「ほっ」と。キャンペーン

<   2009年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧

ユーロ購入のタイミング (No.450 09/06/30)

 外国を旅行する場合にまず必要なのが、相手国のお金、通貨だ。アメリカならドル、欧州はユーロ、イギリスはポンドと円を交換しなければならない。交換する場所は銀行が一般的であるが、外国人が多い所では両替屋さんもある。しかし、日本では銀行が多いから両替屋は割に合わないのか、ほとんど見かけない。
 外国通貨と交換する時、我々はドルなりユーロを「買う」と言う。すなわち通貨も商品なのだ。従って、商品には値段がある。経済学の原理から言えば、商品はその価値と等価の金額で交換されるはずだが、ここに手数料、つまり儲けが加算されるから、実際にはその価値にプラスアルファが入った値段で買わなければならない。
 問題は、この手数料をどのくらいとるかだ。外国のホテルなどで両替するとレート率が悪いのは、この手数料が高いからだ。相手だって商売だから、自分の儲け無しで売ることなどしない。慈善事業ではないのだ。
 そして、この通貨を購入する時期というのが難しい。交換レートは日々変わるのである。今日の外国為替市場のドル相場は、1ドルが97円01銭、などと言われるが、翌日も同じとは限らない。95円になっている、つまり円高になることもあれば、100円の円安になることもあるわけだ。通貨を買うという立場からすれば、円高だとより少ない金額で相手国の通貨が買えることになる。97.01円で100ドル買った場合、9701円必要だが、95円なら9500円になる。これが金額が大きくなるほどその差は大きくなる。だから、買いのタイミングをいつにするかはとても重要なのである。しかし、その判断は専門家でも迷うほど難しいことなのだ。
 今年の2月頃は、ユーロ相場が1ユーロ113円と円高、ユーロ安だった。それで安く行ける(今回の現地での支払いは全てユーロ)と思い、キルギス行きを計画したのだが、今日の相場は139.53円と円安になっている。仮に今日の相場で2000ユーロ買った場合、5万円も多くお金を払わなければならないのだ。今思うと、あの時買っておけば良かったと思うが、実際にあの時はユーロのレートがどんどん下がっていて、もっと安くなると思えたので買わなかった。いや、買えなかったというのが正確なところだろう。
 相場というものは分からない。下がると思っていたら、これを谷に上昇を始め、今の値段になった。そして、この値段とて明日はどうなるか分からない。安くも高くもなる可能性があるとしか言えないから、素人がいいタイミングで買うことはとても難しいのだ。
 世の中にはこうした為替変動を狙ったFX(、Foreign eXchange、外国為替証拠金取引)をやっている人もいる。以前、テレビで紹介していた普通の主婦が3億円も稼いだというすごい話もあるほど、変動幅が大きい投機である。
 しかし、小生はこうした投機のような真似は好きではない。だから、為替差益で稼ごうなどとは思わないが、それでも損はしたくない。それを避けるために、外国通貨を買う時は、何度かに分けて買っている。株で言うナンピン買いである。例えば全部で2000ユーロ必要としているときでも、1ユーロ115円の時点で1000ユーロだけ買い、出発直前に残りの1000ユーロをその時のレートで買うという風に分散させるのだ。今日が139円、ま、大雑把に言って140円とすれば、2000ユーロは115円と140円の丁度中間、127.5円で買ったことになる。115円の時に全部買っていれば140円で買わなくてすむ。しかし、140円の時全額購入すれば115円の時と比べて5万円損をする。これが127.5円なら、損も儲けもないというどっちにもとれる値段で買えたことになるのである。
 海外へ行く場合、どの銀行でいつ買うかも問題となる。我々素人はテレビのニュースで為替レートを知ることが出来るが、ドル以外の通貨は言わない。それを細かく知るのはネットがいい。小生がウオッチしているのは、東京三菱UFJ銀行の相場だ。
 この表で、CASH S.というのが我々が買うときの値段、CASH B.というのが売るときの値段である。普通の観光客では売るほどドルを持っていることはまれなので、CASH S.の値段だけを見ておけばいいだろう。この値段は東京三菱UFJ銀行ならどこも変わらない(多分? )と思うからこれを参考にすればいい。それで買う場所も地元の銀行がいい、いや、成田の方が有利だと色々言われるが、上記の相場はどの東京三菱UFJ銀行でも同じだから、場所的にはどこで買っても同じであると言える。ただし、銀行間ではレートの違いがあるから、三菱と他の銀行、地方の小さな信用金庫では値段が違うことはあり得る。上記相場を確認して自分が利用する銀行との差を調べれば失敗は少なくてすむだろう。 
 なお、平日の朝刊に毎日載る外国為替の相場は、T.T.S.(Telegraphic Transfer Selling rate、対顧客電信売り)と言って、外国に送金するときなどのレートで、トラベラーズチェックはこの値段になる。キャッシュを用意する必要がないので、ユーロの場合で2円ほど安くなっているのが普通である。ただし、実際に現地で使うにはキャッシュほどの融通性はなく、相手から受け取りを拒否されたり、手数料を取られることがあるから、実勢レートではそれほどの差は出ないことが多い。ただ、紛失、盗難が心配なときはトラベラーズチェックは安全である。
d0151247_22455025.jpg
Quentin Massys / The Moneylender and his Wife 両替商とその妻 / 1514年 / ルーブル美術館、パリ。
クェンティン・マセイスはネーデルランド(今のオランダ、ベルギー周辺)で16世紀に活躍した北方ルネッサンスの画家である。彼の代表作とされる有名なこの絵は別名、「金貸し夫婦」とも言われているが、落ち着いた人物の表情を見ると、がめつい金貸しというより、両替を本業としていたお金持ちの人物と思われる。こんな早い時期から通貨交換で差益を得ていた商売が発展していたのだ。

[PR]
by weltgeist | 2009-06-30 22:46

航空預け入れ荷物の重量制限 (No.449 09/06/29)

 いよいよパミール高原へ行く日が近づいて来た。不精者の小生も、ようやく重い腰を上げて、パッキングを始めたが、ここで引っかかるのが荷物の重量制限だ。国際線の預け入れ荷物は、欧州便では20㎏、米国便では1個が23㎏以内の物が一人2個までとなっている。米国では個数が重要で、2個以内なら問題はない。23㎏、すなわち50ポンドまでの物が二つ預けられるから、総合計で46㎏までOKである。だが、欧州便は総重量が20㎏以内である。20㎏以内なら何個預けても構わないが、これを超えると、とても高額なオーバーチャージ代金を取られる恐れがあるのだ。
 普通の短期観光旅行なら20㎏以内に重量を抑えることはできるだろう。しかし、17日間もの間4000mの高地でキャンプとなると、必然的に荷物が増えてくる。仮詰めした荷物を本日量ったら26㎏にもなっていた。制限以内に収めるには6㎏荷物を削っていかなければならない。しかし、それにも限度はある。シュラフや防寒着は外せないし、蝶を捕獲する捕虫網などの採集用具も同様である。
 そうなると槍玉に上がってくるのが、着替え、下着などの衣服類だ。17日間もいればいつも同じ服、同じ下着でいることは出来ない。雨で濡れてしまうこともあるだろう。替えのズボンやシャツは何枚か欲しい。しかし、今のままではシャツやズボンも一着だけでずっと着通すしかなさそうだ。恐らくひどいバッチイ状態になるが、高山の山奥では誰も見ている人もいない。下着も同様である。表が汚れたら裏返せば、一着で二度使える。「一粒で二度美味しいグリコ ・バッチイ作戦」(こんな言葉、今の若い人は絶対知らないだろうけど・・)で荷物の減量を目指すしか手がなさそうである。
 それでもあぶれた物は、機内持ち込み手荷物にまぎれ込ませて何とか誤魔化そうと思っている。この方法でたいていはOKなのだが、欧州系航空会社ではときどき妙に意地悪して、手荷物まで量ることがある。特に旧共産圏の国々は陰険な人がいるから要注意だ。
 以前、カムチャツカに行った時、「お前が手に持っている荷物もハカリの上に置け」と嫌なことを言われた。この時は日本人ガイドのW氏がカウンターに設置されているハカリの端に足をかけて、荷物の重量が軽くなるようにして難を逃れた。カウンターの前で変な格好をしているから、何をしているのかと思ったら、足先でハカリを上に持ち上げていたのである。
 また、アラスカのアンカレッジ空港でチェックインしたとき、1個の荷物が25㎏ほどになったことがある。この時はカウンターのグランドホステスが「トランクから2㎏くらい荷物を出して、手持ちのデイパックに移せ」と言われた。預け入れ荷物は23㎏になったが、手荷物の重さが増えただけで、飛行機に乗せる総重量は変わらないから意味はないだろうと思っていたら、これは積荷を扱う労働者が重すぎる荷物でぎっくり腰にならないための配慮でもあるという。
 普通は少々の重量超過など負けてくれるものである。日本人にはそうしたあうんの呼吸みたいなものがあって、成田のチェックインカウンターでは10%くらいの超過は何も言われない。しかし、帰りは肌の色から話す言葉まで違う人たちである。彼らにそうした「おまけ」の精神があるのかどうかは、運を天に任せるしかない。鷹揚で、人間味のある人に当たれば文句も言われず楽しく帰国出来るが、「駄目だ。超過料金を払え」と言い張る人に当る可能性もある。今はそうした人に当たらないよう祈るしかない。
d0151247_0022100.jpg
成田のチェックインカウンターは、少々重量制限を超えても大目にみてくれる。しかし、行きは良い良い、帰りは怖いで、帰国するときおまけしてくれるかどうかはわからないのだ。荷物は出来るだけ軽くしていくのが安全である。
[PR]
by weltgeist | 2009-06-29 23:57

ものすごい人たちが我が家に集結した (No.448 09/06/28)

 リタイアして以来、人と接触する機会が少なくなっている小生は、ときどき外出して、色々な人から刺激をもらうようにしている。終日家に引きこもっていると、妻以外の人と顔を合わせることもない。引きこもりも数日程度なら問題ないが、ずっと続くようだと社会的な感覚がずれてくるだろう。ときどき外に出て人と接触することは精神衛生上も絶対必要なことであると思っているのだ。
 毎日曜日に開かれるY先生の読書会は、そうした意味では小生にとっては無くてはならない社会との少ない接点である。この会に出るから、まだ社会性を喪失せずに踏ん張っていられるのだと自分は思っている。それは講師のY先生の指導力が大いに役だっているからでもある。80歳を超える高齢にもかかわらず、精力的に我々をリードしてくれるY先生の能力の高さと人柄に皆が集まってくるのだ。
 人が歳をとることは悪いことではない。人生を徹底的に歩み尽くしたY先生の言葉は非常に蘊蓄があり、先生の読書会は参加していてもとても楽しい。その読書会のメンバーが本日我が家にやって来た。と言っても今日は難しい読書会ではない。先月胃潰瘍で入院していた小生のところにお見舞いに来て力づけてくれたお礼として、我が家にご招待して小生の快気を共に祝っていただいたのだ。
d0151247_2346522.jpg
 写真の中にY先生も写っているが、ここではプライバシーの問題もあるから、どなたと指摘するのは止めておく。また、Y先生以外の方々も皆すごい能力のある人ばかりで、そんな中に入ると小生も気後れする。皆さん、どうすごいかというと、まず全員が英語ペラペラの国際人であることだ。英語を上手になりたいと思っている小生にとってはうらやましい人たちばかりなのだ。ジャパニーズイングリッシュを抜け出せない小生と妻は彼らの英語力にタジタジである。
 その上、この中にいる二人のマダムはさらにすごい。一人はマダム・パスカルさん。アメリカでの生活が長く、もちろん英語はペラペラ。ものすごい英語を話す。アメリカでの生活から映画、音楽など幅広い話題を上手な文章で書いている彼女のブログは、ほぼ毎日更新され、読むのが楽しみになっている。そして、彼女がすごいのはその行動力だ。恐らく仕事は相当忙しいと思うのだが、それを楽しみながらこなしているように見える。彼女のブログ是非ご覧になっていただきたいと思う。
 もう一人、チャトラ・ママの茶飲み話を書いているチャトラ・ママさんは、本人が「私肺ガンなんです。毎日制ガン剤を飲んで生きてます」というようなすごいことを、さらりと言ってのける。もし小生が「お前は肺ガンだ」などと宣告されたら、気がおかしくなってしまうと思うのだが、このママはそれをものともせず、明るい「バイト国家公務員生活」をブログにつづっている。文章のタッチも小生には書けない独特の面白さがある。
 そして、もう一人、Rさん。本日は少し遅れて我が家にやって来た。そのワケは、TOEICの英語検定テストを受けて来たからなのだと言う。実は彼女の旦那さんはアメリカ人で、彼女もアメリカ生活が長く、英語はペラペラ。TOEICの試験など受ける必要もないのだが、どうやら自分の実力を試そうと思って受けたらしい。TOEICの成績は最近の日本ではかなり重要視されるようになってきたから、受験生は必死になっていい成績を取ろうと頑張るのに、こんな余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の人が一緒に受験しているのである。小生が思うに、今日の成績は軽く満点を取ったのではないかと思う。
 そんなすごい人ばかりが今日我が家にやってきたのである。だが、言ったように上の写真で誰がどの人という指摘はしない。見る方が推測していただきたい。とにかくすごい人ばかりで、小生も久々に大きな刺激を受けた日曜日であった。こんな人たちと毎週日曜日、読書会が出来る小生は幸せである。
[PR]
by weltgeist | 2009-06-28 23:47

山梨県塩川のアユ釣りでツ抜け (No.447 09/06/27)

 明日、我が家に9名のお客さんが来ることになっている。飲み物や料理は妻が準備しているから、小生が口を出すべきことではないのだが、折角釣り師の家に来るのだから、小生が釣ってきた新鮮な魚を食べさせてあげたいと思っている。しかし、9名となると大型のブリとかマダイならともかく、小さな川魚だと、最低でも一人1尾は確保しないと様にならない。自分は天然のアユを釣ってきて食べさせるつもりだったが、アユだと1尾でも物足りないくらいである。ところが、今年のアユは全般に不調で、ツ抜けも厳しい状況が続いている。そんな時にアユ釣りをしても討ち死にするだけではないか、と思い悩んでいたのである。
 ツ抜けというのは、釣り師独特の言い回しで、10尾以上の数が釣れた時使う言葉である。魚の尾数を数えるとき、我々は一つ、二つ、三つ、四つとツを付けて数えていく。しかし、九つの次ぎ十にはツがつかない。このことから、釣り人は10尾以上釣れたことを「ツ抜け、ツが抜けた」というのだ。
d0151247_2381946.jpg
 さて、アユ釣りが大好きな小生としてはお客さんには、海の魚より天然アユを食べて欲しいと思っている。魚屋で売られるアユはまず養殖魚だから、一般の人が天然アユを食べる機会はとても少ないからだ。そのいい機会だと思ったのである。
 だが、人数が9名と聞き、小生、少し自信がなくなってしまった。普段ならアユでツ抜けするくらいは簡単である。ところが、今年はどこも不調で全然釣れていないのだ。無理して行っても5~6尾では話にならない。安全策として、海のアジ釣りなども考えた。しかし、アジなら魚屋さんで買うことが出来る。そんな魚を何も小生が釣ってこなくたっていいのではないかと思うのだ。
 そうして散々迷ったあげく、最後はやはりアユに挑戦してみようと決めた。もし全員に行き渡らない数、すなわちツ抜け出来なかったら、「ごめんなさい。小生の腕が未熟でした」と謝ればいいだろう。それに、今回は妻のレシピでやるので、小生のアユはあっても無くてもあまり大勢に影響しないエキストラでしかないのだ。気楽に行って駄目なら勘弁してもらおうという気持ちで、山梨県塩川のアユ釣りに今朝出かけたのである。
 塩川というのは中央道韮崎インターを降りてすぐの川で、八ヶ岳と秩父山塊を水源とする釜無川の支流である。4時半に家を出て、現地に着いたのは午前6時半。高速に近いというのは有り難い。すぐさまオトリと入漁券を買って、オトリ屋さんに教えてもらった鷹巣橋の付近に入った。
d0151247_2391100.jpg 川のコンディションはあまりいいとは言えず、連日の雨で少し濁りが入っている。だが、それでもボチボチ釣れて、午後3時までに小生は18尾のアユを釣り上げた。まさに9人の来客でも一人2尾はOKというピッタリの釣果で上がることが出来たのである。
 実は現場で数えた時は20尾と思ったのだが、家に帰ってもう一度数え直したら18尾しかいない。左の写真は全部で20尾いるが、2尾は養殖のオトリアユ(左の白っぽいアユ。色からして天然とは全然違う)だから、釣った物ではない。まさに、今日の釣果が9名用ダブルスコアで打ち止め出来たのは奇遇と言えよう。

 あっ、それとNo.445で言っていた。例の千円の防水時計は、今日のところは水の侵入はありませんでした。もっとも、5気圧どころか、0.5気圧も沈めていないから、まだこれがOKであるとは判断出来ないのですが・・・。
[PR]
by weltgeist | 2009-06-27 23:09

アオスジアゲハ (No.446 09/06/26)

 中学生から高校生にかけて小生は蝶を追いかけるのに夢中で、他のことにはあまり目を向けない、かなりオタクな少年だった。同級生たちは好きな女の子に熱を上げていたが、小生はなぜか女性より蝶の方がずっと魅力的で、好きになった女の子はいなかった記憶がある。今思うと少し変な人間、いや、たいへん変な人間だったと言えよう。
 いつから自分がこれほど蝶が好きになったのか、そのきっかけについて確かな記憶がない。ただ、近くに住む一級上の中学の先輩から蝶の標本を見せられたのが、多分最初の蝶との出会いではなかったかと思っている。上級生は自慢そうに展翅した蝶の標本を見せてくれ、小生が羨ましそうな顔をすると、ときどきは近くの公園に採集に連れていってくれた。
 彼が持っている捕虫網は、子供がトンボなどを採るのに使うオモチャのような網ではない。大人が使う本格的な捕虫網を持っていて、それを巧みに操作して色々な蝶を採っていた。その先輩の影響で次第に蝶を集めるようになったのがきっかけである。
 頭がボケているので、彼の名前をはっきり思い出せないでいる。多分、M村君と思うのだが、彼の家は都内でも珍しいほど大きく、庭には楠(くすのき)の大木があったのは覚えている。この木に黒い翅に緑色の筋が入ったアオスジアゲハがやってくるのだが、いつも楠のこずえ近くを飛んでいて、下には降りてこない。
 先輩は自分の家の庭木だから、捕まえるチャンスもあったのだろう。彼の標本箱には見事なアオスジアゲハが入っていた。子供心にそれが羨ましく、小生は何度も楠の下で、アオスジアゲハが網の届く範囲まで降りてくるのを待っていたものである。しかし、彼は地上から10m以上高い場所を飛んでいて、網を構える小生のところまではなかなか飛んできてくれない。だから、捕獲したという記憶も残っていないのである。
d0151247_22425276.jpg
 アオスジアゲハは近い仲間のミカドアゲハと並んで南方系の蝶で、昔は東京付近でもそれほど数は多くはなかったと記憶している。それが、地球の温暖化で南方系の蝶が北へ進出するに連れて、東京でも普通に見られる蝶になっていったようだ。数日前に近くの公園に行ったら、アオスジアゲハが土に溜まった水を飲みに地上に降りてきていた。
 子供の頃、楠のこずえを見てため息をついていたのが嘘みたいに近くで吸水しているではないか。図鑑で調べたら、このように地面まで降りてきて吸水するのはオスだけの行動で、メスは地面までやっては来ないらしい。あの頃、そうした習性を知っていたら、楠の下で終日アオスジアゲハが降りてくるのを待つといった愚を避け、オスが降りてくる湿った場所で待ちかまえたことだろう。楠はアオスジアゲハの食草で、産卵のためにやってくるメスしか飛んで来なかったからだ。そんな懐かしいことを思い出しつつ彼らが夢中になって吸水しているところにカメラを向けて見た。
 50年ぶりに再開した蝶の収集。いまは自然保護だ、環境保全だと、うるさいことが言われ、自由に捕虫網を振ることも難しくなっている。だが、それに代わって、この頃はカメラで、蝶の撮影をする人が増えているという。特に最近のカメラは性能がいいから飛んでいる蝶を撮影するなんてことまで出来るようになった。昔のモノクロフィルムカメラでは考えられなかったことが、デジタルカメラで簡単にできてしまうのだ。
 小生も吸水している蝶が飛び上がるのを待って、秒8コマの連写で飛翔シーンを撮影したのが下の写真である。相変わらず下手で、ピントが来ていない物ばかりの愚作の山をせっせと築いている。だが、小生、蝶に関してはまだ駆け出しの素人だ。焦ることはない。時間はまだたっぷりあるのだ。こうした愚作を連発している間に、きっと自分でも納得がいくカットが撮れてくるのではないかと、やや楽観的に考えている。
 人生は短いようで長い。また長いようで短い。しかし、一生懸命一つのことに打ち込めばいつか道は開けてくると信じている。当ブログを見ている方々にはそれまでもう少し愚作で辛抱して頂きたいと思っている。
d0151247_22433693.jpg

[PR]
by weltgeist | 2009-06-26 22:44

格安腕時計 (No.445 09/06/25)

 欧州の高級ホテルではお客の質を、身につけている時計で判断すると聞いたことがある。どんなに立派な格好をしていても、安物の時計をはめていれば、「こいつはたいしたことない」と思われるらしい。民主主義国家と言われながら、意外に階級意識の強い欧州では、お客が上流階級の人間なのか、しがない小市民なのかを瞬時に見抜く指標が時計なのである。時計なんぞ、小さいから見えやしないと高をくくっていても、ホテルマンたちは素早く盗み見している。馬鹿にされたくなかったら高級な時計をしていくか、それとも腕は隠して見られないようにするのがいいだろう。「イエス・サー」なんて、サー呼ばわりされていい気になっていても、しっかり見抜かれて腹の中では笑われていることがあるのだ。
 時計といっても中には信じられないほど高額な物があるらしい。高い時計は1個数千万円もするというから、こうなると宝石と同じである。そんな高い時計をはめた上客を見慣れている欧州の高級ホテルでは、ホテルマンが時計で客の品定めをするのは分からないでもない。
 時計と並んで靴も同じように見られる。ロンドンにある有名な靴屋、ジョン・ロブの物などをさりげなく履いていると、ホテルでの対応も変わってくる可能性があるのだそうだ。だが、もちろん小生はそうしたこととは無縁である。安物の時計しかしないから、ホテルでもそれなりの人物に見られていることだろう。汚いジーパン姿のアジア人など、彼らの眼中にないから、かえってこちらも気が楽である。
d0151247_23185566.jpg
 ところで、最近、携帯電話のバッテリーが駄目になりそうな話題に続いて、ストロボの電池切れが起こった。2度あることは3度あると思っていたら、今度は腕時計の電池が切れて止まってしまった。それも釣り専用に使っている防水の腕時計である。しかし、防水時計の電池交換は、通常のお店で頼むとパッキンが時計を開けたことで駄目になり、防水機能が落ちてしまう。あくまで防水機能にこだわるなら、製造元に送って、新しいパッキンから取り替えないと、水に浸かるような使い方は出来なくなってしまうのだ。これを知らないで小生は何個も時計を駄目にしている。
 だが、今回の電池切れでは困ったことがある。実は、明後日アユ釣りに行く予定をしているのだが、その時使う時計がないのだ。アユ釣りでは時計を水に濡らすのは当たり前で、防水でない時計はすぐに駄目になってしまう。しかし、電池切れした釣り専用時計を製造元まで送って電池交換する時間はないのだ。
 パッキンが駄目になってもいいから近くの時計屋で電池交換すべきかどうか迷っていたら、1個千円という馬鹿安の腕時計を見つけた。電池交換の手数料より安い時計で、しかも5気圧防水だという。あまりに安いので少々怪しいが、これを購入した(写真上)。
 さて、この千円の時計、本当のところはどうなのか、家に帰ってじっくり見たら、想像通り、製造国は中国となっていた。しかし、驚くのは千円という格安なのに写真のようなそこそこの出来映えであることだ。一年ほど前にバンドが切れて買い換えたら、3000円くらいした。それが、立派なバンドが付き、デザインだって普通に使っていてみっともないほどの物ではない。
 こんな値段で時計が出来てしまうことが驚きなのだ。中国は恐るべき国だと言わざるを得ない。ただし、実際に5気圧の水圧に耐える防水機能があるかは分からない。この国の製品は油断するとフェイク(偽物)を掴まされることがあるからだ。5気圧防水は本当なのか、それとも嘘っぱちなのか、明後日に、アユ釣りで試して見るつもりである。仮に嘘で水が侵入したとしても、千円なら惜しくないし、もしOKなら儲け物である。どんな結果になるか、玉手箱を開けるような楽しみの気分でいる。

 *後日、上の写真を見た方から「あれはGショックのフェイクだ」と教えてもらった。どうりで格好いいわけだ。これが千円で出来るはずがないと思っていた。デザイン盗用となると、5気圧防水も怪しい。(6月30日追記)
[PR]
by weltgeist | 2009-06-25 23:19

雨上がりの森にて (No.444 09/06/24)

 昔、まだ写真を勉強していた駆け出しの頃、写真を教えてくれていたW先生から写真は天気の変わり目を狙えと教えてもらったことがある。完全な晴れでも駄目、曇りでも駄目だ。曇りから晴天に、あるいは晴れから曇りへ変化する光の微妙な状態を逃がすなと言われた。
 小生より5歳ほど歳上だった先輩で山の写真ばかり撮っていて、後に山岳写真家になったKさんは、先生の教えを忠実に守り、撮影に行くときは悪天候時を撰んでいた。台風が近づいて、山は大荒れが予報されるのも気にせず、重たい大型カメラや三脚、そして膨大な量のフィルムを持って出発して行った。何でこんな時にと思うのだが、彼に言わせれば、悪天候の時山を登れば、丁度ベストポジションに着く頃天候が変わって一番いいのだという。天候が回復してから登ったのでは間に合わないのだ。
 写真は晴れた順光の中で撮るのがセオリーとされる。光が細部まで回ってバッチリ写ってくれるからだ。だが、それはきれいに撮れてはいても、それ以上のものではない。対象がきっちりと写っただけの平板なもので、何らの感慨も湧かない記録以上のものにはなれないであろう。それよりも、例えば、低く立ちこめた雲が険しい岩山の上の方に上がって行くところに、横から一条の光が差し込むと言った写真であれば、たとえピンボケであろうと、見る人に何らかの思いを引き起こされる作品となるのではないだろうか。
 光の変化という点では夜明けや日没も同じである。普段見慣れた景色が刻々と変わる太陽の光でドラマティックに変化していく。光の差し込み具合で被写体は様々な顔を見せてくれるのである。いわば被写体の方から撮影者に何事かを語りかけてくる、そんな瞬間を撮影することが、W先生が言っていた「光の変化する時」の真意ではないかと思っている。
 そして、今日はまさにそんな「変化の日」であった。午前中は強い雨が降ったが、午後は急速に天気が回復して青空が見えてきたのである。朝の大雨が森にどんな落とし物を残してくれたのか、「天気の変わり目を撮れ」という先生の教えを思い出しながら、小生も日課の散歩にカメラを持って森に出かけたのである。
 すると、いつも沢山の人が行き交うごくありふれた森が、普段とは違う空気感のようなものが漂っているように感じられた。雨が大気中にあった細かなチリなどを落としてくれて、しかもまだその余韻が残っているうちに強い光がストレートに差し込んできたのだ。雨と晴れ間が同時にあるような「ひと時」が現れたと思った。
 昔、小生が通っていた禅寺の老師が、「時はある時点で自ら熟(じゅく)して来る、我々はそれを待ち受けて収穫するだけでいいのだ」という趣旨のことを言っていた。禅宗独特の難しい表現で、当時の小生は当然ながら理解できなかった。だが、今日のように木々の間から光が差し込んで、新緑の頃のようにきれいさになった森が現れてくると、時が熟するとはまさにこうした瞬間なのだなと小生は思ってしまう。
 時が熟することについて、ドイツの哲学者、ハイデガーも「存在と時間」の中で「時熟= Zeitung 」という言葉を使って言っている。ハイデガーにとって時間は普通に1時間、2時間と均等に進んでいく量的な時の流れではない。誕生から死までの有限な人間存在が生起する経過である。時間は時計で計られるだけの量的なものではなく、人間存在の質に関わる事柄であった。それが熟するとは、存在の真理がその人の前に明らかに現れてくるという意味であろう。
 大雨の後の森は、ほんの一時だけ何か隠された真理のようなものを見せてくれた。だが、カメラを持つ小生がそれに気づいたのはずっと後になってからである。森を歩きながら、こうした瞬間はカメラに撮っておかねばと思いながらも、シャッターチャンスを逸してしまったのである。下にある写真は今日の森を遅まきながらあわてて写したもので、「時熟」をうまくとらえているかはまったく自信がない。
d0151247_23431142.jpg

[PR]
by weltgeist | 2009-06-24 23:43

白夜の釣り (No.443 09/06/23)

 一昨日の日曜日が今年の夏至だった。一年で最も昼が長く、夜が短い季節である。朝は4時頃から日が昇り、夕方も午後7時少し前くらいまで釣りができるほど明るい。この時期は何をしても最良の季節と言えよう。もちろん、釣りにも最高の季節である。
 だが、昼が長いと言っても所詮日本の昼はしれている。一日中昼間が続く北極圏の国々ではいまの季節、夜はないのだ。一日中太陽が出ている白夜なのである。小生が夏至の時期に度々行っていたアラスカなどは、はまさに白夜の下で24時間釣りが出来る場所である。
 アラスカに最初に行ったのは1983年だから、すでに26年も前のことである。あの頃のアラスカはまるで釣り人の天国のような場所だった。初めてアラスカの川でキングサーモンを見た時は川が真っ黒に見えるほどサーモンが溢れかえっていて、たまげてしまったものだ。アンカレッジ市内を流れる小さな川にまで、キングサーモンがわんさかいるのだから、釣り師である小生にとってはものすごく魅力的な場所に映ったのである。
 だが、川にサーモンが沢山いるからといって、どこでも釣りが出来るわけではない。アラスカの釣りはとても厳しい管理がなされていて、サケを釣っていい場所と日にちが厳密に決まっているのだ。「こんなに魚がいるのだから1尾くらいいいだろう」なんて思って密漁すると、すぐさま逮捕されてしまう。日本的曖昧さなど微塵も入らない厳しさで管理されているのである。
 小生が生まれて初めてキングサーモンを釣ったのは、アンカレジから北に3時間ほど行った国道脇にある川だった。ここは翌日から解禁になるからと聞き、前日の午後現地に着いて、この日はポイントを見て回わる偵察だけにした。その結果、キャンプサイトから5分ほど歩いた所に、大きな淵があり、ここに相当数のキングサーモンが群がっているのを見つけたのである。
 こうなると、もう釣ったも同然。早めにテントを張ると、明日の解禁まで眠ることにしたのである。時差ボケの我々はテントに入ってすぐに寝てしまった。そして、ぐっすりと熟睡しているとき、突然銃声が響き渡ったったのである。何事が起こったのか飛び起きて外を見ると、拳銃を空に向かって発砲しながら上流に登っていく釣り人が見える。熊よけに銃を撃っているのだ。時計を見ると、午後11時半である。そうなのだ、日本で言われる「釣りは日の出から日没まで」なんてことは言えない。24時間ずっと昼間だから、30分後の午前零時に釣りをスタートさせても違法にはならないのだ。
 日本の深夜と全然違う白夜のアラスカは昼間と全く変わらない明るさで、真夜中でも釣りが可能なのだ。熊を気にして拳銃を撃ちながら上に行った人に続いて、他の釣り人も続々と川に入って行く。ヤバ、このまま寝ていると出遅れてしまいそうである。
 何から何まで異例ずくめのアラスカの釣りにすっかり度肝を抜かれた我々は、すぐさま支度をして、昨日目を付けておいた淵に直行した。幸いなことに誰もいない。川の中をのぞくとものすごく大きなキングサーモンがまだ泳いでいるではないか。
 我々は一斉にその淵に向けてルアーを投げ込んだ。すると同時に全員(三人です)のルアーにアタリがあり、まさに入れ食いの狂乱状態が瞬時に出現した。そして、あっと言う間に全員がキングサーモンを釣り上げてしまったのである。
 なんとすごいことだろうかと思った。しかし、それは大きな誤算だった。時計を見ると、まだ零時半である。この川の規則はキングサーモンは一日一人1尾しか釣ることが出来ない。つまり、我々は釣りを始めて30分もしないうちにその日のリミットを達成してしまったのだ。もうお終い。この日新たに釣りをすることは出来ないのだ。遠いアラスカまで来ながら、この後はキングサーモンが優雅に泳ぐ様を見ていることしか出来なかったのである。
d0151247_23431625.jpg
26年前は川中にキングサーモンが溢れていた。だが、ご多分にもれずアラスカも場荒れがひどく、年々釣れなくなっている。83年には釣り開始からわずか30分でその日の制限を釣って、お終いになってしまったのが、2007年には、このサーモンを上げるまで信じられないほど長い時間を強いられた。もはやアラスカも夢の場所ではなくなりつつあるのだ。
[PR]
by weltgeist | 2009-06-23 23:43

寝間着と外出着のはざま (No.442 09/06/22)

 ご近所の*氏は小生より3つ年上で、7年も前から「毎日が日曜日」状態しているリタイアの先輩である。彼が現役時代どのような仕事をし、どんな役職で終わったのかは知らない。とにかく、今は外から見る限り優雅な年金生活を堪能しているように見える。
 その*氏が数日前にステテコ姿で家の前を歩いているのを目撃した。恐らくゴミでも捨てに行ったのだろう。彼は一瞬バツの悪そうな顔をしたが、見られてしまったものは仕方がない、毒食えば皿までもの心境のようだった。我が家の周囲は田舎のため、町中と違って人の往来も少ない。きっと彼は小生に見られると思っていなかったのだと思う。昔、彼が仕事に行くときはピシッとスーツを着こなし、おしゃれな人だ、と思っていたが、そうした面影がなくなった今の*氏を見て自分も人ごとではない気がした。
 ステテコまでいかないが、小生も家では終日似たような格好で過ごすことが多いのだ。もう来客もほとんどないから、家の中では朝起きても部屋着に着替えることもしないでいる。最近は安いスウェットの上下を寝間着代わりに着ている。これだとスウェットのまま布団に入って眠り、朝目覚めても着替えないで洗面、食事から、小生の家事分担であるゴミ出しまで全てこの格好で行けるのだ。着替える面倒もなく、体に圧迫感も与えない、まさにオールラウンダーの服装で、現在の小生の「制服」であると言ってもいいくらいである。
 だが、こうしたスウェットが服装としてどのレベルに位置づけられるか、どうやら微妙な位置にあるようだ。小生にとっては近所の人に見られても恥ずかしくない、十分外出着の範疇に入るのだが、妻によればこれが寝間着ランクになるらしい。だから、小生がゴミ出しにスウェットで行こうとすると「お願いだから、寝間着で外を歩かないでください」と嘆願されてしまう。外出着どころか、部屋着のレベルも確保できない寝間着と見られるらしいのだ。
 しかし、このスウェットを購入したときは、銀座は歩けなくても、近所のゴミ出し程度は全然問題ない外出着のレベルには入っていたはずだ。それを妻は「どう見てもこれは寝間着だ」と言い張るのである。来客が来ないときに家の中だけで着るなら何とか許せるが、人に見られたらたいへんみっともない服装だと言うのだ。
 スウェットが普段着の範疇にも入らないとすると、普段自宅で過ごすのに何を着たらいいのだろうか。まさか、スーツにネクタイ姿はないだろう。肩が凝ってストレスが一気に溜まってしまうはずだ。リタイアしてから都内に出たり、人と会うときでもスーツはまず着なくなった。たいていはジーパンである。しかし、自宅でジーパンなど履いていたくない。ウエストが締め付けられる圧迫感があるからだ。家でくつろぐときはなるべく体を締め付けないゆったりしたスウェットが一番ではないだろうか。それが今や普段着の地位も追放され、寝間着のランクまで没落しつつあるのである。
 以前、小生の好きな韓国の女優、イ・ヨンエが自宅で過ごす時はパジャマだとインタビューで答えていたのを聞いて、自分は背中を押してもらった気がした。皆さんは家ではどのような格好をしているのだろうか。マリリン・モンローは夜寝るときの服装を聞かれて「シャネルのナンバー・ファイブを着る」と答えていた。もちろん、これは夜のことだけだろう。もし昼間もシャネルの香水だけで過ごすとなると、想像しただけでめまいがしてくる。
 これから蒸し暑い季節になると、小生もスウェットとおさらばする。暑苦しくなったら、スウェットどころか薄い寝間着も着てはいられない。モンローとまでは行かなくとも、夜寝るときは腹を出した半裸状態で大汗をかきながら、「暑い。暑い」を連発していることだろう。
d0151247_231471.jpg
寝間着兼部屋着兼自宅周辺外出着である小生のスウエット姿に対し、居候猫の太郎は寝間着も外出着もない。オールシーズン厚手の毛皮を着用している。まあ、この写真を見る限り妻が小生のスウェットを「寝間着」と言うのも分からないではない。太郎の方がよっぽどいい「服」を着ている。
[PR]
by weltgeist | 2009-06-22 23:02

D300にGPS、GP-1を付けてみました (N0.441 09/06/21)

d0151247_23493698.jpg
 最近デジタルで写真を撮るようになって、フイルム代を気にせず写せるため、撮影枚数が俄然増えた。その分、管理があやふやになり、しばしば何処で撮影したものか分からなくなる。そんな悩みを解消してくれそうなものとして、カメラ用のGPSが発売されたと聞き購入した。これをカメラにセットすると、撮影画像データの中に緯度、経度と標高のデータが書き込め、後でグーグルマップで読み込んで撮影位置がはっきり分かるのだ。しかもGPSは日本国内だけでなく、世界中の位置情報が記録できるから、来月のキルギスでも十分活躍しそうである。位置だけでなく、標高も出るので小生にとっては「待ってました」という商品である。
d0151247_23501014.jpg 購入したのはニコン製のGP-1というもので、値段は16000円弱。大きさは将棋の駒より少し大きい程度で、車のカーナビに比べると想像以上に小型である。カメラ本体のアクセサリーシューに付けて使用するのだが、それだとストロボが付けられなくなる。ストロボと併用するときは右の写真のようにストラップアダプターにGP-1をセットしなおせばいい。(分かりにくいが左側の写真のストラップ下ギリギリの所にストラップアダプターが写っている)
 D300には10ピンターミナルケーブルを使い、電源はカメラ本体からこのケーブル経由で供給される。ケーブルをカメラにつなぎ電源を入れると、赤いLEDランプが点灯する。衛星を捜して自分の位置を測位しようとしているのだ。だが、これが簡単にはいかない。意外に受信までの時間が長く、衛星受信が完了してLEDがグリーンに変わるまで5分はかかる。こんなに遅いと鳥や蝶のように目まぐるしく動く被写体ではシャッターチャンスを逃がし兼ねない。試しにグリーンに変わる前に撮影してみたが、GPSの情報は記録されていなかった。普通の撮影は問題ないが、GPSデータを書き込むには測位するまで待つしかないようである。
 しかし、一度測位した後はカメラの電源を切ってもGP-1は3時間に渡って衛星受信を続けているので、次からは5秒前後で測位完了して撮影出来る。だから早めにカメラの電源を入れておいて、衛星受信だけしてからスタンバイ状態にしておけば、5秒くらいで撮影は出来る。だが、実はこれが問題で、カメラの電源を切っている間も3時間までGP-1が位置情報を再確認し続けるため、カメラ本体のバッテリーを消耗させるのだ。自分がテスト撮影した限りでは、フル充電したD300専用バッテリーEN-EL3eが、半日で電池残量がなくなりシャッターが切れなくなった。通常だと一回充電しておけば、3日くらいはまったく問題なく使えたのが、これでは予備バッテリーを相当持っていかないと、キルギスでは足りなくなりそうである。とにかくバッテリー食いであることは間違いない。
d0151247_23503994.jpg
d0151247_23511034.jpg
 次ぎに肝心の位置情報の正確さはどのくらいかと言うと、だいたい10m前後の誤差が出た。上に示した写真は本日秋葉原駅電気街口を出た所から撮影したものだが、グーグルマップで表示したもの(下の写真)を見ると、撮影位置を示す青いピンが駅のホーム付近になっている。実際には赤いドットで示した所から撮影していて、このくらいのズレは出るようだ。しかし、おおよその場所さえ分かればいい小生にはこの程度の誤差は十分許容範囲である。
 だが、キルギスで重要となる標高の情報はかなりアバウトだ。このカットは3枚撮ったが、それぞれ標高41m、55m、51mとバラバラに測定された。まだこの程度はいいが、前々日奥多摩で撮ったものでは同じ場所から撮ったにもかかわらず100m前後のバラツキが出てしまった。多分衛星の受信状態が良好なほど正確になるのだろが、それでも衛星の測位だけで測るGPSではこうした誤差を完全になくすのは難しそうだ。
 少し前にΦοολさんというハンドルネームを持つ方から、誤差が出る謎を教えてもらった。彼は次のように言っていた。
 「基本的にはGPSでの標高測位は地図に記されている様な現地での海抜ではなく、自転の遠心力等により赤道で僅かに膨らんだ、完全に海に覆われた仮想地球(水球?)楕円体(GPS WGS84 ellipsoid)に対しての標高である。だが、地球の密度は不均一なので、楕円体みたいな簡易モデルで定義された仮想海面に比べ、実際には海水は地球の密度の高い、つまり重力の強い部分に引き寄せられる。よって、重力の強い所では実際の海面は仮想楕円体の海面より高い所に位置し、反対に、重力の弱い所では実際の海面は仮想楕円体より低くなる。これを補正するのにジオイド補正 というものを行う。ジオイド(geoid)とは、地球上の数千、数万の場所で行われた精密重力測定を元に、「そこに海があると仮定した場合、地球楕円体に対してのその海面の標高」をモデルにしたものである」という極めて専門的な知識を教えてもらった。要するにその場所の緯度、経度が持つ仮想海面との差をジオイド修正することでより正確な標高が分かるというのだ。
 まあ、キルギス、パミールの高地でもそれほど正確な標高が知りたい訳ではない。自分が今いる所が標高3500mなのか、4500mなのか程度の違いを知れればいいので、とりあえず今回のキルギスはGP-1で乗り切るつもりだ。
 しかし、問題はバッテリーの持ちだ。キルギスでの滞在はほとんどテントによるキャンプなので、電気がない。バッテリーの充電が出来ないのだ。17日間もの長い間、充電なしに撮影するには、予備のバッテリーを相当用意しないと足りなくなるだろう。それがGP-1を使うことで余計その必要性が問題になってきたのである。小生、今回の結果からせっせとバッテリーを買い集めている。
[PR]
by weltgeist | 2009-06-21 23:51