<   2008年 02月 ( 23 )   > この月の画像一覧

3月4日まで休みます(No31. 08/02/25)

フランスへ行くため、詳細な書き込みはしばらく休み、3月4日以降にやります。
一応、ノートパソコンは持って行くので、現地でネットが使えれば写真と近況程度は報告できるかも知れません。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-25 23:15

森の道(No30. 08/02/24)

 最近記憶力の衰えが激しくなってきた。物忘れがひどく、人の名前が全然覚えられない。それどころか名前を紹介された直後にもう忘れて「えーっと、この人何て名前だったっけ」ということが度々ある。そんなだから、人の顔も覚えられない。町で会った人に「お久しぶり」などと言われても、何処の誰か思い出せないのだ。顔を見た記憶はあるが、分からないからどぎまぎして、「いやこちらこそ」と曖昧に言って、とりあえずその場を繕う。そして、早く相手がどこかへ行って欲しいと密かに思うしかない。相手は小生の事を覚えているのだから我ながら情けない限りである。
 記憶力の減退は第一段階で固有名詞を忘れ始め、続いて第二段階で一般名詞、第三で形容詞、そして最終段階は痴呆となると聞いた。第一、第二段階は正常な大人では結構あるから心配する必要はないが、第三段階の形容詞までくるとヤバイ。小生、時々形容詞が出て来なくて「あれ」とか「それ」と言って誤魔化すことがあるので憂慮すべき状況に近づいていると言えよう。
 記憶力の減退と並んで思考力の低下もすごい。頭がどんどん悪くなっているのだ。例えば誰かと話をしていて会話の内容が理解できず、トンチンカンな受け応えをしたり、何かを聞かれて質問の意味が分からず答えに窮するといったことが多くなってきた。新聞を読んでいても、一回で記事が理解出来なくて、同じ所を何度も読み返すことがしばしばある。物を考える能力が極端に落ちているのだ。
 頭の老化を防ぐには、とにかく頭を使うのが一番だが、今更頭を積極的に使う機会などそうそうあるものではない。テレビのように受動的なものは見ないようにし、本を沢山読んでなるべく頭を使うようにしているが、それでも進行速度は弱まらない。
 だが、最近、運動不足を補うために始めた散歩で、意図的に頭を使うようにしたら、少しましになってきた気がする。小生は家の前にある雑木林を毎日1時間ほど歩くことを日課としている。このとき、いくつかのテーマを決めて歩くのだ。一番いいのは、毎日書くこのブログの内容である。今日はどんなことを書こうか、森を歩いて考えているうちに次第にはっきりしてきて、1時間後にはほぼテーマが決まっている。歩きながら言葉や想念が次々と生まれ、脳の老化防止にたいへん有効なのがこの散歩だと感じているのだ。
 家の前にある森は、武蔵野の自然が残る丘陵地帯になっていて、中には沢山の鳥や名前も知らない植物がある。別にそれらに注意を払うわけではない。しかし、それでいて、鳥のさえずりなども無意識で聞いている。木々の様子を見ながら歩き、色々なことを考えることが衰えた脳に良い刺激を与える気がするのだ。運動不足解消とボケ防止の意味で、森の散歩は今や欠かせないものとなっているのである。
 ハイデガーの論文集にHolzwege(ホルツヴェーゲ=森の道)というのがある。ドイツ南西部に拡がるシュバルツバルト(黒い森)のそま道を散歩しながら彼は「存在と時間」について考えたという。シュバルツバルトに行ったことがないので、それがどんな所なのか分からないが、小生が毎日歩く道とハイデガーが歩いたシュバルツバルトにある森の道は多分散歩に向くという点で似たようなものではないかと思う。もちろん、小生が歩きながら考えるのは実に世俗的なことで、ハイデガーのような常人には理解しがたい深淵なことを考えている訳ではない。半アルツの人間が考えることはあくまでも底が浅く、薄っぺらである。それでも自分はいいのだ。
 計画しているフランス旅行で、最後の訪問地であるスイスのバーゼルからパリに戻る途中、ドイツ国内を経由してストラスブールでTGVに乗るというコースも選択肢の一つに入っている。その場合、シュバルツバルトを経てハイデガーがいたフライブルグを通ることが可能である。ドイツ南西部のシュバルツバルトも魅力的だ。だが、それにはバーゼルを早めに切り上げねばならない。それが出来るかどうかまだ未定だが、もし行けたら、帰国した後に写真くらいはこのブログにアップしたいと思っている。
d0151247_10152580.jpg
これが我が家の前にある森の散歩道。武蔵野のゆるい丘が連なる森の中に刻まれた道を歩いていると、様々な発見があり楽しい。手軽なハイキングコースになっているのか、休日には沢山の人が来る。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-24 22:18

マイクロソフトの野望Ⅱ(No.29 08/02/23)

d0151247_22313316.jpg 2月14日(NO.22)記の「マイクロソフトの野望」で、MSは「ウインドウズのソースコードを公開すべきだ」と書いたら、昨日の夕刊に「マイクロソフト、ウインドウズ設計情報公開」という見出しが一面に載っていた。まさか、小生の提言が受け入れられたわけではないとは思ったが、思わず「エエーッ」と驚きの言葉を発してしまった。それからすぐに冷静に戻って「そんなことやるわけがないよなぁー」と思いつつ、新聞を詳しく読んだら案の定、やはりまやかしだった。
 今回のMSの発表を一言で言えば、ウインドウズで作動するソフトが使いやすくなるよう、OSの一部分を公開するから是非今まで通りウインドウズをお使いくださいということである。抱き合わせソフト「オフィース」だけを大事にし、他社のアプリケーションを蹴散らしてきた態度を改め、これからはウインドウズでうまく作動するよう情報公開しますというのだ。
 これはMSがヤフー買収でさらに独占を強めるとの批判を避ける作戦であろう。そうなると、抱き合わせソフト販売のように強引な政策も見直すかもしれない。だが、話はそれほど単純なものではないようだ。まずはっきりしているのはMSは決してユーザーにサービスしてやろうなどと思っていないことだ。なぜなら公開するのは一部分で、相変わらずOSの核となるソースコードは明かさないからだ。OSの一部だけ明らかにして、ウインドウズ上で動くソフトを増やそうとしているだけである。そうなればウインドウズにぶら下がるソフトは益々増えて、MSは安泰となるだろう。
 MSがこうした動きを始めたのはヤフー買収で世間の心証を良くする狙いだけではない。ライバルのグーグル等が、ネット上でオフィースと機能的に似たソフトを無料で公開していることに不安があるからだ。高いお金を払ってオフィースを買わなくても、ネットと繋がる環境があればタダで使える。そうなれば、ユーザーがグーグルに流れるのは当たり前である。小生が以前から愛用していた「駅スパート」等を使わなくなったのも同じ流れだ。ヤフーの画面上で最新の路線、時刻表データが検索できるし、翻訳ソフトや地図情報など、様々なものが無料で使えるようになっているからだ。MSオフィースを初めとするモロモロのソフトが高額で売れる時代は変わりつつある。だが、アプリケーション無料化が時代の流れとなるのをMSはくい止めたいたいのだ。
 以前、ある人がインターネットで有料会員サイトを開いた。会費は月200円程度と、非常に安くしたが、すぐに行き詰まった。安くしても会員が集まらないのだ。インターネットは無料が常識である。例え200円と安くても、セキュリティの問題もあるし、人はそんな口車には乗らないのである。
 こうしたことに先見性があったグーグルは「無料」で客を集めながら、ワンクリック広告で収益を上げていた。MSはこれに気づくのが遅かった。現在、MSのネット事業での売り上げはグーグルの6分の1に満たないのである。 
 IT業界はかってないほど熾烈な戦いの中にあって、MSの快進撃にも陰りが見え隠れする。もちろんグーグルに独占されるのも困るが、いつの間にか巨大化した別な企業がグーグルをも消し去っていくかもしれない。ITとはそういう世界である。
 米国のアナリストによれば、MSは流れに負けてオフィースを将来ネット上で無料化するかもしれない、とユーザーには嬉しい推測をしていた。そうなれば、エクセルやワードを使う人は朗報である。もっとも、一太郎を愛用し、仕事を離れた今、エクセルをほとんど使わなくなった小生にとって、それはどうでもいいことであるが。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-23 22:32

マリー・アントワネットの悲劇(No.28 08/02/22)

 上野の東京都美術館で開催されている「ルーブル美術館展」で、マリー・アントワネットの旅行用携行品入れが人気を博しているという。約90点にも及ぶ携行品の中には化粧品からM.A.のイニシャルが入った豪華な銀や陶器の食器類まで興味深い物が揃っているらしい。だが、この携行品故に彼女は命を落としたのである。世間知らずの彼女はフランス革命の大波を避けて恋人フェルゼンの待つ国外に逃げる際、なお贅沢な生活を続けるため膨大な荷物を持ち出し、その荷物の多さで身元がバレて囚われの身となったからだ。
 マリー・アントワネットについて小生は、贅沢好きのわがまま女というイメージを長い間持っていた。それを覆したのはシュテファン・ツバイクの名作「マリー・アントワネット」を読んでからだ。これで彼女に対する見方がすっかり変ってしまった。ツバイクは「ジョセフ・フーシェ」「マゼラン」「エラスムスの勝利と悲劇」と言った伝記ものから「アモク」「レゲンデ」などの小説まで驚くほど豊かな語彙と韻を踏んだ独特の文体で書き上げるオーストリアの作家である。彼の作風には読者をどんどん引き込んでいく力強さがあり、その作品は世界中で愛読されている。小生もツバイクが大好きで当ブログの「ライフログ」に彼の代表作「人類の星の時間」を挙げているほどである。
 ツバイクはハプスブルグ王家マリア・テレジアの娘として14歳のマリーが政略結婚のためフランスへ嫁いで行くところから物語を書き始める。そして1770年、パリに向かうマリーがドイツ国境を越えてストラスブールに入るところを目撃したのがゲーテである。彼はストラスブール大聖堂に飾られた祝宴のゴブラン織りの絵に彼女の不吉な未来が暗示されていることを予測する。表面の華やかさの裏にすでに悲劇の密かな萌芽が隠されていたのである。
 天才ゲーテの洞察は的中し、彼女はそれから23年後の1793年10月16日、38歳の若さで断頭台の露と消える。処刑の原因はもっぱらマリーの人間的愚かさに由来すると信じられている。しかし、14歳という未熟な年齢でフランス王家に嫁ぎ、煌めくばかりの豪華な生活の中に無防備で投げ込まれた人間が、正常な判断力を育てることができただろうか。まして、夫となったルイ16世はこれ以上無能な人間はいないと言われるほどの馬鹿亭主。欺瞞が渦巻く王宮で誰一人彼女を諭す人もなく、奔放で無駄遣いの限りを尽くすマリーに怒り狂うフランス革命の怒濤のような波が襲おうとしても、それに気づくことさえ出来ないのだ。虚飾に満ちた華やかな生活が人を蝕み、錦糸で織られた絨毯の下に破滅の道が人知れず作られていることに彼女は気づかなかったのである。際限のない無責任、奔放さはそれが高ければ高いほど、落下する谷底が深くなるのである。
 人がここから学ぶのは中庸の道である。ほどほどがいい。過ぎたるは及ばざるがごとしである。たぐいまれな生活を享受できたマリーは、華やかな絶頂期を経て、誰もが訪れる人生最後の精算時にそのツケの全てを最悪の形で支払わねばならなかったのである。ツバイクによればわずかな救いは、マリーが獄中から書いた最後の手紙の中で、人間としてあるべき本来の姿に目覚め、自分の人生を総括できたことである。すでに時は遅かったけれど、断頭台に上がったマリーは一切たじろがずに神が下した運命に従ったと言う。
 彼女が死の直前に気づいたものは、華やかなベルサイユの思い出ではない。もっと人間の根源に迫る罪と責任への自覚である。人生の意味とは何か。その問いに誰もがうまく応えることができない。しかし、少なくとも死を前にして、マリーが掴んだ物こそ、彼女の人生で生涯に渡って行い続けた過ちへの心からの謝罪であり、神が彼女だけにそっと与えた許しの証ではなかったかと小生は思っている。それだからこそ、彼女は人々から唾を吐きかけられながらもフランス国女王としての威厳を保ち、身じろぎもせず断頭台に上がることができたのだ。
 小生、これまでパリへ6回行ったことがあるが、彼女がいたベルサイユ宮殿には一度も行ったことがない。華やかという言葉の裏に潜む空しさのようなものを感じて意図的に避けていたからだ。今年も7回目のパリ訪問を計画しているが、もちろんベルサイユは行かない。しかし、今回は奇しくもストラスブールからコルマール、バーゼルをなどアルザス地方を旅する予定で、ストラスブール大聖堂は是非行こうと思っている。ゲーテとマリーが出合った場所を、200年後に訪ねて、どのように自分が感じるのか、今から興味があり、楽しみである。
d0151247_23393184.jpg
ルーブル美術館には1600年フランス国王アンリ四世の妻としてフィレンツェのメディチ家から政略結婚でやってきたマリー・ド・メディシスの生涯を描いたルーベンスの巨大な連作油絵がある。これは全21枚連作の最初の一枚で、マルセーユに到着したマリーとそれをたたえる三美神である。写真では分かりにくいが、画面中央に立つマリーが、異国に来た不安と、フランス国王の妻になるため精一杯虚勢を張ろうとしている姿をルーベンスが見事に描いている。恐らくマリー・アントワネットもこのような恐れや希望が入り交じった複雑な気持ちでパリに来たのだろう。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-22 23:45

味覚に於ける直感と反省(No.27 08/02/21)

「直感というものは、主客の未だ分かれない、知るものと知られるものと一つである現実その儘な、不断進行の意識である。反省というのはこの進行の外に立って、翻って之を見た意識である。」西田幾太郎著・「自覚に於ける直感と反省」より。

 韓国の代表的な食べ物といえばキムチとニンニク、それに唐辛子。これが好きな人にはたまらなく魅力的な国である。だが、小生、正直なところニンニクと辛いものが苦手である。ニンニクが嫌いなわけではない。たまに食べればキムチもニンニクも美味しい。しかし、のべつまくなしだと飽きてしまうのだ。ところが、韓国はどこへ行っても、またどんな食べ物を頼んでも付け合わせにキムチが出てくるし、料理の中にはほぼ百%ニンニクが入っている。朝も昼も夜もキムチ、ニンニクづくしだと、一日一回くらいはイタリアンとか、中華料理も食べてみたくなるではないか。それが、韓国ではこうしたお店がほとんどないのである。
 日本は和食、中華、イタリアン、フランス、インド、ベトナム、タイ料理など様々なレストランを好みに応じて選べる。ところが韓国では大都会であるソウル市内でもこうしたレストランがほとんどない。わずかに日式と称する日本料理店がある程度。スパゲッティなんか食べたくても難しいのである。不思議なのは日本でおなじみの和洋折衷ファミレスが全く無いことだ。
 韓国人の中に、韓洋折衷料理を扱うファミレスを開いて商売を目論む人がいても良さそうだが、全然ないのは何故か。韓国在住日本人Aさんに尋ねたところ、韓国ではニンニク、キムチ、唐辛子による伝統的食文化が厳然と確立し、外国の料理を受け付ける余地が少ない、それゆえ店を開いても成り立たないのだ、と説明してくれた。自国の料理がたいへん気に入っていて、他国の食べ物にあまり興味を示さないようなのだ。
 つまり、韓国料理が最高であって、他の料理が入り込む余地がない。だから昨日述べたように、我々が釣ったヤマメを韓国人Mさんが持ち帰って、韓国流塩鮭状態で食べたのだ。料理法から根本的に違うのである。以前、ソムジン川で釣ったアユを料理してくれるよう頼んだら、唐辛子とニンニクをきかせたチゲ鍋で出してきた。アユは軽く塩を振り、遠火の塩焼きが最高と思うが、彼らの味覚は全然違うのである。
 韓国ではまずニンニクと唐辛子ありきである。それが美味しい基準であり、ニンニク、唐辛子が入っていないと何か物足りなく、美味しいと感じないのだろう。これは世界の食文化から見ればかなり特殊な国と言えよう。もちろん世界の貧しい国々ではいつも同じ物しか食べていない所も沢山ある。だが、韓国はGDP世界13位の先進国である。貧しくてわずかな穀物と汁しか食べられない民族とは違う。要するに我々がみそ汁にごはん、漬け物が美味しいと感じるように、韓国ではニンニク、唐辛子、キムチは必要不可欠な美味しい物なのだろう。
 これは食文化、伝統の違いであって、良い悪いの問題ではない。小生、ここで日本が良く韓国は駄目と言っているわけではない。口に入れて、これは旨いと感じる判断基準が日本と全然違う。感覚的なものが韓国と日本でまるで異なるから良い悪いと論じてもあまり意味はないと言いたいのである。
 西田幾太郎の言葉を小生なりに「曲解」させてもらえば、自覚=味覚の判断は、カントの「純粋理性批判」と同じように、食べた直後の感触、すなわち辛い、甘いなどの直感でスタートし、すぐさま旨い、不味いの評価=反省に進む。この評価=反省の仕方が民族によって様々なのだ。味(自)覚に於ける直感と反省、すなわち旨い不味いと評価する「反省の基準」は、極めて多様で決して一つのものに収斂することはできないのである。
d0151247_17473079.jpg
帰国最後の食事はアサリ、エビ、タラ、野菜などで味付けした熱いウドンを大皿に入れ、何人かで食べるヘムルカルクックスと言うウドンにトライした。食べ方はウドンを小皿に取ったら左右にあるキムチを入れて、味付けする。小生(右下)は試しにキムチ無しで食べたら、これがアサリやエビのダシが絶妙に出た何とも美味しい味だった。だが、左の二人はキムチを入れて(赤くなった小皿)食べていた。小生が思うに、そうするとアサリ、エビの微妙な味が消えてしまう気がするのだが、彼らも小生と同じように美味しいと言っていた。同じ物を別々な味付けでそれぞれ美味しいと評価する。それこそまさに食文化の違いなのだと実感せざるを得なかった。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-21 17:48

韓国の渓流釣り(No.26 08/02/20)

 「近くて遠い国」から「近くて近い国」になりつつある韓国に昨日まで渓流釣りに行って来ました。しかし、近いとはいえ、ここはやはり外国。日本との違いを痛感しました。日本ではどこへ行っても釣り人が多くて魚が少ないのに、韓国の渓流は全く手つかずの処女地で、ヤマメがウジャウジャ泳いでいたからです。まさに30年前の日本の渓流を見ているようで、信じられないほどヤマメは沢山いました。韓国ではそもそも渓流釣りというのが無いらしく、誰も渓流釣りをやらないから、ヤマメが残っているようです。釣具店にアユ竿はあっても、小継ぎの渓流竿は全く売っていません。ですから渓流の餌釣り師を見たことのない韓国のヤマメは、安心して餌を食べていたわけです。
 今回渓流釣りをした川は、韓国東海岸の一番北に当たるカンウオンド(江原道)を流れる二本の川です。ヤマメはどこにも沢山いて釣り放題でした。まさに釣り堀状態の、何か赤子をひねるような感じでテクニックもなしにどんどん釣れる。同行した韓国在住日本人のAさんは、韓国に3年間暮らしていてアユ釣りはやったことあるが、韓国で渓流釣りをするのは初めて。最初はどのくらい釣れるのか不安に思っていたそうです。そのため、釣り場の情報などを知り合いの韓国人フライマンから詳しく聞いたところ、「今は寒くて駄目だ。1尾か2尾釣れれば上等だ」と言われて心配していた。ところが、これが想像以上に釣れて、本人も驚いていました。韓国は知られざる渓流釣りの穴場のようです。
d0151247_169265.jpg

韓国の川は日本と違って落差はあまりない。平坦な流れと真冬のため水が少なく、深い場所は思ったほど多くはなかった。しかし、ちょっとした深みには必ずヤマメがいる。Aさんが日本式ミャク釣り仕掛けに川虫の餌で流すと、すぐにアタリが出た。水温2~5℃と、水はとても冷たいがヤマメの型がいいから日本と違ってかなり強いファイトをする。


d0151247_1695589.jpg
これが釣れたヤマメのアベレージサイズ。こんなにきれいなパーマークのあるヤマメを韓国で見れるとは思わなかった。もちろんヒレピンの幅広ボディ。日本のように成魚放流した汚い魚体ではなく、川で自然に成長したネイティブでなので釣れた魚は抜群に美しかった。この日釣りをした時間はほんのわずかなのに、最大で29㎝のヤマメを釣ることができた。時間を掛けてじっくりやればきっと尺ヤマメが釣れるだろう。春にもう一度来て、ゆっくり楽しみたいものだ。

d0151247_16103195.jpg
このようにあまり変化の無い場所でも、水深があれば一つのポイントから何尾も釣れる。釣れたヤマメを曳舟に入れるのも面倒で、タマアミの中に生かして釣りを続けるAさんはすっかり興奮状態。韓国のヤマメは何尾でも際限なく釣れてくる感じだ。(アミの中には3尾入っているがこの後も釣れ続いた)
d0151247_16105889.jpg

これはたった2カ所のポイントを攻めただけの釣果。数は50尾近くいた。釣れたヤマメは韓国人のMさんが食べたいというので、8尾だけキープし、後は全部リリースした。ところが、後で聞いたらヤマメの食べ方を知らないMさん、家に帰って腹を出し、塩をたっぷりまぶした塩鮭状態で冷蔵庫に入れておき翌朝食べたという。これでは折角のヤマメも台無し。美味しくなかったという。釣り方だけでなく、食べ方まで教えなかったのが心残りだった。
それと、韓国のヤマメは釣れるからと、日本から大挙して行き、乱獲するのは止めてほしいものだ。釣り場はみんなのもの。日本人のテクニックで釣りまくれば、たちまちパラダイスは消え失せるだろう。そのため、今回はあえて釣り場の詳細は書きませんでした。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-20 16:12

帰国しました(No.25 08/02/19

 韓国に渓流釣りに行って、先ほど帰国しました。韓国はヤマメ釣りの天国で、驚くほどの大漁でした。しかし、これから写真を整理するだけのガッツが残っていません。疲れたので今日はもう寝て、詳細は明日アップします。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-19 22:12

今日から韓国です(No.24 08/02/16)

昨日ちょっと書いたように、これから韓国に行ってきます。
帰国は19日です。それまで書き込み休みます。
韓国へは何しに行くかって? 
釣りです。
この糞寒いのに魚が釣れるかどうか、詳しくは19日以降に報告します。
では、行ってきます。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-16 07:27

チャングムの誓い(No.23 08/02/15)

 見慣れない服装をしたきれいな女性が出ているテレビを見ているうちに、たちまちはまってしまったのが、NHK・BS2で放送している「宮廷女官、チャングムの誓い」だ。きれいな女性はイ・ヨンエ。初めて聞く名前だったが、抜群の美人でまさに小生好み。普段テレビはニュース以外見ないのに、イ・ヨンエのきれいさと、ドラマの面白さに金曜日の夜は欠かさずテレビの前に座って見ていた。
 この番組で初めて韓国ドラマのことも知るようになった。日本と違うのはドラマの筋書きが意外性に満ちていて、これでもかというほど波乱の展開をすることだ。番組は毎回、主人公チャングム=イ・ヨンエが悪者から酷い目に会わされるところで終わる。視聴者は悪党に憤慨し、美しきチャングムが降りかかる火の粉をどう避けるのか気にかかり、次週も必ずテレビのスイッチを入れてしまう。そのことを制作者が見透かしているようで、ちょっとシャクだが、面白いからつい見てしまうのだ。視聴者をはめてしまうやり方が実に巧妙で、一度見始めると抜け出せなくなるのである。韓国で最高視聴率が60%近くなったというのもうなづける。
 チャングムは毎回のように痛めつくされるが、そのつど強い信念と努力、それに持って生まれた才能で立ち上がり自分の志を貫く。今の日本ではできないストーリーだが、韓国ではこれが通用するらしい。そこにはかって古き日本のどの町でも見られた素朴な人間感情が自然に表現されている。いわばまっとうな人間が努力すれば最後は必ず報われるという、真摯に生きようとする人への賛歌がドラマの中核をなしているのだ。日本ではとうに消えてしまったこのような感情が韓国でまだ残っていたことに好感が持てた。
 ドラマの中で、悪い奴は徹底的にワルでいながら、妙に人間的なところがある。「こういう悪い奴は我々の回りにもいたよな」と思わせる演出もうまいし、至る所に次の話と結びつく伏線を忍ばせておいて、それがずっと後になってつながる。こんな巧みな手法、日本のドラマ制作者も学んで欲しいくらいだ。
 ところが、制作のクオリティをどこに置くかという点では日本と全然違う考え方のようだ。例えば、二人の人物が話し合っているアップのシーンで、片方の人物は背景が雪景色なのに、相手の背景には雪がない。土砂降りの雨の中、建物から出て来た人物を別な角度から撮ると、晴れているという具合に、背景、天候などお構いなしに撮影している。絵のつながりとか整合性は無視しているのである。
 韓国の連続ドラマは一時間番組を週2回放送するのだという。毎週2時間分の収録では少々のことは目をつむらないと間に合わない。日本映画のように天気待ちと称して何日も青空を待つ悠長さは韓流ドラマで通用しないのだ。殺人的なスケジュールだから細かい所を気にしていたらドラマは出来ない。本質的なものがしっかり撮れていれば、後は大目に見るというスタンスらしい。きれいな影像にこだわらず、必要なものにまっしぐらに進む発想が日本にはないだけに面白かった。
 そのチャングムが本日の放送をもって最終回を迎えた。何度も挫けそうになりながらも最後はハッピーエンドで終わるチャングムに、見る方も納得したが、来週からイ・ヨンエの姿が見れないのはちょっと寂しい。
 だが、小生にとっては朗報もある。実は明日からイ・ヨンエがいる韓国に行くのだ。もちろん彼女に会えるわけではないが、楽しみであり、うれしい。
 問題は、このブログだ。毎日更新することを自らに課してスタートしたが、韓国に行くとなるとネットにアクセスすることが出来ない。韓国だけでなく、その後26日からのフランス行きでも同じ問題が控えている。そうなると毎日更新は不可能である。ここは覚悟を決めて、毎日という目標は外そうと思う。
 上記理由で数日間お休みすることをお許し願いたい。帰国は19日です。
d0151247_22331585.jpg
チャングムを演じたイ・ヨンエさん。若い頃の吉永小百合さんみたいで、本当にきれいだった。もう彼女の姿がテレビで見れないのは残念である。機会があれば彼女が出演した映画「親切なクムジャさん」と「JSA」を見たい。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-15 22:39

マイクロソフトの野望(No.22 08/02/14)

 マイクロソフトのビル・ゲイツがMS-DOSをひっさげてコンピュータの世界に登場したとき、我々はその斬新さに驚き、興味津々でDOSを使ったものである。多くの日本人と同じくPC98からスタートし、DOS-Vに移行した小生、MS-DOSの使いにくさに文句を言いながらも、何とかそれを使いこなそうと徹夜でパソコンと格闘したのが懐かしい。今と違ってパソコンのメモリーなんか、64kb(メガバイトではない、キロバイトだ)しかない貧弱なものを、EMSという方法で拡張して使っていた。DOSコマンドで64kbのメモリーをものすごい速さで輪切りにし、映画の連続コマのようにメモリー領域を増やす方法である。いちいちコマンドを打ち込まねばならないDOSは使いにくく、マックを使う人が羨ましくて仕方がなかった。だから、ウインドウズが初めて出た時はビル・ゲイツを絶賛し、新宿のカメラ店に深夜並んで購入したものである。
 そんなマイクロソフトが最近ヤフーの買収を始めたことで話題になっている。MS-DOS以来、ずっとマイクロソフトを使っている身としては、またか、という思いが強い。これまでマイクロソフトはOSを支配していることを武器に、強引とも言える方法で競争相手を蹴散らしてきたのを見ているからだ。代表的なのはインターネットのブラウザだ。Internet ExplorerをOSとセットで販売することで、それ以前から頑張っていたネットスケープを駆逐したことが当時痛烈に批判された。また、エクセルをぶっつけることで、表計算ソフトの定番だったロータス123をも撃破した。OS・ウインドウズを持つ強みでロータス123やネットスケープをプリインストールしているPCメーカーに圧力をかけ、ライバルをけ落としたと噂されているのだ。
 こうしてブラウザはInternet Explorer、表計算はエクセル、ワープロはワードという、マイクロソフト王国が世界中で完成したのである。しかし、それはいびつな王国である。なぜなら、マイクロソフトが全てで勝利したと言っても、ソフトが優秀だからではないからだ。日本語ワープロである一太郎・Atok の日本語変換能力はワード・MS-IMEの比ではない。抜群の使い易さなのに、マイクロソフトの強引なやり方で、ネットスケープやロータスと同じようにAtokが葬り去られようとしているのは残念だ。最終的にユーザーは馬鹿なMS-IMEの日本語変換に悪態をつきながらも、それを我慢して使うしかなくなるのだ。
 そこまでして大きくなったマイクロソフトは何処へいくつもりだろうか。今回のヤフー買収でマイクロソフトはヤフーのためにも、また我々ユーザーの利益にもなると言っているが、もし一般ユーザーの利益を言うなら、リナックスのようにウインドウズのソースコードを公開して、もっと安い値段で販売するのが筋ではないだろうか。
 恐竜はその体が大きくなりすぎたゆえに滅びたと言われている。ヤフーまで手に入れて巨大になりすぎれば、マイクロソフトは逆に衰退して行くこともありうるのだ。ここまでグローバルになったなら、相手のことも考える必要がある。独り占めした者は、結局、最後は食いつぶす相手もいなくなり、自らの生存基盤そのものを失うのである。
[PR]
by weltgeist | 2008-02-14 23:54