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救世主はロバに乗ってやってくる。パームサンデー (No.1950 14/04/13)

 先日、「歯医者の守護神、聖アポロニア」のところで書いたように今日13日がイースター一週間前の「シュロの日曜日、パームサンデー」である。この日、イエス・キリストはロバに乗ってエルサレムに入城するのだが、救世主とあがめられるイエス・キリストが、なぜ馬でなくロバでエルサレムに入城したのか。今日はそのロバの話をしてみよう。
 ロバは昔から西洋では馬鹿、のろま、愚鈍の象徴のように見られている。たとえばドンキ・ホーテ物語では、騎士、ドンキ・ホーテは名馬・ロシナンテ号に乗って颯爽と登場するが、従者のサンチョ・パンサは馬鹿な男としてロバに乗らされている。サンチョは馬に乗るほど賢くはないから、身分相応にロバが与えられているのである。また、童話ピノキオではゼペット爺さんの言うことを聞かないで怠けてばかりいたピノキオがロバに変身させられる罰を受けている。ロバは昔から決して良い意味での役割はもらえていないのである。
 さらに変わったところでは1933年にエルヴィン・シュレーディンガーと共にノーベル物理学賞を受賞したイギリスの物理学者、ポール・ディラックが、彼が見つけた反物質を「ロバ電子=donkey electron 」と名付けている。いわゆる「ディラックの海」と呼ぶ真空の空間には質量がマイナスで、引っ張るとそれとは反対方向に動く電子が満ちている。これをディラックはロバは引っ張ると逆方向に行きたがるひねくれた性質があることからロバ電子と呼んだのである。そして、それと同じ質量を持つプラスの電子が予言されることとなり、反粒子の発見につながっていく。
 小生、こうした話からロバは人間の言うことを簡単には聞かない馬鹿で強情な生き物と思い込んでいた。実際にロバを見ると確かに馬のような俊敏さはない。動作がスローモーなところからどうしても馬鹿な生き物であろうと思っていたのだ。
 しかし 昨年パミール高原でちょっとだけ実際にロバに乗ったことがある。たまたま小生たちがチョウチョを採っていたら、ロバに乗った少年が我々を見にやって来て、ロバに乗せてくれたのだ。そのときの感想では昔読んだディラックのロバ電子の話を思い出していたから、さぞかし扱いにくい乗り物だろうなと思っていた。ところが意外や意外、とても素直に思った方向に動いてくれる。ロバ電子のように反対方向に動く強情さなどまったくなかったのだ。
 以前オーストラリアでホースバックライディングをやったことがある。このときは馬の背が高くて、もし落馬したら大けがするだろうなと怖い感じを受けた。しかし、ロバは背が低いから乗っていて落馬の恐怖感がない。また、馬のように早く走ることもないから乗っていて安心なことが分かったのだ。
 そんなわけで、小生はロバに対する認識がこのときからまったく違ってきている。長い距離を早く移動するには馬がいいけれど、重たい荷物を運んだりするにはロバはたいへん有能な家畜であると考え方を変えている。愚鈍だとか馬鹿とはとんでもない。実に便利で有能な生き物と分かったのである。
 それで以前から思っていたシュロの日曜日にイエス・キリストがロバに乗ってエルサレムに入城したときの考え方も変えてしまった。聖書でわざわざロバに乗っていくことを強調するのはロバの愚鈍さを象徴した何か特別な意味のあることかと思っていたのだが、当時の人たちはごく普通に便利な家畜と思っていたのではないか、だからあまり深い意味を考えるのは行き過ぎではないかと思い始めているのである。

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by Weltgeist | 2014-04-13 23:31


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