2015年 02月 07日 ( 1 )

神の沈黙と裏切り者の救い。遠藤周作・沈黙、その2 (No.2048 15/02/07)

 遠藤周作の沈黙を取り上げたが、昨日は字数が多くなったので、今日はその続き。
 沈黙の主人公、ポルトガルの宣教師、セバスチャン・ロドリゴはヨハネ福音書に書かれたイエス・キリストがユダに向かって言った「去れ、行きて汝のなすことをなせ」(ヨハネ福音書、13:27)と言う言葉につまづく。みんなはユダを裏切り者と批難するが、もしそうならイエスは裏切りを勧めるようなことをなぜ言ったのだろう。もしかしたら、これも神の計画ではないのかと思い、悩むのである。
 沈黙には副主人公として「鼠のような小さな眼を持つ薄汚れた」(新潮文庫、P.109)キチジローという気の弱い転び切支丹が出てくる。彼は日本のユダとも言える人物で、切支丹弾圧に耐えられず棄教し、ロドリゴをも役人に売る裏切り者である。しかし、裏切ったにもかかわらず彼はなぜかロドリゴの近くにいつも隠れるように潜んでいて何か言いたげである。
 人を裏切るとは何か。ロドリゴはキチジローの密告で囚われの身となったことで、ユダの裏切りをあらためて考えてみる。「いかなる感情で基督は銀三十枚のために自分(イエス)を売った男(ユダ)に去れという言葉を投げつけたのだろう。怒りと憎しみのためか。それともこれは愛から出た言葉か。怒りならばそのとき、基督は世界のすべての人間の中からこの男の救いだけは除いてしまったことになる。基督の怒りの言葉をまともに受けたユダは永遠に救われることはない。・・・しかし、そんなはずはない。基督はユダさえ救おうとされていたのである。でなければ彼は弟子の一人に加えられるはずはなかった。それなのにこの時になって道を踏み外した彼を基督はなぜ止められなかったのか」(P.116 )と考えるのだ。
 イエスを捕らえようとパリサイ人や兵士がやってきたとき、ユダはイエスに口づけして「この人がイエスだ」と売った。だが、その後彼は後悔して、もらった銀貨を神殿に投げ込んで首をつって自殺(マタイ福音書27:3-5)する。一方キチジローはロドリゴが彼の密告で捕らえられたとき「”パードレ(ポルトガル語で司祭)。ゆるしておつかわさい” キチジローは地面に跪いたまま泣くように叫びました。”わしは弱か。わしは(棄教を拒否して殺された)モキチやイチゾウんごったっつよか者(もん)にはなりきりまっせん。”・・・」(P.123)と言いロドリゴに許しを請うているのだ。しかし、ロドリゴには彼を軽蔑の眼で見ることしかできない。
 だが、その後で彼自身が目の前で拷問される信者たちを役人から見せられると心が動顛してしまう。そして「(転んでいい。転んでいい。)・・・(私は転ぶ、転ぶから)その言葉はのどもとまでもう出かかっていた。歯を食いしばって言葉が声を伴うのに耐えた」(PP.209-210)ところまで追い詰められる。現実の弾圧の悲惨さに負けたロドリゴもこのあと棄教し、キチジローと同じ立場になるのである。彼があれほど疑問に思っていたユダと同じ裏切り者になるのだ。だが、そんなところにまで追い込まれながら相変わらず神は黙ったままである。
 ところが、小説の最後でロドリゴは自分が踏み絵を踏んだことを回想するなかに現れた「人」とついに言葉を交わす。その人は次のように言う。
(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう十分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから)
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいといっているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから
」(P.294)と。
 神は沈黙していながら、ずっとロドリゴやキチジローを見て一緒に苦しんでいたとロドリゴは受け取る。人間とはかくも弱く、罪深い存在なのである。だが、神は人が苦しんでいる場に直接出て来て彼らを助けるようなことはしない。人々の苦しみは神の苦しみでもあるが、それはお前たち人間が自分で乗り越えねばならない試練なのだ。あくまでもそれぞれの実存が引き受けなければならないことで、神は心の中でくじけないよう支えているだけなのである。
 カラマーゾフの兄弟の「大審問官とキリストとの対決」でも神は沈黙したままだった。しかし、そのことで峻烈なまでに明らかになったのは人間の自由と実存の問題である。人が自由であることは苦しみを伴うが、神が手を貸したり人の生き方に指図することはしない。自由で人間らしく生きるとはそういうことである。遠藤周作は沈黙で自由と実存の問題をこのように解釈したのだと私は読んだ。深くて難しい問題を扱う実に読みごたえのある小説であった。
d0151247_22355155.jpg

[PR]
by Weltgeist | 2015-02-07 23:41