「ほっ」と。キャンペーン

<   2009年 09月 ( 30 )   > この月の画像一覧

採るのか、撮るのか、それが問題だ (No.509 09/09/30)

 魚もそうだが、蝶も数がずいぶん減っているらしい。小生が子供の頃普通に飛んでいた蝶でも今ではすっかりいなくなり、稀少な蝶に成り上がった種もいる。そんなだから、各地で蝶を保護しようという運動が盛んになっている。こうした動きは何も蝶だけではなく、里山の木々から、近くの公園の緑までありとあらゆることが保護のターゲットになり、多数の「善意」の人たちが集まってそれぞれ努力をしている。
 小生もこうした「保護活動」のいくつかに参加したことがある。だが、やっているうちにある種の疑問を感じるようになってきて、最近は少し身を引いて見るようにしている。自分のやってきたことが、果たして本当に「自然」を保護することに役立っているのかわからなくなってきたのである。最初に思ったのは米国カリフォルニア州にあるレッドウッド国立公園でだった。
 レッドウッドというのはセコイアの一種で世界で一番背が高い木である。その高さは100mを超えると言われ、幹の直径も6m以上ある。しかし、木目がきれいにそろっていて、しかも加工しやすい柔らかさがあることから激しく伐採され、今はカリフォルニアとオレゴン州の境にわずかに残された森林が国立公園に指定されている。この公園に行ったとき、伐採されたレッドウッドの年輪に、約25年に一度ずつくらい黒い帯があったのを見た。公園に書かれた説明によればレッドウッドは時々起こる山火事で成長してきたというのだ。
 火事になると周囲の低い木は燃えてしまう。だが、丈夫なレッドウッドは生き残り、太陽の光を独占的に受けて、より大きく、より高く育つのだという。だから、ここでは山火事が起こっても消火活動はしない。なぜなら、山火事も「自然」だからだ。それまで「自然保護」とは人間が努めて努力しなければならない目標であると思っていた。しかし、ここで「人が手を下さないことも保護」いう思想に触れたのである。
 この一件から「自然とは何か」という疑問が生まれ、これまで自分がやってきた「自然」保護活動が本当に自然を守ることに役立っているのか、わからなくなってきたのだ。保護すると称して、実際には自然をぶちこわしているのではないかと思うようになってきたのである。

 実は、小生が昨年入れてもらった蝶の同好会で、シジミチョウの仲間のゴマシジミという小さな蝶が急激に少なくなり、それをどうするかで最近議論が沸騰した。会員の中で蝶の保護活動を熱心にやっている人が、少なくなったゴマシジミが生息している場所に立ち入り禁止の看板をたてて、環境の整備をやったのである。そこまではいい。もめたのはその後だ。立ち入り禁止は「蝶を採る人」だけで、蝶の「写真を撮る人」はOKと言いだしたから会の中が、まるで八ッ場ダムと同じように賛成派と反対派に分かれて喧々囂々となったのだ。
 賛成派の人たちはこの場所に生えているゴマシジミの食草であるワレモコウを守り、激減したゴマシジミの緊急避難場所を作ろうとしたらしい。もちろん、こうしたことに熱心に取り組む人には頭が下がる想いがする。しかし、本当にこんなことをしていいのかという疑問も沸いてくる。彼らは草地を整理し、ゴマシジミが生息しやすい環境に整備したというが、ここで「保護の主対象と」されているのはゴマシジミで、ほかの生き物は逆に消滅の危機に追いやられているかもしれないのだ。実際に現場に行ったわけではないから、どのような作業が行われたかはわからない。しかし、草が刈り取られたことで、そこに昔からあった「自然」を壊したことになるのではないだろうか。
 確かにゴマシジミは救われるかもしれないが、その場所には微生物まで含めればものすごい種類の「生き物」がいたはずである。だが、「保護」する人の目はゴマシジミしか見ていない。まさかゴマシジミさえ助かれば他はどうなってもいいと思っているわけではないだろうが、そこにいる他の無数の目立たない小さな生き物のことまで気がつかないと思うのである。前にも書いたことがあるが、生き物、生命には価値の違いはない。どの生き物も大切である。それをゴマシジミという一点だけに目を向けていることは、危ないと自分は思うのだ。
 アフリカのランバレネで原住民に医療を施すことに生涯を捧げたシュバイツアーは、「生命の尊厳」という言葉を実践した。彼は血を吸いにきているマラリア蚊を殺すのもためらい、ペニシリンで細菌を殺すことに「罪の意識を感じた」という。
 命とはこのようにどれも大切なものであり、それぞれが独自の生態系を作りながら生きている。賛成派が「作り上げた環境」はゴマシジミに向いていても、別な生き物にとっては対応できない環境の改悪ともなりうる。これで「自分は自然の保護に力を貸した」と思っているとすれば、考えが甘すぎる。それは蝶の撮影をする人はOKだが、採集者はお断りという発想に端的に表れている。撮影者、すなわち自分こそ「自然保護」に手を貸している人間なのだという、間違った奢りがそこに表れているのである。

 こうした思いを詰めていくと、自分の趣味である釣りでも同じ問題が起こっていることに気がつく。少し前にさんざん騒がれて、「害魚」扱いされたブラックバスの問題だ。これも同じ考えの延長線上にあると小生は考えているが、もう紙面がないので、バス問題については近いうちに別枠で考えてみたいと思っている。
d0151247_2242429.jpg
子供の頃には暖かい南の地方にしかいなかった、ツマグロヒョウモン。地球温暖化の影響か、最近では東京でも普通に見られるようになってきた。生き物たちは、わずかな環境変化にも素早く反応して、滅びたり自らの生息域を広げていったりする。自然とは人智が及ばぬほど深いシステムで動いている。それを人間のちっぽけな頭で考えた「自然」に合わせていこうと思っても、必ずどこかに無理があり、そこから想像もできない新しい事態が発生してくる。人は「自然は人間がコントロールできる」という幻想のもとに、自然を壊し続けてきているのだ。
[PR]
by weltgeist | 2009-09-30 22:42

35年目の結婚記念日 (No.508 09/09/29)

 今日は我が夫婦の35年目の結婚記念日である。35年ということは自分の人生の半分以上を妻と過ごしたことになる。長いようでもあるし、短いようでもある。光陰矢のごとしがぴったりする心境だ。振り返れば山あり谷ありの人生だったが、ここまで曲がりなりにも二人で来れたことはありがたいことだったと思っている。
 この特別な日を、本来なら二人でどこかへ行ってささやかな食事でもしようと思っていたが、用事が入ってどこにも出かけることができなかった。マダム・パスカルさんから築地にある寿司屋を教えてもらっていたが、残念ながらこれは次回にお預けになりそうだ。
 自分が結婚したのは32歳の誕生日を迎える直前だった。長い間学生を続けていて、まともな仕事を始めたばかりの不安定なときだったから、妻をもらっても将来彼女を養っていく自信もなかった。前年の1973年に起こった第一次石油ショックのあおりで、我々が結婚した翌年には原油価格が前年の5倍にまで跳ね上がり、全国のスタンドからガソリンそのものが消えてしまった。だから、遠距離に釣りに行くときはトランクの中に予備のガソリンを積んで出かけたものである。そんな先の見えない時代だったから、このまま行ったら自分の老後はどうなるのだろうかと、とても不安であった。
 それでも、日本が立ち直ったように、小生たちも何とか生き延びることができた。自分の将来に展望が開けない暗い時代であったが、今となってはそれも杞憂に過ぎない。人生、希望さえ失わなければ何とかなるということをこのとき学んだ。人間という生き物は思った以上にしぶとい存在で、めったなことでは負けないのだ。
 若い頃、自分は会社の仕事をする傍ら、家に戻ると週刊誌にコラムを書くアルバイトをやっていた。同僚が仕事を終えて酒を飲みに行くのを尻目に急いで家に帰ると、せっせと原稿を書いて、夜半に汚い下書きができると、それを妻が清書して、翌日には郵便局に出しに行く毎日であった。メールどころかファックスもない時代だから、原稿はすべて出版社に届けるか、郵送しかない時代だったのである。
 3つの週刊誌に毎週コラムを書いていたから、週3回も締め切りがあることになる。今思うと殺人的なスケジュールだったが、妻との二人三脚でそれをこなしてきた。現役を離れた今思い出すと、人間やる気になればどんなことでもできると思った。つらいこと、苦しいこともすべて過去に流れて行った。神は人に乗り越えられない試練は与えないという。どんなに苦しいことでも、きっと解決でき、それを乗り越えた先にはより深みのある人生の意味を見いだすことができると、今は固く信じるようになった。
d0151247_22132216.jpg
 今日は50年来の友人である田原氏からうれしいプレゼントをもらった。北海道の知床沖にサケ釣りに行った釣果を結婚記念日にあわせて送ってくれたのだ。田原氏とは小生が中学生の頃からのつきあいで、お互いにそのころは蝶の収集をやっていた。その後、二人ともロッククライミングにのめり込み、さらに釣りにのめり込むという、何か相似形のような人生を送ってきた友である。見事なサケを見ながら田原氏と出会って50年、妻と結婚して35年の年月を思い出してしまった。時は思い出だけを残してするすると滑るように通り過ぎていくのを感じた。
[PR]
by weltgeist | 2009-09-29 22:13

釣れた魚をまずくする国産冷蔵庫の愚 (No.507 09/09/28) 

 何度も言う通り小生はグルメではない。しかし、自分が釣ってきた獲物は、なるべくおいしい状態で食べてあげたいと思っている。それが釣られた魚たちへの礼儀であると考えるからだ。だから、現場では釣れた魚は直ちにシメて、血抜きし、氷をたっぷり入れたクーラーの中に納める。いつまでも甲板の上に置いてバタバタさせている人がいるが、これは自ら魚の味を駄目にしているのと同じである。
 そして、家に戻れば魚の鮮度が保てる2日分くらいを残して、あとは冷凍庫にラップでくるんで冷凍保存するようにしている。だが、一般家庭にある冷凍庫はなかなかくせ者である。冷凍すると味が落ちてしまう。とくに日本製の家庭用冷蔵冷凍庫は、わざわざ食べ物をまずくする作りになっていることをご存じだろうか。冷凍にしておけば生ものを新鮮なまま長期間保存出来ると考えるのは大間違いである。家庭用冷凍庫に入れた食べ物は時間が経つにつれて味がどんどん悪くなっていくのだ。いや悪くさせられるのだ。
 遠洋で獲れたマグロのように専門家が最新の技術で超低温急速冷凍にしたものなら数年経ったものでも味にそれほど変化はない。それが家庭用の冷蔵庫で冷凍したものはしばらくすると味が落ちてくる。その原因は冷凍庫の設定温度が高すぎると一般には信じられている。
 しかし、味が落ちるのは冷凍庫に装備されている霜取り機構が大きな原因になっているのである。冷蔵庫のカタログを読むと、最近の冷凍庫は急速冷凍で細胞組織を壊さずおいしさを保つとうたっているが、それは温度が最低に下がったときのことで、いつも低い温度に保たれているわけではない。冷凍庫は、長く使っていると、霜が付いてくる。これを取り除くためにマイナス18℃くらいから0℃前後までの間をときどき変動しているのである。霜が付く頃になると冷凍庫の温度を上げて、庫内に附着した霜を溶かすのだ。当然ながら中に入れられた冷凍食品も0℃まで温度が上昇する。これを数回繰り返すと、凍っていた細胞組織がぐちゃぐちゃに壊される。また、温度上昇で食べ物の表面から水分が蒸発して、いわゆる「冷凍焼け」を起こして味が悪くなるのである。
 最近の国産家電では霜取りの悪影響を少なくする工夫をしたものもあるが、庫内の温度を上げて霜を取る以上効果は薄いと思う。霜取り機能なんてない方がいいのだ。冷凍庫の温度を常時マイナス20度以下に保って温度を上げなければ細胞の破壊はおきにくいのである。だが、残念ながら、現在日本で売られている家庭用冷蔵庫に付属する冷凍庫で霜取りの無い物は販売されていない。アイスクリームなどを入れる冷凍専用庫以外はないのだ。小生の釣友は豪傑ぞろいだから、冷凍専用庫を持っているツワモノが多い。しかし、釣りをやらない一般家庭で普通の冷蔵庫と冷凍専用庫の2台持つことは難しいし、無駄でもある。
 ところが、欧州製冷蔵冷凍庫の中には、冷凍庫の霜取りがついていないスグレ物があるのだ。我が家の冷蔵冷凍庫はスエーデン製のエレクトロラックスを使っている。これには霜取り機能がないから、半年に一度くらい手動で霜取りをしなければならない。そのときは小生の釣り用大型クーラーに、冷凍庫の物を移し替えて、数時間霜を溶かす作業をしなければならない。面倒だが、それでも一年以上経過した魚があまり変わらない味で食べられるから苦にならないのである。
 結婚して明日で35年なる。この間に冷蔵庫も何台も買い直した。しかし、この霜取りのない冷蔵庫を買って以来、もう日本の白物家電に戻る気がしなくなった。ちなみに我が家のエレクトロラックス冷蔵冷凍庫は2台目である。最初のものを12年ほど使って今の新しい物に買い換えた。別に小生はエレクトロラックスの回し者ではない。シンプルで釣った魚をいつまでもおいしく食べられるからこれを選んだのだ。惜しむらくはこの冷蔵冷凍庫、一般の家電店で見ることはほとんどなく、消費者の目にとまらないから、これからも日陰者の道を歩むことだろう。本当にいい物は目につかないのだ。
 でも、とりわけ味にうるさいグルメの方は、一度自分の家の冷蔵庫を見直すことをお勧めする。おいしい食べ物は手間暇かけてこそ味わえるのだから。
d0151247_23422864.jpg
電気店では最新の冷蔵庫にもっともらしいポップを貼り付けて機能を歌っているが、日本の冷蔵庫はもう買う気がしない。本当の意味で消費者のことを考えて作った製品がないのが情けない。
 

[PR]
by weltgeist | 2009-09-28 23:56

新宿の茶懐石料理店・柿傳で会食 (No.506 09/09/27)

 人は生きるためには、常に何かを食べて空腹を補わなければならない。毎日三度の食事をするのは致し方ない。人によっては一日二食、あるいは哲学者カントのように一日一食という人もいるが、ごく常識的な人間である小生の場合、普通は三食、時々二食で空腹を満たしている。
 そうした食事は小生にとっては生きるためのエネルギー補給であるから、基本的には食べられる物なら何でもいい。もちろんおいしいにこしたことはないが、味そのものにはそれほどこだわらない。何を食べてもおいしいと感じる幸福な人だと思っている。
 そんな小生にとって、今日は特別な日であった。毎週日曜日に読書会を開いている仲間と新宿で食事会を開くことになったからだ。外で食事をするといっても、自分一人で行く場合は「生きるために食う」が基本だから、味より安さで、牛丼屋か、近くの中華料理屋でチャーハンや餃子を食べる程度で、あまり高級なお店には縁がない。
 だが、我が読書会のメンバーは小生をのぞけば皆さん、美食家ばかり。「生きるために食べる」のではなく「食べるために生きている」方々だから、当然選んだレストランもそれなりの格式のあるお店である。
 読書会を主催している元大学教授のY先生は、とりわけ味にうるさい超美食家。さらに米国に長年住んでいた経験を生かしたボランティアで英語の同時通訳までやるマダム・パスカルさんと、これまた外国の優雅なクルーズの旅が趣味のチャトラママさん、それに米国某州に別荘を持っていて、今はアメリカ国籍になったRさんなどそうそうたるメンバーとの会食だから、そんじょそこらのファミレスと言うわけにはいかない。小生にはちょっと敷居が高いお店に行った。
 その場所は新宿中央口近くにある茶懐石料理の「柿傳」と言うお店である。今回の会食の場所を選んだのはセレブのRさんである。そうした方々が行く場所にはとんと縁のない小生には初めて聞く名前だが、どうやら有名なお店らしい。中に入ってそのことはすぐに分かった。どのようなお店かは、入り口にあったパンフレットの以下のような言葉から容易に推測できるだろう。その文章をそのまま書くと、次のようになる。

「日本文化の良さを伝える新宿の柿傳」
茶の湯文化とともに、本格的な茶懐石の味をお伝えしようと、東京・新宿に柿傳が誕生して40年になります。店名の「柿傳」の文字は、ノーベル文学賞作家・川端康成氏の直筆です。そして、外観、および店内は、東宮御所・迎賓館日本間・帝国劇場などを手がけられた谷口吉郎博士の設計によるものです。日本の茶室建築の良さをご満悦いただきながらの茶懐石は、十二分にご満足いただけることと存じます。

 と、まあ、こんな風に書いてある。「生きるために食べる」小生にとっては、粗野な野人が突然豪華な王宮に呼ばれたような気持ちになってしまった。ま、はっきりいえば、小生がこんな晴れがましい場所にいるのはちょっと場違いな感じもある。それゆえ、借りてきた猫のように小さくなって、柿傳自慢の茶懐石なるものをいただいたのである。
 その感想は?
 もちろん、うんまーイである。言うことなし、まさに "Speachless" であった。
 こうした味を一度でも知ってしまうと、「生きるために食べる」という考えは、現象学的に言えば少しエポケー(判断停止)すべきではないかと思った。「ウーム、セレブたちはこんなうまい物をいつも食べているのか」と反省することしきりである。「食べるために生きている」人たちの思いがよく分かる一日であった。
d0151247_22243345.jpg
これが最初に出てきた料理。もちろん借りてきた猫的存在であった小生にその名前が分かるはずもない。ただ、抜群においしかったのは間違いない。
d0151247_22251545.jpg
ノーベル文学賞作家・川端康成氏がご贔屓にしていたという「柿傳」の中で記念撮影。実はここにいるわが読書会のメンバーもすごい人ばかりで、いつも小生はタジタジとなってしまっている。
[PR]
by weltgeist | 2009-09-27 22:38

パソコンのリカバリーで苦戦中 (No.505 09/09/26)

 おとといに続いて今日も朝から一歩も外に出ず、不具合続きだったパソコンのリカバリーをやっていた。パソコンは使っていくうちにシステムの中にゴミ(レジストリの滓や断片化したファイルなど)がたまって不具合が生じたり、動作が異常に遅くなったりする。小生のパソコンは、最近IME(日本語変換ソフト)が不安定になり、愛用の日本語変換ソフトであるATOKが、急にMS-IMEに変わったり、キーボードを打っても文字がでないことがしばしば起こるようになった。そこで、少し前からリカバリーの時期を伺っていた。一昨日のハードディスク増設はその前哨戦だったのである。
 ところでカバリーをやったことのある人ならご存じと思うが、この作業は実に忍耐と慎重さが要求されるしんどいものである。少しでもミスするといままで保存してきたデータが一瞬に失われれてしまうからだ。そんなことからリカバリーを避けて騙し騙しパソコンを使ってきたが、もう限界である。あまりに不安定になって我慢できなくなったので今朝からリカバリーを開始したのである。しかし、ほとほといやになってしまった。「何でこんなことをしなければならないのか。コンピュータは人の仕事を助け、楽にするはずのものなのに、これでは人に苦労を与えるだけではないか」と思ってしまうほど面倒なもので、今日は本当に疲れてしまった。
 OSのリカバリそのものは思ったほど難しくもないし、時間もとられなかった。BIOSを削除してから、Cドライブだけフォーマットし、そこにウインドウズをインストールするだけである。以前やったときはやたら再起動ばかりさせられて時間がかかった記憶があったが、意外に簡単にOSまでインストールすることはできた。
 しかし、問題はその後である。今まで使っていたメールや、インターネット・エクスプローラーなどのデータを保存し、新しく入れ替えたものに書き加える作業が面倒くさいのである。ここにきて滅茶苦茶に時間をとられて、それはまだ完全に終わっていない状態である。
 ソフトの入れ直しはあまりに複雑な作業だが、皆さんもいつかは新しいパソコンを買い直したりしたとき、古いメールやアドレスを引き継がねばならない時がくるだろう。そうした時のために、今回小生はどのように書き換えたか、メールのセットアップに関してだけでも紹介するので、参考にしていただきたい。
d0151247_22513324.jpg
 メールソフトを小生はOutlook Express を使っている。これから書くのは、メールのアドレス帳と、いままで送受信してきたメールの全部を保存する方法である。
 まず、送受信してきたメールのバックアップは、Outlook Expressを開いたら、ツール→オプション画面のメンテナンスを開け、「保存ホルダ」をクリックすると、:¥Documents and Settings¥***(ユーザー名)¥Local Settings¥Application Data¥Identities¥{A5C*****-****-****-****-6F********F}¥Microsoft¥Outlook Expressという、馬鹿長いディレクトリが出てくる。この最後のOutlook Expressというフォルダの位置をよく覚えておく。そして、その中に入っている*.dbxというファイル(小生の場合今回は全部で8個あった)をUSBメモリなどにコピーしておく。そして、Outlook Expressが新しく設定できたら、エクスプローラでCドライブに入っているDocuments and Settingsをクリック、続いて出てくる***というユーザー名を開き、Local Settings→Application Data→Identities→{A5C*****-****-****-****-6F********F→¥Microsoft→Outlook Expressまで行き着いたところで、先ほどUSBメモリーにコピーした*.dbxファイルを全部をOutlook Expressのフォルダに上書きすれば完了である。うまく書き込みができていれば、受信トレイ、送信済みアイテムに前のメールが表示されるはずである。
 もう一つのメールアドレスは、旧Outlook Expressを開き、ファイル→エクスポート→アドレス帳(wab)をクリックして、やはりUSBメモリーなどに保存しておき、新しいOutlook Expressが立ち上がったら、ファイル→インポート→アドレス帳をクリックすればドドッとアドレスが新Outlook Expressに登録される。しかし、もしこのやりかたがうまくいかないときは、上のメールをエクスポートしたのと同じようにファイルのディレクトリを¥Documents and Settings¥***(ユーザー名)¥Application Data¥Identities¥Microsoft¥アドレスブック¥***(ユーザー名).wa をコピー&ペーストすればいい。
 とまあ、わずかOutlook Expressの設定だけでもこんなに複雑で面倒なことをしなければならない。このほかにOffice やPhotoshop 、一太郎などもインストールして、前と同じくらいに使えるようカスタマイズしなければならない。今日は、そんなことをずっとやっていて、まだそれは終わっていないのだ。このブログをアップしたらもう少し頑張らねばならないのだ。
[PR]
by weltgeist | 2009-09-26 22:51

八ッ場ダム中止について思うこと (No.504 09/09/25)

 前原国土交通相が八ッ場ダムを視察した。地元のダム推進派は「中止という前提で来る限り話し合いには応じない」として、会うことを拒んだ。複雑だが、政治の主導権を握る者が変わればこうしたことは当然起こりうるだろう。
 民主党が言うように、ダムは要らないという主張は正しいと思う。そう民主党がマニフェストに書いたことを国民が撰んだのだから、「ダムは要らない」は国民の民意だと自分は思っている。八ッ場ダムに直接利害関係のない人の多くは「八ッ場ダム中止」を支持していると思うのだ。中には「ここまで出来たものなら、いっそ完成させた方が安上がり」という人もいるが、これは正しくない。間違っていると判断したものを作り続けるのは誤りをずっと続けることでもある。悪い物と分かったなら中止すべきだ。まだ実際の堰堤まで出来上がっていない以上、引き返すことは可能なのだ。水の流れが失われる前に中止がなされたことは良かったと思っている。陶芸家は焼き上がった作品を見て気に入らなければハンマーで打ち壊すという。完成間近でも駄目と判断したら引き返す勇気も必要なのだ。
 しかし、そう考えるのは利害関係の外にいる人たちであって、当事者は全く違った思いをしていることも理解出来る。地元が怒っているのは、国の方針が180度変わったことだと思う。今まで嫌だと言っていた人を説得して、土地を収奪していったのが、ここにきて間違いだったというのはひどい話だ。我々が問わねばならないのは、そうした間違った政治をしてきた人の責任だ。日本では政策が間違っていたと分かっても、その責任を追及されることがほとんどない。血液製剤によるエイズの感染で罰せられた例があるが、それも単なる厚生省の役人が責任を問われたに過ぎない。
 戦争を起こした戦争犯罪人を裁く国際法廷と似たようなものが我が国にはないのだ。日本人は政治的ミスに対して寛容すぎる。長いものには巻かれろ、と言って長いものの勝手を許してきた。
 地元がいま憤っているのは、こうしたことへの責任の所在と、その後の保証だ。苦しみながらもすでに亡くなった人も沢山いる。そうした人たちの無念もはらしてあげる配慮が必要だろう。単にダムが出来た出来ないの損得勘定では問題は解決できないのだ。
 釣り人の立場から言わせてもらえば、これまでの日本の国土は河川も含めてズタズタに切り裂かれてきた。長野県の田中前知事が「ダムは要らない」と言ったとき、釣り人としては拍手をしたいと思った。今回の民主党の「八ッ場ダムと川辺川ダム中止」は小生も大賛成である。
 ただ、振り回された地元住民の立場を考慮した総合的な治水計画の上での中止であってほしい。それを早い時期に民主党は出してもらいたい。時代が変わる時は産みの苦しみが出る。それをうまく調整していくのが政治家の手腕である。同時に住民は単にダム工事を継続して欲しいと言うだけでなく、もっと広い視野から今後の日本をどう作っていくのかのビジョンで考えて欲しい。もちろん、それはしっかりした保証と、責任追及が明確になされたという条件下でのことであるのは言うまでもない。
d0151247_22582014.jpg
神奈川県相模川にある城山ダム。幸いここではアユ釣りのシーズンには毎秒20トン前後の放水がなされているから、下流のアユ釣り場が全滅したなんてことはない。しかし、一旦大雨で川の水が濁ると、長い間濁りが取れず、釣りが出来なくなる。ダムが無ければ濁りなど数日でとれるのに、ダムの悪影響が長期に続くのである。全国的にはダムが出来て下流の水がチョロチョロになり、川が死んでしまったひどい例が沢山あるのだ。
[PR]
by weltgeist | 2009-09-25 22:59

ハードディスクの増設 (No.504 09/09/24)

 昨日秋葉原で買ってきたハードディスクをPCに取り付ける作業をやったので、今日はその作業報告をしたい。本当は増設のあと、OSのリカバリーまでやる予定だったが、こちらは時間切れのため、前半戦だけの報告である。しかし、例によってPCに興味のない人には面白くも何ともない内容なのでそうした方はスルーして欲しい。
 さて、自分のPCはソニーのバイオRA75というデスクトップだが、シリアルATA500GB(サムソン製で5000円弱)というベアーハードディスクを取り付けるのは意外に手こずった。まずPCのカバーを開けて、ハードディスクを設置するための場所の確保をする。すでに3台のハードディスクが増設してあるから、空いているスペースはフロッピーディスクの場所だけである。フロッピーディスクを取り外し、代わりにベアードライブを差し込んで空きスペースを確保するのだ。ところが、これがなかなか曲者で簡単には取り外せない。バイオはこうした部品が全体的に非常に硬く止めてあって取り出しにくい作りになっているのだ。
 フロッピードライブを外すのに最初は故障を恐れて力を抜いて取りかかったのだが、ビクとも動かない。そこで、意を決して周囲の金具が壊れるくらいの力を入れて引いたところ、バキッという音をたててやっと外れた。次ぎにやるのはデータを転送してくるシリアルケーブルをポートと呼ばれる部分に差し込み、これをハードディスクと繋げなければならない。だが、そのためにはすでに設置してある既存のハードディスクと電源ユニットを外して、指が入るスペースを作らなければならない。しかし、これらの取り外しはフロッピードライブの取り外しよりはるかに難しいことを小生は前に何度も経験して知っているのだ。
 バイオは何でこんなに硬く固定してあるのか、ネジで止めるだけなら簡単にはずせるのに、いつも苦労させられる。そんな苦労を前から何度もやらされていたので、これ以上他の部品を外すことはやりたくない。きっとここでつまづくに決まっているからだ。そこで、今回はこれを外さずに隙間から手を入れて、ポートにケーブルを差し込む手抜きしたやり方を試みてみた。しかし、これが実に難しい。元々部品を外しても隙間が少ないのに、狭いところに指を突っ込むから、余計やりにくいのである。結局、手抜きしても面倒さは同じで、簡単なケーブル一本をポートに刺すだけで30分以上掛かってしまった。
 それでも抜き取ったフロッピードライブベイにハードディスクを差し替え、シリアルケーブルと電源ケーブルを繋ぎ、それを再び元の場所に戻して設置は終わった。あとはその中身を整えるだけである。フォーマットとパーティッションを切れば終わりだが、これがうまくいくかが次の問題である。
 電源を入れたとたんにショートしてPCが壊れたりしたら目も当てられないから、恐る恐る電源を入れた。しかし、新しく設置したハードディスクはウンともスーともいわない。多分これはまだバイオのOSがドライブを認識していないからだろう。
 ハードディスク初期化のセオリーに従って、マイコンピュータを右クリック、管理からさらにディスクの管理へと進み、ディスク3に未使用領域があるのを確認。ここをさらに左クリックして論理ドライブでフォーマットし、パーティッションを切って作業は終了した。あとは再起動して、ドライブが認識できていればもうなんの問題もない。プロパティで調べたらきちんと領域が確保されていたから、今回は大きなトラブルもなく無事に終わったことになる。
 本当はこの後、OSそのもののリカバリーもやる予定だったが、ハードディスクの増設だけでかなりの時間を取られたため、本日はここまででお終いにした。焦ってやってPCが起動しなくなったりすると、毎晩書いているブログの更新も出来なくなる。リカバリーは後日、時間的に余裕が出来た時にやるつもりなので、その時にまた報告したい。
d0151247_2255691.jpg
これがハードディスクの増設作業の途中の状態。右のずっと奥側にある「ポート」にデータを送るシリアルケーブル(水色の編み目状の線)を付けるのだが、この場所がとても狭くてなかなか指が入らずセット出来ない。ポート接続が終わったら、左にあるフロッピードライブベイに新規ハードディスクを差し込み、シリアルケーブルと電源ケーブルをつなぐ。
d0151247_22561971.jpg
これが設置完了した状態。手前の白いフロッピードライブケースに新規ハードディスクが入っていて、ケーブルも全てつないである。上の赤と青のケーブルでつながれた3台が既存のハードディスクである。今回で合計4台のハードディスクが組まれたことになるが、もう空きベイは無いのでこれ以上の増設は難しいだろう。
[PR]
by weltgeist | 2009-09-24 22:56

久しぶりに訪れた大手町 (No.503 09/09/23)

d0151247_23181920.jpg 連休最後の日、大手町のサンケイプラザで開かれた「インセクトフェアー」なるものに行ってきた。蝶やクワガタ、カブトムシなどの標本や捕虫網などの採集用品、昆虫関係の本など、虫に関するものならなんでも売っている日本最大の昆虫展示会だという。
 昨年から蝶の収集を始めたばかりの小生にとっては、こうした場所は格好の標本集めと情報収集の場でもある。見たこともないような蝶が沢山出品されていて、いまはまっている世界のウスバシロチョウ=パルナシウスの実物を見れる絶好の機会でもある。
 展示してある標本を見るだけでなく、実際にその蝶を採ってきた本人から直接生の情報も聞くこともできるから行く価値は十分あるのだ。今回のお目当てにしていたウスバシロチョウの仲間は期待通り沢山あり、小生の好奇心に満ちた目は爛々と輝く。その中で小生が特に気になったのは、インドからヒマラヤにかけて生息するウスバシロチョウを展示していた人だ。
 今年のキルギスでたった1頭しか採れなかったカルトニウスウスバシロチョウのインド産が展示してあり、目はそこに引きつけられる。自分が憧れていたカルトニウスを採ってきその人に声を掛けて色々なことを教えてもらった。そして、最後に分からないことがあればと、名刺をもらったのだが、自宅に帰ったら、それがどこを探してもない。どうやら途中で無くしたらしい。
 折角教えてくれた方には申し訳ないことをしてしまった。こちらも家からメールしますと伝えてある。もちろん、相手は小生の約束など期待していないかもしれない。このまま連絡がなければ適当な口約束をした無責任男と思われて終わることだろう。それが残念で仕方がないのである。
d0151247_23184843.jpg
 こんな大事なものを何処で落としたか、だいたいの見当はついている。大手町から秋葉原が近いことから帰りに電気街に寄った。そこでパソコンのハードディスクを買ったとき、きっと落としたに違いない。蝶だけですませて真っ直ぐ帰ればこんな失敗をせずにすんだのだが、実は小生のPCがかなりヤバイ状態にあり、それを解消するために、秋葉原でPC再構築のための部品を購入してきたのだ。このとき名刺を無くしたと思われる。たまに都心に出たからと、欲張ってあちらこちら歩き回るからこういうことになるのだ。二兎追う者は一兎をも得ずの例え通り、中途半な失敗をしでかしたのである。
 秋葉原で買ったのは500GBのSATAハードディスクである。現在、使っているデスクトップ型PCには3台のSATAハードディスクがすでに装着してあるが、残り一台の空きベイがあり、ここに差し込むためベアーのハードディスクドライブを買ったのである。今夜はもう遅いが、明日は朝からこれを付けて、ハードディスクの容量を1.5TBまで増やす予定である。
 しかし、ハードディスクの換装というのはうまくいくときは簡単だが、案外失敗することもある。とくに購入してすでに4年を経過したオールドXPマシーンだから、最新のハードディスクを認識してくれないかもしれない。明日はその勝負の時である。それに備えて今夜はいささか緊張気味である。もし今の環境が壊れてファイルが読み込めなくなっても困らないように、これからバックアップをとらなければならない。その作業で今夜は寝られそうもないのだ。リタイアして暇そうにみえるオジさんは、失敗ばかりしているくせに結構忙しいのである。
*上の写真はカルトニウスではなく、同じインド産のステノゼムスウスバシロチョウです。カルトニウスの写真は撮れませんでした。
[PR]
by weltgeist | 2009-09-23 23:18

猫の手も借りたい忙しさ (No.502 09/09/22)

 先日、突然の脳梗塞に襲われて左手が動かなくなったことは書いた。幸い、一週間の緊急入院で奇跡的に回復して、左手の機能が戻ってきたから良かったものの、あの時の恐怖感はものすごいものがあった。左手が全く動かなくなった最初の数分間は何が起こったのか自分でも分からないほど混乱していた。なぜ手が動かないのだ、自分は一体どうしたのだとしばらく呆然としたあとで、これが世間で言われる「脳梗塞」だということにようやく気づいたのである。
 突然襲ってきたこの事態に、お先真っ暗になってしまったのはもちろんだが、ここで小生の馬鹿さ加減がまたまた実証されることになる。不謹慎なことだが、左手が動かなくなって最初に心配したのは、「これで釣りが出来なくなる」ということだった。片手が麻痺していれば、ハリを結ぶことも出来ないからだ。まともな人なら仕事に及ぼす影響や、家族の迷惑を真っ先に考えるのだろうが、馬鹿な釣り師である小生は「これで釣りは一生出来ない」と、自己中的なことしか思い浮かばなかったのだ。
 現実に手が動かなくなって、その不便さはすぐさま痛感させられた。片手だけで出来ることは限られている。人間は二本の手をうまく使って物事を成し遂げていることを痛いほど分からされたのだ。普段は意識しなくても両方の手はお互いにうまくコンビネーションをとりながら機能している。その一方が欠けたら、普通にやっていたことの全てが駄目になるのだ。それだけ人間の体はうまく出来ていることを思い知らされたのである。
 ところで、もし人間の手の数が二本ではなくもっと沢山あったらどうだろうか。一本くらい麻痺したところで、他の手が代用してくれるから問題はない。それに忙しいときなど、手が何本もあったら楽である。例えば釣りに行こうとする前日はとても忙しい。そんなとき一本の手でパソコンを操り、他の手で釣りの仕掛けを作る。これなら仕事もはかどるだろう。我々は忙しいとき「猫の手も借りたい」と言うように、手は出来るだけ沢山あった方が楽なのだ。
 小生が大好きな蝶は6本の手(足?)を持っている。千手観音なら千本もある。このくらいあれば何事も楽かもしれない。だが、全部の手が入るシャツを作るのはたいへんだ。シャツを着るときも面倒そうである。腕の一本一本に袖を通してボタンを掛けるだけで日が暮れてしまうだろう。それに千本も手があると、どれかの手が調子悪くなる確率も高くなりそうだ。歳をとってくると肘などに痛みが起こりやすい。こんなに沢山の手があれば肩こりもひどくなりそうな気がする。やはり、人間の手は二本でいい。神様は我々の体をうまく作ってくれているのだと思う。
d0151247_23433255.jpg
日本の仏教にはこのような千手観音が出てくる。写真の石像の手は千本ではない。片手で8本、両方で16本もの手を持っているのが見える。こんな変わった姿を考え出した人は、きっといつも忙しくて、人の手を借りたいと思ってその願望から想像したのではないかと思う。
 

[PR]
by weltgeist | 2009-09-22 23:43

アルブレヒト・デューラーここにあり (No.501 09/09/21)

d0151247_23503673.jpg ミュンヘンにはアルテピナコテークとノイエピナコテークいう二つの美術館がある。とりわけアルテピナコテークにはドイツルネッサンス時代の膨大な古典画コレクションがあり、フィレンツエのウフィッツィ美術館やロンドンのナショナルギャラリーと肩を並べるほどすごい収蔵量を誇っている。
 だが。日本からドイツへ行くツアーの大半は、フランクフルトからロマンティック街道を経てミュンヘンに至るコースを行くにもかかわらず、残念ながらミュンヘンでピナコテークを見学するツアーはあまり多くない。有名なビヤホール「ホーフブロイハウス」や「市庁舎」には行っても、美術館まで回る時間はないから割愛されるのがほとんどである。
 アルテ(古典)とノイエ(近代)の二つの美術館はそれぞれ向かい合うように建っている。このうちのアルテピナコテークには、ドイツルネッサンスの巨匠、アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)の描いた「自画像」(写真下)や「4人の使徒」(写真右)があることで有名である。
 ニュールンベルグの金細工師の息子として生まれたデューラーは、13歳(1484年)ですでに自分の自画像を鉛筆画で描いている。長い髪を女の子の風に下げたその絵は、とても13歳の少年の作とは思えないほど完成していて、ずば抜けた絵の素養を持っていたことをうかがわせる。
 彼の父はハンガリーからニュールンベルグに移り住み、18人もの子供を授かったが成人まで生き延びたのはデューラーを入れて3人だけであったという。三番目の子供として生まれながら結局は長男として生き残ったデューラーは、父親の金細工の仕事を手伝うが、彼の興味は金細工より絵を描くことにあり、父親も渋々彼の望みを叶えてやる。なぜなら彼の絵の才能はずば抜けていたからだ。
d0151247_23511021.jpg

 アルテピナコテークにあるこの有名な自画像は西暦1500年に描かれたものである。1500年という年はキリスト教でいう最後の審判が起こるだろうと恐れられていた恐怖の年であった。デューラーは世界の終末が迫っていると信じられるこの年に、特別な思いでこの絵を描いたと言われている。人々に福音を伝えるイエス・キリストのようなポーズで正面を向いていることから、自分の姿をキリストに模して描いているのだと言われている。そして、向かって右側に白い絵の具で書かれているラテン語は「ニュールンベルグのアルブレヒト・デューラー、私が自らを28歳の年に不滅の色彩でかくのごとき描く」という意味だという。
 いわばデューラーは自信満々に自分の姿をキリストに似せ、「アルブレヒト・デューラーここにあり」と宣言しているのだ。小生、この自画像をアルテピナコテークで実際に見たとき、彼の鋭い目に射抜かれるような錯覚に陥ってしまった。真っ直ぐ正面を向いた彼の目をみると、何か引き込まれるような力があるのだ。カールした長い独特の髪の毛を垂らした彼は、どこか新興宗教の教祖のような雰囲気があって、少し不気味でさえある。自信に満ちた人間はこんな顔をするのかもしれない。
 しかし、デューラーはこの絵を描く前に、もう一枚有名な自画像を描いている。マドリッドのプラド美術館にある1498年に描かれた「26歳の晴れ姿」の自画像である。残念ながらプラドのものは撮影していないので、ここに掲載して比較することはできないが、2年間の間に同じ人物の表情がまるで違って描かれているのである。2年前に描かれたプラドの自画像はもっと落ち着いた、やや幼い表情に描かれている。それまで専念していた「黙示録」の版画集を完成した直後で、画家として独り立ち出来る自信が出来たから穏やかな顔をしているのだろう。それに対してアルテピナコテークにある28歳の自画像は非常に厳しい顔つきである。そしてデューラーはこの絵を最後に、以後油彩による自画像は描いていない。いわば彼にとって最後の、究極の自己表現なのである。

d0151247_23514290.jpg 最近デューラーの「自伝と書簡」という文庫本を読んだ。それによれば彼は生涯で二度イタリアを訪ねている。ベネチアから彼が送った書簡はパトロンであったピルクハイマーとの手紙や、その後描いた「祭壇画」を絵の依頼主に高く売りつけようと画策した手紙などが収録してあり、画集などとは違って、人間デューラーを知る面白い本であった。
 パトロンから頼まれた宝石類の買い物や、絵の依頼主への手紙の中では、お金のことがしばしば出てくる。最後の方ではかなり強引に絵の代金を引き上げようとするデューラーの強欲さが出ていて、何かお金にこだわるデューラーの裏面が生々しく明かされるようで興味深かった。実際、この時代に画家として生き抜いていくことはたいへんなことだったのだろう。彼は有名版画家として名をなし、1512年には皇帝マクシミリアンの宮廷画家にまで登り詰めている。世間的に見ればデューラーは順調な画家生活を送ったと言っていいだろう。しかし、彼自身は優雅なイタリア人画家たちを見てドイツに於ける画家の待遇の低さに不満に感じていたのかもしれない。書簡のなかでもしばしばイタリア人画家の悪口が出てくる。そんな連中よりずっと才能のある自分がこんな不遇な扱いを受けていると嘆く気持ちが手紙のなかに表れているのだ。
 彼は自分の才能の高さを早い時期から自覚していた。その自信に満ちた出発点がこの自画像である。「アルブレヒト・デューラーここにあり」だ。すでに28歳にして彼の突き刺さるような目は己の輝かしい未来を見透かしているのだ。500年前に描かれたこの自画像は彼の確信の確かさを今も伝えているのである。
 
[PR]
by weltgeist | 2009-09-21 23:51