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平穏なる日々(No.112 08/05/30)

 今朝は朝から雨が降っている。午前中は恒例のBさんの英会話授業。もちろん、いつもの通り、小生の英語はすこしも進歩しない。
 午後も雨が続くので日課の散歩も止めて、外をぼんやり眺めている。だが、こうして何事もなく外をボーッと眺めていられることが、実はたいへん幸せなことではないかと思いはじめている。病気して元気がなくなったり、仕事がうまくいかず、行き詰まっている、あるいは突然交通事故に巻き込まれて、家庭生活が乱されたというようなことになった時、そのありがたさが骨身にしみて分かるだろう。
 数日前、吉兆の社長お母さんが、涙ながらに謝罪会見し、廃業を発表していた。もし自分が彼女の立場だったら、どうしたろうか。一流料亭の女将としてこれまで順調に歩んできたのが、いきなりつらい現実に投げ込まれてしまったのである。多分、残された一生を後悔の念に駆られて生きていかなければならないだろう。そんな彼女が今の小生のような状況を見れば、きっとこちらを羨むことと思う。今の彼女に一番必要なものは、まさに今日の小生がぼんやりと過ごしたような、この平穏なる時間なのだ。
 昔読んだ夏目漱石の小説「行人」の中で悩み深き主人公が電車の中で屈託無い職人を見て、自分もあんな風に過ごせたらどんなに楽な気持ちになれるだろうか、と思い悩むシーンがあった。何か苦しい状況に追い込まれると、何事もない平穏な時間がいかに幸せに満ちたものかが分かるのだ。
 我々は幸せを求めて、必死に頑張ってきた。寝る間も惜しんで働き、人との折衝に神経をすり減らす。その原動力に人との比較、人を羨(うらや)む気持ちが潜んでいないだろうか。他人と比べれば、いつも自分は劣っていると感じてしまう。だから、もっともっと頑張らねばならないという強迫観念にとらわれるのである。だが、頑張ってどこへ行くつもりなのか。
 幸せなんて実は探し求めるものではなく、足下にあるごく平凡な日常なのかもしれない。だらしなく家でだらだら過ごすことは、人生の大いなる無駄に見える。だが、人間、頑張るからそうした無駄な時間が、貴重な平安をもたらす幸せな時間になるのだ。働きすぎる人には、時々何もしないでボーッとしていることが必要なのだ。
 ただし、日頃、努力も頑張りもしない怠け者に、こうした時間は、堕落以外のものをもたらさないだろう。人は努力するから、無為の時間も際だってくるのである。
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今日は雨のため、撮影も散歩も中止。この菖蒲の花は、昨日、一面に拡がる菖蒲畑の中に3本だけがフライイングしたように花を咲かせていたのが珍しいから撮ったものである。家の近くを所在なげにブラブラ歩くだけでも、結構カメラを向けたくなるものがある。
by weltgeist | 2008-05-30 23:50


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