No.253で書いたフェルメール展に今日の朝早くから上野まで行ってきた。今回展示されているフェルメールは全部で7点。最初はウイーンの「絵画芸術」が加わって8点になるはずだったが、これは「作品保護のため出品不可になりました」とのアナウンスがあって7点となったようだ。いずれにしても、これだけのフェルメールが揃うのは、以前、本国のオランダ、マウリッツハイス美術館でやった大フェルメール展以来最大の規模かもしれない。ポスターには「今世紀最多の来日」と書いてあるから、これは外せない展覧会だろう。
しかし、今回小生は大失敗してしまった。車で出かけたら都内の渋滞にはまって、上野の東京都美術館に着いたのは11時半過ぎと、出遅れてしまったのである。入り口のチケット売り場から先を見たら、すでにすごい人が並んでいる。みんなフェルメール展がお目当ての人で、入館するのに30分待ちだと言われたが、実際には45分ほど待ってようやく館内に入ることができた。これからフェルメール展を見る予定の人は、なるべく朝9時の開館と同時に行かれることをお勧めする。本日は平日であり、朝はひどい悪天候だったにもかかわらずこの人だから、恐らく明日からの土日はもっとひどい人の波で落ち着いて絵を見ることはむずかしいかもしれない。 館内に入ると最初から人人人の大混雑で前に進めない状態なので、入り口付近にあったデルフト派の作品はスキップしていきなりフェルメールに進む。ここは人だかりは多いが、比較的各絵の間隔を広く取ってあるので、流れは意外にスムースで、一枚ずつの作品をじっくり見ることは出来た。 最初の1枚目は、小生の初見参である「マルタとマリアの家のキリスト」。フェルメールにしては大きな絵であるが、見たとたんに「ウーン」と首を傾げてしまった。こうした作品は専門家が念入りに鑑定して本物としているのだろうが、これがフェルメールの実力だとすると、ちょっとがっかりの作品だった。早めに次の「ディアナ・・」に向かう。 「ディアナとニンフたち」も何か絵に深みを感じない。もちろん、これも本物だろうが、そうだとすると小生の鑑賞能力はやはり問題なのかも知れない。どうも、このペースで行くとまずいぞ、といういやな予感を感じながら早々に次の絵に移動する。 次は「小路」。この絵はアムステルダムでも見ていて、自分には「デルフト眺望」と同じく「普通の風景画」としか思えなかった作品である。だから、今回はとくに身を入れて見る。「デルフト眺望」と同じように「普通」という評価を下したら、益々小生の審美眼は地に落ちてしまうと思い、なるべく良く感じるよう心掛けて見たのである。すると、煉瓦で作られた建物の壁が何か浮き上がって訴えてくるような感じを受けた。絵の具に特別な物を入れているのだろうか、デルフト眺望と同じく、壁が照明の光で微妙に光るのだ。こうした何気ないところが、マルセル・プルーストが気に入ったことなのかもしれない。 ところで、11月18日、N0.253 でプルーストが「デルフト眺望」の黄色い壁のことを絶賛していると書いたが、その後、吉川一義氏が書いた「プルーストと絵画」(岩波書店)という本を読んだら、この本の149ページにとんでもないことが書いてあった。プルーストのデルフト眺望の賛辞は、ヴォードワイエという人のフェルメール論を剽窃したものだというのだ。プルーストほどの人が他人の文章を盗用するというのも驚きである。だから、プルーストが「失われた時を求めて」でデルフト眺望の黄色い壁を絶賛したとしても、それが本気であったかどうかは疑わしいようである。 さて、少し失望気味になりながらも、次の「ワイングラスを持つ若い娘」の前に立ったとたんに背筋がキューッと引き締められるような緊張感に襲われた。この絵は今回のフェルメール展ポスターにも使われたものであるから、主催者もそれなりの高い評価をあげているのだろう。左手のステンドグラスを通った光が白い壁に当たって、なんともいえない柔らかさである。それに若い娘の赤いスカートの描写が素晴らしかった。 そして、次の「手紙を書く婦人と召使い」(下の写真)でさらに気分は高揚する。やはり左手のステンドグラスの窓から入る光の陰影が、左手前の黒いカーテンから始まって、壁や机の下の絨毯、タイルの床などに柔らかく拡がる。隅の方を暗くすることで、中央にいる二人の人物を上手に引き立たせるのである。後ろに立って窓の外を気にする召使いと、手紙を書くことに熱中する婦人の仕草が実に生き生きとしている。前の「ワイングラス・・」とこの絵を見ただけで自分は完全なフェルメーリアンに戻ってしまった。こんな絵を描くフェルメールは本当にすごい作家だと思う。 次は「リュートを調弦する女」。以前、ニューヨーク、メトロポリタンで見た時はすごく感動したが、絵が小さいのと、前の絵が良すぎたため、ちょっと損な役柄を追わされた感じである。しかし、この絵もフェルメールらしい光の使い方がすごい。絵の下半分が暗い影になっていることで、観客は知らず知らず薄い光の当たる女に注目させられる。その女の顔を少しファジーで、はっきりしないように描くことで、見る人の視線を顔より全体の雰囲気に注目させるようにしている。リュートの弦を調整しながら、窓の外を見ている動作も何気ない。そんな何気ない動作をさも何気ないように描くところにこの画家の凄さがあると小生は感じた。 最後は「バージナルの前に座る若い女」。この絵は、小生が持つフェルメール画集には載っていない。以前は偽物とされていたからだ。それが、今回科学的調査で本物と鑑定され、サザビーズのオークションでラスベガスの富豪が落札したという因縁のある絵である。非常に小さい絵で、フェルメールにしてはタッチが雑な感じを受ける。科学的鑑定でフェルメール作と言われても、自分は「ちょっと」と言う思いがした。この絵は、個人蔵となるため、今後こうした展覧会に出品されることはないから、これが見れる最後のチャンスかもしれない。 以上、7枚の小生なりの感想を述べたが、18日に書いたのと同じで、自分の中でのフェルメール評価は以前と変わらないと思った。いい作品はすごくいいし、どこにでもありそうな平凡な作品もある、そんな作家がフェルメールではないかという思いは残念ながら、今回も変わらなかったのである。
by weltgeist
| 2008-11-28 23:15
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