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なくなった人の霊はどうなるのか (No.1996 14/06/22)

 先日なくなった親しい友・Kさんの記念礼拝式が本日キリスト教の教会で行われ、参列してきた。すでに葬式はすんでいる。今日は司祭による聖書朗読、そのあと何人かの方がKさんの思い出を語り、みんなで賛美歌を歌って主を賛美して終わりである。お焼香もなければ献花もない。ただ、Kさんの冥福を祈るだけのシンプルな式であったが、とても感銘を受けた。
 日本ではお坊さんが訳の分からないお経をムニャムニャと読んで、それらしい厳かな雰囲気を醸し出しているが、参列者には坊さんの言うお経の意味も、僧侶が式で行う所作の意味も全然理解できない。むしろわざと荘厳な雰囲気を作って、素人は僧侶のやることに黙って従えばいいと言われている気がする。だから死者の霊に思を馳せようにも我々にはままならない。
 だが、キリスト教では神を信じる者は天国へ行かれるということを聖書の言葉を引用しながら司祭が分かりやすく説明してくれた。このことで余計Kさんとの心のつながりを深く感じることができたのである。お布施の多寡で戒名を決める日本のお葬式は、魑魅魍魎を隠れ蓑に死者の霊を金で選別する悪しき風習の気がする。お金で動く神様など碌でもないものに決まっている。
 小生、キリスト教のこうした式に参列するのは初めての経験だったが、このお別れ会に心を打たれるものがあった。Kさんの肉体は滅んでしまった。しかし、たましい、すなわち霊魂は天国へ行ったことは間違いないと皆が信じている。生前のKさんを良く知る小生としては、誠実な彼女が天国以外の場所に行ったとは絶対思っていない。彼女は素晴らしい人生を終えて確実に天国へ行ったと信じている。
 しかし、小生は天国を見たことがないので、それがどのような場所なのか想像できない。人類が発生して以来、何千億人もの人が亡くなっている。そうした人たちの霊が永遠に生きるとすれば、天国はものすごい数の霊であふれていることだろう。
 そして、「死んでもまた天国で会おうね」と約束して行った人たちはそんな混雑の中でどのようにして再開できるのか。さらには永遠に生きるとすれば、72歳になる小生は老人のままの霊だろうか。以前何かの本で死者の霊は、死後はみんな20歳くらいの青年になると書いてあった。そうなら小生の霊は若返るし、子供の霊は瞬時に青年になる。もちろんこれは想像であって本当のところは分からない。
 小生は今まだ生きているにしても、いずれはKさんがいる霊の世界に旅立つことだけは確実である。今は死後の世界のことなど考えても分からないかもしれない。しかし、神の恵みを信じた人だけが天国での平安と幸福を約束されると言う。先に行ったKさんはそう信じて天国へ行ったのだ。自分も必ず天国に行けると信じることが一番幸福な生き方なのだと今日はつくづく思わされた。
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Fra Filippo LIPPI / Annunciation (detail) / 1443 / Alte Pinakothek, München. 2000年にミュンヘン、アルテ ・ ピナコテークで当時のオリンパス最高コンパクトデジカメで撮った(たぶん800万画素くらい? )リッピの受胎告知。このくらいのサイズなら800万画素で十分写る。普通に使うなら高画素カメラの必要性はないだろう。


by Weltgeist | 2014-06-22 21:47


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