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破滅型人生 (No.815 10/08/31)

 小生がまだ十代の学生だった頃の就職率がどのくらいだったか、まったく覚えていない。しかし、多分今のような重苦しい状況ではなかったと思う。非常に不確かな記憶だが、大学への進学率も全国的には30%台後半くらいだった。そんな時代だったから職業の選択にもそれほど窮屈な感じはなかった。それで、決まった仕事もせずに自分のやりたいことを貫徹する今のフリーターの前身のような人たちが周囲には沢山いた。しばらくフリーターをやって気が向いたらら正社員になることは比較的簡単だったからだ。
 小生が大学に入った当時はまだ「大学は学問の府であり、それは自由で守られている」ということがかろうじて維持されていた。その頃の産業界から「大学は社会(企業)が必要な人間を育てる場であって欲しい」という期待が込められてはいたが、過激な学生は「大学の産学協同化反対」と叫んでいた。大学は企業戦士を造るためのものではなく、「学問の府」ということを強く意識していたのである。
 そんなだから、あのころの大学生は今ほど就職というものに切実感を持っていなくて、あまり選り好みをしなければどこかに職を見つけることは出来た。「就活」なんてことをする人は少数の、のどかで恵まれた時代であったと言えよう。
 しかし、そんな中でもごく一部の人が、将来の人生設計のために必死で準備している人はいた。国家公務員の上級職試験や司法試験などに合格するための受験準備に終始し、大学の勉強もそれにかかわること以外はスルーしていた。もちろん、ぼんくらな小生はそうした人とは一線を画して、のんびりとした学園生活を送っていた方である。
 自分なりの知的好奇心を満足させるために、授業には積極的に出た方だし、本も沢山読んだ「真面目な学生」の部類だったとは思う。しかし、自分の周りには小生のようなのんびり屋とは違ったタイプの人間が沢山いた。いわゆる「人生を破滅」させることに何とも思わない人がいたのである。
 当時ロッククライミングをやっていた小生は大学の山岳部とは別に、かなり先鋭的なアルピニストばかりがいる社会人の山岳会に入っていた。会員の多くはレベルが高く、日本の山に飽きたらず、欧州アルプスの困難な岩場を登攀したり、8千mを越えるヒマラヤの高峰に初登頂することを夢見ている人ばかりだった。こんな人たちが目指す山は欧州アルプスなら最低一ヶ月、ヒマラヤなら二ヶ月以上は休暇を取らないと行くことが出来ない。いくら「サラリーマンは気楽な稼業」と言っても、ここまで寛容に休みをくれる会社などないのだ。
 だから当時の山仲間はほとんどがまともな会社勤めなどしないとか、いい会社に入っていてもそこを退職して遠征登山に行ったのである。まるでその山を登りさえすれば、もう俺は死んでも満足だという気持ちがあるから、仕事など目じゃなかった。そうして遠征で華々しい成果を得た人もいれば、千メートル以上滑落して行方不明になった不幸な男もいる。
 だが、彼らはその一瞬に人生のすべてを賭けたのである。それは社会一般の通念からすればとんでもなく無謀で、無責任な決断だったかもしれない。そして、常識ある人が忠告したように、一瞬の楽しみを終えて日本に帰って来た後には長い苦難の生活が待っていた。まだ今ほど再就職は難しくはなかったから、幸運な人は元の会社に復職した例もあるが、多くの人はアルバイトなどでその日暮らしをするフリーターになっていった。社会の通念に縛られずに自由に山を登れる良さを知ってしまった彼らは、きっちりした会社勤めなどせず、戻ってきた後も長くアルバイト程度の仕事で、お金が貯まるとすぐに海外の山に飛び出す生活をやっていたのである。
 牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡で必死に勉強して、上級職公務員や司法試験に受かって、生活を保証された道を順調に歩んでいる人に比べて、彼らは不幸だったのだろうか。世間一般から見ればそれは確かに「人生の破滅」である。しかし、人の価値観は多様である。
 日本に戻った彼らがその後どのようになったか、長らく彼らと会ったことがないので分からない。しかし、たった一度しかない人生のある時期に圧倒的な輝きを発して、自分が心の底からやりたかったことを果たしたことは、その後長く不遇な人生が待ち受けていようと、その人の心の中に大きな支えを与えたことだろう。だらだら生き続けるのも人生、一瞬の輝きの中で全精力を燃え尽きさせるのも人生。本人が納得するならどちらでもいいのではないかと思う。
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かっては氷壁で小生の登降を何度も助けてくれたシャルレのピッケル、「モーゼル・スーパーコンタ 2」を物置から取り出したら真っ赤にさびていた。小生の青春時代と共にあった、このフランス生まれのピッケルには数々の思い出がある。今はさびたピックもヒッコリーで出来たシャフトも、もはや実用に耐えないほど痛んでいる。しかし、まだ若かったころの小生はこれを持って氷壁に挑んだのだと思うと、とても懐かしい思いがした。小生の青春時代の思い出は、このピッケルのようにさびついてしまっているのである。
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by weltgeist | 2010-08-31 23:00

アメリカ人Pさん夫妻のこと (No.814 10/08/30)

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 数日前にアメリカに住んでいるPさんから「日本に行くから会える時間はとれるか」とのメールがあり、今日、都内のレストランで会った。妻のJさんとは今年の正月に会っているが、夫婦一緒に会うのはしばらくぶりである。彼らは日本には30年近く住んでいて、日本語も堪能。5人いる子供のうちの2人は日本で結婚して孫も3人もいる。現在はシアトルに帰っているが、今回は仕事でシンガポールに行った途中のトランジットで日本に滞在し、子供や孫の顔を見てきたらしい。
 小生がPさんと知り合いになったのは、確か10年ほど前だった。わが家の目と鼻の先に外国人が引っ越してきた。最初はどこの国の人かも分からなかったが、言葉は英語を話している。これはアメリカ人に違いないと思った小生は、ある日、ぶしつけにもPさんの家のチャイムを鳴らして、出てきた外国人に「近くに住んでいる者だが、英語を教えてもらえないか」と下手な英語で直接頼んだのである。
 これがPさんとの最初の出会いだった。しかし、彼は小生の突然の頼みに戸惑ったらしく「私は英語の教師ではない。自分の仕事があるからあなたの申し出はお受け出来ない」と断られてしまった。当然と言えば当然なことである。仕事をしている忙しい人が、どこの馬の骨とも分からない男に時間を割いてくれるわけがないのだ。英語を習いたければ、ノバにでも行けばいいわけで、小生の図々しい申し入れはそのときは断られてしまったのである。
 ところが、それから半年ほどして道でばったりと会ったPさんと軽く立ち話をしているとき、何と「英語を教えてもいいよ。でも私はクリスチャンだから、英語だけではなく、聖書も読むなら教えよう」といわれたのである。それから、毎週一回、最初の1時間は英会話、後の1時間は英語で聖書を読むということで、わが家で家庭教師的に教えてもらい、最後は家族ぐるみの付き合いになってしまったのである。
 Pさんはその後アメリカに帰って行き、現在はシアトルに住んでいるが、小生たちが2005年と2008年にアメリカに旅行したとき、シアトルのPさん宅に泊めてもらったこともある。
 しかし、今回久しぶりに会ったのだから、言葉は英語で話すべきなのに、日本語の堪能なPさん夫妻に会うと、英語より日本語が自然と出てしまう。Pさんに教えてもらって以来英語力が上達した妻は、結構英語で話していたが、小生はほとんど日本語で押し通してしまった。
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by weltgeist | 2010-08-30 22:18

再びの山菜だらけソバと山の異変・ナラ枯れ (No.813 10/08/29)

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 以前、新潟県南魚沼市清水にある「上田屋」の山菜だらけソバ( 電話 025-782-3403 ) を紹介した。小生お気に入りのこのソバを昨日のベニヒカゲ探訪の帰りにまた訪れて食べた。同行の田原氏は自他共に認めるグルメだから田舎のソバが彼の口に合うか心配だったが、どうやら合格点はもらえたようである。
 山菜だらけソバは写真のように、ソバと山菜がほぼ同率くらいの割合で入っていて、食べている感じはソバというより、山菜汁である。普通の蕎麦屋さんで出す「山菜ソバ」のように申し訳程度に山菜が入っているのとは訳が違う。「エエーイ、面倒だ。これでも食らえ」とばかり、すごい量が入っている。しかも、それらはすべて周囲の山からおばあちゃんが採ってきた「天然物」である。
 都会風の洗練された料理法とは違って、いかにも田舎の手作りであるから、都会風を好む人にはちょっと向かないかもしれないが、小生のような「野人」にはうってつけ。とにかく魚沼方面に行く機会のある人はいちど試してみることをお勧めしたい。
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 ところで、上田屋へ行く途中、山のあちらこちらで沢山の木が枯れているのが目に付いた。緑色の林の全部ではない。ある特定の木だけが枯れているのである。上の写真のように赤く枯れた木がこの場所だけでなく、山全体に延々と続いているのだ。枯れているのはミズナラやコナラなどだけで、他の木は何ともない。これが遠くから見ると、まるで紅葉が始まったように目立っている。赤く見えるのは緑色だった葉が突然枯れ始めてまだ落葉しないで木についているからだ。それだけ枯れたのが急激だったことになる。
 ミズナラは山菜の王様、マイタケが生える木である。そのミズナラの木が今、猛烈な勢いで枯れ始めているので、今後山で天然マイタケを手にすることは極端に難しくなるかもしれない。最近のマイタケは人工栽培だからミズナラが枯れても関係ないと言うかもしれないが、山全体が枯れてくると、ナラタケなども姿を消すようになるかもしれない。蝶で言えばミドリシジミの仲間であるゼフィルスの何種類かも食草のナラが無くなって絶滅の危機に瀕するだろう。新潟の山を見る限りその影響は相当深刻そうであった。
 ナラの木が枯れるのは「ナラ枯れ現象」と言って、20年ほど前から東北、北陸の日本海側を中心に次第に猛威をふるっていたものである。以前、岐阜県飛騨市のたかはらわさん、からコメントをいただいたことがあるが、被害は岐阜県でも深刻で、さらには京都府あたりまで広がっているらしい。新潟でのペースを見るとナラ、カシ、クリなどがある全県に広がるのは時間の問題の気がする。
 ナラ枯れの原因はカシノナガキクイムシと言う体長が5mmくらいの小さな甲虫がコナラやミズナラ、シイ、カシ、クリなどの幹に孔を空けて食い込むと起こる。それは虫自体が起こすのではなく、虫と共生しているナラ菌が幹の中で繁殖し、水分を運ぶ道管を目詰まりさせて急激に木を枯らしてしまうのである。しかもナラ菌は、虫がナラに穿入した後にアンブロシア菌という菌を造る。それをカシノナガキクイムシが食べて育つという相関関係にあるらしい。その時期が丁度今頃の7月から9月にかけなのだ。
 一方で、山形県の月山周辺では「ブナ枯れ」という現象も起こっていて、丁度今頃、ブナの葉が大量に枯れているらしい。こちらはブナの葉を食べる「ウエツキブナハムシ」という昆虫が悪さを起こしたことによるという。先日朝日連峰の祝瓶山へ行った知り合いが掲示板に載せた写真をみると、小生が添付した上の写真と同じようにひどく枯れたブナが写っていた。
 これらの現象をどうみたらいいのだろうか。ナラ枯れに対する決定的な駆除法はまだ分かっていないらしい。自然が残る林に殺虫剤を散布したところで、ナラの幹深く潜り込んでいる虫を殺すことは出来ないし、他の生き物への多大な悪影響がでるから、これも出来ない。結局はお手上げ状態らしい。
 しかし、このようなある種の生き物が大量に発生するということは、何らかのことが原因で生態系のバランスが崩れたからではないかと小生は推測する。恐らく人間がどこか別なところに余計な手を加えたことで、カシナガキクイムシが異常発生したのではないだろうか。要するに、自然からのしっぺ返しなのだ。それを今の時点でまた「駆除」しようとしても、それは難しいし、新たな災禍を呼び起こすのではないかと危惧する。
 これまで人間は各種の外来生物を人間の手で駆除する努力をし続けてきた。しかし、一時的にその増加を食い止めても、根本的な解決にはつながらなかった。結局なし崩し的に日本の自然に同化していくしか仕方がないのだ。だから、ナラの木が枯れるのもむしろ「自然現象」として、それをうまく受け入れながら生活していくしか手段はないのではないかと思う。カシナガキクイムシで枯れてしまった木は、シイタケ菌が育ちやすいのだそうだ。それなら、木が枯れることも「自然の恵み」として、受け入れていくという態度も必要なのではないだろうか。
 自然を人間の思うとおりにコントロール出来るという幻想は、そろそろ捨てるべきだと思う。ナラ枯れを駆除すれば、新たな災禍が出てくる。こんなオセロゲームのように柔軟に変化していく自然の生態系とうまく共生していくには、ただ「駆除」だと一方的に攻めるだけでなく、新たに生まれてきた状況と馴染みつつ生きて行く道を探るしかないのではないかと思う。
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by weltgeist | 2010-08-29 22:16

ベニヒカゲの飛ぶスキー場 (No.812 10/08/28)

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 今朝は朝早くから新潟県のある場所にベニヒカゲという蝶を田原泰文氏(写真上)と採りに行ってきた。何度も書いたように田原氏とは中学生のころから蝶の採集で知り合った友達で、このベニヒカゲも昔、田原氏と八ヶ岳で散々採集したことのある蝶である。あのころは八ヶ岳のような高い山に登れば、ベニヒカゲもたくさんいて、別に珍しくもない蝶だった。しかし、時代がすっかり変わって、その数も生息地も次第に少なくなりつつあるらしい。今回来たこの場所は友人からそっと教えてもらったマル秘ポイントである。世知辛い世の中になった今の時代は、こうした場所もあまり具体的には書けなくなった。ただ、ベニヒカゲが生息するのは標高1500m以上の高い場所のため、ある程度山を登らなければならない。今回登った所は写真で分かる通り、周囲に高い木が全然生えていない草原のような所である。実はここはスキー場なのだ。冬ならリフトが稼働しているから上に登る苦労もない。しかし、今は真夏である。船釣りの名手である田原氏と愛用の釣り竿を捕虫網に替えて、猛暑の中、大汗をかきながらここまで登った。
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これがお目当てのベニヒカゲ。7月28日、No.781でクモマベニヒカゲという高山蝶を採ったことを書いたが、ベニヒカゲはこれとよく似た仲間で、大きさは3~4㎝くらいの小さな蝶である。ベニヒカゲの盛期は8月の中旬から下旬なので、沢山いるのではないかと期待して来たのだが、すでに発生の盛期を過ぎていたのか、あるいはこの場所は駄目なのかわからないが、目撃した数はとても少なかった。
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息を切らせてようやく登って来た場所にベニヒカゲが飛び出してきた。これをつかまえようとあわてて追いかける小生。ところが、蝶を採ることに夢中になっていて、足もとに注意するのを忘れて、この後草の中に掘られた溝に足を挟んで転んでしまった。スキー場は一見平らなように見えるが、案外足場が悪く、歩きにくいのだ。
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新潟の山はすでに秋の装いをはじめていて、スキー場の草原には秋の花であるリンドウがつぼみを大きくしていた。ネットですくったベニヒカゲもすでにはねが破れたものが多かった。つかまえたものの、かわいそうになりリリースすると、ヨタヨタと力なく飛んで行った。もうベニヒカゲのシーズンは終わりだ。この後、急ぎ足でやってくる冬に、白銀と化したこの場所も沢山のスキーヤーでにぎわうことだろう。
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by weltgeist | 2010-08-28 23:27

カフカを産んだ町・プラハ (No.811 10/08/27)

d0151247_1941962.jpg チェコのエマヌエル・フリンタが書いた「プラハ、カフカの街」(成文社、阿部賢一訳、写真右)を読むと、フランツ・カフカ(1883-1924年)の小説は徹頭徹尾プラハを離れては存在しえないことが分かる。それはトルストイやドストエフスキーがロシア、ロマン・ロランがフランスに生きる人なしには成立しないのと同じである。しかし、カフカが違うのは、代表作「変身」でも「審判」でも「」でも、小説の舞台が現実的には絶対あり得ないような幻想的な場所で、限りなき混沌と不安に満ちた世界であるということである。
 小生はプラハは一度しか訪れたことがない。だからどこまでプラハのイメージを正確に捉えているかは自信がない。それでもプラハ訪問以前にカフカの主だった作品はほとんど読んでいたから、ある程度プラハのイメージは頭の中に出来上がっていたつもりである。ところが、実際にプラハに行ってみると、古い文化の残る街ではあったが、別に迷路もなければ、目指す建物が幻のように現れたり消えたりする場所でもなかった。カフカは本当にこの街から彼の小説のイメージを得たのだろうかと思ってしまった記憶がある。
 フリンタによればプラハは少なくとも千年の歴史を有する古い伝統を持つ街として、東のスラブ文化と西のヨーロッパ諸国をつなぐ十字路の役割を長い間行ってきたという。人々に「東でも西でもなく、北でも南でもないヨーロッパの都市を見つけろという課題を出したら、誰もが難なくプラハをあげるだろう。」(P.8)というほど汎(はん)ヨーロッパ的な街であった。
 ここはウイーンと同じく、様々な民族が住み着いた多民族複合都市なのだ。多くはもちろんチェコ系住民であるが、それに少数派のドイツ系住民とユダヤ系住民という三つの民族が数百年にわたりプラハでは共存していたのである。カフカはその中の少数派、ユダヤ人の子として、1863年にプラハに生まれた。
 プラハで話される言葉はチェコ語とドイツ語である。プラハのユダヤ人たちはユダヤ人街で伝統的なユダヤ教の戒律を千年以上守り続けてきた。しかし、言語的にはドイツ語を話すことから、チェコ人からはドイツ系と見られ、さらにドイツ人からはユダヤ人と見られていた。これは以前、同じボヘミア生まれのユダヤ人であるマーラーが「私はどこに行っても歓迎されない。“オーストリアにおけるボヘミア人”“ドイツにおけるオーストリア人”そして“世界におけるユダヤ人”だから」と言って、どこにも心を安らげる安住の地がない浮き草のような身を嘆いたのと同じ構図である。
 「カフカはドイツ語を話したからチェコ人からはドイツ人とみなされ、ドイツ人からはドイツ人なんてとんでもない、やつらはユダヤ人だとされた。もちろん、千年に渡ってユダヤの伝統を有する都市にくらしていたカフカは、ユダヤ教に支えを見いだすことができたかもしれない。けれども、このような支えもまた彼は手にすることはできなかった。プラハが与えなかったからである。」(P.50)「カフカの時代のプラハは足下の土壌が不安定な場所であり、”現在”が欠落した場所であった。背後には長い”過去”があり、目の前には”未来”というありとあらゆる責任が追いよせ、この両者の間には凝集した意思、希望、決意、そして非難が入り乱れる領域がわずかに広がっているだけであった。」P.62)「かってのゲットー(ユダヤ人街)をまだ幼少期のカフカは強烈に体験したのである。カフカは幻を追いかけるように通りを歩いていた。その雰囲気はといえば、耐え難い悪夢のように古い世代にのしかっており、それはもはや新しい世代が目にすることのできないものであった。」(P.62)
 チェコ人にもドイツ人にもなれない根無し草だが、彼にはイエスキリストとは違う救世主がいつか現れて、主がモーゼに約束した「乳と蜜の流れる地」で幸せを与えてくえるという「ユダヤ教」の強い信仰が支えになったと、多くのカフカ解説書には書いてある。ところがフリンタは「千年に渡ってユダヤの伝統を有する都市にくらしていたカフカは、ユダヤ教に支えを見いだすことができたかもしれないが、実はこのような支えもまた彼は手にすることはできなかった。プラハが与えなかったからである。」(P.50)と言う。「フランツ・カフカが人生を左右する時期に、ユダヤ教に対して孤立感を感じていたのは間違いないだろう。作家がこの状況を真の危機として経験せざるをえない環境をつくりあげたのは、千年にわたるユダヤ教の伝統が息づくプラハという都市だったのである。」(P.70)と書いている。プラハの複雑な民族構成がカフカをユダヤ教に逃げ込むことをさせなかったとフリンタは考えているのである。
 チェコ人からも、ドイツ人からも、そしてユダヤ人からも疎外されたカフカは、極めて不安定な状況の中でプラハのごく狭い範囲だけで生活していたのである。だから「カフカはもちろんドイツ人でもなければ裏切り者でもなかった。その代わり、非常に幼いころから痛感しなければならなかったのは、自分が招かれざる者であるという意識、そして罪の意識だった」(P.108)のである。
 「1907年にカフカはプラハを”呪われた都市”と友人にあてた手紙で書いている」(P.124)「チェコ人の中にあってはドイツ語話者という少数派の一員であり、この少数派の中にあってはユダヤ人であり、すべての側面に関心をもち、すべての点において公正な意思を持とうとしたカフカは、その時代の、そして千年の歴史を有するプラハの最良の証人なのであった。プラハという地では、昔から三つの民族が生活を営んでおり、カフカはそのすべての交点を行き来していた。・・プラハのユダヤ人街はロマネスク時代から始まっているが、カフカはまだゲットーの小路を歩いていた。そして、この地で東方ユダヤ人と西方ユダヤ人が出あい、二つの典礼方式が維持されていた。・・・作家はありとあらゆる点で十字路のなかで生きていた。十字路とは道ではなく、どの道に進むか決定を下すことが要求される場所である。十字路に位置するということは、つまりどこにもいないことを意味している。なぜなら、そこには安全も安息もなく、生を営む強固な基盤もないからである。」(P.140)
 迷宮をさ迷うような怪しげな謎に満ちた世界に引き込むカフカの小説は、プラハに生きた根無し草としての救いのないユダヤ人の「血の告白」ではなかったかと小生はフリンタの本を読んで思った。
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41歳の誕生日を一ヶ月後に控えた1924年6月3日、ウイーンで亡くなったカフカの遺体はプラハに運ばれ、両親とともにこのお墓に埋葬されている。
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by weltgeist | 2010-08-27 20:03

繰り返される国民愚弄の政治 (No.810 10/08/26)

 3ヶ月前、鳩山首相が政治と金の問題で小沢幹事長と共に辞任し、菅首相が新しく選ばれたとき、我々はこれで少しはマシな政治が期待できるかなと思っていた。ところが、菅首相は国民が期待した民主党のマニフェストのどれをも曖昧にして、保身しか考えない無能な首相であることが分かってきた。今回の円高、株安も口先だけで何も出来ない菅首相を世界のマーケットがみすかした結果である。
 そんな状況に危機感を持った民主党員たちが、担ぎ出したのが小沢元幹事長の民主党代表選出馬を要請である。しかも、そのお先棒を担ぐことに鳩山氏が乗ってしまったというから呆れる。
 鳩山前首相が普天間とお金の問題で辞任したとき、何かとダーティなイメージが強かった小沢氏も同時に辞めてくれと言って辞任させた。自分は今期で政界から引退するので、小沢さんも身を引いて欲しいという捨て身の戦法で民主党をクリーンな姿に引き戻したはずである。ところが、いつの間にか引退宣言は撤回し、さらには小沢氏出馬支持まで言い出した。これでは「ブルータスよ、お前もか? 」と言いたくもなる。
 小沢氏の政治資金規正法違反事件をめぐる検察審査会の審査が迫るなか、もし彼が代表戦で勝ち、総理大臣にでもなれば憲法第75条の規定で「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ訴追されない」ということになる。悪いことをしても、法律的に逃げられるのだ。小沢氏はこれを狙っているのではないかと勘ぐりたくなる。
 政治家は多少腹黒くても指導力のある人がいいという意見がある。残念ながら我々は小沢氏をそういう人として見ている。政治力はありそうだが、どこかダーティで腹の中が読めない疑惑の人という風に見えてしまう。そんな疑惑のある人が代表選に出るというなら、その前に、国民の前で徹底的に疑惑について納得のいく説明をすべきだろう。汚れの疑いがある人間が一国の首相になってはならないのだ。
 政治家というのは国民に希望を与える優れた人物であって欲しいと我々は思っている。ところが、今回は首相としての器でない菅首相か、怪しげな金権政治家小沢氏のどちらかが次期首相になる二者択一選になりそうである。どちらになっても、将来の希望などとても持てそうもないのだ。
 国民の苦境をよそに権力闘争に明け暮れている政治家、政党など御免である。小生は次の選挙で民主党にはノーと書くつもりだ。と言って、他の野党もどれも偉そうなことを言っていながら、実際は全然信用出来ない。どこを選んでも五十歩百歩である。どこまで行っても救われない日本の政治の貧困はこれからもずっと続くのだろうか。
 各種世論調査では政治とカネの問題を抱える小沢氏の復権を望まないという声が80%を超えているという。民主党はそのことに耳を傾けるべきではないだろうか。こんなことでは民主党の信頼感はますます薄らいでいくだろう。今の苦しい日本の現状をどう導いてくれるのかについての議論に時間を費やすべきだ。そうでなければ、次回の総選挙で民主党はまた野党の立場にもどることになると思う。国民はバカではないことを自覚すべきだ。
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来月の民主党代表選挙に出馬する意向を記者に発表する小沢氏。(画像は今夜7時のNHKニュースからDLしました)
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by weltgeist | 2010-08-26 22:47

許されざる者 (No.809 10/08/25)

「執念深い憎しみは内的生活をむしばみ、憎しみの相手よりも憎しみをいだく当人の心を害するものである。」
カール・ヒルティ


 先日、ちょっとした行き違いで車のトラブルに巻き込まれてしまった。交差点で左折する車より先に右折したら左折車の運転手がひどく怒り出したのである。常識的に言えば、左折車の方が優先権があるかもしれないが、小生は彼より早く曲がれると考えて、軽い気持ちで先に右折したのだ。
 ところが後塵を拝することになった左折車の男は相当怒ったのだろう。小生の車と1mも離れない近距離まで鼻面をくっつけるテイリングをしてきたのである。もし、小生がブレーキでも踏めばそれこそ追突しかねない危うさである。そして、彼はライトをパッシングしながら執念深くついて来たあと、いきなりセンターラインをオーバーして対向車線に入ったと思ったら、ものすごいスピードで小生の車を追い越して、前に割り込み、急ブレーキをかけた。
 広い幹線道路で対向車も沢山いる中、彼は命がけのような無謀さで、追い越して前に入ったのだ。これは尋常な人ではないと思った小生は、すぐさま速度をゆるめて、彼が先に行くようやり過ごした。恐らく、この運転手は小生に仕返しをすることで、その怒りを収めようとしたのだ。
 だが、それで彼は何を得たのだろうか。確かに彼が如何に怒っているかを小生に見せつけることは出来た。でも、それだけのことである。結果的に彼の気持ちがそれですっきりしたとは思えない。幸い、対向車と正面衝突は免れたが、彼は怒ったことで、むしろ自分の心そのものをも傷つけたのである。
 このときの一件で小生は上に書いたヒルティの言葉を思い出してしまった。頭に血が上り、カッとなって相手のことを憎いと思っても、それは自分に跳ね返ってくるのだ。小生に仕返しした男は、それで満足したのだろうか。恐らくは、怒りの興奮が憎しみを増幅させて、自分自身の気持ちを余計荒んだものに変えてしまったのではないかと思う。
 しかし、人のことは言えない。最近の小生は滅多なことでは怒らなくなったが、それでもときどき無性に腹が立つことがある。一旦堪忍袋の緒が切れると、怒濤のような怒りの波に押し流されて、相手のことが滅茶苦茶憎い人間に見えてくるのは若いときから変わらぬ小生の悪い癖である。こうなるともはや理性ではコントロール出来なくなる。
 怒りは瞬間的なものだから時間が経てば薄れて、最後は痕跡もなく消えていく。しかし、憎しみはいつまでも人の心にとどまり、人を蝕んでいく。怒りが憎しみに変わって「あいつは許せない」と思うことがままあるのだ。人を憎むのは良くないと分かっていても、自分が受けた仕打ちを思い出すと、許すことがなかなか出来ないのである。
 そんな憎しみをいつまでも抱いていても、結局自分の心を痛めるだけだと言うヒルティの言葉は、自分に課せられた大きな課題である。「すべての人に愛を」と言えるような許容力のある人間になりたいとは思う。しかし、その道は今の小生にはまだ険しく難しい。ヒルティは人を憎らしく思ったとき、どのようにしてそれから逃れたのか、尋ねてみたい気がする。
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アルブレヒト・デューラー、1498年の木版画集「黙示録」の第3図、「4人の騎者」。黙示録第6章に書かれた最後の審判で神の怒りを描いた場面。子羊が7つの封印を解いていくと、四人の怒れる騎者が現れ、悪に染まった罪深い人間を次々と襲って天罰を加えていく。
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by weltgeist | 2010-08-25 23:27

南アルプスの秘湯・奈良田温泉 (No.808 10/08/24)

 昨日簡単な報告だけしたように、山梨県早川町の奈良田温泉に行ってきた。ここは富士川の支流、早川の源流にあたり、日本第二の高峰・北岳登山の入り口である。と、書くととても遠い場所のように思えるが、実は八王子から中央高速を使えば3時間で行くことが出来る意外な近場なのである。
 中部横断自動車道の終点・増穂から身延までは国道52号で行き、県道37号に右折して日本一人口の少ない町と言われる早川町に入ると、次第に秘境にやって来た雰囲気が伝わってくる。西と北側は南アルプス、南側は身延山、東側は櫛形山に囲まれた深い谷底にある県道37号を早川沿いに走っていくと、突然集落が現れた。これが奈良田である。
 37号線はこの先も続いていて、最終的には北沢峠を越えて長野県の戸台までつながる南アルプススーパー林道だが、一般車両の通行は奈良田まで。この先の北岳登山口である広河原まではマイカー規制のため、バスに乗り換えなければならない。
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 奈良田温泉は天平宝字2年(758年)頃、第46代孝謙天皇(女帝だった)が、病を癒すためにこの地を訪れ、わき出る源泉で湯治したという。彼女の病は温泉の効果で二旬で全快したというが、この地をこよなく愛され、8年もの間ここに住んだという。ということはここは1200年以上の歴史を持つ由緒ある温泉ということになる。しかし、国道52号から早川沿いに県道に入っても車で1時間弱かかる距離があり、早川の流れはかなり険しい。これを天皇とはいえ、女性の身でよく奈良田まで歩けたと関心する。
 奈良田温泉には有名旅館もあるが、我々が入ったのは早川町町営の「南アルプス邑奈良田の里温泉」。入浴料は一人500円(休憩室利用だと1500円、定休日・水曜)。北岳を登る登山者の利用が多く、この日も写真のように大きなザックを持った登山者が何人もいた。
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 以前は早川や支流の雨畑川に何度もアマゴ釣りに来たことがある。また、1957年、まだ中学3年生だった小生は、中学一年の弟を連れて、奈良田より少し下流にある新倉から転付峠を越えて、大井川源流の二軒小屋まで山越えしたことがある。このときは幻の蝶と言われたクモマツマキチョウが乱舞していて、夢中で採った懐かしい場所でもあった。だが、今や50年前の記憶は全く残っていないほど道は整備され、部落は近代化されていた。写真左は奈良田の里温泉から見た奈良田部落。奈良田の里温泉が「女帝の湯」と言われるのは上記のように女帝だった孝謙天皇が入られたからである。
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 温泉は42.5度の源泉を加熱せずそのまま使った源泉かけ流し。ちょっと温めだが、夏の暑い時期には丁度いい湯加減だった。泉質はナトリウム、塩化物ー炭酸水素塩泉で、 効能はパンフレットによれば、神経痛、リウマチ、皮膚病、胃腸病、婦人病 など。ちょっと硫黄のにおいがする温泉に浸かっていると、肌がぬるぬるした感触になり、気持ちが良かった。
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 普段どのくらい混雑するのか分からないが、この日は入浴する人も少なく、ほぼ貸し切り状態。浴槽は総檜造りで、外の景色を温泉に浸かりながら見ると、ちょっと贅沢な気分になれた。この日東京ではまた猛暑日を更新したというが、標高850mにある奈良田の風はさわやかだった。
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by weltgeist | 2010-08-24 22:10

南アルプス、奈良田に行って来ました (No.807 10/08/23)

 お盆の間は暑いのと、どこへ行っても人が多いからと、ずっと家に引きこもっていたが、そろそろ我慢の限界に近づいた。小生はやはり野にいないと精神的に落ち着かない。しかし、このくそ暑さでは遠くまで行くのはちょっとはばかれる。そんなわけで、今日は近い割に源泉かけ流しの秘湯として知られる南アルプスの奈良田温泉に行ってきた。
 しかし、渋滞がなければ家から3時間もあれば行ける「近場」のはずが、出だしが遅かったのと、中央道の渋滞にはまったこと、それに途中、工事による通行止めなどで意外に時間がかかって、家に戻ったのはつい先ほどの午後10時少し前。このため文章まで書く時間的余裕がなくなってしまった。従って、今日は「奈良田に行った」という報告だけで、詳しいことは明日書くつもりだ。
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 夕暮れ迫る頃、中央道甲府南インターに向かう途中で、西の空に「チンダルの光」が見えたので、車を留めて撮ってみた。しかし、空に露出を合わせると、下の地面が真っ暗になるし、地面に合わせると、今度は空が白く飛んで、チンダルの光が見えなくなる。何度か試してみて、後ろの青い山をスポット測光で撮ったみたのがこのカット。実は下の地面に畑仕事をしている人がいるのだが、真っ黒で全然見えていない。こうしたコントラストの強い画面をデジタルで撮るのは本当に難しい。
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by weltgeist | 2010-08-23 23:01

善意の押しつけ (No.806 10/08/22)

d0151247_20183149.jpg 今読んでいる「絶滅危惧の昆虫事典」(川上洋一著、東京堂出版)という本の頭のところで埼玉大学教授の奥本大三郎さんがこの本の「読者のみなさまへ」という題で面白ことを書いていた。奥本さんによると、フランスには「地獄の道は善意で舗装されている」という皮肉の言葉があるそうだ。世の中を見渡して見ると表面は善い人ばかりがいるように見える。その人たちが「良かれ」と思ってすることが思わぬ災厄を生むという意味である。要するに、何か行動を起こすとき、それによってどのようなことがもたらされるのかよく考えないでやると、思ってもいなかった災禍が生じるというのだ。
 奥本さんの友人が住む家の近くに周囲数百mほどの池があった。水辺にはヨシやガマなどの挺水植物が生え、岸にはエノキやヤナギが生えていて、トンボや水棲昆虫がすむのに良い環境であった。ところが、あるとき、急に工事が始まったと思ったら、水辺の植物はきれいに刈り取られ、コンクリートの護岸工事が施され、見違えるほどさっぱりした人工の池になってしまった。エノキやヤナギも切り倒され、桜とツツジが植えられて、「犬の放し飼い禁止。草木や昆虫を捕らないようにしましょう」という看板まで設置されたという。
 トンボの生息環境を壊されたことに怒った友人は役所に文句を言いにいったら「環境を美化したのに、何の不満があるのですか」と、ほとんど変人扱いをされたと言う。役所の人間は「自分たちは市民のためにとても良い事をした」と信じて疑わないのだ。多数の市民にはさっぱりした快適環境になったと思っている。夏の暑い中、ヨシの間から飛び出してきたヤブ蚊もこれで追い払われてすっきりした。そのことに文句を言われるなど心外であろう。
 しかし、そうしておきながら「草木や昆虫は捕るな」と言う。自分たちはヨシを切り、エノキを倒して虫たちの生息環境を破壊しながら、その矛盾に気づいていない。まさに「地獄の道を善意で舗装している」のである。
 もうとっくに過去の人になって時効だから言うが、昔、超有名な芸能人が北海道の鮭の増殖事業を見て感動し、「多摩川を鮭の登る川にしよう」と、稚魚の放流をやったことがある。本来冷たい水を好む鮭は多摩川には生息していない。しかし、放された鮭の稚魚は母川回帰の本能によって4年後に多摩川に戻ってくるよう運命付けられている。彼らの戻る川は多摩川しかないのだ。
 マスコミはこれを「美談」として取り上げ、超有名芸能人のことを賞賛した。しかし、当時の薄汚れた多摩川の水を「母川」と記憶づけられた鮭の稚魚にとってはいい迷惑である。あんな汚い川に戻るよう宿命づけられた鮭は、結局1尾も戻っては来なかった。仮に戻ってきても、本来生息していない場所にそんな魚がいること自体が自然破壊となることを有名芸能人は考えつかなかったのである。
 これは小生の友人から聞いた話だが、ある別荘地で捕虫網を出して蝶を採集していたら、別荘の住民が飛び出してきて「ここは自然を守っているところだ。蝶を採るな」とすごい剣幕で怒られたという。友人はその別荘が出来る前からここには来ていて、以前は沢山蝶がいたのに、別荘の造成ですっかりいなくなってしまったことを気が付かないのだろうか、と嘆いていた。
 今回読んでいる「絶滅危惧の昆虫事典」には、レッドデータブックに載った絶滅危惧の蝶について突っ込んだ記述があって面白かったが、絶滅に追い込んだ原因のほとんどは人間の「善意」による犠牲であることを様々な事例から説明していて、目からウロコが落ちる思いがした。ここで全部を紹介することは出来ないので、筆者が指摘した「ミヤマシロチョウ」の例だけをあげておこう。
 ミヤマシロチョウは中部山岳の標高の高いところにいる蝶で、小生が中学生の頃に行った八ヶ岳山麓の美濃戸付近には本当に腐るほど沢山いた。この蝶の食草はヒロハノヘビノボラズという、枝に痛いトゲが出ているから蛇も嫌がって登らない灌木である。その嫌らしい灌木にこれまたいかにも毒がありそうな毛虫が、塊になって盛んに葉を食べている。これがミヤマシロチョウの幼虫であることは、蝶をやる人以外は知らない。気持ちの悪い毒毛虫がいるトゲのある灌木など切った方が環境には良いと誤解した人によって、それは切り捨てられてしまった。かくして快適なスキー場や別荘地が出来上がり、ミヤマシロチョウは激減した。
 しかし、八ヶ岳の別荘地でミヤマシロチョウを失ったのは仕方がないとしよう。だが、かって沢山いたあの上高地でも同じ事が行われたとしたら、どうだろうか。昔は小梨平のキャンプ場付近でミヤマシロチョウは普通に見られた。ところが、1980年以降全くその姿が見えなくなったのである。キャンパーに不快な思いをさせるとして食草のヒロハノヘビノボラズをすっかり刈り取ってしまったことが招いた絶滅である。
 筆者の川上さんは怒りに燃えてこう書いている。「そもそも上高地は日本でも第一級の景勝地と貴重な動植物の宝庫として、大雪山や尾瀬ヶ原とともに”天然保護区域”に指定され、レンジャーが常駐して監視や指導を行っている地域である。開発はもとより動植物の採集についても一切禁じられている。そんな場所ですら、ミヤマシロチョウの安住の地として保全出来なかったということは、より規制の緩い地域ではいわずもがなだろう」( P.179 )と。ここでは物事を自分の都合のいいようにしか解釈しない人間の駄目さ加減が横行しているのだ。
 今回はたまたま昆虫の話をとりあげたが、世の中にはこれ以外にあらゆることで、間違った善意による押しつけが行われている。自分が他人のために何かやってやろうと思うときは、行動する前にもう一度深く考えて見ることを提唱したい。とりわけ、「自然保護」という高邁な目標を掲げて行動している人たちには、今一度、自然とは何かという根本的なことを考えて行動して頂きたいと思っている。「保護している」と思いながら「破壊している」のではないか、もう一度検証していただきたい。
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by weltgeist | 2010-08-22 22:15