に分かるのである。
 ドイツ語の名詞はフランス語より一つ多く、男性名詞、女性名詞の他に中性名詞というのがあり、これの格変化を覚えるのはたいへんだが、一度覚えてしまえばあとは非常に楽になる。英語ではどれが主語で、どれが目的語か分からなくて翻訳に迷うことがよくある。ところが、ドイツ語では主語は主格だから der Mensch であり、 den Mensch とあれば、こちらは対格、目的語である。非常にはっきりしていて、英語のような曖昧さからくる誤訳がほとんど起こらないのだ。そのうえ、フランス語で悩まされた単語の語尾が子音で終わり、次ぎが母音で始まるときはつなげて発音するリエゾンがドイツ語ではない。格変化で意味がはっきりするとともに、発音もカチッとしていて聞き取りやすいのである。
 こうして小生は次第にドイツ語を覚えていったのだが、その後ドイツ語会話を覚えていったことは明日続けて書くつもりである。
明日に続く。
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マルティン・ルターが初めてドイツ語に翻訳した新約聖書の復刻版。開いているページはローマ書の冒頭である。昔はこのようなヒゲ文字という独特の文字で書かれていて、現代人にはたいへん読みにくい。右のページのタイトルは Die Epistel Sanct Pauli An die Römer ( ローマ人への聖パウロの手紙 ) と書かれている。左は Vorrede 序文である。ルターの時代、聖書はこうした序文付きで出版されていたようである。
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by weltgeist | 2011-05-26 23:55

クモマツマキチョウの採集 (No.1073 11/05/25)

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 今日は山梨県の某所にクモマツマキチョウという高山蝶を採りに朝早くから行って先ほど帰ってきた。クモマツマキチョウは高い山の上にいる高山蝶である。大きな岩がゴロゴロした急峻な谷を下から源頭近くまで遡行して行かないとお目にかかることができない。久しぶりに雪代が流れる渓流を遡行したら、運動不足で鈍っていた体はくたくた。最後は足が攣ってしまい、歩くのも往生したほどたいへんな一日だった。
 先ほど帰ってきたら、もう動くのも億劫で、いつもの長文を書く元気は残っていない。それで本日のブログはクモマツマキチョウの写真だけでおしまいにしたい。
 写真と簡単なキャプション程度の文章だが、これでも一応「毎日更新」の体裁だけは整っていると自分は思っている。もちろん本当はもっとしっかりした文章をつけたいのだが、肉体的な疲労と睡魔は如何ともし難い。明日はしっかり書くので、今夜はこのへんで休ませていただきたい。
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by weltgeist | 2011-05-25 22:59

小生がフランス語を学び、かつ諦めた理由 (No.1072 11/05/24)

 世界で一番美しい言葉はフランス語だと言われている。たしかにフランス映画で話すフランス語の発音はきれいで、あんな言葉が話せたらいいな、と思ってしまう。それで大学に入ったときの第二外国語はフランス語を選んだ。1960年代はまだドイツ語の方が優勢で、同級生の男子の大半はドイツ語を履修した。しかし、小生がフランス語を選んだのは、実はこっちの方が女子学生が多く、華やかなイメージがあると思ったからだ。
 当時の大学は今と違って女子学生は非常に少なく、一クラス50名中、数名程度しか女性はいなかった。そんな希少価値のある彼女たちは多分フランス語を履修すると思い、小生もこちらを選んだのである。高校生の頃までまったく女性にもてた経験のない小生は、少しでも女子学生の近くにいたかったのである。
 しかし、フランス語は初日の授業から面食らうことが起こった。大学の受験勉強もろくにした覚えはないが、それでも英語の基本的なことくらいは理解しているつもりであった。ところが、フランス語は英語よりはるかに複雑であることを知り、戸惑ったのである。
 英語と違って、単純に単語を覚えるだけではだめで、それぞれの単語には女性か男性か「性」があるというのだ。それも名詞だけでなく形容詞などにもあるという。英語と違って男性名詞なのか、女性名詞なのかまで覚えなければならないのである。
 例えばお母さんという名詞は la mère (ラ・メール)と女性、お父さんは le père (ル・ペール)と男性であることは分かる。それぞれ女性を表す la か男性の le という具合に定冠詞を付けて覚えればいいのだが、母に似た言葉で海は la mèr ( ラ・メール ) となると、なぜ海が女性なのか分からない。さらに山は同じく女性名詞で la montagne (ラ・モンターニュ)であるのに、高い山や山脈は le mont (ル・モン)と男性名詞になってしまう。海や山は女性ときまっているから、つべこべ言わずにそれを丸暗記せよというのである。やれやれこれは面倒な言葉を覚えなければならないなと思っていたら、フランス語はまだ良い方で、後に学び始めたドイツ語では男性、女性の他に中性というどっちつかずの名詞まであり、三つも覚えなければならないことが分かったのである。
 そしてさらにまごついたのは、発音だ。フランス語ではリエゾンと言って、母音の前に子音があると、くっつけて一緒に発音する。一字一句明瞭に分けて発音してくれればある程度分かるのが、ペラペラペラーっと一気に発音するから分かりにくい。例えば、英語で What is this? これは何ですか?  は Qu'est-ce que c'est? ( ケスクセ? ) となるし、何時ですか? は Quelle heure est-il? ( ケルール エティル? ) となる。これでは耳をすませていても全然聞き取れないのだ。
 これはあきません。このままでは物にならないと思って、小生はお茶の水に今もあるアテネフランセ(日仏学園)というフランス語の学校にあわてて入学したのである。生来から負けず嫌いの小生、あまりの複雑さに頭に来て「こいつは絶対覚えてやるぞ」と発憤してアテネフランセでフランス人からネイティブなフランス語をしっかり教わったのだ。もうこうなると女子学生など目じゃない。何とかフランス語をものにするぞと頑張った。そして、その成果があって、多少はフランス語を読み、話すこともできるようになった。だが、なぜかそれは二年で中断してしまうのである。
 その理由はいくつかあったが、最も大きな原因は小生の根本的な欠点である飽きっぽい性格である。子供のころあれほど熱中していた蝶の採集をきっぱり止めてロッククライミングに熱中したと思ったら、そのあと釣り師にコロッと変わってしまった。熱しやすく冷めやすいのだ。それと同じでフランス語に飽きてきたのである。そのころ自分が出した結論はフランス語をいくら学んでも、日本国内で学ぶかぎり限界がある。本格的に学ぶならフランスに留学しなければ駄目だ。だが、単に言葉を学ぶためだけで留学することには疑問があった。そして、目的もなくただフランス語を学ぶことに意義を見いだせなくなってフランス語を学ぶことを止めてしまったのである。だが、飽きっぽく移り気な小生はそのあと今度はドイツ語の会話学校に通うことになるのだが、これについては次の機会に書きたい。
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パリの高級ブランド店が並ぶシャンゼリゼ通りをフランス語で書くと L'Avenue des Champs-Élysées(ラヴェニュ・デ・シャンゼリゼ)となる。この通りは、「世界で最も美しい通り la plus belle avenue du monde (ラ・プリュ・ベラベニュ・デュ・モンド)とわれている。星形に道路が広がることからかってはエトワール広場 Place de l'Étoile ( プラス・ド・レトワール {エトワールとは星という意味の女性名詞})と呼ばれたシャルル・ド・ゴール広場 Place Charles-de-Gaulle にある凱旋門 Arc de triomphe (アルク・ド・トリヨーンフ)からコンコルド広場を経て、ルーブルまで続くパリ最大の名所である。
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by weltgeist | 2011-05-24 23:12

カール・マルクス & フリードリッヒ・エンゲルス、「共産党宣言」 (No.1071 11/05/23)

d0151247_20395441.jpg 小生は若い頃英語が嫌いだったと昨日書いた。小生が大学に入学したのは1961年。この前年の60年は日米安保条約の改訂締結に反対する学生、労働者の大規模な反米闘争が繰り広げられていた時代である。東大生の樺美智子さんがデモで圧死したり、アイゼンハウアー大統領の訪日が中止されるなど、反米、反帝国主義運動が最も過激であった時代だ。こんな騒然とした時に英語を学ぶことはアメリカに荷担すること、ひいては安保条約に賛成し、日本の再軍備を支援する立場の人と見られると、当時の大多数の学生や市民は思っていたのである。
 大学生にはなったもののまだ高校生の気分が抜けきらない小生は、前年の安保騒動の雰囲気が濃厚に残る大学で、その雰囲気の影響を強く受け始めていた。何も分からないうぶな学生であった小生に、ある先輩が「お前もこれを読め」といって渡されたのが、「共産党宣言」( Manifest der Kommunistischen Partei / 1848 )である。
 30分もあれば読み切れる薄い本であったが、その中身の濃さは本の薄さを吹き飛ばすに十分で、自分はこの「宣言」を読んで雷に撃たれたようなショックを受けたのである。
 冒頭の「ヨーロッパに幽霊が出る。共産主義という幽霊である」という有名な書き出しはともかく、それに続いて書かれた「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という、歴史を一刀両断にする文章に目からウロコが剥がれるような気持ちがした。
 ヨーロッパでは封建制社会を支配していた封建君主や貴族、大地主たちが新たに生まれた資本家・ブルジョワジーによって駆逐されていく。ブルジョワたちは資本の力で古い勢力を圧倒するとともに、中世封建制のもとで細々と暮らしていた一般庶民を「賃金労働者」として雇い入れ、彼らをプロレタリアート化していく。
 だが、ブルジョアは雇った労働者に「ただ彼が生存するに必要とされるだけの賃金しか払わない」のだ。労働者は「生かさぬよう、殺さぬよう」程度の賃金しか渡さず、食うや食わずの生活を強いられていくのである。
 「宣言」を書いた1848年頃は産業革命で社会の生産力が急激に増大していた時代である。各種の産業機械の利用が拡大し、分業が進んでいたから生産力は増大した。そうなれば労働者も楽になるはずだった。ところが「その分業のおかげで、プロレアリアの労働は個人的性格の全てを失い。労働者は機械の付属物になって」しまうのだ。一方の資本家はますます富と力を得て、労働者との間には決定的な溝が深淵となって広がっていく。
 ここまで読んだとき小生たちは何で今もこんなに貧しいままなのか、その理由を理解した。それは資本家が労働者を搾取し、自分だけの私有財産を殖やしているからだ。それに対してマルクスは非常に単純明快な答えをだしていた。「共産主義者の理論は、私的所有の廃止という唯一つの文に要約できる」というのだ。
 私的所有の廃止とは、資本主義の根幹を否定することである。つまり革命だ。しかし、それは簡単にはいかないだろう。資本家はあらゆる手段を講じて防衛してくるからだ。そうなると、資金は持たないが数において圧倒的なプロレタリアートは、力、すなわち暴力によって資本主義体制をぶち壊すしか道がなくなる。
 「共産主義者は、その目的があらゆる現存する社会条件を暴力的に打倒することによってだけ達成できることを、公然と宣言する。支配階級は、共産主義革命に恐れおののけばいいだろう。プロレタリアが失う物は束縛の鎖以外に何もない。プロレタリアには勝ち取るべき世界があるだ」と書いて、最後に「万国の労働者、団結せよ!」で共産党宣言は終わる。
 
 マルクスとエンゲルスが予言した「抑圧された労働者が資本主義を打倒し、社会主義をうち立てる」ことは、レーニンのボルシェビキ革命で実行された。だが、それは当時ヨーロッパの最貧困国であったロシアでなされたのであって、資本主義が最も発展した西欧諸国では革命は起こらなかった。マルクスの予言は当たらなかったのである。
 レーニンが理想に燃えてなした社会主義革命は、その後、スターリンに引き継がれ余りにも悲惨な結末で最後は挫折した。現実はマルクスが考えたように行かなかった。それを運営する「人間の側」に問題があったからだ。人間は理論で動くほど単純なものではない。「お前は左に行く」と言われれば、右に行きたくなるのが人間である。
 19世紀に真理であったものでも、それが今も通用すると信じている人は誰もいないだろう。小生の家にあるマルクス・エンゲルス全集もすっかりほこりを被ったままである。
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by weltgeist | 2011-05-23 22:53

リタイア後の習い事は外国語習得 (No.1070 11/05/22)

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 朝日新聞のアスパラクラブ・ウエッブサイトのアンケートによれば、女性がリタイア後に楽しむ習い事でダントツの一位になったのは「外国語の習得」だという。シニアになったら思う存分海外旅行をしたいとか、日本とは違った異文化を知るために外国語を学びたいという、一種のあこがれがこの結果になったようだ。
 結婚と子育てを終えてほっと一息ついた女性たちの向上心の強さがここに表れている。ちなみに二位は「ヨガ・ピラティス」だという。いつまでも美しく健康でいたいというこれまた女性らしい願望が表れた結果である。
 これに対して男性の一位は「菜園作り」(女性は四位)、二位は「料理」(女性は九位)である。小生、菜園作りも料理も好きではないが、ストレスの激しい仕事を続けてきた多くの男性にとっては、いまさら自らを磨き上げるより、のんびりと野菜でも作って、自分の気に入った料理を食べたいという気持ちになるのだろう。また散々作ってきた料理をシニアになっても続けたくない女性の気持ちも同様に理解できる。
 女性が一位にあげた「外国語習得」は、男性の場合第四位である。女性に比べてやや人気がないが、それでも四位ということは全体的には男女とも外国語を勉強したい願望はかなり強いものがある。しかし、それは願望であって、必ずしも実現しているかというと、難しい。
 外国語を習うにはネイティブな言葉を話す外国人講師から教えてもらうのがベストである。しかし、そうなると高い授業料や教材費がネックとなる。現役時代と違って入ってくるインカムの金額は少ないのが普通だから、資金をそちらに回すことがむずかしい。つまり敷居が高いから願望はあっても実現するには厳しい面があるのだ。
 そして、願いが叶って外国語を学び始めても、なかなか思うようには上達できない。頭の回転が悪くなっているシニアの段階から外国語を学ぶことはこれまた敷居が高いのだ。一年くらい習った程度だと、よほど優秀な生徒は別として、簡単な会話しかできないのが普通である。しかし、それでもいままでまったく外国語を話せなかった人にとっては画期的な変化が起きるだろう。
 外人を見たら「怖い」と逃げ回っていたのが、片言でも話しかけられるようになり、希望していた「異文化を知る」入り口には立てるからだ。そうなれば学んでいる人の世界観はぐっと広がる。ただし、ここからがたいへんである。子供の頃と違って固くて鈍くなった頭はいくら頑張っても、「ジャパニーズ・イングリッシュ」あるいは「フレンチ」の域を抜け出せないのだ。
 小生の周りにはマダム・パスカルさんとかO先生のように、同時通訳ができるほど英語力のある友人が何人もいるが、こうした人たちは若い頃アメリカに留学してしっかり勉強していたからで、シニアになってそこまでいくことは難しい。とにかく語学は若いほど上達も早く、有利なのだ。
 英語が嫌いだった小生は学生時代はフランス語とドイツ語の会話学校に通っていて、英語は避けていた。仕事上必要に迫られて英会話を習い始めたのは42歳という遅い出だしだから、いまだに英語がうまく話せない。しかし、それでもいいと思っている。いまさらネイティブスピーカーになれるわけがない。自分が思っていることの半分くらいでも相手に伝えられれば上等と考えているのだ。
 しかし、遅い出発であったが、英語を学んだことで、小生の視野は大きく広がったと思っている。シニアの人が外国語を学びたいということはたいへんいいことである。「日本」という殻を突き破って、世界的な視野で物事を見るチャンスがグッと増えるだろう。外国語を学ぶことはたやすくはない。むしろ苦しいことの方が多いが、是非、それにチャレンジしてグローバルジャパンの一角を支える力になってほしいものだ。
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by weltgeist | 2011-05-22 23:44