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キルギス、北パミール高原の旅6、Aram Kungei Gorge (No.458 09/07/31)

 今回のキルギス旅行最大の目的はカルトニウスウスバシロチョウという、高山性の蝶を採り、できればその姿を写真に納めたいと思っていたことである。カルトニウスはインド北部、カシミール地方からパミール高原にかけての標高の高い所に生息する蝶だが、その多くはゲリラが出没する政情不安な地域となっていて、簡単に行ける場所ではない。7月8日に到着したアラムクンゲイ( Aram Kungei Gorge ここで言う Gorge ゴージュとは日本の沢登りの人たちが言う、ゴルジュという意味で、両岸が狭まった険しい渓谷のことである)はそうした不安なしに行ける数少ない安全な場所なのだ。
 だが 甘くなかった。我々のキャンプした場所の標高は3350m。向かって右手(南側)にはタジキスタン国境となるトランスアライ山脈の5000mから7000mもある険しい峰々が連なっている。そして、左(北側)は、その高峰から延びてきた岩尾根の末端が高さ500mほどの岩山となって手前の谷に落ちこんでいた。ガイドのパーシャはその岩尾根を指しながら「お前たちが狙うカルトニウスはあの岩山の頂上直下にいる」と言うのである。
 見上げるような岩尾根の頂を見て、自分が日本で持っていた認識がひどく甘かったことに再び気づかされた。蝶が飛んでいる場所の前まで車で連れていってもらい、「はい、ここでどうぞ」という楽勝コースを想像していたのだ。その予測は最初にアポロニウスを採ったカラアルチャのきつい山登りで砕かれた。だが、ここアラムクンゲイはカラアルチャの山登りなど全然問題にならないほど厳しい所だったのだ。山の急峻さ、スケールがまるで違う。酸素が薄い中、息切れさせながらその岩山を登り詰めなければカルトニウスには出会えないのである。
 何の努力もせず、ただ車を降りた付近で待ち受けるだけではお宝は手に出来ない。努力して頂上に行った人だけがチャンスの扉を開けることが出来る厳しい蝶、それがカルトニウスであることを我々は否応なく教えられたのだ。
 岩山は正面から見ると急峻でどこから登っていいのか見当もつかない。パーシャによれば、山の麓を回り込み、裏側に行くと傾斜が少しゆるむ所があり、そこから登って行けるという。登り口付近にはジャックエモンティウスバシロチョウがいて、さらに登って行くとスタウディンゲリウスバシロチョウ、その上にはシモニウスウスバシロチョウやアクティウスウスバシロチョウがいるという。スタウディンゲリとシモニウスは先日、タルディックパスで採ったが、この山にいるものはそれぞれ別な亜種だという。わずか200kmくらいしか離れていないのに、亜種が異なるということは日本的に考えると、ちょっとやりすぎではないかと思うが、キルギスのように禿げ山のほんの狭い地域にそれぞれの種が隔離されるように生息している場所ではこうしたことも起こりうるのかもしれない。

 初日は軽く足慣らしと偵察を兼ねて岩山の下側を少し登って見たが、斜面はとてもきつく、自分が頂上まで登れるか自信は全く持てなかった。もちろんその日蝶の姿もほとんど見ることができなかった。同行のYさん、Tさんはモンキチョウの仲間(コリアス)を少し採ったというが小生はジャックエモンティらしいウスバシロチョウが風に乗って飛んで行くのを目撃しただけで終わってしまった。
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ニコンのデジタルカメラにセットしたGPS(GP-1)のデータをグーグルマップで検索したら、アラムクンゲイの位置が青いピンで示された。最近のカメラはハイテクの塊で、こんな位置情報まで画像データに書き込むことが出来るのだ。ちなみに、この時のGPS位置情報は、北緯39度25分17秒4、東経72度18分45秒4、標高は3356m。場所に興味のある方はグーグルマップで検索してみてください。
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アラムクンゲイから見たトランスアライ山脈。左手のやや影になった山が最高峰のレーニン峰、7134m。白く雪の積もった部分から上が「雪線」で、夏というのに雪が降ったり、解けたりして山の姿が毎日違って見えていた。
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今回究極のターゲットとした幻の蝶、カルトニウスウスバシロチョウは、左手の急なガレを登り詰めた頂上付近にしか生息していないという。しかし、あまりに急な斜面を見て、非力な自分がはたしてここを登れるのか自信が無くなってしまった。
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これがカルトニウスがいるという岩尾根を正面から見たところ。レンズの歪みで斜面が少しゆるめに写っているが、実際ははるかに急斜面になっている。標高差500m。カルトニウスは頂上直下の岩場にいるらしい。
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アラムクンゲイの草原には名前も知らない高山植物が咲いていた。また、草原のあちらこちらには大きな穴があり、静かに観察していると、穴からマーモットが出て来てユーモラスに動き回っていた。
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by weltgeist | 2009-07-31 23:24

ブログ中断のお詫び (No.457 09/07/30)

 毎日更新することを至上命令としていたのに、突然ブログの更新が出来なくなってしまいました。理由は何人かの方が心配してコメントされたように今回の旅行で体が参ってしまったからです。実は先週23日から緊急に入院していて、先ほど退院いたしました。
 入院の経緯についてもいずれこのブログで書くつもりですが、原因の大半はキルギス旅行が想像以上にきつくて体がついて行けなかったことです。自分ではまだ若いつもりでしたが、66歳という年齢によるハンディは誤魔化せませんでした。帰国した直後に体がガタガタになり、入院してようやく健康な状態に戻れました。
 毎日更新を期待してアクセスされた方、とりわけコメントをいただいた方には返事も出来ず沈黙せざるを得なかったこと、たいへん申し訳なく思っています。とりあえず、本日退院して自宅に帰れたことをご報告いたします。
 もう疲れもとれ、体も万全になりましたが、今日一日はゆっくり休みます。そして、明日からキルギス旅行の続きがアップ出来るように頑張ります。
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by weltgeist | 2009-07-30 20:44

キルギス、北パミール高原の旅5、いよいいよパミールへ (No.456 09/07/22)

7月7日
d0151247_23424526.gif 今日は七夕様、織女と牽牛が一年ぶりに出会う日であるが、小生にとっては中学生の頃憧れたパミール高原にいよいよ向かう記念すべき日でもある。タルディックパスのキャンプを出たのは午前9時40分。ビシケクを出て5日目、長かった旅はついに最終目的地である北パミール高原のトランス・アライ山脈に近づくことになるのだ。
 M41号線はずっと下りでサリタッシュの町に向かって降りていく。ここは変則的な十字路になっていて、左へ行くと72㎞で中国との国境、イルケシュタム峠に至るし、真っ直ぐ(実際には少し西に走ってから南に行くのだが)行けばタジキスタンとの国境、キジルアート峠に至る。だが、我々はここから進路をほぼ真西に変えて、猛烈な砂埃が立つ道を中継地であるダロート・コルガンに向かって走る。右はアライ山脈、左はトランス・アライ山脈にはさまれた谷底のような場所で、ときどき小さな集落が出てくるが、全てノンストップで北パミールのアラムクンゲイという場所を目指すのだ。
 だが、こうした集落がある場所を通ることは、物資、食料の補給と共に人間の休息にもチャンスである。我々は7月1日に日本を出て以来、お風呂に一度も入っていない。テントで寝る生活をしていると、そろそろ人間らしい休息のとりかたというものが必要になってくるのではないだろうか。小生がパーシャにその旨を言うと、「OK。それでは今日はアラムクンゲイの麓、ダロート・コルガンの町でホテルに泊まろう」と言ってくれた。地図で見ると、もうタジキスタンに近い町だが、この周辺では一番大きそうだから、きっと立派なホテルもあるだろう。そう期待しながら走ると、昼過ぎにダロート・コルガンに着いた。
 日本で言えば本当に田舎の小さな村程度の規模だが、ここでは大都市の部類に入る。町には人が溢れ、活気がみなぎっていた。だが、ホテルはどこにあるのだろうか。建物には看板らしきものは一切なく、仮にあったとしてもロシア語だから良く分からない。するとパーシャがなにやら人に尋ねて一軒の家に向かった。広い庭を持った小さな白い家である。ここがホテルだという。
 中に入ると8畳ほどの部屋が6~7つあり、ベッドも置いてある。どうやらこれで今日はテントとシュラフのお世話にはならなくてすみそうだ。しかし、風呂はどこにあるのだろうか。それにトイレもない。
 後で分かったのだが、トイレは外の小さな小屋にボッタン式があった。しかし、風呂は見つからない。実はキルギスの田舎では風呂に入るという習慣が希薄なのか、宿には風呂がないのだ。風呂は500mほど離れたところに専用のサウナがあるという。しかし、その前に我々がやらなければならないのは現地通貨、ソムとの換金だ。銀行で両替を頼むと、ユーロや円は駄目。ドルだけで、小生は50ドル交換したら2160ソム、1ドルが43.2ソム(1ドル95円とすると、1ソムは2.2円となる)で現地のお金をもらった。これをもって風呂屋に行くと、一人50ソムだから110円ということになる。
 風呂屋と言っても6畳ほどの部屋に水の出るホースとお湯が沸いたタンクがあるだけで、熱いお湯を水で薄めて体を拭くだけである。だが、これでも我々にはすごいリフレッシュとなった。しかし、一人110円ということは、この国の経済状況を考えれば途方もなく高い値段である。アレクセイが町の家でサウナのシステムを持っている人は少ないと言っていたから、ここで体を洗うにしても、町の人は月に一度、いや数ヶ月に一度くらいしかないのではないかと思える。
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左上、白い小さな家が今夜の宿。写真には写っていないが周囲は花が沢山あり、中身は別として庭の雰囲気はたいへんよろしい。右上、宿の中は意外に広く、小生はこの食堂のテーブルの奥に見えているベッドで寝た。左下。これがお風呂屋さん。左の青いドアーの建物がサウナになっている。右、ダロート・コルガンのメインストリート。今日は市が立つ日だそうで、人々は酒を飲んでいるから気を付けるように、とパーシャから注意された。
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これは昨日掲載出来なかったシモニウスウスバシロチョウ。かなり標高の高いところにいて、採集するのは意外に難しかった。

7月8日
 昨晩は久しぶりにベッドで寝たので睡眠もバッチリとれた。朝、宿代を払うと一人250ソム(約550円)だという。食事は付かないが馬鹿安の料金である。8時40分に出発。ガソリンを補給(よく分からないがリッター50円程度のようだ)してから、泥濁りのキジル川を橋で渡り、支流のアラム川に沿って真南のパミール高原に向かう。このまままっすぐ行けばタジキスタンとの国境を越えることになるが、30分ほど行ったところで軍の監視所があり、ここで我々は国境地区に入る特別許可証の提示を求められる。セルゲイが予めとっておいた許可証を取り出すと、兵隊がパスポートの名前と許可証の名前が違ってないか真剣に点検している。
 このシーンを写真に撮りたい衝動に駆られたが、ここで変にイチャモンを付けられてもまずいから我慢していたら、兵隊とパーシャが車の中でウオッカを飲んでいる。要するに接待である。赤い顔をしたパーシャは「ウオッカを飲ませれば30分、無ければ奴らは半日でも一日でも待たせる」と言う。ウーン、こうしたことはどの国でも万国共通のようだ。
 軍の監視所を過ぎると車はタジキスタンに向かう道から別れた左の方に入って行く。これが最終目的地であるアラムクンゲイへの道なのだろうが、かなりのオフロードになってきた。川を渡渉したり大きなギャップなどを超えながらUAZはどんどん奥に進んで行く。車高が高いから少々のことは物ともしない。そんな道を30分ほど進んだところでパーシャが「ここにはモンキチョウの仲間のいい蝶がいるから2時間ほど採集タイムにしよう」と言った。彼もウオッカを飲んで酔っぱらったし、少し休みたかったのだろう。
 広い草原の奥には二軒の家があり、この付近に花が沢山咲いているから蝶も多いかもしれないと思って近づくと、二人の子供を連れたお母さんが出てきてこっちを見ている。「ズドラストビーチェ(こんにちは)」と挨拶をしたら初めは警戒していたが、最後は「チャイ、チャイ」という。多分お茶でも飲んでいけという意味だろうが、固辞してもう一軒の家の方に向かうと、今度は男の子と女の子の兄弟が出てきた。女の子の方が英語を話すことが出来、ようやくこちらの意志が伝えられる。
 小生が数頭のモンキチョウを取り逃がすと「こっちに貸してみろ」と言って兄(高校生くらい)が小生の捕虫網をもって蝶を採り始めた。彼が蝶採りに熱中しているあいだ、小生は妹に英語で色々質問したり、周囲の写真撮影する時間がもてたから有り難かった。
 12時に車に戻ると、さらに奥地を目指す。しかし、途中から完全に道は無くなり、原野の走行となる。近くには遊牧民が放牧する牛や羊が沢山いるなか、UAZはウンウンとうなり声を立てながら力強く草原を登り、もうこれ以上は車は無理という場所で止まった。
 ついにやってきたのだ、北パミールの秘境、アラムクンゲイに。トーメン製エベレスト高度計を見ると3350mを指していた。一昨日のタルディックパスパスより標高は低いが、我々はいよいよパミールの幻の蝶、カルトニウスウスバシロチョウがいる聖域にやってきたのである。
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パミールに入って最初の蝶採りで、出てきた男の子が小生の網を持って、モンキチョウを捕まえてくれた。右の女の子の顔が捕虫網の柄で隠れて分かりにくいが、彼女は英語を多少話すことが出来、色々興味深いことを教えてくれた。右の写真は、母親と出てきた子どもで、男の子なのか、女の子なのか良く分からないが、小さいながらなかなかいい顔をしていた。
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ここが最初に休憩してモンキチョウを採った場所。捕虫網を持った兄弟は奥の家に住んでいた。キルギスは不思議なところで、右の禿げ山のような所にも蝶がいた。
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しばらくは車が通ったようなワダチが残っていたが、それも無くなると、道無き道を上っていくことになる。羊や牛が草をはむ放牧地の中を構わず行けるところまで車で進む。
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もう道も途絶えた山奥なのに、まだここにも遊牧民のユルタがある。煙突からは煙が出ているが、電化製品など文明の利器を持っているとは思えない。悠久の歴史の中で生き抜く民族なのだろう。
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白く雪を被るパミールの山々。トランス・アライ山脈の一番高い山は7000mを超える。この山の中で人間が足を踏み入れているのはほんのわずかで、ほとんどが未開の地である。
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by weltgeist | 2009-07-22 23:49

キルギス、北パミール高原の旅4、タルディックパス (No.455 09/07/21)

7月5日
d0151247_2340670.gif 本来なら昨日の夕方はパミールの入り口であるタルディックパスに着いているはずだったが、パーシャの判断から一日延ばした。それは標高3600mもあるタルディックパスでは雨が雪になっているかもしれにからだ。おかげでアポロニウスのポイントにもう一泊出来た。今日は朝から快晴で雲一つない青空が拡がっている。それに合わせて、午前中だけもう一度アポロニウスに挑戦し、午後はタルディックパスに移動出来るのだ。
 午前9時半、そろそろ太陽の光で寒がりのアポロニウスも飛び出てくると思い、前の山に出発。見てくれは穏やかそうだが、斜面はひどく急で昨日に続いて足が痛くなる。それまで痛みを我慢していたが、背に腹は替えられない。胃潰瘍で入院したときK先生が処方してくれた痛み止め、カロナールを思い切って飲んだ。すると、不思議なことに足の痛みがスーッと消えていく。こんなに効くならもっと早くから飲んでいれば良かったと思うほどの効きようである。ただ、小生の場合、抗血液凝固剤ワーファリンを常用しているから、痛み止めを飲み過ぎてまた胃に穴を開けるのが怖い。
 足の痛みがとれると急な山歩きもちょっと楽になった。昨日ほど苦労せずに、中腹の斜面を歩いて、12時少し前にテントに戻るとすでにパーシャがテントを撤収し終えて、出発出来る態勢で待っていた。だが、若者であるアレクセイがなかなか戻って来ない。彼が戻ってきたのは1時過ぎでパーシャに怒られていた。

 はるか先と思えたタルディックパスは、意外にもカラアルチャから1時間弱のところにあった。キルギス南部、アライ山脈の低い場所をすり抜けるように造られたM41号線タルディックパスをUAZはローとセカンドギアだけで必死に登っていく。今にも壊れそうなエンジン音を響かせているが、そんなことを物ともせずどんどん高度を稼いで行く。この坂を登りきればいよいよパミール高原の北の端に到達するのだ。
 午後2時過ぎに峠を通過し、しばらく走ってから右にある細い道に入ると、どんずまりのところに遊牧民のユルタが一張りある。その脇にテントを設営。テント場の標高でも3560mもあり、息苦しさとともに寒さも強まった。
 しかし、こんな山奥で電気も水道もなしにユルタで生活する遊牧民たちの生活ぶりが小生には信じられなかった。広さにすれば多分畳み15畳敷きくらいしかないユルタに家族全員が寝起きし、日中は放牧した家畜を追う生活。子供たちの教育はどうなっているのか。テレビなどのいわゆる家電製品はほとんど無いだろう。だが、それでいて彼らが不幸であると断定するのは間違いである。穏やかでゆったりした彼らの態度を見ると、決して人間の幸福が物やお金だけで評価されるのではないことが分かる。ジンギスカンの時代からあまり変わらない生活を今もしている彼らの実生活をもう少し見たかった。だが、ユルタの中まで見せてもらう機会が今回なかったのは残念だった。
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遊牧民たちは羊を追うための犬を飼っている。だが、夏の間は彼らに餌をあげることはないらしい。犬は自分でネズミやウサギ、マーモットなどをとって食べなければならないのだ。遊牧民も犬の餌までやる余裕はないのだろう。パーシャが食事の残飯をあげたらこの犬はずっとテントから離れなくなってしまった。
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左上、これが今日の夕飯。ソバのようなヒエのような見たこともない食べ物の上にロシア風ボルシチがかけてある。上にあるのはナンと呼ばれるキルギスのパン。右、どこへ行ってもキルギス人と日本人は似ている。下、キルギスの草原にはこうしたケシの仲間の花が数多く咲いていた。
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カラアルチャから見たアライ山脈。恐らく標高4500mくらいの山だろうが、こんな景色がどこまで続いて見える。

7月6日
 昨日の午後はテントから見える左手の山を登ったが、ひどい急斜面の割に蝶は何もいなかった。どうもパルナシウスという蝶は日本と違って生息する範囲が非常に狭く、山ならどこでもいるわけではないことが次第に明らかになってきた。正確なポイントを把握して攻めないと成果が上がらないのだ。このため、今日は若いアレクセイに「お前は我々に蝶がいるポイントを正確に教えるまでは一緒に行動し、勝手に先行しないように」と釘を刺して出かけた。
 しかし、30歳そこそこの若者の足に60過ぎの爺さんの足がかなうはずがない。アレクセイは1時間ほどは「遅い連中だな」という顔をして我慢していたが、山の取り付きでポイントが見えるところまで来ると、「この山は石が黒くなったガレのところにスタウディンゲリウスバシロチョウがいるが、頂上近くはシモニウスウスバシロチョウという別種がいてそれぞれ棲み分けしている。だから頑張って頂上まで登れ」と言ってからさっさと上に登って行ってしまった。
 山の斜面は平均傾斜が45度くらいはありそうで、それがはるか先の頂上までずっと続いている。昨日のアポロニウスの山が急だと思ったが、そんなの問題にならないくらい急な登攀である。今日は朝から痛み止めを飲んでいるから足の痛みはない。しかし、連日山歩きをしているので足の疲労が激しく、疲れから足を上に上げられないのだ。その上、低酸素で息が続かない。5mほど登っては休み、また5m登るという方法でジワジワ高度を稼ぎ、2時間ほどでついに頂上に達した。
 同行した二人の仲間は途中でギブアップして登って来ない。心臓病みの小生が3人のうちでは一番弱いと思っていたのに、実際には小生が一番高い所まで登ったことになる。だが、馬鹿と煙は高いところに上がりたがると言われる。実は小生頂上まで登ったのに蝶はほとんど採れなかった。むしろ途中で登ることを断念したY氏、T氏の方が圧倒的に沢山の蝶を採っていたのである。
 この日の夜は冷え込んで本当に寒かった。夜の気温がはマイナス1℃まで下がっている。ありったけの防寒着を着込んでも寒いのだ。その上、息が苦しくて眠ることが出来ず、この夜初めて睡眠薬を飲んだ。体の疲労感は限界近いと思ったが、ここで自分が弱音を吐けば仲間に不安感を与えるので、外では平静を装っていた。たが、シュラフに入ると苦しかったことが連続して頭をよぎり、なぜか涙さえ出てきた。この日は本当につらい一日だった。
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標高3610mのタルディックパスを過ぎた所で3カ所目のテントを設営。我々の車の右手に白く小さく見えているのが遊牧民のユルタ。その後ろ側に見える岩山にスタウディンゲリウスバシロチョウがいると言う。
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こんなガラガラの岩屑が積もった斜面を登っていくと、風に乗ってどこからともなくスタウディンゲリウスバシロチョウが飛んでくる。斜面左上に見える仲間の姿から山のスケールを想像して欲しい。
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キルギスの山はどれも麓から頂上まで同じ傾斜で落ちこんでいる。小生、2時間かけて頂上稜線まで登ったが、なぜか蝶の数は少なかった。
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これがスタウディンゲリウスバシロチョウ。前日のアポロニウスに比べるとずっと小型だが、飛翔速度はこっちの方がずっと速く、見つけてもなかなか採ることが出来ない。
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by weltgeist | 2009-07-21 23:46

キルギス、北パミール高原の旅3、オシュから、カラアルチャ (No.454 09/07/20)

7月3日
d0151247_1214244.gif 昨日超えた3000mの峠を過ぎると、いよいよキルギス中央部の平原地帯に入った。この付近は土地も肥沃なのか、麦、ひまわり、トウモロコシや綿などが植えられた畑が続き、やがてキルギス第二の都市・オシュに着いた。ここで我々はセルゲイが手配したキルギス国内での蝶の採集許可証をお役人からもらうことになっている。
 丁度昼時なので許可証が届くまでの間、町のレストランに入って地元のキルギス料理を食べて待つことにした。メニューはなく、パーシャがなにやら注文するとラフマンと言う肉入りのヌードルに、ナンと呼ばれるキルギス独特の形をしたパンが出てきた。一人55ソム(約140円)と安い。しかし、下の写真のように一見するとうまそうだが、麺が何か生煮えのように固くてそれほど美味しいとも思えなかった。
 食事を済ませても何故か許可証は届かないようで、その間オシュの町にある小さな林のところで捕虫網を出したら、地元の子供が二人やってきて小生の回りをついて歩く。英語は通じないので、こちらは知っているロシア語を連発したら、ゲラゲラ笑っている。発音は悪いが、どうやら意味は通じたらしい。カメラを向けると一丁前にポーズをとってくれた。どうもキルギス人は大人も子供もとても人なつっこく、西欧の国などでしばしば感じる冷たさが全然ない。これはこの国の国民性なのかもしれない。
 2時過ぎにオシュを出ると、さらに2400mの峠をもう一つ越えて、夕方6時半過ぎにカラアルチャという場所に着いた。ここは国道から少し山に入った草原で、右手の木が一本もない山というか、丘のような所にアポロニウスウスバシロチョウがいるという。しかし、もう本日は遅いから蝶は飛ばない。蝶との出会いは明日からである。それにしても、丸二日走ってまだパミールの入り口であるアライ山脈に着かないのだ。目的地はまだまだずっと先のようである。
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左・キルギス第二の大都市・オシュで出会った子供。とても人なつっこくかわいかった。右上・オシュのレストランから見た町並み。遊牧民の家とは違ったしっかりした町で車も多い。下・ラフマンという肉入りヌードルとナン。インドのナンと同じように釜の天上に貼り付けて焼くが、普通のパンに似ている。
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オシュの町で食料などを買い足すパーシャとアレクセイ。店員はご覧の通り、日本人にそっくりな顔をしている。しかし、普通の市民はとてもファミリアなのに、社会主義の影響がまだ残っているのか、物を売っている人は案外ぶすっとして、ありがとうとも言わない。
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オシュを過ぎると道路がダートになり、ときどきこのように道の中を羊や牛が群れで歩いている。


7月4日
 昨晩から降り出した雨は朝まで続いていた。蝶にとって雨は大敵である。翅が濡れるから彼らもこうした日は飛ばないのだ。このため、我々も朝はゆっくり寝ていて、天気待ち。お昼頃にようやく晴れてきたので、向かいに見える高さ500mほどの山に登る。パーシャによればこの山の斜面にアポロニウスウスバシロチョウがいるのだという。もしそれが飛んでいるとなれば、小生にとって夢にまで見た赤い斑紋のあるウスバシロチョウと初めて出会えることになるのだ。
 だが、この山、簡単そうに見えていて、いざ登り出すと意外に急峻で登りにくい。まだ息切れがするほどの標高ではないが、普段の運動不足がたたったのか、少し登ると足が痙攣して動かなくなった。急な斜面で痙攣が収まるまで待っていると、白い蝶がこちらに向かって飛んでくるではないか。夢中でネットを振ると中に赤い斑紋のある大きな蝶が入っている。
 やった。今回のキルギスで赤い斑紋のあるアポロニウスウスバシロチョウが最初の一振りで採れたのである。本来ならこの蝶は今回の予定には入っていなかった。もうシーズンが終わっているはずだったからだ。だが、今年のキルギスは異常に寒くてシーズンが遅れていて、今でも飛んでいるのだとパーシャが言っていた。半信半疑だったが、パーシャの言うとおりだとすると、アポロニウスが採れるのは嬉しいが、それで他の蝶のシーズンが早すぎて採れなくなるかもしれない。痛し痒しの困った事態ともなりうるのだ。
 この日、小生は3頭のアポロニウスを採り、その後はこの蝶の撮影に専念した。
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7月3日から5日までキャンプしたカラアルチャの草原。右手に見える山を登って行くとアポロニウスウスバシロチョウがいるというが、どこにでもいるわけではなく、生息域は想像以上に狭い所に限定されるようだ。情報を持ったガイドに「あの山のこの付近」などと、しっかり教えてもらわないと影も形も見えないことになる。
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これがアポロニウスウスバシロチョウ。ウスバシロチョウの仲間では大型の部類で、遠くからでも飛んでいるのが良く分かる。翅が大きい割には飛翔力は弱いようで、フワフワとゆっくり飛んでくる。
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草原でキャンプをしていると、夕方地元の遊牧民が馬に乗って遊びにきた。日本からの客人など見たこともないのだろう。しきりにロシア語で何か言ってくるが、意味は全然分からない。そのうちパーシャが「馬に乗ってみろ」というので乗せてもらう。地元の人が使うムチを振り上げると、気分は遊牧民そのものである。
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by weltgeist | 2009-07-20 23:48

キルギス、北パミール高原の旅2 キルギス奥地へ (No.453 09/07/19)

7月1日
 日本からキルギス共和国への直行便はなく、入国するにはモスクワ経由か、ウズベキスタンのタシケントを経由して行くか、二つのルートしかない。どちらを選ぶかは航空運賃の値段と、時間のかかり方でそれぞれ一長一短がある。モスクワ経由ならアエロフロート航空、タシケント経由ならウズベキスタン航空となる。飛行機の信頼性から言えばアエロフロートであろう。だが、距離的にはウズベキスタン航空の方が近い。今回は信頼性に多少の不安があったが、値段的にも若干安かった(空港税、サーチャージも含めてビシケク往復118940円)ウズベキスタン航空を選んだ。
 だが、この選択が出発早々から大きなネックとなってしまった。前に書いたように欧州便の荷物制限は預け入れが一人20㎏、手荷物が5㎏である。出発前、荷物を減らして軽量化を図ったが、小生の場合カメラがあるから全然軽くなっていないのだ。トランクだけで21㎏ある。軽くした分はデイパックとカメラバッグにつっこみ、何とか誤魔化そうとしたら、成田で「まずあなたの手荷物から量らせてください。あっ、手荷物だけで12㎏もありますねぇ。それにトランクは21㎏。これだと超過料金をいただかざるを得ないです」と言われてしまった。後で知ったのだが、ウズベキスタン航空は、アエロフロートよりずっと荷物制限が厳しいのだ。
 だからカメラバッグが8㎏もあるのを係員はしっかり見ていたのである。これら全部を含めると33㎏にもなる。それを何とか手荷物に紛れ込ませて誤魔化そうと思ったのが、いきなりこちらの作戦を読まれて困った事態になってしまったのである。だが、ここは日本人のよしみ、何とか粘って負けてもらい、3人で6000円のチャージだけで許してもらった。しかし、行きは相手が日本人だから何とかなったが、帰りは現地人だけにきっと厳しい対応が予想されそうだ。行きは良い良い、帰りは怖いである。

7月2日
 日本を発って8時間ほどでタシケント空港に着いた。現地時間は午前3時半、日本との時差は4時間遅れである。だが、このタシケント空港、成田などと違って何の表示もなければ、アナウンスもない。モスクワのシェレメチェボ空港もひどかったが、そんなの問題にならないくらい不親切である。乗り継ぎでキルギスの首都・ビシケクに行く飛行機の出発時間が迫ってきてもゲートも分からないのだ。不安になっていると、係員がやってきてなにやらロシア語で言っている。良く分からないが「ビシケク」と言う言葉を何となく聞きわけたので、その人たちについて並んで行く。ここではマイクによる放送などなく、口で呼び込むのがアナウンスになっているようだ。どこの空港にもある発着便のスケジュールを示すテレビモニターとか放送がないから、係員の呼び込みを注意していないとボーディングに気付かない可能性があるのだ。
 何はともあれ、ウズベキスタン航空HY-779便に乗れて、1時間半後に無事ビシケクに到着。ビシケク・マナス空港にはそれまで何度もメールでやり取りしていたセルゲイが二人の男を連れて待っていた。ガイド兼運転手のパーシャと助手のアレクセイだ。セルゲイによれば、これからパーシャの車に荷物を積み込み、タジキスタン国境付近までキャンプしながら走って行くと言う。
 通常、外国に到着した場合、その日はとりあえずホテルで一休みして、翌日から行動するのだが、セルゲイはすぐさま出発すると言う。しかも、自分は忙しいから、後は全部ガイドのパーシャに任せてある、心配せずに全て彼の指示に従えば問題はない。彼はキルギスの蝶、とりわけ高山にいるパルナシウスは詳しいから、きっといい蝶にお目にかかれるだろうと言って消えて行った。
 パーシャが乗ってきた車は車高の高い4WDのようだが、見たことのない車である。後で聞いたらUAZ(ウアーズ)というロシア製の車で、排気量は2500CC、マニュアルミッションの相当ポンコツである。
 この日のビシケクは30℃を超える暑さだった。だが、3時間も走ると次第に標高が高くなり、3000mを超える二つの峠を通過する頃には気温もぐっと下がってきた。しかし、標高800mのビシケクから一気に3000m以上の峠に向かって登り始めると、UAZのトランスミッションが「キリキリキリ」と不気味な音を立て始め、いまにもエンジンが止まりそうな様子である。こんな車で1000㎞も先にあるトランスアライ山脈まで行けるのか。また、行けたとして無事に戻って来れるのか、不安なキルギス初日はこうして過ぎて行った。
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今回乗ったロシア製4DW車、UAZ。トリップメーターも壊れた年代物で、いつも変な音を立てて走ったが、意外やダートになると日本の4DWもかなわないほどの力を発揮した。左にいる後ろ向きの若い男が助手のアレクセイ、右の腕組みをしているのがパーシャ。寡黙だが、なかなか信頼おける有能な男だった。英語も意志疎通程度は問題ない。
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首都・ビシケクからタジキスタン国境までM41号線をひたすら走っていくと、やがて雪をいただくアレクサンダー山脈が見えてきた。町の近くの道路は舗装されているが、北パミールに近づくに連れて次第にダートが多くなってくる。
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初日はチューアシューパスと言う峠を越えた後、一旦下って、このアラベルパスという二つ目の峠を越えた。標高は看板にあるとおり3175mあり、酸素が薄いのか車の外に出て歩くと少し息苦しくなってくる。
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ビシケクから多分500㎞ほど走ったところで、最初のキャンプ。小生はキャンプが好きなので何の苦も無かったが、一緒に行った仲間二人はほとんどキャンプの経験がなかったため、テントで寝るのはちょっと抵抗があったようだ。
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by weltgeist | 2009-07-19 23:22

キルギス、北パミール高原の旅1 帰国しました (No.452 09/07/18)

 長かったキルギスの旅から戻ってきました。初めて行く中央アジアは興味深いカルチャーショックの連続。ワクワクする反面、とてもつらいこともありました。全行程はキャンプで過ごすハードなもので、とくに3000mを越える高地でのキャンプは高山病のおそれもあり、空気が薄いため小生のような心臓病持ちには堪(こたえ)ました。少し歩いただけでも息切れがひどく、急峻な斜面をちょっと登っては息を整えるというスタイルでしか高所の山は歩けませんでした。そのため帰国した今も体は疲労困憊といった状態で、今日は何もやる気が起こりません。明日になれば多少体力も回復すると思います。本日はひたすら寝て疲れをとることに専念して明日からキルギスの旅を書きます。
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キルギスの首都・ビシケクから南西に300㎞ほど行ったところにある最初の峠、チューアシューパスから見たキルギスの山。カメラにセットしたGPSの高度は3090mを表示していた。
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首都・ビシケクから南に1000㎞弱行ったところにあるタルディックパス周辺の山並み。この峠を越えるといよいよパミール高原北部に入ることになる。この峠までビシケクから車で2日間を要した。こんな高い場所にも遊牧民のユルタ(ゲル)があり、牛や羊を放牧して生活していた。撮影地点の標高は3698m。
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日本から蝶を採りに来たと言ったら、地元の子供が草のなかにいたテンシャンウスバシロチョウを見つけ出してくれた。キルギス人は日本人とそっくりの顔立ちをしていて、とてもファミリアで人なつっこい。隣の新疆ウイグル自治区やアフガニスタンは政情が不安だが、今のキルギスは安心して歩ける国である。
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これが今回の旅の目的だったパルナシウスと呼ばれるウスバシロチョウの仲間、テンシャンウスバシロチョウ。清楚な白い翅に鮮烈な赤紋が印象的だった。

明日に続く。
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by weltgeist | 2009-07-18 16:33

パミール高原へ行ってきます (No.451 09/07/01)

 いよいよ今日、パミールに向けて出発する。思えば今年の2月から現地のガイドと日程や人員、値段の交渉などを続けてようやく実現した今回の旅は、恐らく小生にとってはたいへん思い出深いものとなることだろう。標高が3000mを超える高地で、険しい山を登って行かなければならない。心臓病という爆弾を抱えた小生がそんな厳しい場所を無事に行って来れるのか、不安はある。だが、長年憧れていたカルトニウスウスバシロチョウと出会えるなら、そうしたことも何とか乗り越えられるのではないかと思っている。無事に帰国できることを心に念じながら、行ってきます。
 帰国は7月17日です。カルトニウスとうまく遭遇出来るか分かりませんが、このブログはとりあえず
18日まで休筆させてください。
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カルトニウスウスバシロチョウ、Parnassius charltonius、Photo S.トロポフ。インド西部のカシミール地方からパミール高原までの険しい高山帯にしか生息しないこの蝶が今回のメインターゲットである。
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by weltgeist | 2009-07-01 08:40