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人が幸福であったかどうかは人生の最後で分かる・オイディプス王の悲劇 (No.2045 15/01/31)

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「死すべき人の身は、はるかにかの長期の日の、見きわめを待て。
何らの苦しみにもあわずして、この世のきわに至るまでは、何びとをも幸福とよぶなかれ」
ソポクレス、「オイディプス王」(藤沢令夫訳)


 アイスキュロス、エウリピデスと並ぶギリシャ三大悲劇作者の一人・ソポクレスの最高傑作と言われる「オイディプス王」は、今から2500年も昔、BC427年頃書かれた。その悲劇の最後の幕が降りる時に語られるのが、上の言葉だ。古代ギリシャという遠い世界の話なのに、オイディプス王のドラマチックな展開は今もまったく古さを感じさせないで強烈なインパクトを我々に与える。これはギリシャ悲劇の最高傑作なのだ。
 劇のストーリーを簡単に紹介すると、テーバイの王ラーイオスは、デルフォイの神託で、「お前は自分の息子に殺され、お前の妻との間に子を産む」と告げられ、生まれてきた男の子を山の中に捨てる。しかし、捨てられた子はコリントスの王夫妻に拾われて青年となる。ところがあるとき、青年はテーバイで見知らぬ老人と諍いになって彼を殺してしまう。それが実の父であるテーバイ王ラーイオスだったのだが、彼はそれに気づかず王の妻、つまり自分の本当の母親を妻として4人の子供を授かる。ラーイオスが実の子に殺され、妻との間に子をつくるというデルフォイの神託はこうして密かに成就される。
 さらにデルフォイの神託は「前王、ラーイオス殺害犯を捕らえ、テーバイから追放せよ。そうでないとテーバイの災いは続く」と新たなお告げをする。ラーイオス亡きあとテーバイ王となったオイディプスは新しい神託に従って前王を殺した犯人捜しを始めるが、その犯人は自分だったことが明らかになる。そして最初の神託通り息子と交わってしまった王妃は罪の意識から自殺。オイディプスは事がお告げ通りになっていたことをようやく知って「すべては紛うことなく果たされた。おお光よ、おんみを目にするのも、もはやこれまで。生まれるべかざる人から生まれ、まじわるべかざる人とまじわり、殺すべかざる人を殺したと知れたひとりの男」と自らを絶望。死んだ王妃のブローチをとって自分の目を刺しつぶしてしまう。彼が黄泉の国に行ったとき、死んだ父や母をこの目で見ることが耐えられないと思ったからだ。
 そして盲(めしい)の乞食となってテーバイから追放の身で出て行く。劇はここで終わるのだが、そのときの言葉が上の「この世のきわに至るまでは、何びとをも幸福とよぶなかれ」である。
 人はどんなに幸せであってもそれが最後まで続くとは限らない。真に私は幸せだったと言えるのは「この世のきわに至る」とき、すなわち生命が燃え尽きて死ぬときである。彼はテーバイ王という恵まれた立場にいて、とても幸福そうに見えていた。しかし、それはうわべだけのことで、実は自分の中にはとてつもない罪が隠されていたのだ。人の幸せとはこのように何が起こるか分からない不安定なものなのだ、とソポクレスは警告しているのである。
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by Weltgeist | 2015-01-31 22:24


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