2009年 12月 29日 ( 1 )

シュテファン・ツバイク、「マゼラン」その1 (No.597 09/12/29)

d0151247_23284462.jpg 先週グアム島でマゼランが島に上陸した地点の写真を紹介したので、今回はついでにマゼランの生涯を書いたツバイクの「マゼラン」(みすず書房刊)という本の感想を述べてみたい。オーストリア生まれの伝記作家ツバイクは小生が大好きな作家の一人である。以前「マリー・アントワネット」や「エラスムス」のことも彼の著作から書いたが、「マゼラン」は彼の傑作の一つで、深い感銘を受けた本である。
 ツバイクの伝記小説の特徴は、歴史上の偉大な人と言われる人たちの生い立ちから死までを、韻を踏んだ美しい文章でドラマティックに書き綴っていることである。登場する人物は、いずれも歴史上の有名人で、彼らの並々ならぬ能力と、燃えたぎるような信念を完全なまでに燃焼して輝かしい成果を得ながら、最後は悲劇的な死で幕を閉じる人間の悲しい個人史として書かれている。そうした世界史の巨人の一人として書かれた本が今回紹介したいフェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan / 1480-1521年4月27日)の生涯である。
 16世紀初頭は、コロンブスのアメリカ発見やヴァスコ・ダ・ガマがインド発見をした「大航海の時代」であった。そんな偉大な先輩たちより少し遅れてポルトガルの下層貴族の子として生まれたマゼランは、最初マラッカ諸島などの航海を経験することで次第に頭角を現すようになる。彼は自分の経験やコロンブスなど先輩たちの成果から地球は信じられているような平らなものではなく、丸い球形であることを確信し、ポルトガルから大西洋を西に進めばいつか地球を一周して東側から戻って来れるはずだから、ぜひ自分にその船団を作らせて欲しいと、ポルトガル王、マノエルに頼む。「しかし、マノエル王は陰鬱そうに眉をしかめながら、いらだって請願人(マゼラン)を見つめた。王を立腹させたのは性急に要求し、恩恵の一つとして給料を与えられるのを待ちもせず、執拗に、強固に、まるで当然の権利のように主張する」( P.64 )マゼランの無礼な態度であった。頭にきたマノエルはマゼランの請願を拒否するのである。だが、周到なマゼランは王が自分の計画を断った場合のことも最初から準備していた。もしポルトガルがこの計画に興味がないなら、自分は他の国でやらせてもらうがいいだろうかと、他国で遠征船を使う許可を願い出るのである。ケチで意地悪なマノエルはマゼランの巧みな誘導に乗せられて、不覚にもそれを許可してしまう。そして、マゼランはその計画をスペイン王、カルロス一世にぶっつけるのである。。
 すでに南米大陸も発見されていて、西に向かった船はいずれも南北米大陸で行く手を遮られ、それより西にあると想像される太平洋に至ることは出来ていなかった。だが、マゼランはドイツで書かれた怪しげな報告書で大西洋と太平洋を結ぶ海峡があるという情報を手に入れていた。それはあるポルトガルの船が喜望峰を目指しながら西の海に迷い込み、南緯40度付近でジブラルタル海峡に似た海がまだ知られていない他の大洋、すなわち太平洋につながっているのを見つけたという報告書である。これを読んでいたマゼランはスペイン王に「新発見のアメリカ大陸が、まるで通行止めの横木のように立ちふさがっていて、ここを南に迂回することは不可能であると主張されていますが、それは誤りです。不肖私マゼランは、そこに一つの海峡があるという確実な情報を持っています。そして一船団を私に自由に使わせてくださるならば、この秘密をスペイン王室に責任をもって捧げます。私の申すとおりにすれば、スペインは地球のこの宝庫にすでに焦慮の手をさしのべているポルトガルをまだ出し抜くことが出来ます」( P.92 )と言って、ついに5艘からなる大船団を組ませることに成功するのである。
 あわてたのはポルトガル王マノエルだ。当時ポルトガルとスペインは新しい植民地を見つけるために激しい争奪戦をやっていたからだ。マノエルはありとあらゆる手段を使ってマゼランの計画を妨害する。だが、目的を定めたら、そこに向かってまっしぐらに進む鉄のような意志と、傲慢きわまりない精神の持ち主の決心を変えることは出来ない。
 なぜならマゼランにはデモーニッシュとも言える強烈な思いがあって、それを引き留めることはもはや誰も出来なかったからである。大航海によって地球上の多くの未知の場所が明らかになったこの時代「ただ一つの仕事が後に残った。最後のもっとも美しく、もっとも困難な仕事、すなわち同じ船に乗って全地球を一周し、それによって過去のすべての宇宙学者や神学者に反対してわれわれが地球の円形を測定し、実証するという仕事」( P.37 )にマゼランは全霊をかけて没頭していたからである。
 かくて1519年9月20日、265名の乗組員を乗せた5隻の船がスペインのサンルーカル・デ・バラメダ港を出港して、大西洋を西に向かう。船団の旗艦トリニダッド号(110t)にはマゼランが乗り、他のサン・アントニオ号(120t)、コンセプシオン号(90t)、ビクトリア号(85t)、サンティアゴ号(74t)にはそれぞれスペイン人の船長とスペイン人船員が乗っていた。だが、船長と船員の大半がスペイン人でありながら、総指揮官がポルトガル人という民族構成が後で何度も反乱を生む原因となるのである。
 競争相手であったポルトガル人のマゼランに総指揮をとられることに内心快く思っていなかったスペイン人たちは、最初は渋々命令に従っていたが、次第にマゼランの高圧的な態度に頭にくるようになる。他の船の船長はいずれもスペイン貴族の称号を持つ誇り高い人であるにもかかわらず、マゼランは彼らの一切の要望を無視して、自分が以前見つけた南緯40度付近の「秘密の海峡」を目指すのである。そして、スペイン人には「黙って俺についてくればいいのだ」と冷淡に言うだけである。次第に不満が重なってきたスペイン人たちは、行く先も定かでない航海へのストレスもあって、ある日マゼランに対して反乱を起こすのだ。だが、絶対絶命に陥ったマゼランはそれを驚くべきやり方で鎮圧するのである。ここでマゼランは並の人間には持ち得ない卓越した能力を発揮して、スペイン人たちをもアッと言わせるのだ。
以下は明日に続く。
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by weltgeist | 2009-12-29 23:57