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ハンス・メムリンク、聖ヨハネ祭壇画、2、パトモス島の福音書書記ヨハネ (No.1966 14/05/03)

 ベルギー、ブルージュのメムリンク美術館にある「聖ヨハネ祭壇画」の右パネル、「パトモス島の福音書書記聖ヨハネ」について今日は書いてみたい。昨日紹介したセンターパネルには二人のヨハネが立っていて紛らわしいが、向かって左側に立つ洗礼者ヨハネは、イエス・キリストに洗礼を与えたヨハネ、右側は「ヨハネの福音書」と「ヨハネの黙示録」を書いたヨハネで、全然別な人物とメムリンクは考えているようだ。しかし、最近の研究では「ヨハネの福音書」と「黙示録」を書いた人も別人ではないかと言われている。ヨハネという人物はたくさんいて、洗礼者ヨハネ、福音書書記ヨハネ、黙示録書記のヨハネはそれぞれ別なヨハネということになりそうである。
 福音書を書いた人物とイエスを洗礼した人物を特定するのは2000年も前のことだからあやふやだが、ヨハネの黙示録だけは冒頭の第一章9節で「私ヨハネは・・・パトモス島」で神のお告げを聞いたと書いてあるから、黙示録の作者はヨハネという名前の人であることは間違いはない。それで、エーゲ海にあるパトモス島でヨハネは何を見、聞いたのだろうか。彼が見た幻のお告げ、つまり黙示録の内容をメムリンクは絵にしているのである。下が、その右パネルの全体である。
ハンス・メムリンク、聖ヨハネ祭壇画、2、パトモス島の福音書書記ヨハネ (No.1966 14/05/03)_d0151247_21163872.jpg

 黙示録は新約聖書の最後の書である。ここに書かれていることは非常に多岐にわたっていて、短い言葉でまとめることはむずかしいが、要するに神の人間に対する最後の審判をパトモス島にいるヨハネが幻として見て記述しているのである。
 その基本的なストーリーは罪深い人間どもにいくら悔い改めよと神が言い続けてきても駄目だった。人間はいつまでも罪を犯しそれを止めなかったのだ。堪忍袋の緒が切れた神の最後の罰が世界の終末としてこれから精算される。そのシーンをヨハネに幻として見せるのである。これは人間に対する神の最後の警告なのだ。
ハンス・メムリンク、聖ヨハネ祭壇画、2、パトモス島の福音書書記ヨハネ (No.1966 14/05/03)_d0151247_22194705.jpg 最後の審判の幻視は子羊が七つの封印を一つずつ解いていくことで始まる。封印を解くとそこから様々な災いが飛び出してきて、そのつど罪深い世界が焼きつくされていく。第一の封印を解かれて出て来た白い馬、第二の赤い馬、第三の黒い馬、第四の青白き馬が飛び出してくる様子が、ペンを持ってそれを記述しているヨハネの上に描かれている。
 このあと黙示録では七人のラッパを持つ天使が出て来て、ラッパを吹くと地上の三分の1が焼け、海の三分の1が血の海になり、海の生き物も三分の1が死んでしまうといった恐ろしい場面が続き、サタンと戦うハルマゲドンが出現する。このあたりは本当に地獄のような記述で、誰もが恐ろしい目にあうと思わざるを得ない。
 たとえばデューラーの版画集「ヨハネの黙示録」(左)を見ると恐怖を感じるような描写ばかりである。黙示録とはそうした恐ろしい「天罰」を受ける物語として一般に思われているのである。だが、メムリンクはそうした恐怖の場面を右上の半分に小さく、しかもマンガチックに書いているだけである。
 むしろ左上の虹のリングに囲まれたなかの玉座にイエス・キリストが座り、サタンの支配から解放された千年王国の出現を大きく描いている。神の裁きのあと、悪は滅び、ふるいにかけられた罪のない清い人、イエス・キリストを信じ、神の義を受けたごくわずかな人だけが救済される。メムリンクはデューラーなどと違って、人々が神の裁きのあと救済されるところを大きく扱っている。ここにメムリンクの人間的な優しさが出ていると小生は感じているのである。
 


長くなったのでこの続きは明日書きます。


by Weltgeist | 2014-05-03 23:28


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