小市民的幸福感 (No.2100 16/02/25)

 寒い季節のおり、幸せって何だろうかと考えてみた。とりあえずは毎朝暖かい布団の温もりのなかにいつまでも潜り込んでいても誰からも文句を言われない。これって最高に幸せなことではないかと思った。仕事をしていた現役時代と違って、目覚まし時計で無理矢理起こされることもない。自然に目覚めて、それから30分ほど布団のなかでじっとしている。外は寒いだろうなぁ、このままずっと布団にくるまっていたいと思う30分こそわが至福の時である。布団が素晴らしい桃源郷を提供してくれる。これ以上何の幸せを望もうか。
 かなり小市民的な幸福感だが、私にはこれで十分幸せと思えるのだ。そして世の中良くしたもので、同じような思いをしたものがいる。私が寝床につく時間になると猫のイライがやってきて布団のなかに潜り込む。彼も暖かい布団で「幸せ」を感じつつ朝までぐっすりと寝ている。そんな愛猫と一緒に布団にくるまって朝を迎えられることが私の至福感を増幅させるのだ。
 だが、いつまでも布団にくるまったままでいるわけにはいかない。万年床状態で一日中寝ていることもできるが、それではなまけ者になってしまう。前回セネカの言葉で紹介したように、怠惰な人生は生きる意味をも虚しくさせる。適度にセーブしつつ30分もしたら覚悟して布団から飛び起きて、一日をスタートさせるしかないのだ。
 嫌だなと思っても、まじめに仕事をしている人たちは、とっくに起きて働いている。仕事もせずに朝の惰眠をむさぼる贅沢さをありがたいと思いつつも嫌々ながら起きるしかない。そうなると、ささやかな幸せはたちどころに消え去って現実に引き戻される。こうやって人は生きていくのだろうか・・・。
d0151247_23192378.jpg
昨日の朝、とくに寒いと思っていたら、雪が積もっていた。夜のうちに降ったのだろうが、これも布団にくるまっていたから朝まで気がつかないでいられた。すぐに消えていくような雪だったが、こんな寒い日でもぬくぬくとしていられる自分にささやかな幸せを感じたのである。
[PR]
by Weltgeist | 2016-02-26 23:55


<< この頃思う、自分の存在理由 (... 冬の裏磐梯の温泉・裏磐梯レイク... >>