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過度の健康志向に励む人に忠告 (No.2040 15/01/13)

「世界史上にはたくさんの病弱者が、病弱にもかかわらず、いや、ときには病弱なるがゆえに最も大きな事業をなしとげ、苦難に耐えたという事実がある。」
カール・ヒルティ、「眠られぬ夜のために」7月2日の言葉


 世間の人は健康であることにひどく気を使っている。しかし、多くの病に苦しむ人が偉大なことを成し遂げていることを忘れてはならない。過度な健康保持はむしろ豊かな創造的人生を歩むのに邪魔となることもあるのだ。ヒルティは上の文章に続けて「健康は疑いもなく大きな贈り物ではあるが、それをあまり重く見すぎてはいけない。むしろ、それを損なったり失った場合でも、立派にそれに堪えることを学ばねばならない」と書いて、病気になることはむしろ悪いことではない、それで得られるものもあると言っている。
 昨年末、私が突然得体の知れない激痛で病院に担ぎ込まれたとき、ヒルティの「眠られぬ夜のために」(岩波文庫、青638-1 )を読んで、大いなる希望の力を与えられた。ともすれば絶望の淵に落ち込み、人生の不運を嘆くところを上の言葉が引き留めてくれたのである。このときの私は身にしみてヒルティの思想の奥深さを感じたのである。
 現在の私は最悪の事態を脱して日々快復の過程にある。病気の百貨店と呼ばれるほど沢山の病気をやってきた私は、いま自分の人生を全的に俯瞰できる72歳という歳にまでなって、ようやくこうした病気が私を作った要因だったと気がつき始めている。病気とは人を育てる心の肥やしと分かったのだ。
 だから様々な病気に陥ることを恐れている人たちに言いたい。病気なんて怖がることはない。人間が病気になるのは当たり前だし、かりになったら辛くて苦しいけれど、それがあるからより人間らしく生きられるスパイスのようなものだと思って立ち向かえばいい、と。
 病気になれば死ぬのは怖い。しかし、遅かれ早かれ誰もが死ぬのだ。それより死ぬまでの間は、より人間らしく生きることに専念する方がずっと大事だと思う。もちろん健康であるにこしたことはないが、運悪く病気になっても現代医学の水準なら大部分の病気はいずれは治ると思うことだ。
 今度の病気で感じたのは病気になっても人は気分でどちらにも転べるということだ。暗い気持ちになれば快復も遅れる。しかし、人間の体は不思議なほどよく出来ていて、希望を失わずに頑張れば快復出来るものである。人は簡単には死なないしぶとい生き物なのだ。それでも人間は助からない病気にかかるけれど、そうなったらこれが自分の運命、寿命と思ってじたばたせず死を受け入れる。そのように生きれば良いのだ。
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パオロ・ヴェロネーゼ、エステルの失神。Paul Véronèse / L'Evanouissement d'Esther / 1576-1578 / Musée du Louvre, Paris. 
ペルシャ王アハシュエロスはバビロニア虜囚として捕らえられたユダヤ人の娘エステルをユダヤ人と知らずに王妃にする。ところが王の家臣がユダヤ人皆殺しのたくらみをしていることを知ったエステルは、自分がユダヤ人であることを王に告げ、神の選ばれた民とされるユダヤ人せん滅はエステルの告白で回避される。ヴェネチア派の巨匠・ヴェロネーゼはユダヤ人ジェノサイド作戦を知って動顛したエステルをこのようにドラマチックな場面で描いている。写真はパリ・ルーブル美術館で撮ったものだが、照明が強すぎて絵上部の反射光をどうしてもカットできなかった。

by Weltgeist | 2015-01-13 23:56


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