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アメリカの高校生(No.113 08/05/31)

 昨晩は英会話を教わっているB先生の長男が高校を卒業するというので、その卒業記念コンサートに、東京都下にあるアメリカのキリスト教系の学校に出かけた。小生はアメリカ本国の学校システムについて詳しい知識はないが、この学校がアメリカの平均的なものとすれば、日本とはだいぶ違うと思う。外来者の立場で、ざっと見回した限りでも日本とは学生の様子から学校の運営まで相当違っているようで興味深かった。
 この学校の生徒は外国人に混じって結構日本人の顔をした生徒もいる。しかし、卒業生達の名前を聞くと、平野ヒラリーとか、クリントン太郎、ブッシュ雅子といった外国語混じりの名前が多く、外国人と結婚した日本人の子供も多い。両親ともが日本人というのは言葉の関係で少ないようだ。知り合いのシンガポール人、R さんの息子 J 君もここの生徒だし、韓国や香港、アフリカ出身者まで多彩である。基本言語は英語で、日本語の授業もあるようだ。当然、生徒達の英語はネイティブそのもので、小生にもその語学力を少し分けてもらいたいほどすごい英語を話している。
 コンサートは午後7時開演し、まず女性コーラスから始まった。歌っているのは6月で高校を卒業する生徒に一部在校生が混じっている。彼女達のハーモニーのとれたきれいな歌が始まってすぐ、そのレベルの高さが相当であることが分かった。よくある学芸会のレベルとは一線を画する出来で、音楽には多少厳しい目を持つと自認する小生でも褒めてあげたい質の高さである。舞台でこうした歌や楽器演奏できる生徒は、厳しいオーディションで選別されるらしい。下手でもいいからとにかく舞台に上がってやってみろ、といったことではなく、能力のある者を選んで、かなりハードな練習をしてこない限り、ここまでの質は出せないだろう。
 歌から式次第まで言葉は全て英語。司会者が時々ジョークを飛ばすと、会場は爆笑の渦になるが、英語に弱い小生には半分も分からない。しかし、見ていて楽しい。コンサートの進行を誰が考えたか知らないが、お客さんを飽きさせない演出が細かい所まで行き届いていて、さすがエンターテイメントの国だけあると感じた。
 それぞれの演目は皆素晴らしく、プロ顔負けの出来であったが、一番印象に残ったのは、それを演じるこの学校の生徒と日本の高校生との比較だ。高校3年生というのは受験の一番大事な時、それをコーラスや楽器の練習に時間を割くことは日本では考えられないことだろう。生徒の中でも音楽に優秀な者をオーディションで選んだと言うが、あれだけの演奏をするには相当の練習をしなければならない。彼らは勉強の合間にそれをこなしてきているのだ。
 また、先生と生徒との交流のシーンも日本の学校とは全然違う感じを受けた。学生と先生がまるで友達みたいに一つになって授業をやっている。それが、このコンサートの節々でも感じられた。日本の学校のようなギスギス感が全然ないのである。
 生徒の多くは卒業したらアメリカの大学に行くのが大半のようだ。日本の大学へ進学することは教育のカリキュラムが違うから難しいのかもしれない。また、大学に入った彼らの多くは、学費も最終的には親に返すらしい。大学生になれば自立して親離れするのが当たり前なのだ。小学校から塾に通い詰め、親に大学の学費まで払ってもらう日本の学生と大違いである。そうした自立の意識が強いのか、卒業生の多くがもう十分立派な大人の自覚を持っている。高校生の記念コンサートというよりは、若い大人の旅立ち披露宴のようで、彼らがまぶしく見えた。
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日本の高校生とはまったく違ったアメリカの高校生たちの卒業記念コンサート。音楽に優れた素養のある者をオーディションで選んだと言うだけあって、プロ級のすばらしいコンサートであった。

*明日は鮎釣り解禁のため、帰りが遅くなったら更新出来ないかもしれません。
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by weltgeist | 2008-05-31 18:42

平穏なる日々(No.112 08/05/30)

 今朝は朝から雨が降っている。午前中は恒例のBさんの英会話授業。もちろん、いつもの通り、小生の英語はすこしも進歩しない。
 午後も雨が続くので日課の散歩も止めて、外をぼんやり眺めている。だが、こうして何事もなく外をボーッと眺めていられることが、実はたいへん幸せなことではないかと思いはじめている。病気して元気がなくなったり、仕事がうまくいかず、行き詰まっている、あるいは突然交通事故に巻き込まれて、家庭生活が乱されたというようなことになった時、そのありがたさが骨身にしみて分かるだろう。
 数日前、吉兆の社長お母さんが、涙ながらに謝罪会見し、廃業を発表していた。もし自分が彼女の立場だったら、どうしたろうか。一流料亭の女将としてこれまで順調に歩んできたのが、いきなりつらい現実に投げ込まれてしまったのである。多分、残された一生を後悔の念に駆られて生きていかなければならないだろう。そんな彼女が今の小生のような状況を見れば、きっとこちらを羨むことと思う。今の彼女に一番必要なものは、まさに今日の小生がぼんやりと過ごしたような、この平穏なる時間なのだ。
 昔読んだ夏目漱石の小説「行人」の中で悩み深き主人公が電車の中で屈託無い職人を見て、自分もあんな風に過ごせたらどんなに楽な気持ちになれるだろうか、と思い悩むシーンがあった。何か苦しい状況に追い込まれると、何事もない平穏な時間がいかに幸せに満ちたものかが分かるのだ。
 我々は幸せを求めて、必死に頑張ってきた。寝る間も惜しんで働き、人との折衝に神経をすり減らす。その原動力に人との比較、人を羨(うらや)む気持ちが潜んでいないだろうか。他人と比べれば、いつも自分は劣っていると感じてしまう。だから、もっともっと頑張らねばならないという強迫観念にとらわれるのである。だが、頑張ってどこへ行くつもりなのか。
 幸せなんて実は探し求めるものではなく、足下にあるごく平凡な日常なのかもしれない。だらしなく家でだらだら過ごすことは、人生の大いなる無駄に見える。だが、人間、頑張るからそうした無駄な時間が、貴重な平安をもたらす幸せな時間になるのだ。働きすぎる人には、時々何もしないでボーッとしていることが必要なのだ。
 ただし、日頃、努力も頑張りもしない怠け者に、こうした時間は、堕落以外のものをもたらさないだろう。人は努力するから、無為の時間も際だってくるのである。
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今日は雨のため、撮影も散歩も中止。この菖蒲の花は、昨日、一面に拡がる菖蒲畑の中に3本だけがフライイングしたように花を咲かせていたのが珍しいから撮ったものである。家の近くを所在なげにブラブラ歩くだけでも、結構カメラを向けたくなるものがある。
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by weltgeist | 2008-05-30 23:50

鉄の心臓を持つ男(No.111 08/05/29)

d0151247_23163565.jpg 小生の心臓は他の人とちょっと違う。心臓の弁の一つが金属なのだ。人工的な金属バルブを心臓にある4つの弁の一つ、大動脈に付けてある。これがなかなかノイジーで、ちょっと静かな所で耳を澄ますと金属的なバルブの開閉音がパコパコと聞こえてくる。静かな山の宿で釣り友達と泊まった時など、異常な音に驚かれたりするほどである。
 もちろん、バルブなんか好きで付けたわけではない。心臓弁膜症がひどくなって装着したものである。付けたのは2003年の2月だから、満5年を経過したことになる。それで経過は順調? と聞かれると、正直なところ、よく分からない。というのもまだ坂道を登れば息切れがして心臓が痛くなるし、時々狭心症の発作もあるからだ。
 しかし、実は小生、心臓弁膜症の手術を受けるのはこれで二度目である。最初は昭和40年に都内の某医科大学病院で手術した。当時心臓の手術は初期の黎明期で、心臓を止めて血液は外に付けた人工心肺(ポンプ)で循環させるという方法が開発されてまもない頃だった。この頃心臓の手術の成功率はまだまだ低く危険なものだったが、医者が言うには「あなたの心臓の弁は壊れかかっていて、このまま放っておくとやがて寝たきり人間になる」と言われ、大学を卒業すると同時に手術をすることにしたのである。
 手術の前々日、小生の前にやった同室の患者は失敗して死んでしまった。このときはさすがにビビッた。だが、もうここまで来た以上引き返すことは出来ない。覚悟を決めて手術を受けたのである。そして、幸いなことに手術は成功して今日まで生き延びている。技術も確定していない時代だったにも関わらず、成功組に入れたのは幸運だったのだろう。
 だが、その後30年ほど経過する頃から再び息切れと心臓痛が起こり、5年前についに手術をやり直して、金属の弁を大動脈に取り付けたのである。それで少しはマシになったが、いまだ急な坂を登れば息切れがして心臓が痛くなるし、狭心症の発作が出るのも直ってはいない。手術をしても、半病人状態を完全には解消していないのである。
 ところが、26日、三浦雄一郎さんが75歳で二回目のエベレスト登頂に成功したというニュースを聞いて驚いた。彼は小生と同じく、心臓の手術を二回受けているのだ。新聞報道によれば強度の心臓不整脈のための手術と書いてあったから、胸を開いて心臓を切る大げさなものではなく、簡単なカテーテルによる血管の狭窄を風船で拡げる手術だろう。しかし、それでも二度も世界最高峰の頂上に立ったということは、素晴らしい。狙っていた世界最高年齢登頂記録はその前日(5月25日)に1日違いで76歳のネパール人が登頂し、記録更新は出来なかったが、最初にエベレストに登頂したのも2003年、70歳の時だったと言うから、年齢と心臓障害と言う二重のハンディを克服したことになる。これはすごいことである。
 75歳といえば、小生の10年先のことである。現在、標高4000m上のパミール高原に行きたいと思っていながら、体力的に行けるかどうか、迷っている小生は、三浦さんの爪のアカでも煎じて飲まないといけないかもしれない。今まで、金属弁が入っているから、自分のことを鉄の心臓を持つ男、などと言っていたが、生っちょろい、生っちょろい。三浦さんこそ鉄の心臓を持つ男である。
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by weltgeist | 2008-05-29 23:17

クロカン4WD車について(No.110 08/05/28)

 渓流釣りが大好きな小生が乗っている車はヘビーデューティなクロカン4WD=ジープタイプの4輪駆動車と、皆さん思うらしい。だが、渓流釣り好きだから4WDに乗っているに違いないと思うのは、少しイージーすぎる発想である。というのも実は小生、4DW車をあまり好きではないのだ。特にクロカンタイプのごつい形は「自然の中に文明の力(リキ)を使って遮二無二突っ込んでいく」感じを受ける。「どけどけ、俺様が通るぞ」という態度が、機械の力に頼って強がりを言う弱い人間に見えてしまうのだ。だから、自分が乗っている車はごく普通のファミリーカーにしている。渓流釣りに行っても、4DWの必要性をあまり感じていないのである。
 4DWは整備されていない山道で威力を発揮する。山奥の渓流脇を走る林道や、鮎釣りのように石がゴロゴロした河原を走るには絶対だ。だが、そんな場所まで車を走らせることに疑問があるのだ。車というのは普通の道を安全に走れれば十分、普通の車が通れない場所は両親から頂いた二本の足で歩け、というのが小生の考え方だ。どんな優れた4DWでも45度を超えるような急斜面を走ることは出来ない。道の途中に1mでも深い溝があればそれより先は進めないだろう。しかし、人間の足は45度どころか垂直の壁でも登ることが出来るし、ちょっとした溝なんか一またぎで行けるのだ。
 雪国で冬のアイスバーンに備えて4DWにすると言うなら話は別だが、たかが日本の渓流に行く程度で、大げさなクロカン4DWなど必要ない。足を使って歩けと言いたい。
 だが、寄る歳波に勝てなくなってきた小生、次第に長い距離を歩くことが難しくなっている。そんな時、ついつい4DWがあると、それのご厄介になってしまう。しかし、ここで勝手な言い訳を言わせてもらえば、足が言うことを効かなくなった人が車いすを使うようなもので、歩けない場合は4DWのお世話になるのも仕方がないと思っている。ただし、健康、元気で強い足腰を持つ若者は4DWを止めて、歩けと言いたい。自分は都合のいいときだけ4DWを使って、若者には駄目だと言う、この言い方って自分勝手すぎるだろうか・・・。
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4DWは好きではないが、こんなキャンピングカー(アメリカではキャンピングカーと言う言い方はなく、RVと言う)なら是非欲しい。米アラスカ州キナイ半島をこのRVで10日ほど釣りをしながら回ったが、とても快適だった。夕方までたっぷり釣りをして、釣り場の前でそのまま寝る。そして、翌朝、目を覚ますと目の前でキングサーモンがジャンプしていた。夢のように楽しい釣りをさせてくれた車だった。

*ブログを読んでいる知り合いから、文章が長すぎると言う指摘が相次いだため、今回は文章を少し短めにしてみました。
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by weltgeist | 2008-05-28 21:05

コンバージョン。人は変われる(No.109 08/05/27)

 このブログを始めるとき、最初はだれにも教えないでひっそりと書いていこうと思っていた。しかし、結局何人かの親しい人にURLを教えた。その理由は、黙っていたら小生の筆は暴走し、あること無いこと、理性を失ったように書き始めるのではないかという不安があったからだ。友人が監視役で読んでいてくれると思うから、筆が滑りすぎないよう自分でブレーキが掛けられるのだと思っている。
 しかし、内容を読んだ友人には「自分のこと、かっこ良く書きすぎてるんじゃないの」と言われた。いいことばかり書いているようで、普段の小生を知る人から見ると、えらく品行方正な人間に思えるらしい。特に若い頃の小生は知る友人は、ブログで書かれる内容があまりに現実と違い過ぎて同じ人物とは思われていないようだ。
 「奴はあんな偉そうなこと言える人間じゃないよ」と思われて当然かもしれない。小生、昔のあだ名は「瞬間湯沸かし器」である。短気で喧嘩っ早い、とても人に偉そうなことなど言える人間ではなかったからだ。腕力には多少自信があったから、20歳前まで殴り合いの喧嘩もやったことがある。あまり出来のいい人間でなかったことは間違いない。
 だが、そんな自分が、昔のまま変わっていないかと問われれば、ノーと言いたい。まだ短気で怒りやすい所はあるが、昔に比べればずっと穏やかになったと自分は思っている。前にも言ったが、人は変わることが出来るのだ。いつまでも昔のままにとどまっていることは、人間である以上あり得ないのである。
 小生が今のような穏やかな気持ちになれたのは、リタイアしたときのある決心によるところが大きいと思う。それは「今後は自分の良心に照らして恥ずかしくない生活態度をする」という、とても単純な誓いをたて、それを絶対守ろうと思ったからだ。他人がどう見ようと、自分が正しいと思ったことは断固やる。そして、自分が恥ずかしい、悪いと思うことは断固やらない。これだけのことを徹底的に守ろうと決めたのだ。そして、それを完全とは言えないがかなり守り通していると自分でも思うのである。
 自分が変わったと思うのは、常に心の中にある「良心」を見据えるようになったからだ。悪いことをする人は沢山いる。しかし、彼らがそれをやるのは、お巡りさんに見つからないと信じるからだろう。もし、お巡りさんが自分の心の中に常駐しているとすれば、最早良心に恥じることは何もできなくなるのである。かくして、小生は、今や極めて品行方正な人間に変わったと胸を張って言い切ることができるのだ。
 昔の小生を知る人はきっとこの変わりようを信じないだろう。だが、人は変わることができるのだ。人間である以上は、気持ちの持ち方で変われるのである。ただ、どのように変化するかは分からない。良い方に行く人もあれば、悪い方に転落していく人もある。それは、その人の自己責任と自覚の問題であろう。
 仕事がきつい、お金がない、生活が苦しい、嫌なことばかり続く、と言った悲観的なことがあっても、決して悲観すべきではない。人間は変わることが出来る以上、いつかその状況から別な状況に変わる可能性があるからだ。生活が苦しくても今の日本なら何とかなる。気にしないで働けば、そのうち何とかなるものだ。一生懸命やっていればきっと芽が出てくるだろうと小生は楽観的に考えることを勧めている。
 逆に優雅な資産家でも、それがいつまでも続くと考えるのは甘い。いずれは主役交代で、陽の当たる場所から降りる時がくるだろう。だから、貧乏人は悲観することはないし、金持ちだからと安心することも出来ない。第一、人間の幸福度はお金の有無では決められないではないか。絶望することなんか少しもないのだ。コンバージョン( conversion )、変化である。そう思うと気持ちがきっと軽くなるはずだ。
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本当はこの写真、5月23日の「夫婦喧嘩」の時使おうと思ったのだが、この新婚夫婦の幸せそうな顔を見たら、とても夫婦喧嘩というテーマに登場させるのは気の毒でできなかった。だが、結婚こそ人生最大の転換期だ。この二人が幸せな人生を送ってくれるよう願っている。(ロシア・サンクトペテルブルグにて)
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by weltgeist | 2008-05-27 23:56

パミール高原への憧れ(No.108 08/05/26)

 今朝、奇跡のようなことが起こった。ウスバシロチョウがついに我が家の庭に飛んできたのだ。妻が「蝶が来たわよ」という声にカメラを持って飛び出したら、ふわふわと庭から白い大きな蝶が山に戻っていくところだった。ウスバシロチョウである。だが、残念ながら飛翔しているところは撮れなかった。時間的に間に合ったとしても、庭の周囲を飛んだ時間はとても短く、食べる餌が無いと判断した彼はさっさと山に飛んで行ってしまったからだ。それでも、庭に来てくれただけで小生はとても嬉しいのである。何しろ、我が家は新宿から電車で30分で来れる曲がりなりにも首都圏の一角にある家だからだ。ここにウスバシロチョウが飛んでくるということは、まさに渋谷か青山あたりで狸が出るくらいの確率なのである。
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本州に生息するウスバシロチョウ。氷河期の生き残りで、5月頃里山の開けた斜面をふわふわと風に流されるように飛翔してくる。この蝶の仲間は美しい鮮烈な赤い斑点を持つが、残念ながら日本のウスバシロチョウにそれはない。(2006年5月末に宮城県で撮影したもの)

 ウスバシロチョウは、パルナシウス(Parnassius)という名前でくくられる北半球の比較的寒い場所にいるアゲハチョウの仲間で、白く透き通るような羽根に、赤い斑点がある清楚な蝶である。ヨーロッパではアポロチョウと言う名前のアポロウスバシロチョウが代表的だ。アポロチョウの学名は Parnassius apollo と言う。パルナシウスがギリシャの神々が住むというパルナッソス山からとられた言葉で、アポロは太陽の神アポロンが語源である。神々が住む山の太陽神と言う、まさに王者に相応しい名前を付けられたこの蝶はたいへん優雅で、飛んでいるときは幻想的に見えると誰もが言う。ヘルマン・ヘッセの「蝶」というエッセイにはその美しさが簡潔な文章で書かれている。熱帯の蝶に見られるきらびやかな輝きもなければ、派手な装いもない。控えめでいて、清楚、優雅な感じがヘッセのお気に入りとなったのだろう。
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 写真の左側にあるのがチェコで採れたアポロウスバシロチョウ。これは小生がまだ高校一年生の頃、ドイツの蝶蒐集家とブツブツ交換で手に入れた最初の赤い斑点があるウスバシロチョウで、入手からすでに50年近くたっているから、赤い斑点の色が薄く変色している。実際のアポロの斑点は右の蝶と同じようにもっと鮮やかな赤色をしている。右側は1940年頃、イギリス人がパミール高原で採ったテンシャンウスバシロチョウという種だ。テンシャンとは言うまでもなく天山山脈のことである。

 だが、日本にいるウスバシロチョウにはアポロのような赤い斑点を持つ仲間は、北海道大雪山のお花畑の中にほんの少し生息するウスバキチョウしかしない。しかもその姿を見ることは難しいと言われている。我が家に飛んで来たウスバシロチョウには残念なことにアポロのような赤い点がないのだ。赤い斑点のあるウスバシロチョウを見るなら、ヨーロッパからユーラシア、それに北米の一部高山地帯に行くしかないのである。 赤い点のあるウスバシロチョウの主な産地は中央アジア、パミール高原からヒマラヤ、中国のチベット、四川、青海、甘粛省付近が中心となる。モンゴルやロシア、北米にもいるが、やはりメインはこのパミール高原付近で、場所によっては10種類近いウスバシロチョウがいる。彼らが生息する場所は標高が4000mを越える高地で、砂礫のガレ場に高山植物がわずかに生えているような過酷な場所を好んでいるという。
 日本からカシミールや青海省にこの蝶の採集に行った人の紀行文を読むと、真夏だというのに雪が降り出したり、高山病で死にかかったりといったハードなことを繰り返してようやく巡り会えている。薄い空気の中、急なガレ場を走り回って、やっと出会えた時の感激はひとしおだと言う。会えただけでも、たいへん貴重な蝶なのである。
 小生、釣りで外国も行くが、いつか中国から中央アジアにかけて拡がる天山山脈やパミール高原にこの蝶を見に行きたいと思っている。だが、今年は四川大地震とチベット争乱で中国は難しくなった。アフガニスタン北部も危険で行けない。タジキスタンやキルギスタンは情報がほとんど無く、どこへいつ行っていいのかも分からない。それでもこの地方ならまだ可能性がある。体が動けるうちに行かないと、4000m以上の高地で蝶を追って走り回るにはことなどできないだろう。ともかくパミール高原から、できれば中国のタリム盆地の方へ行きたいのだ。
 ヨーロッパのアポロは歳をとってからでも行ける。しかし、パミール高原周辺は今行かなければ、きっと一生行けないだろう。小生の遠くを見つめる目は今、パミール高原など厳しい中央アジアの高山地帯の方を向いているのである。だが、その道は半端でない険しさだろう。もしかしたら命を落とすかもしれない危険な場所である。しかし、それだからこそ憧れる。一度でいいから真っ赤な斑点を持つウスバシロチョウの飛翔するところをこの目で見、それをカメラに納めたいのだ。その夢は叶うのだろうか。
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by weltgeist | 2008-05-26 23:35

危機はやって来るか(No.107 08/05/25)

 これからの世の中、食糧難の時代が来るだろうと昨日書いた。足りなくなるのは食料だけではない。衣食住に関するあらゆる物が不足してくるかもしれない。しかも、地球温暖化や環境破壊はどんどん進んでいる。どうもこの先は希望のない、住みにくい世の中になるのは間違いない気がする。昨日、ルムンバが「未来は明るい」と言ったと書いたが、とてもそうは思えなくなっているのだ。
 この状況に対して我々はどう自己防衛すればいいのだろうか。とりあえず、今後予想される食料品の急騰とその後にくるであろう食糧難への対応は急務だ。お金があればある程度の物価上昇は耐えられる。しかし、日本人の所得は世界のグローバル化、平準化の波に押されて上がらないだろう。世界中に溢れる安い労働力が日本人の仕事を奪い、サラリーマンの給料は下がらざるを得なくなるからだ。もちろん、小生のような年金に頼る貧乏人は、まず消費を極力抑え、無駄を排するよう心掛けねるしか手はなさそうだ。
 高いガソリンは使わないようにする。遠出を控え、車の代わりに親から頂いた手足を出来る限り使ってガソリン代を節約するのは当り前である。また、買い物も絶対必要な物以外は買わないようにする。インプットが少ない以上、アウトプットを制限するしかないのだ。当然、世の中は未曾有の不景気になるだろう。
 しかし、それでも物があるうちはマシである。昭和48年のオイルショックの時は、ガソリンそのものが無くなって、買うことも出来なかった。それが再来しないと誰が言えよう。すでに工業製品の材料であるレアメタル類の輸出を規制する国が出始めている。これがこの先起こるかもしれない物不足の先駆かもしれないのだ。
 だが、我々はただ手をこまねいているだけではない。食糧難が来れば日本の食料自給率は高くなるだろう。輸入の総量が減る一方で、原価割れで作付けしていなかった農地が見直され、農産物の生産性が上がるからだ。当然、米の価格も上がり、税金を使って米を作るなと言っていた、おかしな減反政策にはブレーキが掛かる。米の生産量は飛躍的に増え、日本は立派な穀物輸出国となりうる可能性があるのだ。
 また、我々は物のありがたみを十分すぎるほど実感することになるだろう。少ない物を大切にするという、今まで顧みられなかった当たり前のことが奨励される。贅沢に食べ、余った物は捨てていた悪弊に代わり「もったいない」という、船場吉兆のあの言葉が標語になるかもしれない。もっとも、前に言ったように吉兆の「もったいない」は、お客を踏み台にして儲けようという卑しい発想から出たもので、全然内容は違うものだ。「もったいない」とは、無駄のないよう物を大事にし、徹底的にそれを賞味しつくすことである。
 小生が育った子供の頃は、物が無く、何もかもが大切に扱われた時代だった。米は一粒残らず食べることが当たり前。いや白米を食べれることそのものが有り難いことだった。それと同じ状況が来るのだろうか。少なくとも物価全般がひどく上がるのに、給料は上がらない厳しい状況がすぐそこまで来ているから、この荒波を乗り切る心構えくらいは持っておいた方がいいだろう。。
 今の贅沢な生活に慣れきった現代人がこれに耐えられるか、特に若い人には厳しいだろう。しかし、こうした質素でつましい生活こそ正常なものではないだろうか。今まで我々はちょっとお金があるからと、いい気になりすぎていた気がする。人間がまともな姿に戻れる状況の契機がこうした危機でやってくるのは皮肉だ。
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ジャン・フランソワ・ミレーの傑作「落ち穂拾い」(1857年、パリ・オルセー美術館) 貧しい小作農民は、収穫後にこぼれた落ち穂を拾って生活の糧にしていた。つつましい農民たちの姿は、厳しさ、悲しさに堪えて必死に生きようとする人間の尊さを示しているように見える。生きるとはどういうことなのか、その意味がこの絵の中には描かれている。それだからこそ、我々はこの絵を見て心が揺り動かされるのだ。
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by weltgeist | 2008-05-25 23:32

忘れ得ぬルムンバ首相の言葉(No.106 08/05/24)

 昨日、原油価格がまた最高値を更新した。少し前まで1バレル30ドル前後で安定していたのが、60ドル、80ドル、そして百ドルを超えた時はもうこの世の終わりみたいなことを言われていた。昨日は135ドルだから、呆れて物も言えない。アナリストの予測では150、いや200ドルという場面もありうるかもしれないと、悲観的なことを言っていた。そうなったら車をやめる人が増えるだろう。
 車が売れなければ、景気も悪くなる。もちろん他の物価もガソリンと並んで上昇するから食事も一日三食から二食に減らすなんて家庭も出てくるだろう。物価は上がるが賃金は上がらない。それの自己防衛は「なにもかも我慢する」ことでしのぐしか方法がないのだ。
 この理不尽な値上がりの原因が投機資金であることは間違いない。かき集めた金で他の人の稼ぎを横取りするヘッジファンドのやり方には憤慨やるかたない。短期的な利ざや稼ぎで、貧乏人が四苦八苦しようと、「そんなこと関係ない、俺たちは稼げばいいのだ」、という風潮が許せない。だが、原油価格が需給バランスではなく、投機で動いて行く以上、いずれは実物経済の原理に従わざるを得ない。高すぎるガソリンは誰も買わなくなり、値段は現実的な価格に急落するだろう。その時、大暴落のババを誰が引くか。米国サブプライムローンでいくつかのファンドが苦況に陥ったのと同じで、自業自得、誰からも同情されないだろう。
 しかし、今や天文学的数字までなった投機資金は、原油が儲からないとなれば、すぐさま他のおいしい物に飛び移る。次は恐らく食料だろう。すでにバイオ燃料の需要増から穀物価格が上昇し、それに連れて食料品の値上がりが続いている。世界的には食料は足りないのだ。そこを狙って投機資金が参入する動きは今後急激に増大するだろう。
 そうなると、日本のような食料自給率が40%を切る低い国は、ひどいダメージを受けるだろう。ハンバーガー1個2千円、牛丼千円なんて時代が冗談抜きに来るかも知れないのだ。だが、強い円とこれまでため込んだドル資産が何とかこの苦境を助け、軟着陸してくれるかもしれない。しかし、中国やインドといった巨大な人口を抱える国への衝撃度は相当で、軟着陸は難しそうだ。ある試算によれば、順調に見える中国の経済が破滅的な状況に陥るかもしれないと予測している
 投機資金は一儲けしようと画策しながら、結局世界を滅茶苦茶に破壊して、自滅する。原油価格を需給に関係なく吊り上げることはタコが自らの足を食べるに等しい。足を食べ尽くしたとき、タコそのものも傷つき、泳ぐことはもとより餌を獲ることも出来ず、死ぬしかないのだ。
 値上げで苦しむ人たちを尻目に、産油国は我が世の春を満喫している。T.E.ロレンスがアラビア半島で活躍したとき、ベドウインはラクダに乗り、テントで砂漠を行き来していた。それが、今やものすごい豪邸に住み、フェラーリやポルシェを乗り回し、使い切れないほどの金持ちになっている。富の偏在が、それまでずっと報われなかったアラビア人のもとにやってきたのだ。だが、それもいつまで続くか定かではない。移ろいやすい富はあっという間にどこかとんでもない所へ飛んで行ってしまうだろう。
 アフリカは長く暗黒大陸と呼ばれた。アラビアと同じように、「先進国」ヨーロッパの植民地として徹底的に搾取され、人々はずっと極貧と飢餓の中に置かれていた。50年前、ベルギーの植民地を脱して独立国となったコンゴ民主共和国初代首相・パトリス・ルムンバは「息子よ、アフリカの未来は明るい」と言う言葉を残しながら、植民地継続を陰で画策するベルギーの傭兵に殺された。50年たってもルムンバの願いは叶えられていない。スーダン、ソマリアなどで悲惨な状況は当時よりもっと悪いかもしれないのだ。
 我々日本がこれまで曲がりなりにも飯が食えてきたのは、貧しくて食料を買えなかった人たちの飢餓があったからである。世界中からあらゆるものを高い円の力を借りて輸入することが出来た。だが、まだ日本が力強い繁栄をしていた20年ほど前にあるアジアの人がテレビで「日本の生活はアジア人の血と汗がもたらした物だ」と言っていた。丁度我々が今の産油国を見るのと同じ目である。こうした極端な批判はともかく、貧しい人たちの犠牲で、日本の食生活が支えられてきたことを肝に銘じておかなければならないだろう。今も世界で8億人以上の人が飢餓線上をさ迷っている。彼らが饑えているから我々が食べられるのだ。
 投機資金の荒波は今まで我々の目につかない場所で密かに行われていた現実をも明らかにした。これからの生活で「息子よ、我々の未来は明るい」と言える政治家が日本から出てくるだろうか。ぜひ出てきてほしい。ただし、明るい未来は、貧しき人々の搾取の上で成り立つのではなく、全ての人の上に平等に来て欲しいものだ。
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2年前のフランス旅行の際、シャルトル大聖堂の外壁で龍を踏みつける聖ゲオルギウスの彫刻を見つけた。龍は苦しそうだが、その表情が、貧しい人が踏みつけられ、苦痛でうごめいているのと同じに見えた。だが、この龍は苦しそうでありながら、どこかユーモラスな感じを受けるところが面白い。
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by weltgeist | 2008-05-24 21:24

夫婦喧嘩(No.105 08/05/23)

 結婚してしばらくするとどの家庭でも起こるのが夫婦喧嘩。甘い新婚生活は長くは続かない。生活環境から性格まで全然違った二人が一つの屋根の下で暮らすのだから、意見の違いが出てくるのは当然である。初めは数時間で仲直りする程度の簡単な口喧嘩から、次第に深刻な喧嘩となり、最後は離婚騒ぎ、あるいは流血事件に発展するものまで様々ある。
 しかし、我が家は不思議と言うか、幸いと言うか、結婚して15年くらいは夫婦の間で喧嘩らしい喧嘩をしたことがない。夫婦仲だけは非常に良かった。別に新婚気分をずっと続けていたわけではないが、何故か喧嘩をした記憶がないのである。その意味では誇りに思っていいかもしれない。
 だが、そんな誇りも結婚から15年を越える頃まででお終い。それを過ぎると、時々意見の違いから口喧嘩が起こり、今では世間並みの夫婦喧嘩も時々やらかす。まだそれほど激しくはなく、たまの喧嘩も暴力事件や流血騒ぎまでは行く激しさはないから、一応、夫婦仲は「円満」な部類に入っているかもしれない。これについて以前、「うちは夫婦仲はいいよな」と妻に同調を求めたら「私があなたのわがままを我慢していたからよ」とたしなめられた。
 ウーン、そうか。確かにそれは事実かもしれない。小生、決して自分が世間に誇れる善良亭主と思ってはいない。妻が相当の努力をしたことは事実である。特に釣りが好きな小生は、これまで妻にかなりの負荷を掛け続けてきた思っている。一度など、彼女が風邪で寝込んでいるとき、それをほっぽって数日間イワナ釣りに行ったことがある。予定通り沢山のイワナが釣れて気持ちよく帰ってきたら、妻が泣いていた。気丈な女性ならここで離婚問題に発展したかもしれない。さすがに、このときは相当に反省した。あれ以来、彼女の自主性を認め、彼女の行動について「あれは駄目、これをしてはいけない」という押しつけはしないようにしている。これは小生が自由に釣りに行けるための免罪符でもある。
 我が家の家庭円満がひたすら妻の我慢の上に成り立っていることは十分認識している。ということは、妻の堪忍袋の緒が切れたら、家庭の危機が到来するということでもある。我が家の安泰は妻の一存に握られているのだ。危ない、危ない。妻の緒が切れないよう注意しなければいけないのである。
 喧嘩というか配偶者に対する不満の最初の萌芽は、相手に対する思いやりの欠如だと思う。相手のことを考えて行動すれば、向こうも悪い気持ちはしない。しかし、これが難しい。まず自分の気持ちが第一であって、それから相手となる。実際の生活していく上では自分のことで手一杯、相手のことまで気遣う余裕がないのだ。ここから、相手を無視した押しつけが起こり、喧嘩が生じるのである。
 長く一緒に生活していれば相手の好みや性格は熟知してくるだろう。それにも関わらず、時々相手の嫌がることをやってしまう。魚が嫌いな人に魚だけの食事を出せば「俺が魚嫌いなことは分かっていたろう。それを何故出すのだ」と怒る気持ちになる。喧嘩したくなければ相手が嫌がることをしなければいいのだ。相手のことを熟知しているにも関わらず、それに合わせた行動ができないからこうした摩擦が起こるのである。
 それと、人間歳を取るほどメッキが剥がれてくる。格好いい好青年が、一皮剥けばとんだぐうたらで、だらしのない馬鹿男だったりすると、たちまち尊敬の念が軽蔑の念に変わってしまう。女性も同じ、スタイル抜群が三段腹のおデブさんに変われば幻滅だ。尊敬は軽蔑となり、それはしばしば家庭内で火花をまき散らす。
 いずれにしても、相手を思い、自分を磨くこと、これが夫婦喧嘩を防ぐ最良の方法であるのは間違いない。しかし、それは我が家のような結婚30年の古夫婦に新婚夫婦のように振る舞えと言うのと同じで、たいへん難しい。やれないとは言わない。しかし、どこまで出来るか自信はない。ただ、家庭崩壊に至るような喧嘩まで行かない努力は怠らないつもりだ。
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立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。どんな美しい花もやがては枯れていく。きれいだった女性も皆同じ運命にある。だが、実際の花の命は咲いているときだけではない。翌年も美しく咲こうとして、じっくりと根を張り、葉を伸ばす。人も同じ。花のような美しさは無くとも、違った意味で豊かな人間として新たに開花することはできるのだ。
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by weltgeist | 2008-05-23 23:03

独り言(No.104 08/05/22)

 今日も週一恒例の英会話個人授業。相変わらずRとLの発音を直されるが、今日はCの発音を指摘された。小生、Cの発音はシーと言うが、正しくはスィーに近い発音であると訂正させられた。しかし、そう言うアメリカ人の方は日本語の発音で出しにくい音があると言う。苦手なのは「たちつてと」の「」と「」だそうだ。ti は英語だとティでありという発音がやりにくいと言っていた。
 いずれにしても、小生の英語はいつも発音で引っかかる。このネックを直そうと、Bさんが帰った後、しばらく一人で発音の練習をする。しかし、発音練習を家の中でやっている分には何の問題もないが、外でやっているところを誰かに見られたら恥ずかしい。変なオヤジがわけのわからない独り言を言っているようにしか見えないだろう。
 英語の発音練習なら意識してやるが、最近、無意識で独り言を言うようになった。会話のような長いものではなく、単発の短い単語をボソボソと言う。言葉は決まっていて、「駄目だ」とか「まずい」と言った失敗に関わるものが多い。頭の中で過去のことがトラウマで残っていて、それが時々心を傷つけるように蘇って、独り言になってしまうのだ。
 「クソッ、あの時もっと注意していれば」と言った悔やみ、後悔の思い出が小生の心の中には一杯詰まっている。消えることのない傷が、思いもしない時に不意に蘇り、心の中をグサグサに切り裂いていくのだ。忘れていても、無意識の層に潜んでいるものが、小生のうめき声となって現れる。これが家の外にいるときにも出るようになったから困るのだ。
 このブログを始めたのも、そうした心の鬱積を少しでも解放したいと思った面もあるのかもしれない。フロイトのリビドーではないが、文章に書き上げて昇華させれば、多少は改善されると思ったのである。だが、歳を重ねるに連れて、その出現は頻繁になり、外出先での独り言の頻度も増えているのである。
 小生のオヤジは92歳で亡くなった。明治生まれの強烈な個性の持ち主だったが、晩年は良く独り言を言っていた。若い頃の消しがたい印象の数々が彼の脳裏に刻み込まれていたのだと思う。アルツになったオヤジが半分まどろむような目をして、何かつぶやく姿は若い頃の自分を逍遙しているかのようでもあった。最後は頭も完全にボケ、体も思い通り動かなくなって、寝たきり老人になったが、ブツブツとなにごとか分からない言葉をつぶやいているとき、オヤジの頭の中には、若き青春時代の自分が思い浮かんでいたのだろう。激動の世紀を生き抜いた人生の総過程が映画の駒のように一つ一つ見えていたのではないかと思う。ちょうど牛が食べた草を反芻するように、おだやかに自分の内面に回帰していったオヤジの顔が忘れられない。
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一つの声が裸の丘の上で聞こえる。
イスラエルの子らの哀願の泣き声だ。
彼らは自分たちの道を曲げ、
自分たちの神、主を忘れたからだ。
背信の子らよ、帰れ。
わたしがあなたがたの背信をいやそう。
(エレミア書3-21~22)

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by weltgeist | 2008-05-22 22:06