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同床異夢の危うさ(No.5 08/01/28)

 物には多様な面がある。単純な一面だけで構成されているわけではない。例えば、何の変哲もない目の前にあるコップ、これは誰が何と言おうとコップはコップである。しかし、別な人がこれはガラスだと言えば、それはそれで真理となる。見る人が物のどの面を意識するかで全然違った答えが同時に成り立つのだ。
 違った評価が成立する代表的な例が株だ。株を売りたい人は株価が山の頂に達し、これ以上の値上がりが期待できないと思うから売る。一方、買う方はそろそろ谷底で、後は反騰するという期待感があるから購入するのだ。これから値上がりが予想される時には誰も売らないし、値下がりするのが分かって買う人もいないだろう。しかし、残念ながら先のことは誰も分からないのだ。だから、売る人も買う人も自分が信じる未来を期待しながら相対立した取引するのである。株価はこのような同床異夢の人たちの中間接点で決まるのだ。もちろん、最近の株価はデリバティブやテクニカルな面からそんな単純な事柄ではないだろうが、基本的には異なる評価の接点であることに変わりはない。
 物の評価の違いがコップとガラス程度なら平和で何の問題もないだろう。しかし、利害関係がからんでくると、しばしば異なる利害どうしの摩擦を生じる。一方が得をすれば、他方は損をする。得は相手の損の上に成り立っているからだ。こうした異なる利害の対立から喧嘩、さらにひどいときは傷害、殺人事件へ発展することもある。これが国家間の問題なら戦争になる。領土問題などその典型的な例だろう。竹島、尖閣諸島、北方領土、いずれも解決の当てもなく、深い利害の対立を含みながら今も休火山の不気味さを漂わせている。
 このように、物というのは人間から独立した中立(無色)の立場にありながら、常に人間の強烈な「思い込み」を浴びることによって、特別な色を付けられて現われてくるのだ。ニュートラルな物の上に人間のギラギラした欲望が照射されると言ってもいいだろう。人は物を自分という色眼鏡を通してしか見えないのだ。そして、その色は人によって様々なのである。ある色だけを取り上げて、他の色を支持する人を認めない態度をとれば摩擦は強い熱を発して爆発する。そのためには、真理は一つではない、他にもあるかもしれない、と思うゆとりある判断が要求されるのだ。自分の考えだけが絶対ではなく、他にも正しいことがあるかもしれないと考える必要があるだろう。
 先日、南氷洋で日本の調査捕鯨船がアメリカの環境保護団体に攻撃された事件もこの問題の延長線上にある。開発と自然保護の問題もそうだし、途上国と先進国の格差、貧困等々、枚挙にいとまがないほどの問題が、実はこうした物事に照射される人間の情念・色眼鏡の帰結なのだ。
 誰もが自分が良いと信じるものを持っている。それがあるから人は未来に向かって頑張れる。しかし、ある一面だけを狂信的に信じて他を全く認めない人の行く手には限りない軋轢が待ち受けることだろう。なぜなら、それは必ず他の人の利害とぶっつかるからだ。人は思い込みで生きる生物である。自分がこれで良しと信じる道を探りながら、先へ進んで行くしかない。しかし、自分が良しとする思いは、他人と仲良く共存する道を歩んで初めて生かすことができるのだ。
同床異夢の危うさ(No.5 08/01/28)_d0151247_23534540.gif
一つのことに思い込む傾向が強かった小生は中学、高校生の頃、蝶の収集に夢中になったことがある。今で言うオタク状態で、寝ても覚めても蝶のことしか頭になく、大きくなったら蝶の研究者になる、と心に決めていた。しかし、いつしか熱も冷め、全然別な道を歩いてしまったのである。蝶に全霊を注ぎ込んだ小生の思い入れは、アルプスの妖精と言われたアポロウスバシロチョウ(上段右から3羽目)を展翅台にセットするとき頂点に達し、感激で手が震えたことを今も覚えている。沢山あった標本もほとんど虫に食われてしまったが、ウスバシロチョウを入れたこの箱だけは特に大切にしたので、小生の若き思い込みの残滓として今も美しい姿をとどめて残っている。
なぜか写真がgifしかアップできないため、色が非常に悪い。美しい蝶たちのためにもここで弁解しておくと、本当はもっと清楚できれいな色をしているのに、それが出ていないのだ。
by weltgeist | 2008-01-28 22:34


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