<   2010年 09月 ( 28 )   > この月の画像一覧

池内淳子さんの死を惜しむ (No.843 10/09/30)

 池内淳子さんが亡くなったという。76歳というからまだ若すぎる死である。若い人たちにはおばあさん女優でしかないだろうが、池内さんの若い時代を知る小生の世代にとっては本当にきれいな人で、一種近寄りがたい感じの女優さんだった。池内さんが和服を着て出てくるシーンを見ると、他の誰よりも光り輝いていて、小生には憧れの女性に見えていたのである。
 しかし、どんなにきれいな人でも時間は平等にやって来る。並の容姿の人が並に老けていくのは仕方がないとしても、好みの美人だけはもう少し時の歩みをゆるめてくれてもいいのではないかと思う。だが、神はそれを許さない。老いは誰にも平等にやってくるのだ。美を売り物とする女優は迫り来る老いに抗して何とか若さを保とうとするのだろうが、遅かれ早かれ戦いの戦列から脱落していく。ところが、数年前に見た池内さんは歳を感じさせない上品な人の役を演じきっていて、全然違和感がなかった。それは昔見た彼女の外見だけの美しさではなく、もっと内面的な美がにじみ出ていたからだと思った。美は見てくれだけのものではないことを彼女は示していたのである。
 人間である限り、いつかは終わりが来る。不死鳥のように永遠の命を持つことは出来ないのだ。花は枯れていくから美しい。造花のようにいつまでも咲き続ける花は美しいどころか、気味が悪くなる。唐木順三は自著「無常」の中で日本文学の根底には源氏物語以来、いつも「はかない」ということが流れていたと書いている。彼の本についてはいずれ取り上げたいと思っているが、とにかく人間の命は一瞬に花開き、一瞬で消えていく「はかないもの」である。そして日本の美学はその移ろいやすい「はかなきもの」の中に美を見いだしたのである。
 花の命が短いと言っても、それは一番光り輝く時だけを見ているからだ。長い間土の中で養分を蓄え、発芽し、次第に成長してようやくつぼみをふくらませ、開花する。美は長い熟成の時間を要するのだ。そして人々に愛でられた数日後には無常なはかなさで花びらが舞い落ちていく。女性が美で輝くのも同じで、若い頃のほんのひとときだけ強く輝く。そして、その後は老いが美を覆い隠していく。どんなに美しい女優でもその旬の時間を過ぎれば後からやってくる者に舞台を譲らなければならない。いつまでも美の表舞台に立ち続けることを天は許さないのだ。
 小生が若かった頃にも沢山の美しきアイドルたちがいた。毎日どのチャンネルを回してもテレビに出ているきれいな女性が、しばらくすると画面から消えて別なアイドルにとって代わられる。そうしたかってのアイドルがたまにテレビに戻ってくると、美が老いにどのように浸食されていったのかを教えてくれて、世の男性諸氏はがっかりする。しかし、老いに焦りを感じる人にとってそれは一種の安心感を得る。あんなきれいな人でもこうなってしまう、だから自分が歳をとってしわだらけの顔になっても恥ずかしいことではないと安堵するのである。
 しかし、外面的な美は人生のほんの一時だとしても、内面的な美は一生続く。それは普通の目には隠されていて見えないかもしれないが、人間のどこかからにじみ出て、その人の深い人間性を表現してくるのだ。本当の美を追究する人はそうした内的なものを静かに花咲かせる。見てくれより中身を磨け、そうすればいつまでも美が輝きつづけるだろうと、世の女性たちに言いたい。
 池内さんの死は美しく咲いた花も、いつかは確実に枯れるという、人の生のはかなさを感じさせてくれた。先日の谷啓さんに続いての訃報に昭和の時代もいよいよ終末期に入っていくのかとの思いを深くした。
d0151247_2244582.jpg

[PR]
by weltgeist | 2010-09-30 23:07

ロマン・ロラン、魅せられたる魂、その3、川は流れる (No.842 10/09/29)

「存在の流れ全体が、生命が今去ったばかりの流れから、この流れが落ち込むであろう河口に向かって流れる。・・・粉砕され伸びた魂は開き、至上の存在と合体する。至上の存在は彼女をえぐり取りながら、彼女を併合する。・・おお、充溢! 一致! 彼女の全体験が完成する。魅せられたる魂の周期が完成する。・・」
魅せられたる魂Ⅲ、宮本正清訳


 一昨日、 No.839 で「魅せられたる魂」は、川・リヴィエール= rivière のように流れ流れて海・メール= mer に流れ着くと書いたが、メールという言葉は同じフランス語では mère =母という意味もあり、発音もまったく同じメール= mε:r である。しかし、シャンソンで歌われている「ラ・メール」は「海」。森進一の「お袋さん」という意味ではない。
 誰が書いたか忘れたが、「フランス語は母の中に海があり、日本語は海の中に母がある」という言葉を以前読んだ記憶がある。母である mère から e をとれば海を意味する mer になる。日本語では「海」という文字の中に母という文字が入っている。海は母でもあるというのは日本もフランスも同じなのだ。
 ロランが「川・リヴィエール= rivière は流れ流れて海・メール= mer に流れ着く」と言うとき、それは母のもとへ、すなわち人生は最終的には生まれ故郷である母の胎内に回帰していくことを暗示的に示したのではないだろうか。ロランはフランス人ならだれでも分かる海=母というダブルの意味で語っていたと小生はとらえている。
 ニーチェの永劫回帰は虚しいものが永遠に回帰し続けることであった。ロランの循環的人生論はそんな虚無的なものとは違う。魅せられたる魂を読んでいてインドの「輪廻転生」の思想と近いと感じた。虚しいとか価値があるというより、日々の人間が苦難を乗り越えつつ与えられた人生を全うして、最後は生まれ故郷に帰っていく。無限な世界を支配する者から見たら、単にちっぽけな生命が魂の遍歴を繰り返していくだけであって、価値とか無価値といったことなど何の問題にもならない永遠に繰り返される無限な循環運動だと考えているように思えた。
d0151247_21141357.jpg
 人生は川のようなものというロランの考え方から見れば、我々は長い人生の途中を流されつつ泳いでいるのかもしれない。そんなことを考えたのは、実は今日は小生たちが結婚してちょうど36年目の結婚記念日だからだ。すでに人生の半分以上の時間を妻と暮らしてきたことになる。1979年9月29日、9が三つも重なる縁起の悪い日だから苦労しっぱなしの結婚生活になると言われたあの日から36年間、長い人生の歩みを続けてきたと思っている。これがあとどのくらい続くのか誰にも分からないが、いずれは海に流れ着くことだろう。
 若い頃の小生は友人たちから「あいつは絶対結婚出来ない。一生チョンガーで暮らすだろう」と思われていた。汚い格好をして山ばかり行っていた小生、およそ女性に「もてた」という経験がなく、自分でもきっと一人でさみしく生きていくんだろうな、と決めつけていた。それが結婚出来たこと自体が驚きであった。ま、物好きな女性が一人いてくれたおかげで、小生も世間並みの家庭というものを持てた。これも運命、神様のご配慮だろうか。
 だが、一生チョンガーで行くはずだった小生が、結婚に至ったのは今思い返すとほんのちょっとしたことがきっかけであった。人間の運命なんて絶対分からない。一寸先は闇か、それとも光り輝く栄光の世界になるのか、誰にも分からないのだ。ただただ流れて行く先々でいくつものチャンスもあれば、失敗する要因とも出会う。すべては「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」である。
 そうして広大な海にまで流れ着く。人生の終点であると同時にそれは永遠への入り口である。命はどこから生まれたのか、本人には何も分からない。本人が頼んだわけでもないのに、この世に放り出され、頼みもしないのに、勝手に押し流されて、最後は消えさせてしまう。
 そんなことを思いながら今日の結婚記念日を二人で迎えた。もちろん新婚当初の甘い関係ではない。いつものように小生のだらしのなさを指摘する妻から小言を言われながらではあるが・・・。

魅せられたる魂の項はこれで終わります。
[PR]
by weltgeist | 2010-09-29 21:22

ロマン・ロラン、魅せられたる魂、その2 (No.841 10/09/28)

d0151247_018573.jpg 昨日から始めたロマン・ロランの「魅せられたる魂」の続きである。しかし、このブログで魅せられたる魂の物語の展開について、くどくど書くことはしないつもりだ。1400ページもある小説のストーリーを簡単に書くことなどできないからだ。従って、小説のストーリーに興味のある人は是非本を手にとって読んで頂きたい。とくに、自立心旺盛な現代の女性には必読の本としてお勧めしておきたい。
 さて、魅せられたる魂はアンネット・リヴィエールと異母妹シルヴィという生活環境のまったく違う女の魂の遍歴を書きつづったものである。それは昨日ロランの言葉を引用しながら、川(リヴィエール)の流れのようなものであると書いた。
 アンネットは臨終のとき、自分が川、リヴィエールであったことを悟る。それまで数々の苦難、障壁が彼女の進む道を遮った。しかし、彼女はそれらを全力で乗り越えて前に進んだ。乗り越えた後に残された障壁の残滓は、出会ったときの威圧感もなければ巨大さもなかった。克服した自分にとっては、何故そんなに大きく自分を妨げていたのか、不思議に思えるほど小さくなっていた。壁が形を変えたのではない。彼女がそれを乗り越えることで小さくなったのだ。苦難は人を悩ませるけれど、それがあるから人はさらに高い所に昇っていくことができるのである
 苦悩を通しての歓喜に至る、これはベートーベンの生き方そのものであり、ジャン・クリストフ、魅せられたる魂に一貫して貫くテーマである。苦しみは乗り越えるために神が人間に与えた試練であるとロランは解釈している。アンネットは一枚ずつ自らに掛かった苦しみのベールをはぎ取っていくことで精神の高みへと上り詰めて行くのである。
 人の一生は一様ではない。裕福な家庭に育ち大学卒の学士号を持つアンネットに対し、妾の子として下積み生活をするシルヴィは洋服を仕立てる針子として、ひたすら働くことで自らの道を切り開いていく。彼女はアンネットの助けもあってやがてはパリで名をなす高級婦人仕立て服店の主人にまでなるのである。ファッションのことは素人の小生だが、シルヴィの記述からはシャネルのような有名なパリのデザイナーの姿が連想される。
 アンネットとシルヴィは互いに協力しながら、一方はパリのオートクチュールでの成功者となり、アンネットも新聞社の社長秘書としてそれなりの社会的地位を確保していく。だが、苛酷な時代は一瞬たりとも二人にほほえみを与えない。アンネットは結婚を拒否して育てた息子のマルクをフィレンツェでファッシストの青年にナイフで刺し殺されてしまう。一方シルヴィは娘のオデットがベランダから転落した事故で死んでしまい、さらには夫・レオポルドが第一次大戦でドイツ軍の捕虜となり死亡する。これでもかというほど二人の婦人の上には災難が降りかかり、苛酷な運命のなかに投げ込まれるのである。
 まさに時代は暗いヨーロッパを川のように流れ、戦争の暗雲が人々の上に立ち込めてくる。フランスとドイツは戦争状態となり、フランス国民は愛国心に燃えてドイツを攻撃する。だが、アンネットの心の中には強い反戦思想が貫かれていて、時勢に流されていく市民たちとは一線を画する行動をする。
 フランスには負傷したドイツ兵捕虜が移送されてくる。その捕虜に向かって民衆は憎しみのため石を投げ始める。すると、アンネットが捕虜の前に立ちはだかり、もしあなた達の夫や子供がドイツで同じように捕虜になって、石を投げられたらどう思うかと言って止めるのである。しかし、アンネットのヒューマニズムは民衆には理解されない。彼女は敵に通じる非国民と見られるようになっていくのだ。
 こうしたヒューマンな考え方が実際のロランの立場であった。ロランはスイスを旅行中に第一次大戦が始まると、そのままスイスにとどまり、戦争反対の立場を表明する。彼はジュネーブの国際赤十字の下で戦争捕虜の身元照会のために奔走し、ノーベル文学賞の賞金をこれらの社会奉仕のためにすべて提供している。ガンジーやトルストイの思想に基づき、非暴力による戦争反対を貫き、その後も台頭するファシズムには戦いの姿勢を明確にした。これに対して愛国心に燃えたフランス市民は「裏切り者・ロラン」の本を焼き、「売国奴」と罵倒するのである。 
 下層階級の出であったシルヴィが自分の道をたゆまぬ労働で築きあげたとすれば、アンネットは戦争を賛美する「愛国主義者」がうずまく時代との戦いを通して自己を確立していったのである。激動の時代からすでに80年以上の年月が経過しているにもかかわらず、同じようなことはいまも続いている。尖閣列島の問題でナショナリズムが台頭しつつあるとき我々はどう対処すればいいのだろうか。
 ロランの作品は当時のフランスでは売国奴の作品として拒否されていた。しかし、魅せられたる魂は、フランス国民だけのものでもなければ、ドイツ人応援の書でもない。ロランが目指したものは、そうした国境とか国、民族の枠を取り払ったもっと広大な所での人類の苦悩との戦いの書なのだ。 
 魅せられたる魂は、目で読む本ではない。魂で読む本だ、と小生は言いたい。まだ読んだことのない皆さんにはぜひ魂で読んでいただきたいと思っている。

以下明日に続く。
[PR]
by weltgeist | 2010-09-28 17:12

ロマン・ロラン、魅せられたる魂、その1 (No.840 10/09/27)

d0151247_19193660.jpg 長い小説である。河出書房新社版「世界文学全集」で3冊、約1400ページあり、トルストイの「戦争と平和」と並ぶほどの長編だが、読み始めるとその長さを感じることなく一気に最後のページまで読み進んで行ける。小生が72年に最初に読んだときは、時の経つのも、寝食も忘れてただひたすらページを追い、魂をかきむしられるような感動を味わたことを鮮烈に覚えている。
 偉大なロランにとって、この小説は最高傑作である「ジャン・クリストフ」(1916年ノーベル賞受賞作品)と常にペアーに見られている。ジャン・クリストフが19世紀から第一次大戦までの間の男性音楽家(ベートーベンがモデルとされている)の精神遍歴を扱ったのに対し、魅せられたる魂は、アンネット・リヴィエールという女性が20世紀初頭から第二次大戦までの間に一人の女として生きた魂の遍歴の物語である。
 男性であるロランが女性の心理をどこまで読み、それを長編小説のなかで表現できるのかという不安は、冒頭の書き出しから払拭される。父親の死後、彼の手紙を整理していて初めて知った秘密。主人公、アンネット・リヴィエールには母親の違う妹シルヴィがいた。愛していた父親に隠し子がいたというショック、戸惑いと嫉妬、そして自分の妹となるその子がどんな人物なのか知りたい好奇心を抱いたアンネットがシルヴィのもとを訪ねるシーンから、いきなりこの作家は我々の魂をとりこにしてしまう。
 ロランがアンネットのイメージを固めるのに重要なモデルの役割を演じた人物がいる。彼の理想的女性像は、23歳の時イタリアで出会った70歳のドイツ人女性作家、マルビーダ・フォン・マイゼンブークから強い影響を受けて造り出されたものだと小生は思っている。シュテファン・ツバイクが「最後のゲーテ的ドイツ人」と呼んだこの老婦人はワーグナーやニーチェ、リストなどとの交流経験から「ある女理想主義者の回想」という著作を発表した高い精神性を持つ優れた女性であった。ロランは女性の権利がほとんど認められていなかった当時のヨーロッパにおいて孤高の精神性を築き上げていたマイゼンブークから、理想とする女性像のイメージをくみ取り、それをアンネットとして昇華していったのではないだろうかと思う。
 ロランはフランス人であるにもかかわらず、その文章が何かドイツ的な感じを受けるのはマイゼンブークの影響があるのではないだろうか。事実ジャン・クリストフはフランスの小説なのに主人公はドイツ人として書かれている。人によってはロランのドイツ風文体が重厚すぎてフランス文学のしゃれた感性に合わないとも言われるが、人間の精神的発展を追うのに彼の文章はカミソリのような切れ味を発揮している。我々を精神の奥深き高みに導いてくれる素晴らしい文章なのである。
 20世紀初頭のフランスにおいては、自立していこうとする女性に向けられる偏見や悪意は日常的であった。だが、アンネットはそれに打ち負かされることなく次第に成長していく。彼女は恋をするが、結婚は自分の心をしばるものとして拒否する。しかし、一度だけ体を許し、それで子供、マルクを授かる。だが、それでも男性との結婚は拒み続け、彼女はシングルマザーとして息子を育てるのである。こう書くと単なる女一代記のようだが、それはモーパッサンの「女の一生」のように、迫り来る災難にただ打ちひしがれている哀れな女の物語ではない。
 アンネットは次々に起こる出来事を試練として受け止め、それを乗り越えて行く力強い女性である。自分の身を包む幻影(イリュージョン)の衣を脱ぎ去ることで、新たな精神の高みに昇り詰めていくのだ。ところが衣を脱ぎ捨てても他の衣が前のものに代わる。「魅せられたる魂の女は、熱を帯びた手でそれを振り払うが、それは次々にやって来て、最後の臨終で断ち切られる。しかし、すべてが過ぎ去り、すべてが魔術であるとしても、幻想と夢の力、不断に創造し更新する生命の躍進力は残るのである。それは彼女、アンネットの生命の源だからだ」とロランは書いている。
 魅せられたる魂を読んだとき、読者は人が生きるとはどういうことなのかというテーマの核心的な答えを見つけ、それに力強く引きずり込まれてしまう。人生の意味は単純なものではないだろうに、読者はページをめくる毎に新しい知見を見つけ、人生の秘密を見いだしたかのような気持ちになるのだ。ところが、次のページに行くと、そこではまったく新しい秘密の花が開花している。
 それはまるで川の流れのように、目まぐるしく流れ下りながら、次第に流れの幅を太くし、最後は海に行き着く長い水の流れのようである。アンネット・リヴィエールのリヴィエールとはフランス語で川という意味であり、ロラン自身が魅せられたる魂の序文の中で次のように書いている。
「アンネットにとっては試練も障害も決して事欠きはしなかった。最後の日まで川 (リヴィエール)は海に向かって流れる。何も停滞してはいない。前進する生命、前進! 死のなかにおいてすら、彼は私たちをはこんでいく。」
 ちなみにフランス語で川がリヴィエール= rivière なら、海は mer =メール。母も mère =発音も変わらずメールである。流れ下った精神は母の胎内に帰ることを暗示しているようである。このことについて、ロランは永遠に循環する魂の円環運動のようなことを言っている。明日はこれについて述べてみたい。

以下明日に続く。
[PR]
by weltgeist | 2010-09-27 23:19

ゆれ動く人生 (No.839 10/09/26)

 いままでがむしゃらに人生を突っ走ってきたので、リタイアを機にこれからは少しのんびりした生活がしたい。そう思っていて、これがなかなかできない。せっかちで貧乏性のため、一カ所にじっとしているのが苦手で、いつもなにかに追いまくられている感じがしている。周囲のことが気になり、あれもこれも手を出しては、最後に二進も三進(にっちもさっち)もいかなくなるのだ。
 いい言葉で言えば好奇心が強い、悪く言えば熱しやすく冷めやすい性格である。蝶に凝っていた子供の頃は片時も蝶のことが頭から離れず、「将来は絶対に絶対に、絶対に蝶の研究者になる」と「絶対」を3度繰り返しても覆らないほど強い希望を持っていた。ところが、いつしか小生の趣味は山登りに変わり、その後は釣りになった。蝶のことなどすっかり忘れて釣りに明け暮れて今日に至り、最近になってから再び蝶の採集を再開している。実に移り気で、飽きっぽい性格なのだ。
 仕事をしていた時も同じで、ひどく忙しいのに、それ以外のことを色々やりまくっていた。同僚たちは、仕事が終われば後は自由な身で、気楽に酒を飲んだりしていたが、小生は家に直帰して週刊誌のコラムや雑誌の雑文書きのバイトに追われていた。一番ひどいときは週刊誌3誌に原稿を書いていた。このときはほぼ一日おきにやってくる締め切りに追われて、死にそうな忙しさだった。ところが、それでいて、少しでも休みがとれれば釣りに出かけてしまう。どちらに転んでも腰を落ち着かせてじっくり休むことなど無かったのである。
 こうして小生の現役時代は、いつも何かに追いかけられることに手一杯で、自分を省みる暇もほとんど無かった。これらは全部自分が招いたことで、バイトも釣りも止めれば、もっとのんびり暮らせたのだろうが、そうやって猪突猛進をし続けて来たのだ。
 しかし、それももう終わった。リタイアして毎日仕事に出かけなくていい生活を始めて、ようやく余裕のある生活というのが見えてきた気がする。余裕といっても金銭的なことではない。自らを省みる時間的余裕ができたということである。今一番有り難いのは、朝好きなだけ寝ていていいことだ。朝は何時に起きても自由である。極端に言えば昼夜を逆転させて、夕方目覚めても一向に差し支えない。現役時代は会社の始業時間に合わせて眠くても無理矢理起きなければならなかった。原稿書きで夜更かししているところに、低血圧だったから、朝の寝起きがとてもつらかったのだ。この苦痛から解放されて、自由な身になれたことが一番うれしいことだと思っている。
 朝もゆっくり寝ていられて、会社にも行かなくてすむ。忙しかった時と比べて自分のやりたいことを自由にできるのは何と素晴らしいことだろうか。小生はそれをいまようやくにして満喫できるところまで来たのである。しかし、人間とは実に不可思議な生き物である。せっかく自由を得たというのに、これがしばらくすると苦痛になってくるのだ。
 自由は素晴らしいが、必ず揺り返しがある。のんびりしすぎた生活を続けていると「こんなことをしていていいのか」という反省と焦りの気持ちが出てくるのだ。人間何かやっていないと「自分は駄目な人間ではないか」という虚しい気持ちになってしまうのである。ブログを始めて、毎日必ず更新するということを自分に課せたのもそんなところからきているのだ。
 何物にも縛られないゆったりとした生活を続けるのは一時的には楽しい。しかし、そのまま一生を終えるとなると、少し寂しすぎないか、という焦りが出てくるのが人間である。小生、自分の人生を振り返って見て、かっては色々なことに手を出して猛烈に忙しく、苦しかったが、返ってそれが良かったのではないかと思い始めている。人の一生とは忙しければ苦しみ、怠惰になれば焦るというように、絶えずどちらかにゆれ動いているものだと思う。
 そうやって年を取って最後は消えていく。人の生き方なんて、決まったものはない。どれが良くて、どれが悪いなんてことも決められない。どちらに転んでも楽な道ではない。大局的にみれば、結局どちらでもいいのではないかとも思う。なるようになって人生は終わっていく。それでいいと思う。
 リタイアして一番問題なのは生活費をどう工面するかだ。しかし、人間生きて行こうと思えばどんな逆境でもなんとかなる。贅沢を言えばきりがないし、不満を言ってもきりがない。健康状態とて同じだ。自分のように体がガタガタになった人も、癌で死に直面している人も同じである。この世に生まれ、いまここに生きて存在出来ていられることに感謝する。与えられた自分の状況を受け入れて、その中で最善を尽くすしかないのだ。人に迷惑をかけないことだけ注意し、後は自分のやれる範囲で自由に生きていく。自己満足かもしれないが、それこそ余裕のある満たされた人生ではないかと思っている。d0151247_101040.gif
[PR]
by weltgeist | 2010-09-26 23:56

地球は温暖化するのか寒冷化するのか (No.838 10/09/25)

 酷暑が続いていたと思ったら突然寒波がやってきた。昨晩はこたつが欲しいほどの寒さで、天候の激変ぶりには驚いてしまう。若い頃は寒さにめっぽう強かったのに、いまではひどい寒がりになった小生、慌ててダウンジャケットをとりだして寒さをしのいでいるほどである。
 地球温暖化で日本は亜熱帯になるなんて騒がれていたのが、こんな寒さが続くようだと1970年代に言われていた「地球寒冷化、地球は氷河期に向かっている」なんてことを言い出す人がまた元気になるかもしれない。昔の本では下のようなことがマジで書かれていたのである。
「60年代になってからの気候の変化のうちで最も顕著なのは北極地方の寒冷化である。季節をとわず北半球における各地の気候はこの寒冷化の影響を受けている」(根本順吉著、氷河期に向かう地球、風濤社、P.16)「現在は(氷河活動が休止している)間氷期の最後の状態に達しているものと思われる。そして、自然の変化が人間の力によって変えられることがないならば、過去の間氷期の終わりに起こったようなことが、きたるべき数世紀の間におこるにちがいない」(同 P.114 ) と、40年前までは氷河期が来るぞと言われていたのである。
 地球は温暖化どころか、寒冷化で氷河期がやってくるとマジで信じられていた時代があったのである。こんなに科学者の言い分がコロコロ変わるようだと今問題になっている地球の温暖化だって本当のところはどうなるか分からない。3年前にゴア元副大統領と国連の気候変動に関する政府間パネル( IPCC ) の議長としてノーベル平和賞を受賞したパウチャリ議長が、地球温暖化のデータでヒマラヤの氷河の消失時期を早めに誇張して提出したという疑惑がささやかれ、地球温暖化についても疑念が生じつつあるのだ。
 パウチャリ議長が自国インドのエネルギー関連国営企業の役員をしていて、自分の利益のためにデータを利用したと疑われている。地球の危機を救うというよりは、IPCCと政治家との癒着が問題にされつつあるというのである。(9月5日朝日新聞朝刊)
 さらにはクライメートゲート事件なる不明朗なものまで起こっている。CRS ( 英国イースト・アングリア大学気候研究所 )のサーバーがハッキングされ、米国ペンシルベニア大学のマイケル・マン教授にあてたメールが盗まれた。ここからマンが気温データを改ざんしたという疑惑が浮かび上がってきたのである。「マンは600年前からの気温データを出したが、当時気温測定はしていないから、彼は古木の年輪や氷柱の代替えデータから推測し、過去100年の間にフラットだった気温が20世紀になりホッケーのスティックのような HS 曲線で急上昇していることを発表した。彼によれば10~14世紀は中世の温暖期でイングランドにはブドウ栽培が、グリーンランドにはバイキングが入植していたと言う。マンのグラフは CRS のジョーンズ所長がまとめ、90年、95年は中世の温暖期も記されていた。ところが01年のマンの HS 曲線が採用された第三次 IPCC 報告では20世紀の温暖化は異常で、過去30年間の温室ガスの影響が大きいと結論された。そこで、カナダの統計学者であるスティーブン・マッキンタイアがマンのデータの根拠を開示するよう要求した。すると20世紀の気温の異常値が拡大されるような計算がなされていたことがわかった。」(週刊新潮2010年4月15日号)という事件である。要するに20世紀末以降は温暖化しているという IPCC 報告は、作為的にねつ造されたものだと言うのだ。
 ウェスタン・ワシントン大学のイースターブルック教授は「地球では過去500年にわたって25~30年で温暖化と寒冷化が交互に繰り返されてきたことを説明し、クライメートゲート事件で問題となった CRS のジョーンズ所長自身も「過去15年間で有意な地球温暖化は起きていない」と言って、大気中CO2濃度が気候変動の結果であって原因でないことを暗に認めるような論文を出ているという。
 東大生研・渡辺正教授は「第四次 IPCC 報告書でヒマラヤの氷河が消失して下流が水不足になっているとか、・・もろもろのことが実は炭素取引をする人が書いたものだと発覚したと述べ、ジョーンズが00年から06年までの間に190万ドルの助成金を受けていたことが発覚した。ゴアは不都合な真実で50億ドル以上集めている。かれらは CO ビジネスを仕立て上げている」(同)と善意の裏に隠された「不都合な真実」を指摘しているのである。 
 こうなると何が真実なのか分からなくなってくる。ゴアが言う「不都合な真実」とは「造り出された真実」なのだろうか。地球の気候が炭酸ガスの増減だけで動くような単純なものでないのはたしかだろうが、今年のように異常な暑さを経験し、南方系の蝶がどんどん北の地域にまで生息圏を広げているのを見ると、日本の気候が亜熱帯化しているのではないかと思うし、北極圏の氷河が急速に小さくなっているのも事実で、地球は温暖化しているという主張に賛成票を投じたい。しかし、気候学者の間では色々な意見が飛び交い、本当のところの「真実」はよく分からないのだ。
d0151247_2150423.jpg
アラスカ・キナイ半島、スワードのイクジット氷河に行く道の所々にこのような数字を書いた看板が立っていた。最初はその意味が分からなかったが、これはかって氷河の先端があった場所とその年号である。1917年、まさにロシア革命があった年に氷河はここまであったのだ。
d0151247_21505860.jpg
アラスカ、スワードのイクジット氷河。いまはとても小さくなってしまったが、昔の氷塊はずっと大きかったようだ。氷河の展望台には過去100年弱の間に氷河がどこまで後退したかの記録(下の写真)が残っていた。一番先端の年号は1815年と書いてある。こうしたものを見ると、「南極の気温は低下傾向にあり、北極の氷の面積は08年に最高値を記録している」(中部大学・武田邦彦教授)という反温暖化の主張は信じられない気がする。
[PR]
by weltgeist | 2010-09-25 23:08

ごり押しが通る大国の論理 (N0.837 10/09/24)

「傲慢とは、自分への愛のために正当以上に自分について値踏みすることである。」
スピノザ、「エティカ」・第三部、28


 日本の領海である尖閣列島に不法に侵入し、海上保安庁の船に攻撃さえ仕掛けた犯人を逮捕したことに、「自国の領土に入って何が悪い」という論理で、様々な圧力をかけた中国が、ついには船長の釈放を勝ち取ってしまった。以前は尖閣列島を日本の領土と認めていた中国が、列島周辺で石油資源などが発見されたら、突然「中国の領土」だと言いがかりをつけてきた主張には納得出来ない思いがする。
 尖閣列島事件の犯人である中国人船長が釈放されたニュースを日本人なら誰も釈然としない気持ちで聞いたことだろう。大国の傲慢なまでのごり押しに押し切られた日本を情けなく思ってしまった。今後は堂々と尖閣にやってくる中国漁船に何も出来なくなった日本の将来像が垣間見える気がするのだ。
 我々が政府に不満を感じるのは、尖閣列島が日本の領土であるということをどうしてもっと世界に発信しないのかということだ。中国漁船が意図的に船を衝突させてきたビデオがあるというならなぜもっと早くそれを公開して、世界中の人たちに訴えないのか。一方の中国は矢継ぎ早に対抗策を講じて日本を力でねじ伏せようとしていた。その姿勢の違いを見ると、余計日本の弱腰が目についてしまうのだ。
 自由な報道が規制されている中国では、政府の見解だけが「正論」としてまかり通る。悪い言葉で言えば中国国民は洗脳状態にあるわけで、偏った情報だけを信じて日本に怒りをぶっつける。踊らされる中国民を気の毒だとは思うが、「中国の領土を侵略する小日本人」などと言われると、こちらも良い気持ちはしない。今回の事件で中国のイメージがどんどん悪くなった気がする。我々が中国に失望の念しか感じない国となれば、それは中国自身にとっても不幸だろう。
 正義は力によって実現されるという発想は、20世紀以前の戦争の論理である。高揚するナショナリズムをあおれば、最後は敵対する国と戦争状態にまで発展せざるを得ない。一方が声を荒げても、こちらは冷静にというのが日本政府の態度だったのだろう。確かにこれで危機は回避されたかもしれないが、それは弱腰で何も出来ない国という評価を世界に見せてしまったことでもある。
 戦争までせよとは言わない。しかし、言ってしかるべきことも言わない菅政権の姿勢に日本の未来は大丈夫か、という心配が尽きない。どうして堂々と日本の主権を主張出来ないのか、不思議でならない。
d0151247_22262631.jpg

[PR]
by weltgeist | 2010-09-24 22:30

カメラは持ち歩けるコピー機 (No.836 10/09/23)

 毎日自分のブログに写真を貼り付けているが、小生はそれはサシミのツマのようなもので、決して主役にはなれない引き立て役と思っている。とくに最近のカメラは高性能で被写体に向けてシャッターを押せば、ピントも露出もオートでカメラが決めてくれるから、誰がやってもそれなりの写真が撮れてしまう。カメラは持ち歩けるコピー機の延長上のものになりつつあると言える。そんなものに過大な価値を見いだそうとは思っていないのだ。
 写真をやる人の中には「写真は芸術だ」と考える人もいる。しかし、単に対象を写し取るコピー機にすぎないものにどれほどの芸術性があるだろうか。確かに、光の具合や構図を選択することで、現実を自分のイメージの中に取り込むことは出来る。しかし、所詮はその程度のもので、絵画や音楽、文学などの芸術とは肩を並べられない職人さんの領域に近いものであると思っている。
 かって絵画も初期は写真の状況に似ていた。16世紀初頭の油彩画、とりわけ北方ヨーロッパ、フランドルの絵画などは、リンゴやブドウにたかるハエやアリまで忠実に描く写実的な物が多かった。画家も工房を運営する一種の職人として扱われ、対象を猛烈なまでの細密さで描くことが画家の目標とされていたのだ。当時は写真の技術はなかったから絵画が現実を忠実に写し撮るカメラの代用とされ、画家は写真家としての役割を担って登場してきたのである。
 だが、今やあの時代の画家の作品を芸術ではない、と言う人は皆無だろう。北方ルネッサンス巨匠たちの絵は超細密であるが、それを描くには驚くほど正確な筆さばきが必要であった。絵筆にオートフォーカスはないのだ。しかも、彼らは現実を写実的に描いているようでいて、実は自分なりの美の概念に合った物だけを取捨選択して描いた。本物の現実ではなく、画家がイメージした現実を描くことで芸術家としての地位を得たのである。
 ところが、写真にはそうした選別の自由度が少なく、シャッターを押せば写って欲しくないものまで写り込んでしまう。これが出来上がった写真をつまらないものにする大きな要因でもある。せっかくきれいな場所で撮った写真の端にゴミ箱のような邪魔物が写っていたなどという経験は誰もがしているだろう。だから、優れた写真家は引き算に引き算を重ねて自分の狙う対象だけが際だつようにしたところでシャッターを切る。写真が引き算と言われるのはそうしたことによるのである。 
写真のクオリティを高めるには「徹底的な引き算」が必要だが、「持ち歩けるコピー機」では写って欲しくないものもお構いなく写し取ってしまう。しかし、写真の良さは実はここにあるのだ。写った写真には膨大なイメージが含まれている。例えば、下にあげたシジミチョウの写真。この画像の内容を言葉で表現せよと言ったら、それこそものすごい量の言葉を駆使しても、語り尽くせないだろう。例えば、蝶の翅(はね)の色を説明するだけでもたいへんである。グレーの地色に黒と赤、それに白やかすかに青く光った色まである、とここまで説明しても全然説明しきれていない。翅の形は、背景の色は、蝶はどんな姿勢で、何の上に止まったいるのか、と言ったことを延々と説明しなければならず、決して完全な状況説明には行き着かないのだ。
 一枚の写真の中に無限な情報量があるということは、取捨選択ではつかみ得なかった情報も取り込まれていることでもある。シジミチョウの写真で言えば、翅の縁に白いうぶ毛のようなものが写っている。小生がこの写真を撮ったときはそれにまったく気づいていなかった。後になって「蝶の翅ってこんなに複雑な構造をしているのか」と分かったのである。
 写真は撮り手の取捨選択眼で状況を切り取りながら、撮り手の意思を離れてニュートラルな「何か」をも一緒に写し込んでくれる。撮る人には気づかない「何か」が写し込まれることで、写真を見る人の方にその「何か」が伝わるのだ。小生がブログで毎回写真を貼付するのは、引き算だけではとらえ切れない「何か」への期待を込めているからである。
d0151247_22541498.jpg

[PR]
by weltgeist | 2010-09-23 23:57

楽天、三木谷社長が言う、「英語の社内公用語化」の問題点 (NO.835 10/09/22)

 少し前に楽天の三木谷社長が、2012年までに英語を社内公用語にし、それまでに英語が出来ない役員はクビにすると語っていた。楽天だけでなく、ユニクロなど、最近上場企業の一部で、社内の公用語に英語を使うところが出てきたが、小生はこうした動きに疑問を感じている。
 このニュースを聞いて、またお騒がせ社長の思いつき発言に社員は右往左往しているのではないかと思った。楽天球団買い取り時の不明朗さやTBS株買い占めで、世間から冷たい目で見られていることをこの人はどう思っているのだろうか。
 2012年というとあと2年しかない。2年で英語が使えるまでになるなんてことは不可能だから、英語力のない人は社長に「クビだ」と言われる前に会社を辞めた方がすっきりするだろう。
 そもそも英語を公用語として使うなら、ネイティブとは言わなくても、TOEICで900点以上とれる力がないと、実務でやり合うことは難しいだろう。英語力の劣る人は日本語で考え、英語に翻訳する脳内作業に忙殺されることになる。普通に仕事をするだけでもたいへんなのに、英語を話す重荷をかせられたサラリーマンは気の毒だ。社内の会話も「 Let's take a break and Let's go to lunch.」(そろそろ昼飯に行こうか)というようなことになるのだろうか。この程度の会話ならたわいもないが、重要な仕事上の情報に関して社員間のコミュニュケーションさえうまくいかなくなる可能性が出てくるだろう。
 英語の社内公用語化を推進する人たちは大事なことを見落としている。「言葉は文化だ」ということだ。英語を話すことは、日本人特有のアイデンティティをなくし、アメリカ人のように考え、生きるということの奨励でもある。人間がグローバルな視野に立てるから良いという意見もあるが、逆に小生は警戒感を持っているのだ。日本語で物事を考える立場を放棄することは、日本の弱体化を後押しすることにならないだろうか。
 三木谷社長は「もう国籍は問わない。中国人、インド人は今までエンジニアが中心だったが、今後はビジネス系の職種も採用する。そのために英語を公用語化した。日本語だと、日本語がしゃべれないとハンデになるが、英語になった瞬間に全員が平等になる」と言っているが、本当に平等になるのだろうか。英語で外国人と言い合いをした人なら分かると思うが、立て板に水のようにまくし立てられる英語のシャワーで、たちまち日本人社員は言い含められる恐れがある。日本語で言いたいことを考える思考回路を遮蔽され、英語圏の人間に主導権をとられる可能性が強いのだ。
 世界と太刀打ちしていく部署を英語化するなら分かる。何も全社をする必要などないだろう。グローバルな部門を担当する部署の人間は徹底的に英語力を付けさせるにしても、日本国内を視野に入れた部門まで英語を押しつけることは、働く人の能力を逆に削ぐことになる。何かを考えるにしても、英語で考えるなら、それははるかに底の浅い物しか生まれてこないだろう。
 英語が話せることだけで評価するなら、英語を母国語とする人を雇えばいいのだ。言葉はコミュニュケーションの手段であって、仕事において必要なことはコミュニュケートする内容であることを忘れてはならない。企業がグローバル化に備えて社内の強化を図りたいなら、社内の英語教育を徹底させる方に力を注ぐべきだ。その方が社員たちもずっとハッピーな気持ちになれると思うのだが、どんなものだろうか。
 たしかにこれからの時代、英語力は必要なものではある。しかし、何もTOEICで高得点をとる必要はない。しっかりと自分の考えを相手に伝え、また相手のことを理解するだけの基本的な会話力があれば、十分仕事は出来るだろう。我々は今更ネイティブアメリカンの英語など話すことは出来ないし、必要もないのだ。
 小生が学生だった頃、同級生の何人かが留学した。留学する人たちに共通していたのは、「とにかく外国語を話せるようになりたい」という強い思いであった。しかし、外国語が話せるようになれば道は開けると思うのは幻想にすぎない。覚えた言葉をどう使うか、何に役立てるか、が重要なのだ。会社が英語さえ話せればグローバル化に対処出来ると考えるのは甘い。目的意識が希薄だった留学生たちと同列の発想にすぎないのだ。
 いまや「英語は必要条件。読み書きそろばんのそろばんと同じ。その意味で、英語がしゃべれない社員は問題外」と言う三木谷社長の言うことは正しいとは思う。しかし、「日本は競争が甘っちょろい。やっぱり大事なのは切磋琢磨。敗者を蔑(さげす)むのではなくて、競争してみんなで伸びていく、ダメな奴は強い奴が助ける、というふうにしないといけない」という言い分までくると、ちょっと違うのではないかと思う。ダメな奴を強い奴が助けたりはしない。強い奴が弱い人間を踏み台にして伸びていく発想だと小生には思えてならないのだ。
d0151247_208585.jpg

[PR]
by weltgeist | 2010-09-22 21:45

我らが釣友・夢枕貘さんの釣りの楽しみ方 (No.834 10/09/21)

 一昨日の還暦祝い鮎釣行会に参加された夢枕貘さんから、ブログに実名で書いてもOKというお許しと、その日書いた署名入りの原稿をもらったので、今日は釣り仲間から見た売れっ子作家の姿について書いてみたい。獏さんと知り合ったのはもうかれこれ15年くらいは経つだろうか。以来、作家としての獏さんと釣り師としての獏さんを見ていて、この人くらいすごい人はいないといつも感心している。
d0151247_17393514.jpg まず驚くのは毎月書きおろす原稿の量だ。以前聞いたとき、毎月600枚以上の原稿を書いていると言っていた。小生がこのブログで一回書く量は原稿用紙で2枚強。毎日書いたとしても月にせいぜい60枚程度である。その10倍は書いているというから驚いてしまう。
 それだけ沢山書けるのは、獏さんの原稿を書くフットワークが非常に良いからだ。普通の人が仕事をする場合、何らかの道具や準備が必要である。例えば植木屋さんなら剪定バサミ、サラリーマンなら各種の資料、書類等々、ところが獏さんに必要なものはペンと原稿用紙、それに出先にファックスがあればすべて足りてしまう。獏さんはワープロで打った原稿をメールで送るなんてことはしない。原稿はペンによる手書きで、出来上がったものはファックスで送信している。機械や物に頼らず、自らの頭脳で仕上げていくのである。
 以前、獏さんとアラスカの北極圏に釣りに行ったとき、世界最大のイスラム教モスクを建てたオスマン帝国のスルタンについての原稿をアラスカで書いて送らなければならないと言っていた。見ると資料らしき物は何も持っていないので、「獏さん参考資料は? 」と聞いたら、指で頭を指して「全部ここに入っているから資料はいらない」と言っていた。こうした歴史物では年代とか、場所、人の名前、事件などの具体的な資料がなければ何も書けないのが普通である。ところが、獏さんの頭の中にはそうしたものがすでに入っているから邪魔な資料など持ち歩く必要はないのである。
 獏さんの特技はどこででも原稿が書けることだ。見ていると飛行機の待ち時間など、ちょっとした時間があるとせっせと原稿を書いている。出先で資料もなしに原稿が書けるのだから、何も自宅の書斎にこもっている必要はない。釣り場に近い宿に投宿して昼は釣り、夜は原稿を書いて朝ファックスで送ればすべてOKである、これが獏さんの原稿執筆スタイルのようだ。
 だから我々が釣りのお誘いをしても、いそいそ出て来れるのだ。ただし、締め切りは毎日毎日ある。今日は30枚書いたら明日は20枚と、ひっきりなしに締め切りは迫ってくる。普通の人ならすぐにギブアップする量だが、獏さんはむしろそうした沢山の原稿を抱えている方がいいらしい。これも以前聞いた話だが、「僕は毎日書き続けている方が調子がよくなる」と言っていた。むしろ締め切りに追われるのを楽しんでいるような様子だった。獏さんにとっては締め切りに追われる毎日が日常だから苦にならないのだろう。「明日までに原稿20枚書かなければならないから、釣りなどいけない」なんてことは全然考えないのである。
 しかし、我々のように休日をまるまる一日使えることは獏さんの場合ないようだ。釣り場に来ている時でも、「今日は午前8時まで△□社の分20枚、そのあと10時まで○×社の原稿を10枚書いてしまうから、皆さんと合流できるのは11時過ぎだ」というようなことをしばしば言って、旅館で原稿を書いている。
 不思議に思うのはそんなに時間通りに原稿が書けるのかということだ。小学生の作文ならともかく、一流作家の文章である。それをいつも言われた通りの時間で仕上げてくる。小生が毎日書いているたった2枚のブログの原稿だって、調子の良いときは2時間くらいで出来るが、少し手間取ると5~6時間くらいかかることがある。わずかな時間で数十枚もの原稿がすらすらと書けるのはやはり才能の違いなのだろう。
 今回、何故そんな風に書けるのかを獏さんに聞いてみたら、驚くべきことを教えてくれた。「僕は時速5枚が原稿を書くスピードだから、20枚なら4時間で書けます」というのだ。いや、それどころか、書き始めると次第にスピードが上がって時速8枚くらいのペースになると言う。驚くべき早さである。
 「でも、書いているうちに色々迷って、時速が狂うことがあるでしょう」と聞くと、
 「書き始める前、だいたい30分くらいで構想を練っておき、それが決まればあとは迷わずに書いていける。仮に、途中で新しい構想が浮かんできても、それは物語の自然な成り行きだからそっちの方に素直に従って書いていく」というのだ。
 ここにおいて天才獏さんの秘密が明らかになった。原稿を書き始める前にすでに全体像が出来上がっているのだ。だから後はペンが進むがままに書いていけばいいわけである。これって、常人ではとても出来ないことである。
 そんな獏さんが締め切りをクリアーして宿から出てくるときの目は生き生きとしていて、「さあて、今日も釣るぞーっ」という雰囲気が漂っている。そして、釣り場に入るとまるで子供のような無邪気さで釣りを楽しんでいる。うれしそうな獏さんと一緒に釣りをしているだけで、こちらも和やかな雰囲気になってしまうのだ。
 今回の獏さんの話で小生が一番うれしく思ったことは、10年ほど前に秋田県の阿仁川に一緒に鮎釣りに行ったとき、彼は忙しくて前日まで釣りらしい釣りをしていなかった。そこで帰京する最後の日に、小生が「ここだ」という場所を選んで釣ってもらったら、ほんのわずかな時間で40数尾の鮎を釣り上げた。この時のことを思い出して「僕の日本国内最高の釣りはあの阿仁川での鮎釣りだった」と言ってくれたことだ。
 あの時の獏さんは、帰りの飛行機の時間が迫っていて自分の釣りをする時間があまりなかったにもかかわらず、取材に付いて来たスタッフに自分の竿を渡して、「君もやってみたら」と言っていたことだ。人生最高の釣りの時においても、その喜びを他の人とも分かち合って味わう。小生は獏さんならの人柄を見た思いがした。
d0151247_21445440.jpg
天才・獏さんもついに還暦。友人のTK氏から鮎の絵をあしらった江戸切り子のぐい飲みを贈られて満面の笑みを浮かべる。この写真を撮った後、獏さんは岩船港にアジの夜釣りに行き、夜半に宿に戻った後はまた原稿を書いていたという。驚くべき釣りキチ、そして驚くべき行動力の持ち主でもある。
[PR]
by weltgeist | 2010-09-21 20:20