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ネットカフェ初体験 (No.162 08/07/31)

 昨日、船釣り名人のT氏と都内某所で会った。2ヶ月ほど前に電話したとき、「来年はどこか海外の釣りに行こう」と言った言葉が、どうやら実現しそうな雰囲気になり、細かい打ち合わせが必要になってきたかったからだ。その打ち合わせ場所として選んだのは、何とネットカフェである。
 昔なら打ち合わせは喫茶店が定番であった。ネット時代の今は、打ち合わせをするにもパソコンが必要だから、これが使える場所がいい。それなら「ネットカフェがいいんじゃないの」とT氏が提案したのだ。なるほど、ネットカフェなら重いパソコンを持ち込まなくてもウエッブ上の情報が自由に読める。これはグッドアイデアである。
 だが、恥ずかしながら小生、実はネットカフェなるものに一度も行ったことがないのだ。そもそも、最先端社会の動きにあまり興味がないせいか、ネットカフェどころかカラオケも行ったことがない「田舎っぺ」なのである。つい最近になって初めて「メイドカフェ」に行き、目を白黒させて帰ってきた骨董的人間だから、打ち合わせがネットカフェと聞き、どんな所なのかちょっと期待感もあって出かけたのである。
 我々が行ったカフェは都心にあるビルの5階にあった。4階まで普通の会社だが、5階は降りたフロアーからすでに暗い。ドアを開けるとホテルのフロントみたいなところがあり、ここで最初に3時間分の料金を払う。小生にとってまったく未体験ゾーンに属することだから、東京に初めて来たお上りさんみたいに目をキョロキョロさせた好奇心の塊となって店内を見回す。
 受付の女性が「ソファ式椅子のある部屋か、マットの部屋のどちらにしますか」と二人に聞いてくる。まさかここに泊まるわけではないからソファの方を頼む。すると、それは通路の一番奥にあるスペースだと教えてくれた。狭くて暗い通路の一番奥まで行く間、左右は図書館並みの数の漫画や雑誌が置いてあり、コーヒーなどの飲み物は何杯でも無料らしい。
 我々が与えられた「部屋」は、小さな仕切りで切られたほんの狭い空間で、ソファーとパソコンが入ったらいっぱいの広さしかない。しかし、そこに二人で座ってパソコンを操作すると、狭いながら何か妙に落ち着いた雰囲気がしてくる。もし一人でこの空間にいたら、何とも言えないくつろぎみたいなものを感じるのではないかと思ったほどである。もちろん、住む家もなく毎日ここで暮らすとなれば、空しさみたいなものを感じるだろうが、仕事で忙しい人間が少しの間だけ休息するには、この場所は社会の喧噪から隔絶されて、平安な時間が楽しめる良い場所ではないかと思ったのである。
 それまでネットカフェは、パソコンに向かって猛烈にキーボードを叩くPC人間が集まる場所と思っていたのだが、これは自分の誤解であると分かった。むしろ、パソコンは主役でなく、孤独な若者の一時の逃避場所の物言わぬパートナーでしかないのだ。これは現代の都会におけるオアシスの役割をしているのだな、という思いがした。値段的に喫茶店より少し高い程度で、飲み放題、読み放題、見放題ができて瞬間的にでも社会から途絶出来るのだからいい息抜きの場となるのだ。、
 しかし、我々のように本格的にパソコンを使って、航空路やホテル、フィッシングロッジ、船宿などの情報確認に使うのは、限界があるようだ。目的のホームページにアクセス出来ても、それから先の予約などはパソコンにセキュリティが掛かっていて出来ないのだ。クレジット番号などを入力すると、後からきた人にそれを盗み取られる恐れがあるからそうした制約を設けているのだろう。
 そんなだから、最初は妙にくつろぐと感じたが、暗くて狭い空間の中で、様々な制限を掛けられたパソコンをいじっているうちに、不意に息が詰まるような感じを受けるようになった。一見すると居心地が良さそうに見えて、その実長くここにいると何か人間が不健康になって行く気がしてならないと思うようになり、急いで二人はネットカフェを出たのだった。
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by weltgeist | 2008-07-31 23:18

アユ釣りは天国と地獄のシーソーゲーム (No.161 08/07/30)

 昨日のアユ釣りはあまり釣れなかった。釣れないとなると、竿を持っていながらも、余計なことを色々考えてしまう。釣れない原因はアユがいないためか、それとも自分の操作が悪いからなのか、悶々としながらその理由について一日中考えさせられてしまったのである。恐らく、昨日の相模川はアユのコンディションも悪かったところに自分のオトリ操作の不手際が重なって、芳しくない結果に終わったのだろう。
 アユ釣りは、普通2尾のオトリを購入してスタートする。購入するオトリは養殖した温室育ちの坊ちゃんアユで、自然界にいる野アユとは体色から、泳ぎ方、力強さなどの点で全然違う。こんな魚で歴戦の勇士である野アユを挑発させ、体当たりしてきたアユを引っ掛けるには少し難しいところがある。というのも野アユは自分の大切なエサ場となる場所にナワバリを造っていて、これが奪われそうな強いアユしか攻撃しないからだ。弱い者など相手にしないフェアープレイの精神を持った魚なのだ。
 だから弱々しい養殖オトリだと、なかなか相手にしてくれない。釣り人は一刻でも早く元気な野アユを釣って、これに取り替える必要があるのだ。いつまでも養殖アユで狙っても、野アユは掛かってくれないのである。そのためには養殖オトリを如何にも自然な野アユのように見せる巧みな竿操作が必要なのだ。
 そして、これがうまくいってひとたび天然野アユにオトリが替わると、状況は一変する。野アユオトリは今までの不自然な泳ぎと全然違って、ナワバリアユがいるところに勢い良く突っ込んで行くのである。だから無視していたナワバリアユも挑発されたと感じて、オトリに攻撃を仕掛けてくる。養殖オトリでやったらほとんど反応が無かった場所が、野アユをオトリにすると見違えるような釣れ具合に豹変するのはこのためである。ここにアユ釣りの面白さの神髄がある。絶望的な状況下に置かれていた釣り人が、元気な野アユをゲットし、それをオトリにしたとたんに元気な野アユが次から次へと新しい野アユを補給してくれるようになる。今までの不調は何だったんだと思われるほど劇的な釣れ具合に変化するのである。
 この感覚は仕事をする企業人の姿そのものという感じが小生にはするのだ。2尾の貧弱な資本から事業を始めるが、最初は失敗しやすいから慎重でなければならない。しかも原資はやや能力不足の2尾の養殖セールスマンしかいない。これがどこかから有能な野アユセールスマンをヘッドハンティングしてくれないと事業は順調になれないのだ。
 だが、うまく野アユが手にはいると、その後はどんどん儲けることができる。たいした努力もせずに、笑いが止まらない状況となってくるのである。ところが、その好景気は非常に不安定なもので、少しでもセールスマンの扱いを間違えると、たちまち売れ行き不振となり、不況の波に流される。資産に陰りが見えれば倒産、破産の可能性さえ現れてくるのだ。その分かれ道は経営者である釣り人そのものの腕に掛かっているのである。
 アユ釣りは循環の釣りと言われている。元気なオトリを次々にゲット出来れば、釣果は加速度的にアップする。しかし、一度循環の輪が切れるとたちまち地獄のような苦しい状況下に転落する。浮き沈みの非常に激しい釣りなのだ。それは厳しい事業の一線で働く企業戦士そのものの姿であるような気がしてならない。
 ここで味わう天国と地獄の鮮やかなまでの落差、それが自分の竿操作一つで瞬時に変わってくるからこそアユ釣りは面白いのだ。全ては釣り人の自己責任で釣果が決まってくる。厳しいけれど、それだけ奥が深く、味わいのある釣りなのだ。
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これが元気溌剌の野アユ。魚屋で売られている養殖アユと全然違った色をしている。エラの前後にある黄色い斑紋は追い星と言ってアユが興奮状態にある時の指標である。このアユは尾ビレまで黄色くなっているから、まさに攻撃性たっぷりの証拠である。前日の相模川のアユの写真と見比べれば色の違いは歴然。相模川でもこのくらい元気な野アユがいれば、すぐ次のアユを掛けてくれたろうに。
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by weltgeist | 2008-07-30 23:52

相模川のアユ釣り (No.160 08/07/29)

 7月10日の魚野川以来、19日ぶりにアユ釣りに行ってきた。場所は神奈川県の相模川である。神戸じゃ鉄砲水、金沢じゃ洪水と大騒ぎしているから、釣りで川へ行くのはイマイチ雰囲気が悪い。そんな後ろめたい気持ちがあったのか、今日は全然釣れない。川にアユがいる感じがしないのだ。
 いつもの通り、望地のオトリ屋さんから2尾のオトリを買い、川の状況を聞くと「そこそこ釣れてるよ」と言うが、オヤジさんはこちらの方に目を向けず何か口ごもったように話す。こういう場合はまず釣れていないと見た方がいい。釣れているときだと、こちらの顔をしっかり見て「バンバン釣れてる。早く行かないと釣る場所が無くなっちゃうぞ」と景気のいい話っぷりをする。ここのオヤジさんは案外正直だから、その態度で川の状況が予測出来ちゃうのである。
 河原に降りると6月に来たときの半分くらいしか水が無い。北陸や神戸はありすぎて困っているというのに、ここはどうやら渇水のようだ。心なしか釣り人の数も少ない気がする。水が少ないから水中糸は0.04号にし、1尾目のオトリをポイントとおぼしき場所に放す。
 いつもなら、しばらくするとオトリに野アユがまとわり付く感触が竿に伝わってくるのだが、今日は全く無反応である。生物反応のようなものが無いまま、1時間が経過。釣れない。その上、猛烈に暑くなって顔から汗が噴き出してきた。寒かった魚野川の印象のまま来たから、ウエーダーで始めたのが間違いだった。体中が蒸し風呂みたいな感じになってくる。
 1尾目のオトリがグロッキーでこれを放流したのを機に、車に戻ってタイツに履き替える。このように釣りで状況が悪い場合、思いきり違った行動をして仕切り直しするのが小生のスランプ脱出法である。竿もグランドスリムからゼロドライブに切り替えた。だが、タイツで体は少し涼しくなったが、相変わらず釣れない。
 最初の1尾目が来たのは釣りを始めて1時間半ほどたってからである。残った2尾目のオトリがもう少しで駄目になる寸前で、12㎝くらいの小さなアユを掛けてくれた。企業で言えば倒産寸前のところで公的資金を注入されたようなものである。小さくても貴重な戦力となるこの野アユをオトリに替えると、しばらくして今度は18㎝くらいのがきた。普通はここからが大反撃の時である。ところが、今日はその後がまた続かず、折角釣れた野アユも元気がなくなって再び倒産間近のヤバイ状況に戻ってしまう。
 それでも、このオトリを騙し騙し使いながら、アユがいそうな良いポイントを求めて前後に大きく移動を繰り返す。すると、忘れた頃にポツンポツンと掛かってくる。多少は釣れるが、いつもの相模川のペースから見れば、超スローである。
 釣れないからと、年甲斐もなく水の中を激しく歩き回ってすっかり疲れてしまった小生、「今日はアユも夏休みだろう」と判断し、4時に竿を仕舞った。夏のアユは「土用隠れ」と言って、暑い時期は釣れなくなる。連中は深い淵などに集まって「避暑している」と言われている。そんな時は人間も釣りなどせずに、避暑にでも行った方が利口なのかもしれない。
 条件の悪いとき自滅する釣り師のパターンは二通りある。ごく常識的な普通の人は、場所を変えるとか仕掛けや釣り方を変えるということもせず、終日同じような場所で同じ釣り方を繰り返して自滅する。もう一方は、状況が悪すぎることも気づかず、めまぐるしく釣り場を歩き回わり、仕掛け、釣り方、その他自分の思いつく方法をとことん試すが、結局、状況の悪いことには勝てず自滅に追い込まれる。
 小生は、もちろん後者である。今日はその戦略をモロに実践し、上から下まで釣り場を動き回ってへとへとになってしまった。しかし、不幸中の幸いというか、自滅まで至らず、本日の釣果は23尾まで確保できた。ま、不満は残ったが、家から1時間で来れる近場で、土用隠れの中だから、上等の部類ではなかったかと自分では思っている。それにしても、この暑さの中で釣れないと、さすがの釣りキチ小生も、釣る気を持続させるのにかなり辛いものがあった。
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 *2008年鮎釣り第11日目、釣果23尾、累計総釣果410尾、日アベレージ37.3尾。
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by weltgeist | 2008-07-29 22:52

狭き門より入る (No.159 98/07/28)

 昨日は自分自身に対する約束を破ってしまった。このブログを始めるに当たって、旅行や釣りでアップロードが不可能な場合を除き、毎日更新を続けると誓ったことが出来なかったからだ。残念ながら昨日の記載は無し、空欄のまま本日を迎えてしまったのである。
 何故昨日アップが出来なかったか。その理由は自分自身の力不足である。実は、ある程度の所まで原稿は出来ていたが、最終的に「このような低レベルなものを世間に公表するのは失礼に当たる」と判断し、掲載を断念したのだ。決して自分の文章が人より優れていると思っているわけではない。ただ、自分自身が設けたクオリティのレベルに達しないと思い、掲載するより空欄の方を選んだのである。
 「それではお前が今まで書いてきた文章は、クオリティに自信があるんだな」と問われれば、「自信はありません」と言うしかない。自分が出来る最善は尽くしたつもりだが、結果として何とも下らないことをダラダラと書きつづったものがいくつかある。しかし、自分の出来る能力を一生懸命発揮してそれしか書けないなら、それは仕方がないことだろう。最善を尽くしたという確信が持てたなら、レベルは低くても妥協してアップしたものが何点かあるのは事実である。
 だが、昨日はこれとは違って何か燃えないものがあった。スランプだろうか。書きたいことが湧いてこず、ただ字面を埋めただけのものになったと判断したので、掲載を中止したのである。
 自分はものを書く事が好きだから、毎日この程度の文章を書くことなど平気と思っていた。それなのに実際、こうした文章を毎日書いていると、想像以上に大変なことが分かった。原稿作成の意味では充実していても、その他のことをする時間が無くなってしまうのだ。これはリタイア人の特権である豊富な自由時間の喪失となる。
 だが、そんなことで言い訳はしたくない。とにかく昨日は挫折したが、まだこの挑戦は続けるつもりでいる。毎日毎日書き続ける。苦しくとも頑張ってどこまで続くか、自分自身でもそれを見極めたい気がする。リタイアして、終日やることもなくブラブラと無為な時間を過ごすのは楽でいい。今まで忙しく働きずくめの企業戦士にはそうした休息の時間も必要かもしれない。しかし、小生にそんな生活は向かない。人間が鈍って駄目になると信じているからだ。投げ出したくなることがあっても、じっとこらえればいつか乗り切れるだろうと思っている。
 すでにこのブログを始める時点で楽より苦難の道を進むことを自分は選んでしまったのだ。最早、狭く茨に満ちた歩きにくい道を進むしかないのである。d0151247_15101533.jpg



狭き門より入れ。
滅びに至る門は大きく、
道は広い。
その道に行く人は多い。
マタイ 7・13













Carlo Criveli 1430/35? -1493/95
Saint Jaques de la Marche
Musée du Louvre
*カルロ・クリヴェッリの絵に興味のある方は、No.80 4月27日の書き込みを参照してください。
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by weltgeist | 2008-07-28 15:03

北海道ウスバキチョウ探索旅行2 (No.158 08/07/26)

 7月24日、今日が旅の最終日である。残された時間は午後1時までの約半日。今日は何んとしてでも山に登り、少ない可能性に賭けるしかない。幸い、昨晩降った雨は止んで、外は濃い霧が立ちこめている。山の上がどのような天気か分からないが、許される時間を出来るだけ長く使うために、朝6時に宿を出て、登山口の山岳管理小屋に向かった。
 ここで登山者カードに名前を記入する。登山者カードに名前を書くことは実に40数年ぶりである。谷川岳一之倉沢や穂高で名前を書いていた頃は、まだ若くて心臓も十分機能していた。しかし、今は二度の心臓手術で山など登れない半病人の状態である。その体で山に行こうと言うのだ。
 ザックにデジタルカメラD300、D200のボディ2台と5本の交換レンズ、ストロボを入れると、ズシーンとした重みで足が地面にめり込む気がした。数分間、思い悩んだ末に、D200と12-24㎜レンズは車の中に置いていくことにする。自分の体力を考えれば、荷物は出来るだけ軽くする必要があるのだ。
 案の定、歩き始めてすぐ心配していた息切れと心臓痛が起こった。まだほんのスタートしたばかりのゆるい登りで心臓が早鐘のようになり、今にも破裂しそうな感じになる。若い頃、涸沢に張ったテントから、北穂高岳山頂まで走るように登り、滝谷の岩壁を登攀していた時代もあった。だが、今は少し登っただけで息を整えなければならない情けない体になっているのだ。息切れで休んでいる横を同年代と思われる夫婦者が「お先に」と言って追い越して行くほどで、まさに「老兵はただ消え去るのみ」の状況である。d0151247_2213720.jpg
 だが、それでもウスバキチョウに会いたいという執念は小生の中で燃え盛っていた。「登れ、登るんだ。ウスバキチョウのいる世界まで」そう心の中で叫ぶ声が自分を力づけた。心臓は痛かったけれど、それに耐えて一歩ずつ足を上に持ち上げて行く。疲れて足が上がらなくなる度に、「登れ」という内面の声が大きくなり、ついには心全体に響き渡る。今や、自分は体力ではなく、ただ精神力だけで上に登ろうとしているのだと思えた。
 半病人の弱い足取りが少しずつだが確実に、ゆっくりと高度を上げて行き、ついには森林限界を越えた高山帯に達した。小さな雪渓を乗り越え、低いハイマツとナナカマドのトンネルのような所を過ぎると、山の傾斜が緩くなって、砂礫の間に高山植物が咲き乱れる台地が現れた。ミヤマキンバイ、チングルマ、チシマギキョウ、エゾコザクラ、ホソバウルップソウなどの他、名前も知らない高山植物が沢山咲いている。そして、その向こう側に桃色をしたコマクサの花も見えてきた。高山植物の女王と言われるこのコマクサこそウスバキチョウの食草なのだ。
 ついにその場所に来た、ウスバキチョウが舞う大雪山の天上界に。
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霧に被われていた頂上付近のゆるい台地状のお花畑が一気に晴れると、今を盛りに咲くコマクサめがけてウスバキチョウがどこからともなく飛んできた。小生にとってそれは天上の楽園のような素晴らしい出来事に思えた。

 霧は相変わらず山を被っていたが、それは次第に薄くなっていくようだった。疲労した体は最早限界に近かった。しかし、もうこれ以上登る必要はないのだ。ここで霧が晴れるのを待てば、そのうちにウスバキチョウがコマクサを目指して飛んで来るだろう。それを待っていればいいのである。
 小生はカメラを出して霧が晴れるのを待っていた。しかし、すでに時刻は11時になろうとするのに、一向に霧は晴れず、虫一匹飛ばない静寂な時間が過ぎていく。やはり、前日からの悪天候がまだ続いているのだろうか。高山蝶は陽が出ないと飛ばないのだ。自分の運の悪さを嘆き、刻々と迫るタイムリミットを気にしていた。その時だ、突然霧が晴れて陽が差してきた。すると、すぐさま遠くに黄色っぽい蝶が飛ぶのが見えた。d0151247_2242260.jpg
 ウスバキチョウか? 一瞬、そう思ったが、それは同じく大雪山だけにいるダイセツタカネヒカゲと呼ぶ、天然記念物の蝶のようだった。それにしても、太陽の力とは何と偉大なことだろうか。先ほどまで虫の気配など何もなかったのに、陽が照ったと同時にどこからともなく数頭のダイセツタカネヒカゲが飛び出して来たのである。
 しかし、飛んだからと言って、すぐさま写真が撮れる訳ではない。登山道の左右にロープが張られ、彼らが飛ぶお花畑の中は立入禁止になって行けないのだ。道の近くまで来てくれるのを待たないと、写真は撮れないのである。
 だが、だが、まだ神様は我を見捨てていなかった。何と、1頭のウスバキチョウが道の方に飛んできて、すぐ脇の砂礫の間に止まったのだ。それはもう奇跡に近い出来事だった。
 誤算だったのは近くに来たウスバキチョウの近接撮影を想定して60㎜マクロレンズを装着していたことだ。ところが、蝶は道から3mくらい離れた所に止まっていた。これではレンズが短すぎて蝶がゴマ粒くらいにしか写らない。急いで300㎜望遠レンズに取り替える間、彼女が手の届かない所に飛んで行ってしまうのではないかと、気が気ではなかった。しかし、まだ幸運の女神はわが手元にいた。急いでピントを合わせシャッターを押す。構図など考えている余裕はない。とりあえず撮れるチャンスを逃がすまいと、夢中でシャッターを押したのだった。
 「ガシャ、ガシャ」っというシャッター音が響き、それに驚いたようにウスバキチョウが逃げていく。チャンスは一瞬で終わった。
 だが、撮れた!! 液晶画面で確認するとしっかりウスバキチョウが写っているのが分かった。やった。撮ったぞ。この瞬間小生はほとんど忘我の興奮状態にあった。ここに至るまで雨に耐え、心臓の痛みに耐え、霧が晴れるのをジッと待ち続けてきた。そんな苦労もこの一瞬で全て消え去っていったのだった。
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すでに発生の盛期を過ぎたウスバキチョウは、その名前の由来となった黄色い色も、また鮮やかな朱色の紋もやや色あせていたが、それでも小生にとってはとても素晴らしい蝶に見えた。生きたウスバキチョウに出会えたことが最高に嬉しいのだ。あわてて撮ったからやや手ブレがあるのと、右側にカメラを少し振ってコマクサをもうちょっと写し込めば良かったかなと思っている。だが、贅沢は言えない。撮れただけで十分満足しているのである。
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by weltgeist | 2008-07-26 22:05

北海道ウスバキチョウ探索旅行1 (No.157 08/07/25)

 大雪山ウスバキチョウ撮影の旅は、非常に激しい雨で始まった。東京は晴れていたのに、千歳空港に着いたら土砂降りなのだ。釣りなら雨は歓迎でも、観光はいただけない。まして、今回はウスバキチョウの写真を撮るという大目的があるから、雨は困るのだ。雨が降ればウスバキチョウのような高山蝶は絶対飛ばない。日程は予備も入れて3日間とってあるとはいえ、初日から雨は痛いのである。
 この悪天候の原因は台風7号崩れの温帯低気圧のせいだ、とレンタカー会社の人が言っていた。それなら雨も半端でないかもしれない。しかし、そうは言っても悪天候は仕方がない。この日は予定していた登山ルートの偵察を中止し、大雪山麓の層雲峡までのんびりドライブすることにした。今日中に宿に着けばいいから、ロクな景色も見えない高速など使わず、わざと田舎の道を選んで層雲峡に向かう。途中、雨は激しく降ったと思うと突然晴れ間が拡がるといった不安定な天候で、いかにも台風崩れの感じだ。それでも北海道の気温は20度くらいで快適だし、田舎道から見る雄大な景色は素晴らしい。
 夕方、層雲峡の宿に着き、すぐ明日の天気予報をチェックすると、明日も雨である。それもかなり激しく降ると言う。これでは蝶も飛ばないから、大雪山に登ることは出来ないかもしれない。
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 翌23日、前夜の予報は当たって、朝から滝のような豪雨である。しかし、大雪山に登れず途方に暮れる小生に、宿の主人がいい情報をくれた。層雲峡から車で1時間ほど行った丸瀬布に「森林公園いこいの森・昆虫生態館」というのがあり、少し前にそこで高山蝶の一種であるオオイチモンジを生きたまま放し飼いにしているニュースを見たというのだ。オオイチモンジも本州では高い山にしかいない珍しい蝶だから、もし生きた姿が撮影出来るなら、悪くはない。23日は、まず午前中ここに行き、午後は天候の回復次第で決めることにした。
 だが、昆虫生態館に着くと、期待していたオオイチモンジの放し飼いはなく、大きな温室には何と沖縄の蝶が生きたまま放されているではないか。オオイチモンジが沖縄の蝶に化けていたのだ。北海道まで来て沖縄というのもしっくりしない。しかし、折角ここまで来たのだからと中に入ると、ムッとするような暑さの中、大きな白い蝶が沢山飛んでいる。オオゴマダラである。これ以外にスジグロカバマダラやシロオビアゲハといった南方系の蝶が温室の中を沢山飛んでいる。北海道の人に沖縄は珍しいかもしれない。しかし、北海道観光に来ている小生には北海道の蝶、オオイチモンジの放し飼いが見たかったのだ。それはかなわぬ夢のようだった。
 仕方ない。この際だからとオオゴマダラやスジグロカバマダラの撮影をする。だが、室内は猛烈に暑い亜熱帯気候で、15分もいると汗びっしょりになってしまう。北海道で南国の猛暑を味わうのはご免である。たまりかねて、外に出ると、雨が上がり公園の花には北海道の蝶が沢山飛んできていた。外は一時的に晴れていて、こちらの方がずっと気持ちが良かったのである。
 結局、この日は留辺蘂から石北峠を経て、糠平湖と然別湖をドライブした後、夕方には層雲峡の宿に戻った。3日間の予定をたてていたから、ウスバキチョウの撮影する時間は十分あると思っていたのに、あと1日しかない。それも明日の19時までに空港に戻っていなければならないから、どんなに遅くても午後1時には山から下りなければならない。実質的には半日しか残っていないのだ。
 天気予報で明日は曇りだと言う。しかし、先ほどまで晴れ間が見えて天候が回復したと思っていたのが、夜半に再び強い雨が降り、日高、十勝地方に大雨洪水注意報が出た。下界は曇りでも山は雨かもしれない。万事休す。ああ、何とも絶望的な旅で終わってしまうのだろうか。
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涼しい北海道でウスバキチョウの写真を撮りたいとやって来たら、悪天候のため沖縄の蝶、オオゴマダラを撮るはめになってしまった。北海道とは思えない蒸し暑い温室で汗だくになって撮影するのが何とも悲しいような、嬉しいような複雑な気持ちになる。
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by weltgeist | 2008-07-25 22:48

錆びたピッケル (No.156 08/07/21)

 明日から大雪山にウスバキチョウの写真を撮りにいくための支度をしているうちに、押し入れの奥から古いピッケルが出てきた。長い間全く手入れしていなかったから、真っ赤に錆びているが、尖ったピックの部分に「シャルレ・モーゼル、スーパーコンタ2」と書いてある。若い頃、ありったけの貯金を叩いて買ったフランスの名ピッケルである。
 ピッケルというのは雪や氷のあるところで使う登山用の杖で、先端の尖ったピックと鍬みたいになったブレードから成り立つ。しかし、クライマーにとって、ピッケルは単なる杖ではなく、命を預ける杖であり、力の源泉を与えてくれる魂の拠り所のような物でもある。
 昔の古典的クライマーはピッケルに憧れ、鈍い金属の光を見ていると、侍が刀に見とれるような錯覚に陥ったものである。元々が欧州アルプスの氷壁を登攀するために開発されたものだが、昭和30年代には日本でも札幌の「門田」や仙台の「山内」が日本刀の製法を参考に優れたものを造っていた。小生も最初は国産の安物ピッケルを所有していたが、欧州製品の模倣で物足りず、しばらくしてスイスの「ローマン・ウイリッシュ」というピッケルに買い換えた。
 ウイリッシュはピックからブレードにかけて美しいカーブを描き、家でそれを眺めているだけで至福の時間を過ごすことができた逸品であった。しかし、美しいものがそのまま優れた道具になるわけではない。実際ウイリッシュを使って氷の上に足場を築くステップカッティングをすると、うまく氷が切れない。ブレードのカーブは美しいけれど、現場で氷を切るにはもう少し内側にカーブしていないとうまく切れないのだ。
 その時、一緒に冬山に登っていた誰かから借りたピッケルが、軽い力で簡単に足場が切れることを知った。それがシャルレのピッケルだった。しかし、フランス製のこのピッケルは、貧乏な学生の身分で買うにはあまりに高すぎた。当時のシャルレにはピックの所に半月状の切れ込みが入った「モンブラン」と切れ込みの無い「スーパーコンタ」の2タイプがあった。モンブランは国産の門田や山内の日本刀的デザインに比べて、極めて斬新で、魅力的だったが自分のお金で買える範囲を超えたものだった。
 結局、購入したのがこの「スーパーコンタ2」である。コンタとは、当時シャモニーにいた山岳ガイド、アンドレ・コンタミヌの名前をとったものである。以後、このピッケルは小生の登山の歴史を共に歩くことになり、その後登山からイワナ釣りに転向すると共に忘れ去られていったものである。
 そんなクライマーの魂であるから、ピッケルにまつわる話は多い。一番印象に残っているのは、オーストリアの天才クライマー、ヘルマン・ブール (1924-1953) がパキスタンの巨峰・ナンガパルバット (8,125 m) に単独無酸素、無装備ビバークという信じられない方法で初登頂したとき、その証拠としてピッケルを頂上に残してきたことだ。この山は、過去にドイツ隊が6回も挑戦しながら31人もの命を奪われて敗退し続けてきた魔の山である。アルプスの困難な大岩壁をダンサーのような華麗さで登ったことで知られるブールが、それを単独で初登頂したのだ。しかし、この山を、単独で登ったことなど世間は誰も信じないだろうからと、登頂の証拠にフルップメス製のピッケルを残してきたのである。
 ピッケルはクライマーの魂であると共に、彼の安全な帰還を保証する道具でもある。他の8000m登頂者と同じように、奥さんや恋人の写真を残すこともできたろうに、ブールはピッケル無しにアタックキャンプに戻る決心をしたのだ。彼がナンガパルバットの頂上からキャンプに戻ってきた直後の写真が、自伝「8000mの上と下」の中にある。まだ29歳という若さにもかかわらず、やつれた顔は60歳くらいの老人の顔になっていた。あの人食い山と言われて恐れられたナンガパルバットの山頂から、単独無酸素でピッケルも無しに戻ったことがいかに過酷であったか、ブールだから出来た超人的偉業と今も語られている。
 ブールはその後、カラコルムのチョゴリザで雪庇を踏み外して遭難死した。しかし、彼が残したピッケルは後になって登頂した日本人登山家・池田壮彦氏によって発見され、確か1990年代に入ってブール未亡人に返却された。すでに80歳くらいのおばあさんになっていたブール未亡人が「私が人生で手にした一番大切な物」と言ってこのピッケルを受け取るところをテレビが放映しているのを見て、小生にも感慨深いものがあった。歴史を生き抜いた記念すべきピッケルは今、オーストリア山岳博物館に飾ってあるという。
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というわけで、明日から大雪山に行きますので、次の書き込みは25日になります。天気予報は雨、ウスバキチョウに会えないのではないかという不安があります。
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by weltgeist | 2008-07-21 17:43

ビオトープについて ( NO.155 08/07/20)

 ビオトープという言葉を最近聞く。元々はドイツ語の「生物空間」という意味から派生したもので、日本では池や水たまりを設け、そこに様々な生物を呼び込む場所を造るという意味に捉えているらしい。水辺を中心に多様な生き物が住み着き、次第にそこに一つの生態系が芽生える、そんな運動を指すようだ。そのビオトープの基本は人間のお節介、影響力を排除し、自然に任せておくことである。初めは池を造ってメダカを入れるとか、植物を周囲に植えるといった最低限のことはしても、その後は人間が手を加えることなく自然のなすがままに任せる。そうすると、池にカエルやトンボが来て卵を産む。植物は鳥や風が運んできた種子で色々なものが生え、最初に想定したものから思いもしない自然環境が出来上がる。それが面白く、また自然の深みを学ぶことにもなるのだ。
 ちょっとした疑似自然的環境を造ってやると、沢山の生き物が集まってきて、その場所だけの小宇宙を形成する。だが、ここで重要なのは人間の都合に合わせた選別をしないことだ。ある植物は歓迎だが、雑草は駄目となれば、その意味は無くなってしまうだろう。人間の好みで造る庭とはここが違うのだ。
 ビオトープが可能なのは自然の中にトータルなエコシステム(生態系)を実現しようとする力強い保全力が潜んでいるからだ。例えば水田に抜いても抜いても生えてくる雑草を人間の力で完全に止めることはできない。除草剤やカルガモで駆除することはあっても、それを中止すればやがては稲を駆逐した雑草が生い茂る草原になり、雑木が茂り、最後は森になって安定していくだろう。稲のような単一種だけを生かそうとしても、自然は他とトータルなエコシステムを作り上げようとするから無理が生じるのだ。
 水とメダカ、数種の植物からスタートした単純な生態系に、新しい生き物が加わると新しい生態系が出来てくる。この変化はオセロゲームのように素早く、また全生態系システムの隅々まで徹底される。ビオトープが教えてくれるのは何かが加わる毎に、瞬時に生態系全体が変化するという自然の妙だ。こうした自然の変化は人間のちっぽけな頭で考えられるほど単純ではない。だから、人が「もっと良いものを」と思って、自然に手を加えても決して望んだ結果を生まないのである。巨大な生態系は、人間が考えるほど単純ではない。都合のいいように変えようとしてもうまくいかないのだ。むしろ人間が手を加えず、自然に任せた方がいい結果を産む場合もあるのである。
 川の釣り場では、魚が少なくなったと言って、放流で魚影を確保しようとするのが主流になりつつある。しかし、この方法は以前からその川にすんでいた魚たちへの強い干渉行為となる。一時的に川はこれで魚影を取り戻すかもしれないが、放流した魚は直後に大半が釣りきられてしまうし、残った魚は最後の在来種を駆逐する恐れがある。放流という強引な生態系への干渉が、以前に存在していたものを滅ぼす恐れがあるのだ。
 小生が好きなイワナ釣りなどで、昔は放流は魚族保護の「良き行い」と思われていた。しかし、イワナのように地方色豊かな魚は、その土地独特の魚を残すべきであって、放流でそれを乱すべきではない。「良い」どころか「とんでもない悪」なのだ。魚影が薄れて困ったら、放流に頼るのではなくビオトープから学んだことを活用し、一時的に川を禁漁にすべきだ。自然の持つ懐の深い治癒力を信じ、何年か人間の手から守ることが出来れば、川のウジと言われる土地のイワナがどこからともなく湧いてきて、増えていくはずだ。その良い例を永久禁漁にした尾瀬や上高地で見ることができる。もっとも、早くから放流が行われた上高地では交雑されたイワナが増えたという困った面もあるのだが・・・。
 河川の漁獲量を管理する漁協が営利に走りすぎれば、こうした長期にわたる禁漁区の設定は困難であろう。しかし、それをやらないと日本の豊かだった渓流の魚類相は次々と消えていくことになる。
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我が家の近くにあるビオトープ。浅い池は埋まって草が生える湿地になってしまったが、代わりに沢山の鳥や虫がやってくるようになった。池にはエビガニが増えている。
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by weltgeist | 2008-07-20 22:50

落ち葉が流れたら鉄砲水に注意 (No.154 08/07/19)

 昨日の午後、多摩川で急な雷雨による増水があり、釣り人がヘリコプターで救助された。局地的な豪雨で水位が急速に上がり、逃げ遅れた釣り人が中洲に取り残されたのだ。しかし、増水がさほど激しいものでなかったせいか、助けられた人がテレビのインタビューでその様子を語っていても、イマイチ緊迫感のないものだった。本格的な増水になる前に助けられたからだ。釣り人は「こんなことでテレビに取材されると格好悪い」としきりにぼやいていた。気持ちは分かる。しかし、それで良かったのだ。結果として増水は途中で止まったけれど、さらに水かさが増えたら助からなかったかもしれないからだ。
 今回は雨もそれほど激しいもので無かったので被害は無かった。しかし、急流の多い日本では増水による水の事故が起こりやすい。思い出すのは、99年に起きた丹沢、玄倉川中洲水没事故だ。中洲でキャンプしていた人が増水で流され、13人が死んだ。刻々と水位が上昇する中で、水の中に立ちすくむ人が最後に一気に流されていった悲惨な光景を覚えている人は多いだろう。
 川の水は増減を繰り返す。渇水で水がない時もあれば、堤防を乗り越えるほどの大洪水もある。だから今陸地であっても、数時間後に濁流の下に沈むことがしばしば起こる。渓流釣りや鮎釣りをする小生にとっても人ごとではないのだ。命がかかる危険なことだから、釣りに行く時は慎重な上にも慎重を重ねるくらいの注意を払うようにしている。
 事故で死んだ人をむち打つようだが、川の危険性を知っている人は、決して中洲にテントを張るようなことはしない。彼らはその原則を守らないどころか、玄倉川ダム職員や警察官に「増水中で危険だから中洲から退避を」と再三の警告を受けたにも関わらず、それを拒否して悲しい結果を招いてしまった。しかも、翌日助けに来て苦戦する救助隊員に「早く助けろ、それがお前らの仕事だろう」と暴言を吐いたことで、自己責任の取り方さえ問題になったのである。
 あれから、もう9年になろうとしている。夏休みとなり、川遊びをする人たちが今年も河原に沢山繰り出すだろう。小生が鮎釣りのホームグランドとしている相模川、中津川には、夏休みは車を停めるスペースが無くなるほどの人が来る。しかし、普段はおとなしい相模川が突然豹変すると、どんなに恐ろしい姿になるか忘れてはならない。夏休みは水の事故が極めて多い季節なのだ。
 昔、先輩にイワナ釣りを教わった時、最初に注意されたのは増水の危険性だ。彼は「雨が降っても、川はすぐに危険な状態にはならない。しかし、川の水に濁りが入ってきたら注意信号だ。このときならまだ間に合う。そして、濁りが強くなりゴミや、落ち葉が流れ始めたら直ちに安全と思われる方の岸に上がれ」と言われた。そのすぐ後には間違いなく鉄砲水が出ると教えられたのである。
 イワナがすむ源流ではゴミが流れることは少ない。しかし、大量の落ち葉が急に流れてきて、慌てて岸に避難して助かったことが何度もある。先輩の知恵を率直に守ってきたから今日があるとも言える。もちろん、それでも事故に遭わない保証はない。川釣りをするときはいつでも流れる水の変化に注意しよう。大量の落ち葉やゴミが流れてくること、これが鉄砲水の最終シグナルである。
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川の釣りは危険と紙一重である。だが、このような場所は最初から注意して慎重に立ち込むから案外事故は少ない。普段は穏やかな場所の方が意外に油断しやすいのだ。不意の鉄砲水で危険な場所に豹変することを念頭に置いておこう。(立ち込んでいるのは友人の**氏で、このあとすごい大物を掛けた)
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by weltgeist | 2008-07-19 22:29

我が家にやって来た珍客第二弾 (No.153 08/07/18)

 今日も大雪山ウスバキチョウ撮影登山のためのトレーニングからスタートした。天気予報は午後から雨というので、まだ薄日が出ている早朝に家の前にある森の散歩で体力作りをしたのだ。森と言ってもかなりアップダウンがあるから、この中を1時間も歩けばいい運動になる。家から数分で行ける一番手軽なトレーニング場所である。
 しかし、朝早い森は涼しくていい反面、昼とは違う顔も見えてくる。それは蜘蛛の巣が沢山張っていることだ。ヤブの中に作られた細い道を歩くと、ひっきりなしに蜘蛛の巣が顔にかかってうっとおしい。蜘蛛が巣をいつ作るのか知らない。それでも人間活動が始まる前には完成し、獲物を待っていることだろう。そこへ朝の散歩をする人間がやってきて、労作をブチブチに切断してしまう。顔に巣がかかると人間も気持ち悪いが、蜘蛛の方だって毎日新しい巣を壊されてたまったものではない。その意味では人間が森に入るだけで、小さな自然を破壊していることにもなるのだ。しかし、そこまで厳密に考えたら人間は生活出来ない。可哀想だが、こちらにとってはどうしようもない。「ご免ね」と言って通してもらうしかないのだ。
 約1時間、森歩きから戻って玄関の所まで来ると、入り口近くに黒っぽい大きな蝶が止まっているのが見えた。ゴマダラチョウである。オオムラサキがいるかもしれないと、いつも森ではそっちばかり気にして歩いていた。しかし、オオムラサキに近い仲間のゴマダラチョウが、まさか我が家の玄関で小生の帰宅を待っているとは思ってもいなかった。5月26日、我が家にウスバシロチョウが飛んで来て以来、2頭目の珍客である。
 慌ててデジカメで撮影を始めると、こちらの存在に気づいているだろうに、逃げもせず生け垣に植えたムベの葉の上で黄色いストローみたいなものをクルクルッと伸ばして、葉の上の水分を吸っている。全然人なつっこくて、50㎝くらいに接近しても逃げない。狭い場所だからアングルを変えられなかったが、下のような写真を何枚か撮ることが出来た。
 蝶に興味の無い人には、「こんな写真撮って何が面白いのだ」と思うかもしれない。しかし、今の自分にはとても新鮮で嬉しいことなのだ。今日の収穫、ゴマダラチョウの我が家来訪。これが撮れただけで、今日一日がひどく充実した日に思える。こんなことに夢中になる小生は、世間の良識ある人から見ればちょっとズレたお馬鹿さんオタクに見えることだろう。だが、それでいいのだ。
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by weltgeist | 2008-07-18 22:32