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マルティン・ルターその4・人間の自由と信仰の問題 (No.235 08/10/31)

d0151247_22503790.jpg 今日、10月31日は何の日かご存じだろうか。実は、小生の66歳の誕生日である。エッ、そんなこと知るかって。もちろんその通り。しかし、今日がハロウインであることを知っている人は多いだろう。だが、ハロウインの起源が欧州の祝日「万聖節」から来ていることをご存じの方は少ないのではないだろうか。万聖節は日本のお盆と同じ発想で、この日の夜、死者の霊魂が町に戻ってくると信じ、迎え火を焚いて備えたのが始まりとされている。だが、小生がこの特別な日を取り上げるのは、ハロウィンでも無ければ、万聖節でもない。実は1517年の10月31日に歴史的大事件がヨーロッパで起こったのだ。
 ドイツ、チューリンゲンの静かな大学都市、ビッテンベルグの城教会扉に、一人の修道士が「95ヶ条の提題」と称する質問状を貼り付けた。修道士の名前はマルティン・ルター、質問を投げつけられた相手はローマ教皇庁である。かくして、ルターが提示したローマへの疑問は大きな波となってヨーロッパ全域に拡がり、宗教改革の発端となった記念すべき日が今日、10月31日なのだ。
 そのルターについて、小生は多大な興味があり、9月6日の第一回目(No.199) から、No.205 206 と3回に渡って書いてきた。今回はルターの論敵であったエラスムスが突きつけた疑問、「神の前で人間は自由でありうるか」という問題について小生なりの考えを述べてみたい。なお、ルターについては前の3回の文章を読んでいない方は、できればNo.1、2、3をも合わせて読んでいただきたい。ルターは95ヶ条の提題でローマ教皇庁とやり合って宗教改革が始まった経緯をここで書いたからだ。
 ルターを大きく動かしたのは、ローマ書の「人は善行によって救われるのではなく、ただ神の恵みを信じることだけで救われる」と言うパウロの言葉である。人間は神の前に立ったとき罪深き無力な存在であり、自分の努力で罪の泥沼から抜け出ることはできないとパウロはローマ書で語っている。良い行いをいくら一生懸命続けても、救いは来ない。ただ、神が与えた「恵み」を信じるかどうかにかかっているのだ。
 しかも、神は救う人と救わない人を選別する力を持っていて、自分が救ってやろうと思う人だけを救う。それに対して人間は何も言える立場にない。お賽銭やお布施の額で動く日本の神様とは違うのだ。神は人間とは比較にならない絶対者だから人間ごときがいくらお願いしても、神の選びに影響を与えることは出来ないのである。人はただ神が救いの手を差し出してくれることを願うだけである。
 しかし、もしそうなら人間には自由はないことになる。ルターの言う通りとすれば、人間は神の奴隷にすぎないではないか。エラスムスは論敵ルターの弱点をそこにあると見たのだ。エラスムスのこの疑問にルターは、「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも従属していない。キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、だれにも従属している」と言っている。
 熱烈なキリスト教徒であるルターにとって、神は絶対的存在である。人間は神の創造物にすぎないから、自由であるように見えても、最終的には仏の手の上を飛び回った孫悟空のようなものにすぎない。エラスムスが問うた自由は、そうした人間という程度の低い段階での自由である。そんな次元で人間が自由であると考えるエラスムスこそナンセンスなのだ。人は神の恵みを信じた時、この上ない自由を得る。しかし、それは神の被造物であるということを認めたもとでの自由である。人は自由であると共に神の僕であるのだ。ルターにとって自由とは神が与えた恩寵を心から信じることのうちにしかないのである。エラスムスが言う「神の奴隷」になって初めて人は自由をも得るのだと考えているのである。
 ルターはカソリック教会からの束縛を解き、万人祭司、すなわち各個人がそれぞれ独立して神と向き合うことを提唱した。その意味で、暗黒の中世から個人というものを導き出したルターの役割は大きかった。このことで人々の社会的自由度はさらに増大したのである。
 だが、エラスムスの問い、すなわち絶対的な存在である神に対して有限な人間がいかにして自由でありうるのか、という問いはその後のヨーロッパ神学、哲学における重要なテーマとなった。その答えにもがき苦しんだ代表的な人がニーチェだ。彼の有名な言葉「神は死んだ」とは、絶対者の否定である。その結果人は神に束縛されない「自由」を得た。だが、そこから生じるのは根拠を失った根無し草の状態、すなわちニヒリズムである。神の支えが無い人は、空しい生を生き抜かねばならないのだ。それも永遠に。
 ニーチェのニヒリズムはこの空しさ(=自由)を力強く引き受ける「力への意志」( Wille zur Macht )で支えられる。等しきものが永劫回帰する無の世界( Welt als die ewige Wiederkunft des Gleichens )を「よし、もう一度」と決意するのだ。だが、弱き人間は空しい虚無の世界を生きられるだろうか。ニーチェ自身が晩年には気が狂ってしまったではないか。サルトルは「人間は自由の牢獄に閉じこめられている」と言った。その意味ではパウロが語り、ルターがそれを喚起した「神の恵みを信じる」ことで「自由意志」を発揮するか、それともニヒリズムの中に生きるかしか人間の選択肢はないのだ。そう小生はこの頃考え始めている。
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ルターの親友であるルーカス・クラナッハが描いたルターの両親・父、ハンス・ルターと母、マルガレーテ・ルターの肖像。Bildnisse von Margarete und Hans Luther/1525, Wartburg/Eisenach.
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by weltgeist | 2008-10-31 22:52

アメリカ旅行9・ザイオン国立公園 (No.234 08/10/30)

 ブライスキャニオン国立公園滞在二日目は、ブライスポイントからの朝日を見るつもりで、朝7時に起きる予定だった。だが、ここはユタ州だ。アリゾナ、ネバダとは1時間の時差がある。7時はアリゾナの6時を意味する。ということは一昨日までアリゾナにいた小生には眠いのだ。目覚ましを掛けたが、見事に寝過ごし、すでに外は明るくなっている。こうなれば諦めるしかない。ま、昨日夕暮れのシーンを撮影できたからと、再びベッドに潜り込み、9時頃起床。
 外に出て驚いた。雪が降っている。昨日の夕方は少し寒かったが、それでも気温は20℃を越えていたはず。それが今朝は一転して吹雪である。ダークブルーのレンタカー、トヨタ・カムリが真っ白になっている。ということは夜明けの撮影に行かなくて正解だったことになる。ブライスキャニオンはグランドキャニオンと違ってカーブの多い山道である。雪が積もっていれば危ないのだ。
 結局この日の午前中予定していたブライスキャニオン再探訪はキャンセルして、隣のザイオン国立公園に向かう。ザイオンまで距離的には1時間半ほどで行けるとガイドブックには書いてある。しかし、これはあくまでもガイドブックの時間。何処にも寄らず一直線にザイオンまで行けば1時間半で行けるかもしれないが、見る物全てが新鮮な我々にとっては、旅の途中も立派な観光道路である。面白い物を見つけたら即停まって、見学していく。これが気ままな個人旅行の良さでもある。そんなわけでザイオンに着いたのはお昼過ぎ。東ゲートで25ドルの入園料を払い、しばらく行くと、いよいよ公園の大きな岩山が見えてきた。
 日本でザイオンのことを教えてくれたYさんの話では「ブライスとザイオン、グランドキャニオンはそれぞれ全然違った景色をしていて、どれも素晴らしい」と言われたが、確かに今まで見てきたグランドキャニオンやブライスキャニオンとは全く違った、大きな岩だけで出来た山の塊りという感じである。これがザイオンの特徴なのだろう。
 ところで、ザイオン国立公園は、車で奥までいくことは出来ない。バージン川という渓谷の左右にある巨大な岩山を、公園の無料シャトルバスを利用し、途中下車して歩いて見るしかないのである。公園の中にはハイキングコースがいくつも作られていて、足の丈夫な人はこれを歩くし、丈夫でない人はバス停周辺を観光したら、次のスポットまでまたバスで移動するというのがこの公園の楽しみ方になっている。そのため、シャトルバスは15分おきくらいに来て、どんどん観光客を好みのポイントに運んでくれる。
 我々は初日はカーメルハイウエーにある「キャニオン・オーバールックトレイル」、翌日は「ヒドゥン・キャニオントレイル」という、二つのハイキングコースを歩くことをメインに計画を立てていた。
 「キャニオン・オーバールックトレイル」の方は最初の登りが岩の急な崖でややきついが、その後はゆるやかな登り坂で、最後にザイオンの山々がパーッと見え、眺望も素晴らしかった。しかし「ヒドゥン・キャニオントレイル」の方はかなり激しい登りと、高度感のある微妙なバンドのトラバースや涸滝の登攀があるハードなもので、こちらを登った後はヘトヘトになってしまった。道は垂直の岩壁に幅が1mもない非常に細いもので、しかも、砂岩のバンドの上には砂が乗っていて滑りやすい。下は数百mもの絶壁になっているからスリップすれば即死である。ところが、そんな危険と思われる所でも鎖のない場所が結構あり、高所恐怖症の人は足がすくんでしまうだろう。しかし、ここで墜ちてもそれは自己責任の範疇に入るようだ。トレイルの入り口には各種の危険や歩行時間、高低差などが書かれている。死にたくない奴は登るな、というわけで、自信のない人は歩かなければいいのだ。
 一般車両通行を禁止し、公園の核心部分は無料のシャトルバスで、各ビューポイントを見させて行くのも、国立公園の中を排気ガスなどで汚染させないための処置であろう。米国の自然保護についての考え方の一環が分かる気がした。バスは15分おきにやってくるから、車が無くても全然不便な感じがしない。むしろ、何本もあるトレイルの起点でバスを降りて、次のバス停までトレイルを歩くようなコース設定がいくつもあり、便利でもあった。
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キャニオン・オーバールックトレイルを登り詰めると、突然視界が開け、ザイオンの峰峰が見えてくる。このトレイルの登りはたいしたこと無いから体力の無い人にもお勧めできる。
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ヒドゥン・キャニオントレイルの途中から見た、「グレート・ホワイトスローン」。白い一枚岩は世界最大級の大きさで高さは732mあるという。
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写真左 今回のアメリカ旅行は蝶のシーズンが終わった時期のため、17日間でわずか数頭の蝶を見たにすぎず、たった5カットしか撮れなかった。そのうちの4枚はピンボケ。残ったこの1枚がアメリカを代表する蝶・オオカバマダラの飛翔シーンである。蝶オタクの小生にとって、一枚だけでも撮れたことは幸運だった。
左下 ザイオンのトレイルは危険な崖のトラバースでも鎖が無いところがある。岩の上に砂が乗った道は滑りやすい。足下が百m以上切れた崖を歩くときは注意が必要だ。ヒドゥン・キャニオントレイルにて。
右上 公園入口のスプリングデールの町で泊まったホテル Bumbleberry Inn 。このホテルの裏山からして迫力がある山が迫っていた。
右下 「司教の宮殿」と呼ばれる場所にそびえる3つの岩峰は左からアブラハム、イサク、ヤコブと旧約聖書に出てくる人の名前が付けられている。そもそもザイオンという名前からして、旧約聖書で言う「シオン」のことである。きっと公園や山の命名者は聖書に出てくるゆかりの地を思って名前を付けたのであろう。
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ウイーピングロックの垂壁に3人のクライマーが取り付いていた。ほとんど垂直の壁を人工登攀で登っているところを300㎜のレンズで狙ってみた。中は170㎜、右は70㎜にして同じ場所をそれぞれ撮ったもの。一番右の70㎜が人間の肉眼で見たものに最も近い。肉眼だと人間はゴマ粒くらいにしか見えない。
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夕方食事に出たら、「ウエストテンプル」の一部と思われる岩壁が赤く輝いていた。こうした景色を見つめていると何か崇高な気分になる。
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写真左 ザイオンのシャトルバスで行ける最終地点がここ、「シナワバ寺院」。これから先はバージン川を遡行して上流に行くのだが、しばらく行くと両岸が6mくらいの狭いゴルジュになり、左右の岩壁は600mもの高さになるという。そのため、ここを「ナローズ」(狭い場所)と呼んでいる。

アメリカ旅行10、シアトルへジャンプ。
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by weltgeist | 2008-10-30 23:42

アメリカ旅行8・ブライスキャニオン国立公園 (No.233 08/10/29)

 今度の旅行は前半がオレゴン州、中間がラスベガスから東にあるグランド・サークルと呼ばれる国立公園群を回り、最後はシアトルの友人宅に滞在するという、3箇所を起点に周辺を回る計画を練っていた。このうちの中間の国立公園群でグランドキャニオンだけは絶対外せない。だが、その他の国立公園の中で何処へどう行くかは日本を出る時はまだ決めていなかった。地理に不案内のところもあり、中間部だけの日数を8日間と、やや余裕がある日程にしておいた。しかし、それでもグランド・サークルの中の近場に当たるザイオンやブライスキャニオンは行けても、ずっと遠いモニュメントバレーやアーチーズ国立公園まで足を伸ばせるかどうかは自信がなかった。アメリカ人の意見も聞いて直前にコースを決めようと考えていたのである。
 しかし、アメリカは想像以上に広すぎることが分かった。ラスベガスからグランドキャニオンまで地図で見ればほんの一またぎの感じだが、実際に走るとものすごく長い距離を車で走らなければならない。8日あればもちろんモニュメントバレーやアーチーズまで一通り回れることは出来るだろう。しかし、それをやるには毎日500㎞以上車を運転し、各公園を駆け足で観光しなければならない。そんなせわしい旅をするより、じっくり滞在してその場所を骨の髄まで味わう方がずっといいというアメリカ人の意見を聞いて、グランドキャニオン以降はブライスキャニオンとザイオンだけそれぞれ2泊ずつ宿泊する計画にしたのである。そして、この3つの公園に移動するにも十分余裕を持って、必要なら途中で泊まる計画もたてていた。
 グランドキャニオンからブライスキャニオンまで行くにも286マイル(458㎞)もある。これだけでも丸一日走る必要があるのだ。折角グランドキャニオンでゆっくりしたいのが、あちらこちら総花的に回るとなれば、短時間見学したらすぐに出発して、次に着くまで長時間走り続けなければならない。そんな無理をしたくない我々はブライスキャニオンに入るまで途中カナブという町のモーテルに一泊することで、グランドキャニオンも十分時間を掛けて見ることができたのである。
 そして、翌日、余裕を持ってブライスキャニオン国立公園に入った。この公園もコロラド川の支流の浸食によって作られたものだが、雰囲気から外見までグランドキャニオンとは全然違った顔を持っていた。緩やかな山岳地帯の東側がすり鉢状に切れ込み、その下に無数の尖った岩の峰が連続してある極めて特異な地形をしていたのである。
 写真を見ればその状況が分かると思う。一本一本が百mくらいの針峰が非常に狭い間隔で並んでいるのだ。岩はグランドキャニオンのように赤い部分は少なく、全体的には黄ないし茶色で、その形が千差万別、見ていて不思議な感じになるところである。
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ブライスキャニオン国立公園は緩やかな山岳地帯になったコロラド台地の東側がすり鉢状に切れ落ち、その下に無数の岩峰がひしめき合うように連続している。これを台地の端に設けられたいくつもの展望台から眺めることが出来るのだが、最初、その異様さに息を飲んでしまった。
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上の全景写真を少し拡大したのがこれ。沢山の岩峰が所狭しと並んでいるのが分かる。小生はこれを見てタケノコがニョキニョキと生えているのを連想した。
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このように岩峰の形は千差万別である。ある岩は寺院のような形をしているし、別な物は蝋燭型、またケーキのような形の岩もあった。
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大きく特徴のある岩にはそれぞれ名前が付けられている。右側の頭に石が乗ったようなものは雷神のハンマーと呼ばれている。
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展望台の付近には谷底に降りていくいくつかの道(トレイル)がある。一番有名で歩くのもそれほどきつくない「クインーズ・ガーデン・トレイル」というのを降りて行ったら、左上の人の顔のような岩が顔前に現れ、次に前の写真の「雷神のハンマー」がすぐ脇から見えた。谷底まで一旦下ると、帰りは「ナバホ・ループ」を戻った。登りも下りも急坂だが、時間をかけてのんびり歩けばどうってことはない。ブライスキャニオンに行ったら、ぜひこうしたトレイルを歩く事をお勧めしたい。 
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by weltgeist | 2008-10-29 23:38

三浦半島、小網代のワラサ、イナダ釣り (No.232 08/10/28)

 アメリカから戻って今日で10日目だが、いまだ時差ボケが直らない。夕方6時頃が一番眠くなり、午前3時頃目が覚めて、それ以後はまた眠れなくなる。これはたまったものじゃない。こんな時は朝特別に早い釣りに行くに限るとばかり、三浦半島の小網代にワラサ、イナダ釣りに行ってきた。それだから本日もアメリカ旅行報告を中断して、釣行報告を書こうと思ったら、また時差ボケで眠くなり、結局、中途半端なアップしか出来なかった。そのため、以下の文章は29日に改めて、昨日の分を書き直したものです。
 アメリカ旅行の続きを待っていた人には申し訳ありません。釣りに興味のない人には全然面白くない内容だから、スルーしてください。しかし、すでに二ヶ月近く釣りに行っていず、釣りの事を全然書いてないと不満をお持ちの我が釣友には、お待たせの釣り報告です。
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 アメリカに行っていた10月の中旬頃は、三浦半島の剣崎沖ではワラサが随分釣れていたらしい。しかし、今は少し下火になったようで、本日の丸十丸ワラサ、イナダ船はたったの4人。40人から乗れる船を4人がそれぞれ大トモ、舳先の角角に釣り座を設定することが出来た。まるで少人数で貸し切った仕立て船のような快適さである。
 午前6時。小網代港を出港。ものの15分も走ると最初のポイント、城ヶ島沖に着いた。水深50m、底から10mくらい上を重点的に狙え、と船頭さんが指示する。だが、久しぶりなので、コマセを振るタナがよく分からない。そうこうしているうちに前後の人が入れ食いでイナダを掛け始めた。それなのに自分には一向にアタリがなく、焦りが出てくる。d0151247_80132.jpg
 どうやらタナが違っているのは明らかだ。こうなると恥も外聞もない。隣にいた人にタナと、釣り方のコツを教えてもらったら、すぐにアタリが来た。竿が根元からひん曲がるほどの強い引きで上がってきたのは明らかに50㎝オーバーのイナダである。イナダというよりワラサに近いサイズだ。だが、すでに朝のゴールデンタイムは過ぎたようで、小生はこの時点で2尾しか釣れていない。
 7時半頃、剣崎沖に移動。ここはワラサのポイントであるから、ハリスは7号にしろと言われる。小生に釣り方を教えてくれた方は飯田さんといい、某釣り具メーカーのフィールドスタッフをしているという。彼のアドバイスが良かったのか、ここで小生、幸運のワラサをヒット。先ほどのイナダもすごいと思ったが、ワラサに比べると、赤子と大人ほどの違いがある。昨年、同じ丸十丸で大きなメジマグロを掛け、タモにいれる寸前にハリスを切られた苦い思い出があるから、切られないよう注意しながら、ようやく取り込んだ。
 やった! 大きなワラサは小生の大型クーラーでも真っ直ぐに入らないだけのサイズがあり、やっぱ大物という風格があった。これを釣ったところで坊主の重圧がなくなったのか、気持ちに余裕が出てくる。だが、釣れたのはこの1尾だけ。他の3人も全員仲良く1尾ずつ公平に釣れたようだ。11時少し前まで剣崎沖でワラサを頑張ったが、その後はアタリがないので、再び城ヶ島沖にバック。
 すると、やはり他の人はどんどんイナダを掛けるのに、小生だけは蚊帳の外。またまた焦りが出てくるが、朝と同じに先輩諸氏に率直にコツを聞いたところ、「ハリスを細く5号にすると食う」と言われる。そして、その通りにすると、不思議なことに変えた第一投から入れ食いになる。海の魚は大雑把だから糸の太さなど気にしないと思っていたが、ここまで違うのは意外だった。
 午後、1時少し前に終了。小生の釣果はイナダ9尾、ワラサ1尾であった。
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これが当日釣れた最大のワラサ。大きすぎて我が家のまな板が半分くらいにしか見えない。もちろんシンクに入れても体が曲がってしまう大きさである。先ほどまで海に泳いでいたこの魚に「産地偽装」もなければ、メラミンも入っていない。クーラーに入れた氷でちょっと色が変わってしまったが、こうした新鮮な魚が食べられるのが釣り人の特権である。
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by weltgeist | 2008-10-28 23:58

アメリカ旅行7、グランドキャニオンの光と影のドラマ (No.231 08/10/27)

 ラスベガスからグランドキャニオンまでは約470㎞、車で5時間の距離をいよいよ走り出す。だが、ラスベガス市内の道は複雑で信号や交差点が多い。町中で一度道を間違えると、たいへんなので、少々危険とは思ったが、いきなりハイウエーに乗り、50㎞先のフーバーダムまで走る。この作戦が大成功。一旦高速に乗ってしまえば、あとはインターチェンジを間違えない限り、他の車と同じ速度で走ればいいから意外に安全なのだ。
 フーバーダムは時の大統領フーバーが、1931年に失業対策として作った巨大なダムで、これが当時起こった大恐慌から立ち直るきっかけにも役だったと言われている。ダムでせき止められたコロラド川の水はミード湖として、グランドキャニオンのすぐ下流まで続いている。ミード湖の貯水量は400億トン。日本全国にあるダム湖の総貯水量が250億トン、琵琶湖の貯水量でさえ280億トンしかないのだから、その半端でない大きさが分かるだろう。1982年にラスベガスから日帰り一日観光でグランドキャニオンまでセスナで飛んだことがあるが、このときミード湖の端から端まで飛行機で15分も掛かった記憶がある。それほど大きいのだ。
 フーバーダムを過ぎるといよいよアリゾナの本格的な砂漠となり、小さな草木が疎らにあるだけの道をひたすら走る。国道40号を経て、グランドキャニオンに着いたのは午後3時半。途中一度給油した程度で、アメリカでの車の運転にも慣れて順調に走れた。グランドキャニオンに入るには少し手前にあるゲートで車一台につき25ドル払うと7日間有効のチケットを日本語の公園ガイドに貼り付けてくれる。そこから10㎞ほど走ったところでついにキャニオンに到着した。マザーポイントと呼ばれるグランドキャニオンでも1、2を争う眺めの良い場所の駐車場に車を停め、ほんの5分ほど歩くといきなりグランドキャニオンがドーンという感じで現れた。
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写真左上 グランドキャニオンのゲートを過ぎてしばらく行ったら、鹿が道路の横で悠然と草を食べていた。
左下 公園の中にあるホテルに泊まるためには一年前から予約しないと難しいと言われたが、ネットで検索したら丁度キャンセルが出たらしく、幸運にも伝統あるブライト・エンジェル・ロッジに泊まることができた。一泊二人で91ドルは意外に安いと思った。
右上 グランドキャニオンを代表する展望台、マザーポイントには沢山の観光客がいた。
右下 泊まったブライト・エンジェル・ロッジ前の展望台からでもここまできれいな景色が見える。
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マザーポイントから見た夕暮れのグランドキャニオン。崖の岩は赤い色をしていて、これが夕日で一層赤く見えた。深く切れ込んだ谷底の深さは1500mもある。

 小生は25年前に一度見たことがあるとはいえ、それでも雄大な谷の景観には圧倒される。平坦なコロラド高原をスッパリと切り裂いた谷の底の方にコロラド川が流れているのがかすかに見える。谷の深さは1500mもあるというから驚く。
 グランドキャニオンの崖は赤い岩で、これがちょうど始まったばかりの夕暮れで一層赤く染まって、写真を撮るには絶好だった。前回来たときはラスベガスからの日帰りツアーだったため、夕暮れや朝焼けは見れなかった。しかし、今回はネットでキャニオンの中でも眺望がいいブライト・エンジェル・ロッジを予約できたので、日が完全に落ちるまでじっくりと見学することができた。  そして、翌朝は、暗いうちに宿を出て、朝焼けがきれいと聞いたヤバパイポイントに向かう。まっ暗い中、崖の先端に墜落防止の手すりが付いたヤバパイポイントに着くと、すでに沢山の人が夜明けを待っていた。東の空が赤く染まり、最初の曙光が谷に入ると、岩峰状の岩の突起の部分が赤く染まり、それがどんどん谷の底の方へ降りていく。岩の色は刻々と変わり、自然のスペクタクルに我々観客は酔いしれたのだった。
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朝6時、ヤバパイポイントに集まった人たちが夜明けを待っていた。やがて東の空が少しずつ赤みを増してきた。グランドキャニオンに泊まった人だけが堪能できる壮大なドラマがいよいいよ始まるのだ。
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深く切れ込んだ谷底に朝の曙光が差し込むと、岩が赤く光り始めた。岩の全面を照らす光と、後ろの暗い闇が絶妙のコントラストを見せている。そして、それが刻々と変化して行くのはただただ圧倒される。自然はかくも雄大なのだということを実感した。

アメリカ旅行8、ブライスキャニオンにジャンプ。
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by weltgeist | 2008-10-27 17:51

ついに妻も還暦を迎えた (No.230 08/10/26)

 今日は人間は働いてはならない安息日である日曜日。ようやく時差ボケも直って、朝もゆっくり「日曜の休息」をしていたら、宅急便が来て起こされた。妻の姪からだ。それを開けてビックリ。メッセージ付きの赤い花で60という文字が書かれている。実は今日、10月26日は妻の誕生日なのだ。それも60歳という還暦の日である。姪はそのことをちゃんと知っていて、こんな洒落たプレゼントを贈ってくれたのだ。やはり若いということはアイデアも斬新である。小生など到底思いつかない素敵なセンスであると感心した。
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 そうしたら、夕方までにわが妻はあちらこちらからさらに沢山の誕生祝いをもらったようだ。誕生日と言っても普通の年ではなく、干支がスタートに戻る年である還暦だから特別なのだろう。いわば人生の節目の日であることを知っていて、お祝いしてくれたのだ。姪のYちゃんをはじめ、プレゼントを贈ってくださった皆さんには、この場を借りて妻の代わりに小生からお礼を述べたい。
 しかし、結婚したとき妻はまだ20代だったのに、もう60歳。つい先日も結婚34周年を迎えたばかりで、月日の経つのが本当に早いと感じる。「門松は地獄の道の一里塚、目出度くもあり、目出度くも無し」と読んだ一休禅師の心境である。おめでたい日であると同時に、またこれで一歩歳を深めた日でもあり、めでたくもないのだ。
 ここまで二人で夢中に駆け抜けてきた人生は、長いようでいてアッという間でもあった。その間に色々なことがあったが、今思いだしてみると、全ては一瞬で過ぎ去った気がする。喜びも悲しみも、どんどん過去に流れていく。そうして、人間誰も年をとっていくのだ。年をとることだけはどんな人でも拒めない。時間は有無を言わさず平等にやってくるのだ。

 そんなわけで今日は、スペシャルデーのためアメリカ旅行の続きはちょっとお休みさせて頂きました。
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by weltgeist | 2008-10-26 21:30

アメリカ旅行6、砂漠の町・ラスベガスで借りたレンタカー (No.229 08/10/25)

 享楽の都ラスベガス。かってこの町に5日間仕事で滞在したことがある。真夏のこれ以上暑ければ人間が焼け死んでしまうほどひどい暑さの中で仕事をした。そしてここは人間が住む場所ではない、と自分なりに結論づけた。冷房の効いたホテルの中とコンベンションセンターを行き来するだけで、外に出ることは暑すぎて出来ない。試しに少しホテルから出ると、真夏に焚き火に当たっているようなものすごい熱風が身体にぶち当たってきて、めまいがするようだった。地球上にはこんな暑い所もあるのだと思い、金輪際この町には来たくないと思ったものである。
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 そのラスベガスに25年ぶりに行った。といっても小生、この町にはいささかの興味もない。博打は嫌いである。ただ、ラスベガスから東側に展開するグランドキャニオン、ザイオン、ブライス、モニュメントバレー、アーチーズなどの国立公園を巡るには、ここで車を借りるのが一番なのだ。10月7日ポートランドから空路ラスベガスに入った。ラスベガス空港からレンタカーシャトルバスに乗り、ハーツのカウンターに行く。今日から8日間、コンパクトカーを借りた場合、どこが一番安いかネットで検索したら、ハーツのホンダシビックが総額159ドルという格安料金が出た。これだと一日税込みで20ドルと馬鹿安だからハーツを撰んだのである。だが、これがとんだ思惑違いだったのだ。
 ハーツのカウンターの前に立った小生、「予約してある車を頼みます」と言った。
 「名前は? パスポート? 国際免許証? ついでに日本の免許証とクレジットカードも」と、カウンターの中年女性が矢継ぎ早に色々言ってきながら、しきりにコンピュータの画面を見て、首をひねっている。ヤバ。もしかしたら予約がうまく出来ていないのか、という不安に囲まれる。だが、敵は小生と妻のトランクを見ていたのだ。「荷物はそれだけか? 」と言う。
 「イエス」
 「そうか。それで、お前達は何処へ行くつもりだ。何、グランドキャニオン? シビックで? 」
 「何か問題がありますか? 」
 「大ありだ。こんな小さなコンパクトカーにあんたらの大きな荷物を積んでグランドキャニオンに行くのは無理だ。もっと大きな車にしたらどうだ」と言い、アメ車のSUVを勧めてくる。だが、そうなると料金は千ドルは行くと言う。
 159ドルで安く上げようと思っていたのが、千ドルでは6倍以上高くなる。そんなのとんでもない。我々は安く上げたいからシビックでいい、と言い張るのに、次々と大型の車を勧めてくる。そして、最終的にはトヨタ・カムリに納得させられた。そうでなければ延々シビックの無謀さを言いまくり、いつまでたっても車を借りられないことになるだろう。ネットで安いシビックはあっても、これは客寄せなのだ。その証拠に隣のアメリカ人もコンパクトカーを借りたいと言うのに「こんな小さな車だとあなたは片手で荷物を押さえながら運転しなければならないよ」と言われて大型に変えるよう勧められていた。
 だが、この営業力抜群のおばさんは、さらに我々に攻撃を仕掛けてくる。最後に運転者に「妻も運転する」と言ったところ、「当社は貴殿、すなわち小生と契約したのであって、貴殿の婦人が運転する場合は新たに追加登録料を一日20ドルX8で160ドル必要だ」と言うのだ。そんなの日本では聞いたことない。一旦借りれば同行者の誰が運転しても問題ないはずなのに、アメリカでは別料金が必要で、予め登録しておかないと事故を起こした場合たいへんなことになると脅かすのだ。
 結局、インターネットで安く予約したのが、すっかり契約内容を書き換えられて、650ドルもの大幅予算アップを余儀なくされた。
 そして、いよいよ右側通行の道路にソロソロと走り出る。オレゴンでは他の人に運転してもらっていたが、ここからは自分でやらなければならない。レンタカービルから出て一方通行の道をいきなり右折して、車がビュンビュン走っている道に出たときは本当に怖かった。こんなことで2000㎞もある道のりを果たして安全に走ることができるのだろうか。交差点の信号が赤でも安全なら右折してもいい、というごく初歩的な米国の交通法規をようやく覚えた程度の小生は、オドオドしながら長いドライブの旅をスタートしたのだった。
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地平線の彼方まで続く砂漠の道は日本では絶対お目にかかれない景色である。空は雲一つない快晴。砂と岩ばかりの道をトヨタ・カムリは快調に走り、とても気持ちが良かった。

アメリカ旅行7、グランドキャニオンにジャンプ。
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by weltgeist | 2008-10-25 23:23

アメリカ旅行5、セントヘレンズ山大噴火 (No.228 08/10/24)

 もし日本を代表する山、富士山が噴火したら近くに住む人はどうなるだろうか。それも単に煙を吹き出す程度の小噴火ではなく、富士山の半分から上の部分が吹き飛んでしまうような大噴火だったら。大量の土砂、溶岩、火山灰が麓の町を襲い、想像を絶するような被害が起こるだろう。だが、そんなことが、1980年にワシントン州セントヘレンズ山で実際に起こったのである。123年の間沈黙していた山が突然噴火を起こし、山頂部分が吹き飛んでしまうほどの大事件が発生したのだ。
 渡米4日目、オレゴンからワシントン州ロングビューに移動した我々は、この町に住むAさんの家にお世話になり、翌日そのセントヘレンズ国立火山記念公園に連れて行ってもらった。ロングビューはオレゴン州とワシントン州の州境を流れるコロンビア川の右岸にあり、橋を渡ればすぐオレゴンという所の町である。ここからセントヘレンズ山までは車で2時間くらい。カリフォルニア南端のメキシコ国境からカナダ、バンクーバーまで続く米西海岸きっての長さを誇る国道5号線をしばらくシアトル方向に北上した後、東側に降りて1時間ほど舗装した山道を上った終点がお目当てのセントヘレンズ山展望台である。ここには噴火記念博物館もあり、我々の他にもかなりの観光客が来ていた。
 しかし、天候は生憎の雨で、目の前に見えるはずのセントヘレンズ山は雲が架かっていて下の方しか見えない。しばらく展望台で雲が晴れるのを待ったが、風が強く寒いので、我慢出来なくなり向かいにあった博物館に入る。ここには噴火当時の様々な資料が沢山あり、下のような写真も飾ってあった。
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噴火博物館の中に展示してあった噴火前(左)と噴火後(右)のセントヘレンズ山の写真。まるで痩せ薬の使用前、使用後みたいに、山の姿が全く変わっている。

 火山国日本に住む小生にとって、噴火などそれほど珍しいものでもない。もちろん近くに住む当事者はたいへんだろうが、北海道有珠山、雲仙普賢岳、伊豆大島、三宅島などの噴火を見てきても、正直「山が火を噴いている」程度にしか思っていなかった。セントヘレンズ山噴火もその程度のものと思っていたのである。ところが、実際に来て見たらそんなものではない。まさに富士山が吹き飛んだのと同じくらいの噴火があったのだ。
 博物館でもらった資料によれば、1980年5月18日、富士山に似た美しいコニーデ型をした成層火山の山頂部分が突然大音響とともに吹き飛んで、直径1.5kmにわたる蹄鉄型の火口が出現し、山の標高は2950mから2550mと約400mも低くなったという。高速道路は300km、鉄道は24kmにわたって飛んできた噴火物で破壊された。噴火の規模からすれば日本の火山噴火とは比較にならない大きさである。だが、この噴火によって壊された家は200軒、47本の橋が壊されたにすぎず、死んだ人はわずかに57人である。噴火の割に人的被害が少なかったのは、5月18日の大噴火前、3月頃からマグニチュード5相当の地震と山頂に噴火口が出現したことで警戒を強めていたからだ。それにここは町から離れていて、住んでいる人も少なかったからでもある。富士山とは環境が全然違うのだ。
 博物館の中ではセントヘレンズ山を様々な面から紹介する映画をやっていた。この映画の核心は、CGを駆使して合成した噴火前の山が突然大爆発を起こして、大量の土砂を吹き飛ばすシーンである。それは恐ろしいほど迫力があった。小生には沈黙している富士山がもし噴火したらこうなるだろうな、という恐怖心と重なったから余計恐ろしく感じたのだった。
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展望台ではついに雲は取れず、山頂を見ることは出来なかった。ところが山を下り始めたら急に雲が取れ、一瞬だけ雪を頂く山頂が見えた。30年前まで富士山と同じような形をしていた山は、ご覧のように頭が飛んだ馬の蹄鉄型になっていた。その部分が全部周辺に吹き飛んだと想像すると、恐ろしくなる。きっとものすごい状況だったことだろう。
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by weltgeist | 2008-10-24 22:28

アメリカ旅行4,アメリカの食事とチップについて (No.227 08/10/23)

 アメリカで食事していて感じるのは、まずその量が多いことだ。彼らは我々よりはるかに大きな体をしているからエネルギーも使うのかもしれない。大きな皿一杯に盛られた料理を旺盛な食欲でもりもりと食べている。小生のように胃袋が小さい人間はついていくのがたいへんである。
 ずっと昔、初めてアメリカ出張で来た時は、彼らの礼儀が良く分からず、出された物を残すのは失礼に当たると思い、必死に食べた。まだ若かったから何とか出された物を食べきることも出来たが、いまはそうはいかない。ドカーンと出てくる量に圧倒されると、食欲も減退気味になる。
 だが、実はこれはアメリカ人でも多すぎるもののようだ。だから食べ残しても失礼には当たらない、というか食べ残していいものらしい。招待された家庭できれいに食べきると足りないと思われる、とある人から教えてもらった。量を多く出すのが向こうの礼儀なのだろう。それから、レストランなどで量が多ければお互いがシェアして食べても恥ずかしいことではないことも知った。メインディッシュを一人前だけ頼んで、夫婦二人で食べて丁度いいくらいものが多いから、食費を節約するにはこの方法は有り難い。大きな皿を一人ずつ頼み、お互いに残してしまうのは飢餓に苦しむ人たちに申し訳ないし、もったいないではないか。
 今回もレストランで食事をする場合、メニューを見てからウエイターにどのくらいのサイズか聞いて、大きめなら一人前しか頼まないようにした。レストランの方でも心得たもので、そうした注文の時は、二人でシェアするための小皿を一緒に持ってきてくれる。また余れば残りをテイクアウト用の箱に入れてくれる。
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 家庭料理は今回、6家族の家でごちそうになったが、味はどこもおいしかった。アメリカ人はあまり料理をしないと言われるが、少なくとも客人が来るときは腕を振るうようだ。ただし、料理法が日本ほど多くなく、肉なども焼くだけ、魚はフライだけという風なので、味はおいしいけれどどこでも似ていて、日本ほどバラエティに富んではいないようだった。
 肉はビーフ、ポーク、チキンが普通だが、ときどきターキーなども出てくる。これにジャガイモが付くが、イモはベイクドか、マッシュドか、フレンチフライドにするか聞かれる。またステーキを頼んだ場合は日本と同様焼き具合もチョイスする。野菜はサラダにして食べるが、日本のように煮る温野菜はあまり見ない。そのため、野菜不足になりやすい。サラダに出たブロッコリを生で食べたのはちょっと抵抗感があった。サラダのドレッシングはフレンチ、サウザンなど数種類の中からどれにするか早口で聞かれて分かりにくいから、その種類くらいは予め覚えて行った方がいい。
 メインが終わるとデザート。これが恐ろしいほどデカく、甘い。一人一個は絶対に多すぎる。また、猛烈と言っていいほどの甘さが特徴である。甘すぎるものが苦手な小生はデザートは頼まないようにしている。アントレー同様、デザートを頼まなくても一向に問題はない。

 最後にレストランで会計する場合、アメリカではチップが必要。チップの習慣のない我々はここで戸惑いやすい。最近の傾向としてチップを最初から含めて請求する国が増えている。例えばフランスはサービス料込みだから不要だが、その場合でも気持ちとして5~10%程度払う人が多い。ただし、ややっこしいのは全部の店が込みではないことだ。そうした店ではチップは払う必要がある。一方、英国などは大半がインクルードしていないからチップは必要である。欧州は国によって、またお店によって違うので請求書を良く見る必要があり悩ましく、混乱しやすいのだ。
 だが、アメリカは比較的簡単である。一般にチップはインクルードしていない。だから現金なら請求額にチップを加算してテーブルの上に置いておく。クレジットカードで払う場合は、トータル金額の下に二段の空欄があり、上にチップの金額を入れ、合計額を下の段に書いてサインすればいい。アメリカ人はチップを多め(20%くらい)に出す人がいるが、日本人なら15%程度出せばいいだろう。つまり、30ドルの請求書が来たら、チップに4.5~5ドル加えて、34.5~35ドルと書けばいい。なお、アメリカの消費税は外税のため、仮に10ドルの食事を頼んでも、請求は10+税でくる。チップは税も入れた合計額の15%である。サービスが悪く、気分を害した場合などは、5%とか10%にすることもある。しかし、頭にきたからといってチップを全然払わないのは問題のようだ。長い間旅行するとチップの額も馬鹿にならなくなる。そんなときはカウンターで食べるとチップは不要である。
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by weltgeist | 2008-10-23 23:36

アメリカの旅3・アメリカの老人たち (No.226 08/10/22)

 渡米二日目、Bさんが老人ホームに入っている知り合いを見舞い行くというので、同行させてもらった。自分自身もそろそろ老人ホームにお世話になる年代に近づき、アメリカの老人ホームがどのようなものか、興味津々なところもあったからである。Bさんが訪ねた老人ホームは、外側から見るとホテルのような格好いい大きな建物で、中に入ると廊下だけでも日本の3倍はありそうな広さに、食堂などの様々な施設がものすごく充実しているように見えた。
 今年94歳になるという***さんがいる部屋は二部屋続きのもので、日本では考えられないほど豪華な部屋である。正直、自分がもしホームに入るとしても、ここまで贅沢なものは要らないというくらいすごい。その部屋に入ると、***さんはベッドに横になっていたが、少し身を起こしてBさん夫妻と懐かしそうに話しをしていた。***さんはドイツ系らしく、壁には手書きのドイツ語で詩篇あたりのものと思われる言葉を書いた紙が貼ってあった。
 こうした場所で写真を撮るのは不謹慎なので、カメラは持っていったが一枚も写真は撮らなかった。今思うと日本の仲間のためにも一枚くらい撮っておけばよかったと思うが後の祭りである。しかし、アメリカの老人ホームがこんなに豪華とは思いもしなかった。ちなみに、これだけ豪華なホームに入居するにはどのくらいの費用がかかるのかBさんに聞いたら、日本円で一月60万円(5000ドル)くらいはするというから、ある程度お金持ちでないと入居は難しいかもしれない。
 ***さんは94歳といいながらもまだ意識はしっかりしていて、帰りしなに自分の娘さんから「明日あたり見舞いに行く」と電話があったら、本当にうれしそうな顔をしていた。今回、***さん以外にも沢山のアメリカの「老人」に会ったが、会う人のほとんどが頭だけはしっかりしていて、年寄り臭さを出さない。日本では年寄りは姥捨て山みたいにされやすい。また、年を取ると格好など構わず、汚らしい服装で過ごす「老人」が多い。アメリカの年寄りは、町を歩くときでもきちんとおしゃれしている。
 それと、小生が会った限りの人たちは、いずれも「社会に奉仕する」という明確な考え方を持った老人が多かった。若い頃お世話になったことを、リタイアして暇ができた時点で社会に還元すると考えているのだろう。色々なボランティア活動を非常に熱心にやっている人が多く目に付いた。アメリカは個人主義の国と言われている。それが老人たちは積極的に個を捨てて社会にとけ込もうとしているように思えたのである。
 小生を自分の家に泊めてくれたVさんたちも、これが「自分の奉仕すべきこと」と考えたから泊めてくれているのだ。この点でも日本人、それも特に老人は学ぶべき事柄ではないかと思った。ひるがえって自分はリタイアして何を社会に還元しているだろうか。今まで一生懸命働いてきたから、これからは楽して自分の好きなことだけをやって過ごすというのでは、まだまだ人間的に不十分な気がした。
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日曜日に教会の礼拝に来たアメリカの老人たち。この人たちの年齢を聞いて驚いた。日本ならとっくに介護を受ける年齢なのに、まだまだ積極的に社会に参加していこうという力強さを感じさせた。
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by weltgeist | 2008-10-22 21:58