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ウエアラブル端末なんて要らない (No.1999 14/06/28)

 昨日のニュースで洋服のように体にまとって使えるウエアラブルコンピュータ端末が発売されたことを報じていた。以前から開発されていた眼鏡に小さなディスプレイをがつけたものや、腕時計型、中には腕のリストバンド型のものまで出て、人間はますます便利になっていくようである。
 小生が初めてコンピュータを使い始めたのは1985年ころである。一回ずつコマンドを打ち込むMS-DOSは使いにくく、液晶はモノクロ、本体は重くて持ち運ぶこともたいへんだった。いまはそんな時代とは様変わりの発展ぶりで、小さくて軽いコンピュータが誰にでも気楽に使えるようになった。まさにバラ色の素晴らしい社会が実現してくるように見える。
 携帯電話がスマホになり、iPadやタブレットがさらに進出してついにウエアラブル端末時代の到来となった。ほんの数年前にスマホが出て、みんながIT革命のまっただ中に放り込まれてしまったのを見ると、時代の進む速さは驚異的である。
 今では電車の中を見渡せばほとんどの人がスマホの画面にかじりついている。一日せいぜい数時間しかコンピュータを開けない小生にとっては、のべつまくなしにスマホやタブレット端末を見ている人を見ると、何でそこまで一生懸命して端末を見ているのか、聞きたくなってしまう。もちろんネットだけでなく、メール、ゲーム、ワンセグテレビ鑑賞と様々な用途で使っているだろうが、この人たちがやがてウエアラブル端末になだれ込んでいくのは間違いない。
 ずうっとスマホにかじりついて一日を終えてしまう人を見ていると、ちょっと情けない気持ちになる。IT中毒になっていて、瞬時もスマホを放せないのではないか。これは一種の病気である。それがウエアラブル端末登場でさらに進行しそうだ。大量のデータはクラウドに置き、端末操作で様々な転用ができる。おそらく5年もすれば途方もない使い方で、人間の生活様式はまたまた大きく変わってくるだろう。しかし、それが人間にとって良いことであるのか、小生には分からないでいる。
 ここまでコンピュータが発達してくると、人は考えることを停止する。何か知りたいことがあったとしても検索すればあらゆる事柄が瞬時に分かってしまう。昔は沢山の本を読み、勉強し、それを基に物事を考えていた。しかし、これからは考える必要などない。お手軽にネットにある情報をただでいただき、それで少し利口になった気になれるのである。
 これは人間の痴呆化への道である。機械の発展は人の仕事を楽にしてくれた。しかし、その結果昔のように沢山の人間は要らなくなる。便利な機械がリストラをもたらし、人の価値を下げる。それと同じようにITに頼りっきりで、ものを考えなくなった人間の脳みそはどんどん退化していく。便利さを得ることで、人の価値は下がるばかりなのである。
 だから小生はスマホも買わない。携帯でインターネットを見ることもないから、昔ながらのガラケーで十分である。ましてやウエアラブル端末なんて全然欲しいとも思わない。そんなこと言ってると時流から取り残される恐れがあるよ、と人は言うだろう。しかし、小生は人間の価値を下げていくそんな社会の発展なら、波に乗りたいとも思わないのである。
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by Weltgeist | 2014-06-28 22:35


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