コルマール・イーゼンハイム祭壇画(No.36 08/03/08)

d0151247_2347525.jpg ストラスブールの南70㎞にあるコルマールは、アルザスワインの中心地。だが、小生がここに来たのはワインが目的ではない。この町のウンターリンデン美術館にあるマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画を見たいがために来たのである。いや、それどころか、実は今回のフランス旅行の主目的はこのイーゼンハイム祭壇画を見ることなのだ。コルマールこそ一番来たかった場所である。それだから、パリもすぐに切り上げてアルザスにやってきたのだ。
 グリューネヴァルト(1470?~1528年)はデューラーと並ぶドイツ・ルネサンスの代表的な画家である。だが、デューラーがイタリアルネッサンスの影響を受けつつ、繊細な絵画を確立していったのに対し、グリューネヴァルトは他からの影響をあまり受けず、彼独特のタッチを確立していった。それも、中世という閉鎖された時代を超越して、まさに現代的とも言える個性的な図柄でだ。その意味ではエル・グレコと似ているかもしれない。もちろんタッチは全然違うが、絵の先進性という意味において両者は、時代というか、時間を超越した次元にあると言える。
 グリューネヴァルトが描くキリストの磔刑は、実に残酷そのものに描かれている。前日紹介したラファエロの「オルレアン家の聖母」のような優しさは微塵もない。ムチで打たれ、傷だらけになった瀕死のイエスや、それを助けるマグダラのマリア、荒野で悪魔から誘惑される聖アントニウスの姿など、どれも異常な状況で描かれている。こんなタッチの絵は彼以外にはない。それを長らく見たい見たいと思い続けてきたが、実際にこの絵を見て改めてグリューネヴァルトの異様なまでの執念を感じることができ、自分的にはたいへん満足した。
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イーゼンハイム多翼祭壇画の構成はいくつもの翼を持つ複雑な構成になっていて、まず最初に現れるのは左上の十字架に架けられたキリストと母マリアがいる1~4番のパネル。1番のメインパネルはセンターの部分に切れ目が入っていて、ここから左右に開くようになっている。それを開いた後ろ側に出てくる絵が、右の5から8番のパネル。7番と8番は1番の裏側に描かれたもである。さらに5~6が開くと5番の裏側が9番、6番の裏側に描かれる10番のパネルが現れ、最後のセンター部分には、この祭壇画より30年ほど前にニコラス・ド・アグノーという人が彫った彫刻が現れる。
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グリューネヴァルトの多翼祭壇画はパネルを分解して、それぞれ独立して見れるよう展示してある。ウンターリンデン美術館はグリューネヴァルト以外に、マルティン・ショーンガウアーのコレクションも充実している。また、ルーカス・クラナッハの素晴らしい絵があった。
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これが1番のメインパネル。写真では分かりにくいが十字架上のキリストは体中が残酷なまで傷だらけである。右にいるのは洗礼者ヨハネ、左下がマグダラのマリア、白い服の女性が母マリア、それを支えるのが福音書記ヨハネである。パネルの保存状態があまり良くなく、板面がカーブしていて、三脚が使えない(美術館内部はどこも基本的に三脚とフラッシュは禁止)手持ち小型カメラの撮影だと、どこから撮っても表面が光ってしまう。また、パネル面のカーブが強すぎてピントが来ない面ができるのもカメラマン泣かせだ。4X5インチのカメラで、キッチリとライティングして撮影しない限り満足のいく質感は難しいだろう。
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これは1番パネルの下にある4番の小さなパネル(プレデッラ)の右側の部分で、イエスの体は一種異様なまで痛め付けられている。リアルに描かれた傷や青ざめた顔など、ここまで描く残酷さに圧倒される。3年前メル・ギブソン監督主演の映画「パッション(受難)」で十字架を背負うキリストを徹底的に傷つけるシーンを見て、これは残酷すぎると思ったが、実際の受難はこのようなものだったのだろう。人が死ぬのは決してきれいごとではないのだ。その意味でバチカンのミケランジェロ作「ピエタ」でのキリストの死に顔の美しさと、この絵は対極にあると言える。
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1番パネルを開いた後ろにある5~6番の絵で、右は幼子イエスを抱くマリア。左はそれを祝う天使達だが、後ろで合奏する天使達の顔や姿はかなり異様で、半分は人間でない妖怪のような姿をしている。左手前でチェロに似た楽器を弾く天使も、ひどいブスのおばさんである。また、右の聖母子はラファエロのように通常は美人に描くのだが、グリューネヴァルトはごく普通の女性に描いている。このあたりからして、彼独特の美意識が現れていて興味深い。
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5番6番の外側にある7番8番のパネルは、時系列からいうとこちらの方が上のパネルより早い。というのも左側はマリアが大天使ガブリエルからイエスを身ごもったことを知らされる受胎告知の場面だからだ。開いている聖書はイザヤ書で、左上のヒゲの老人が預言者イザヤである。これに対して右の8番パネルはイエスが死んで3日後に復活した所を描いている。ローマ軍兵士が倒れる所はかなり迫力がある。7番で描かれるマリアは美しくない。梅干しでも食べて、「酸っぱーい」といった渋い顔をしている。何故もっと美人に書いてあげなかったのか、小生の理解を超えている。もしかしたら、彼の娘とか恋人といった身近な人をモデルにしたのかもしれない。また右のパネルで光の中を蘇っていくイエスにしても何か漫画チックで、グリューネヴァルトの豊かな想像力を遺憾なく発揮しているように感じた。
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これは最後のパネル、「聖アントニウスの誘惑」の場面である。聖アントニウスの誘惑と言えばボッシュの絵が有名だし、他にも多くの画家が同じテーマで沢山描いている。しかし、グリューネヴァルトのこの絵に登場する怪物は面白い。さすがの聖人も怪物どもに引きずり回される滅茶苦茶な状況に置かれて困っている。別に怪物の部分だけ拡大にしたものを下にアップしたが、15世紀という時代にここまでシュールな絵が描けるところがすごい。左は聖アントニウスがパウロ(右の白髪の老人)を訪ねるという話だが、聖アントニウスは3世紀から4世紀にかけて生きた聖人、パウロはAD60年頃の宣教徒だから時代的には無理があるが、グリューネヴァルトはあえて絵のなかで両者を会わせたのだろう。(日本で解説書を読んだときはパウロとあったが、現地の解説ではパウルスとあったので、もしかしたら、あのローマ書のパウロと別人かもしれない。間違えたらご勘弁いただきたい)。
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10番パネルの部分図。怪物が聖アントニウスを襲う所である。このような妖怪というものは中世時代は、悪魔の化身として実際に存在がまじめに信じられていたという。恐ろしい反面ちょっとユーモアもあり、案外ボッシュなんかもこの絵を見ていて影響を受けたかもしれない。
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by weltgeist | 2008-03-08 23:54


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