「ほっ」と。キャンペーン

マロリーとエベレスト登頂の謎 (No.1926 14/03/07)

d0151247_22063732.jpg
d0151247_22080168.jpg 一昨日の夜、NHKーBSで、エベレストに挑戦して行方不明になった英国人登山家、ジョージ・マロリーについて放送したはずである。はずであると書いたのは、番組があることは知っていたが、見ていないからだ。うっかりしてNHKが放送することを忘れて見逃してしまったのである。
 世界最高峰エベレストはヒラリーとテンジンによって1953年に初登頂されたが、それより29年も前の1924年にジョージ・マロリーとアンドルー・アーヴィンによって初登頂されていたかもしれない。だが、彼らは山頂直下で行動しているところを目撃されながら、最終アタックキャンプまで戻ってこなかった。途中で行方不明となり、その後何度も英国は捜索隊を繰り出したが、1933年にアーヴィンのピッケルが8,460mの地点で見つかった以外、何の手がかりも得られず、エベレストが彼らに登られたのかも分からない謎のまま残っていたのである。
 だが、マロリーは頂上アタックのときコダックのカメラを持って行った。もしマロリーの遺体が見つかり、カメラが発見されれば登頂の写真があるかもしれない。極寒のエベレストでは数十年経ってもフィルムは劣化せず現像可能だからだ。
 マロリーのカメラを見つけ、そこに頂上から撮った写真が写っていたとすればヒマラヤの登攀史は書き換えられることになる。カメラ発見は謎解きのキーワードなのだ。このことをテーマに夢枕獏さんが「小説すばる」に「神々の山嶺」という長編小説の連鎖を始めたのは1994年のことである。そして長い連載を終えて、1997年には上下二巻の単行本として集英社から出版し、その力強い内容から翌98年には柴田錬三郎賞を受賞している。
 小説はカトマンズでマロリーの遺品らしいカメラが売られているところから始まって、最後はカメラの発見者である主人公がエベレスト南西壁を単独で初登攀する。そして、なぜか頂上を越えた北壁側で力尽きマロリーの遺体の近くで死ぬという壮大なスケールの話である。
 小生は釣り仲間である獏さんからこの小説を書いた苦労話を直接聞いているし、柴田錬三郎賞の授賞式にも参加させていただいている。ところが受賞の翌年、1999年に何と英国BBCと米テレビ局の共同マロリー捜索隊が頂上付近の北壁でうつ伏せになったマロリーの遺体を発見したのである。
 BBCで放送されたこの生々し映像と写真がネット(映像は非常に衝撃的なので見たい人は自己責任で・・・)でも見ることができる。また、捜索の様子を書いた「そして謎は残った」(文藝春秋社)という本にも遺体から推理した遭難の状況が興味深く書いてある。それによれば白くミイラ化したマロリーの遺体には腰にザイルが巻かれ、滑落した時にできた擦過傷があったという。
 だが、彼の遺品を調べたが肝心のカメラはなかった。そして、もし登頂したらエベレストの頂上に置いてくると言っていた妻の写真が所持品の中にもなかった。几帳面なマロリーが写真を持っていないということは登頂の証拠に写真を置いてきたからではないか。しかし、後に初登頂したヒラリーたちは頂上に何も無かったと言っている。謎は遺体発見でも解明されなかったのである。
 また、サングラスがマロリーのポケットの中にあったことも分かった。もし昼間なら強烈な紫外線を避けるためにサングラスはしていたろう。彼らは登頂を果たして夜に下降しているとき事故にあったのではないかと推測する人もいる。
 「あなたはなぜ山(エベレスト)に登るのか」と聞かれて「そこに山があるからだ。Because it is there. 」という有名な答えをした人物であるジョージ・マロリー。このように謎に満ちた出来事がその後どこまで解明されたのか、NHKの番組を見損なったことがつくづく残念である。
[PR]
by Weltgeist | 2014-03-07 23:13


<< 17日まで休みます (No.1... 信念を持つこと (No.192... >>