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アユ釣りは天国と地獄のシーソーゲーム (No.161 08/07/30)

 昨日のアユ釣りはあまり釣れなかった。釣れないとなると、竿を持っていながらも、余計なことを色々考えてしまう。釣れない原因はアユがいないためか、それとも自分の操作が悪いからなのか、悶々としながらその理由について一日中考えさせられてしまったのである。恐らく、昨日の相模川はアユのコンディションも悪かったところに自分のオトリ操作の不手際が重なって、芳しくない結果に終わったのだろう。
 アユ釣りは、普通2尾のオトリを購入してスタートする。購入するオトリは養殖した温室育ちの坊ちゃんアユで、自然界にいる野アユとは体色から、泳ぎ方、力強さなどの点で全然違う。こんな魚で歴戦の勇士である野アユを挑発させ、体当たりしてきたアユを引っ掛けるには少し難しいところがある。というのも野アユは自分の大切なエサ場となる場所にナワバリを造っていて、これが奪われそうな強いアユしか攻撃しないからだ。弱い者など相手にしないフェアープレイの精神を持った魚なのだ。
 だから弱々しい養殖オトリだと、なかなか相手にしてくれない。釣り人は一刻でも早く元気な野アユを釣って、これに取り替える必要があるのだ。いつまでも養殖アユで狙っても、野アユは掛かってくれないのである。そのためには養殖オトリを如何にも自然な野アユのように見せる巧みな竿操作が必要なのだ。
 そして、これがうまくいってひとたび天然野アユにオトリが替わると、状況は一変する。野アユオトリは今までの不自然な泳ぎと全然違って、ナワバリアユがいるところに勢い良く突っ込んで行くのである。だから無視していたナワバリアユも挑発されたと感じて、オトリに攻撃を仕掛けてくる。養殖オトリでやったらほとんど反応が無かった場所が、野アユをオトリにすると見違えるような釣れ具合に豹変するのはこのためである。ここにアユ釣りの面白さの神髄がある。絶望的な状況下に置かれていた釣り人が、元気な野アユをゲットし、それをオトリにしたとたんに元気な野アユが次から次へと新しい野アユを補給してくれるようになる。今までの不調は何だったんだと思われるほど劇的な釣れ具合に変化するのである。
 この感覚は仕事をする企業人の姿そのものという感じが小生にはするのだ。2尾の貧弱な資本から事業を始めるが、最初は失敗しやすいから慎重でなければならない。しかも原資はやや能力不足の2尾の養殖セールスマンしかいない。これがどこかから有能な野アユセールスマンをヘッドハンティングしてくれないと事業は順調になれないのだ。
 だが、うまく野アユが手にはいると、その後はどんどん儲けることができる。たいした努力もせずに、笑いが止まらない状況となってくるのである。ところが、その好景気は非常に不安定なもので、少しでもセールスマンの扱いを間違えると、たちまち売れ行き不振となり、不況の波に流される。資産に陰りが見えれば倒産、破産の可能性さえ現れてくるのだ。その分かれ道は経営者である釣り人そのものの腕に掛かっているのである。
 アユ釣りは循環の釣りと言われている。元気なオトリを次々にゲット出来れば、釣果は加速度的にアップする。しかし、一度循環の輪が切れるとたちまち地獄のような苦しい状況下に転落する。浮き沈みの非常に激しい釣りなのだ。それは厳しい事業の一線で働く企業戦士そのものの姿であるような気がしてならない。
 ここで味わう天国と地獄の鮮やかなまでの落差、それが自分の竿操作一つで瞬時に変わってくるからこそアユ釣りは面白いのだ。全ては釣り人の自己責任で釣果が決まってくる。厳しいけれど、それだけ奥が深く、味わいのある釣りなのだ。
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これが元気溌剌の野アユ。魚屋で売られている養殖アユと全然違った色をしている。エラの前後にある黄色い斑紋は追い星と言ってアユが興奮状態にある時の指標である。このアユは尾ビレまで黄色くなっているから、まさに攻撃性たっぷりの証拠である。前日の相模川のアユの写真と見比べれば色の違いは歴然。相模川でもこのくらい元気な野アユがいれば、すぐ次のアユを掛けてくれたろうに。
by weltgeist | 2008-07-30 23:52


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