クリスマスイブ (No.2092 15/12/24)

 今日はクリスマスイブ。日本中の人がにわかクリスチャンに変身する特別な日である。しかしその意味について深く考えている日本人はとても少ない。一週間後には新しい年、2016年を迎え、人々は新年のお祝いに各地の神社に初詣に行く。わずか数日で信じるものを変える日本人の精神構造に、熱心な海外のクリスチャンやイスラム教徒は理解不能に陥ることだろう。
 要するに普通の日本人には何でも良いわけで、キリストも八百万の神も心から信じているわけではない。その場その場のご都合でどうにでもなる「イベント」で終わっている。だから死んでしまえばにわか仏教徒の戒名をもらって永遠の眠りにつく。それで人生を総括させて安心するのだ。そんな行き当たりばったりの人生で何となく済ませているのである。
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 しかし、少なくとも今夜だけでもクリスマスの意味くらい知ってみたらどうだろうか。言うまでもなくクリスマスはイエス・キリストが生まれた日とされている。彼は救世主として人間界に生まれてきた(受肉)とキリスト教徒は信じている。サンタクロースがトナカイのそりに乗ってプレゼントを配ってくれる記念日だけではないのだ。
 無限な世界の神が有限な人間の姿になって天上界から降りてきてくれた日。人類の苦しみを救う救世主の誕生日だから世界中の人にとってとても重要な日なのである。「そんなの俺に関係ない」と言う人もいるだろうが、実は関係大ありで、イエスが生まれた年が我々が使っている年号の基準ともなっているのだ。
 来年は西暦2016年。これはイエスが生まれて2016年経っているということで、西暦を示すときは”AD 2016”と表記される。ADとはラテン語の「 Anno Domini=アンノ・ドミニ 」の略で、ドミニは英語でいうドミナント、主(イエス・キリスト)のことであり、アンノは年、すなわち主の年という意味だ。またイエス誕生以前は BC ( Before Christ =キリスト以前 )と表記している。
 紀元後がラテン語の Anno Domini で紀元前が英語の Before Christ と別な言語で書かれる意味を不勉強な私は知らない。また、Anno Domini 、すなわちキリストが生まれた年が2016年前かどうかも実はよく分からないらしい。ルカ福音書に「全世界の住民登録をせよという勅令が皇帝アウグストスから出た」(2:1)ときベツレヘムでイエスが生まれたと書かれているが、歴史的に住民登録は紀元前( BC )4年に行われたとされているから、イエスが生まれたのは2016年より4年ほど前だったのかもしれない。
 2千年も前のことだから多少のアバウトさは仕方がない。とにかくこの頃に人の苦しみを救ってくれる救世主・メサイアが誕生した。それも処女であるマリアから生まれたと聖書には書いてある。「そんな馬鹿な」と言って信じない人もいれば、「神の御子なら処女から生まれても不思議ではない」と心から信じる人もいる。両者は水と油で、真っ向から対立するが、信仰とは理性で計れるものではない。理性的には絶対おかしいことを「信じる」こと、理性的思考を飛び越えてジャンプすることである。
 このジャンプが出来ない人は信仰を持てない。理性をジャンプした人を理性の場で論じることは最初から意味がない。世界中でキリスト教を信じる人は世界人口の33%、20億人以上いるという。今夜はそうした人たちが救い主への感謝を捧げている日だ。少なくともクリスマスの時だけでも救世主への祈りを捧げてみてはどうだろうか。
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by Weltgeist | 2015-12-24 22:06


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