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幸福な時間は誰にも、どこにも平等にやって来る (No.959 11/01/31)

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 先日のマレーシア旅行で出会った先住民、オラン・アスリのおじいさんを撮った写真である。いやおじいさんのように見えるが、実際は小生よりずっと若いのかもしれない。ジャングルに分け入る入り口にあったオラン・アスリの部落を物珍しそうに見ていたら、このおじいさんが猫と一緒にいるのが見えて、瞬間的に撮った一枚である。(かなりトリミングしてあります)
 おじいさんの膝の上にいる猫の表情がとても和やかでいいし、左手にいる茶トラも眠そうに下の三毛猫を見ている。まだ小生が接近していることに気づいているのはおじいさんだけである。ところが、この数秒後に撮った次のカットでは、おじいさんは立ち上がろうとしていて、膝上の猫は小屋の中に逃げ込んで見えない。茶トラも小生に気づいて警戒態勢を取っていて、シャッターチャンスはこの一瞬しかなかったのである。
 6万年も昔、アフリカから移動してきたというマレー半島の先住民、オラン・アスリのおじいさんはこの日も小生がやって来るまで猫と共に日々の安らぎを楽しんでいたのだろう。だが、平安は突然やって来た小生によって破られてしまった。その証拠に次のカットでは見知らぬ闖入者に対する警戒心に変わった表情が写っていた。
 しかし、その前の一瞬をとらえたこのカットを見れば見るほどこのおじいさんが、満ち足りた時間を過ごしていることが分かる。よく見るとおじいさんの膝の上でくつろいでいる黒っぽい顔の猫は、シャム猫のような顔をしている。まさか血統書付きのシャムではないだろうが、マレーシアとシャム(タイ)国とは隣り合わせである。もしかしたら伝統的なシャムの血筋を引いたものかもしれない。 
 ドアもない木製の小屋は粗末に見えても、このおじいさんにとっては快適な「わが家」なのだ。一緒にいる猫たちだって最高に満ち足りた様子をしている。
 日本に帰ってこの写真を見たとき、人間の幸福って何だろうか、と考えてしまった。我々はこのおじいさんよりはるかに快適な暮らしをしている。しかし、そうだからといって彼より幸福かと聞かれれば、簡単に肯定することはできない。生活そのものは苦しいかもしれないが、それだからと言って彼らが不幸であるとは決して言えないのだ。文明の利器に囲まれた快適な生活とは無縁だが、文明社会につきもののストレスとも無縁なのである。
 おじいさんの小屋の横には蝶を採る捕虫網が置いてあった。きっと彼も他のオラン・アスリと同じように蝶を採って生活の糧を得ているのだろう。できることなら小生もこのおじいさんみたいに猫に囲まれながら、毎日蝶を採る生活をしてみたい気がする。しかし、その場合、住まいは扉もエアコンもあり、食事もそれなりの物を食べ、夜はネットサーフィンも楽しみたい。そんな贅沢なことを考える小生に、おじいさんと同じ生活などできるわけがないのだ。彼らより快適かもしれないが、連日様々なストレスに悩まされる文明社会から抜け出すことはできないのである。
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by weltgeist | 2011-01-31 23:33

ゴッホの自画像・にじみ出る天才画家の内面性 (No.958 11/01/30)

 どんな画家も何点か、自分自身を描いた「自画像」を残しているものである。絵描きは自分が描いた絵を売って生活するわけだから、お客が好みそうな花とか風景の絵を描くのが普通である。画家自身を描いた絵など誰も欲しがらない。自画像は自分自身のために描いていると考えていいだろう。自画像には「売ろう」というお客に媚びる気持ちより、むしろ自分が商売を離れて一番表現したかった本音が描かれている。最も純粋に作者の気持ちが表されるのが自画像であるといえる。
 人気作家は自画像など描いている暇はない。売れない絵描きほど自画像を沢山描いている。その典型がゴッホだ。最高傑作を続け様に描いた晩年頃までに彼は40枚もの自画像を描いている。もちろん生前には一枚として売れなかった作品ばかりである。
 最も有名なのが、パリ、オルセー美術館にある下の自画像で、1889年、彼が死ぬ前年、サン・レミ・ド・プロバンスの精神病院に入院している頃に描かれたものである。すでに精神の病に冒されながらも、敢然と自らの運命に立ち向かうゴッホの強烈なまでの姿がここに描かれている。ゴッホとしては異例とも言える明るい背景の中、やや横向きで目だけが正面をにらみつけるような構図である。
 この絵を前にしたとき、我々は一瞬、ぎくりとして立ちすくんでしまうだろう。見る人が否応なく感じるのは、青く渦のように描かれたゴッホ独特の背景の不思議さだ。まるで燃え立つような大気が、かげろうのようにぐるぐる回っている中に背広姿で茶髪、ヒゲヅラのゴッホの上半身が描かれている。青い渦はゴッホの内面からあふれ出る強い精神的な熱気で空気が揺れているようにも見える。何者にも動ずることなく自らの信念にまっすぐ向かっていくゴッホの強烈なまでの精神性を感じ、圧倒されてしまうのだ。
 鋭くこちらを見ているゴッホは、何を考えているのだろうか。この絵の中には翌年、自らの胸に銃弾を撃ち込んだ死を予感させるものはない。それどころか自らの才能を心から確信している自信に満ちた画家・ゴッホの姿が感じられる。俺は天才だ、文句があるか、と言わんばかりの強烈なまでの意志が感じられるのだ。見ている観客の内面をも見すかす鋭い眼光は自信に満ちていて、我々は彼の目で射抜かれてしまうのである。
 ゴッホのこの絵を長い間見続けたら、見ている方も作者が送り込んでくる「風圧」に強い疲労を感じることだろう。見ているだけでこちらの精神がおかしくなりそうなインパクトを受ける絵なのだ。ここには自分の絵を売ろうと客に媚びる「売り絵作家」の卑屈さはみじんもない。世間が認めないことなど歯牙にもかけない一人の天才が、人知れず豊かな才能をこの絵の中に塗り込んでいる。しかし、不幸なことは彼の天才性をこの時点でゴッホ自らと神しか知らなかったことだ。人の人生においてしばしば起こる運命と時間の不幸なミスマッチ。ゴッホはあまりに天才過ぎたがゆえに先を走りすぎていたのである。
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Vincent van Gogh / Portrait de l'artiste par luimême / 1889年 / Musée d'Orsay ,Paris 2006年3月、パリ、オルセー美術館で撮影。
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by weltgeist | 2011-01-30 23:59

水戸黄門の印籠・「この葵の御紋が目に入らぬか」について (N0.957 11/01/29)

 今朝何気なくテレビをつけたら「水戸黄門」が1200回の放送に達したと言っていた。一つの番組が1200回も続くのは異例だし、たいへんなことであるとは思う。水戸黄門には日本人の心を満足させる何かがあるのだろう。しかし、天の邪鬼な小生はテレビの水戸黄門でのストーリー展開を見ているとイライラしてくる。面白くないというより、ちょっとお粗末すぎないかという気持ちが起こってくるのである。
 ストーリーは単純で、最初はか弱い庶民が悪い連中にひどい目に会うのだが、最後に「この印籠が目に入らぬか。無礼者めが」ということで、悪は滅ぼされる。文句の付けようのない勧善懲悪に視聴者は大満足する。我々は様々な怒りの気持ちを秘めているが、それをどこでぶちまけたらいいのか分からない。水戸黄門はまさにその場を提供してくれるのである。象徴的な悪をやっつけることで、スカッとできるのだ。
 しかし、人間はそんな簡単に善人悪人にふり分けられるのだろうか。どんな悪人だって少しは良い部分があるはずだ。悪とはどのようなものか深く考えないで、ばっさり切り捨てる単純化こそ問題である。もちろん悪は許されないことは当然である。だが何が悪なのかは慎重に判断する必要がある。番組では黄門様がそれを簡単に判断する。彼が常に正義の立場に立っているという前提が「水戸黄門」には厳然としてあるからだ。そんな善悪判断の基準を黄門様一人に与えていることが小生には納得できないのだ。
 黄門様が倫理上完璧な人なら問題ないが、そんな人間などいるわけがない。人は誰だって良いところもあれば悪いところもある。ましてや判断ミスだってあるだろう。それを「コイツは悪人だ」と一方的に決めつける単純さが嫌いなのである。
 葵の紋が入った印籠を取りだして、「頭が高い」と威嚇するところに徳川将軍家という権威に頼った人間の小ささが見えてくる。偉いお上には絶対服従せよという、いかにも日本的な正義感がここにはある。正義はお上にあり、お上がさばいてくれるという、権力盲従思想を感じてしまうのだ。
 番組ではしばしば悪辣な代官が腹黒い商人と結託して悪いことをする設定を使う。しかし、新渡戸稲造は「武士道」の中で、武士がお金に拘泥することは最も恥ずべきことであると書いている。武士は食わねど高楊枝が侍たちの精神的バックボーンであった。お金に清廉であることが武士の心情なのだ。悪代官のような金に目がくらんだ人間がかりにいたとしても、きわめてまれだったはずである。
 小生がとく気に入らないのは、印籠を通して徳川家の権威に人々が平伏することだ。お上にはあげへつらい、ぺこぺこし、下の者には威張り腐る構図が垣間見え、日本のいやな面を覚えてしまうのである。もし水戸黄門=水戸光圀公がお忍びで諸国を漫遊したことから物語を作るとすれば、もっと別なヒューマンなストーリーができそうなものだと思うのだが、日本の知的レベルからするとそれは無理なのだろうか。d0151247_21132653.jpg
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水戸黄門が持つ印籠には徳川家の家系を示す葵の紋が入っていた。双葉葵の葉を3枚合わせたデザインの非常にセンスのある紋である。葵と言えば春に飛ぶギフチョウの食草であるカンアオイが小生には馴染み深い。
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by weltgeist | 2011-01-29 22:26

ラインホルト・メスナー、裸の山・ナンガ・パルバート (No.956 11/01/28)

d0151247_20382941.jpg 20世紀の最も先鋭的な登山家として知られたラインホルト・メスナーが、世界第9位の高峰・ナンガパルバット(8,125m、パキスタン)の第2登をした登頂記が本書、裸の山・ナンガ・パルバート(山と渓谷社、平井吉夫訳)である。
 高度差4500mという世界最大の壁を持つ山・ナンガパルバット(このブログでは吉井訳と違う昔ながらのナンガパルバットという呼称を使用)を登ることはものすごく難しいことと思われていた。事実、初登頂されるまでに31人もの命を奪い「魔の山」とか「人食い山」という呼び名を与えられたナンガパルバットは、1953年になってようやくチロルの天才クライマー、ヘルマン・ブールによって登られた。
 彼はそのとき単独無酸素、無装備ビバークという信じられない方法で初登頂したのである。しかも単独だから誰も初登頂を信じる者はいないだろうと、証拠として命の杖ともいえるピッケルを頂上に残し、それ無しでベースキャンプまで戻って来ている。
 登山家は一度誰かに初登頂されると、まだ誰の侵入も許していない別な処女峰に関心が移るものだが、ナンガパルバットはすこし違った事情があった。ブールの初登頂後も、一人のドイツ人を中心にずっと攻撃され続けたのである。ブール初登頂のときも遠征隊長を務めたカール・ヘルリヒッコファーがその人である。彼は1934年にナンガパルバットで遭難死したウイリー・メルクル(1931年アルプス、グラン・シャルモ北壁、メルクル・ウエルツェンバッハ・ルート初登攀者)の義弟に当たり、「ドイツ人にとって怨念の山ナンガパルバット」の全部を征服したいという復讐心に燃えた、いささか偏執狂的執念に取り憑かれた人物だった。
 しかし、自らは登山経験のないヘルリヒッコファーは、もっぱら有能なクライマーを募って登頂させ、自分は彼らの体験を本などに出筆させることで義兄の復讐劇を完成しようと目論んでいたのだ。鵜飼いの鵜匠のように手下の鵜が獲った獲物を頂くという計画を考えていたのである。だが、いざ現地に来ると山の経験のないヘルリヒッコファーは、トンチンカンな命令を出して現場を混乱させた。アタックキャンプで登る気満々で待機するブールに撤収命令を出すのである。だが、「登れる」と判断したブールは、命令を無視して単独でアタックし、初登頂に成功してしまうのだ。
 結果としてそれで遠征は成功したのだが、ブールは隊長の命令を無視したことを問われ、帰国後二人の関係は険悪なものになっていった。その後、ブールは自伝「8000mの上と下」でこのときの経緯を書いていて、まだ岩登りに夢中だった小生たちは、能力が無いくせに上役ツラをする人を見ると「ヘルリヒッコファー」とあだ名を付けて呼ぶほど無能で評判の悪い人というイメージが出来上がってしまっていたのである。
 初登頂はしたものの、ブールはドイツ人ではなく、オーストリア人だったし、自分に対する評判も芳しいものでないことを気にしたヘルリヒッコファーは、「自分のコントロール下」に置かれた登攀を完成させようと、その後も再三ナンガパルバットの再登頂を目指すのである。
 そしてラインホルト・メスナー兄弟が参加した1970年のドイツ、オーストリア合同隊の年がやってきた。この時も同じ問題が起こったのである。オーストリア人であるメスナーが、最終アタックキャンプ(C5)で登頂隊のためのフィックスロープを設置せよというヘルリヒッコファー隊長の命令を無視して、単独で頂上アタックに出発してしまうのだ。ザイルもビバーク用ツエルトや寝袋も持たずにである。ところが、彼が出発してしばらくして、ラインホルトの弟、ギュンター・メスナーが「俺も行く」とフィックスロープ作業を放り出して兄の後を追いかける。前代未聞の兄弟命令無視である。
 ほぼ垂直に近い岩と氷の大岩壁の最終部分での登攀がどんなに困難なものかは、我々には分からない。しかし、メスナーの文章を読むと、読者はまるでナンガパルバットの大岩壁で実際に岩を攀じ、固い氷壁にアイゼンのツアッケ(爪)を食い込ませながらじりじりと登っていく臨場感溢れる場面のなかに放り込まれてしまう。しかも、その場所は地上と比べて酸素が3分の1しかない標高が8000mの苛酷な場所である。
 薄い酸素で高山病の幻覚に悩まされながらも、兄弟はナンガパルバットの頂上に達した。しかし、ここで彼らは不思議な判断をする。今まで登って来たルートを戻るのではなく、全然知らない西側の壁を降り始めるのだ。
 そちらはディアミール大岩壁と言われ、4500mものものすごく急峻な壁が落ち込んでいる場所である。そして、彼らは岩壁の下降で絶対に必要なザイルを持っていないのだ。山をやっている人ならほんのちょっとした岩場でもザイルがないと、登りより下りの方がはるかに難しいことは知っているだろう。それなのにマッターホルンの北壁を4つ重ねたほどの高さがある大岩壁をザイル無しにどうやって下ろうというのだろうか。
 自分たちが登ってきたルートを戻れば、アタックキャンプもあれば、寝袋も食料もある。フィックスロープで安全に下ることができるだろう。だが、ディアミール壁にはそんな物もないし、仮に下降できても下で彼らを暖かく迎えてくれる人もいないのである。しかし、高山病の幻覚で正常な判断力を失っている弟ギュンターが「こっちの方が下るには楽そうだ」という言葉にラインホルトも従ってしまう。彼らは危険なルビコン川を渡ってしまったのだ。下降は困難を極め、すぐに夜がやって来た。ツエルト無しにマイナス40℃の極寒をやりすごすことはさしものメスナーでも難しかったようだ。あまりの寒さに体を動かさないと凍り付いてしまいそうになり、ついには危険な夜間も下降を続けることにするのである。
 メスナーの本はナンガパルバットの登頂まではいわばイントロダクションで、実はこれからが本番である。この後信じられないような事態をひとつづつ人間業とは思えない能力で克服し、最後はディアミール壁を降りきるのである。だが、雪も氷もない麓(ふもと)の草原に出るほんの少し手前で弟ギュンターが雪崩に埋まって行方不明になる。
 兄、ラインホルトも死んだも同然な状態でかろうじて生命を維持していた。凍傷で手足の指が損傷しているにも関わらず、さらに何日も歩き抜いてようやく現地の人に出会う。超人はすっかり疲弊し、背負われたり、タンカに担がれたりしながらもっと下の「文明圏」を目指し、最終的にはメスナーたちの捜索を放棄して帰国するヘルリヒッコファー隊に発見されるのである。
 この本を読んでいて面白いのは、これが今から40年ほど前に実際に起こった出来事だということだ。フィクションではない。このような苛酷な状況下で人が生き抜いたという事実に驚くのだ。そして、メスナーが語る一字一句の事実の重さに金縛りにあったような緊迫感を追体験するのである。ここにノンフィクションとしての面白さがある。
 どんなにスリリングな話でも、それがフィクションである限り読者は何か嘘っぽいものを感じてしまう。例えば今はやりの映画などはこれでもかといわんばかりに刺激的な表現をするが、いずれも現実的にはあり得ないことばかりである。超タフな男が爆発するビルから飛び降りて銃をぶっ放し、悪党をやっつけるような、いかにも嘘くさい話とは全然違う。現実の重みが迫ってくる点で、この本は最高にスリリングで面白い。追いつめられても、不屈な魂を持てば人はここまでできるのだということを考えさせてくれる本である。
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by weltgeist | 2011-01-28 23:57

鬼の霍乱、原因は蝶の鱗粉か?? (No.955 11/01/27)

 昨日も書いたが、風邪を引いてダウンしている。心臓や腰痛など沢山の持病を持つ小生、「病気のスーパーマーケット」を自認しているが、風邪ごときは病気にも入らないものと思っていた。しかし、今回はすっかり参って家に引きこもっている。鼻と喉の奥の方に違和感があったのはマレーシアから帰った4日後の22日の夜からである。最初は鼻の中にホコリがくっついているような感じがあった。このときうがいをしていればバイ菌を洗い流してくれたかもしれないのに、まさか風邪とは思わず油断していたのである。
 それが翌日の朝には妙に鼻水が出るようになる。しかし、まだこの時点でも風邪とは思っていない。鼻水は出るが、熱もなければ喉の痛みも咳も出ないからだ。幸いこの日は二ヶ月に一回ずつ行っている心臓の定期検診で病院に行く日である。心電図と血液検査で、抗血液凝固剤・ワーファリンの処方をしてもらうついでに担当医の先生に診てもらったら、体温が37.8℃と少し熱があり、風邪だと診断された。
 熱が38℃を越えるようだとインフルエンザの可能性もあるが、今の熱だと普通の風邪の可能性が高い。先生が「気休めだよ」と言いながら出してくれた風邪薬をその日の夜から飲んで、夜更かしも止めてすぐに寝た。薬を飲んで早めに寝ればすぐに治ると楽観していたのである。ところがそうは問屋は卸してはくれない。いくら病院が処方した薬でも風邪には気休めにしかならない。鼻水はさらにひどくなり、咳に加えて頭痛までしてくる。
 さすがに今日は鼻水も咳もほとんど収まってきたが、まだ頭が全体的にボーッとしている。かったるくて何もやる気になれないのだ。毎日続けていた前の山のウオーキングも中断して、終日家に閉じこもっているから体もだいぶ鈍ってきているようだ。
 おそらくあと数日で風邪を引く前と同じ状態に戻るだろうが、とんだ災難にぶっつかったものだ。妻は小生を見て、「何度も部屋の掃除をしなさいといったのにやらなかったからホコリが風邪を呼んだのよ。それにこの頃始めた蝶。翅についている粉が余計悪さをしているんじゃないの」と小生のふれて欲しくない痛いところを突いてくる。
 掃除をしないから部屋にホコリが溜まっていることはともかく、蝶の鱗粉が鼻から入って風邪を引いたなんて話は聞いたことがない。しかし、そうは言いつつも実際風邪でダウンした自分の姿を顧みると、彼女の指摘に反論できないのだ。これが何とも情けなく、歯がゆいのである。
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キャメロンハイランドのホテル周辺を散歩している途中でつかまえた蝶。日本にはいない種類で、名前も知らないが、すでに翅はボロボロにすり切れていた。こうした蝶の鱗粉は人の体に良くないと言われても、つかまえるからには手で触らざるを得ない。誰に何と言われようと小生はこうやって蝶をさわり続けるつもりである。
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by weltgeist | 2011-01-27 23:36

遠来のお客様 (No.954 11/01/26)

 マレーシア旅行で疲れが溜まっていたのだろうか、風邪を引いてしまった。幸いインフルエンザではないが、鼻水と咳が出る。こんな状況で人前に出るのは菌をまき散らすようなものであるから、家に閉じこもって外出は控えていた。
 しかし、今日はアメリカからの客人が来た。以前、わが家の近くに住んでいて、小生に英語を教えてくれて現在はシアトルに住んでいるPさん夫妻だ。日本に住む彼ら息子夫婦の孫を見にきたついでに我々の顔をも見たいというので、外に出られない旨を言ったら、わざわざわが家まで来ていただいたのである。
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 Pさん夫妻との交わりは、実は小生のかなり強引な要求から始まったものである。10年ほど前に、わが家から30mほど離れた家に外人家族が越して来た。話す言葉からすぐに彼らがアメリカ人と分かり、この家族の一人から英語を教えてもらえないかと思ったのだ。彼らとは何のつながりも面識もなかったが、小生が図々しくもその家に訪ねて行き、「近くに住む者だが、英語を教えてもらえないか」と頼んだのである。それがPさん一家だった。
 もちろん小生のお願いはやんわりと断られた。「私は英語の教師ではありません。でも、あなたが英語が勉強したいなら、友人のアメリカ人の中に教えてもいいという人がいるかもしれない。私は自分の仕事があるからできないが、それで良ければ待っていなさい」と言われたのである。
 言われてみれば当然のことである。見ず知らずの人間にいきなり言葉を教えてくれと頼まれたとしてすぐにOKという人はいないだろう。しかし、それから半年ほど待ったがPさんからの連絡はない。やはり無理だったのか、と諦めかけていたとき、Pさんから、「自由な時間ができたときなら私が教えてもいい」と言ってきたのだ。
 Pさんにとっては完全なボランティア精神である。英語を教える友人を紹介すると言ったのに、それが見つけられなかったから、自ら教師の役を買って出たのである。そして最初は英会話を教えてもらいながら、次第に家族同士の付き合いに発展して今に至っているのだ。
 人間の出会いはほんの些細なことで始まる。何が将来起こるか分からない。小生のいささか強引すぎるお願いでPさんにはプレッシャーを与えてしまったかもしれないが、今はそれがとても良い結果を生んだと思っている。こんな良き人と巡り合わせてくれた神様に感謝したい気持ちで一杯である。
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by weltgeist | 2011-01-26 23:57

9日間日本を空けて気が付いたこと (No.953 11/01/25)

 9日間も日本を留守にしている間にずいぶん色々なことがあったようだ。帰って新聞を読んだら「与謝野経済財政政策担当大臣」という言葉が出ていた。オッ、これは民主党が「立ち上がれ日本」と連立を組んだのかと思ったら、離党した与謝野氏を菅総理が一本釣りで釣り上げて大臣に入閣させたらしい。
 与謝野さんはもともとは自民党の比例で当選した人である。他の党に鞍替えしたとすれば、彼の行為は有権者を裏切ることに他ならない。与謝野さん個人が選ばれたわけではない。自民党員として選ばれたのである。対立する政党に移るのなら、一度議員辞職して、民間人として内閣に入るのが筋であろう。これまで盛んに民主党を攻撃していたことにはほっかむりを決め込み、ちゃっかりとそちらの仲間に潜り込むというのは政治家としての信義を疑いたくなる行為である。
 今朝の朝日新聞には与謝野大臣のインタビューが載っていた。それによれば民主党の政策と自分の立場には隔たりがあるが、財政再建のためには消費税の増税が必要というところで自分は菅総理の考えに賛成である。だから内閣の一員になったという。ということは、与謝野大臣がいる限り消費税の増税は不可避ということになる。彼は消費税アップを政策の基本にあげているのである。
 これまでパッとしなかった菅首相は与謝野氏を一本釣りすることで、いよいよ消費税増税に踏み切りそうである。財政赤字が危機的状況にある以上ある程度の増税は仕方がないにしても、マニフェストで約束した無駄を省いて財源を確保するという公約はどこかに吹っ飛んでしまっている。節約どころか相変わらずのばらまきで、それを消費税アップでしのごうというのは納得いかない。
 小生が留守をしていた9日間の間に、日本は明確にこれまでとは違う方向に舵を切った。与謝野・菅ラインがあるかぎり、消費税はきっとアップされるされるだろう。たった9日間だというのに、とんでもない変化が静かに進行していた。給料は上がらないのに税負担だけが重くのしかかってくる。庶民には苦しい生活が待ち受けていることだろう。
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 今回のマレーシア旅行で見つけたオオコノハムシ。どこからみても木の葉のようで、ご丁寧に葉っぱが虫に食われた跡まで擬態しているが、これでもれっきとした昆虫である。人間もここまでみごとにカモフラージュできれば、なにをやっても非難されないかもしれない。与謝野さんは目立ちすぎたのだ。コノハムシのようにじっとジャングルに隠れておとなしくしていれば、人からとやかく言われることもなかったろうに。コノハムシの隠遁の術をもう少し学んだらどうだろうか。
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by weltgeist | 2011-01-25 22:07

マレーシア・蝶の旅、最終回、クアラルンプール (No.952 11/01/24)

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 キャメロンハイランド滞在6日目の朝、クアラルンプールに戻る。来るときは空港からタクシーだったが、帰りは前日に予約したバスで向かう。8時半タナラタ発の急行バスは日本の観光バスと変わらない快適そのもの。約4時間、12時半頃、クアラルンプール(KL)セントラルというターミナルに着いた。値段は一人35RM(約1000円)、タクシーの10分の一の安さだが、行き方さえ分かれば不安もなくタクシーよりずっといい。マレーシアに来る前に得た情報によれば、キャメロンハイランドのような高速バスはプドラヤバスターミナルから出ると書いてあったが、最近はどうやらこのクアラルンプール・セントラルから出るようだ。バス発着はほとんどここに集中しているようで、LCCターミナルのバスもここから出るという。明日の帰国に供えてLCCターミナル行きのバスの場所もついでに確認しておいた。
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 さてクアラルンプールのホテルはどうするか。日本を出るときは予約もしないで来たが、予約無しだと不安なので、キャメロンのホテルに泊まっていたシンガポールから来たRさんに、良さそうなホテルをリザーブ頼んでおいた。ところが、クアラルンプール(KL)セントラルでタクシーの運転手にホテルの名前と住所を書いた紙を見せると、首を傾げている。どうやら知らないようだ。それだけ小さなホテルなのだろう。そう思って気にしないでいたら、タクシーは住宅地の中に入っていく。周囲は東南アジア特有のごちゃごちゃした街並みではなく、まるで田園調布のような高級住宅地の感じである。
 そうしてある家の前で止まって「ここだ」という。ごく普通の家で、とてもホテルには見えない。だが住所も名前も間違いない。「エエーッ、ホテルじゃないの」と思いつつ、インターホンを鳴らすと、中から中年の女性が出てきた。英語は話せないようで、こちらが言っていることは通じていないが、我々のバッグをどんどん家の中に運び入れていく。こちらは何か狐につままれたようで、腑に落ちないが、どうやら我々が今日ここに泊まることはRさんが伝えていたようで、間違いなさそうである。
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 家の中はとても落ち着いた雰囲気で、リビングの中央は二階まで吹き抜けになっていて、階段の下にはコイが泳ぐ池がある。以前からアジアの民家を何軒も見ているが、正直、家の中がここまで格調の高い作りとは思っていなかった。マレーシアでもお金持ちはこうした家に住んでいることを初めて知ったのである。
 しかし、それでもまだ自分たちが置かれている状況がピンとこない。なぜホテルでなく、一般家庭の家に来たのか、荷物を運んだ中年女性に尋ねるが、英語はまったく通じない。どうやら彼女はこの家で働くインドネシア人のメイドのようである。それでは話にならないので、「主人を連れてきて」とジェスチュアーを交えて頼んだら、しばらくして70歳くらいのおばあさんを連れてきた。
 この家の人間ではないが、とりあえず通訳代わりに隣の家のおばあさんをメイドが連れてきたらしい。彼女の態度や話し方がまるでアガサクリスティの小説に出てくる品のいいおばあさんのようで、シンガポールなまりの強い英語を話す。おあばさんの言い方からこの家がどうやら民宿をやっているらしく、間違いでも何でもないことが分かった。Rさんは折角のマレーシア旅行だから、当たり障りのないホテルより民宿の方が印象が残るだろうと選んでくれたようだ。しばらくして本当の主人も戻ってきて疑問は氷解した。 
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 ようやく安心したので、夕方はクアラルンプール市内観光に行ってみることにした。しかし、ガイドブックも何も持っていない我々は観光情報など何も知らない。クアラルンプールを見るなら何処へ行ったらいいのかも見当が付かないのだ。だが、小生の記憶ではクアラルンプールにはかって世界一と言われた二本のツインタワービルがあることを思い出した。とりあえずそこへ行ってみようと主人からツインタワーまでの行き方を教えてもらう。
 タクシーでもう一度KLセントラルまで出て、そこから電車で5~6つめのKLCCという駅で降りれば目の前がペトロナス・ツインタワーだという。
 タワーの高さは452m、88階建てのすごいビルである。しかし、キャメロンハイランドのようなジャングルでは心がウキウキするのに、こうした都会では、心を打つものが感じられない。ただそこに行って見たという事以上の印象がないのだ。もともとが野人である小生には近代的な町を歩くのも、買い物も興味はない。だからすぐに飽きてしまった。それでもしばらくすると、夕闇が迫ってタワーがライトアップしてきた。これの写真を撮り、ビルの中にあったフードコートで夕食を食べただけで宿に戻った。
 明日は2時のエアアジアで日本に帰るだけ。実質的にはもう旅行は終わったも同じである。この日はパッキングをやり直してから早めに寝た。

マレーシア蝶の旅はこれで終わりです。
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by weltgeist | 2011-01-24 22:14

マレーシア・蝶の旅、その5、キャメロンハイランドあれこれ (No.951 11/01/23)

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 高原のリゾート地、キャメロンハイランドでの滞在五日目、クアラウーでのアカエリトリバネアゲハの乱舞も、19マイルでの蝶の採集も一応の成果を見たので、今日は遠くへ行かずに近場でのんびり過ごすことにした。
 日本人は短い時間でできるだけ多くの場所を見学しようと、あちこち忙しく見て回るが、沢山の場所を回ったところでじっくり時間をかけなければ、ただ行っただけの印象の薄いものになる。そんな忙しいだけで充実感が欠落した旅はしたくない。こうしてホテル前の庭に出てただ座っているだけでも贅沢な旅行の雰囲気が十分楽しめるのだ。
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 スコットランドからやってきたDさんなど、休暇でやってきたのに、外にも行かず朝からジグソーパズルにチャレンジしていた。のんびりするといっても、小生にはここまではできない。見ただけで頭が痛くなりそうで、自分ならきっと最後はギブアップするだろう。ところが彼は夕方には完成させて「やったぞーっ」と、ガッツポーズをしていた。所用時間は8時間だったという。この間、奥さんのFさんは本を一冊完全に読み切って過ごしたという。
 高原のリゾートホテルで、忙しい世俗のことを忘れて、悠久の時を楽しむ。これこそ最高の贅沢であろう。Dさん夫妻以外にカナダやシンガポールからやって来た人たちも同じように悠々として過ごしていた。本当の休暇の過ごし方を彼らから学んだ思いがした。
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  ノングルメの小生は食べ物についてのこだわりはほとんどない。何を食べてもおいしいと感じる幸せ人間である。外国へ来ると食べ物が口に合わず、日本食を食べたがる人がいる。せっかく外国へ来たのだから、その国の本格的料理を食べなければ損だと思うのだが、ま、人はそれぞれ好き嫌いがあるから致し方ないのかもしれない。しかし、小生はとにかく訪問した国の本場物の郷土料理をせっせと食べることにしている。
 マレーシアの代表的な料理というのはよく分からないが、現地では名前も知らない様々な料理を食べ、いずれもおいしかった。しかし、マレーシアの食べ物となると、ドリアンについて触れないわけにはいかない。日本では非常に高価で滅多に食べられるものではないが、マレーシアでは安くて普通に食べられる果物である。このドリアンを以前コタキナバルでも食べたが、そのときは確かにおいしいが、果物の王様と言われるほどの味ではなかった。だが、ドリアンもピンからキリまである。タクシーの運転手によれば、今回売られているものは最高級の品質で、安いものはおいしくないという。確かにコタキナバルより高かった(18RM、約500円)が、その味はいかがなものか。前の日19マイルへ行く途中の売店で売られているドリアンに再挑戦してみた。
 トゲトゲの固い実を割ると、中に黄色い種が入っている。これを食べるのだが、コタキナバルの時のものより段違いにおいしい。口の中に入れるととろけるような味がして、このときだけは小生のノングルメ宣言も取り消しさせていただいた。せっかくマレーシアまで来たのだ、安くておいしいドリアンを食べないで帰るのは旅の楽しさを半減させるようなものである。なお、ドリアンは不快な臭いがすると言われているが、コタキナバルのときも今回もそうした不快な臭いは一切感じず、ただただおいしかった。
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 ジャングルトレッキングで不思議な光景に出会った。この二人は結婚式の新郎新婦のようで、専属の美容師とカメラマンがついていて、ジャングルの中で記念撮影をしていたのだ。美容師が花嫁の髪を整え、いくつかの決めのポーズをとらせてカメラマンが本格的な撮影をしている。
 マレーシアでは、このように野外で結婚記念撮影する習慣があるのかもしれない。撮影の合間に小生がちゃっかりカメラを出したら、専属カメラマンが笑いながら「モデル代として500ドルいただきます」と言っていた。新郎に「君はこんな美人をもらって幸せ者だよ」と言ったら、どうも新郎は英語が分からないようで、新婦が通訳してから「サンキュウ」といっていた。この二人が永遠に幸せであることを祈りたい。お幸せに (*^-^*)

以下、明日に続きます。
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by weltgeist | 2011-01-23 23:34

マレーシア・蝶の旅、その4、19マイルのポイント (No.950 11/01/22)

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 キャメロンハイランドの蝶採集ポイントで一番有名なのは19マイルと言われる場所である。19マイルはタナラタからの距離で、㎞に直すと30㎞。タナラタからここまでタクシーで1時間10分くらいである。カーブした所の石に「19」という数字が大きく刻まれている。
 ここにはオラン・アスリ (Orang Asli) と呼ばれる先住民族が住んでいた。バス停脇の道をちょっと入ると、木造の小屋が何軒もあり、人なつっこい子供たちの背後に、ちょっと警戒心を持って小生たちを見ているお母さんたちがいた。突然見知らぬ者が闖入したのだから当然だろう。こちらは怪しい者ではありませんと、友好の気持ちを伝えるために「ハーイ」といって手を振ると安心したような顔をして小屋の中に戻っていく。
 部落には猫と放し飼いのニワトリが沢山いたので、この猫たちをモデルに岩合光昭さんの真似をして、猫の写真を撮ってみた。しかし、腕がついていかないのかうまくいかない。猫が一瞬でもカメラ目線になれば、多少は様になったのだろうが、ご覧のようにすでに逃げ腰である。カメラを構える小生に迷惑気味な様子がありありで、結局はこの程度しか撮れなかった。
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 蝶のポイントは部落の横を流れる川の上流で、しばらく道を歩いて行くと、様々な蝶が次々と飛び出してくる。19マイルでの採集は問題ないので人がいなくなった所で捕虫網を広げて飛んでくる蝶をつかまえる。大きなアゲハチョウから、シジミチョウまで、まるで百花繚乱のようにいて、昨日のクアラウーと同じく蝶の楽園のようだった。
 だが、日本を出るときは蝶の写真撮影もしたいと思っていたのが、実際に蝶が出てくるのを見たら撮影は二の次。珍しい蝶が飛び出すと、「逃がしてなるものか」とまず網が先に出てしまう。気がつけば、収穫はかなりあったが、写真撮影の方はさっぱりである。一昨年のコタキナバルと同じで、ほとんど蝶の写真は撮れていない。上のように、ごく普通にいる蝶を数種類撮っただけでお終いとなってしまった。二兎追う者は一兎も得ずで、採集することに夢中な小生に蝶の生態撮影は無理のようだ。
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 先住民族を指すオラン・アスリという言葉は「初めての人」、つまり人類の起源という意味の言葉で、6万年ほど前にアフリカから渡って来たらしい。彼らはその後侵入してきたマレー人とは混じることなく、ずっと民族独自の生活習慣を守ってきたという。だが、こんな熱帯雨林の中でどうやって生活費を稼いでいるのか不思議に思っていたら、しばらくしてその実体が分かってきた。
 ジャングルの奥で蝶を採っていた小生に、彼らが蝶の標本を売りにきたのだ。部落では捕虫網は出さなかったにもかかわらず、態度で分かったのだろう。言葉は通じないが、しっかりした三角紙の中に入れた傷のないきれいな蝶を見せて、買ってほしいという仕草をする。
 後で聞いたらこの部落のオラン・アスリたちは全員が蝶の採集者で、これを売って生活しているらしい。そんなプロ集団がほぼ毎日採集しまくっているわけだから、本当なら蝶の姿も少なくなるはずなのに、小生にも十分満足するだけの蝶を採集することができた。これがもし魚の釣り場なら、とっくに魚影はなくなるだろうに、19マイルポイントは汲めども汲み尽くせない蝶の宝庫だから減ることがないのだ。
 帰りに部落に戻ると、オラン・アスリが使う手製の捕虫網が家の壁に立てかけてあるのを見つけた。しかし、それは小生の持つ本格的な捕虫網とは比べものにならない貧弱な物である。これで素早く飛び回る蝶を採集しているとすると、彼らの採集技術は相当なものだろう。今度来る機会があれば、彼らからプロの採集法を教えてもらいたいものである。

以下明日に続きます。
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by weltgeist | 2011-01-22 23:41