2009年 12月 14日 ( 1 )

お歳暮と感謝の気持ち (No.586 09/12/14)

 まだ仕事をしていた現役の頃は沢山の方からお歳暮、お中元を頂いていた。それが仕事を辞めたと同時にガクッと少なくなった。リタイアした直後はその落差の大きさに驚くとともに複雑な心境になった。
 本来、お歳暮とかお中元は日頃お世話になっている方への感謝の気持ちから発生したものだろうが、日本の商習慣として、仕事の関係が見え隠れする。仕事をもらいたいがためにお歳暮を送ってきていた人は、小生のリタイアと同時に「贈る価値無し」と判断したのだろう。小生の人間性を評価して「あの人にあげたい」と思うからではなく、肩書きや仕事上の許認可権などだけで見られていたからこのような激減になったのである。
 もちろんビジネス上の付き合いはあるから、仕事上ある程度のことは致し方ない。実際に小生も仕事でお世話になった所にお歳暮やお中元を贈っていた。しかし、それが相手に対して感謝や尊敬の気持ちから贈ったかと言うと、正直それはなかった。昔からの習慣でやっていただけだから、仕事を辞めた今ではこちらも贈ることは止めている。だから、リタイアしてお歳暮が激減しても、それは何らびっくりする必要もないことであろう。
 仕事がらみのお歳暮など、もらう方の立場からすれば気が重くなるだけで、むしろもらわない方がずっと気が楽になる。物で感謝の気持ちを表すような悪習は常々止めて欲しいと思っていた。感謝の気持ちを伝えるのに物はいらない。心の底から出てきた誠実な気持ちが相手に伝われば何でもいいはずである。
 リタイアしたことでそんな悪いしがらみからようやく解放されたと言っていいだろう。仕事に関してまったく部外者になることで仕事がらみのお歳暮がなくなり、実はホッとしているのである。義理や下心がからんだ物などもらいたくもないのである。
 ところが、それでもまだ何人かの方からお歳暮を贈っていただいている。もう小生は仕事上での関係はないから、これらは純粋な友情関係の物なのだろう。リタイアがフィルターとなって、真の友情を感じている方のものだけが残ってきたのだ。本当は真に信頼した仲ならそんなお歳暮などない方がよりフランクにつきあえるのだが、今でも贈ってくれる方の気持ちをありがたく受け止めるようにしている。小生とて、たとえばいい魚が沢山釣れたりすると、「この魚を**さんにあげたい」という気持ちになる。「贈り物をあげたい」友人の一人として小生を見ていただいているだと思うと、本当にうれしく感謝した気持ちになれるのである。
 贈り物とは感謝の気持ちの表現である。それが妙にゆがんで、贈りたくもない人にまで嫌々贈らなければならない社会構造が出来上がってしまっている。こんな制度は一旦ぶっつぶして、贈りたい人に贈りたい時に自由に贈る世の中になってほしいけど、もうそれは無理だろう。いや商品を売りたい側では、もっともっと新たなお歳暮、お中元のたぐいを増やしたいところだろう。バレンタインのチョコレートなどは、そのターゲットとして、半ば習慣化している。やりたくもないオヤジどもの義理チョコ購入に走る女性社員は、くだらない気遣いと出費をしなければならないのである。
 必要なのは義理ではなく、感謝である。感謝の気持ちを感じない人に贈る必要などないが、そんな悪習を無視出来ないところに現代社会の難しさがある。だが、出発点はあくまでも感謝の気持ちである。世の中には納得出来ないことが多すぎるが、そんなことなど忘れて、良いことだけを意識する。そうすれば自ずから感謝の念が生まれて、世の中明るく幸せな気分で過ごせるのではないかと思うのだ。意識的に感謝の気持ちを持つことはなかなか難しいが、これが人生を有意義に生きるコツと小生は考えている。
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北海道に住む友人のH氏から見事な鮭の新巻を送っていただいた。彼は大学院時代の同級生だったからすでに40年以上の付き合いになる。まして北海道とでは距離が離れすぎていて、会うこともままならない。付き合いも疎遠になるのが普通なのに、いまだに北海道の味覚を送ってきてくれる。小生への彼の気持ちを思うとありがたい。感謝の気持ちでいっぱいになり、彼のために何か出来ることはないかこちらも考えてしまう。感謝の気持ちから出た物は相手の感謝の気持ちを誘う。義理は義理しか産まないのである。 
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by weltgeist | 2009-12-14 23:13