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ロヒール・ファン・デル・ウエイデン、「最後の審判」1 (No.365 09/03/16)

「やがて来るべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりは洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。・・ついに定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる」(ダニエル書9・26-27 )

「たちまち、私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、その方は碧玉や赤めのうのように見え、その御座の回りには緑玉のように見える虹があった」(ヨハネ黙示録4・2-3 )
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 フランス、ブルゴーニュ地方ボーヌのオテル・デュウ( Hôtel-Dieu 神の家 )にあるロヒール・ファン・デル・ウエイデン (Rogier van der Weyden / Tournai v. 1399/1400 - Bruxelles 1464 ) の「最後の審判」 ( 1443ー51年 )。ベルギー、ゲントにあるヤン・ファ・アイクのゲント祭壇画「神秘の子羊」と双璧をなす初期フランドル絵画の最高傑作の一つである。全部で9枚のパネルからなる細長い構成で、展示室の一番後ろ側まで下がった所から写真を撮っても、小生がこのとき持っていた18㎜の広角レンズでは祭壇画の全てを一枚に写し撮ることは不可能だった。それと、展示されていた場所がかなり暗く、これを三脚無し(三脚の使用は認められていない)の手持ちで撮るのはとても難しかった。余談だが、この写真は小生が最初に買ったデジタル一眼レフ・D70で撮った画像である。フィルムではとても撮れそうもない暗さの中、手ブレもなく撮れ、その性能に驚かされたものでもある。
 写真はパネルの前面である。だが、裏面にも絵が描かれていて、こちらはグリザイユ(淡彩画)という手法で、白と黒の絵の具のみを使って描かれている。制作当時は一枚のパネルの面と裏に描かれたが、現在は裏面は剥がされて別に展示してある。

ロヒール・ファン・デル・ウエイデン、「最後の審判」1 (No.365 09/03/16)_d0151247_22421555.jpg ヨーロッパの教会に入ると、たいていこのような祭壇画や彫刻が展示してある。中世の時代、文字を読める人はわずかだった。そのため、キリスト教を布教するには、文字以外の手段が有効となる。絵画、彫刻は音楽と共にキリスト教の教えを知らせる有効な手段として、教会では積極的に取り入れたのである。こうしたポスター的役割をする絵は、普通一枚だけの単独したものが多いが、壮大なキリスト教の理念を教えるにはなるべく大きい方がいい。また、多くの教えを含んだものの方がいいことから、何枚もの絵を組み合わせて物語風にした多面(翼)の祭壇画が発展してきたのである。
 さて、左の細長い絵がボーヌ多翼祭壇画の中心をなすセンターパネルである。この絵で何を語っているかは見た通り、明快である。死んだ人間が生きていた間にどのくらい良いことをしたかを、大天使ミカエルが天秤バカリを持って待ち構え、魂のきれいな人は天国へ、悪いことをやってきた人は地獄へと振り分けているのだ。そして虹の上に座っているのがヨハネの黙示録に書かれたイエス・キリストである。

「私は死んだ人々が御座の前に立っているのを見た。そして数々の書物が開かれた。それはいのちの書であった。死んだ人々はこれらの書物に書き記されているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた」
(黙示録20・12 )


 つまり、この絵において、人は良いことをしていないと「死んだ後は地獄へ堕とされるぞ」と警告しているのだ。そして、このセンターパネルの左側は、天国へ導かれていく人々、右は業火が燃えさかる地獄へ堕ちていく様子がそれぞれ3枚ずつの連続した絵で描かれている。
 日本で言う閻魔(えんま)大王が、えんま帳に書き記された記録と照合して死んだ人間が嘘をついていたら舌を抜いて地獄に送り込むのと同じ発想である。こうした怖い絵を見ることで無学な民衆は神の衣を着たカソリック教会の言うことを聞くようになったのである。かくして、このような啓蒙、教育的祭壇画が沢山描かれたのである。
以下、明日に続く。
by weltgeist | 2009-03-16 22:51


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