50年ぶりに蝶の世界に戻ってきたら、今浦島太郎状態で、あまりに変化の多いことに戸惑いを感じている。一番驚いたのは50年前にはどこにでもいた普通の蝶のいくつかが激減して、稀少種になっていたことだ。日本中至る所でいっぱい飛んでいたある種のシジミチョウやヒョウモンチョウなどが、ものすごく狭い地域だけでわずかに生き残っていて、絶滅寸前になっていると言う。佐渡のトキなどは中国から移入された種で保護活動がなされているが、蝶では危機に瀕している種類が多すぎて、手がさしのべられていないのが現状のようだ。開発による生息環境の破壊で彼らがエサとする食草が無くなったり、殺虫剤による死滅など、人為的な影響が大きな原因らしい。
しかし、それ以上に驚いたのは、50年前に比べて、新しい種や亜種が増えたことだ。蝶の収集を再開するに当たって、蝶類図鑑を何冊か買い求めたが、ものすごく細分化した生物分類が行われていた。小生が趣味でやっていたイワナ釣りでは、イワナの種類は単純化して行こうという傾向があるのに、蝶では翅の模様が少し違っただけでもすぐに「亜種」だ「新種」だとされて、昔では考えられないほど種類が増えているのである。 生物の分類ではリンネが確立した世界標準の分類法で、ラテン語による学名の最後に、それを記載した人の名前が書かれる。ここに名前が入ればそれは永久、かつ世界的な記録として認定されるから、蝶を研究している人たちも重箱の隅を突っつくようにして違いを掘り起こしているようだ。しかし、ほんの少し模様が違っただけで、すぐ「亜種だ」と騒ぎ出すのは、まだ「蝶に関して部外者的意識」しか持ち合わせていない小生から見れば、異常としか思えない。そんなに細かな分類をしてどうするのだ。ロシアのイワナなんかものすごく地域変化があるにもかかわらず、それを細分化するより一つの種に大雑把にひっくるめて統一する傾向があるのに、昆虫の世界は全くそのスタンスが異なるようだ。 そんな漠然とした不満を持っていた先日、若いYさんという研究者のDNAを使った生物の新しい分類法の講演を聞いてきた。それは今はやりの「DNAバーコーディング」という方法である。 犯罪捜査で犯人を特定するツールとして活躍しつつあるDNAを、種の分類に使おうという試みはかなり昔からあった。昔、小生がすこし足を突っ込んでいた魚類学の世界では、アイソザイムによる酵素の電気泳動法から遺伝子頻度を計算して、種間の違いを読み取る方法が行われていた。それが、今やDNA分析に移ってきている。しかし、昔からこうした遺伝子の分析法は巨大、かつ高価な専門的装置が必要で、とても我々一般人が利用することなど不可能であった。だが、今やDNA分析はものすごく進歩していて、比較的簡単で安価な方法が出来つつあるらしい。 YさんによればDNAバーコーディングというのは、ミトコンドリアDNAの決められた塩基配列をバーコード状にデータベース化して、世界中の生物の分類、検索のツールとしようという試みである。一つの遺伝子領域の配列を読むことですべての生物の種を同定できるようにしようという国際プロジェクトだ。これが完成すれば地球上の全ての生物を、遺伝子の「バーコード」で識別することが出来るようになると言う。 しかし、もしそうなれば、生物分類に遺伝学が導入された直後から言われたように、蝶を採って翅の模様から種類を判断していた方法が「時代遅れ」としてお蔵入りされるかもしれない。捕まえたアゲハチョウを見て、「これはギフチョウかな、それともヒメギフチョウか」と判断に迷っているとき、「DNAのバーコードは******だから、●●●●だ」という判定され方になる。だが、蝶の美しい姿に魅せられた小生から見れば、それは無味乾燥した面白くも何ともない世界である。バーコードの違いで正確な種の判別は可能としても、学者でない自分にとってはそんなことで蝶の違いを区別しようとは思わない。 しかし、YさんによればDNAバーコーディングも万能ではないという。例えば、ある近似種の雄と雌が交尾して交雑種が生じたとする。DNAバーコーディングはミトコンドリアのDNAを読み取るが、ミトコンドリアは母親のものしか遺伝されない。従って、交雑種は雄雌の中間ではなく、親であった雌と同じDNAを持つことになり、中間種は読み取れないことになるのだ。このほか、Yさんは様々な場合を想定して、DNAバーコーディングの限界も指摘されていた。 いずれにしても、科学の進歩は自分の想像以上のスピードで進化していて、ボンヤリしているとたちまち置いてけぼりを食らう。時代の変化について行けない老兵は、DNAなど関係なく、美しい翅の模様の違いに目を細めて魅入っているしかないのである。しかし、自分はそれで十分至福の時を過ごすことが出来るのだ。
by weltgeist
| 2009-01-22 23:05
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