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ロイヤルウェディング (No.1048 11/04/30)

 暗い話題ばかり続く中、昨日は久しぶりに明るくうれしいことがあった。英国のウイリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚式だ。日本時間午後7時からライブで中継された映像は、世界中で20億人も見たという。昨日の小生はその20億人分の1人となってテレビの画面を食いつくように見つめるミーハーオヤジと化していた。
 ロンドン、ウエストミンスター寺院で行われた結婚式は、英国国教会の儀式にのっとって行われたようだ。結婚の誓いの言葉「汝はこの女性を妻とし、富める時も、貧しい時も、健やかな時も、病めるときも、愛し、慈しみ、忠実であることを誓いますか」と聞かれる。小生も30数年前に牧師に聞かれたのと同じ言葉である。
 この後指輪交換のはずだが、意外にも交換はなかった。王子がケイトさんに金の指輪を渡すだけである。欧米では男が結婚指輪を着けていないと独身に見られる。王子は指輪をしないでどうするつもりなのか、ちょっとミーハー的な疑問がわいてきた。ま、20億人もの人が見ているのだから、王子が指輪をはめていようが、いまいがあまり意味はないだろう。誰も彼が既婚者であることは知っているから、指輪なしで独身のふりをしても浮気は難しい。
 指輪の後もカンタベリー大主教が、結婚したら最後まで連れ添うのだよ、としつこいくらい念を押していた。父親のチャールス皇太子は、ダイアナさんと結婚する前から不倫していて、結果的にはダイアナさんの死の遠因を作っている。王子とケイトさんの結婚は末永くいつまでも愛に満ちたものであって欲しいものだ。
 結婚の誓いのあと、賛美歌を歌い、ケイトさんの弟が、聖書の朗読をする。ローマ書第12章に書かれたパウロの厳しい言葉である。テレビ放送は12章9節から少し読んだところでコマーシャルに切り替わってしまったが、弟、ジェームズ・ミドルトン氏が読んだのは次のような言葉である。

愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
ローマ書12:9-18


 「尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」ウーン、素晴らしい言葉だ。しかし、難しい。こうした立場を彼らは貫き通すことができるだろうか。パウロの「自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい」と言う言葉は我々自身もキモに命じるべきことだと思う。
 この世の中で俺より偉い者はいない、という態度を我々はとっていないだろうか。自分より相手の立場を認めてあげよとパウロは言っているのだ。ウイリアム王子がこれを完璧に実行してくれるなら英国は素晴らしい国になるだろう。
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         画像は日本テレビのライブ中継からDLさせていただきました。
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by weltgeist | 2011-04-30 22:15

フジミドリシジミが羽化した (No.1047 11/04/29)

 ゼフィルスと呼ばれるミドリシジミの仲間、フジミドリシジミを飼育していて、ついにその成果が出た。本日3頭がいきなり羽化して蝶になったのである。昨年手に入れた15個の卵からふ化した12匹の幼虫に餌であるブナの新芽をせっせと与えてきた。その努力が報われたのだ。
 小生、蝶を育てる飼育なんてこれまでやったことがない。以前、庭のサンショウの木についていたアゲハチョウの幼虫を見つけてさなぎまで育てたが、最後の段階でさなぎを傷つけて蝶まで育てられなかった。その程度の経験しかない飼育のド素人なのである。
 ただ、小生の周りにはその道のベテランである良き先輩が何人もいる。育てている途中で分からないことがあっても、そのつど先輩に助けてもらえたのである。餌のブナの新芽を切らさないよう与え続けること、幼虫を入れた容器はきれいに掃除し、幼虫の健康状態まで入念にチェックすることなど、毎日先輩の指示通りにやったおかげが今日の成果に結びついたのだ。
 しかし、このチェックは想像以上にたいへんだった。朝起きたら自分の顔を洗うより前に、幼虫のチェックをする。これが結構な時間と手間が必要で、ちょっと手抜きするとてきめんに悪い結果が出る。不注意からふ化したばかりの幼虫2匹を死なせ、残り2匹はもうサナギになる直前まで育ちながら逃げられて行方不明になってしまった。餌を入れた容器の蓋を完全に閉めていなかったので、その隙間から逃げ出したのである。
 それでも8匹が幼虫からさなぎに変態した。卵からふ化したのが3月18日、さなぎになったのは4月14日であった。さなぎになればこれ以上餌の手配は考えなくていい。それまで幼虫が腹をすかせていないか毎日注意深く点検し、餌が少しでも足りなくなったらすぐに新しいブナの芽を補給していた。もうそれは必要がない。あとはひたすらさなぎから成蝶が羽化してくるのを待てばいいのである。
 サナギから蝶に羽化するときはきっと劇的なシーンが見られるだろう。ビーナス誕生のような素晴らしい瞬間を絶対カメラに収めようと期待を込めて待っていたのである。ところが待てど暮らせど蝶が生まれてくる兆しがないのだ。そうしていい加減忘れかかった本日、いきなり3頭羽化したのである。この遅さは想定外のことで油断していた。
 サナギからはい出て翅を延ばしていくシーンを撮影するどころか目撃もできなかったのだ。羽化の瞬間は見逃しても、まだ飛翔力が弱い段階で近くの鉢植えの木に止めてエメラルド色の羽根を開いたところを撮ろうと目論んでいた。しかし、自然は小生の勝手な都合に合わせてなどくれない。部屋の中を活発に飛び回るフジミドリをカメラを持って追い続けたが、木に止まったところも翅の開帳シーンも駄目だった。ようやくに撮れたのが、小生の指に止まった下の写真である。しかし、サナギはまだ5個残っている。数日中にはこれらも羽化するから、その時こそ絶対羽化の瞬間を撮ってやろうと思っている。
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by weltgeist | 2011-04-29 23:56

タケノコ堀り (No.1046 11/04/28)

d0151247_22114927.jpg 毎年この時期になると多摩川の岸辺近くに住む義姉からタケノコ狩りに来ないかとのお誘いがくる。そのお声が今年も掛かってきて、本日は急遽タケノコ堀りに行ってきた。義姉の住むマンションの敷地内に孟宗竹の林があり、ここに自然に生えてきたタケノコが採れるのだ。
 ところが都会に住んでいる人たちはタケノコは八百屋やスーパーの店頭に並ぶ農作物であって、まさか自分たちの周りに自然に生えている物とは思っていないようだ。だから数年前までこの竹林でタケノコを掘るのは義姉とわが家夫婦しかいなかった。広い竹藪にはそれこそ雨後のタケノコの言葉通り、採りきれないほど沢山のタケノコが生えていて選り取り見取りの状態だったのである。
 しかし、こういうことは長く隠し通せるものではない。我々がタケノコを掘っている姿をマンションの住人たちに目撃されてしまったのである。誰も知らなかった秘密は皆が目にするところとなり、最近は真似してタケノコを採る人が増えてしまった。当然ながら競争が激しくなって取り分は減っているのである。
 義姉が言うには、採る人が多く競争が激しくなっただけでなく、今年は発生数自体も少ないようで、数年前のような大漁は望めないらしい。数本も見つければ良しとする状況のようだ、しかし、それでも竹藪の中で頭を少しだけ持ち上げたタケノコを見つけるとワクワクする気分になる。野にある自然の恵みを収穫することに、何か原始時代の人に帰ったような「野生の楽しさ」が味わえるのである。
 妻と義姉が世間話をしている間、待ちきれなくなった小生はフライング気味にスコップを持って飛び出して行く。すると、すでに先行しているおばさんが竹林にいて、小生の姿を見て厳しい顔つきをして何か言っている。見たこともない男が侵入して敷地のタケノコを盗みに来たと思われたようである。本当はこのおばさんより小生の方がずっと先輩で、「あなたは我々が見つけたお宝を後から楽しんでいるだけだろう」と言いたかったが、義姉がやって来るまでおとなしくしていた。
 幸い義姉が「義理の弟です」と紹介して事なきを得たが、彼女がいてくれなかったらタケノコ泥棒と間違われたトラブルになるたところだった。
 この先行おばさんの行動力はすごく、たちまち生えているタケノコを見つけてスコップで掘り出した。ところがこの竹藪のタケノコ発見者である小生は、先輩であるくせになかなか見つけられない。一年に一度しかタケノコ狩りをやったことがないので、毎日チェックしているおばさんに勝てないのだ。マゴマゴして全然見つけられない小生、妻からも「駄目オヤジ」と言われる始末で先輩の面目丸つぶれであった。
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このおばさんのタケノコを見つける能力はすごくて、見ている間にたちまち数本を見つけてしまった。どうやら毎日竹林を巡回しているらしく、どこに次のタケノコが生えてくるか分かっているようだ。駄目オヤジの小生、最後はこのおばさんのコーチでようやく何本か収穫することができた。
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by weltgeist | 2011-04-28 23:32

デジタル時代の落とし穴 (No.1045 11/04/27)

 デジタル時代になって、思いもよらない失敗をするようになった。撮影したデータを誤って削除してしまったのだ。昨日、「海外旅行の達人」の家で何枚か写真を撮らせてもらった。それを帰りの電車の中で確認し、ピントの悪いものだけ削除していたら、どこで間違えたか全部削除して写真が無くなってしまったのである。
 今回は達人のお話を聞かせてもらうことがメインだから、仰々しい一眼レフのデジカメは持っていかなかった。先日購入したリコーのコンデジ、GX200をカバンに忍ばせて、目立たないように撮影した。慣れていないカメラのため手ブレやピントの甘いものがあり、それを一枚ずつ確認しながら、削除していて最後に見直そうと思ったら、無い、無い、さっき撮った写真データの全てが消えてしまって無いのだ。
 新しいカメラで操作に慣れないためか、どうやら全ファイル一括削除を実行したらしい。電車のなかでそんな重要な操作をしたから罰が当たったのだろう。それからがたいへん。何とか削除したデータを取り戻せないか、カメラのマニュアルを読んだり、ネットで調べたりして、ほぼ半日ほど試行錯誤を繰り返したが埒があかない。ところがそろそろ諦めようかなと思い始めた頃、急に半分ほどデータが生き返ったのである。ここがまたデジタルの不思議なところでもある。どうして復元できたのか情けないけど小生には理解できないのだ。とにかく色々やった操作のどれかが良かったのだろう。しかし、どの操作でファイルが復元したのか覚えていないから、もう一度やれと言われても多分できないだろう。
 デジタルという奴はどうも一筋縄ではいかない。そもそもデータは削除したようでも実際にはまだメモリーの中に残っている可能性がある。たとえで言えば、バケツの水をこぼせばバケツは空になるはずだが、デジタルでは水は残っているが、それをくみ上げるヒシャクを捨てて(削除)しまっていて水を取り出せない状態なのである。
 しかし、ヒシャクを探し出すことはできる。バケツの中に水が残っている限り、専門的なソフトを使えば読み出すことは可能なのだ。大相撲の八百長メールの例を見れば、かなりのファイルが復元できることは分かる。ただし、それにはお金と時間がかかる。小生の持つデータはそこまでする価値はないから、消えてしまったものは諦めるしかないと思っているのである。 
 ところで、今回の津波で海水を被ったパソコンからデータだけでも取り出せないかという依頼が沢山寄せられているという。最近はデジカメ写真をプリントしないでハードディスクに保存しているだけの人が増えている。しかし、写真データをハードディスクだけに保存していたら、津波で思い出の写真は全て無くなることになる。
 こうした人たちのためにハードディスクのデータ復元をしている所をテレビが報道していた。無料のボランティアなのか、有料なのかは分からなかったが、無くなったと思ったものが復元できるのは被災した人たちにとっては最高にうれしいことだろう。
 テレビ報道によれば海水に浸かったパソコンでも、早い段階で適切な処置を講じていれば復元はできるようだ。ハードディスクを濡れたタオルでくるんでビニール袋に入れてなるべく早く修復に出せば何とかなるという。貴重なデータが入っているなら駄目と諦めないで修復に出すことをお勧めしたい。しかし、本当を言えば、大切なデータはハードディスク保存と同時にDVDにバックアップをとっておくべきだろう。
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by weltgeist | 2011-04-27 23:56

海外旅行の達人 (No.1044 11/04/26) 

 海外旅行をする場合、コースから乗り物、宿の手配まですべてインクルードしたパッケージツアーは安くてお得だ。一昨年の冬に行ったグアム島4日間の旅は、なんと航空運賃、燃油代からホテルまで全部ひっくるめて18800円という破格の料金だった。これが個人旅行となるとそうはいかない。航空券の購入からホテルの予約、さらには空港からホテルまでの移動など全部自分で手配しなければならない。料金もはるかに割高なものになるだろう。
 言葉や情報不足など、海外の旅行はとくに個人が手配するのは難しいからパッケージツアーはお手軽でいい。しかし、何度か海外に行っているとパッケージツアーの欠点も見えてくる。値段の割に色々な所を見学させてくれるが、総花的すぎるところが物足りなくなるのだ。パリもロンドンもローマも行ったけれど、どれも忙しい駆け足旅行で、具体的にパリの何処を見たのかと聞くと意外に印象が残っていない。シャンゼリゼや凱旋門はさすがに覚えていても、その他は沢山すぎて逆に何を見たか覚えていない人が意外に多いのだ。
 最近はあれもこれも行くのではなく、一カ所に滞在するツアーも増えている。パリ6日間フリータイムといった具合に現地までのチケットとホテルだけで、あとは自由にお客さんが行きたいところに自分で行くという滞在型フリーツアーだ。これだと個人旅行に近い感じで自分の行きたい所をある程度選べるから印象も深まる。ただし有名都市ばかりで、マイナーな都市の滞在型はないのが欠点である。
 パッケージツアーも有名所ばかり扱っていて、これから外れた地域になると個人で手配しなければならない。しかし、そうした場所は現地の情報も少ないので、個人で手配することはむずかしくなってくる。とくに英語圏以外の地域では言葉の問題があって個人旅行の壁は急に高くなるだろう。現在小生が行きたいと思っているのはロシア語、中国語、アラビア語を話す地域だ。この地域を個人的に旅するのはとても難しいと感じているのである。
 ところがそうした地域を頻繁に旅行している海外旅行の達人とも言える人と本日お会いして話を聞くことができた。その方は小生より年上で、とっくにリタイアして毎日が日曜日状態だから、気が向いたら何処にでも一人で行ってしまうという。彼が行っている場所がすごい。とてもパッケージツアーなど組めない世界中の僻地ばかり旅しているのである。
 問題は彼の旅行のやり方だ。往復の航空券だけ買ってとにかく現地まで行ってしまう。空港に着いた時点で全て現地手配するらしいのである。アメリカやヨーロッパなら英語が通じるから予約なしに行っても何とかなる。ところがチベットとか新疆ウイグル自治区、ロシアのシベリア地方などにさっさと行って、それなりに旅を楽しんでくるというのだ。
 「行けば何とかなる」と彼はあっけらかんにいう。「でも言葉が通じない国では無理でしょう」と聞くと、「中国は筆談だ。漢字を書けば相手はある程度理解してくれる。ロシアや中央アジアは世界共通言語、つまりゼスチュアーで大丈夫」と言っている。実際彼はこれで毎年何カ所も旅をしているのである。
 これをするのが若者なら分かる。ところが彼はすでに70歳を越えているのである。いままでどのくらいの国に行ったのか聞きそびれたが、ものすごいバイタリティにすっかり当てられてしまった。こういう元気な人を見ると、自分ももっと頑張らねばと思わされてしまう。いやはや世の中にはすごい人がいるものである。
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パリからフランス新幹線・TGVで2時間ちょっとで行けるアルザス地方の古い町、ストラスブール。フランスなのにドイツ風の古い家が建っていていかにも古きヨーロッパという雰囲気がある。こうした小さな町まで組んだパッケージツアーはなかなか無いので、行くとなると個人で全て手配しなければならない。
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by weltgeist | 2011-04-26 23:55

ミーちゃんの正体が分かった (No.1043 11/04/25)

d0151247_21175857.jpg  No.1036 で庭のエノキにゴマダラチョウの幼虫がついていて、これを「ミーちゃん」と名付けて妻と観察していると書いた。しかし、次第に大きくなっていくミーちゃんを見ているうちに「どうもゴマダラチョウの幼虫とは違うのではないか」という疑問が出てきた。
 エノキを食べる蝶では日本の国蝶であるオオムラサキとゴマダラチョウ、それに外来生物であるアカボシゴマダラがいる。これらはいずれもそっくりの姿をしているが、背中の突起の数が違うことで区別できる。オオムラサキは4本、ゴマダラチョウは3本、アカボシゴマダラは4本だが、そのうちの2本が目立った大きさだから、突起の様子を見ればすぐに区別できるはずである。
 庭のエノキにいた幼虫は背中に3本の突起があったので、小生、あまり深く考えずにゴマダラチョウと判断したのである。しかし、このグループは成長するにつれて背中の突起が小さくなって目立たなくなる。どうもそれで突起の数を見間違えたようだ。本日、エノキにしがみついているミーちゃんをじっくり見たら、背中に赤茶色の帯があり、アカボシゴマダラの幼虫と判断した。
 ゴマダラチョウは純日本産だが、アカボシゴマダラは大陸から日本に浸食しつつある外来種である。国産のゴマダラチョウを期待していた小生は、ほんのちょっとだけがっかりした。でも、外来生物と聞くと、全て悪の代名詞みたいな扱いをする人たちと横並びになりたくはない。
 外来生物の侵入に神経をとがらす「自然保護主義者」の人たちは、アカボシゴマダラをとんでもない侵略者で、在来種のゴマダラチョウやオオムラサキが駆逐されると嫌っている。だが、小生はゴマダラチョウならウエルカムだが、アカボシゴマダラなら駆除だ、と極端に評価を逆転させてしまう気にまではならない。昨日まで「ミーちゃんかわいい」とやっていたのが、今日になって「日本固有種を絶滅に追い込む悪い奴だ」と180度評価を変えるような真似はできないのだ。たとえ外来種であっても、ミーちゃんは昨日も今日もかわいいのである。
 しかし、よく見るとミーちゃんがエノキの葉っぱを食べる速度も量もすごい。こんな勢いで餌を食べるから他の在来種の餌が無くなって駆逐されてしまうのだろう。庭のエノキはわが家の冷蔵庫で越冬させていたオオムラサキの幼虫に用意していたものだが、最早オオムラサキが食べる分は残っていない。オオムラサキの越冬幼虫分をアカボシゴマダラの幼虫がたった1匹で食べてしまったのである。
 まもなくオオムラサキも越冬から冷めてエノキを食べ始める。とりあえずは前の山にエノキが生えているのを見つけてあるから、これをとってきて与えようとは思っているが、ミーちゃんが外来生物と知り、正直、急に気が抜けてきたのは確かである。大事に飼っていた猫の餌を野良猫に食われてしまったような心境なのだ。
 外来生物駆除論者ほど極端ではないが、やはりアカボシゴマダラよりゴマダラチョウであって欲しかった。小生も多少外来生物駆除論者の意見に影響を受けて「国産ブランド愛好者」になっているのかもしれない。
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旺盛な食欲でエノキの葉っぱを食べ尽くしてしまったミーちゃん。裸の木の上では目立つため鳥に狙われやすいのだろう。餌を食べていないときは葉っぱと同じ格好で微動だにせずカモフラージュしている。背中の茶色の帯は枝、緑のストライプは葉脈を模しているようだ。自然のシステムの見事さにはいつも感心してしまう。
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by weltgeist | 2011-04-25 22:49

イースターの礼拝に参加してきました (No.1042 11/04/24)

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 4月24日は2011年のイースター、復活祭である。処刑されて死んだはずのイエス・キリストが受難の週の最終日に復活したという、キリスト教徒にとってはもっとも歓迎すべきお祝いの日である。小生は今年のイースター礼拝を都下にあるインターナショナルスクールの教会で参加してきた。
 写真は朝8時半から学校の校庭広場で始まったサンライズサービスの後に出たブレックファースト(朝食)サービス。写真のようにパンケーキとソーセージ、果物と飲み物が付いた。パンケーキの上に乗っているジャガイモのような物はバナナのソースで甘くてとてもおいしかった。
 テーブルの上にはイースターで欠かせない鮮やかな色に染められたイースターエッグ。右下の黒い紙は旧約聖書・イザヤ書の言葉が入ったしおりである。写真では見にくいがしおりには
Those who hope in the Lord will soar on wings like eagles.
主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
イザヤ書・40:31 と書いてある。
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 10時半より礼拝と聖書朗読、最後に今回キリスト教徒になる新しい信者のための洗礼式が行われた。今日の記念すべき日に洗礼を受けるのは全部で9人で、校庭広場に特設された水槽の中に頭までドボンと浸けられる。これで完全に罪を洗い流すのである。水に浸かる前に受礼者は自分がどうして洗礼を受ける気になったのか「証(あかし)」を語る。長い間無信仰だった人間が信仰の世界に入ったのだから、それなりの理由がある。「おれは神なぞ信じない」と言っていた人間がどうして信じるように変わったのか、9人それぞれの個人史を語るのだが、式次第は全て英語のため、小生の貧弱な英語力では理解しがたいところが多々ありすぎた。
 誰だって信仰の世界に飛び込むには紆余曲折や葛藤があったはずである。それなのに小生は受礼者が英語で語る心の変化を半分くらいしか理解できなかったのが残念だった。証の後、水槽に入ると、「あなたはイエス・キリストを信じますか」と牧師から最後の質問を受ける。この時点でまだ迷っている人なら「ノー」、「はい、信じます」と言った人だけが頭まで全身水に浸けられて、名実ともにキリスト教徒になるのである。
 
 死んだ人間が生き返ることは人間の世界ではあり得ないことである。ところがキリスト教を信じるとはイエスの生き返り、復活を信じることである。これは理性の問題ではない。理屈で考えたらどこまでいってもあり得ないことである。それを信じるとはあり得ないことをあったと心から信じるたいへんなことなのである。
 ここに宗教の本質がある。宗教を理屈で追い求める人はその立場を放棄しない限り絶対に信仰の道に入ることはできない。理屈で考えたら、無信仰な人には馬鹿げたことと映るだろう。しかし、宗教を信じている人に信じない人がいくら理詰めで説明してもそれは意味がないことである。両者には深い溝があって、飛び越えることが難しいのだ。
 キリスト教徒はイエスが復活したことを心から信じている。「復活は人がこしらえた作り話かもしれない」なんて思っている人は、キリスト教徒とは言えないのである。信じるとはあり得ないと思う理性を断ち切って、全身全霊でそれを受け入れることなのだ。
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by weltgeist | 2011-04-24 23:34

自粛モードの何処が悪いのか (No.1041 11/04/23)

 自粛モードは日本経済を停滞させるから止めようという意見が多く聞かれるようになってきた。日本中が喪に服しているみたいに萎んでしまい、経済活動も停滞している。このままでは日本は立ち上がれないからそろそろ自粛モードは止めようという気運である。しかし、小生はこの意見に賛成し難いところがある。
 こんな事を書くとお客がいなくて売り上げががた落ちの皆さんから「お前は非国民か」と言われそうだが、震災以前の日本の状態にそのまま戻ることには抵抗感がある。以前のように無反省な消費活動に戻ることが復興だとすれば、それは少し違う気がするのだ。むしろもっとストイックな生活の中に喜びがあることを今は多くの人々が気が付いたのである。
 もちろん経済は立ち直って欲しいし、被災された方々の衣食住を保証できるような強い日本になって欲しい。しかし、そうであっても身の回りに物を溢れんばかりに集めることではない。そうした物質主義で幸福になると思っていた神話は今や崩れたのである。
 家も車も、財産全てが流されても人間には幸せは確保される。生きているという事実こそ最高の幸せであり、どんな物を集めてもその代わりにはなり得ないことが分かったのだ。だからそうした生きた人間の幸せをもたらすためには何が必要かを考え、それを産み出していくことが復興の道筋である。
 例えば、我々は今回の計画停電で、電気のありがたみを痛感した。震災が起こる前まで何も考えずにジャブジャブと電気を使いまくっていた。原発はそれを保証する有力な手段だったが、おかげで手痛いしっぺ返しを喰らった。電気をこれまで以上に使いまくるには原発は避けられないが、それがなくても我々は生きては行ける。電気の使用量を減らせばいいからだ。
 これからの社会はそうしたスローな生き方が必要ではないだろうか。そのためにはある程度消費をセーブすることはむしろ当たり前の気がするのだ。そうした道のりが今回の震災とその後の自粛モードで出来上がってきたのである。走りすぎない、行きすぎない。ジャブジャブ使うのではなく、効率を考えて少しずつ使う。何が大切かを意識しながら不要なものは止め、本当に必要な物だけを消費する。ここにおいて加熱していた経済がようやく正常な軌道に戻る気がするのである。
 社会構造自体をそうしたスローな生き方に合わせていく。そんなこと言っていると日本はいつまでも不景気なままで、世界のビジネスからも置いて行かれるというなら、置いていかれて結構。むしろ地球が人口爆発で、資源と人間とのバランスが崩れつつあるとき、日本がスローな生き方で調和した先進モデルをお手本として示せる方がずっといいと思っているのである。世界第三(少し前々まで第二だった)の経済力で世界中の資源をかき集めて享受してきたような生活とはおさらばする良い機会であろう。
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No.1034 で貧しい農民が一日の畑仕事を終えて祈るジャン・フランソワ・ミレーの「晩鐘」を紹介したが、同じオルセー美術館には、ミレーのもう一つの傑作、「落ち穂拾い」がある。ここでも主役は三人の貧しい農婦で、落ちている麦の穂を夢中で拾っている姿である。刈りとった後のカスは拾った者の所有となるのだ。馬車一杯に積まれた麦を満足げに見守る地主が遠くに描かれていて、必死に生きる農民の貧しい姿が際だって見えるのである。
Jean-François Millet / Des glaneuses / 1857年 / Musée d'Orsay , Paris.

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by weltgeist | 2011-04-23 23:31

田中好子・スーちゃんの早すぎる死 (No.1040 11/04/22)

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 今朝のニュースでキャンディーズのメンバーの一人だった田中好子・愛称スーちゃんが死んだと報じていてたいへん驚いた。まだ55歳、死因は乳ガンだったという。
 1970年代前半、伊藤蘭、藤村美樹の三人で組んだアイドルグループ・キャンディーズの人気はすごかった。「年下の男の子」「春一番」「微笑がえし」など次々とヒット曲を送り出し、彼女たちの歌声が聞こえない日はないほどであった。ところが人気絶頂のとき、突然「普通の女の子に戻りたい」と言って引退を発表。世間の若者から惜しまれつつ芸能界から去って行った。
 70年代はいわゆるビッグアイドルの時代で、キャンディーズと同時代には天知真理がいたし、後半には山口百恵やピンクレディがキャンディーズの穴を埋めるように人気者となっていった。一方でキャンディーズを引退した後のスーちゃんは女優としてカムバック。1989年「黒い雨」で日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞する大女優となった。
d0151247_23242491.jpg しかし、それでもファンはキャンディーズ時代のスーちゃんのイメージを持っていて、いつか三人娘が再びキャンディーズを復活してくれるものと、淡い期待を抱いていた。解散したピンクレディも昨年再結成されて活動を再開していたので、「♪♪・・もうすぐ春ですよ~・・・♪♪」という懐かしい歌声がもう一度聞けることを待ち望んでいたのだが、それもかなわぬまま旅だってしまった。

 先日の大震災で亡くなった方たちのことも含めて、最近は死の意味について考えることが多くなっている。人間はこの世に生まれたときからいつか死ぬことが運命づけられている。いつか分からないが、それは確実にやってくる。死は誰もが受け入れなければならないことだが、それにしても55歳という年齢は若すぎる。
 しかし、今度の大震災ではもっとずっと若い子供たちが沢山死んでいる。どうして人が死ぬ時期にこれほど差別があるのだろうか。できることなら全員が十分な寿命まで生きて送り出してやりたいと思うが、うまくいかない。
 死とは自らの人生をその時点で完結することである。いわば人生の総括の時である。我々人間は「早すぎる」とか「十分生きた」と判断するが、人間には理解不能な何か超越的な神のようなものが人の死を管理している気がしてならない。幼なすぎる子供が死んだとしても、彼らの死は我々が理解し得ない特別な意味があって召されたのかもしれない。人生は生きた時間の長さで価値が決まるわけではないのだ。短くとも、充実した意義深い人生を送ったと信じれば、残酷な死も容認できるのである。
 ソクラテスは、裁判で死刑判決が出たとき、自らの死について、「死は一種の希望である。なぜなら死はこの世からあの世への霊魂の移転であり、感覚の消失であり、夢一つ見ない眠りである。そういう驚嘆すべき利得である。私は今死んで、人生の困苦を逃れる方が明らかに良かったのである。」と言ったと、プラトンの「ソクラテスの弁明」には書いてある。
 死は怖い。しかし、ソクラテスのように霊魂がこの世から天国に移転したと考えれば、気持ちは楽になるだろう。スーちゃんもそのようにして天国に旅立ったのだろう。そう信じたい。
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by weltgeist | 2011-04-22 23:39

東京都練馬区立稲荷山図書館 (No.1039 11/04/21)

d0151247_2141746.jpg 震災の被災地では膨大な瓦礫・ゴミの処理をどうするか頭を悩ませている。わが家でも同様に膨大なゴミが散乱していて、今や小生の生活空間をも浸食しつつある。ゴミとは小生が学生時代から買い集めた本である。その冊数がどのくらいあるのか正確には分からない。しかし、これ以上本を置くスペースがないほど部屋中に溢れていて、ときどき土砂崩れならぬ本崩れを起こす。もう新しい本を置いておくスペースはなくなっているのである。だから今は本は買わないで、もっぱら図書館の蔵書を借りて読むことにしている。
 しかし、ひねくれ者の小生が好むような本は我が市の図書館ではあまり見つけられない。癖の強い本は読者も少ないから、図書館側でもなかなか購入してくれないのだ。それでいて話題になるような本、例えば村上春樹の1Q84のようなベストセラーはリクエストが多いからすぐに購入するが、借り手も多すぎて今度は順番が回ってこない。
 お役所仕事で運営している多くの公立図書館はどこもこのような状態だろう。好意的な言い方をすれば、一般利用者が最も一般的に使える無難な運営をしている。しかし、悪く言えば個性がない。もっと個性的で刺激の強い本、本当に読みたくなるような本は無いので、小生のようなへそ曲がりにはイマイチ不満が出てしまうのである。
 しかし、図書館の中には個性的な蔵書を収集しているところがある。今日小生が行ったのは練馬区立稲荷山図書館。ここは昆虫関係の蔵書に徹底的に特化して集めている。とくに蝶に関する本は元々出版部数が少なく、なかなか入手しがたいのと、部数が少ないから高価になる。おいそれと本を買えない小生には、たいへんありがたい図書館なのだ。
 稲荷山図書館は西武池袋線石神井公園駅からバス利用で交通が不便なうえに、市街地の中にあるから場所も分かりにくい。こんな場所では人も来ないと思われるが、とんでもない。中に入ると壁には昆虫の標本が並び、書架は虫関係の本がずらりとあるので小生のような虫好きがわざわざ遠くからやって来る人気の高い図書館なのだ。
 稲荷山図書館には日本国内で過去に発行された昆虫の書籍がほとんど網羅されているようで、全国の同好会の機関誌までしっかり揃えた充実ぶりである。稲荷山図書館がどのような由来ででき、どんな人が蔵書を集めたのか知らないが、ある面では日本一と言われる国会図書館をも上回る資料の山は見事で、わざわざ行きにくい場所まで無理して行くだけの価値は十分ある。
 このようにある特定の面を集中的に揃えれば、利用者は図書館の近くの人だけでなく、遠くの人をも呼び込むことができるのである。例えば、小生が便利に利用させてもらっている他の図書館では岐阜県図書館がある。ここは地図に特化していて、かなり特殊な場所の地図までネットで利用できる。一昨年行ったキルギス共和国の20万分の 1 地形図もここでコピーできた。古い外国の古地図や、世界各国の政府機関が作製した官製地図なども利用できる。
 図書館もこれからは横並びでは生き残れない。何か特別な部分を集中的に集めたところが脚光を浴びていくだろう。実は小生、今魚類学に特化した蔵書を集める図書館を探している。国会図書館や東大農学生命科学図書館、東京海洋大学附属図書館などは、イマイチ使いにくい。どなたか気楽に使える魚類特化の図書館をご存じなら教えてもらいたいと思っている。
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by weltgeist | 2011-04-21 23:31