2012年 02月 05日 ( 1 )

中高年の怒り爆発。なぜ彼らはキレるのか (No.1302 12/02/05)

d0151247_2014898.jpg 2月1日付け、毎日新聞夕刊に「特集ワイド・中高年はなぜキレる? 」という記事が載っていた。読まれた方も沢山いると思うが、最近、駅や街頭で怒りを爆発させて、キレる中高年の姿が一般的に見られるようになったという。
 例えば、昨年11月にJR大井町駅前で赤信号を無視して渡って来た男に注意した人が、いきなり殴られて翌日死亡した事件があった。傷害致死容疑で逮捕された48歳の会社役員の男は普段は普通のいいお父さんで、そんな事件を起こす人には見えなかったらしい。ごく当たり前の人がちょっとしたことで爆発する。平凡な市民が人殺しに変身する危険な背景はどこにあるのか。
 小生の若い頃のあだ名は「瞬間湯沸かし器」。ちょっとしたことでキレて暴れ回る困り者だった。最近は少しおとなしくなったとはいえ、先日、大事にしていた蝶の標本箱を妻がひっくり返して標本を壊したとき、頭に血が昇ってあやうくちゃぶ台返しをするところだった。突然怒りが爆発する危険性は小生自身にとっても今なおマグマのように内に潜んでいる。だから是非とも怒らない温厚な老人になりたいと思っているのだ。
 「暴走老人! 」を書いた作家の藤原智美さんによれば、昔に比べて今は「気配りの社会」で、相手を困らせない気配りのサービスが徹底しているが、「裏を返せば気配りが足りないと感じたとたんにキレる。現代人はそんな薄氷の上で生活しているようなものだ」と言っている。昔なら問題にならなかった表現が、失礼に聞こえて侮辱された、と感じてしまう。そこには自分のアイデンティティを失った寂しき中高年の姿が浮き上がってくるのである。
 「カネと暴力の系譜学」を書いた津田塾大、菅野稔人准教授によれば、バブル期に人は経済的利益を得ることで、ちょっとした不満は黙って見過ごすことができた。それが今は、いかに無駄を削るかばかり言われて、たいしたものを得られないつらい毎日を送らされている。自分の威厳を保ちにくい社会に変わってしまったのだ。そこで自分のアイデンティティの核として、プライドとかメンツみたいなものを選ぶようになりがちになる。ところがそのアイデンティティに裏付けがないから少しのことでも侮辱されたと感じやすくなるのだという。
 人がキレるのは、メンツをつぶされたからではない。実体を伴う本物のプライド、メンツがあれば、少々のことは苦笑してやり過ごせる。キレるのはそれが本物ではないからだ。つまり自分自身に自信がない恐れや不安といった裏感情が、わずかな刺激で引き金を外され爆発する。これがキレることの正体である。そうした裏感情が大きければ大きいほど、それを隠そうとして生じる怒りも大きくなる。だから、カッとなったときは「それだけ自分は弱っているのだな、と思えばいい。怒りは自分自信が弱っていることのメッセージ。怒っている人がいたら、この人は自分に自信がなくて困っているのだ」と思えばいいという。そうすれば、逆に何か助けてあげられるかもしれないと、記事では書いてあった。
 怒りとキレることは別物である。怒りは人間なら誰にも起こる事柄である。「キレる」は自分が怒りの強さに負けてコントロールできなくなった状態だ。そうした「キレる」ことを抑えるのは自分自身を強くするしかない。何事も苦笑でやり過ごせる強固なアイデンティティを持つことであろう。それが今の不安定な社会ではますます困難になりつつある。哀れな中高年はさらにキレやすくならざるを得ないのだ。
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by weltgeist | 2012-02-05 23:18