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他人との比較に明け暮れ、他人を羨む人たち (No.420 09/05/31)

 中央大学の教授を殺害した犯人が逮捕され、教え子が犯人であったことが我々に衝撃を与えた。彼は教授に恨みを持っていたらしい。具体的な動機はまだ話していないようだが、自分の一生が教授によって台無しにされたと思い込んでいるようだ。もしその報道が正しいとすると、彼は根本的に間違っている。自分の一生は自分で決めるものであり、教授に決めてもらう態度は幼児性の段階を卒業していない甘ちゃん人間の証拠であると言いたい。
 自分の人生を生きるのは自分しかないのだ。それを教授に委ね、うまく行かなかったから恨むのは、自分の責任をもっぱら他人に押しつける責任転嫁に他ならないだろう。かりに教授が自分の行く道をじゃましたとしても、それを避けるのが自分の努めであり、その後の道を自ら開いていく強さと責任を負うべきだ。他の人に軽軽に責任を追わせるのは卑怯者の発想である。
 そもそも自分は自分であって人とは違うものである。誰も自分の中にはダイヤモンドの原石のような賜物が潜んでいて、それがいつか光り輝き始めるのを今か今かと待ち受けている。しかし、原石が完璧に輝くダイヤモンドの段階まで磨かれるのは極めてまれである。多くの人は磨く努力はしても様々な要因から、結局は鈍い石のまま終わる。それでも自分が努力した結果であるとすれば納得するだろう。自ら磨きをかける努力を怠って、それを他人のせいにするのはお門違いである。他の人は原石を磨くアドバイスはしても、磨く行為は自分しか出来ないのである。
 犯人が教授に邪魔されて落ち込んだ「台無しの人生」とはどのようなものだろうか。恐らく彼は他の元同級生と比べて、自分が社会の底辺に落ちこぼれて行くと感じたのかもしれない。しかし、自分の人生を他人と比較するところに不幸の源泉がある。比較はきりがなく、際限ない不満の渦に巻き込む。他人との比較で自分の人生の意義を測ることは自分を惨めにするだけである。他人を羨やむのではなく、自分は自分だ、と思う信念こそ重要ではないかと思うのだ。
 他の人はどのくらい給料をもらっているのだろうか。週刊誌で「日本上場企業年収ランキング」などといったくだらない企画を性懲りもなくいつまでもやっている。他社との給料を比較して自らの「価値」を再確認することが出来るから努力目標になるとでも言いたいのだろうか。だが、こうした比較はストレス、不満の元でしかない。仮に最低の額だったとしたら落ち込むのか。あるいは最高の額をもらっていると分かり、そこそこの満足感を得るのだろうか。実はそうした比較は、小市民的な枠組みの中に自分の価値を規定することで、つまらないストレスを生じさせたり、無意味な自己満足を起こさせるだけに過ぎないのだ。満たすべき物は自分自らの中にあり、比較する対象は他人ではなく、いつも自分自身であるべきだろう。
 自分はまだ未熟である、無知だ、愚かだ、等々考えればそれを直すべく努力をすればいい。しかし、それとてキリがないものであり、所詮は最終的な満足感には至らない。もし、満足したと思う人がいたら、それは他人との比較を中止したからである。重要なことは、他人と比べることではない。自分自身のありのままの現実を直視し、賜物である原石を磨くべく一生懸命努力を重ねることである。
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病院から退院して、初めて相模川のアユ釣り場を偵察に行った。実は明日アユ釣りが解禁になるのだ。ところが、支流の中津川の河原で、翅がボロボロになったウスバシロチョウを見た。すでに自分の命を全うして最後の力を振り絞っているような感じで、飛翔力も弱った痛々しい様子だったが、それでも自分の命を全力で生き抜いた最後の姿はまさに光り輝くようで、しばし見とれてしまった。
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by weltgeist | 2009-05-31 23:09

出版界の激動について (No.419 09/05/30)

 一年で一番いい季節である5月をほぼ病院のベッドの上で過ごさなければならなかったのはとても悔しい。元気でいればきっとあちらこちらで好きなことをしまくっていたことだろう。だが、皆が外で楽しくしている間、自分はずっとベッドの中にいたから、本を読む時間だけはたっぷりあった。購入したのに自宅に「つん読状態」であったものや、新たに書店で購入したものなど、相当数の本を持ち込み、連日読書三昧をしていたのは自分にとっては良かったと思っている。むしろ、今回の入院は今まで多忙すぎてロクに本も読んでいなかった自分への贈り物であったと思えるほど本を読むことができた。
 読んだのは小説かエッセーが多かったが、雑誌はほとんど読まなかった。最近の雑誌はとにかく面白くないからだ。丁度入院しているとき、朝日新聞が「休刊時代のメディア考」という企画で永江朗氏がその原因について書いていた。
 永江氏は雑誌が売れないのは読者のせい、と編集者は考えているむきがあるが、雑誌をつまらないものにしたのはむしろ編集者と作家のせいだと言っていた。つぶれた雑誌を見ると、書き手の顔ぶれは20年前と変わっていない。十年一日のごとく、惰性で本を作っているとしか思えないと手厳しく指摘している。そうしたことに手を染めた作家と編集者の責任は重大だが、それを売る弱小書店を急速に減らしてしまった責任もあるという。出版社は小さな書店が苦しんでいるのを知りながらそれを放置し、救済しなかった。つまり、売り場をどんどん縮小させてしまったのだ。それともう一つ、若い読者を大事にしなかったことのツケが回ったのだと断罪していた。これは本当にその通りだと思う。
 雑誌が売れなくなった原因は、編集者や作家が駄目にしたと共に、読者、すなわち読む方の立場や興味がすっかり変わってしまい、それを満たす企画が雑誌にないということでもある。編集者はこうした読者の変化をうまく掴む能力を失いつつある気がする。まさか、そんな奴は相手にしない、俺たちは高尚な読者だけを相手に本を作っているのだ、などとは思っていないと思うが・・。
 ほとんどの記事がすでに報道された手垢の付いたネタに過ぎず、編集者は何とか目新しいものを探そうと必死になっている。ところが、早々にそんなネタがあるわけはない。人の目を向けさせるためだけで内容のない、奇抜な特集で逃げたりする。読者は一見新しい新鮮な物と思って手にするが、すぐにだまされたことに気づき憤慨する。かくしてまたまた優良な読者を失って行く。つまりはじり貧なのだ。
 本が売れないのは確かに時代の趨勢であろう。しかし、良書は時代を超越する。それはいつまでも輝きを失わないのだが、今やあまりの出版点数の陰でその光も遮られている。そして、世に出ぬ間に消えて行く。こうした良書が人知れず消えていくのは残念でならない。
 これからはネットの重みがますます強まり、出版はさらに追いつめられていくことだろう。だが、現状で見るネットのコンテンツは今なお、軽くて出版が持つ重さにはとうてい到達しえない。まだアドバンテージは出版にある。この段階で打つべき手があると思うのだが、出版界からの働きは鈍い。
 今日の朝日新聞によれば小学館、集英社、講談社などの大手出版社が、ブックオフの株を取得し、大株主としてブックオフに影響力を駆使する姿勢を示すと報道していた。本が売れない原因は、ブックオフのような古本屋が、出版されたばかりの新古本を安い値段で販売しているからだ、と出版社は考えているようだ。古本屋の経営権を握ることで新本購入読者数を増やそうとしているのではないかという思惑が見え隠れする。つまり、古本屋にあまり早く新本を売るなと、圧力を掛ける気なのだと受け取れるのだ。出版社はそれを否定するが、これはタコが自分の足を食って飢えをしのぐのに似ている。読者の心を掴めないつまらない本を惰性で出しているから本が売れないのだ。経営が傾いてきている根本原因に本気で向き合わず、小手先の誤魔化しで売り上げを伸ばそうとしても、歴史の流れに勝てないことを知るべきだ。
 折しも、グーグルが膨大な書籍を電子化して、ネットでタダで読ませることを着々を進めている。もし、タダで本が読めれば最早誰もお金を払ってまで本を読もうとはしないだろう。しかし、そうなると書き手である作家もいなくなる。出版社が無くなれば、原稿料、印税も望めなくなるからだ。それの行き着く先は、お手軽で深みのない、空疎な世界が待ち受けている気がしてならない。
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小生が時々利用する私鉄駅前のロータリー付近で沢山の人が集まっていた。何かなと覗いて見ると小さなカルガモの赤ちゃんが10羽ほど、噴水がある池の中を泳いでいた。毎日数千人の人が行き交う駅前の池なのに、こんな所にも健気に生きるかわいい子供たちが屈託なく泳いでいるのを見て心が和んだ。
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by weltgeist | 2009-05-30 23:17

我が胃潰瘍闘病日記、最終回。ワーファリン再開と退院 (No.418 09/05/29)

5月15日、入院14日目、三回目の胃カメラ
 胃潰瘍の原因というのは実ははっきりしないことが多いらしい。ストレスが原因とかピロリ菌とか言われているが、それ以外にも様々なことで簡単、かつスピーディに発症するらしい。たった一日で潰瘍が出来、それがすぐ治る人もいれば悪化してガンになる人もいる。
 小生の心臓には金属の弁が取り付けられている。いわゆる人工弁置換手術をしているので、人工弁に血栓が付かないよう、血液をサラサラにするワーファリンという薬を毎日飲んでいる。ところがこれで血液がサラサラになるから血栓は出来にくい反面、一度出血すると血が止まりにくくなる。血が固まりにくいのだ。だから、胃の内部で出血してもそれが簡単には止まらず、傷口は塞がらない。そのため、今回のような内出血が生じるとやっかいなことになるのである。テレビで時々「あなたの血液はドロドロだ。サラサラにせよ」という趣旨の放送をやっているが、血液はドロドロでいいのだ。一定以上にサラサラにする必要などないのである。
 最初の胃カメラで内出血を確認して以来、実はワーファリンの服用はK先生に中止させられている。血栓が出来る危険性は高くても、まずは血液を凝固しやすいようにして出血を止めなければならないからだ。二回目の胃カメラで内出血の箇所が増えていたのも、服用を止めたとはいえまだワーファリンの影響が残っていたからだろう。しかし、すでに15日も経過すれば血液のサラサラ度は普通の人と同じ程度になっているはずだ。それゆえ、内出血もそろそろ収まってもいいのではないかと思っていたのである。
 そんな期待を込めて、今朝も喉がグエーッとなる吐き気に堪えて、三度目の胃カメラを飲んだ。すると、何と胃の中はきれいになっている。何処にも血が滲んでいるような所は見えないのだ。代わりに、傷口を止めたクリップがまるでダーツの矢のようにあちらこちらに刺さっているのが見えた。
 「やったじゃないか」小生、胃カメラのモニター画面を見ながら心の中でそう叫んでいた。とうとう胃の中がきれいになったのだ。待ち焦がれた瞬間である。K先生も「もう大丈夫だ。傷も治っている」と言って喜んでくれた。だが、そうなると問題はワーファリンをいつ再開するかである。飲まなければ多分潰瘍の再発はないだろう。しかし、飲まないと心臓が危ない。胃潰瘍はのんびり時間を掛ければ治るかもしれないが、心臓は発症すれば命に関わるからだ。
 
5月16日、入院15日目
 胃の内出血が止まったというのにまだ普通のご飯は食べられない。ただし、今日から「五分粥」にレベルアップされる。五分というから、かなり普通のご飯に近いのかと思ったら、全然。お粥より少し水分が少ないだけの違いでしかない。ずっと食事制限をされていると、意地汚い話だが、とにかく食べ物のことがすぐに頭に浮かんできてしまう。

5月17日、入院16日目
 胃カメラの成績が良かったからだろうか。食事のレベルアップの速度が速くなった。今日から「全粥」である。といっても、それは五分粥より少し水分が少なくなっただけで、味についてはお粥とほとんど変わらない。ウーン、早く白いご飯にヒレカツでも食べたい。そんな思いをずっと抱きながら過ごす。
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5月18日、入院17日目、初めての外出とワーファリン再開
 心臓の弁置換手術を受けて以来、小生は年5~6回程度S心臓病院に行って診察を受けると共に、2ヶ月分強のワーファリンを処方してもらっている。今日はその定期検診の日であるから外出は出来る。だがT胃腸病院からS心臓病院に渡り歩くだけで、S病院の診察が終わったら直ちにT胃腸病院に戻らなければならないのだ。K先生は小生のワーファリン服用は出来たら中断したいようで、これまでの経過を書いたデータを封筒に入れて、S病院の担当医の意見を聞きたいと言われる。自分としても出来ればワーファリンは止めたい。しかし、本当に止めていいのかは、自分でも分からない。S病院の担当医がどう答えるか自分も知りたいのだ。
 T胃腸病院のベッドは、何か刑務所の独房(入ったことは無論ないが・・)のようで、息が詰まる感じだった。久しぶりに出た外の空気は自由そのもので、「アッ、世の中って、こんなにいいところだったんだ」という解放感に包まれる。
 だが、S病院の担当医の話は厳しいものだった。すでに17日間ワーファリンを飲んでいないと言うと、顔を曇らせて「それはすぐに再開した方がいい。脳梗塞にでもなったら半身不随になっちゃうよ」と言うのだ。結局、担当医はそれまで服用していた量を減らし、少し効果を薄めた薬量を処方し、出来れば今日から飲んで欲しいと言われた。夕方から心臓担当医の指示に従って、ワーファリンを3錠飲んだ。これがどのように胃に影響してくるのか、少し心配だ。

5月19日、入院18日目
 午後の回診は院長回診で、彼は昨日のS病院でのワーファリンの問題がどうなったかを聞いてきた。小生は「たいへん危険だからワーファリンを止めることはできない」と言った心臓担当医の言葉をそのまま伝える。すると、ヒゲを生やしたちょっと怖い感じの院長が「それだともう少し経過を見る必要がありますね。また出血が始まったりすると困るから」と言って、まだまだ自分が保護観察下に置かれていることを言ってきた。K先生も困ったような顔をしている。しかし、本当に困ったのは小生の方なのだが・・。

5月22日、入院21日目
 すでに食事は20日の夕食から通常のご飯に変わっている。点滴も一切なく、もうベッドに寝ていてもやることがない。昼にK先生が回診に来たので「まだ入院している必要があるのですか。今は飲み薬だけ飲んでいる状態だが、これだと自宅療養でも出来るんじゃないですか」と、思いきって聞いてみた。
 「退院したいですか」人のいいK先生は気の毒そうな顔をして小生を見つめる。「しかし、退院許可の権限は院長先生にあるんです。来週の火曜日(26日)に院長が来るからそこで判断しましょう」と言う。
 「ということは、少なくとも退院は26日以降ですね。まだ4日もある。それまでここでやることもなくジッとしているのはあまり有意義とは思えませんが」と小生が答えるとK先生はしばらく考えてから、「分かりました。それでは私の判断で退院させます。明後日24日に退院を許可します」と言ってくれた。
 物事というものは言ってみるものだ。かくして小生の退院日がついに決まったのだ。

5月24日、入院23日目、目出度く退院
 今日は病院から開放される日。昨晩は嬉しくて良く眠れなかった。午前9時半、すでに3人部屋で最古参となった小生、ようやくにして我が家に帰ることが出来たのだった。家に帰って最初にやったのはまずコンピュータを起動させ、メールとブログをチェックすることだった。アウトルックを開くとおびただしい数のメールが来ている。その数、400通を超えている。それらに返事も書かなければいけないが、ブログに無事退院した一報を書くのが先である。簡単な報告を書いてから、お風呂にゆっくり入る。自分としては退院したら5月5日に食い損なった大トロの寿司を食べることと決めていたが、トロの方は「消化が悪いから、まだ駄目」という妻の厳しい注意で諦めた。しかし、お風呂に入って23日間の長きに渡った入院生活のアカを流せた気分は最高だった。

胃潰瘍闘病記は今回が最終です。
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by weltgeist | 2009-05-29 23:56

我が胃潰瘍闘病日記4、胃内出血と貧血はなお続く (No.417 09/05/28)

5月7日、入院6日目
 胃内出血と点滴チューブ外れで出血したためか、貧血の症状がひどく、起きていても頭がクラクラして、歩くのもままならない。10m先のトイレまで歩くのがやっとというひどさである。主治医のk先生が「貧血を直すのに輸血したいが、同意書にサインをもらえないか」と言ってきた。医学的なことにまったく無知な自分は輸血と聞くと、エイズや肝炎の心配が先走ってしまう。だが、このまま輸血を拒めば貧血による体の衰弱症状は長く続き、退院の時期はさらに伸びてしまう。毎日更新すると宣言していたのに、すでにブログは6日間も更新がないまま放ってある。心配した友人たちが携帯メールをくれたり、次第にお見舞いに来る人も増えてきて、自分がとんでもないことをしでかしたのだということが実感してきた。そうだからこそ早く元気になる必要があるのだ。
 「最近の輸血は危険度がゼロというわけではないが、ほとんど問題にならないレベルまで安全性は高まっている。輸血をすれば見違えるほど元気になるよ」というk先生の言葉を信じて、同意書にOKのサインをする。しばらくすると早速看護婦が輸血用血液型などのデータを調べるために採血していく。明日は胃カメラ、輸血は明後日からだという。

5月8日、入院7日目、第2回胃カメラ検査
 ついに一週間の絶食と薬による治療の効果を見る第二回胃カメラ検査の日がやってきた。ここまで何も食べず点滴だけで頑張ってきたのだ。もう出血も止まっているだろう。しつこい内出血もクリッピングで止まってきれいになっているものと自分は確信していたのである。
 だが、例の喉の麻酔をして口の中からカメラを突っ込んでいくと、「うーん、まだだな」というK先生の声が聞こえた。「エッ、まだって、治ってないの」そう思いつつ小生は体をねじってモニターの画面を見た。すると、胃の壁にざっと数えただけでもまだ10カ所くらいは出血しているところがあるではないか。前回こんなものは見えなかった。それが増えているのだ。
 出血が止まって、胃の中はきれいに治っているとばかり思っていたのに、治るどころかさらに出血箇所が増えて悪化しているのだ。K先生が画面を示して、「ここが出血しているのが分かるでしょう。こういうのは糜爛(びらん)と言って胃炎が進むと比較的良く現れる症状です」と言いながら、大きく出血している3箇所にクリッピングしていく。小さな出血箇所はクリップしなくてもそのうち自然に治っていくのだそうだ。
 自分としては今日の胃カメラで胃が完全に治っていて、食事も取ることが出来るようになると単純に思いこんでいたから、再度の出血を見たときの失望感は大きかった。しかし、K先生は結構楽天的で、「ま、こんなものでしょう。明日は輸血をし、食事も流動食にしましょう」と言ってくれた。出血箇所が増えているのに、先生が少しも慌てないのが、小生には全然理解出来ない。恐らく無数の症例を見ていて、小生の糜爛による出血はたいしたことはないと判断したのだろう。

5月9日、入院8日目、食事が許可される
 ようやく点滴だけで過ごす絶食の期間は終わった。輸血など一部の点滴は残っているが、体にのべつ幕無しに打ち込まれる薬のたぐいはお終いである。そして、いよいよ今日から流動食が食べられるのだ。でも、流動食って看護婦が重湯だと言っていたが、どんなものだろうか。とにかく何か口に入れることが出来るだけでも有り難い。ちょっと期待しながら待っていると、コップが3個だけでおかずらしき物は何もない「食事」がきた。思わず「エッ、これが食事」と言いたくなるような物である。左側にある白い液体が重湯、右下がスープとお茶。それにヤクルトだけ。これでも病人の小生には立派な食事であるから、食べろというのだ。
 重湯は紙を貼るとき使う糊を薄く溶かしたもののようで、全く味がしない。ところがスープはコンソメで、塩辛い。たぶんずっと塩を取っていなかったから塩辛く感じるのだろう。もちろん、食事への期待感など、たちまちすっ飛んでしまった。こんな物を食べなければならないなんて、情けない限りである。
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 午後からは輸血が始まった。他の人の血液が自分の中に入ってくるというのは気持ちのいいものではない。しかし、K先生が言ったように輸血をした後は、不思議なくらい元気が回復してくる気がした。看護婦も「朝と比べてずっと顔色が良くなった」という。確かに先生が言う通り、輸血は効果があるようだ。
 この日、世間ではついに新型インフルエンザの日本人感染者が成田で3人見つかったと言って大騒ぎをしていた。

5月11日、入院10日目
 午前中3度目の輸血を行う。一昨日から全部で1300CCの血液を輸血したことになり、体が明らかに快方に向かっているようで、とても軽く感じてくる。ビーフリードとラクテックという名前の点滴をそれぞれ1本ずつやっていたのも終わり、以後は飲み薬を処方される。一日3回のマックメット、朝夕2回ガストローム、それに就寝時にオメプロールを一錠飲む。
 治療はこれだけで、あとはベッドの上で安静にしているだけである。暇だからテレビを見ていたら民主党の小沢党首が突然辞任すると言って世間は今日も大騒ぎをしていた。
 新型インフルエンザの騒ぎと共に社会が騒然としている中、小生の食事も変化した。午後6時の夕食からついにお粥になったのである。重湯(流動食)とお粥の違いは、重湯はスープのような飲み物だけに対し、お粥はおかずがつくことだ。見ると魚の焼き物にほうれん草のお浸し、卵豆腐、それにキュウリとキャベツの酢漬けのような物にレベルアップしている。昼の重湯から比べると、量も種類もいきなり豊富になった感じだ。こんな物まで食べていいとなると、胃の中は多分良くなっているのだろうという実感が湧いてきた。退院までもう少しだと、この時思ったのだが、実はそれから12日間も入院が続くとは、この時はまだ知る由もなかったのである。

以下、明日に続く。
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by weltgeist | 2009-05-28 23:51

我が胃潰瘍闘病日記3、大量出血で死にかかる (No.416 09/05/27)

 5月2日午前中、胃カメラで胃に出血があるのを確認し、これをクリップで止血し終えてから先生は「このまま絶食を一週間は続ける必要がある。それ故、自宅に戻ることは出来ない。直ちに入院せよ」と、無情にも小生に告げた。しかし、一週間も絶食したら人間は死んでしまう。そうならないためにも点滴で栄養を体に補給しなければならない。ところが、人を救うはずのこの点滴がとんだことを引き起こすことになったのだ。
 小生「もしかしたらガンかもしれない」という不安で、昨晩は良く眠れなかった。そのうえ体は弱り、さらに胃カメラで変に緊張しすぎてすっかり疲れ果てていたので午後9時の消灯後、すぐに眠ってしまったのである。これが間違いのはじまりだった。右腕に24時間繋ぎっぱなしの点滴の針が刺されていることも忘れて眠りこけた。そして、それからしばらくして、何故か寒気がして目が覚めてしまったのだ。気が付くと、体の右半分とベッドの下側がびしょびしょの状態で濡れている。
 だが、なぜ濡れているのか寝ぼけているから最初はよく分からない。おねしょなどするわけもないし、飲み水をこぼしたわけでもないのに、何故濡れているのか。手元燈を付けると、それが真っ赤な色をした血であることが分かった。なんと、寝返った時点滴のチューブのジョイント部分が体の下に挟まって外れてしまい、血管から血が逆流して噴き出していたのだ。それもものすごい量である。もし、このまま気が付かないで寝続けていたら、恐らく出血多量で死んでしまったほどヤバイ事態だったのである。
 自分でもオタオタしながら看護婦を呼び、まず外れた点滴のチューブをつなぎ直し、血だらけになった下着、寝間着、血糊がべっとり付いたベッドなどを全部取り替えてもらう。
 だが、信じられないのは、この異常事態に看護婦が「点滴チューブはよく外れるんだ。先日もかなり出血した患者がいた」と言ったことだ。何という無責任な態度だろうか。もしそうなら、外れにくいやり方を考えるべきだし、患者にも注意する必要があるのに、そういうことを言うのである。幸い、自分の場合は早く気が付いたから良かったものの、死んでしまったらどう責任をとるつもりなのか、あまりのひどさに呆れてしまった。

5月3日、入院2日目
 昨晩のチューブ外れ出血事件があった翌朝、看護婦は何事もなかったかのように新しい点滴を付け替えていく。今日最初の点滴は午前6時から12時まで。それが終わると12-18時、18-24時と、点滴1本が6時間で終了するように早さを調整してある。夜勤の看護婦が昼の看護婦に交替したとき昨晩の出血を言ったら、チューブのジョイント部分を外れないようにテープで補強してくれた。だが、大量出血で貧血が進んだのか、体の倦怠感は益々ひどくなって、ほんの数m歩くのもままならないほどになっていた。足がふらついて真っ直ぐ歩けないのだ。
 1時半にS先生の回診。「このまま胃を刺激しないよう何も食べない状態で薬を投与し、8日にその効果を見るため再度胃カメラをやりましょう」と言った。8日ということは丁度一週間、7日間絶食ということになる。しかし、点滴のおかげか、腹がへるという感じは全然ない。

5月4日、入院3日目
 今朝は6時の起床時まで比較的よく眠れた。今日は平日だが、連休のため、病院は休み。継続して絶食、点滴するが、それ以外はまったくやることがなく、暇。妻が昼頃頼んでおいた本などをもってきてくれる。これでようやく時間を有効に使うことが出来る。早速ロシアでベストセラーになったというチンギス・アイトマートフの「キルギスの雪豹」を一気に読み切った。この本の書評は、闘病日誌が終わってから改めてやりたいと思っている。

5月5日、入院4日目
 今日は子供の日。友人M嬢の結婚式であるが、この状況では参加出来ない。一生独身を貫くのかと思っていたM嬢の晴れ姿を、小生がカメラで撮ってあげたいと思っていたのに、彼女には申し訳ない気持ちだ。しかし、さらにショックだったのは、式に参加した妻が後で「披露宴で出た寿司の大トロと、フランス料理がおいしかった」と言ったことだ。
 いまだ絶食中の小生は病院のテレビで放映されるグルメ番組を見て「早く美味しい物が食べられるようになりたい」と連日思い続けていた。その思いが、妻の「大トロが美味しかった」という言葉で、極限まで達してしまったのだ。M嬢には悪いが、彼女の結婚式へ出られなかったことより、あの口の中でとろけるような大トロを食べられなかったことの方が悔しくて仕方がなかったのである。妻が美味しそうに寿司を食べる姿が脳裏を駆けめぐり、「食べたい、食べたい」と狂ったように思ってしまった。人はパンのみで生きるものではない。しかし、今は大トロが食べたいのだ。

5月6日、入院5日目
 入院直後はバタバタして深く考えずに8人用の大部屋に入ったが、ここはひどく狭く、夜になると左右から猛烈ないびきの大合奏音が響き渡り、なかなか寝つかれなくなってきた。昨晩から睡眠薬のレンドルミンを処方してもらっているが、それでもこの騒音と狭さは次第に耐え難い気持ちになってくる。
 その上、「俺はガンなんだ」と小生に言っていた隣ベッドの患者の様子が、日を追う毎に悪化していくのが分かり、精神的にも辛くなってくる。初めは我慢していたが、ついに「この部屋にはいたくない」という気持ちが爆発し、差額ベッドの3人部屋に替えてもらう。ここは大部屋よりずっと広い。しかし、いびきに関しては大部屋と大差がないことがその夜判明した。隣にいた患者が消灯して5分もしないうちに、窓ガラスが振動するほどの音でいびきをかき出したからだ。
 それにしても、人はこんなに長く絶食を続けても平気なもののようだ。別に腹は減らない。しかし、空腹感はなくとも食欲はある。ああ、何か美味しい物をたっぷり食べたい。でも次回の胃カメラまでまだ2日もある。その日に安全が確認されるまで小生は何も食べることが許されないのだ。

以下、明日に続く。
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入院した病院ではブログの更新もネットサーフィンも出来ない。たっぷりある暇な時間はもっぱら読書、読書、読書。手当たり次第に本を読みまくった。
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by weltgeist | 2009-05-27 23:56

我が胃潰瘍闘病日記2、胃カメラと胃内出血 (No.415 09/05/26)

 突然黒いウンコが出て、小生の胃が異常状態に陥ったことを昨日書いた。しかし、これはまだ序の口で、小生の病気の正体は分かっていない。昨日、病院の先生は黒いウンコが出るようだと、胃からの出血が考えられると言ったので、自宅に戻った小生は早速、黒いウンコがどのようなものなのかネットで検索した。すると、黒いウンコが出た人はガンの恐れがあると書いてあるではないか。小心者の小生、たちまち「ガン」の恐怖に囚われて、ビビッてしまう。

5月2日、胃カメラ即入院
 昨晩は正直、不安で眠れない夜を過ごした。そして、いよいよ運命の日が来た。胃カメラを飲むので朝から水も食事も出来ない。しかし、緊張しているから腹が減ったという感じもしない。午前11時に看護婦に呼ばれ、処置室で最初に少し酸っぱい水のような薬を飲まされ、体をゆっくり一回転させてその薬が胃の全方向に拡がるようにせよと言う。その後、口の中にゼリーのような麻酔薬を入れられ、7分間じっとしている。5分くらいから喉の感覚が鈍くなり、麻酔が効いてきたようだ。しかし、さらに喉の奥の方に別な麻酔薬を注射器のような物で入れられる。これがひどく刺激的な薬らしく、喉が激しく痙攣して吐きそうになる。
 ここまでで下準備は完了。胃カメラのある内視鏡室に移り、口にマウスピースのような物をくわえさせ、若いS先生が胃カメラのケーブルを口から差し込んで行く。強烈な痛みと吐き気で、ゲホッ、ゲホッ、ゲェーッと吐き気が起こってこれを止めることが出来ない。この時はとても苦しかった。だが、ケーブルの先端が喉を通りすぎると、痛みも吐き気も無くなり、胃の中に何か重たい物が入ってきた感じがする。
 自分の位置からモニターを直接見ることは出来ないが、向かいのガラスに反射した画像が見える。胃の中は焼き鳥のモツみたいにしわくちゃで、赤みを帯びた肌色に見えた。
 「オッ、これだな」と先生が何かを見つけたようだ。「**さん、胃の中に大きなかさぶたがありますよ。ここから出血したんだ」と言いながら、カメラの先をゴチョゴチョやっている。そのうち「アッ」と大きな声をあげた。かさぶたを取って傷の本体を探り始めたらさらに血が噴き出してきたのだ。
 昨日の予定では、今日は胃カメラで内部をのぞくだけで、本格的な治療は連休明けと言われていた。ところが血が噴き出しているため、緊急にこれを止めなければならない。医者はカメラの脇からワイヤーを入れて、出血している箇所をクリップのような物で止める作業を始めた。大きな注射器で水を胃の中にどんどん入れて、傷口を洗ってからその場所に「バチッ」という音を立ててクリッピングしていく。
 カメラの時間は多分40分くらいだったろうか。「終わりましたよ」と言われた頃には、こちらもすっかり疲れて、ぐったりしてしまった。妻が呼ばれ、二人に先生が小生の病状を説明してくれる。病名は「出血性胃潰瘍。胃に潰瘍が出来、それが静脈血管まで達して出血したためウンコが黒くなった。しかし、今日のクリッピングで一応出血部分は止めたので、後は胃内部の回復を待つだけだ。ただし、今までの出血であなたの血液は貧血気味だから、そちらの養生もする必要がある。当然ながら、今日から入院です」と言う。
 「すると、よく言われる悪性の腫瘍というわけではないんですね」小生は、一番気にしていたことを尋ねると、「そうした物は今日のところは無かったです」と言う。
 良かった。血管が切れたかもしれないが、ガンでは無かったと聞いてホッとしたのである。だが、「今日から最低で2週間、あなたの場合は多分3週間くらいは入院の必要がある」と言う。「エエーッ、3週間もですかぁ」小生その長さに思わず驚きの声を上げてしまった。連休の間に長野県にヒメギフチョウを採りにいく予定だったし、5月5日は友人の結婚式もある。それらはどうなるのだろうか。
 「そんなことより、今の体を治すことが一番重要でしょう」という医者の一喝で、全てはパアになる。小生は腕に点滴を付けられたまま、有無を言わさず大部屋の空きベッドに入れられた。
 今日はもしかしたら入院かもしれないと言われていたので、多少の準備はしてきたが、そんなに長い入院の心構えもない。看護婦が言うには「これから一週間は絶食、点滴だけで栄養をとる状態だから当分退院は難しいでしょう」と言う。ああ、なんたることか。俺の連休が消えていく。皆が楽しい休暇を利用しているというのに、自分は病院のベッドで食事も出来ずに蟄居させれているのだ。
 ところが、この夜たいへんな事態が発生して、小生危うく死にそうになったのだが、2日夜以降のことについては、明日書きます。
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入院中は寂しいだろからと、結構本を持ち込んだ。ほぼ毎日2冊くらいのペースでどんどん読んで行ったが、一番良かったのは蝶の図鑑を持ってきたことだ。苦しいとき蝶の写真を見ていると何か救われる思いがした。
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by weltgeist | 2009-05-26 23:30

我が胃潰瘍闘病日記1、黒いウンコ (No.414 09/05/25)

 この世に運命というものが存在するとすれば、自分の未来をのぞき見したい気がする。明日の自分がどうなっているのか、誰もが知りたいことだろう。しかし、本当に分かった方がいいのだろうか。明日の自分など分からない方がきっと人間は幸せになれるのではないかと思う。というのも、人生は幸せなことばかりが起こるとは限らないからだ。自分の将来は明るく光り輝くものであって欲しいけれど、暗黒の未来だって当然あり得る。もし辛い事態が起こることが前もって分かったとしたらどうだろうか。避けようとしても避けられない嫌な未来が見えてしまう、そんなものは分からない方がいいに決まっている。ところが、運命は時に不気味な予兆を人に指し示し、「お前はこの呪縛から逃れられないぞ」と言い含めて脅しをかけてくることがあるのだ。

プロローグ
 食事をしている人には申し訳ないが、ウンコの色は健康のバロメータであると言われる。トイレに行って、排泄した物をシゲシゲ見るほど小生物好きではないが、4月26日の日曜日、何気なく終わった後の「物」を見て、不思議な思いがした。だが、感覚的に鈍い性格なのか、何がそうした不思議感をもたらしたのかしばらく分からなかった。正確に言えば、その後、3日間常に頭の後ろに何か納得出来ないものを感じながら、その正体を探ることまで思いが至らなかったと言っていい。
 しかし、4日目、すなわち4月29日、ゴールデンウイークがスタートする初日に、不意に疑問の答えを見つけた。自分のウンコが黒い、というか炭のように真っ黒なのに気が付いたのである。「エッ、ウンコってこんな色だっけ」と思い、そう言えば昨日も一昨日も黒かったことを思い出したのだ。だが、そうは言っても別に胃や腸がおかしいという感じもない。いわゆる「快眠快便」で自分の体に何か調子の悪い様子は一切ない健康そのものの体だから、なぜウンコがこんな色になるのか理解出来ていなかったのだ。
 少し前から、知り合いにもらったタケノコを大量に食べていた。タケノコご飯にタケノコの煮付けと、毎日がタケノコずくしだったから、黒いウンコはそのせいかもしれないと思って自分を納得させていたのだ。しかし、それにしては色が黒すぎる。そしてそれが日を重ねるごとに色の濃さが強くなっていくのだ。
 そこでこの日初めて妻に恐る恐る「君のウンコはどんな色か」と尋ねてみた。いくら妻とは言え、ウンコの色まで聞くぶしつけさは持ち合わせていないから我慢していた。だが、あの色の異常さにたまらず聞いてみたのだ。もしタケノコが原因なら彼女も同じ色になるはずである。
 すると、彼女の言葉は衝撃的だった。「ごく普通よ」と何の問題もないかのように答える。その言葉が小生に言いしれない不安となって襲いかかる。不気味な運命の予兆はかくのごとくして小生の前に姿を現し始めたのである。

5月1日、胃腸病院での初めての診察
 黒いウンコに気づいてから2日目の5月1日は毎週行うBさんの英会話個人授業の日である。だが、前日まで何の不調も感じなかったのが、今朝は体が無性にだるく、胃の付近がもたれるような感じがして授業にも身が入らない。それどころか足がもつれるようで、部屋の中を歩くのもしんどくなってきた。昨日までウンコは黒くても体は全然何ともなかったのが、いきなり倦怠感と体全体から力が抜けていく脱力感が襲ってきたのだ。
 これはもう間違いなく自分の胃腸のどこかが変調をきたしているに違いがない。疑う余地のないほど体が弱っているのを感じ、午後、ネットで検索したT胃腸病院に行くことにした。本日は平日とはいえ、連休のまっただ中で明日は土曜日、明後日から4連休だから仮に何か体に不具合があっても本格的な治療は期待出来ないかもしれない。しかし、連休明けを待てるほどの余裕は無かったのである。とにかく、急患扱いでも診てもらう必要がある状態にまで体が悪化していた。
 先生はまだ30代と思われる若い人で、小生の話を聞くとすぐに「ウンコが黒いということは胃からの出血が考えられる。明日胃カメラを飲んで調べましょう。しかし、連休だから明日は胃の中を見るだけで、本格的な治療は連休明けからにしましょう。ただし、念のため入院するかもしれないからその準備だけはしてきてください」と言う。自分はだるくて仕方がないが、この日は採血とレントゲン、心電図を取っただけで終わりである。何の薬もくれない。
 小生、どんな物を食べても腹を壊すということがほとんど無い、頑丈そのものの胃を持つ人間と思い込んでいた。それが「胃から出血」だと言う。そんなことが自分の胃袋で本当に起こっているのだろうか。往生際の悪い小生はまだ、どこかに逃げ口があるのではないかとジタバタしていたのだ。だが、その甘い幻想は翌日見事なまでにぶち壊される。
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       私の目は夜明けの見張りより先に目覚め、
       みことばに思いを潜めます。
       あなたの恵みによって私の声を聞いてください。
       主よ。あなたの決めておられるように、
       私を生かしてください。
       詩篇119 ・148-149


以下、明日に続く。
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by weltgeist | 2009-05-25 23:42

病院から退院してきました。 (No.413 09/05/24)

 みなさん、毎日更新すると宣言していたブログを突然23日間も空けて、ご心配をおかけしたことお詫びします。
 ブログが中断していることに気づき心配してコメントやメールをくれた方々、そして病院までお見舞いに来ていただいた方々にここで心からお礼をもうしあげます。
 とりあえず、先ほど病院から無事退院して自宅に戻ることができました。小生のこれまでの病気とその治療の詳細については明日から詳しく書くとして、簡単に言えば出血性胃潰瘍でした。それも突然のことでお医者さんは有無を言わさず「即入院せよ」となってしまいました。胃の痛みなどの変調もなかったから、数日の入院で済むと考えていたらとんでもない。ここまで長引くとは自分でも思いもしませんでした。
 その上、病院にはネット環境がなく、ブログを継続したくとも出来ません。今時ネット接続のランやWI-FI設備の無い病院というのも時代遅れだと思いますが、とりあえずこの病院を自分で撰んだ以上、下界と遮断されたベッドの中で毎日寝て過ごすしかありませんでした。
 家に戻って久しぶりにパソコンを開けたら400通を超える未読メールが来ていて、自分の不在の長さを実感しました。今日は、これからそれらを全部読み、関係者の方々にも連絡を入れるとともに、留守中出来なかった様々な雑用を済ませることに専念します。
 自分の胃潰瘍については明日から「我が闘病生活」とでも題して、当ブログで書いていきたいと思っています。自分の胃袋は極めて頑丈で胃潰瘍などとは無縁なものと過信していました。その意味でも自分の闘病生活は、皆さんの参考になるとも思います。胃潰瘍は誰にでもなる病気なのだ、ということを今は実感しています。
 
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by weltgeist | 2009-05-24 15:21

胃袋異変 (No.412 09/05/02)

 昨日胃の調子が悪いと言ったら、本日、急遽胃カメラを飲まされる羽目になりました。
医者が言うには「今夜は帰れないかもしれないから入院の準備をしてくるように」だそうです。
毎日書き込みを死守したかったのが、危ういです。
とんだ連休のプレゼントになりました。それでは行ってきます。
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by weltgeist | 2009-05-02 09:18

I have butterflies in my stomach. (No.411 09/05/01)

 今朝は朝から体調がすぐれず、胃がもたれる気がしていた。といっても、別に熱はないので流行の豚インフルエンザに掛かったわけではないだろう。実は少し前からある緊張したことをやっていて、神経がすり減っていたので、胃の調子が悪くなってきたのだと思う。もしかしたらこのブログもその一端を担っているのかもしれない。自分は書くことが好きだから、ブログがストレスの原因とは思っていないが、案外きつい影響を受けているのかもしれない。
 小生をよく知る人たちは「奴がストレスで胃を痛めたなんて信じられない」と言うことだろう。何が来ても動じないごつい体つきをしているから、少しくらい神経質なことをやっても平気な人間と思われているのだ。「鬼の霍乱だよ」と皆が思うはずである。しかし、こう見えても小生、意外にナイーブなのだ(誰も認めてはくれないけれど・・・)。
 今日も恒例のBさんの英会話個人授業が始まったとき、少し胃が変だといったら、Bさが標題のような
 I have butterflies in my stomach.
 という言葉を教えてくれた。アメリカでは緊張したとき、「お腹の中にチョウチョウが飛んでいる」という表現をするのだそうだ。何となくこの表現は分かる気がする。自分は最近、蝶の写真撮影と収集を始めたから、蝶のたたりが起こったのかもしれない。
 ところで、日本語もKYとかアラフォーと言った新しい言葉が氾濫して小生のような老兵に理解出来ないことが増えている。英語でも同様のことが起こっているらしい。Bさんが次のような英文の意味は分かるかと聞いてきた。

k i b there in a few minute.
c u soon.

 正解は
Ok. I will be there in a few minute. オーケー、すぐにそこへ行くよ。
See you soon. まもなく君に会えるよ。
 上の省略した文章はこう書かれているのである。しかし、これは通常の英語ではない。携帯電話によるメールのやり取りである。早いタッチで打鍵しなければならないから略して、 k とくれば OK 、i は I 、b は be と短くしてしまうのである。OKは O では駄目なのかと聞いたら、これは駄目らしい。k で OK と分かるようだ。同じように c は see 、u は you である。
 さらに、ネットのチャットによる言葉なんかはバンバン省略しているらしい。上記 you は、ya とも書くし、小生が扱っている写真なども、picture なんて言わない。単数は pic である。ま、このくらいは想像がつく。しかし、写真の複数は pix と言うのだそうだ。日本語しか知らない我々にはちょっと理解しがたいことである。
 いずれにしても、Bさんから教えてもらう生きた英会話はたいへんためになる。しかし、問題はそれで小生の英語力が良くなるかと言うと全然進歩していないことだ。新しいことを学ぶたびにその前に学んだことをどんどん忘れていくからだ。小生の人間 HDD であるオツムが劣化しているから、どこまで行っても上達出来ないのである。
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 こんな大きなアゲハチョウが小生の胃の中を飛びまっわっていたら、胃に穴が開いても全然不思議ではない。しかし、空中を飛んでいる蝶を撮るのは本当に難しい。専門家はそれなりのノウハウがあるのだろうが、蝶の飛翔写真素人の小生にはうまく撮れたためしがない。秒5コマしか撮れないD300では限界がある気がする。最近、テレビでカシオが秒30コマ撮れるコンデジのCMを流していた。これなら、うまく撮れるかもしれない。
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by weltgeist | 2009-05-01 23:15