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3月2日まで休みます (No.350 09/02/23)

 諸般の事情から、しばらく書き込みを休まざるを得なくなりました。
 毎日、絶対休まないで書き続けようと思っていても、どうにもならないときがあります。
 次回の書き込みは3月2日から始める予定です。
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by weltgeist | 2009-02-23 10:46

人混みには注意しよう (No.349 09/02/22)

 知り合いがインフルエンザにかかって高熱と関節痛の症状に苦しんでいる。インフルエンザがはやっているようだ。小生が家の中に引きこもっている分にはうつされることはまずないが、外出して人混みの中に入ると、ウイルスにたかられて発症する恐れがあり危険である。知り合いの話だと、薬もあまり効かないから安静にして病状が良くなるのを待つしかないらしい。最近はタミフルのようなワクチンもあるから、死ぬことはまれだが、それでもひどい症状になるのは避けられない。
 そんな目にあいたくないなら、外出したときは手洗いとうがいを頻繁にやることだと昔から言われている。これ以外に歯磨きも有効だとテレビが言っていた。だから、小生、外出した後はしつこいくらい丁寧に手を洗い、歯を磨き、うがいをしている。そのせいか、今年はまだ風邪にもかかったことはない。だが、油断は禁物。昨年も注意していながら思わぬ時にかかってしまった。外出するときは注意に注意を重ねることが大事である。
 今日は朝から色々な所に行き、たくさんの人と会う機会を持った。当然のことながら、インフルエンザ、風邪を引いている人もその中にはいたろうし、ウイルスもまき散らされているはずである。そうした人が集まるところは避けたいが、今日はそれが出来ない。午前中は毎週続けているある読書会に参加し、午後は大宮まで行く予定があったからだ。
d0151247_22413637.jpg 午前中の人は皆健康そうだったから問題なかった。しかし、午後の大宮はやばかった。大宮のソニックシティで「インセクトフェアー」なる催し物があり、世界中の蝶やクワガタ、カブトムシが展示即売されるというので、出かけてみたら、ここがインフルエンザウイルスの大発生現場だったのだ。そこへ最大の防御手段であるマスクを忘れて出かけてしまった小生、飛んで火に入る夏の虫状態になってしまったのである。
 昆虫の展示会なんてほんのわずかな人が集まる程度と軽く見ていたのが間違いで、狭い会場には人があふれていて、魅力的な蝶の標本をかなりの混雑状態で皆が見ている。ところが、小生が特に好きな赤い斑点のあるウスバシロチョウ、パルナシウスを展示している所で事件が起こった。標本を展示している主が、小生の方に向かって大きな咳をし始めたのだ。
 汚い話だが、この人の咳で出た唾が小生の顔にかかったのである。良くみると彼は鼻水を垂らしているではないか。風邪かインフルエンザかはっきりしないが、彼がそうした病気に掛かっていることは間違いない。人と対面するならマスクくらい着用するのが礼儀と思うのだが、如何にも苦しそうな咳を連発している。インフルエンザの咳は一回で数十万個のウイルスが飛ぶと、以前何処かで読んだ記憶がある。小生急いで洗面所に駆け込んで顔と手を洗った。
 ウスバシロチョウを良く見たかったが、これはさすがに諦めた。家に帰ってからもしつこいほど手洗いとうがいをして、ウスバおじさんのウイルスを取り払うことをした。こうした努力が報われたのか、現在までところ何らインフルエンザのウイルスに取り付かれた症状は出ていないから、今回はセーフのようだ。
 しかし、小生はたまたま今日だけの外出だったが、仕事をしている人たちはこうした危険と毎日直面しているのだ。まず通勤電車の中での第一次攻撃があり、会社の中で第二次が、そして営業として外出すれば第三次、さらに帰宅時の電車で第四次と、何度も何度も危険な場所をくぐらなければならない。前線に送られた兵士のように、見えない病魔と常に戦わなければならないのである。企業戦士の危険度に比べたら、小生の心配などほとんど取るに足らない程度のものなのかもしれない。
 ところで、今のインフルエンザは掛かるとひどいというが、恐ろしいのは鳥インフルエンザが突然変異を起こして新型ヒトインフルエンザになった場合だ。これが発症して大流行(パンデミック)すると、最大で5億人が死亡すると試算されている。
 元々があまり運のいい方ではないから、大流行になったら多分小生は駄目な5億人の方に分類される可能性が高い。そんな中でも自分は助かりたいと思ったら、予防を心掛けるしかないだろう。人出の多い場所への外出は控える。しかし、仕事でそれが出来ない人はとにかく手荒い、うがい、マスクの着用をするとともに、部屋を暖かくし、湿度は60%くらいに保って乾燥させないことが助かる道だそうだ。これだけやったら、後は神に祈るしかないのだ。
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by weltgeist | 2009-02-22 22:43

回転寿司 (No.348 09/02/21)

 一般に物を買うときは値段を見て決めるのが普通である。いくらするかも分からず注文する人はまずいない。だが、昔の寿司屋は値段が分からないまま注文して後でまとめて払うのが当たり前だった。いわゆる「時価」というやつがあるから、お金を払う時まで自分が食べたものがいくらになるか分からないのである。だから、お金が無いときは寿司屋のカウンターに座りにくい。寿司屋の方でもお客の懐具合を勘案しながら「こいつは金を持ってそうだから一万円にしよう」などと、適当な料金を請求することもある。生魚は質の差が大きいから、定価が付けにくく、時価になるのは理解はできる。しかし、それにしても、何か板前の気分で値段を付けられるような不明朗感がつきまとうのだ。
d0151247_2244653.jpg 回転寿司が出来てそうした曖昧さが無くなった。かって高級な食べ物であった寿司が、明朗会計ですっかり庶民の食べ物に成り下がったのである。それにつれて値段も下がってきているから、益々我々には行きやすくなっている。今や回転寿司は庶民に味方する嬉しい食べ物屋さんとなっているのはご承知の通りである。
 従来ながらの寿司店を経営している方には申し訳ないが、回転寿司を見るとどうしてもそちらに足が向いてしまう。今までの寿司屋方式が時代にそぐわなくなってきているのである。その流れは止めようがない。値段も分からず注文を出せるほど庶民は余裕がなくなったとも言えよう。そうした流れを読みきれず、伝統にあぐらをかいていた商売は残念ながら淘汰されていく運命にあるのかもしれない。
 もちろん、極上の寿司を食べたければ回転寿司では無理である。昔ながらのカウンターに座り、板前さんと世間話しながらお好みの寿司を握ってもらうのが粋な人の食べ方であろう。だが、それを心から楽しめるのは余裕のある方であって、昨今の厳しい世の中ではそういう人も少なくなっている。ごく僅かな高級寿司店は残っても、その他多数のお店は次第に廃れていくのは避けられないだろう。
 そして、このように時代の波に押されて商売が駄目になっていくのは何も寿司屋さんだけではない。日本の小売業全体がものすごく大きな波に襲われつつある。小さな小売店がスーパーに駆逐され、コンビニと郊外大規模店舗が商店街のシャッターを閉じさせた。その巨大スーパーが今度はネット販売に押されつつある。弱い者は倒れ、新しい者が力をみなぎらせて未来に向かって進んでいく。時代は我々が想像する以上の速さで、周囲を変革しているのだ。
 そんな中、近所の回転寿司がさらに安い特別セールをすると言うので、お昼を食べに行ってみた。食べたい物を腹一杯食べて、二人で2千円ちょっと。昔の寿司屋では考えられないほど安い。回転寿司店同士でもお客の奪い合いで、熾烈な競争をしているのだ。他店より一円でも安くして客を呼び込む必要があるのである。油断すればたちまち負け組に放り込まれる過酷な時代になったと言えよう。
 特別セールのお店の味は「まあまあ」であった。流れてくる魚のネタも、釣りで魚を知っている小生から見れば首を傾げるような物もあったが、普通に食べるならこれで十分である。大間の生本マグロが安物の冷凍メバチになっても、ヒラメのエンガワがカラスガレイのエンガワになっても、イクラが海藻から作られた人工イクラであっても構わない。回転寿司は超高級寿司屋ではないのだ。偽物はいやだ、本物が食べたい、とおっしゃる人は高級寿司店でお好みで食べればいいのだ。もっとも、最近はこうしたお店で出るネタも怪しいものがあると言われているから、どこまで信用していいか、分からないのだが。
 小生は「食べるために生きている人間」ではない。「生きるために食べる人間」である。そんなノングルメの人間にはこれで十分満足できるのである。色々偽物が登場しようと、お財布に優しい回転寿司は小生のような庶民にはたいへんうれしい存在なのだ。
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by weltgeist | 2009-02-21 22:44

アメリカンスクール卒業記念ミュージカル (No.347 09/02/20)

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 本日の夜7時からキリスト教系アメリカンスクールの卒業(予定)生を中心にした記念ミュージカルを見に行って、先ほど帰宅した。昨年もこの時期に行って彼らの能力の高さに感心したが、今年の出来も素晴らしかった。題名は A year with Frog and Toad カエルとガマガエルが一年を通じて繰り広げる友情の話である。残念ながら、本番中は撮影禁止なので、開演直前の客席を撮ったものを載せる。観客はほとんどがこの学校に通う生徒の親やその関係者で、ここまで外国人が集まると壮観である。出演者の言葉はもちろんネイティブイングリッシュだから、英語のギャグに観客も即、生で反応する。皆が「ワーッ」と笑い出すのに、そのギャグの意味が分からず「エッ、何、何」とまごついている小生を尻目にストーリーはどんどん先に進んでいく。何か本場ブロードウエーの舞台(行ったことはないが・・)を見ているような雰囲気が面白かった。
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by weltgeist | 2009-02-20 23:19

被写体は語る (No.346 09/02/19)

 昔、まだ若造であった駆け出し時代の小生に写真を教えてくれていたW先生がある大きな賞を頂いた。その祝賀会の末席に招かれて会場に行くと、高名な写真家の土門拳がきていた。すでに車椅子の不自由な体だったが、まだ顔は精気に満ちていて、鋭い眼光で会場に来ている人たちを見渡している様はまさに王者の貫禄があった。参加者は当時第一線で活躍する有名写真家が多かったが、土門さんはひときわ光輝いている感じで、パーティに来ている誰もが彼に一目置いているようだった。
 ところが、食い意地の張った小生は立食式パーティで、テーブルの上に置かれた寿司をつまもうとして、とてもまずいことをしでかしてしまったのだ。こともあろうに小生が差し出した箸が土門さんが出した箸と当たってしまったのである。「鬼の土門」と呼ばれた巨匠と箸でチャンバラをやってしまった小生、彼の強烈な視線に射抜かれて身がすくんだ記憶が残っている。
 撮影するときには一切の妥協を排して完璧な作品を目指す土門の姿勢は、しばしば周囲と軋轢を生んでいた。画家・梅原龍三郎を撮っているとき、色々な注文をつける無礼な写真家に怒り出した梅原が、土門に椅子を投げつける。ところが、彼は平然として梅原の怒る顔を撮影したという。ここまで貫く自己主張があったから、彼の写真は評価されたのだろう。
 彼の撮影哲学は「写真は肉眼を超える」である。写真はシャッターを押せば事実が事実なりに正確に写し撮られる。しかし、それは単に事実を切り取っただけのものにすぎない。写真はその中に事実を超える何ものかを写し撮るものでなければならないのだ。だから「写真の中でも、ねらった通りにピッタリ撮れた写真は、一番つまらない」とも彼は言っている。
 カメラを向ける対象の本質を写し撮ることこそ写真なのだ。彼は「古寺巡礼」で古い建物を撮影するときでも、その建物が写真家に何事かを語りかけてくることを感じるまで何時間でもシャッターを押さないで待ったという。時が満ちてくるのを待つ禅僧のような心境で撮影したのだろう。
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 いつもの散歩コースである前の森の中で、汚いコンクリート製の杭を見つけた。たまたま付けていた魚眼レンズで撮ってみたのが上の写真である。この東京都の境界線を示す杭は、恐らくもう数十年はこの場所に置かれていながら、誰もそれに注意を払われることなく放っておかれたものであろう。毎日森を歩くたくさん人たちから踏みつけられても、じっと耐えるようにしてそこにあった。こんな杭にカメラを向けながら、小生はふと土門拳の「被写体が語りかけてくるまで待て」という言葉を思い出してしまったのだ。
 考えてみれば最近の自分はピントだ解像度だと言った末梢的なことばかり気にして、写真はキレイに写っていれば十分と思っていた。恐らく、小生がこれから撮りたいと思っている蝶の写真も、ただ蝶がキレイに写っているだけのもので、土門が言う「一番つまらない写真」となる可能性がある。そうならないよう、対象が語りかける言葉を読み取るまで待ってシャッターを押したいと思うのだ。しかし、これが難しい。なぜなら、そんなことをやっていると、蝶は一瞬で飛んで行ってしまうからだ。こんな時はどうしたらいいのだろうか? 土門さんが生きていたら教えを請いたい気持ちである。
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by weltgeist | 2009-02-19 22:45

無能な政治家たちがもたらす不幸 (No.345 09/02/18)

d0151247_19592164.gif 政治家というものは国民に希望の光を与えるものであって欲しい。しかし、麻生首相を見ていると、自分の保身だけに汲々としていて、我々国民のことなど眼中にないように映る。優れた政治家は危機の時こそその力を発揮することを忘れているのだろうか。乗り越えられそうもない破滅的危機を、卓越した能力で克服するから立派な政治家となれるのだ。苦境は優れた政治家を生み出すチャンスでもあるのに、次々に起こる問題を処理する能力もなく、タナボタ的に得た総理の座を守ることしか考えていない。危機は英雄的な政治家を生むと共に、無能な政治家を蹴散らしもするのだ。
 世界中に日本の恥をさらした中川大臣の醜態においても、もっとマシな解決法はあったはずだ。人間である以上完全はあり得ない。誰もが間違いも犯す。酔って失態をしでかしたことはむしろ人間的なことで、同情さえしたくなる場合もあるのだ。しかし、間違いを犯したならその後処理で人間の能力が分かってくる。率直に間違いを認め、正直に謝罪すればいいのだ。それしか救われる道はないのである。
 それが、「風邪薬を飲んでいた。酒は少し口にしただけ」などと、見え透いた言い訳で逃げ切ろうとした。これこそ政治家にとって最も避けなければならないことだろう。なぜなら国民は彼が失敗の責任もとらず、嘘で逃げようとする姑息な男と見抜いてしまうからだ。嘘によって国民を愚弄し、政治家に一番大切な信用を失うのである。
 首相の方でも同じ事が言える。繰り返すようだが、政治家は国民が良くなるように国を動かしていく信念を持つ人でなければならない。もし、真に首相が国民のことを考えているなら、ただちに中川大臣を罷免し、より信頼に足る人物を後任に据えるべきだった。そうすれば国民は後任者の政策に希望の光を託すことができただろう。
 同じ状況が米国のオバマ政権に起こったならどうだろうか。大統領はすぐさま無能者を罷免し、より優れた人物をすげ替えると共に、自分の責任と任命ミスを詫びて、国民の理解を求めたことだろう。そうすることで傷ついた威信は再び再起の道を歩むことが出来るのだ。国民が大統領の失敗を許すのは彼が本気で国を良くしてくれる政治家であると信じているからだ。自分の利益しか考えない政治家は退場願うしかないのである。
 現在の経済危機は恐慌と呼んでもおかしくない状況である。これを抜け出すには強烈な指導力のある政治家の出現が必要である。麻生首相にとって、歴史に残る政治家となるチャンスであるはずなのに、それを克服する能力が無いからなすすべもなく時代に流されているのだ。
 オバマと戦ったヒラリーが今日インドネシアに旅立って行った。大統領予備選で見せた彼女の猛烈な姿を見ていて、以前は正直辟易としたところもあった。しかし、昨日来日したヒラリーの活躍ぶりを見ると、さすがに大統領候補になろうとしただけのことはあると思った。米国民への奉仕精神がみなぎっていて、何と魅力的な政治家だったのかと見直すとともに、日本の政治の貧困さに目を覆ってしまった。
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by weltgeist | 2009-02-18 20:39

日本語能力試験 (No.344 09/02/17)

 日本に住む知り合いの外国人夫婦が先日「日本語能力試験」を受けて、二人とも2級が受かったと言って喜んでいた。我々が丁度英検を受けるのと同じで、外国人が日本語の能力を高めるための試験制度があることをこのとき初めて知った。
 日本語を何の問題もなく話せる我々にはそんな試験は必要がない。しかし、日本に暮らす外国人には日本語の素養は不可欠だし、その目安として日本語能力検定は意味があるのだろう。受験したDさん、Jさん夫婦の話を聞くと、日本語をここまで覚えるのはたいへんだったようだ。「日本語のどんなところが難しいの」と聞いたら、外国人から見た日本語の裏側を教えてくれた。それが我々には思いもしないことで興味深かったので、ここで紹介してみたい。
 例えば、木の数を数えるときは、「いっぽん、にほん、さんぼん、よんほん、ごほん、ろっぽん」と言う。ほん→ぼん→ぽん、と数によって不規則に変化していく。3本は「さんぼん」であり「さんほん」ではおかしい。正しい日本語を話すなら、こうした不規則変化をそれぞれの数に応じて覚えていかなければならないのだ。また、木は「1本」だが、魚なら1尾、2尾、牛は1頭、2頭、船が1艘、2艘と言い方が違ってくる。我々は子供の頃からそれを無意識に覚えているから状況に合わせて使い分けることが出来る。しかし、大人になって日本語を覚える外国人はこれを一つ一つ覚えなければならないのだ。そのハードルは気が遠くなるほど高く感じることだろう。
 外国語はどの国の言葉を覚えるにしても、違った難しさがある。たとえば英語で数を数える時はワン、ツー、スリー以外の使い方はあまりない。木も魚も牛も船も複数形の名詞の前に数字を入れればいいだけで、日本語よりはるかに楽である。しかし、その代わりに前置詞の使い方など、他のところで日本語にはない特別な使い方を覚えなければならないのだ。どこの国の言葉も、大人になってから学ぶのはたいへんなのである。
 外国語を覚えるにはなるべく不規則変化の少ない言語が楽だと言われている。その点で日本語は不規則変化が多く、トップクラスの覚えにくい言語かもしれない。小生、外国語は英語以外にドイツ語とフランス語も大学で習ったが、この3カ国語の中ではドイツ語が一番不規則が少なく、格変化がしっかりしていて覚えやすかったと思っている。
 ドイツ語では名詞の頭は大文字で始まり、その前には格変化に対応した定冠詞を付ける。例えば人間、Mensch と言う名詞の前には「der、des、dem、den 」(が、の、に、を)という定冠詞を付けることでその単語がどの格を示しているのかがはっきりと分かるのだ。Der Mensch と書けば、人、あるいは人であり、des Mensch は人、dem Mensch は人、den Mensch は人、という具合に明確な文法があり、曖昧さが入る予知が少ないのだ。しかし、そうだからと言って簡単なものではない。ドイツ語もフランス語も名詞には日本語に無い「性」があり、これを一つずつ覚えなければならないのだ。
 男性名詞、女性名詞、それに中性名詞というものがある。上で書いたDer Mensch というのは男性名詞のことで、女性名詞として、例えば婦人 Frau は主格が Die Frau となり、格変化はdie、der、der、die となる。このようにドイツ語の名詞は男性、女性があるが、これ以外に中性がある。面白いのは少女だ。これは Mädchen ( メーチェン ) と言い中性名詞なのだ。少女は男でも女でもないというわけである。従って主格は Das Mädchen であり、格変化は das、des、dem、das となる。
 要するにどの国の言葉にしても外国語として習うには、超えなければならない壁は極めて高いということである。小生、英会話を習いだしたのは41歳の時からである。その後、多少の空白はあったが、ほぼ継続して英会話の学習だけは続けている。しかし、すでに25年も経つのに未だ英会話の能力は「ひどい」ままである。知り合いが英検の試験を受けて3級だ、2級を受かったという話を聞く。小生も受けてみようかなという気持ちだけはある。しかし、もしそれを受けて自分の実力のほどが明らかになったら、恥ずかしくて皆の前に出れなくなるだろう。日本語能力検定2級が受かったDさん夫妻には頭が下がる思いである。
 ところで、今日のスレッドを書いているうちに麻生首相の日本語能力のことをふと思ってしまった。未曾有を「みぞゆう」と読んだ首相がもし日本語能力試験を受けたら、何級が受かるだろうか。中川財務大臣は辞任すると決めたようだが、彼も漢字を読む能力がひどい。「渦中」を「うずなか」と読んだ中川財務大臣も麻生さんと一緒に試験を受けさせたい気持ちである。d0151247_03953.jpg


天使が語る言葉は何語だろうか。マルティン・ショーンガウアーが描いた「受胎告知」で大天使ガブリエルが語っている言葉は、どうやらラテン語らしい。「アヴェ・マリア、ドミナス・・」という文字だけが小生には何とか分かる。
コルマール・ウンターリンデン美術館蔵。

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by weltgeist | 2009-02-17 23:49

酔っぱらいについて (No.343 09/02/16)

 かねてから酒癖が噂になっていた中川昭一財務大臣がイタリアで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議G7で不可解な会見をやってしまい、みんなから呆れられている。彼は風邪と時差ボケで体調が悪かったと弁明しているが、テレビで見る限り酒に酔っぱらっているように見えた。会見に参加した記者も泥酔を疑っている。もしこれが酔っぱらいによる醜態なら、場所と自らの立場を考えないこんな人に日本国を任せることはできない。麻生首相は即刻彼を更迭すべきだし、中川大臣の方は潔く自らの責任をとって辞表を提出すべきであろう。それが志ある政治家の道だと思う。
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 酒の上での失敗で人生をフイにする話はよく聞く。しかし、この種の失敗に関して小生は無縁であり、潔白だと胸を張ることが出来る。なぜなら、酒が飲めない下戸だからだ。
 体質的にだめなのか、少しでもアルコールを飲むと急激に酔いが回ってしまう。コップ半分のビールで頭がクラクラするほど酔ってしまうから、酒が苦手なのだ。それだから酒飲みも苦手だ。自分とは住んでる世界が違うようで好きになれないのである。アルコールの臭いをプンプンさせた男が来ると本能的に避けてしまうので、酒好きの友人の間ですこぶる小生の評判は悪い。酒の付き合いが出来ない暗い人間と思われていることだろう。
 小生に言わせれば、酒なんかどこがうまいんだ、と思うのだが、酒飲みは全く違って、酒のことを話題にしただけで、喉のあたりがムズムズすると言う。そんなの勝手にやってくれ、と言いたい。
 小生が長く付き合っている親友の一人に一晩でビールを一ダース飲み干す男がいる。缶ビールではない。普通の瓶ビールを12本も飲んでしまうのだ。ウワバミみたいな男だが、酔っても人にからんだりしないから、飲み会に付き合ってもそれほど不快感はない。酒癖はいい方なのだろう。しかし、酔いが進むと饒舌になり、デカイ声で「俺はなーっ」とか言い出すのを素面(しらふ)で聞いているのは結構つらい。こんな酔っぱらいは世の中にたくさんいるだろうが、それを一生相手にしなければならない人たち、とくに奥さんは可哀想だなと思う。だが、中には夫婦共々大酒飲みで、毎晩二人でバッカスの饗宴を開いている夫婦もある。人生様々である。
 酒に強い、弱いは隔世遺伝と聞いたことがある。小生のお爺さんは奈良漬けで酔っぱらうほど酒に弱い人だった。その遺伝子を隔世遺伝で引き継いだから小生は酒が弱いのだと思っていた。しかし、弟は大酒飲みではないが、中酒飲みくらいに酒をたしなむ。もちろん少々の量では酔わないから、隔世遺伝という説がどこまで根拠のある話かは分からないのだが。
 ある人から「酒を飲まない奴は人生の楽しさの半分を知らない不幸な人間だ」と言われたことがある。やはりお酒はおいしいんだろう。それを知らない小生は不幸かもしれない。しかし、おかげさまで大臣のように酔っぱらって醜態を見せるような失敗もやったことはないのだ。
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by weltgeist | 2009-02-16 21:32

韓国ミネルバ事件の困った影響 (No.342 09/02/15)

 小生のブログのタイトル「ミネルバのフクロウ」は、ギリシャ、ローマ神話で知恵の神とされたミネルバから取ったものである。ギリシャのパルテノン神殿に手下のフクロウと住み、夕方になるとそのフクロウをアテネの町に飛ばして情報を集めては、自分の知恵をふくらませていった伝説の女神だ。以前、ミネルバについては詳しく書いたことがあるが、今回はそのミネルバが困ったことで名前を使われたらしい。
 昨年の夏頃から韓国で「ミネルバ」というハンドルネームを使って韓国第二の巨大ポータルサイトに世界経済の先行きについて書き込みをした男がいる。彼は「韓国の通貨ウオンは1ドル=1400ウオン(約90円)に急落する」「リーマン・ブラザースは破綻する」(2月10日、朝日新聞朝刊)と言った予言を書き込んだが、その内容がことごとく当たったため、ネット社会は驚嘆し、「経済大統領」と呼ばれるまでの影響力を持つ人物となったのである。
 ミネルバの確度の高い予想にネットだけでなく、マスコミも注目。一日「10万のページビュー、千件以上の書き込みがあるほど彼の投稿文は絶大な人気を誇る」(アン・ヨンヒの韓国レポート)までになり、国民の間では「ミネルバを捜して経済閣僚に起用しよう」などと言う意見も出たらしい。当然ながら皆はミネルバの正体を追い始めた。そして誰もが、彼は優秀な経済学者であろうと思いこんだのだ。
 ところころが、ミネルバは自分の力を過信したのだろうか。彼が「政府が主要な金融機関や企業にドル買いを禁じる公文を送った」と書いたことで、「ネットによる虚偽事実に当たる」として逮捕されてしまったのだ。そして逮捕してみたら、ミネルバの経歴はデタラメで、しがない引きこもり男が自宅のパソコンからシコシコ書いていたことが判明したのである。
 その少し前までマスコミは驚くべき正確さで韓国経済の先行きを予言するミネルバを賞賛し「インターネット経済大統領」と持ち上げていた。マスコミのあおりで、彼の知名度はさらに高められ、予言者のような扱いを受けていたのである。それが、逮捕され、経済学を専門に学んだ経験もない「短大卒の引きこもり男」と分かったとたんに、今度は掌を返したように彼を攻撃をし始めた。自分のあおり行為は触れずに「正義の執行者」として、ミネルバをボロクソに言い始めたのである。
 小生がここから連想するのはオウム真理教松本サリン事件の被害者河野義行さんの件だ。警察からマスコミまで全員で河野義行さんを犯人扱いし、その後真犯人が麻原であることが分かり、皆が沈黙した。この忌まわしい誤解の原因は不確かなことをさも真実のように信じて、先走ってしまったことだ。
 ネットの書き込みは、誰もが自由に書くことが出来る。その中には玉もあれば石もある。真実もあれば、人を陥れるためのひどい嘘の書き込みさえまかり通る何でもOKの世界である。それも書き手の姿を一切明らかにすること無しに行われる。人はそれに簡単に騙されるのだ。
 今回の韓国での逮捕は、こうした事が過激化することへの政府の警告でもあろうが、それが民主主義への干渉として反発をも招いている。干渉は自由への危険な侵害ともなりうるからだ。しかし、匿名を隠れ蓑に、事実と異なる嘘や悪意に満ちた書き込みをすることまで許すべきでないだろう。
 小生のブログのようなものも含めて、ネットに書き込みをしている人間は、その記事に対する責任だけは持たねばならない。正しいこと、真実に裏付けられたことを書くなら、それを政府が干渉するなどとんでもないことだが、嘘の情報によって他の人が間違った道へ進む恐れのある書き込みは取り締まられて当然ではないかと思うのだ。
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by weltgeist | 2009-02-15 23:11

2009年東京フィッシングショー (No.341 09/02/14)

 このところ大好きな釣りをしばらく封印していたが、そろそろ本格的なシーズンがやって来る。その幕開けとして、毎年この時期に開かれるフィッシングショーに横浜まで行ってきた。しかし、この不景気な時代に釣りなんて後生楽なことをやる奴は少ないのではないか。きっと開場はガラガラの閑古鳥が鳴いているに違いない。釣友の何人かが釣り具メーカーのフィールドテスターをやっているが、お客が少なくて困っているだろうからサクラにでもなって彼らを盛り立ててあげようという気持ちもあって行ったのだ。だが、この予想はモロに外れた。パシフィコ横浜のフィッシングショー会場には人が溢れていたのである。
 世の中景気が悪いから悲観ムード一色だが、釣りの世界はこれと無縁なのだろうか。1本40万円もするアユ竿をたくさんのお客が熱いまなざしで見ているのだ。我が家に近いカーディーラーは日曜でもお客がいない。それに比べると、釣りはまだまだ不況の大波を受けていない幸運な業種なのかもしれない。
 上記40万円の竿は論外として、釣りは手頃で安上がりのレジャーと思われているから、こうした不況の時でも強いのだろうか。確か1978年頃起こった第二次オイルショック後の不況や、93年頃のバブル崩壊による不況の時も、釣りはその影響をあまり受けなかったと記憶している。むしろ、この頃は釣りはブームとなってさえいた。第二次オイルショック当時、「釣りキチ三平」が大人気で、世間一般が景気が悪くて元気がないとき三平の明るさから力をもらった覚えがあるのだ。
 釣りはお金が掛からない(実際には結構かかるのだが・・)手軽な遊びで、しかも獲物があれば食費軽減も出来る一石二鳥の不景気時代のレジャーと思われているのだ。
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 フィッシングショーの会場では古い釣り仲間と何人も出会った。小生のような古参釣り師は釣りで知り合った友人がゴマンといる。フィッシングショー会場がちょうど同窓会みたいなものでもある。一年に一度、この時期だけ顔を合わせる釣り師がたくさんいるのだ。中には向こうから「しばらくだね」と声を掛けられながら、記憶が全くない人もいる。「あの人は誰だっけ」と記憶の欠落にあたふたするが、それでも儀礼的に「どうも、ご無沙汰」というような声を適当に掛けておかないと失礼に当たる。返事をしながら「??? 」状態になるのである。
 記憶力の減退だけは如何ともし難い。オツムの衰えに危機感を感じる。
 しかし、開場に展示されている最新の釣り竿やリールを持つと、まだまだ気分は「現役釣り師」そのものに変身するのだ。
 小生がこの日目を付けた新しいアユ竿の値段は37.5万円。キラキラ魅力的に輝くその竿を持って、「欲しいなぁ」と思ったが、ため息は出ても手は出ない。
 釣りは金が掛からないレジャーだなんて誰が言った・・? 本当かよぉ、と叫んでしまった。

 2時少し前に開場の外にある海沿いのレストランで釣友と遅い昼食を食べた。前日の天気予報で低気圧が通過するから朝から大荒れ、土砂降りの雨になると言っていたのが、予報は外れて青空も見えてきた。北日本を通る低気圧に向かって南風が吹いて春のような暖かさのなか、彼と今年の釣り計画を語る。これこそ小生にとって至福の時間であるのだ。
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by weltgeist | 2009-02-14 22:39