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今度はノートブックPCが壊れた (No.1018 11/03/31)

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 先日、小生のパソコンのハードディスクが壊れそうになって、新しい物に取り替えたことを書いたが、妻が使っているパソコンもひどい状態になってきた。上の写真のように液晶ディスプレーが剥がれかかり、ノートブックを開こうとすると、ギリギリ、バキッと音がして、ディスプレーが外れそうになる。本体が入っているキーボード側とは二つのヒンジでつながっているが、割れ目が入った右側の部分はいつバラバラになってもおかしくない状態だ。
 それでも妻は「まだ大丈夫。使える」と頑張っていたが、数日前からキーボードが動かなくなった。これまでもフリーズしてキー操作が一切できなくなることがあったが、今回はハード的に 「< 、ね」 のキーだけが反応しないのだ。他のキーは全然問題ないのに、「<」のキーを押しても、「<」の文字が打てない。多分電気的に接触不良を起こしているのだろう。
 とりあえず壊れても仕方がない覚悟で「<」キーの下側をドライバーで突っついたら、キーがポロリととれてしまった。それで下側の電気接点と思われるところをさらにドライバーでゴツゴツと突いて、外れたキーを上から押しつけたら「パチッ」っといってはめることはできた。だが、このキーだけ少し浮き上がった変な状態で、完全には元の位置まで戻っていない。
 それでも電源を入れ直しテキストエディタで文字入力を試したら、「<」も少し反応するようになった。ただし、軽く押しただけでは駄目で、「<」を押すときは上から力一杯押さないと打てない。軽いブラインドタイプなどとんでもない。ハンマーでぶったたくほどの力がいるので、文字入力は今後苦戦しそうである。
 このノートブックも7年くらい使ったものだからもう寿命がきたのだろう。しかし、最先端の物がわずか7年程度で壊れてしまうのはちょっとひどすぎる。ちなみに壊れたノートは一応国産品である。ただし日本のメーカー名がついていても実際は海外で安く生産した名前だけの国産品であろう。
 妻はまだこの半分壊れかかったパソコンを欺し欺し使うと言っている。厳しい家計を助ける意味では健気だが、ここまで行くと時間の問題でいずれは使えなくなるだろう。そうなると新しいパソコンに買い換えなければならない。
 ネットで調べたら、昔と違って安い物は5万円くらいからありそうだ。ほとんどが中国か台湾製で、OSしか入っていないシンプルなものだが、ネットとメールが主な使用目的ならこれにMS Office と一太郎・Atokをインストールすれば十分だろう。パソコンの進化は激しい。ハード的にもソフト的にも7年くらいずつで買い換えを迫られる現実に頭を抱えている。わが家はこのノートブックがいつ壊れるのか、今や薄氷を踏んでいるような気持ちで過ごしている。
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by weltgeist | 2011-03-31 22:03

震災を体験した方に聞いた被災後の生の声 (No.1017 11/03/30)

 大震災で最も揺れの激しかった宮城県に住む**さんがわが家を訪ねてきて、今の被災地の現状を教えてくれた。幸いなことに**さんの家は、高い所にあったため、津波も家屋の倒壊も免れたが、仕事場は地震の揺れで滅茶苦茶になったらしい。ライフラインは電気が8日、水道は12日目にようやく復旧したという。
 今は不足していた物資が次第に回ってくるようになったが、相変わらず深刻なのはガソリン不足だ。地方では何をするにも車が重要な足となる。ガソリンがなければそれは単なる鉄の箱にすぎない。津波に流されなくとも、ガス欠で路上に乗り捨ててある車も結構あるらしい。動かなくなって道の途中に置いていかざるを得なかったのだろう。
 ここまで燃料が不足してくると、燃費の悪い車は不利だ。リッター4㎞だ5㎞といった不効率な車はいずれ手放す人が多くなる。代わって人気なのが、軽自動車やバイクだという。いまや中古の軽やバイクの値段が上がっている反面、燃費の悪い大型車は買い手が激減しているらしい。
 **さんはわが家まで燃費のいいディーゼル車で来た。レギュラーガソリンは足りないが、軽油は比較的足りているのだそうだ。地元の農家の中には農機具を動かす燃料として軽油を備蓄しているところが多く、いざとなればここから分けてもらうことができる。こんなことから災害時はディーゼルが強いことを改めて認識させられたという。
 ところで、日本全体がみんなで被災地をバックアップする機運がみなぎっている中、これをチャンスに一儲けしようと思う人たちもいたという。ガソリンをリッター190円もの高額で販売したとか、白菜一個800円で売った店が出たらしい。
 困った人の足もとを見て商売する人は、小銭は稼いでも大金は逃がす。一時的には必要に迫られた人に売れるかもしれないが、平時に戻れば人はその時のお店の対応を覚えていて、誰からも相手にされなくなるだろう。反対に店の商品を無料で分けたり、格安で提供した良心的な店が各地で続出している。こうしたお店こそ平時に戻ったとき誰もが応援したくなるものだ。
 また、災害が普段は隠れていて見えない会社の営業姿勢を白日のもとにさらけ出した。全然つながらない無能な携帯会社やガソリンの供給能力の無さを見せつけた石油会社など、能力の差がはっきり見えてきたという。コンビニ、スーパーも同様。災害復興に素早く対応した*系は、支援物資を運ぶための高速通行許可を得られて、物も早めに供給することができたらしい。
 こうした一つ一つのことをお客はその後までずっと覚えている。普段からお客本意の良心的な経営をしてきたお店が、あぶり出しみたいにはっきり見えてきたのである。時は短いようで長い。長いスパンで考えれば、お客のことを親身になって考えてくれたところが生き残っていくのだ。
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by weltgeist | 2011-03-30 23:46

マルティン・ハイデガー 「野の道」 (No.1016 11/03/29)

野の道の呼び声は、開かれた自由なるものを愛する気質を目覚めさせてくれる。苦悩さえもなお恵まれた箇所において、究極の清朗さの中へと跳躍する気質を目覚めさせてくれる。・・
野の道の徑の上で、冬の嵐と収穫の日が行き合い、早春の生々とした興奮と秋の沈静な死去とが出会ひ、幼年の戯れと老年の知恵とが互いに眺め合う。すべては一つに響き合い、そのこだまを野の道は、黙しつつかしこへと自ら運び行く。そしてその一つの響きの中において、すべては明るく、晴れやかになるのである。
マルティン・ハイデガー 「野の道」 高坂正顕、辻村公一 共訳、理想社・ハイデガー選集第8巻、PP.10-11
 

 小生が家の前の山を散歩で歩くとき、いつも思い浮かぶのはハイデガーのこの言葉だ。あの恐ろしく難解な文章ゆえに、読む人を絶望のなかに引き込む「存在と時間」を書いた同じ人とは思えないほどやさしい言葉が「野の道 Der Feldweg / 1953年」の中にはつづられている。「野の道」で語られるのは、難しい哲学ではない。美しい詩と言ってもいいほどなハイデガーの魂の告白である。
 野の道とは、ドイツ南部を覆う黒い森=シュバルツバルトの中に刻まれた杣(そま)道のことである。ハイデガーはシュバルツバルトの道を歩きながら、自分の哲学を考えたとしばしば語っている。主著・存在と時間の冒頭にはわざわざ「バーデン州、トートナウベルクのシュバルツバルトにて」と書いてあるし、1935年から46年までの最も重要な6つの論文は「森の道 Holzwege 」と題する本にまとめているほどである。シュバルツバルトの森にある道を散策することが彼の思索の重要な場であったことがうかがえる。
 野の道を歩いていると、森が語りかける「一つの言葉」が聞こえてくるとハイデガーは言っている。それは街の中では決して聞こえない。森の細い杣道を歩いているときだけ聞こえてくる言葉である。しかも、森が語る言葉は聞く者自身の心が開かれていなければ聞こえない。聞き取る側の人間には、それを受け入れるだけの「長きにわたる成熟が必要」(P.8 ) だと言う。誰にでも聞こえるものではないのだ。
 「人間は自らの計画によって世界の秩序をてらそうと試みている。しかし、野の道の呼び声に従って自らを整えない限り、その試みは徒労である。現代人はますます野の道の言葉に耳を閉じようとする。そうした危険が迫りつつある。彼らの耳に心地よく響くのはただ機械の騒音のみであり、機械を彼らの神の声と見なすのである。かくて人間の心は散乱し、道は失われる」( P.9 ) のである。
 ハイデガーが野の道で聞くものとは巨大な現代文明を支配する論理とは一線を画するものである。彼は上の文の後で人が機械文明を追求して原子力を利用するまでに至ったことの危険性を指摘している。人は快適な生活をもたらす機械文明に大いなる魅力を感じている。だが快適さに頼れば頼るほど森の声を聞き漏らし、道を失っていく。人はこうして故郷を喪失し、虚無の荒野をさ迷うことになるのである。
 ハイデガーが野の道で聞いた言葉とは、彼が長い間考え続けていた「真理(存在)とは何か」という問いへの解答であった。その声を聞くとき、すべては明るく輝き、晴れやかになるというから、ハイデガーは明確な回答を森から得たのだろう。小生もそれに習って「我がシュバルツバルト」である前の山を歩き回っているが、残念ながらその解答を得るには至っていない。未熟な小生に森はいまだ計り知れない神秘に満ちたままである。
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小生が「おらが街のシュバルツバルト」と勝手に呼んでいる前の山には、こんな花が咲き、今年羽化した早春の蝶・ミヤマセセリが飛び交っていた。福島では危機的状況が続いているというのに、春はそんなことはお構いなしに着実にやって来ているようだ。
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by weltgeist | 2011-03-29 23:32

花粉症の元凶はコイツだったのか (No.1015 11/03/28)

d0151247_21363384.jpg 最近急に目がかゆくなってきた。空気が乾燥しているからドライアイが進行したのかもしれない程度に思っていたら、友人から「それは花粉症の始まりだ」と注意された。だが、これまで小生は絶対花粉症にはならないと信じていたので、この指摘には納得できない思いがしていた。
 渓流釣りが好きな小生は、若い頃から杉花粉が一杯ある山奥に出かけ、花粉だらけになっても釣りを続けていた。背の低い実生の杉藪をかき分けていくと、パン粉を全身にかけられたように花粉が被ってくる。しかし、花粉なんて払い落とせば全然問題ないから気にもしていなかった。大量に浴びても何の異常も無かった自分は花粉症にはならない、絶対大丈夫だと思い込んでいたのである。 
 だから目がかゆくなっても全然気にしないでいた。だが、言われてみると花粉症と疑われる症状が沢山ある。水鼻が出てティッシュが手放せないとか、大きなくしゃみをすることも多くなった。医者に診てもらったことはないけれど、「ようこそ花粉症の世界へ」と診断され、花粉症の世界に住民票を登録されつつある段階かもしれない。
 友人が言うには、花粉症は杉などの花粉が鼻の粘膜に着いたとき過剰な免疫反応を起こして発症するらしい。それも微量ではなく、ある程度体内に蓄積していくうちに、ある日急にアレルギーが出ると言っていた。40年以上前から釣りのジャケットが真っ黄色に変わるほど大量の杉花粉を浴び続けてきた小生、花粉蓄積能力がいよいよ限界点に達し、免疫能力が暴走し始めたのだろうか。
 これまで花粉症にならなかったのは、悪い言葉で言えば鈍感だったからかもしれない。しかし、大器は晩成する。真打ちは最後に出て来るのである。このまま一生花粉症にはならずにおさらばするかと楽観していたのが、ちょっと予定が狂った感じだ。心臓弁膜症、脊柱管狭窄症、胃潰瘍、脳梗塞と続いてくると、やはり「病気のスーパーマーケット」を自認する小生に花粉症は避けては通れないかもしれない。
 まだ目のかゆみだけで、鼻は多少むずむずする程度である。ヘイフィーバー hay fever と言えるほどひどいフィーバーの症状はない。しかし、多くの花粉症患者を見ていると、いずれは自分も辛い状態になるのではないかと不安になる。
 花粉症を避けるにはなるべく花粉が飛んで来そうな日は外出を避けて家にいる方がいいのかもしれない。そんなことを思いながら前の山を歩いていたら、何とこの山にもたっぷりと花粉を着けた大きな杉の木があるではないか。灯台もと暗し、すぐ足もとに花粉製造工場があったのだ。
 前の山にあった杉は、二本が寄り添うようにペアーで生えている。写真では分かりにくいが、手前の一本だけが杉花粉で赤くなっていて、後ろ側にかすかに見えるもう一本は花粉のない緑色をしている。手前の木は不気味な赤さで、風さえ吹けばいつでも飛ばしますよと構えている。この木一本からどのくらいの量の花粉が飛散するのか分からないが、少なくともこれだけでも多くの人が苦しむことだろう。ここから飛び出した花粉が、まるで放射能のように首都圏を飛び交い、人をジワジワと痛めつけるのである。
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by weltgeist | 2011-03-28 23:06

テレビの低レベル番組復活 (No.1014 11/03/27)

 テレビであれほど流れたACジャパンのCMが少なくなって、ようやく通常の状態に戻りつつある。スポンサーのCMが増えてきたのだろう。だが、それに連れて馴染めない番組が増えてきている。出演している方々には申し訳ないが、とくにお笑い関係の番組はまだ見る気がおこらない。お笑いでも品の良い笑いならともかく、人間の品性を疑う低級なネタで勝負しているタレントには、もう少しご遠慮頂きたい気持ちが起こってしまう。家族や家を失った人から見て恥ずかしくない番組をやって欲しいのだ。
 しかし、小生の考えと違って、挫けそうになっている国民に元気を与えるからやるべきだという意見も多数あるという。お笑いを見て元気になる人も確かにいる。一概にくだらないと文句をいうのは筋違いかもしれない。この件に関して皆さんはどのように考えているだろうか。
 ちょっと話は違うが、プロ野球でも似た問題が起こっていた。セリーグが3月25日開催にこだわったが、結局周囲の批判を受けて4月12日にパリーグと同時開催、4月中はナイター中止とした。こちらも賛否両論があったというが、セリーグだけが先行することには83%の人が反対したという(Gooニュース)。野球選手が真剣に勝負するところを見せることは、もちろん国民は元気印をもらうことで理解できる。しかし、皆が自粛しているとき、セリーグだけが抜け駆けして良い思いをすることは、不公平だ。個人的には開催延期は妥当な判断だったと思う。とくに東京ドームなどはデーゲームでも多量の電気を消費するのだそうで、計画停電で工場の操業をストップさせられた方などにその分を回すべきではないか。
 結局こうしたことはそれを行う方たちの良心にかかわる問題に帰結する。「この番組を放送すればみんなが元気になれる。だから信念を持って番組を製作した」と思うならやればいい。野球も「選手が真剣になって戦っている姿をみんなに見せて力づけたい」と断言できればやるといいだろう。心底から出たものなら「不謹慎だ」と批判が起こっても胸を張って反論できるはずだ。
 信念をもって作り上げた良い番組は、番組のどこかにそうした姿勢がにじみ出てくる。見る人もそれを読み取るから感動するのだ。安易な儲け第一主義だけで作った底の浅いものにはそうした深みも味も説得力もない。いままでのテレビ局は安易な番組ばかり量産してきた。今はそうした制作者の姿勢が問われる状況である。この機会を良きチャンスと思い、良質な番組を作り上げていくようリセットし直したらどうだろうか。
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計画停電に備えてキャンプで使っていたガスランタンを二台用意した。しかし、今のところ出番は来ていない。できることならこんなもの使わないですませたいが、そうもいかないだろう。とりあえず明日の計画停電の予定表を見たら、また我が第一グループは「実施しない」となっていた。でも明後日はまだ分からない。当分の間、計画停電には振り回されそうである。
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by weltgeist | 2011-03-27 23:20

春の到来・菜の花 (No.1013 11/03/26)

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 少し前に菜の花のおひたしを食べた。菜の花は菜種油(なたねあぶら)を採るのが主な目的で栽培されていると誤解していて、長い間食べられる野菜と知らなかったのだ。小生の大好物である野沢菜も、菜の花を改良したアブラナの一種を漬けた物であると教えられた。50㎝から1mくらいに育った野沢菜が春になると一斉に黄色い花を咲かせ、信州でも菜の花畑が出現するのだそうだ。
 その菜の花が本日、散歩の途中で一本だけ寂しく咲いているのを見つけた。これがあったのはいつも早足で通り過ぎる雑草しか生えていない草原(くさはら)だった。それが今日は何気なく目を転じて黄色い花が咲いていることに気づいたのである。でも、なぜここに菜の花が一本だけあるのかは分からない。昔からこの場所に生えていた雑草なのか、それともどこかの畑で育てた種が飛んで来て根付いたのか、定かではないのだ。
 しかし、たった一本ではどこか寂しげで、心許ない。心情的には菜の花というのはあたり一面に咲き誇る花であろう。子供の頃に習った「おぼろ月夜」では「菜の花畑に入り日うすれ…」とある。菜の花はやはり周囲が真っ黄色になるほど咲き誇ってこそ絵になる。
 今日見つけたこの一本は、枯れ草ばかりのところにポツンと咲いていて、誰もここにそんな花があるなんて気が付きもしない。みんなから見捨てられたようにひっそりと咲く菜の花は、他の菜の花が早く私の所に来て一緒に咲いてください、と訴えているように見えた。
 震災の重苦しい雰囲気に飲み込まれ、ほとんど外出もせず家に引きこもっていた小生、この健気な菜の花を見ていたら心が癒される思いがした。ともすれば暗くなりがちな気持ちがたった一本の菜の花で洗い流される気がしたのである。
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by weltgeist | 2011-03-26 23:05

強欲な人の根性は顔に表れる (No.1012 11/03/25)

 そろそろガソリン不足騒動も収まったかなと思い、近所のガソリンスタンドに行くと行列もなく空いている様子が遠目に見えた。これはタイムリーなときに来たと喜んで車を寄せると入り口にロープが張ってあり、在庫売り切れのため休みとある。まだまだ駄目なのかと不安になりつつ次の店に行くとこちらはOK。まったく並ぶことなく満タンにすることができた。大震災時、不運にもガス欠寸前だったので、ずっと車には乗っていなかった。これでいくつかの用事を済ますことが出来そうで、少しホッとしている。
 スタンドのお兄さんの話だと、昨日まで行列が続いたが、今日はご覧の通り余裕の待ち時間無しで給油できるという。友人が2日前に行ったときは1時間半待たされて3000円限度の給油しかできなかったとこぼしていた。それがわが家の周辺では少し改善してきたようだ。仕事で車を使っている人たちはどうしても必要だからと長時間並んででも給油していた。そんな人たちにはうれしい朗報だ。復興が少しずつ進んで来た証でもあり、明るい希望の光が見えてきた感じがする。
 しかし、2日前には我慢して並んでいた友人の横に割り込むやからがいたと彼は憤慨していた。外国の報道では日本人は礼儀正しく整然と震災に対処すると賞賛の報道がなされるなか、このような自分勝手な割り込みをする人がいたのは悲しい。
 今朝の朝日新聞によれば岩手県山田町のスタンドで割り込みした人に注意したら「夜道に気をつけろ。一生お前らの顔を忘れねえぞ」と脅しのせりふを吐いた男がいたという。こんな暴言を吐いている人の顔は、きっと目を吊り上げたみにくい形相をしていると想像できる。誰かが鏡でその人の卑しい顔を写して、見せてやればやればいいのだ。
 まともな精神の持ち主なら、自分の強欲な顔に恥じ入って次からこのようなことをしないだろう。しかし、それでも反省しない人はきっと後でその責め苦を受けると思いたい。割り込んで一時的には得をしたようでも、長い目で見れば最後の決算で公平な神様が帳尻を合わせてくれる。石原都知事ではないが「天罰が下る」に違いないと思えば気分もすこし落ち着いてくるだろう。
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昨年Bさんからアメリカのおみやげにもらったイエローストーンのカップに庭に咲いた椿の花を刺してみた。自然は今回のような恐ろしい災害をもたらすとともに、こんな花をも咲かせてくれる。自然とは何と奥深いことだろうか。
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by weltgeist | 2011-03-25 21:47

ヘミングウェイ、「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」 (No.1011 11/03/24)

d0151247_20242827.jpg 先日、3回に分けてヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」について書いたが、大震災のことが気に掛かって何か中途半端な結論で終えてしまった気がしていた。ヘミングウェイの人間観について重要な部分を書いていないと思っていたのだ。しかし、もう「誰がために鐘は鳴る」の書き込みは終えているので、今日は 1938年 に出版された「最初の49短編集」( The First Forty-Nine Stories ) の中に入っている「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」 ( The Short Happy Life of Francis Macomber ) を取り上げて、前回書き漏らした部分の補完をしたい。
 「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」は文庫本で50ページくらい、30分もあれば読み切れる短編である。物語は夫婦仲は悪いが表面上は平静を装っている裕福なアメリカ人、フランシス・マコーマーと妻マーゴットがアフリカに猛獣狩りに行く話である。ところがハンティングの途中で仕留め損ねた手負いのライオンに襲われ、フランシスが逃げだしてしまう。そんな臆病な夫を見た妻は、ガイドの男と密通。それがバレても夫を「臆病者だから」と罵倒するのだが、彼女は金づるである夫、フランシスとは別れられない。だが、そのあとの水牛狩りでフランシスは見違えるほど勇敢に戦い、臆病心を克服していく。勇敢に戦った彼はこの上ない幸福感に満たされていくのである。
 小説は、この後驚くべきどんでん返しをし、さすがヘミングウェイと思わせる出来で終わるのだが、これから読む読者のためにもエンディングを詳しくは書かない。ここで小生が取り上げたいのはフランシスが勇敢になることで、幸福感に満たされたことだ。ヘミングウェイが人間の幸福とは「勇敢に戦うこと」と信じていることがここに読み取れるのである。
 ヘミングウェイの小説では「卑怯者 Coward 」とか「臆病者 Cowardice 」という言葉がしばしば語られている。とくにこの短編小説での大きなテーマが臆病と勇敢である。フランシスは、最初手負いのライオンが飛びかかってきたとき、恐怖心から逃げ出した。我々の感覚から見ればライオンが襲ってくれば逃げるのは当然だが、ヘミングウェイはこれが耐えられない屈辱と思っているのである。だが、なぜ臆病であることがそんなに屈辱なのだろうか。妻からもまるで駄目男のレッテルを貼られて、落ち込んでしまうフランシスの態度が我々にはよく分からない。その秘密を解く鍵はヘミングウェイの少年時代にある。
 ヘミングウェイはオペラ歌手だった母親から子供ころ女の子のように育てられたという。しかもそれを父親が止めなかった。彼は大きくなって自分が女々しい男ではないかという不安にかられ、これが後に激しい克己主義と過剰なほどの男らしさへの憧れの動機となったと中島顕治氏は「ヘミングウェイの考え方と生き方 」の中で書いている。(弓書房 P.27 ) 彼は自分を女々しい臆病者に育てた母親を憎み、彼女をメス犬 bitch と公然と呼んでいた。母親の臨終が近いのを知っていても会いにも行かなかったほどだったという。
 こうした臆病者とか卑怯者という言葉は、古きアメリカ人が好んで使っていた。昔の西部劇では臆病者はまるで、人間のくずのように見られていた。人を背後から撃つのは卑怯者のやることで、堂々と正面から撃ちあうのが勇敢な人という、まさに典型的な西部劇の主人公のような考え方をヘミングウェイは持っていたのである。
 ヘミングウェイは戦いの人であるが、その勝敗については無関心のところがある。誰がために鐘は鳴るで、スペイン内戦に参加した主人公は戦いの勝敗には関心がないようにも見える。自分が戦いの中に飛び込んでいること自体に意義があり、そこに幸せがあると思っているのだ。ロバート・ジョーダンは負け戦にもかかわらず、死ぬ間際にこうした戦いに参加できた「自分は幸運者だ。こんなにいい生涯をおくることができたのだから」と語っている。
 戦いにおいて勇敢であること、それが人間の幸福であるとヘミングウェイは信じていたのだろう。猛獣狩りでも、スペイン内戦の中でも、さらには巨大なカジキと戦うカリブ海の老人漁師にしても、みな戦いの中でしか自己の存在の喜びを感じられなかった。勇敢に戦うことこそ生きる証なのだ。フランシス・マコーマーは、臆病者のレッテルを最後の戦いのなかで剥がし、勇敢に戦ったことで幸福な短い生涯を終えるのである。
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by weltgeist | 2011-03-24 22:40

ついに来た、東京水道水の放射能汚染 (No.1010 11/03/23)

 政府は福島第1原発事故の影響で、福島県各地で採れたブロッコリ、ほうれん草など11品目の野菜と、茨城県産の原乳、パセリから規制値を超える放射能が検出されたと発表。これらすべての葉もの野菜と、ブロッコリ、カリフラワーなどの花蕾類の出荷や摂取の停止を福島県に指示した。枝野官房長官はこの件を発表したとき「一時的に食べても健康に害を与えるものではないが、こうした状況が長期にわたって継続することが想定されるなかで、念のため、早い段階から出荷を控えて摂取しないことが望ましいとして指示した」と述べている。
 健康に害のあるものではないというが、それはどのくらいのものだろうか。枝野長官は放射線量が「最大値を示した野菜を約10日間食べても、1年間の自然放射線量のほぼ2分の1にとどまるので、ただちに健康に被害が出ないことはもとより、将来にわたって健康に影響を与えるような放射線量は受けない」と言っていた。
 しかし、問題はセシウムだけでなく、ヨウ素の放射線量も加えると、1年間の自然放射線量の3分の2に及ぶ。厚生労働省は「さらに食べ続けると、一般の人が問題ないとされる放射線量を超える可能性がある」と摂取制限にまで踏み込んだ理由を説明した。
 このように農作物に放射能汚染が広がる心配は原発から放射能漏れが報道された当初から予測できたことである。空気中に拡散した放射能は、薄まりつつ広がっていく。これは理論的には世界中に、つまりアメリカやヨーロッパまで広がることでもある。だから原発に近い場所ほど早く汚染が起こってくるにしても、いずれは東京にも影響してくるだろうと我々一般市民は想像していた。そうしたら、本日、東京金町浄水場の水道水から、「乳児が飲む規制値の2倍を超える放射性ヨウ素を検出した」との発表があった。
 福島産の葉もの野菜だけなら避けようもあるが、飲料水までとなると、どうしたらいいのか、途方に暮れてしまう。この一報で近隣のスーパーから瞬時にペットボトルの水が売り切れたという。
 小生のような年寄りなら少々の放射能付き食物や水を摂取しても知れているが、乳幼児を抱えた家は不安だ。政府が「その量は微量でただちに健康に影響するものではない」と言っても、他の食品にも汚染が広がっていくと、相乗効果で放射能の蓄積量は増えてくる。放射能は目に見えない物質だけに余計不気味な怖さがあるのだ。
 しかし、東京は原発事故現場から200㎞も離れているのだから、放射能汚染の濃度も相対的に低くなっていく。さらに東大付属病院の中川恵一准教授は「ヨウ素の半減期は8日、仮に体内に入っても3ヶ月もするとほぼゼロになる。半減期が30年とされるセシウムにしても体内では排尿などで放出されるので、百日程度で半分になる」と言っていたから、必要以上の恐怖心を持つことはないだろう。
 問題はこうしたとき起こる「風評被害」だ。全ての地域の葉もの野菜が汚染されているわけではないから、現在店頭で販売されている物まで危険視する必要はない。無用な恐怖心でパニックになれば、地震や原発と全然関係のない地域の人まで当事者の立場に巻き込ませてしまう。風評による愚は、結局自らの首を絞める行為となるのだ。
 確かに水道水まで放射能に汚染されると追いつめられた感じになる。しかし、それでも何とかなると楽天的に考えたい。チェルノブイリのような最悪の汚染ではない。普通に飲む分には影響はないという政府の言葉を信じて乗り越えるしかない。乳幼児など、弱い人を抱えるところでは厳しいだろうが、人間、生きてさえいれば何とかなる。袋小路に入り込んだ苦境のようでも、生きているという現実を踏まえれば希望は残っている。この困難な状況は、我々の知恵を寄せ集めることできっと乗り越えられるはずだ。
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       *画像は本日夕方の日本テレビニュース、「エブリー」からDLしました。
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by weltgeist | 2011-03-23 23:30

電力不足と計画停電 (No.1009 11/03/22)

 計画停電が始まって色々なところで停電が起こっている。皆さんのところはいかがだろうか。第一グループに入っているわが家は、なぜかこれまで一度も停電していない。東電のホームページを毎日見ると「実施」とあるのに指定された時間になっても電気はずっと来ているのだ。本日も予定では午前9時20分から13時と、二回目が16時50分から20時30分となっていたが、これがどうも曖昧ではっきりしない。
 これまで一回も無かったから「今日こそ絶対くるぞ」と身構えていたのに、本日も第一回目は停電しなかったのである。それでも東電のホームページは「第一グループ実施中」とある。グループは実施でも、わが家がは免除されたようだ。それがどんな基準で免除されたのかの理由はまったく不明である。
 しかし、そんなにいつまでもお目こぼしをしてくれるわけがない。本日二回目に指定している16時50分からは絶対停電するだろうと覚悟していたら、何と二回目は第一グループ全体の計画停電が回避され、行われないことになった。かくして今日も一日幸運の女神に守られてオールセーフである。
 うれしい肩すかしではあるが、このように「やる」と言っていながら「やらない」となると、受け取る側は混乱する。オオカミ少年の言葉のように、次ぎ以降の予定にも疑問符がついてしまう。多分東京電力では電力の消費具合をみて、停電が回避できそうならできるだけ避けるという好意でやってくれているのだろうから文句は言えないのだが・・。
 計画が「無計画」的に施行され、こちらも予定が狂って右往左往したが、毎日の仕事でたいへんな目にあっている人に比べたら小生の立場はものすごく恵まれている。サラリーマンは電車などの交通機関が間引き、あるいは運転中止などで、たいへんな思いで通勤している。しかも、会社に行っても電気が切れ切れに来るようでは、まともな仕事はできないだろう。
 お店のような個人商店でも様々な影響があって落ち着いて商売をやる雰囲気ではない。どこも地震前に比べて客足が半減していて商売あがったりのようだ。電力不足は一年以上は続きそう、と言っていたから当分はこの混乱から抜け出せそうもない。きっと夏の暑い時期も停電は行わざるを得ないだろう。暑がりな小生、昨年の夏のような亜熱帯化した酷暑をエアコン無しで過ごさなければならないかと思うと、気が重くなる。しかし、これも仕方がない。我慢、我慢ですごそう。

 停電に続いて予測されていた農作物に対する放射能被爆と風評の問題。それに、みんなが苦しんでいるときに振り込め詐欺をはたらく不届きな奴が出たとか、火事場泥棒をする奴が現れたという報道まで出てきた。明日は、これについて書く予定である。ただし、東電の計画停電同様、不測の事態が生じたら、この限りではない (^^; 
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by weltgeist | 2011-03-22 23:20