2009年 12月 08日 ( 1 )

痛みとペイン・クリニック (No.580 09/12/08)

 腰、股関節の痛みに耐えかねて、整形外科をハシゴしたが全く治らず、最後の拠り所と思った整体に望みを託して通ったが、ここでも結果は思わしくなかった。整体師は小生の骨盤がゆがんでいるから、これを矯正すると称して、様々なことをやったのだが、返って痛みが増してしまったのだ。整体で腰の付近をいじったことで、逆に痛い場所を刺激したようだ。体をもめばもむほど痛みがひどくなり、しばらく我慢していたが、これ以上続けるのは危険と判断して治療を断念した。評判の高い先生だから、痛いのを我慢すればやがて痛みもなくなると希望を持って通い続けたのだが、小生の痛みは整体では治らないようだ。
 小生のようにどこへ行っても治ることなく見放される人たちを「腰痛難民」と呼ぶのだそうだ。そんな話を知り合いの内科医に言ったら、整体は医学の知識の無い人が素人的にやっている場合が多く、小生のように悪化した人には危険だと忠告された。それより「ペイン・クリニックに行ったらどうだ」教えてくれた。ペイン・クリニックって初めて聞く言葉である。彼が言うには、小生のような治りにくい痛みを抱えた患者を専門に扱う「痛み専門科」で、これが最近、あちらこちらの大学病院で開設されているという。
 体の痛みというのはある部分の損傷を神経が知らせる警告であるが、それは脳が感じるものであるから、脳が認定しない限り痛いとは感じないことになる。普通、痛み神経が「痛い」という信号を脳に伝えれば自然に「痛い」と感じる。だが、痛くても脳が痛いと判定しなければ痛みはない。麻酔で麻痺させられると一時的に痛みを感じなくなるのがそのいい例だ。そして、逆に脳はときどき混乱して、痛み信号がないのに痛いと感じることもあるらしい。傷が治った後でも頭が混乱していつまでも痛い、痛いと感じることがあると知り合いの内科医は言うのだ。
 たとえば腕を切断した人の指はもう無いのに、いつまでも「指の痛み」を感じることがある。これは脳が「痛みがあるように錯覚」しているからだ。つまり、痛みとは損傷箇所の問題であるとともに、頭の問題でもあるという複雑なメカニックを持つものらしい。痛みは脳に記憶され、それが慢性痛の原因になることがある。小生の痛みも単純な腰痛ではなさそうだから、そういうことを総合的に扱うペイン・クリニックに行ってみたらどうかと教えてくれたのである。
 この話を聞いて、小生、あることに思い至った。今年の春、ある整形外科医の診察を受けたとき、「あなたのMRIなどの所見では骨の異常は見あたらない。それでも痛いとなると、その原因はもしかしたらあなたの頭の中にあるのかもしれない」というような変なことを言われたことがある。あのときは実際に足が痛くてたまらないのに「痛いのは小生の頭が痛いと思っているからだ」と馬鹿げたことを言われた。こんなふざけたことを言う医者に抵抗を感じ、その医院には行かなくなったが、もしかしたら、あの先生が言ったことは正しかったのかも知れないと思いはじめたのである。
 「痛みの原因はあなたの頭にある」と指摘した先生は、小生のMRIやレントゲンで骨の異常はないと言っていた。そうなると、彼が言うように痛みの原因はもっとメンタルなところにあるというのは真実性が増してくると思えてきたのである。ということは、小生、今後は整体などより、出来るだけ早めにペイン・クリニックに行って、痛みの原因の解明とその解消をしてもらっ方がいいのかもしれない。また、知り合いの内科医はペイン・クリニック以外に案外鍼(はり)などもいいのではないかとも言っていた。鍼の刺激で、混乱していた痛みの信号が正常に戻るかも知れないからだ。
 鍼については以前、友人の「たかはらがわ」さんが効果があったと言っていた。とにかく、今の痛みが取れるまで、小生、何でも試してみるつもりである。痛みが続く限り釣りも、蝶採りにも行けないからだ。
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マティアス・グリューネバルト、イーゼンハイム祭壇画(1511年‐1515年頃)、プレデッラ、ピエタの部分。フランス、コルマール、ウンターリデン美術館。
十字架から降ろされた満身創痍のイエス・キリストの痛々しさを、グリューネバルトは残酷なまでなリアルさで描いている。キリストの痛さが伝わってくるような悲惨な絵である。

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by weltgeist | 2009-12-08 23:56