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シュテファン・ツバイク、「マゼラン」その3 (No.599 09/12/31)

 ポルトガル人の口車に乗せられて、とんでもない所に連れてこられたと、不満を高めていた連中が密かに謀議を交わして再び反乱を起こした。ある夜マゼランのいとこ、メスキタが船長をしているサン・アントニオ号に夜討ちを仕掛けるのだ。すっかり寝込んでいたメスキタは捕らえられ、最初の反乱で牢に入れられていたカルタヘーナを救い出すことに成功する。反乱軍はカルタヘーナを奪還することで勢いを取り戻し、作戦の第一段階はすべて順調にいったように見えた。彼らはマゼランが指揮する旗艦、トリニダット号に大砲を向け、抵抗すればいつでも撃沈させる態勢を整えた。反乱に加わったのは残り4隻のうちの3隻で、マゼランを「ホールドアップ」させるには十分な力を得たことになる。
 ところが、どんなときでも冷静さを失わず、鉄の意志を貫くマゼランは、ここにおいてもまた驚くべき戦術を考えついていたのである。まもなく反乱軍の司令部があるサン・アントニオ号から伝令を乗せたボートがやって来て、これまでのマゼランの独善的な振る舞いを批難し「やむなく我々は結束して”提督閣下”に反旗を翻さざるを得なかった。しかし、もし閣下が我々の要求を聞き入れて故国スペインに戻ることに同意して頂ければ、我々は以前と同様、閣下を提督と認めよう。だが、あくまでも南下を続けてありもしない海峡を探すというなら、攻撃を開始する」というやや穏やかな内容の「要請文」を持ってきたのだ。
 反乱を企てながら、「要請」といった甘い要求を突きつけてきたことは、敵は自分たちが圧倒的優位に立っていて、マゼランは要求を飲むに違いないと思っていたからである。それをマゼランは全然違ったように解釈する。本来、反乱を起こせば敵の大将は殺されると相場が決まっている。「要請」などと甘いことを言ってくることは、彼らの腹がまだ決まっていないとマゼランは読んだのである。
 たとえ「提督閣下」の立場を保証されるとしても、誇り高いマゼランが降伏に近い屈辱的な提案を飲むことはあり得ない。冷静で鉄の意志を持つこの男は素早く周囲の情勢を読み、瞬時に反撃計画を練り上げるのである。彼は要請文を持ってきた兵士をあっと言う間に拘束し、そのボートを押さえる。次に反撃するとすれば司令部のサン・アントニオ号であろう。ここでは臨戦態勢をとった武装兵士が待ちかまえていた。ところが、マゼランは敵が伝令を捕らえられたことに気づく前に、ボートに自分の腹心6名を乗せて反対側にいたビクトリア号に向かわせるのである。ボートの6人が衣の下に武器を隠してである。
 「反徒たちは武装を整えた船のふなばたから、このちっぽけなボートが漕ぎ寄せられるのを無邪気に眺めていた。その心には何の疑念もきざしてはいなかった。6人の乗るボートが、装備の優れた60名の兵を乗せ、大砲を備えた船をどうして攻撃できようか」( P.169 ) と油断していたのである。6人はできるだけゆっくりと、時間を気にしたような仕草で敵船の甲板に上がると、反乱軍船長メンドーサにマゼランが旗艦に来て欲しいという手紙を渡そうとする。だが、前回カルタヘーナはこれで騙されている。「どっこい、その手は食わないぞ」とメンドーサが思った時にはすでに彼の喉にナイフが刺さっていて、ゴボゴボと血を吐きながら倒れる。それと同時にサン・アントニオ号から奪い取ったボートに乗った15名の兵士が素早くビクトリア号に乗り込んで来たのである。
 マゼランはメンドーサが殺される時間と旗艦からビクトリア号まで15名の兵士を運ぶ時間を正確に想定し、メンドーサが殺されたと同時に甲板に駆け上がり、反乱船ビクトリア号を制圧するのである。そして、戸惑う兵士をたちまちこちら側につけると、他の2隻の敵船の退路をふさぐ。敵の船長は部下に「怯まず闘え」と命じるが、恐怖にとらわれた兵士たちはすでに闘う勇気を持ち合わせていなかった。かくて、第二の反乱はものの数分で鎮圧されてしまうのである。「人類のもっとも記憶すべき事業のほとんどはいつでも流血にけがされ、もっとも苛酷な人々が最大の成功をおさめるということは、人類の永遠の宿命」( P.174 ) であることをマゼランは己の卓越した戦術家としての能力から実証するのである。d0151247_23505528.jpg
 だが、本当の闘いはこれからだった。マゼランはまだ太平洋へつながる海峡を見つけてはいないのである。空気は寒々とし、海はますます荒れ狂い、船団員たちは魔神のように立ちはだかるマゼランに抵抗することも出来ず、希望のない航海を渋々続けていた。彼らは5ヶ月もの間湾の中で冬をやり過ごし、春のきざしが見えたところで再び南を目指す。しかし、それはまったく先の読めない旅であった。彼らはパタゴニアの海岸を南下していくが行けども行けども海峡は出て来なかった。そして、南緯52度の所で再び越冬を余儀なくされる。
 だが、そこはマゼランが夢にまで見た目的地(マゼラン海峡は南緯54度にある)から「緯度にしてただの2度、300日の旅の後でただの2日、何千マイルもの航海の後の数マイル」( PP.180-181 ) の所で「二ヶ月、果てしない無意味な二ヶ月の間、マゼランはこの荒涼たる土地に座り込んでいた。そしてたった2日行程先に、彼の名を永遠に担うこととなる海峡が待っていたのだ。プロメテウスのように地球から最後の秘密をうばいとろうとしたこの男は、最後の瞬間に至るまで疑惑という拷問のハゲタカの爪を感じなければならなかったのである。」( P.181 )
 そして冬ごもりから出て「3日目の1520年10月21日、とうとう、砂にぎざぎざした海岸の前に、白い岩礁のある岬が一つそびえ立った。そして見よ、暦日の聖女を記念してマゼランが”聖処女岬”と命名したこの出っ張りのうしろに、黒い水をたたえた深い湾が開けていた」( P,182 )。彼はついに太平洋に通じる秘密の通路を見つけたのだ。「マゼランはその暗い、苦しい全生涯で一瞬間、ほんの一瞬間だけ、創造的人間に与えられる最高の愉楽、すなわち生涯をかけた理念が実現されたことを知るという愉楽を感ずることが許された。しかし、彼は運命からほんのわずかな幸福を受けるときでも、必ず辛い税金を払わされるよう宿命的に定められていた」( PP.194-195 ) のである。
 一度目標を定めたら、決して逡巡することなく、まっしぐらに進むこの男の底知れない意志の強さの前に、ついに地球に残された最大の謎は解き明かされた。太平洋に出た彼は99日間に渡り、食料、水の補給を得ることが出来ず、多くの乗員を餓死させながら、グアム島に到着し、その後、フィリピンに渡る。すでに彼の夢、世界周回はほぼ完成しつつあった。彼はほんの少しだけじっとしていれば、人類がなし得た偉大な成果を受理できる立場にあった。だが、神はそれを許さなかった。彼はフィリピン、セブ島の小さな島の土着民にささいなことで殺されて、自らはスペインに戻ることができなかったのである。
 265名で出発し、生きてスペインに戻った人間は全部で18名だったという。生き残った彼らは一時マゼランに逆らって反乱を企てた負い目のある連中である。もしマゼランが生きていれば故国で牢に入れられたことだろう。だが、死人に口はない。彼らは自らの過ちをすべて死者であるポルトガル人に押しつける。ここでも運命は皮肉な結果をもたらすのである。裏切り者は多大な報償と名誉を得るが、故国に残ったマゼラン夫人も、息子もすでにこの世にはいない。孤高の中で死んだマゼランの名誉が回復するのはずっと後になってからである。
 マゼランの生涯を見るとき、彼の中を貫く強烈な意志の強さを感じざるを得ない。今の日本に果たしてこのような強烈な人物がいるだろうか。小生がこの本を読んだのは2000年11月であった。ちょうどこの頃はサッカーワールドカップの話題で賑わっていた。フランスからやって来た小生意気な監督、トルシェが日本の風土に合わない指導法で選手を育てているのをマスコミは様々に文句を言っていた。たしかにトルシェはマゼランのような大物ではない。しかし、誰が何を言おうと自分が信じていた道を目指そうとするフランス人の姿を小生はポルトガル人マゼランに重ね合わせて見ていたことを覚えている。
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グアム島、ウマタック湾にあったマゼラン上陸の記念のプレート。1521年3月6日にここに上陸し、3日間とどまった後、フィリピンに向かい、そこで彼は命を落とす。

マゼランの項を最初から読みたい人はこちらをクリックしてください。
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by weltgeist | 2009-12-31 23:52

シュテファン・ツバイク、「マゼラン」その2 (No.598 09/12/30)

d0151247_23302146.jpg 「世界的名声を争う競争相手のコロンブス、海のドン・キホーテとも言うべきこの素朴で世間にうとい空想家は準備の実際的な面では(有能な)水先案内人に委ねたのに反し、マゼランは全構想においてすこぶる大胆であるばかりでなく、あらゆる細事をも十分に考え抜き、計算し尽くす点で正確かつ周到であった。彼の場合は天才的な空想力が天才的な正確さとむすびついていたのである。」(ツバイク著、”マゼラン”P.100 )

 大西洋にこぎ出したマゼランは、艦隊の中で彼がいつも敵に囲まれていることを感じていた。スペイン人たちはうわべは従順でも、すきあらばいつでもこの鼻持ちならないポルトガル人をやっつけ、命令に従わなくなるだろう。だが、「嵐の襲来を認める者は、船と乗組員とを救いうる唯一の道、すなわち船長が断固として、それもただ一人で舵をとることだ」( P.114 ) と固く信じていたことをまだスペイン人たちは気づいていなかった。
 不幸なことは、この気むずかしい船長・提督は、人に対して優しい言葉をかけるとか、他人の人間性を尊重するという気持ちが欠如していたことだ。彼は暗く押し黙り、スペイン人にはただ自分の命令を押しつける。旗艦トリニダット号以外の船のスペイン人船長は、それぞれがスペイン貴族の由緒ある家柄の人間であり、今までは尊敬されることはあっても、奴隷のように命令されるだけの屈辱的なことは経験したことがなかった。第一、この指揮官は自分だけが未知の大洋に至る海峡の存在を知っているというが、スペイン人船長たちがいくらその場所がどこにあるのか尋ねても教えてくれず「お前たちは黙って俺についてくればいいのだ」と言い張るだけである。
 不満は日々に大きくなり、ある日最初の爆発が起こる。旗艦トリニダット号へ毎夕送ってくる指揮官への燈火信号による挨拶をしない船があった。サン・アントニオ号の船長カルタヘーナは明らかにマゼランの命令を無視しだしたのだ。カルタヘーナはこれ以上ポルトガル人船長の言うことは聞かないと、船団の他の船にもいい、マゼランに抵抗の姿勢を示す。だが、マゼランはこの事態にも何らの処罰を下すことなく、なるべく騒ぎを穏便にすまそうとしているように見えた。人を外見だけで判断することがいかに危険で間違ったことか、カルタヘーナはこの後思い知ることになる。「危険に対するマゼランの反応はいつも同じであった。重大な決定に迫られるとマゼランは不気味に寡黙になり、冷ややかになる。どんなに侮辱されても、濃い眉の陰にかくれた瞳がひらめくことも、口の周りの神経がぴくりと動くこともなかった」( P.141) からマゼランは屈服したとスペイン人たちは勘違いした。彼らは鉄以上に強固で絶対にその意志を曲げないマゼランの真の姿を理解出来ていなかったのである。
 カルタヘーナの命令拒否に、マゼランは歩み寄る姿勢を示した。油断したカルタヘーナは旗艦トリニダットに来て、今や力を失いつつある総指揮官であるマゼランを「提督」と呼ばず、単なる「船長」と呼び始めた。だが、綿密に計算し尽くした計画のもとに、マゼランは巧妙に侮辱を塗り込んだ言葉の毒矢をカルタヘーナに向けて発射する。すでに実権を掌握したと誤解したカルタヘーナは、この無礼な男に同じく無礼な言葉で応酬する。彼は見事にマゼランの罠に引っかかるのである。
 カルタヘーナの侮辱的な言葉をとらえてマゼランが電光石火の速さで動いた。「お前は私の囚人だ」と叫び、部下にカルタヘーナを反乱罪で逮捕するように命じる。あまりの早さに他のスペイン人船長たちは不意を突かれて呆然とする。彼らは「マゼランが敵を犯罪者のようにひっつかんで逮捕させたその一撃の早さと、魔神のようなエネルギーをみてたちまち意志が挫けてしまう」( P.143 ) のである。最初の反乱はこうして鎮圧された。
 だが、世界中の海で最も厳しい場所と言われる南米大陸の最南端、今ではここを最初に通過した人の名に敬意を表してマゼラン海峡と呼ばれている場所は、まだ混沌とした見知らぬ世界のはるか先にあって限りなく遠い存在に思えていた。マゼランは例の南緯40度にあると書き込まれた秘密の地図を頼りに船団を南下させていく。しかし、40度を過ぎても海峡らしい場所はどこにもない。実際には海峡はさらに南の南緯54度まで南下しなければならないのだが、南に下るに従って、凍り付くような寒さと食料不足が襲ってきた。スペイン人たちはもはやこのほら吹きポルトガル人は海峡の位置など最初から知らない、我々をだまして地獄のような氷の世界に連れ込もうとしているのだと確信するようになるのである。マゼラン自身もすでに秘密の地図が出鱈目なもので、自分もだまされていたことは分かっていた。しかし、この不屈な男はこの時点においても北の暖かい地に引き返そうなど毛頭思っていなかった。彼はパタゴニアの海岸をなんと南緯75度までは進んでみて、それでも駄目なら喜望峰経由で引き返そうと思っていたらしい。南極圏は南緯66度33分から始まる。それを突っ切ってでも計画を実行したいという、途方もないことを考える人物だったのである。
 寒さと困窮に苦しんだ船団員たちが第二の反乱を起こしたのは当然のことだった。そして、今度の反乱はカルタヘーナが先導したものより遙かに深刻であった。カルタヘーナを解任し、マゼランのいとこ、メスキタが船長となったサン・アントニオ号を夜陰にまみれた反乱軍が襲い、カルタヘーナを牢から出す代わりにメスキタを閉じこめる。マゼランが指揮する旗艦、トリニダット号は大砲の照準をこちらに合わせた3隻の反乱軍が支配する船にとりかこまれるのである。
 だが、絶体絶命とも言える苦境に陥りながら、鉄の人マゼランは優れた策略の元に再び反乱を鎮圧し、ついにはマゼラン海峡から太平洋に船を滑り込ませることに成功するのだ。

以下、明日に続く
*添付したマゼランの写真はWikipediaよりDLしました。
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by weltgeist | 2009-12-30 23:54

シュテファン・ツバイク、「マゼラン」その1 (No.597 09/12/29)

d0151247_23284462.jpg 先週グアム島でマゼランが島に上陸した地点の写真を紹介したので、今回はついでにマゼランの生涯を書いたツバイクの「マゼラン」(みすず書房刊)という本の感想を述べてみたい。オーストリア生まれの伝記作家ツバイクは小生が大好きな作家の一人である。以前「マリー・アントワネット」や「エラスムス」のことも彼の著作から書いたが、「マゼラン」は彼の傑作の一つで、深い感銘を受けた本である。
 ツバイクの伝記小説の特徴は、歴史上の偉大な人と言われる人たちの生い立ちから死までを、韻を踏んだ美しい文章でドラマティックに書き綴っていることである。登場する人物は、いずれも歴史上の有名人で、彼らの並々ならぬ能力と、燃えたぎるような信念を完全なまでに燃焼して輝かしい成果を得ながら、最後は悲劇的な死で幕を閉じる人間の悲しい個人史として書かれている。そうした世界史の巨人の一人として書かれた本が今回紹介したいフェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan / 1480-1521年4月27日)の生涯である。
 16世紀初頭は、コロンブスのアメリカ発見やヴァスコ・ダ・ガマがインド発見をした「大航海の時代」であった。そんな偉大な先輩たちより少し遅れてポルトガルの下層貴族の子として生まれたマゼランは、最初マラッカ諸島などの航海を経験することで次第に頭角を現すようになる。彼は自分の経験やコロンブスなど先輩たちの成果から地球は信じられているような平らなものではなく、丸い球形であることを確信し、ポルトガルから大西洋を西に進めばいつか地球を一周して東側から戻って来れるはずだから、ぜひ自分にその船団を作らせて欲しいと、ポルトガル王、マノエルに頼む。「しかし、マノエル王は陰鬱そうに眉をしかめながら、いらだって請願人(マゼラン)を見つめた。王を立腹させたのは性急に要求し、恩恵の一つとして給料を与えられるのを待ちもせず、執拗に、強固に、まるで当然の権利のように主張する」( P.64 )マゼランの無礼な態度であった。頭にきたマノエルはマゼランの請願を拒否するのである。だが、周到なマゼランは王が自分の計画を断った場合のことも最初から準備していた。もしポルトガルがこの計画に興味がないなら、自分は他の国でやらせてもらうがいいだろうかと、他国で遠征船を使う許可を願い出るのである。ケチで意地悪なマノエルはマゼランの巧みな誘導に乗せられて、不覚にもそれを許可してしまう。そして、マゼランはその計画をスペイン王、カルロス一世にぶっつけるのである。。
 すでに南米大陸も発見されていて、西に向かった船はいずれも南北米大陸で行く手を遮られ、それより西にあると想像される太平洋に至ることは出来ていなかった。だが、マゼランはドイツで書かれた怪しげな報告書で大西洋と太平洋を結ぶ海峡があるという情報を手に入れていた。それはあるポルトガルの船が喜望峰を目指しながら西の海に迷い込み、南緯40度付近でジブラルタル海峡に似た海がまだ知られていない他の大洋、すなわち太平洋につながっているのを見つけたという報告書である。これを読んでいたマゼランはスペイン王に「新発見のアメリカ大陸が、まるで通行止めの横木のように立ちふさがっていて、ここを南に迂回することは不可能であると主張されていますが、それは誤りです。不肖私マゼランは、そこに一つの海峡があるという確実な情報を持っています。そして一船団を私に自由に使わせてくださるならば、この秘密をスペイン王室に責任をもって捧げます。私の申すとおりにすれば、スペインは地球のこの宝庫にすでに焦慮の手をさしのべているポルトガルをまだ出し抜くことが出来ます」( P.92 )と言って、ついに5艘からなる大船団を組ませることに成功するのである。
 あわてたのはポルトガル王マノエルだ。当時ポルトガルとスペインは新しい植民地を見つけるために激しい争奪戦をやっていたからだ。マノエルはありとあらゆる手段を使ってマゼランの計画を妨害する。だが、目的を定めたら、そこに向かってまっしぐらに進む鉄のような意志と、傲慢きわまりない精神の持ち主の決心を変えることは出来ない。
 なぜならマゼランにはデモーニッシュとも言える強烈な思いがあって、それを引き留めることはもはや誰も出来なかったからである。大航海によって地球上の多くの未知の場所が明らかになったこの時代「ただ一つの仕事が後に残った。最後のもっとも美しく、もっとも困難な仕事、すなわち同じ船に乗って全地球を一周し、それによって過去のすべての宇宙学者や神学者に反対してわれわれが地球の円形を測定し、実証するという仕事」( P.37 )にマゼランは全霊をかけて没頭していたからである。
 かくて1519年9月20日、265名の乗組員を乗せた5隻の船がスペインのサンルーカル・デ・バラメダ港を出港して、大西洋を西に向かう。船団の旗艦トリニダッド号(110t)にはマゼランが乗り、他のサン・アントニオ号(120t)、コンセプシオン号(90t)、ビクトリア号(85t)、サンティアゴ号(74t)にはそれぞれスペイン人の船長とスペイン人船員が乗っていた。だが、船長と船員の大半がスペイン人でありながら、総指揮官がポルトガル人という民族構成が後で何度も反乱を生む原因となるのである。
 競争相手であったポルトガル人のマゼランに総指揮をとられることに内心快く思っていなかったスペイン人たちは、最初は渋々命令に従っていたが、次第にマゼランの高圧的な態度に頭にくるようになる。他の船の船長はいずれもスペイン貴族の称号を持つ誇り高い人であるにもかかわらず、マゼランは彼らの一切の要望を無視して、自分が以前見つけた南緯40度付近の「秘密の海峡」を目指すのである。そして、スペイン人には「黙って俺についてくればいいのだ」と冷淡に言うだけである。次第に不満が重なってきたスペイン人たちは、行く先も定かでない航海へのストレスもあって、ある日マゼランに対して反乱を起こすのだ。だが、絶対絶命に陥ったマゼランはそれを驚くべきやり方で鎮圧するのである。ここでマゼランは並の人間には持ち得ない卓越した能力を発揮して、スペイン人たちをもアッと言わせるのだ。
以下は明日に続く。
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by weltgeist | 2009-12-29 23:57

無駄を無くすこと (No.596 09/12/28)

 今年印象に残ったのは民主党の行政刷新会議事業仕分け作業だ。蓮舫(れんほう)議員の鋭い切り口で沢山の無駄が明るみに出て、「俺たちはこんなに無駄なことに税金を払っていたのか」ということが分かった。以前書いたように、世界一のスーパーコンピュータを作るということの裏に隠された駄目官僚の意図を暴き出したときなど小生も「いいぞ、いいぞ、もっとやれー」と声援を送っていたものである。もっとも一旦見直しと結論づけられたスーパーコンピュータ予算は、ノーベル賞受賞者の訴えで、巻き返されてしまったが、世の中には無駄が多すぎる。それを大ナタでバッサバッサと切り捨てる蓮舫議員たちの行動は実に気持ちがいいものに映って見えた。
 しかし、このことを自分自身の個人的状況に当てて顧みると、あまり大きなことを言えないことに気づく。自分は若い頃からずいぶん無駄なことを繰り返してきたからだ。「俺の人生無駄なことの繰り返し」と言った方がいいくらい無駄をやり続けて、今の自分が出来てきたと思わざるを得ないのである。。
 小生は性格的に物を片づけることが出来ない一種の性格破綻者である。自分が使っている部屋はほとんどゴミ屋敷同然の乱雑さになっているにもかかわらず、こうした雑然とした状況下にいる方が妙に気持ちが落ち着く困った人間である。ゴミ一つ落ちていないきれい部屋に入れられたりすると、「汚してはいけない」という精神的圧迫を感じて逆に落ち着かなくなるのである。
 自分の部屋は本やがらくたで埋まっているから、しばしば物が行方不明になってしまう。釣り具も本も沢山の物の中にうずもれて、いざ使うときに見つけられなくなってしまうのだ。だから前に買ったことを忘れて同じ本を買うことなど日常茶飯事である。こんなだらしがなさは当然無駄を産む。
 その根本的な元凶は小生の思考回路からきている。考えることが、きわめて浅くていい加減だから、一気に結論に到達することが出来ず、いつも巨大迷路の袋小路に入り込んでいるようで、なかなか結論が出せない。物事をストレートに考えられれば、短時間に効率よく出来るのだろうが、小生の思考はフラフラして定まるところがないのである。無駄なことばかりやっているから、世間的評価では「無能な人間」ということにならざるを得ないのである。
 世の中はそんな無能な人間を求めてはいない。仕事が出来る優秀な人は、無駄なことをしないで、ストレートに効率良く目標に達する事が出来る。てきぱきとした動作は無駄がなく、見ていても優秀で気持ちがいい。現在のような厳しい経済状況下で、社会が求めているのはそうした能力に長けた人たちである。成功者になりたければ自分をそうした人間に仕立てあげる必要がある。これが現代の社会が求める理想的な人間像だからである。
 しかし、負け惜しみといわれるかもしれないが、すべてをスムースにこなす無駄のない人は、何か人間味が薄い気がするのである。むしろ脇道に逸れて無駄なことをやってきた人の方が、人間味があると思うのだ。たとえてみれば「瘋癲(ふうてん)の寅さん」みたいな人だ。効率一辺倒は確かに必要なことである。しかし、そんな世の中にあって、あっちにフラフラ、こっちにフラフラして人生を生き抜く人の方が自分は親しみを感じるし、自分自身もそうありたいと思っているのである。
 そんな風に考えると、例の事業仕分けでもある程度の無駄は仕方がないのかな、とも思うようになってきた。天下りでおいしい思いをしている官僚はけしからんと腹を立てるかもしれないが、おいしさが少しもない職場など魅力もなく、優秀な人材は集まらないだろう。優秀な人間より幅のある人間になりたいと思っている小生、時には無駄も必要なのだという気持ちになってきている。d0151247_23481413.jpg

アメリカ、ユタ州ザイオン国立公園で知り合ったハーレー乗りのおじさん。一見暴走族風で怖かったが、話してみるととても優しい人で、フロリダのキーウエストから4ヶ月かけて、もう13,000マイル(20,800㎞)も旅をしているのだという。これからもまだハーレーでアメリカ全土を旅して回るらしい。出世とか、仕事にこだわったらこんなことは出来ないだろう。効率主義者から見たら無駄なことをする人と映るかも知れないが、自分の心を満たすことだけにこだわり Nomad (ノマド=放浪)を続ける彼は、アメリカ版、瘋癲の寅さんという感じの人だった。
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by weltgeist | 2009-12-28 23:53

スカイプについて (No.595 09/12/27)

 最近の通信事情は目まぐるしく変化する。携帯電話はいまや一人一台の時代になりつつあるし、ネットの通信速度もものすごく速くなった。これっていいことなのか、悪いことなのか分からないが、とりあえず我々は時代の波に流される弱い存在にすぎなくなっていることは間違いない。
 だが、通信手段が多様化され、高速化されるにつれて嵩んでくるのが通信費だ。電話にしてもIP電話や光電話でお安くなると言われても、毎月送られてくる請求書を見るとなぜか安くはなっていない。なぜそうした金額になるのか請求書を見てもどうも理解出来ず、面倒だからそのまま払っているが、きっと小生が気が付かないことで余分な料金が課金されているのだろう。しかし、そうした通信費も電話に限ればまもなく限りなくゼロに近づくことだろう。
 数年前から「スカイプ」というインターネット電話が普及して、無料で電話が出来るようになったからだ。高速ネットの環境があれば、PCにインストールしたスカイプのソフトを起動して、世界中の人と無料で何時間でも話すことが出来る。しかも、カメラ付きだからテレビ電話と同じ使い方が出来、たいへん便利になっているのだ。
 スカイプは一定の速度が出るネット環境にあれば、専用の無料ソフトをインストールするだけで、無料で電話が出来る。これはやがて電話会社の屋台骨の揺るがすものになっていくことだろう。通信料で経営している電話会社そのものが成り立たなくなってくるのは時間の問題である。それは携帯電話においても同じである。今では一部携帯電話会社がスカイプを使うことで、画期的に安い通信料金が実現しつつある。これが既存の携帯電話会社を駆逐していく可能性はとても高いのだ。
 小生が現役の頃は、本社と支社は専用電話回線でつながっていたが、これからはスカイプを使えば、通信コストはゼロになる。本社と支社でのテレビ会議など、簡単にできてしまうのだ。少し前まで電話線網を支配することが通信世界の支配者になれると言われていた。それが、あっと言う間に様変わりしていく。まさに現代は生き馬の目を抜く速度で勝者と敗者が入れ替わっていくのである。
 小生の周囲にいる外国人は今はほとんどスカイプを利用していて、母国との国際電話代わりに使っている。国際電話を専業とする会社は多大な打撃をこうむっていることだろう。知り合いの若い人で外国に駐在する恋人と毎日スカイプで話している人もいる。電話代を気にせず好きなだけ話せるから、こうした人には大歓迎だろう。
 今日聞いた面白い話は、日本で生まれて日本で育ったアメリカ人の息子が、留学先のカリフォルニアから母親(アメリカ人)に「大好きな稲荷(いなり)寿司の作り方のレシピを教えてくれ」とスカイプで聞いてきたという。以前なら高い国際電話料金を気にして、手早く話を終えたものだが、料金がかからないならのんびりアメリカにいる息子に稲荷寿司の作り方を教えられる。全然お金の心配がないから心おきなく話しが出来るのだ。
 とにかく、スカイプはまだ始まったばかりの新しいサービスだが、一年もしないうちに爆発的に利用者が増えることだろう。新しい通信革命の勝利者の出現である。日本の電話通信会社の巨人・NTT はこれをどう受けるのだろうか。もちろん、ただやられっぱなしということはないだろう。しかし、普通電話の通信料激減は避けがたい。スカイプは新しい勝者として通信の世界に君臨するかもしれないのだ。だが、それもいずれは次の新革命に駆逐される一時的な勝利者で終わることだろう。勝利者は次々と代わり、盛者必衰の理をあらわす。これが数千年にわたって繰り返してきた歴史の教訓である。
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先日のグアム島で見つけた花です。名前は知りませんが、鮮やかな赤と葉っぱのグリーンのコントラストがいかにも南国の花という感じで印象的でした。
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by weltgeist | 2009-12-27 23:55

東京湾竹岡沖、カワハギ釣りの不運 (No.594 09/12/26)

 先々週の土曜日、三浦半島へマダイ釣りに行って坊主を食らった不完全燃焼感がいつまでも心の中に残っていて、リベンジをしたいと思っていた。だが、その後また足腰の痛みが増してきて、釣りのような過激な運動は出来にくくなっていた。数日前に帰ってきたグアム島の状態からして、一人で遠くまで釣りに行くのは無理なことがはっきりしてきたのである。誰か一緒に行ってくれる人がいれば何とかなりそうだと、苦しい状況に悶々としていたら、小生の苦境を察した釣りバカBBQ隊の一人であるU氏が「一緒に行こう」と声を掛けてくれた。
 それで、今朝は4時起きで、東京湾竹岡沖のカワハギ釣りに行ってきた。本当は西伊豆の磯釣りに行きたかったのだが、今の足腰の状態で磯を歩くのは自信がない。それに天気予報を見たら午前中は雨、午後からは西の風が吹くため、磯に渡ってもいい釣りは出来ないだろうと諦め、船の釣りに切り替えたのである。
 U氏の情報では竹岡沖のカワハギは好調だという。しかし、磯から急に船釣りに切り替えたため、何分にも準備が間に合わない。竹岡の***丸に電話をしたら、今ごろ電話してきても乗れる船はない、満席だ、と断られてしまった。釣れているとなれば釣り師はそこに集中するから、急に行きたいと言っても無理なのだ。それで、U氏情報から都内羽田から竹岡まで船を走らせるの***丸に急遽予約。ここなら近いし、行き帰りの船で少し眠ることも出来る便利な船宿である。
 そして、早朝の環状8号線を通って羽田に到着。船宿で乗船の手続きを済ませて、港に行くと、何か強い光が当たって撮影のようなことをしている人たちがいる。早朝からテレビ局がこの「くそ忙しい時期に釣りにうつつを抜かす馬鹿者どもの取材」にきていたのだ。そして、小生の近くにいた人に「あなたは釣りバカですか」なんて質問をしている。
 「そうです。私は釣りしか能のない大馬鹿者ですよ」と聞こえないほどの小声でつぶやいたら、テレビカメラが今度は小生の方を撮影しだした。「ヤバイ」小生、人の写真は撮るが人から撮られるのは大嫌いなのだ。横でマイクを差し出してきたADに「すみません、顔が出るのまずいので勘弁してください」と言って、何とか早朝取材の難は逃れた。
 だが、この一件でケチがついたのだろうか、その後、竹岡沖まで行ってからが最悪だった。全然釣れないのだ。小生、カワハギ釣りでは以前大会で優勝したこともあり、多少腕には自信があったつもりだが、まるっきり釣れない。いつもならアサリの餌を沈めれば、カワハギの微細な当たりがすぐに伝わってくるはずなのに、何にも感じないのである。それでいていつの間にか餌を食べられている。
 海底にカワハギはいるのだが、当たりがとれず、釣れないのだ。隣に座るU氏はボツボツ釣っているのに、こちらは忘れたころに「ポツン」という寂しい感じで釣れてくるだけである。
 そのうちにまた足と腰の痛みが増してきて、立ち上がって釣るのが難しくなる。仕方がないから船のシートに座ったまま竿を出す。こんな態勢では釣れるわけがないのだが、痛いのを無理して出てきたのだから致し方がない。自業自得と今日の釣りは半ば諦めた。
 今日は海の状況が悪く、他の人たちもあまり釣れず、低調な釣りのまま納竿となりそうである。どうも朝イチのテレビ屋さんの取材が、小生のコンディションを崩した原因ではないか、と不調の原因を早くも他人のせいに転嫁しようとしていた。
 そのとき、同じく釣れなくて不調を極めていた人がやにわにアオリイカの仕掛けを取り出し、混んだ乗合船の中でその釣りを始めた。こうした沢山の糸が出ている場所で、餌木のような糸が斜めになりやすい仕掛けを流すと、他の人の仕掛けと糸がからむ「おまつり」騒ぎを起こす。案の定、この人は最初船のど真ん中でやったからたちまち皆の仕掛けに絡まってしまう。だが、他の人から叱られても止めないで、舳先に移ってまた始めるではないか。本命のカワハギが全然釣れていなかったから、こうした「外道」に手を出す気持ちは分かる。しかし、人の迷惑を考えない人は困りものである。
 ところがこの御仁、しばらくして何とそれでアオリイカを釣り上げたのである。彼が釣り上げたアオリイカはかなりの大型で立派なものだった。だが、彼は船まで引き上げた後、それをどう扱っていいか分からず、イカを手にとって呆然としている。
 そのとき、手にしたイカが急に墨を吐き出したのである。そして、不運なことにそれが小生の頭上にモロに降りかかってきたのだ。イカを釣った人は気が動転して、「すみません」とあやまりながらも、どうしたらいいのか分からない風でおろおろしている。一方の小生は上半身に墨を浴びてしまった。船頭が「もう止め」と言ったからこれ以上の被害は無かったが、家に帰って調べたら、帽子とシャツが墨で黒く汚れていて、結局これは捨てざるを得なくなってしまった。まったく前回のマダイのリベンジのつもりが、踏んだり蹴ったりの返り討ちにあった一日となってしまったのである。
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皆が絶不調の中、一人気を吐いたU氏は、こんな大型カワハギを釣ってご満悦だった。それに比べて、小生の釣ったカワハギは、10㎝にも満たない小学生サイズばかり。そのうえ皆がカワハギを釣っている中、掟破りでアオリイカ釣りを始めた人が釣ったイカの墨を顔にかけれれるというトホホな一日であった。
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by weltgeist | 2009-12-26 23:51

メリー・クリスマス、イエス誕生の意味について、その2 (No.593 09/12/25)

d0151247_1112492.jpg 今日、12月25日はキリスト教徒にとってはイエス・キリストがベツレヘムで誕生した日とされ、クリスマスとして祝うおめでたい日である。だが、そんな神が、人間、それも貧しい大工の子供として生まれてきたことには謎がある。絶対的な力を持つ神ならどんなことだって出来るはずなのに、なぜ貧しい人間の子として登場させたのだろうか。
 旧約聖書を読むと、神は近寄りがたい絶対的な存在であり、人間の力が及ぶことが出来ない「主」と書かれている。日本の神様のようにお賽銭で願い事を聞き入れてくれる「軽い神様」ではなく、人に「お前は私を信じるか、信じないのか」と迫りくる厳しい存在であった。人間の浅はかな気持ちで動かされるものではない絶対的な彼岸の存在が主であり、神であるとされていた。
 ところが、新約聖書では惨めで苦難に満ちた現実に生きる人間と同じ姿で神は現れる。これがクリスマスの日に誕生したとされるイエス・キリストである。新約聖書の神は旧約聖書とは違う、人間の姿をした神の臨在として書かれているのである。ここでは神は人間が近づき得ない彼岸にいる主ではない。羊飼いのような卑しい人間でも近づき得る生身の人間として登場するのである。
 新約聖書では時々、イエス自身が神とは思えない人間的な言葉さえつぶやいたことが書かれている。十字架に架けられて死ぬ直前に彼は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ=わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ福音書27:46)という謎のような言葉を叫んでいる。浅学の小生にはその真意は分からないが、イエスとて人間として死の恐怖に耐えられず、思わず発した言葉ではないかと思うのである。ここにおいてイエスは完全に人間になりきっている。「神は我を見捨てたのか」と言う人間的な言葉を発することで、まさにイエスは神であるとともに人間でもあったということであるのだ。
 疑い深いトーマスなど、イエスが本当に神なのか体を触って確認さえしている。現実に生き、さらに死んでいく人間としてイエスが登場し、十字架にかけられることで、人間に希望を与えることがベツレヘムの誕生なのだ。神であり、しかも死んでいく苦悩する人間、それを神自らが実行することで人の罪をあがない、希望を与えたのである。
 それはパウロがローマ書で言うところの「神の恵み」なのである。罪人である人間を許し、人々に平安を与える(聖書では義という言葉を使っている)ために主がイエスという生身の人間となって人間界に送り込まれ、人の罪をあがなうために十字架に架けられる。つまり、最初からイエスは十字架に架けられて自らの命と引き替えに人間の罪をあがなうためにベツレヘムで生まれたのだ。
 生まれは卑しい牛小屋であって、豪華な宮殿ではありえない。また、その誕生を祝う人も、豪華な偉い人ではなく、ごく普通の羊飼いであることが相応しいのだ。その意味では、イエス誕生を記述する二つの福音書の中で、「東方の三博士(マギ)の礼拝」を記述したマタイ福音書より、卑しい「羊飼い」が礼拝しているルカ福音書の記述の方がよりキリスト教の精神に近いと思う。しかし、イエスの誕生シーンを描いた絵は沢山あるが、それを羊飼いの礼拝で描いているのは昨日あげたフースの三連祭壇画くらいで、多くは豪華な衣装を着た東方の三博士の礼拝で描かれている。キリスト教徒としては、大切な神の誕生を迎えるには薄汚い羊飼いより、身分の高い博士の方がずっと相応しいと思ったのだろう。
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フィレンツェ、孤児養育院美術館にあったドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio / 1449-1494年 )の「東方三博士の礼拝」( Adoration of the Magi / 1488 / Spedale degli Innocenti / Firenze ) 前日紹介したフースの「羊飼いの礼拝」に比べると、歓迎する人たちから、周囲の雰囲気まで全然違っている。待ち望んでいた救世主を迎えるには、受ける人たちもそれなりの格式を持った人物である必要がある。人間として現れたイエス・キリストをなるべく豪華な雰囲気で迎えようとする敬いの気持ちが絵に現れていた。 

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by weltgeist | 2009-12-25 11:46

メリー・クリスマス、イエス誕生の意味について、その1 (No.592 09/12/24)

 今日はクリスマスイブ。イエス・キリストがベツレヘムで生まれた前日であるとされている。無宗教な日本人はそのときの都合で様々な神様にお祈りをするが、この日だけはなぜかキリスト教徒になって救世主の誕生を祝っている。町にはジングルベルの歌が流れ、お父さんはケーキを買って帰宅している。つい先日まで近くの神社で、幸運を祈願した同じ人が、今日ばかりはキリスト教徒に変身する。こうしたことのちぐはぐさというか、矛盾を日本人は感じないのだろうか。八百万(やおよろず)の神を信じているから、キリスト教のイエスも多くの神々の一人として矛盾なく受け入れられているのかもしれない。
 ヨーロッパのように、神を信じることとはキリスト教を信じることであり、それを信じないことは無神論者として深刻な思いをさせられるのと違って、日本はきわめておおらかで、神ということの概念も曖昧である。ということは、根本的には何も信じていないことと同じであり、「神とは何か」という問題もあまりまじめには考えられていなかったと言える。そこで、今日と明日の二日をかけて救世主が生まれたとされることを通して、我々にとって神とは何かということについて考えてみたい。
 ところで、毎年クリスマスの時期になると不思議に思うことがある。イエス・キリストは神様なのになぜ粗末な牛小屋で生まれなければならなかったかということだ。立派な王様の息子として宮殿のような場所で生まれてこそ神様にふさわしい。それなのに、あえて牛小屋のような場所で生まれたことにどのような意味があるのだろうか。小生はここにキリスト教が言うところの神の真意が現れているのではないかと思うのである。
 聖書でイエスの誕生を書いているのはマタイ福音書とルカ福音書の二つで、他の二つマルコとヨハネ福音書では成人になったイエスのことしか書いていない。ルカ福音書の記述では、マリアと夫ヨセフはユダヤのベツレヘムという町でイエスを産み、それを近くにいた羊飼いが祝福するとなっているのに対し、マルコ福音書では東方から来た三人の博士が祝福すると多少記述が違っているところがある。(東方の三博士が礼拝したマタイ福音書の話については以前書いたこちらを参照されたい)
 今回はルカ福音書に沿ってイエス誕生の意味を考えてみたい。ルカ福音書ではイエス誕生は第2章から始まる。そこに確定的な日にちが書いてあるわけではない。クリスマスの日である12月24日から25日にかけて生まれたという記述は聖書にはないのだが、ベツレヘムでイエスが誕生した瞬間をルカ福音書第2章には次のように書かれてある。
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フランドルの画家ヒューホ・ファン・デル・フースの三連祭壇画「羊飼いの礼拝」のセンターパネルの一部。粗末な牛小屋で生まれたばかりのイエスを、羊飼いが礼拝しているところ。周囲にはマリアとその夫であるヨセフ、天使などが集まり、みんなで救世主の誕生を祝っている。
Hugo van der Goes / Portinari Triptych: The Adoration of the Shepherds (central panel) / 1476-79 / Galleria degli Uffizi / Firenze

d0151247_23382413.jpgマリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所が無かったからである。
さて、この土地に羊飼いたちが野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると、主の使い(天使)が彼らのところにきて、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
み使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせにきたのです。
今日ダビデの町であなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは布にくるまって飼い葉おけに寝ているみどりごを見つけます。これがあなたがたのしるしです。」
すると、たちまちそのみ使いといっしょに多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。
「いと高き栄光が神にあるように。地の上に平和が、御心にかなう人々にあるように。」
羊飼いたちは互いに話し合って、さあ、ベツレヘムへ行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。
ルカ福音書2:6-15
 

 マリアたちが宿屋に泊まれなかった理由はここでは分からない。泊まる宿代がなかったのか、それとも宿が満室だったのか分からないが、とにかくそれは神の意志で決められたことだろう。神なら彼らに宿代を持たせることも、また、部屋を満室にして宿泊を拒否させることも出来たはずだからだ。だから、彼らは12月の寒い夜を牛小屋で過ごすしかなかったのである。今で言えばホームレス状態である。そして、マリアは誰の介護もなくお産し、幼子を飼い葉おけの中に寝かしつける。現代の生活水準からすれば最低の条件の中で生まれた人間が「救世主」だという。あまりの落差の大きさには驚かざるを得ない。
 だが、マリアの周囲には彼らには見えないが、ずっとみ使い(天使)が付き添っていた。そして、近くにいた羊飼いに「救世主が生まれたから祝福に行け」と命じるのである。世界を救うメシアなら、王様が祝福に行ってもおかしくないのに、最下層の人間と思われる羊飼いに行けと命じるのだ。こうして羊飼いが最初に人類が神と出会った証人とされるのである。
 しかも、神様がこともあろうに宿にも泊まれない大工夫婦の息子として、人間の姿で出現するのである。
 我々が考える理想的な神の概念からまったくかけ離れた貧しい夫婦の子供として生まれてきたということは、神は我々から遠く離れた存在ではなく、まさに我々と同じ人間、それも最下層の貧しき人として出現したということである。これは明確な神の意志に基づく計画である。神は意図的にイエスを貧しい大工の息子として、人間界に送り込んだのである。イエス・キリストの誕生に我々は天上界から人間の世界に降りてきた神の強い意志を感じるのである。だが、このような常識を覆すようなやり方で出現した神の意図をどう解釈したらいいのだろうか。

文章が長くなったので以下は明日に続けます。
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by weltgeist | 2009-12-24 22:33

グアム島格安ツアーの旅、最終回 (No.591 09/12/23)

12月19日、帰国
 グアム島4日間格安ツアーの旅も本日が最終日である。といっても、今日は日本に帰るだけ。島内の観光などは一切出来ない。理由は、出発便が朝の7時20分という早い時間だからだ。今回のツアーに申し込んだとき、初日の出発時間と帰国日の時間は聞いていなかった。多少は遅めの出発で、帰りは早めの帰国くらいはあるかもしれないと漠然と思っていたが、まさかここまで徹底しているとは思いもしなかった。行きは深夜の到着だし、帰りは早朝の出発で、4日間といっても実質は丸2日しかないのである。
 現地のHISからもらったスケジュール表によれば、本日は午前4時20分にはホテルを出て空港に行くという。ということは、それより少なくとも30分は前に起きていないと集合時間に間に合わない。仕方がない。少し余裕をもって3時半にモーニングコールを頼んでおいた。こんなに早い時間に起きるというのは海外旅行では初めてである。まさに釣りに出かけるような気分で眠たい目をこすりながら、起きて空港に向かう。
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 午前5時前だというのにすでに出国ゲートにはすごい人が並んでいる。ほとんどが日本人観光客である。全員が同じ飛行機ということは全員がほぼ同程度の格安ツアーで来た人たちだろう。その数からして、安さの秘密は大量生産、大量販売と同じ発想で、数で稼ぐこととみた。
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 空港に着いたときはまだ真っ暗だったが、明るくなると我々が乗る飛行機が見えてきた。普通は敬遠されがちな早朝便にもかかわらず、搭乗率は90%は越えていたのではないかと思われる。だから、業者も恐らく格安の料金でチケットを手に入れているのだろう。
 成田までのフライトは3時間ちょっと。快適な空の旅を終えて、日本の空気に触れたらあまりの寒さに体が震えてしまった。半袖でも暑かったグアムとの気候の差に「あ、やっぱり外国に行ってきたのだ」という気持ちが実感出来た。短かったけれど、充実した旅をお手軽に楽しむことができ、たいへん満足して帰宅したのである。

旅の総決算
1、費用

 ツアーの代金は燃油サーチャージ込みで18800円。これに成田とグアムの空港使用料+税金が4570円。現地の滞在費でかかったのは初日の朝食代と夕食代が一人約30ドル。翌日はレンタカーが70ドルにガソリン代が15ドル、食事代が一人20ドルとほとんどお金は使っていない。食事代やおみやげ代などは人によって様々だし、レンタカーを頼まないで無料バスだけならこのあたりの出費も違ってくるから一概に言えないが、想像以上に格安で済んだことは間違いない。
d0151247_2351260.jpg2、島内交通機関
 シャトルバスはチャオカードというものをもらっていて、これを見せれば無料で何度でも乗れる。ホテル専用の小さなミニバスと窓のない形をしたチャオバスがあり、色で行き先を決めていく。10分から20分間隔くらいでバスが運行されていて、あまり待たないで気楽に乗ることが出来た。メインの乗り換え場所には係員がいて行きたい所を言えばどのバスでどこで乗り換えたらいいのか教えてくれる。係員は慣れたもので、簡単な日本語程度は理解してくれる。また、レンタカーは保険無しなら一日33ドルからあり、これもHISなら係員に頼めば電話で予約してくれる。我々が頼んだオリックスレンタカーには日本人スタッフがいて、スムーズな対応が出来た。 
3、食事と支払い
 ステーキハウスから中華、イタリアン、コリアン、メキシカン、和食、ラーメンなど日本と変わらないレストランが沢山ある。レストランで食事した場合、チップは代金の15%程度が普通。最近はチップをインクルードした請求書で持って来るところが増えているから、まず、その点を確認し、インクルードしていないときは15%前後加算して払う。慣れない日本人はインクルードしてあるのにダブルでチップを払う人がいるから注意しよう。現金ならテーブルの上にさりげなく置く。また、クレジットカードで支払うときは、チップの部分が空欄になっているから、ここにチップの金額を書き、合算した金額を自分で書いてサインする。たとえば、全部で35.22ドルなどと書いてあったら、下段のtipの欄に4.78ドルと書き、合計は端数を切り上げて40ドルとすればいい。チップの制度は日本にはないので最初はまごつくが、慣れればどうってことはなくなる。チップはウエイトレス、ウエイターたちの給料の一部だから、インクルードしていない場合は忘れないように。また、フードコートなどのセルフサービスの店ではチップはいらない。
4、蝶
 グアム島は生息する蝶の種類が非常に少ない。今回確認できたのは、シロオビアゲハ、マルバネルリマダラ、オオカバマダラ、リュウキュウムラサキ、ウスキシロチョウ、シルビアシジミだけだった。とくに多いのがシロオビアゲハとマルバネルリマダラでこれは島のどこにでもいた。しかし、リュウキュウムラサキは非常に数が少ないようだ。
5、釣り
 30年前に来たときは釣りが目的だった。このときはトローリングボートで沖のカジキや、リーフでの投げ釣り、タロフォフォ川でのルアーなど様々な釣りをトライした。しかし、今回は日程が短いため釣り竿は持参しなかった。従って今のグアム島での釣り事情は分からないが、本格的なトローリングボートでやればカジキ、マグロ、サワラ(ワフー)などが釣れるとは思う。しかし、オーストラリアなどの海に比べるとこうした巨大魚の魚影はそれほど濃くはないようで、多大な期待をするのは無理だと思う。ハワイと同じで遊び感覚でシイラでもいいくらいの気持ちで行くといいだろう。一方、今回島の海岸線を見た印象として、岸からのエギングによるアオリイカ釣りは有望そうに見えた。イカなら軽いエギング、ルアーロッドを持って行くだけでいいから、釣り好きはぜひ試して見る価値はあると思う。ただし、ポイントの選定が重要。タモンビーチ周辺は無理。島の南部には良さそうな場所が何カ所かあったので、レンタカーでこうしたポイントを探ってみると面白いと思う。それと、通常、米国本土では州ごとにフィッシングライセンスが必要だが、グアム準州でもライセンスが必要なのかどうかは不明。釣りをする方はこの点は確認しておいて欲しい。
6、安さの秘密と満足度
 行く前はこんなに安いからきっとおみやげ屋さんばかり連れて行かれるかもしれないと心配していたが、そんなことは全くなし。それでいて結構程度のいいホテルに3泊もして、滞在中のシャトルバスは無料で利用出来ることの理由がいまだに理解出来ていない。なぜあの値段でここまで出来るのかわからないのだ。しかし、払う方の立場から見れば、ほとんど信じられないくらいの安さであると断言してもいい。とにかく値段的にはきわめてお得なツアーであった。ただし、単に海の家とダウンタウンを歩くだけではやはり物足りない。各種マリンスポーツや島内観光ツアー、実弾射撃場など、色々なオプションが充実してある。また、買い物好きならブランド店を巡ることも出来るし、ブランドのアウトレット店もあるから、これらを組み合わせて自分流の旅を楽しめばいいだろう。しかも、島は日本人の観光客で持っているから、日本人にはたいへん親切に対応してくれるのと、日本語がある程度使えることも心強い。
7、グアムはお得なミニハワイ
 30年前に行った記憶を思い出そうとしても、全然思い出せないほど今のグアムは変わってしまっている。街全体がトロピカル・リゾートに変貌していて、ハワイと似た感じのあか抜けた島になっていた。多少白人が少ないのでアメリカ本土並とまでいかないが、それ以外は言葉も風習もハワイと変わるところがないと言っていいだろう。日本から飛行機で3時間という距離にある一番近いアメリカである。時差も1時間しか違わないグアム島は、お手軽に行けるミニハワイだな、というのが今回の小生の感想である。

グアム格安ツアーの旅を最初から読みたい人はこちらをクリックしてください。
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by weltgeist | 2009-12-23 23:51

グアム格安ツアーの旅3 (No.590 09/12/22)

d0151247_22333750.jpg艦隊がマゼラン海峡を抜けて外洋(太平洋)に出てから、もう百回以上も太陽は同じ空虚な、何一つ動かぬ青海原の上に昇り、百回以上も同じ空虚な何一つ動かぬ青海原に沈んだ。百回も昼は夜になり、夜は昼になった。ついに1521年3月6日、ふたたびマストから陸だ、陸だという叫び声が響き渡った。
シュテファン・ツバイク、「マゼラン」( みすず書房刊、関楠生訳 PP.207-208)
 

12月18日、グアム島滞在3日目

 昨日はHISの海の家で過ごし、夕方からはダウンタウンを観光して歩いた。しかし、小生にとってこうした場所はあまり興味がない所である。泳ぎも買い物もしない人間には、島の自然の中を歩き回る方がずっといいので、滞在3日目はレンタカーを借りて島内一周観光をすることにした。車があればいい場所で蝶を採ることも出来るし、あの世界一周を成し遂げたマゼランが立ち寄った場所も確認できると思っていたからだ。
 ツバイクの書いた「マゼラン」によれば、彼らはスペインから大西洋を西に横断した後、南米大陸の東海岸沿いに南下し、ついにはマゼラン海峡を抜けて太平洋に出る。ここに至るまでですでにものすごい苦難を克服して来たのだが、さらに未知の太平洋に出てから、99日間に渡って陸地を見つけることができず、多くの船員を餓死させながら、ようやくグアム島にたどり着くのである。その場所が残っていれば、実際に見てみたいと思っていたのだ。
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 グアム島で借りたレンタカーはトヨタカローラ。保険も一切含めて24時間で70ドル。予約は前日にHISの係員にやってもらった。日本の免許証が有効で、国際免許証は必要がない。ただし、交通法規は米国本土とまったく同じで、右側通行、安全が確認出来ていれば赤信号でも右折は出来ることなど日本と違うところはある。とくに慣れないと危ないのが右側通行だ。ときどき日本の道路を走っていると勘違いして左側車線を走ってしまうことがあるから、この点だけはとくに注意する必要がある。しかし、島内の交通量は多くないからそれほど車の走行は難しいものではない。
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 セッティ湾展望台から見たグアム島のジャングルと海岸線。沖の入り江状になったところがマゼランが上陸したマゼラン・ランディング。この場所からちょっと走った所で車を止めたら、ジャングルの中から蝶が沢山飛んできた。おそらくこうしたジャングルが蝶を育んでいるのだろう。 
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 マゼランが上陸したウマタックには白い記念碑が建っていた。ツバイクの記述によれば、西洋人がまったく足を踏み入れたことのない太平洋を99日間もあてどもなく帆走したマゼランの艦隊は水、食料が切れてしまう。太平洋に出てからグアムに着くまでの間に19人の隊員が餓死し、生き残った多くの者もビタミン不足から壊血病に悩まされる。食べ物が無くなった彼らは、おしまいには船内に潜むネズミを捕まえれば金貨4枚と交換するといった悲惨な状態でようやくグアムの島影を見つけるのである。そして、島に近づくとたちまち、小さなカヌーに乗った島民が船に乗り込んできて、あらゆる物をかっぱらっていく。島民には他人の物を黙って持っていくことが悪いことという習慣がなかったから、ありとあらゆる物があっと言う間に盗まれてしまうのである。
 怒ったマゼランは、島に上陸し、島民の家を焼き、殺戮と略奪を行う。それまでスペイン人の武器についての知識もなかった人たちは、弓矢が飛んで来て胸に刺さる事の意味が理解できない。「どうして遠方からとがって羽根のついたものが皮膚の下深くささってこんなに恐ろしい苦痛を与えるのか、全然わけがわからなかったのである」(前掲書 P.209 ) こうしてマゼランは島民の食料を略奪して、飢餓状態から脱するのだが、自分たちを助けてくれたグアム島についての印象はあまり芳しいものではなく、彼はこの島を「ランドローナ」すなわち「泥棒の島」と名付けている。彼はこの「泥棒の島」で新たに食料、水を調達(略奪、泥棒)してフィリピンを目指し、そこで命を失うのである。
 左の写真のように、記念碑の脇にあった日本語の解説によれば、水も食料も無くなっていたマゼラン艦隊に島民が水と食料をあげた後、ボートを盗んでいったことにマゼランが腹を立てて島民を殺したと書いてある。ツバイクの記述では島民が先に物を盗んだから怒ったとあり、どちらが正しいのかは今となってははっきり分からない。歴史はいつの時代も後世になると自分の都合のいいようにしか解釈しないのである。
 ウマタックはマゼランが来た以降、続々とやって来たスペイン人の交易や捕鯨の基地としても栄え、しばらくはグアム島の中心地として発展したらしいが、今は静かな村になっている。湾の奥にはご覧のように、ボートを降ろす専用のスロープまで造られていた。 
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 グアム島は蝶の種類は非常に少ないようで、熱帯系の蝶であるマルバネルリマダラと下の写真のシロオビアゲハしかいないような感じであった。マルバネルリマダラは空中を滑空するように飛び、花に止まると翅を広げるので写真撮影はやりやすかった。
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 シロオビアゲハは今年の2月にボルネオ島で見ているし、昨年、北海道にあった「バタフライガーデン」の温室の中にも沢山飛んでいたから、小生にとっても珍しいとも思えない普通の蝶である。しかし、この蝶は上のマルバネルリマダラと違って、花に止まるにしても片時も動きを止めることがなく、その動きが早すぎてなかなか止まった姿を写真に撮るのが難しかった。

明日に続く
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by weltgeist | 2009-12-22 23:28