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忘れ得ぬルムンバ首相の言葉(No.106 08/05/24)

 昨日、原油価格がまた最高値を更新した。少し前まで1バレル30ドル前後で安定していたのが、60ドル、80ドル、そして百ドルを超えた時はもうこの世の終わりみたいなことを言われていた。昨日は135ドルだから、呆れて物も言えない。アナリストの予測では150、いや200ドルという場面もありうるかもしれないと、悲観的なことを言っていた。そうなったら車をやめる人が増えるだろう。
 車が売れなければ、景気も悪くなる。もちろん他の物価もガソリンと並んで上昇するから食事も一日三食から二食に減らすなんて家庭も出てくるだろう。物価は上がるが賃金は上がらない。それの自己防衛は「なにもかも我慢する」ことでしのぐしか方法がないのだ。
 この理不尽な値上がりの原因が投機資金であることは間違いない。かき集めた金で他の人の稼ぎを横取りするヘッジファンドのやり方には憤慨やるかたない。短期的な利ざや稼ぎで、貧乏人が四苦八苦しようと、「そんなこと関係ない、俺たちは稼げばいいのだ」、という風潮が許せない。だが、原油価格が需給バランスではなく、投機で動いて行く以上、いずれは実物経済の原理に従わざるを得ない。高すぎるガソリンは誰も買わなくなり、値段は現実的な価格に急落するだろう。その時、大暴落のババを誰が引くか。米国サブプライムローンでいくつかのファンドが苦況に陥ったのと同じで、自業自得、誰からも同情されないだろう。
 しかし、今や天文学的数字までなった投機資金は、原油が儲からないとなれば、すぐさま他のおいしい物に飛び移る。次は恐らく食料だろう。すでにバイオ燃料の需要増から穀物価格が上昇し、それに連れて食料品の値上がりが続いている。世界的には食料は足りないのだ。そこを狙って投機資金が参入する動きは今後急激に増大するだろう。
 そうなると、日本のような食料自給率が40%を切る低い国は、ひどいダメージを受けるだろう。ハンバーガー1個2千円、牛丼千円なんて時代が冗談抜きに来るかも知れないのだ。だが、強い円とこれまでため込んだドル資産が何とかこの苦境を助け、軟着陸してくれるかもしれない。しかし、中国やインドといった巨大な人口を抱える国への衝撃度は相当で、軟着陸は難しそうだ。ある試算によれば、順調に見える中国の経済が破滅的な状況に陥るかもしれないと予測している
 投機資金は一儲けしようと画策しながら、結局世界を滅茶苦茶に破壊して、自滅する。原油価格を需給に関係なく吊り上げることはタコが自らの足を食べるに等しい。足を食べ尽くしたとき、タコそのものも傷つき、泳ぐことはもとより餌を獲ることも出来ず、死ぬしかないのだ。
 値上げで苦しむ人たちを尻目に、産油国は我が世の春を満喫している。T.E.ロレンスがアラビア半島で活躍したとき、ベドウインはラクダに乗り、テントで砂漠を行き来していた。それが、今やものすごい豪邸に住み、フェラーリやポルシェを乗り回し、使い切れないほどの金持ちになっている。富の偏在が、それまでずっと報われなかったアラビア人のもとにやってきたのだ。だが、それもいつまで続くか定かではない。移ろいやすい富はあっという間にどこかとんでもない所へ飛んで行ってしまうだろう。
 アフリカは長く暗黒大陸と呼ばれた。アラビアと同じように、「先進国」ヨーロッパの植民地として徹底的に搾取され、人々はずっと極貧と飢餓の中に置かれていた。50年前、ベルギーの植民地を脱して独立国となったコンゴ民主共和国初代首相・パトリス・ルムンバは「息子よ、アフリカの未来は明るい」と言う言葉を残しながら、植民地継続を陰で画策するベルギーの傭兵に殺された。50年たってもルムンバの願いは叶えられていない。スーダン、ソマリアなどで悲惨な状況は当時よりもっと悪いかもしれないのだ。
 我々日本がこれまで曲がりなりにも飯が食えてきたのは、貧しくて食料を買えなかった人たちの飢餓があったからである。世界中からあらゆるものを高い円の力を借りて輸入することが出来た。だが、まだ日本が力強い繁栄をしていた20年ほど前にあるアジアの人がテレビで「日本の生活はアジア人の血と汗がもたらした物だ」と言っていた。丁度我々が今の産油国を見るのと同じ目である。こうした極端な批判はともかく、貧しい人たちの犠牲で、日本の食生活が支えられてきたことを肝に銘じておかなければならないだろう。今も世界で8億人以上の人が飢餓線上をさ迷っている。彼らが饑えているから我々が食べられるのだ。
 投機資金の荒波は今まで我々の目につかない場所で密かに行われていた現実をも明らかにした。これからの生活で「息子よ、我々の未来は明るい」と言える政治家が日本から出てくるだろうか。ぜひ出てきてほしい。ただし、明るい未来は、貧しき人々の搾取の上で成り立つのではなく、全ての人の上に平等に来て欲しいものだ。
忘れ得ぬルムンバ首相の言葉(No.106 08/05/24)_d0151247_2123160.jpg
2年前のフランス旅行の際、シャルトル大聖堂の外壁で龍を踏みつける聖ゲオルギウスの彫刻を見つけた。龍は苦しそうだが、その表情が、貧しい人が踏みつけられ、苦痛でうごめいているのと同じに見えた。だが、この龍は苦しそうでありながら、どこかユーモラスな感じを受けるところが面白い。
by weltgeist | 2008-05-24 21:24


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